夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

池田山公園とねむの木の庭

2017-01-14 17:45:05 | 公園・庭園めぐり

(1)池田山公園

目黒駅を東口に出て目黒通りを東に進み、上大崎の交差点で首都高の下を潜り南側の歩道に移って次の角を右に入る。300mほど進むと信号のある五差路に出る。左側の細い方の道に入ると少し先で右から来る道と合して坂の上に出るが、その右側に池田山公園の入口がある。坂の北側は谷になっているが、明治の迅速図を見ると、この谷の支谷が池田山公園に相当し、支谷の入口辺を通って台地に上がる急坂が、現在の公園北側の坂に相当している。

公園内に入って谷底の池を見下ろす。暗い池と石橋。池に落ち込む斜面には、この時期の風物詩でもある雪吊が造られ、庭園の景観を引き締めている。

奇妙な形の冬囲いに誘われて幅広の園路を下っていくと、公園のもう一つの出入口に出る。その手前には釣瓶井戸があった。いつ頃のものか、また現在も使用可能かどうかは分からないが、この庭園には相応しいものではあるのだろう。

ひょうたん形の池に沿って進み、くびれの部分に架けられた石橋を東側と西側から眺める。橋のそばには雪見灯籠も置かれている。

池の西側には滝が造られていて、池の水を循環して流している。池には今も湧水があるとも言うが、池の水位を維持する程の水量ではないようである。

池には鯉が泳いではいるが動きは鈍い。そろそろ餌を取らず動きを止めて冬眠のような状態に入る頃なのだろう。ここを訪れたのは年末で、庭園に彩が少ない時期であった。次回は季節を変えて来てみたいと思っている。

 池田山公園の南側、東五反田五丁目一帯は備前岡山藩池田家の下屋敷(大崎屋敷)があった場所で、幕府から拝領した屋敷と、周辺の農地を買い上げて抱屋敷とした敷地面積を合わせると3万7千余坪の広さがあったという。ただし、現在の池田山公園の場所は、「御府内場末往還其外沿革図書」に上下大崎村入会地と記されているので、下屋敷の外のように思える。また、池田家下屋敷の図面にも奥庭のような記載は無い。明治以降、池田家の下屋敷は池田侯爵邸として継承されるが、池田山公園のある場所の扱いについては良く分からない。ただ、昭和2年の大崎の地図で現在の池田山公園の位置に池が記されているので、昭和以前には庭園が造られていたかも知れない。昭和60年、品川区はこの土地を購入し、庭園を整備して池田山公園を開設している。

 

(2)ねむの木の庭から五反田へ

池田山公園から五反田駅までのルートは、池田家下屋敷跡をたどる道になっている。池田山公園を出て左へ行き、直進する五差路への道を見送って左に入る。この道の左側は池田家下屋敷の一部だったところで、明和9年(1772)の「大崎御絵図」によると、富士見山と呼ばれる塚が築かれていた。弘化3年(1846)の「御府内場末往還沿革図書」では、その土地に南部信濃守中屋敷と記されているが、これは名目上の事で実際は池田家の所有地であったらしい。この塚は明治42年の地図にも記されているが今は見当たらない。先に進み突き当たった辺りに池田家下屋敷の目黒門があった。池田家下屋敷の殿舎などで使用する水は、「大崎御絵図」によると、目黒門から引き入れ敷地内を開渠で殿舎まで引いていた。また、目黒門までは五差路の北側で三田用水から分水し、地下の樋で引き入れていたと考えられる。

突き当りを左へ次の角を右に折れて、インドネシア大使館の横の広い直線道を進めば、“ねむの木の庭”という公園に出る。江戸時代、ここの南側には小書院や長局のある池田家の殿舎があったが、明治になって下屋敷跡が池田侯爵邸になると西洋館や和館が建てられる。また、建物に付随して庭園も造られ、玄関の前には円形の小庭園を中心とした車まわしも作られる。昭和に入ると、この土地は手放されたようで、分譲地として整備されることになる。旧正田邸はこの分譲地にあったが、建物が老朽化のため取り壊されたあと、平成15年に品川区が譲り受けて、公園として整備したのが“ねむの木の庭”という公園である。

“ねむの木の庭”は、ねむの木をシンボルツリーとし、ガラス・スクリーンや格子垣(トレリス)を設けた洋風の庭園になっている。園内は広くはないが、手入れが行き届いた明るい庭園になっている。

