夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

新宿御苑の梅を見に行く

2019-02-18 19:07:30 | 公園・庭園めぐり

新宿御苑の入園料が値上げされる前に、御苑内の梅を見に行くことにした。今回は大木戸門から入り、日本語版の冬の園内マップを入手してウメの位置を確認し、大木戸休憩所に行く。休憩所の左側そばに咲いている白梅が今回最初の写真ということになる。

新宿御苑のある場所は高遠藩主内藤家の屋敷だった場所で、玉藻池の辺りはその庭園である玉川園があったところという。現在は玉藻池を中心に日本庭園風に整備されており、西側には紅梅と白梅が植えられている。

玉藻池を渡り、広々とした風景式庭園を横切り、下の池に沿って進み擬木橋を過ぎてモミジ山に出ると、紅梅があった。

モミジ山の中には白梅もあるが、まだ咲始めのようである。その中で花が開いている白梅を見つけ写真に撮っておく。

ツツジ山に沿って進み、こども広場を通り抜け、旧御凉亭を経て翔天亭に行く。カンザクラが既に咲いていて人が集まっているのが見えるが、今回の目的は梅なので楽羽亭に行く。

楽羽亭の茶室の庭には梅が植えられているが、その周辺にも梅が多く、新宿御苑内で梅を見るにはこの場所は外せない。

楽羽亭に沿って進む。裏手の丘にも白梅、紅梅、多くの梅が植えられている。しばらく、楽羽亭を囲む梅を眺め、それからエコハウスに向かう。

レストランゆりのきが入っているエコハウスの前に、スイセンが植えられている一角がある。その周辺にも梅はある。

エコハウスから先に進んで紅梅を眺め、それから新宿門へと向かう。白梅の方はまだ早いようだが、来週になれば咲き揃うだろう。梅めぐりはここまでにして、大温室にも行ってみたいところだが、閉園まであまり時間がないので、本日はこれにて外に出る。

 

 

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初冬の石神井公園

2018-12-11 19:07:54 | 公園・庭園めぐり

1月から4月までの石神井公園についてはすでに投稿しているが、今回は12月初めの石神井公園を取り上げる。公園の石神井池(ボート池)の北側沿いに初冬の風景の中を歩く。

中の島には渡らず先に進む。池の中のモニュメントが、この季節の風光に合わせるように幾分くすんで見える。

井草通りを渡って、水辺観察園の池の北側を歩く。もとは三宝寺池の一部であったようだが、大正時代にプールになり後に釣堀になった場所という。最近、かいぼりをしたようだが、何か出てきただろうか。

三宝寺池に沿って木道を歩く。カワウが羽を広げているが、ゴイサギは無視している。五位の鷺にとっては格下の相手なのだ。

木道の近くの水辺にはオオバンが来ていた。以前はこの辺りであまり見かけない鳥だったのだが。

三宝寺池を眺めながら西側の木道を歩く。今は紅葉のシーズンだが、三宝寺池沼沢植物群落の緑も捨てがたい。

厳島神社(弁天社)へ行く木道は、台風による倒木で一時は通行止めになっていたが、既に通行可能になっている。池には、浮御堂を横目にカルガモが泳いだ跡が延びていく。

三宝寺池にはアオサギが増えているように思えるが、いつ頃からだろうか。カワウもアオサギには敵わないらしい。

厳島神社の少し先に水神社の祠がある。厳島神社の境内社という。三宝寺池は石神井川の水源の一つでもあった。

石神井城址の下に出て橋を渡り、ひょうたん池の手前で橋の方を振り返る。姿は見えないがカラスの鳴き声を聞いたような気がした。

井草通りを渡れば石神井池。華やかさもあり僅かながら淋しさもある、そんな初冬の景色を楽しみながら、石神井池と三宝寺池を巡る小さな散歩を終える。

 

