夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

ヨーク(2)

2010-07-16 19:22:39 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、ブーサム・バーの写真です。バーとは城門を意味していますが、ブーサム・バーは、現存する最古の城門といわれています。

 次の絵葉書は、イギリス最大級の規模をほこるゴシック様式の大聖堂、ヨーク・ミンスターの写真です。

 次の絵葉書は、ウオームゲート・バーの写真です。ゲートとは通りを意味します。城門から突き出している楼門は防御のために設けられたもので、ヨークの城門で残っているのは、ここだけということです。

コメント

ヨーク(1)

2010-07-12 22:20:49 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 ヨークでは、多分、ステーション・ホテルに宿泊したのでしょう。上の絵葉書は、このホテルから展望した写真で、ヨーク・ミンスターが遠くに見えています。ヨークで入手した絵葉書は、写真をエンボス仕上げの紙にカラー網版印刷したものです。

 次の絵葉書は、ヨークを囲む城壁、シティ・ウオールと、そこから眺めたヨーク・ミンスターの写真です。

 次の絵葉書は、廃墟となったセント・メアリ・アビー(現・ヨークシャー博物館内)の写真です。
コメント

オックスフォード

2010-07-09 21:21:06 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 大正時代の渡航案内に、ロンドンに行ったら、オックスフォードとケンブリッジにも立ち寄れと書いてありますが、オックスフォードの絵葉書が3枚あるので、オックスフォードの方に立ち寄ったのでしょう。最初の絵葉書は、オックスフォードのハイストリートを描いたクイントンの水彩画ですが、絵の中央には、セント・メアリ教会の塔が見えています。中心街といえども、車が少なかった頃の風景です。

 次の絵葉書は、今も昔の姿のままのモードリン橋、上に聳えるモードリン・カレッジの鐘楼、そして温室を描いたクイントンの水彩画です。

 次の絵葉書は、フォーリー橋の辺りに集まっている、各カレッジの艇庫を描いたクイントンの水彩画です。

コメント

ロンドン(9)

2010-07-06 19:21:48 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書はロンドン橋です。この場所に石橋が架けられたのは1209年のことですが、やがて、橋の上に商店が並ぶようになりました。この橋は1831年まで残っていましたが、五本の橋脚を持つ橋に架けかえられました。上の写真はこの時に架けられた橋を写したものですが、この橋も1967年に架け替えられてしまいました。橋の向こうに塔が見えますが、左側はロンドン大火を記念する塔、右側はセント・マグナス・ザ・マーター教会の塔です。

次の絵葉書は、ホワイト・タワーを中心とした城塞、ロンドン塔を描いたクイントンの水彩画ですが、1896年頃にバーツが撮った写真をもとに、追加修正を行った絵のようにも見えます。19世紀から20世紀にかけて多くの画家が写真をもとに絵をかきましたが、クイントンも写真をもとに描いたのでしょうか。

 次の絵葉書は、ロンドン橋と間違える人がいるぐらいロンドンを代表する橋であるタワー・ブリッジを描いた、クイントンの水彩画です。この橋は1894年に開通しましたが、当時は、技術の粋を集めた橋とされていました。また、中世ゴシック風の塔をもち、近くのロンドン塔とも調和する外観になっています。

コメント

ロンドン(8)

2010-07-03 22:08:08 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、王立取引所とイングランド銀行をクイントンが描いた水彩画で、正面のコリント風玄関柱廊のある建物が、商品や証券の取引を目的として1845年に開館した王立取引所(旧)、左手の窓の無い建物がイングランド銀行です。この絵は、1896年頃にバーツが撮影した写真にそっくりですが、馬車のほかにガソリン・エンジンのバスや自動車が加えられています。バーツの写真には、LONDON GENERAL OMINIBUS・・という乗合馬車の会社(略称LGOC)の名が写っていますが、この会社が後にガソリン・エンジンのバスの運行を開始し、やがてロンドンのバスを席巻することになりました。クイントンの絵には、GENERALと書かれ、赤く塗られた二階建てバスがしばしば登場しますが、これがLGOCのバスのようです。

 次の絵葉書は、王立取引所の写真ですが、自動車で大混雑する様子が写されています。よく見ると馬車も紛れ込んでいるようですが。

 次の絵葉書は、マンション・ハウスとチープサイドを描いたクイントンの水彩画です。左手にあるのが、1752年に建てられたロンドン特別市長公邸、マンション・ハウスで、その前に続く通りがチープサイドです。チープとは商店の意味で、チープサイドはシティの繁華街でした。この通りの奥に見える塔は、セント・メアリ・ル・ボウ教会の尖塔ですが、ロンドンっ子とは、ボウ教会の鐘の音が聞こえる区域の生まれと言われていたそうです。

 次の絵葉書は、ギルド・ホールの写真です。ギルド・ホールは市庁舎に相当し、ギルドの組合員によるロンドン特別市長の選出も、ここで行われてきました。現在のギルド・ホールは、第二次大戦で被害を受けたあと、戦後に修復したものです。

コメント

ロンドン(7)

2010-06-30 20:46:56 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、セント・ポール大聖堂とセント・ポール・クロスの場所を描いた、クイントンによる水彩画です。セント・ポール大聖堂は、サン・ピエトロ大聖堂に次ぐ規模とされる大聖堂で、1710年の創建です。なお、セント・ポール・クロスは昔の大聖堂にあった屋外の説教壇のことをさしています。

 次の絵葉書は、テムズ川南岸のバンクサイドから、上流方向を眺めた夕景の絵ですが、画家の名前は不明です。見えている橋は、ブラックフライアーズ橋のすぐ下流に架けられていた鉄道橋ですが、よく見ると、橋の上に煙のようなものが連なっています。汽車の煙かも知れません。この絵では、潮の干満のせいか、テムズ川の水が岸辺を洗っているように見えます。