アーチ状になっている出入口から外に出て東へ向かい、直角に曲がって、分譲地らしい直線的な道を南に向かう。途中に地域安全センター(旧交番)があるが、ここを東西に走る道は、相州道(現在の桜田通り)から分岐して池田家の拝領屋敷に至る道に相当している。地域安全センターの近くには表門、西側の高台には殿舎があり、南側には湧水を利用したと思われる池があった。池から南に向かう谷には長屋が並び、その先に裏門があったが、今は跡形も無い。

 下り勾配の道を南に進み、突き当りを左に、次の角を右に入ると、桜並木の下り坂となる。坂とその周辺は五反田公園という名の公園になっているが、ここは桜の名所でもあるらしい。坂の左側の高台は、池田家下屋敷に含まれていた場所で、馬場が設けられていたほか、高台の突端には眺めの良い、山の茶屋が造られていた。坂を下り、突き当りを左に行くと桜田通りで、五反田駅はすぐそこである。

<参考資料>「しながわの大名屋敷」「御府内場末往還其外沿革図書」「池田家文庫」

 

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新宿御苑の12月の桜

2016-12-23 16:00:50 | 公園・庭園めぐり

 

新宿御苑に12月でも咲いている桜を見に行った。新宿門から入り、サービスセンターの方向に進むと最初に子福桜が見えて来る。この桜は秋から翌春まで断続的に咲き続けるそうで、4月に桜を見に行った時にも確かに咲いていた。子福桜はカラミザクラ(シナノミザクラ)とコヒガンの雑種と考えられる栽培品種で、花は小輪で白色の八重。一つの花から複数の実がなる事から子福桜の名が出たという。

先に進むと、右手に十月桜があった。十月桜も秋から翌春まで断続的に咲く桜である。十月桜はマメザクラとエドヒガンの雑種で江戸時代から栽培されているという。花は淡紅色で中輪八重である。

十月桜の近く、道の左側に寒桜が咲き始めていた。この桜はカンヒザクラとヤマザクラの雑種で、江戸時代から栽培されていたという。花は淡紅色の中輪一重である。

サービスセンターの近くに、ヒマラヤ近辺を原産とするヒマラヤザクラが咲き誇っていた。開花時期は12月頃。花は一重で色は白からピンクまで様々だが、新宿御苑のものは濃いピンクで重なり合って咲くため遠目には八重桜のようにも見える。

 

中央休憩所の東側にある四阿の近くに、冬桜が咲いていた。マメザクラとオオシマザクラの雑種で江戸時代から栽培されていたという。花は白色の中輪一重で、秋から翌春まで断続的に咲き続ける点は、十月桜や子福桜と同じである。

中の池を渡って桜園地に行ってみると、十月桜がひっそりと咲いていた。新宿御苑の12月の桜はここまでで4種類。以前取り上げた春の桜を含めると33種ということになるが、新宿御苑には他にも30種ほどの桜があるそうなので、折を見て探してみたいと思っている。

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芝離宮から浜離宮へ

2016-12-10 11:21:30 | 公園・庭園めぐり

(1)芝離宮

芝離宮は浜松町駅のすぐ近くにある。園内に入って左へ、藤棚を通り過ぎ、潮入の池の東側を進む。池の護岸には黒ボク石も使われている。潮入の池には、キンクロハジロ、ホシハジロなどが来ている。コサギもここを棲み処にしているらしい。

中島に渡り西湖堤を通る。庭園全体を見渡してみるが、紅葉は多くなさそうに見える。

庭園内には冬の景観の代表である雪吊が作られていた。

芝離宮には根府川石など多くの名石による石組が造られている。その一つでもある枯滝の谷を、園路のように通り抜ける。

四本石柱を横目に、十月桜の花を確認して、雪見灯籠に至る。芝離宮まで回った事で、都内庭園を5カ所回ったことになるが、ここまで来たら浜離宮まで行きたい。

 