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梅雨時の後楽園・植物園・白山・六義園

2018-06-09 17:16:15 | 公園・庭園めぐり

梅雨時の花、菖蒲と紫陽花を見に、小石川後楽園、小石川植物園、白山神社・公園、六義園を訪ねてみた。

(1)小石川後楽園

小石川後楽園の最寄り駅は飯田橋か後楽園になる。花菖蒲は盛りを過ぎてはいるのだろうが、まだまだ楽しめる。園内には紫陽花もあり、他の花を探して梅雨時の園内を散策するのもいい。

(2)小石川植物園

最寄り駅は茗荷谷だが、後楽園から安藤坂を上がって伝通院に行き、門前を左に次の角を右に折れて坂を下り、歴史と文化の散歩道の標識で右に入り丁字路を左に折れて千川通りを渡って左へ、次の信号を右に入れば植物園の入口に出る。入園は16時まで。日本庭園の池には花菖蒲があるが、時期はやや過ぎているのかもしれない。花菖蒲以外の花を探して園内を散策し、売店で小休止ししてから外に出る。

(3)白山神社と白山公園

最寄り駅は白山だが、小石川植物園から歩くなら御殿坂を上がって下り、交差点を渡ってあじさいまつりの提灯を頼りに坂を上がり、白山駅を過ぎて左へ白山神社に行く。現在は“文京あじさいまつり”を開催中。境内を一回りし白山公園を経て富士塚を横目に外へ出る。

(4)六義園

最寄り駅は駒込だが、白山神社から歩くとすれば、白山上の交差点で細い方の道を直進し、本郷通りに合流して左へ、目赤不動と吉祥寺を過ぎ、上富士前の交差点を渡り次の角を左に入る。入園は4時半まで。紫陽花は園内の東側の小路にあるが、他の場所にもある。

 

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無原罪特別保護区と経堂五丁目特別保護区

2017-12-17 17:53:05 | 公園・庭園めぐり

世田谷区では、樹林地や水辺地、動物生息地が一体となった土地でなどで、特に保全が必要な民有地を特別保護区に指定している。そのうち無原罪特別保護区と経堂五丁目特別保護区について特別公開されていたので行ってみた。

 (1)無原罪特別保護区(世田谷区深沢8-13)

桜新町で下車し、サザエさん通りを南に行き、交番のところを右に、長谷川町子美術館を過ぎて、その先の四つ角を左に玉川通りを渡る。先に進むと左側に無原罪聖母宣教女会がある。無原罪特別保護区の対象となる池は敷地内にあり、特別公開日には入ることが出来る。

特別保護区内の散策路は、反時計回りに池の周囲を歩くのが普通かも知れないが、今回は逆回りになった。入口に近い側から見下ろすと、池があり、雪見灯籠が見えた。

池に下りてみると、雪見灯籠のほか飛び石もあって、日本庭園の池になっている。無原罪聖母宣教女会の敷地は、東京電燈の社長であった若尾樟八郎の邸宅跡で、この庭園も若尾邸だった時に、自然の池を生かして造られたものなのだろう。戦前、若尾邸では園遊会が盛んに行われていたそうである。

池に沿って歩く。池の周囲は木が茂っていて、池に射し込むのは木漏れ日だけだが、それでも今の時期は秋の彩に溢れている。

この辺りの地下水位は高いらしく、池も湧水により成り立っているが、昔に比べると湧水量は減っているらしい。

池にはマガモが来ていた。ひょっとすると、カワセミも来ているのではと期待したが、この日は見かけなかった。

無原罪特別保護区を出て東に、東大通りに出て南に行くと深沢の杜緑地に出る。民家の庭だったところが整備されて、緑地として公開されている、

緑地内には湧水があり、池になっている。ここから流れ出た水は無原罪特別保護区の池の流れと合流し、もう一カ所の湧水の流れも合わせて呑川に流れ込んでいたという。

深沢の杜緑地を出て東に行き、呑川に出て左へ桜並木の道を歩く。玉川通りを渡ってサザエさん通りを桜新町に向かった。

 

(2)経堂五丁目特別保護区(世田谷区経堂5-12)