 次の絵葉書は、上流からセント・ポール大聖堂の方向を眺めた夜景の絵ですが、画家の名前は分かりません。右側の奥に微かに見えている橋は、1869年に完成したブラックフライアーズ橋という鉄橋で、この橋の向こう側に鉄道橋が架けられていました。なお、ブラックフライアーズとはベネディクト派修道会のことで、この辺りが、同じ名の古い修道院の跡地であった事から、橋の名になったといいます。

コメント

ロンドン(6)

2010-06-27 11:41:11 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、1882年に建てられたネオゴシック様式の王立裁判所を描いた、クイントンの水彩画で、馬車とガソリン・エンジンのバスが見えています。

 次の絵葉書は、オルドウイッチを描いたクイントンの水彩画です。オルドウイッチの街路は弧状をなしていますが、その西側の入り口を描いたもので、正面奥に見えるのは、ウォルドルフ・ホテルのようです。左手に見える建物には、ザ・モーニング・ポストという文字が見えますが、新聞社の社屋でしょうか。

 次の絵葉書は、ホルボーンに現存するステイプル・インを描いたクイントンの水彩画です。ステイプル・インは法学院入学希望者の予備教育のための学寮でしたが、この絵が描かれた当時は既に無関係になっていました。クイントンも、木材を骨組みとする古い建物としてステイプル・インを描いたのでしょう。

コメント

ロンドン(5)

2010-06-24 19:11:36 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、バッキンガム宮殿から、ザ・マルを通ってトラファルガー広場に出るところにあるアドミラルティ・アーチを描いたクイントンの水彩画です。ザ・マルを、馬車もオープンカーも普通に通っていた時代の風景です。

 次の絵葉書は、1870年にウエストミンスター橋とブラックフライアーズ橋の間のテムズ川沿いに建設されたエンバンクメント(ビクトリア遊歩道)を、クイントンが水彩画に描いたものです。絵の左側に見えるのは、絢爛豪華さにおいてヨーロッパ随一と称されたホテル、セシルですが、後に取り壊されてしまいました。川岸に見える石塔は現存していて、クレオパトラの針と呼ばれているトトメス三世のオベリスクです。向こうに見えている橋は、世界で最も壮麗な石橋と称されたウオータールー橋ですが、この橋は1942年に架け替えられています。橋の先に見えているのは、現存するサマセット・ハウスのようです。

 次のポストカードは、ハンガーフォード橋から眺めた夕景を描いたものですが、画家の名は不明です。向こうに見えている橋は、1862年に架けられたウエストミンスター橋です。右側の高い塔は、多分、ビック・ベンで知られるクロック・タワーで、国会議事堂の建物全体がシルエットを構成しているのでしょう。

コメント

ロンドン(4)

2010-06-21 19:31:25 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、バッキンガム宮殿の門として建てられ、後にハイドパーク北西の隅に移されたマーブル・アーチを描いたクイントンの水彩画です。絵の中には騎馬の姿も見えますが、ハイドパークでのパレードの参加者でしょうか。

 上の絵葉書は、マーブル・アーチの付近の写真ですが、クイントンの絵のような、のどかな雰囲気は見られません。

 上の絵葉書は、ハイドパークのロトン・ロウを描いたクイントンの水彩画です。ロトン・ロウは王の道route du roeに由来するという説がある乗馬専用道ですが、大正時代の旅行者も、この絵のような光景に遭遇していたかも知れません。

 上の絵葉書は、ハイドパークに隣接する、ケンジントン・ガーデンの写真です。1896年頃に撮影されたバーチの写真には、ボートを除けば、同じような風景が写されています。

コメント

ロンドン(3)

2010-06-18 19:57:04 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、トラファルガー海戦で勝利したものの自らは戦死したネルソンの記念碑の写真です。ネルソンの円柱は高いので、トラファルガー広場と円柱の両方を一枚の写真におさめるのは難しかったかも知れません。

 次の絵葉書は、トラファルガー広場に面している、ナショナル・ギャラリを描いたクイントンの水彩画です。画面左側がナショナル・ギャラリで、右側には、コリント様式の柱廊をもつセントー・マーティンズ・イン・ザ・フィールドの小教区教会が見えています。この絵葉書の構図はバーチが1896年頃に撮った写真と殆ど同じですが、バーチの写真が馬車だけだったのに対して、クイントンの絵には、ガソリン・エンジンのバスやオープンカーが登場しています。

 次の絵葉書は、ピカデリー通りの広場、ピカデリー・サーカスを描いたクイントンの水彩画で、左側にロンドン・パビリオン(現在はトロカデロ)、右側にレストランのクライテリオン、そして、当時は広場の中央にあったエロス像のある噴水が描かれています。19世紀末のバーチの写真では、道路を馬車が埋め尽くしていますが、クイントンの絵には馬車から自動車へ移行しつつある様子が見られます。この絵にはGENERALと書かれた赤いバスとNATIONALと書かれた白いバスが見えますが、ガソリン・エンジンのバス会社間で競争が始まっていたようです。

 次の絵葉書は、ピカデリー・サーカスの写真です。左側のビルに清涼飲料のネオンサインがあるので、ネオンサイン設置が認められた1910年代以降、1924年以前に撮影したものでしょう。その右側のビルはロンドン・パビリオンですが、すでに広告の看板が掛けられています。この頃になると、ピカデリー・サーカスは自動車で混雑する交差点の様相を呈するようになっていました。

コメント