(2)浜離宮

中の御門から浜離宮に入るが、日はすでに傾きかけている。今日は、潮入の池の辺りを見て回る事で良しとしなければ。まずは、池の北側にある三門橋を渡る。

潮入の池の中に中島の御茶屋を見る。ただし、今日は入る予定は無い。

中島の御茶屋には中島橋から行けるが、今日は渡らずに池に沿って先に行く。

池の南側から、お伝い橋を渡り、中島の御茶屋を横目に、先を急ぐ。

前に来た時は工事中だった燕の御茶屋は既に完成している。

松の御茶屋を外から眺めたあと、園内を一回りしてから浜離宮を後にする。

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殿ケ谷戸庭園の紅葉

2016-12-09 19:08:29 | 公園・庭園めぐり

殿ケ谷戸庭園は国分寺駅の近くにある。園内に入って最初に紅葉亭に行く。その北側は茶室として有料で利用出来るらしく、建物の周りは趣のある庭のようになっている。紅葉亭の南側は土間になっていて、紅葉を眺めながら休憩するのに良い。

 

紅葉亭のそばに井戸水を利用した鹿おどしがあり、その水が小池を経て、下に見える次郎弁天池に流れ込んでいる。

 

四段の滝には井戸水のほか循環水も利用されているようだが、次郎弁天池にはこの滝のほかに、湧水も流れ込んでいる。

池を半周して斜面地の下を進む。西側の斜面林に対して東側は竹林になっている。斜面の土留めには黒ボク石(溶岩)が使用されている。

 

坂を上がり藤棚を過ぎると平坦な道となる。紅葉を眺めながら進めば程なく入口に戻る。

本館に入ってスタンプを押したあと、近くを歩き回って写真を撮り、それから外に出る。

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秋の旧古河庭園から六義園へ

2016-12-08 19:16:50 | 公園・庭園めぐり

(1)旧古河庭園

旧古河庭園の洋館と洋風庭園はコンドルの設計で丘の上にあり、日本庭園は低地にあって、京都の庭師の小川治兵衛が作庭したという。洋風庭園と和風庭園の境には段差があり、黒ボク石(溶岩)が土留に使われている。富士山の黒ボク石は富士塚に用いられることが多いが、関東では、庭園の土留めや滝の造成など、黒ボク石を庭石としても用いている。

 

日本庭園に入り園路を歩く。周囲は樹林。渓流を眺め、橋を渡る。

庭園の中心は紅葉の心字池。それから、紅葉の中に交じる花の姿。

秋から冬にかけての景物は雪吊。そして、紅葉に彩られている枯滝。

雪見灯籠は紅葉を背景とし、流れ落ちる滝は落ち葉をまとっている。

 

水鳥たちの居る池。そして、見上げる展望台には人の姿も。

茶室もまた紅葉の中にある。今日は使われているのだろうか。

 

(2)六義園

旧古河庭園から六義園まで歩き、染井門が開いていたので中に入る。紅葉は今が盛り。水路に沿って少し進み、藤代峠に上がって庭園の全景を見渡す。

もみじ茶屋を東から西から眺めたあと、吹上茶屋へ行く。

吹上茶屋から大泉水に沿って歩く。中の島は緑が濃いが、それ以外の色も交じっている。

滝見の茶屋に行き窓から滝を見たあと、池沿いの道に戻る。大泉水の向こう、雪吊が吹上茶屋を隠すように聳えている。池には蓬莱島らしきものが見えるが、姿が少し変わったような気がする。

大泉水沿いに歩き、田鶴橋と渡月橋を写しとり、これにて本日の予定を終える。

 

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秋の小石川後楽園

2016-12-07 18:50:33 | 公園・庭園めぐり

以前にも取り上げたことがあるが、都立9庭園のうち5カ所を回るとカレンンダーのほか抽選で賞品が貰える、“都立庭園紅葉めぐりスタンプラリー”というイベントが開催されていたので回ってみた。最初に出かけたのは小石川後楽園である。

 入園して大泉水を眺めたあと、小盧山を右に見て西に向かう。

   

今は落ち葉散り敷く季節。朱塗りの通天橋も紅葉の内にある。

 

西湖堤と屏風岩。ツワブキの黄色が彩を添える。

 

通天橋の南側は池とも見えるが、大堰川の名がついている。

 

丸屋という名の四阿の屋根も今は紅色。紅葉と緑葉の対比が美しい季節。

円月橋の円と、シルエットの半円。

稲田はもう日暮れ近くの風景。九八屋の外には臨時の店が出ているらしい。

紅葉見物の人また人。一年のうちでも特に混雑する時期。

大泉水はまだ夕方の光のうちにあるが、内庭は既に日影になっている。

大泉水の中心となる蓬莱島。園内はまだ工事中で仮橋も見える。

小石川後楽園を出て南側の遊歩道を歩く。屋上庭園に上がり、それから帰途へ。

 