経堂駅を下車して農大通り南に進み、烏山川緑道を過ぎて、城山通りを左側の歩道で西に行く。経堂町交番前の交差点の手前の道を左に入って先に進めば、左側に経堂五丁目特別保護区があり、公開日にはボランティアがテントに詰めている。保護区内の園路を通って池の南側に出る。

特別保護区内の池は湧水によるもので、地下水位が浅いため季節変動があり、雨量によっても変化するという。この池の湧水地点はよく分からないらしい。

池の北東側の杭の周りには、枯れ葉が集まっている。風に吹き寄せられただけなのか、それとも微かな流れがあるのかは分からないが、結果として水面を広く見せている。

この特別保護区では、池周辺の樹林地による貴重な緑地を保っていくため、ボランティアによる下草刈りや剪定、落ち葉かきなどが行われているという。特別保護区内は、自然の姿を残しながらも、荒れたところは見られない。

特別保護区内には、意図して植えたかどうかは分からないが、様々な植物が存在するので、池だけではなく、植物を見て回るのも良いかもしれない。特別保護区内を出たあと、池の東側の道を歩いて帰る。道の両側が高くなっているので、特別保護区内の池の水は、この道の場所を通って、烏山川に流入していたのだろう。

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石神井公園 冬から春へ

2017-04-22 19:42:55 | 公園・庭園めぐり

(1)1月の石神井

石神井公園。1月。三宝寺池北側の丘の梅林に、梅が咲き始める。無彩色の冬木立のうちに見える僅かな紅色が、春へと向かう最初の一歩という事になるだろうか。

寒い日が続けば、石神井池も時には凍る。午後の日差しに照らされて解け始めた氷の上を、覚束ない足取りで、マガモとバンが歩く。

この時期、運が良ければ、B地区野球場の東側から、道場寺三重塔の相輪の左側に、雪をまとった富士山を見る事が出来るかも知れない。

 

(2)2月の石神井

2月。石神井池南側の野球場近くに、早咲きのカンザクラが咲き始める。寒さまだ厳しい時候。この桜を見にくる人は多くないだろう。 

池淵史跡公園近くの野草観察園には水仙が咲いている。近くには黄色の福寿草。今の時期には目立つ色をしている。

 

(3)3月の石神井

3月。石神井池南側の野球場近くにある草地広場には、桜が何本も植えられているが、濃紅色のカンヒザクラはもう咲いている。

池淵史跡公園に入り、古民家の周りを歩く。園内には梅が咲いている。

三宝寺池北側の梅林の梅は今を盛りの状態。それでも、菜の花ほどには目立たない。

 

(4)4月石神井

4月。石神井公園に満開の桜を見に行く。記念庭園内にも桜があり、池の畔にひっそりと咲いている。

草地広場には枝垂れ桜もある。その枝ぶりは、よく見ると不思議な姿をしている。

草地広場の桜を眺め、暫く休む。

三宝寺池の周りをめぐる。緑の中の桜。ハナモモの背景になっている桜。菜の花やチューリップと競い合っている桜。

石神井池に沿って歩く。若葉色と桜色の競演。

(5)4月中頃 

4月の中頃。練馬区の名木である山桜の大木が公開されるというので行ってみた。大木の根元には、ショカッサイ(オオアラセイトウまたはハナダイコンともいう)も開花していた。

三宝寺池にも行ってみた。すでにソメイヨシノは散り始めていて、池の面に散逸し、あるいは、花筏をつくっている。梅は桜に、柳は山吹へと代わって、季節は滞ることなく移ろいつつある。

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舎人公園と周辺の桜を見に行く

2017-04-06 19:15:35 | 公園・庭園めぐり

日暮里・舎人ライナーを舎人公園駅で下りると、広大な都立舎人公園が目の前にある。この公園は昭和56年に開園しているが、今もって未完成である。舎人公園は北西のA地区、北東のB地区、南東のC地区、南西のD地区に分けられるが、C地区については今も工事中である。

舎人公園で最初に開園したのがA地区である。ここには公園のサービスセンターがあり、北側にはテニスコートと陸上競技場、西側にはプレイグラウンドや西園がある。A地区内を西に向かって歩いてみる。周囲に高い建物が無いせいか、空が広く感じられる。