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東京国立博物館の庭園

2016-12-04 16:44:51 | 公園・庭園めぐり

“秋の東京いい庭キャンペーン”の対象になっている東京国立博物館の庭園が公開されていたので行ってみた。庭園入口から先に進むと右側に築山があり、その北側の日の当たらない場所に、綱吉が法隆寺に奉納したという銅製の五重塔が置かれていた。

日影の中にある春草蘆に行く。この茶室は河村瑞賢が淀川改修工事の際に建てた休憩所に始まり、三渓園を経て所沢の柳瀬荘に移築され、柳瀬荘が東京国立博物館に寄贈された時に、春草蘆は現在地に移築されている。所沢の柳瀬荘は日時限定で公開されているそうである。

春草蘆から転合庵に行く。転合庵は小堀遠州が京都伏見に建てた茶室で、大原寂光院に移築されたあと、何人かの所有者の手を経て東京国立博物館に寄贈され、現在地に移築されたという。転合庵はまだ日溜りのうちにあるが、茶室の前の池はすでに日影の中にある。

池沿いに次の茶室へと向かう。シルエットとなった燈籠の向こうに、紅葉が輝いて見える。

六窓庵の裏手に石塔を転用した手水鉢があった。銀閣寺をはじめ多くの所有者の手を経て明治時代に国立博物館の所有になったという。

六窓庵は奈良の興福寺にあったもので明治になって国立博物館に移築され、後に解体されたあと再建されている。この茶室は、素人目には風変わりな建物のようにも見えるが、付属している待合の方も少し気になる。

六窓庵から、薄と紅葉と池の眺めを楽しみながら先に進む。

応挙館は、尾張の明眼院書院に始まり、品川に移築されたあと、現在地に移されている。応挙館のなかには、円山応挙の揮毫と伝えられる墨画の複製が設置されているというが、戸は閉じられて見ることは出来ない。建物の存在感も薄れ、傍らの公孫樹が目立つばかりである。

赤坂にあった九条邸から当地に移築された建物で、外から内部を見る事が出来る。九条館の前に造られているのは石庭だろうか。あまり目立たないのが残念な気もする。

九条館の裏手にまわってみる。日差しがあれば、より美しい庭の姿を見る事も出来ただろう。

池の南側から、まだ日差しの中にある転合庵を眺める。

池の畔の木々も既に影のうちにあるが、それでも紅葉の鮮やかさは失われていない。

庭園を出て、本館で開催されている特別展「平安の秘仏」を見に行く。鑑賞のためだけではなく頭を垂れて祈りたい気分。そのあと、本館の中を見て回るが、残りは次の機会にして、前庭のユリノキを横目に、帰途に就く。

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根津美術館の庭園

2016-12-02 21:14:26 | 公園・庭園めぐり

“秋の東京いい庭キャンペーン”の対象の一つになっている根津美術館の庭園に行ってみた。隈研吾設計による新美術館になってからは、初めての入館ということになる。丸山応挙の展覧会を鑑賞したあと、1階の庭園口を出る。庭園へは地下一階からも出られるようで、そちらからは車椅子での通行が可能なようである。

根津美術館の庭園は起伏に富んだ土地にあり、谷には池を作り、園内四カ所に茶室を設け、各所に数多くの石造物を置き、その間を園路が縦横に結んでいる。

庭園内には現在も湧水があり、井筒から流れ出た水は、細い水路を流れて池に注いでいる。園路からは小さな滝も見える。

園路を下り、八つ橋の池を橋で渡る。池の辺りは紅葉の盛りといったところ。谷底に造られた池は、長細い形をしている。

池から南に上がり、観世音菩薩が住むという補陀落を抜けて先に進むと、竹藪のある薬師堂に出る。ここまで来る人は少ないようで、辺りは森閑としている。

薬師堂から少し広めの道を歩いて、紅葉の鮮やかな披錦斎に行く。ここには一樹庵が付属している。この辺りは少し高い位置にあるので、園内では眺めが良い方である。

自然石のような石灯籠があり、その向こうに弘仁亭が見える。池に下り、暫し紅葉を眺める。

八つ橋の池の中に井筒がある。湧水があるらしい。場所を変えて見てみると、近くの斑鳩庵から池に来て、飛び石を伝って湧水を汲む趣向のようにも思える。池に沿って先に進むと、小さな舟が一艘。この舟にも何か趣向があるのかも知れない。

橋を渡って天神社に行く。飛梅祠の石像は中国で参禅する菅原道真の姿を表したものという。この庭園が自邸の庭だった頃、薬師堂や飛梅祠は信仰の対象になっていたのだろうか。

天神社から池に沿って進み閑中庵に行く。ここに付属する牛部屋の名の由来はなんだろう。

苔むした石灯籠の向こうは、やはり紅葉である。

 

弘仁亭の前の池には、4月の末頃に燕子花が咲き、時期を合わせて光琳の燕子花図屏風が展示されるという。弘仁亭には無事庵が付属する。また、弘仁亭には待合もある。その屋根の縁を紅葉の中に置いてみる。また、披錦斎付近の紅葉をバックに、ススキを前景にしてみる。

庭園を一回りしてから、大屋根が特徴的な美術館の本館に戻る。根津美術館の庭園は新館の建築工事に合わせて改修されたようで、以前の庭園はもう少し野趣に富んだものだったような気がする。それにしても、この庭園には石造物などが数多く存在する。美術館の庭園はかくあるべしとでも語っているようでもある。

 

(注)「秋の東京いい庭キャンペーン」の対象になっているのは、浜離宮、芝離宮、小石川後楽園、六義園、旧岩崎邸、向島百花園、清澄庭園、旧古河庭園、殿ケ谷戸庭園の都立9庭園のほか、東御苑、東京国立博物館、昭和記念公園、新江戸川公園、朝倉彫塑館、池田山公園、目白庭園、薬師池公園、八芳園、根津美術館、毛利庭園、椿山荘、旧安田邸、小石川植物園、柴又帝釈天、京王百草園の16カ所、計25か所である。

 

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新江戸川公園

2016-11-28 18:53:48 | 公園・庭園めぐり

11月28日の「いい庭の日」の前後に「秋の東京いい庭キャンペーン」が行われている。そこで、対象の一つになっている新江戸川公園に行ってみた。江戸川橋で下車して江戸川公園を通り、芭蕉庵に寄ってから、新江戸川公園に行く。公園の塀を改修したらしく南門が新設されているが、今回は正門から入ることにした。

正門の左手に細川家の学問所であった松聲閣があり、修復工事を終えて今年から公開されている。集会室は有料で要予約だが2階の展望所は無料ということなので、改修後はじめて中に入った。途中の廊下から見た裏庭も日本庭園らしく整えられていた。

階段を上がり展望所に行く。山茶花という二間続きの和室で、廊下に出ると公園全体が展望できるようになっている。庭園の景観は明治時代の細川家本邸だった頃とほぼ同じらしい。

松聲閣を出て、団体が通り過ぎるのを待って、中門から庭園に入る。庭園の改修も行われていたらしく、以前より眺めが良くなっているような気がする。

大池の畔から土橋の方向を見る。紅葉は今が盛りといったところ。この池にはコサギが生息していた筈だが、今日はその姿を見ない。どこか別の場所に移ったらしい。

池の向こうに石造の十三重塔が見える。本来の十三重塔は供養塔だと思うが、江戸時代以降は庭園の添景物として使われてきたらしい。池には小さな島も見えるが、中島だろうか。

松聲閣の周りは芝生が張られ、樹木の刈込や伐採も行われたらしく、開放的になっている。園路のそばには鹿威しが新設され、軽やかな音を響かせている。

松聲閣の東側、庭園に面する区画は垣で囲まれた表庭になっている。視界の邪魔になるものを排除した小庭で、部屋からは庭園全体が良く見通せるだろう。

表庭には水琴窟も新設されていた。水琴窟は幕末から明治にかけて流行したが、維持管理が難しいせいか造られなくなった。それでも最近は、公園などでも見かけるようになった。

この庭園には、北西側の湧水を利用して池に流れる水路、遣り水が造られていた。しかし今は湧水も僅かになっているので、湧水だけで池の水位を保つことは難しいようである。

池には滝が付きもので、この庭園にも小さい滝がある。もともとは湧水から引いて落としていたと思われる。

この日は、新江戸川公園から永青文庫への道が開放されているという事なので、林の中の道を上がってみた。円形にくり抜かれた門を抜けると永青文庫の建物があり仙厓の展覧会が開催中であったが、今回の目的は庭園なので建物の外観だけ見て公園に戻る。