明治時代、荒川堤改修に際して多種の里桜が植えられた事があり、様々な色の桜があったため、荒川の五色桜と呼ばれていた。この桜の苗木はアメリカに贈られ、ポトマック河畔に植えられて、今に至るまで桜まつりが行われている。一方、荒川の五色桜は絶滅してしまったため、アメリカからの里帰り桜を植樹するようになった。舎人公園において昭和57年に植樹された桜は、レーガン大統領夫人から贈られた里帰りの桜で、レーガン桜と名付けられた。この桜は今も健在で、プレイグラウンドの傍に記念碑とともにある。

舎人公園には千本桜と称されるほど多数の桜が植えられている。その大半は北西のB地区にあるが、公園が広いので花見の場所取りに苦労する事もなさそうである。B地区にはキャンプ場や菖蒲田などもあり、桜の季節が過ぎても楽しめる公園になっている。

B地区の中心には大池がある。舎人公園は荒地や水田地帯だった場所を公園として整備しているので、大池もその時に新たに造成されたと思われる。現在は公園の池らしくなっているが、以前はガマの穂渕と呼ばれ、自然の沼のような姿をしていた。

舎人公園は全体として平坦地になっているが、北側の日暮里舎人ライナーの車両基地の上に山が築かれ、その斜面地には広場が設けられている。山上の朝日の広場は、展望台のようになっていて、360度の眺めが素晴らしく、天候次第では富士山も見えるらしい。

舎人公園を出て北に向かい、見沼代親水公園に行ってみる。利根川の水を引く灌漑用水路の見沼代用水東縁の末流に当たる足立区内の区間を公園としたもので、浄化された水による流れに沿って遊歩道が作られている。数は多くはないが、ここにも桜はある。

遊歩道を進むと日暮里舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅に出る。尾久橋通りの向こうに毛長緑道の入口があるが、ここは帰りに寄る事にして、見沼代親水公園の続きに行く。

見沼代親水公園の水路に沿って桜を見ながら先に進むと、やがて道は毛長川に出る。見沼代用水東縁の水路は毛長川と立体交差していたが、現在は毛長川に合流するようになり、毛長川を過ぎた先の水路は、見沼代親水公園に代わっている。

毛長川に架かる舎人橋から上流を眺める。川沿いの舎人緑道には桜並木が続いている。現在は付近の改修工事が継続中のようだが、埼玉県側も含めて付近の遊歩道が整備される事を期待したい。舎人橋を渡って、その先を右に一本橋を渡る。

見沼代用水東縁に架かる一本橋から上流を眺める。水路沿いには桜並木が続いている。橋を渡って右に毛長川を砂小橋で渡り、見沼代用水東縁が毛長川に合流している様子を眺める。

砂小橋を渡って左へ、車に注意しながら毛長川の右岸を歩いて行くと、ふれあい橋に出る。橋から毛長川の上流を眺めると、川に沿って桜が何本か見える。

ふれあい橋から、桜のある毛長緑道に入ると、間もなく尾久橋通りに出る。見沼代親水公園駅から乗車し、展望を楽しみながら帰途に就く。

 

<参考資料>「舎人公園マネジメントプラン」

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新宿御苑の梅と桜

2017-03-05 08:02:37 | 公園・庭園めぐり

「梅は咲いたか桜はまだかいな・・」という端唄があるが、新宿御苑では梅と桜が同時に咲いている。新宿門から入り大木戸門の方向へ進むと、園路の分岐点(場所ナンンバーV3)があり、ここにオカメという名の桜が咲いていた。イギリスの愛好家により作られてオカメと名付けられた栽培品種が戦後に移入されたもので、カンヒザクラ(寒緋桜)とマメザクラ(豆桜)の種間雑種という。花は中輪一重で淡紅色、下向きに咲いている。

オカメとは園路の反対側になるコフクザクラの北側に、ツバキカンザクラ(椿寒桜)が咲いていた。カラミザクラ(唐実桜)とカンヒザクラ(またはカンザクラ)の種間雑種とされ、松山市の椿神社に原木がある。花は中輪一重で桃色、雄しべは長い。