永青文庫から池に下って、中池と小池を仕切っている石橋を渡る。今回は南門には出ずに、中池の南側を進む。土橋の向こうには松聲閣が見えている。

土橋を過ぎて大池の南側を進むと築山があるが、低いので展望が開けるという程ではない。築山の下は岬のように池に突き出ていて、雪見燈籠と松と雪吊の対比が面白い。

雪見燈籠のある場所の左側は州浜になっている。池の向こう側には、やや見えにくいが、十三重塔がある。

冬の庭園の景物は雪吊である。新江戸川公園の雪吊の競演をしばし眺め、それから帰途に就く。公園北西側の児童遊園があった辺りは、新たに庭園を造るため工事中で、改修が終わる来年の3月頃には、新江戸川公園は改称された公園名でリニューアルオープンする事になりそうである。

 

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東村山・北山公園に菖蒲を見に行く

2016-06-22 19:40:39 | 公園・庭園めぐり

東村山駅西口の交差点を渡って、斜め前方に入る道を下ると、柳瀬川支流の前川に架かる朱色の弁天橋に出る。橋を渡って西に行き、弁天池から正福寺地蔵堂を経て北山公園に出るルートもあるが、ここでは、弁天橋を渡って右折し八国山通りを北に進む。途中、左側に“近道”の表示があるが、ここを入って農家と畑の間の私道のような道を進み、突き当りを右に行けば北山公園に出る。八国山通りをそのまま進んで少し先を左に行っても、多少遠回りにはなるが北山公園に行く事は出来る。菖蒲まつり期間中は幟が各所に立ち道標もあるので、北山公園まで迷う事はないだろう。なお、北山公園からの帰りに、“近道”を逆に進み八国山通りを横切って先に進んで前川を渡って左へ川沿いに進み、少し先を右に行くと諏訪神社の横に出る。ここを右に行けば東村山駅、左に行けば、ふるさと歴史館に出る。

柳瀬川支流の北川を善行橋で渡れば北山公園となる。菖蒲まつり期間中の公園内は賑わってはいるが、混雑しているという程ではなく、花菖蒲をゆっくり見て回ることが出来る。

公園内の菖蒲を見て回る。菖蒲は300種8000株あると言う。中には珍しい品種があるらしいのだが、それと気付かずに通り過ぎていたに違いない。

公園の北側では紫陽花が見ごろになっている。その中を、西武園線の電車が通り過ぎて行く。トトロのふるさとでもある八国山の麓を、レトロな電車がゆっくりと走っていたとすれば、昔懐かしい風景の中にぴったりと収まっていたかも知れないのだが。

展望台が造られていたので上がって見る。公園内には見渡す限り菖蒲田が広がっている。確かに菖蒲あっての北山公園であり、菖蒲が終われば公園への来訪者は激減するかも知れないが、見るべきものが無くなるわけではない。花はほかにもあり、水田もある。そして、この公園の本来の見所は、多分、八国山を借景とした四季折々の里山風景にあるのだろう。

 

公園の西側にある関場橋から外に出て西に行くと、八国山たいけんの里に出る。以前、ここには北山公園の管理事務所があり、秋津から移設した農家もあって、かやぶき民家園と称していた。農家は里山風景の要となるものだが、惜しい事に放火されて焼失してしまっている。

 

北山公園のある場所はもともと水田だったが、昭和48年(1973)に不動産業者による買収が進められるという事があった。そこで、東村山市は自然環境保存のため買戻しと用地買収を行い、昭和51年(1976)から都市計画公園・北山公園としての造成を開始した。一方、東京都は昭和52年(1977)に、北山公園に隣接する八国山緑地を都市緑地に指定している。昭和57年(1982)、東京都は都民の日制定30周年記念として新東京百景を定めることになり、各区市町村から推薦された景勝地について、人気投票の結果も尊重して選考委員が百カ所を選定したが、その中に北山公園も含まれている。平成元年(1989)、公園の造成開始以来増やしてきた花菖蒲が150種となり、第1回北山公園菖蒲まつりが開催される。平成2年(1990)には、北側の八国山緑地が公園として開園している。

<参考資料>「狭山丘陵見て歩き」「北山公園と八国山の成り立ち」「新東京百景」

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