園路を先に進みサービスセンター近くまで来ると、園路の右側に河津桜(カワヅザクラ)が咲いていた。カンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種の栽培品種で、河津町の民家に原木がある。花は紅色の大輪で一重。ここの河津桜は開花とともに若芽も伸びている。

今回は大温室を割愛し、大木戸休憩所から玉藻池を眺める。梅は咲いているが、桜はまだのようである。池を渡って梅を振り返り、それから、イギリス風景式庭園の芝生に出る。

向こうに見える桜らしき姿に向かって芝生を横断すると、芝生の端(場所ナンバーC4)に、寒桜の大木があった。寒桜はカンヒザクラとヤマザクラの種間雑種で、寒桜という栽培品種名があるものと無いものがあるらしい。ここでは、名札に従って寒桜としておく。花は淡紅色の中輪一重である。

坂を下って下の池に沿って左に行くと、カンヒザクラ(寒緋桜)があった。中国南部や台湾に分布する種で、江戸時代後期から栽培されている。花は濃紅色の中輪一重で釣鐘状である。

下の池に沿って進み、擬木橋を過ぎて坂を上がり、梅が咲くモミジ山を通り過ぎる。先に進めば桜園地となるが、ここに桜が咲きそろうのは、もう少し先のことになる。

今の季節、桜園地の中で唯一咲き誇っている大寒桜を見に行く。大寒桜(オオカンザクラ)はカンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種の栽培品種で亜高木となる。花は淡紅色の中輪一重で、先端に切れ込みのある円形の花弁を持つ。大寒桜は安行から広まったという。

中の池沿いに歩くと、向こう岸の桜に人が集まっているのが見える。その桜、修善寺寒桜を見に対岸のレストハウスに向かう。この桜は大寒桜と同じくカンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種の栽培品種で、修善寺に原木がある。花は淡紅色の中輪一重で、高木となる。

旧御凉亭から見えた桜の大木を見に行く。その桜は、翔天亭の近くにあり、人々が集まっていた。この桜は、イギリス風景式庭園の隅にあった桜と同じ、寒桜のようである。

茶室の楽羽亭の周辺には梅が多い。近くから見ても、また、遠くから見ても、茶室には梅が良く似合う。白梅の中に紅梅が少し交じっているのもいい。

上の池の近くにも、寒桜があった。花見の頃とは異なり、彩の少ない今の時期、其々の寒桜がよく目立つ。

日本庭園からエコハウス(レストランゆりのき)に行く。近くのスイセンの植え込みには梅と桜が植えられている。植え込みの周囲を一回りし、途中の梅を眺めながら新宿門へと戻る。

参考「新宿御苑の桜」「これだけは見ておきたい桜」

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池上梅園

2017-02-23 19:14:05 | 公園・庭園めぐり

池上駅から本門寺通りを進み霊山橋を渡る。本門寺総門の手前を左に入るのが池上梅園へのルートだが、今回は総門の手前を右に行き池上会館の屋上に上がる。富士山は見えなかったが、暫し展望を楽しんだあと大堂を参詣し、裏手の本殿前の道を左へ、次の角を右に車坂の続きの道を歩き、坂道の途中に出て左へ、ガードの前を左に折れて池上梅園に出る。

普段の池上梅園は閑散としているが、梅の季節は混雑する。入口でもらったパンフレットによると、池上梅園の北半分は伊東深水の自宅兼アトリエであったが戦災で焼失。戦後に南半分が拡張されて小倉氏の別邸となるが、後に都に譲渡され、昭和53年に大田区に移管されてから、植林と拡張が行われたとある。

階段を上がり、急斜面に植樹された梅林を横からと上から眺める。梅林は斜面の下にもあり、池上梅園全体では30種370本の梅があるという。見晴台から園内と園外の風景を眺めてから階段を下りる。

清月庵という名の茶室に行ってみる。池上門前にあった川尻家の離れが大田区に寄付された事から、池上梅園内に再建したもので、平成元年から公開している。

清月庵の隣には、昭和58年に大田区に寄贈された政治家藤山愛一郎の茶室、聴雨庵がある。茶室の前は芝生地で、冬の景物として欠かせない雪吊も造られていた。

園内には和室もあるが、外観を眺めるだけにとどめ、池に沿って歩く。この池には、地下鉄浅草線のトンネル内湧水が引かれており、池から流れ出た水は呑川に落とされているという。園内にも湧水はあるようだが、今はほんの僅からしい。

池から戻り園内を歩く。水琴窟の音を聞く人が列を作っている。一時は廃れてしまった水琴窟だが、近頃は所々で見かけるようになった。斜面地の梅林を見上げながら、平地の梅林を通り抜ける。それから、外に出て、第二京浜を西馬込駅まで歩く。

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羽根木公園に梅を見に行く

2017-02-21 19:26:22 | 公園・庭園めぐり

小田急梅ヶ丘駅近くの羽根木公園(世田谷区代田4-38)は、スポーツ施設や遊戯施設などがある区立の公園で、梅林でも知られている。この公園は丘の上にあり、位置的に富士山が見えることを期待して上がったのだが、残念ながらこの日は見えなかった。

羽根木公園に梅が植樹されたのは昭和42年からだそうだが、今では紅梅白梅合わせて650本の梅があり、開花の時期には「せたがや梅まつり」が開催されている。

公園内に、世田谷区代田に住んでいた俳人の中村汀女の句碑があり、次のような句が刻まれている。終戦の翌年の句である。

 「外にも出よ ふるるばかりに 春の月」

休憩にも利用可能な和室の星辰堂と、茶室の日月庵を眺めたあと、丘の上広場に戻り、周回園路を一周して帰途に就く。

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若宮公園・宮城道夫記念館・矢来公園・漱石公園

2017-02-05 14:13:19 | 公園・庭園めぐり

(1)若宮公園

江戸の地図を参考に飯田橋から早稲田まで小さな公園・庭園をめぐってみた。神楽坂下の交差点を渡り、外堀通りを市ヶ谷方面に右側の歩道で歩く。東京理科大の角を曲がると、若宮公園の門が石垣の上に見えて来る。

石段を上がって門をくぐると、上は広場のようになっている。南側には四阿があるが、遊具などは無い。公園の周囲は漆喰の塀で囲まれ、北側には冠木門もあって、武家屋敷らしい雰囲気になっている。「市ヶ谷牛込絵図」によると、付近には武家屋敷が並び、公園のある場所には都筑鍋五郎の名が記されている。北側の門を出て左に行く。ここから先、暫くは江戸時代からの道が続く。当時は武家屋敷が並んでいた場所だが、今は高級住宅地になっている。道なりに進んで突き当りを右に折れると、若宮八幡に出る。

 

(2)宮城道夫記念館

若宮八幡の先を左に入り、右に折れ左に折れる。この先は上り坂となるが、この坂は新坂と呼ばれている。「沿革図書」の元禄12年(1699)の図によると、若宮八幡の西側は戸田左門の広い屋敷になっている。享保16年(1731)になって、戸田左門の屋敷跡に道が造られ、多くの屋敷が設けられる。この時に造られたのが新坂である。坂を上がって突き当りを右に行く。西側一帯は御徒組の組屋敷があったところで、南側から南御徒丁、中御徒丁、北御徒丁と呼ばれていた。現在の南町、中町、北町はこれに由来する地名である。このうち中御徒丁には江戸後期の文人で、狂歌で知られる大田南畝(蜀山人)が住んでいたという。電柱の案内表示に宮城道夫記念館とあるのを確認し、左に入れば中町となる。

先に進むと、左側に中町公園があり、反対側に宮城道夫記念館がある。水木金土が開館日で有料である。中に入り展示を眺め、春の海などの作品を視聴覚室で聴いてから、国登録有形文化財になっている検校の間を見に行く。これは、昭和23年に建てられた6畳と2畳からなる茶室風の建物で、宮城道夫の晩年の作品はここで作られたという。現在の建物は敷地内で曳き屋により移されたそうだが、検校の間の前には趣のある小さな庭も造られている。

 

(3)矢来公園

宮城道夫記念館を出て坂を下り、やや上がって牛込中央通りに出る。ここを右に下り大久保通りを渡る。周辺の納戸町、細工町、箪笥町という地名は江戸時代の町名に由来する。坂を上がって次の交差点から北は矢来町となる。矢来町は小浜藩酒井家の牛込下屋敷の跡地に相当し、牛込中央通りは、牛込下屋敷を東西に分断する形になっている。矢来町の名は、酒井家の下屋敷の周囲を竹矢来で囲んでいたため矢来屋敷と呼ばれていたことに由来する。矢来町ハイツに沿って牛込中央通りを北に進み、次の信号で左に入り突き当りを右に行くと、右手に矢来公園がある。公園内には小浜藩邸跡の標柱が立つが、藩邸跡らしきものは見当たらない。

 

若狭小浜藩主で後に大老となる酒井忠勝は、寛永5年(1628)に牛込下屋敷(矢来屋敷)を拝領する。広さは43500坪あった。忠勝は家光に予の右腕と呼ばれるほど信頼され、牛込下屋敷への家光の御成も100回を越えている。宝永5年(1708)、下屋敷の南東側が分割され柳澤家の屋敷となるが、安永4年(1857)に南東側が戻されて酒井家上屋敷となる。屋敷の北側の中央には、ひたるが池を中心に庭園が造られ、その東隣は御殿になっていた。屋敷の南側には長安寺という菩提寺があった。屋敷内には家臣の屋敷や長屋も設けられていた。「解体新書」で知られる杉田玄白は、牛込下屋敷内にあった藩医の家に生まれている。明治になって牛込下屋敷は酒井伯爵の所有となるが、明治16年の牛込区神楽坂近傍図によると、南側の伯爵邸や道路沿いの宅地のほかは、殆どが畑や林になっている。酒井家は、必要とする土地以外を貸地にしていたようだが、大正時代の終わり頃になると貸地を売却するようになる。昭和の頃の酒井邸があったのは現在の矢来町ハイツの位置になる。

江戸時代の”ひたるが池”は、南北に長い池で中程に橋が架かっていたが、明治16年の図では池は三つになり中島もあった。大正1年の地籍図にも、この池は記されているが、その後、この池は埋め立てられて現存しない。明治後期に刊行された「名園五十種」には、牛込矢来町の酒井伯爵邸の庭も取り上げられているが、芝生の広庭と記しているだけで、池についての記載は無い。また、西南に菩提寺である長安寺の木立が見える事が書かれているので、ひたるが池の庭ではなく、明治時代に建てられた酒井伯爵邸の庭園を取り上げていると思われる。

 

(4)漱石公園

矢来公園から西へ坂を下り矢来町を抜ける。この先は江戸時代に治安維持を担っていた御先手組の組屋敷があった場所になる。突き当りを右に行き大願寺の前を左に、やや上がって下り外苑東通りを渡る。付近は宗参寺の門前町で、弁天町の名は弁天堂に由来する。ここから先は、将軍直衛の弓・鉄砲隊である持弓組・持筒組の組屋敷があった場所を通る。坂を下ってまた上がると右側に漱石公園がある。

漱石公園は夏目漱石が晩年を過ごした漱石山房があった場所で、漱石の胸像や、資料を展示する道草庵、漱石没後に猫などの供養のため遺族が建てた猫塚がある。漱石公園は記念館の建設工事中で、3月からは全面休園する予定になっているので、記念館が開館したあと再訪する事にして公園を出る。坂をやや上がって下り、また上がって下ると早稲田通りに出る。左へ行けば馬場下町で穴八幡の前になる。

<参考資料>「地図で見る新宿区の移り変わり・牛込編」「酒井忠勝と小浜藩矢来屋敷」「名園五十種」「漱石山房秋冬」

 

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