新宿御苑の桜を見に行くことにした。調べてみると、御苑には約65種1300本以上の桜があるという。花の時期も早春から晩春にわたり様々で、秋に咲く桜もあるらしい。そこで、とりあえず、3月下旬から4月中旬の間に咲いている桜を対象に急ぎ足で見て回ったが、見逃した桜も少なからずあったと思われる。なお、桜の品種の識別は素人には難しいので、樹木に付けられている品種の表示を頼りにした。
(1)早春の桜
3月下旬。早咲きの修善寺寒桜はあらかた散ってしまい、秋から咲き続けていた子福桜はあと数輪を残すのみとなる。今は、その後を継ぐ桜が、盛りを迎えようとしている。
サービスセンターの近くに桜のルーツであるヒマラヤの名を冠したヒマラヤヒザクラという桜があった。濃紅色の釣鐘状の花が咲く高木で、中国南部からネパールにかけて分布する。ヒマラヤザクラという桜とは別の品種で、日本では珍しい品種という。
高遠小彼岸(タカトオコヒガン)という桜は、高遠城址の桜で長野県の天然記念物になっているが、新宿御苑が高遠藩内藤家の下屋敷跡に当たる縁から、御苑の玉藻池に植えられたという。
御苑南側の芝生広場に小彼岸(コヒガン)という桜があった。もともと、彼岸桜というのは、この小彼岸(コヒガン)の事を言っていたらしい。小彼岸という呼称ではあるが、今は高木である。
紅色の大輪一重の花を咲かせている陽光(ヨウコウ)という桜は、御苑の各所にある。この桜の盛りは3月の中頃からで、やや遅れて満開となる大島桜の白との対比が鮮やかである。
東海桜(トウカイザクラ)という小さな桜の樹があった。この桜は挿し木による栽培が容易らしく、関西を中心に広まっているという。この桜には啓翁桜、岳南桜という別名もあるらしい。
横浜緋桜(ヨコハマヒザクラ)という小さな桜の樹もあった。この桜は陽光より遅く咲き始めるが、大輪一重の花で、その紅色は陽光より濃い。
桜園地に大寒桜(オオカンザクラ)という桜がある。寒桜より大木で、花は寒桜と同じ淡紅色中輪一重だが、寒桜より遅れて咲く。安行から広まったため安行寒桜ともいうらしい。
(2)盛春の桜
染井吉野が咲き始めると新宿御苑にも花見に訪れる人が増えるようになる。新宿御苑内への酒類の持ち込みは従来から禁止だったのだが、守らない人がいるせいか、手荷物検査のための行列まで出来ている。
花見と言えば何といっても染井吉野(ソメイヨシノ)。新宿御苑にも染井吉野が400本ほどあるという。ただ、桜園地にある染井吉野は他とは少し違っていて、花見の雰囲気はあまり無い。
染井吉野の母体となった大島桜(オオシマザクラ)だが、染井吉野より少し早く咲き、花も白色大輪一重で違いはある。分布地は伊豆。写真は丸花壇近くにあった枝ぶりの面白い大島桜。
この時期の下の池は、枝垂桜(シダレザクラ)を撮る人で混雑している。この品種の桜は古くからあり、風に揺れる風情が美しいが、上手に撮るのは難しそうな気もする。
八重紅枝垂(ヤエベニシダレ)は江戸時代中期からあった品種で、花は紅色小輪八重。枝垂桜より遅れて咲く。この桜は御苑内の各所にあるが、選ぶとすれば茶室・楽羽亭の桜樹だろうか。
山桜(ヤマザクラ)は野生の桜で、染井吉野が普及する以前は花見の主役だったという。花は白色中輪一重、花と葉が同時に開く。山桜は御苑内各所にあるが、写真は中の池の山桜である。
一葉(イチヨウ)は江戸末期から関東中心に広まった品種で、花は淡紅色大輪一重である。呼称は葉のような形の雌しべからという。御苑には150本もあり、中には大木もある。
日本では絶滅したと思われていた桜をイギリスから逆輸入した時に、太白(タイハク)の名が付けられたという。花は白色大輪一重である。
明治時代、荒川堤の改修に際して多くの品種の桜が植えられたが、白妙(シロタエ)もその一つであったらしい。花は純白大輪八重である。
白雪(シラユキ)は荒川堤にあった品種で、関東中心に広まった栽培種という。花は白色大輪一重。翁や狩衣と呼ばれる桜も同じ品種のようだ。
アメリカに送った染井吉野の種から生まれ、ポトマック川沿いに植えられている曙という桜が日本に里帰りし、アメリカという呼称となる。
桜園地に松前早咲(マツマエハヤザキ)という表記の桜があるが、実は紅豊(ベニユタカ)という名の桜らしい。松前早咲と別の桜を交配して作られた比較的新しい品種という。
嵐山(アラシヤマ)は明治時代の荒川堤に植えられていた品種の一つで、花の名所の京都嵐山の名を付けたもの。花は淡紅色大輪一重である。
(3)晩春の桜
染井吉野は散ってしまったが、新宿御苑にはまだ見ごろを迎える桜が少なくない。むしろ、これからが、御苑の桜を見る適期かも知れない。
関山(カンザン)は明治時代の荒川堤にあった品種で、花は紅色八重で見栄え良く、寒さや病害虫に強いので、今では八重桜の代表格のようになっており、御苑内にも100本以上ある。写真は新宿門を入ってすぐのところの関山である。
普賢象(フゲンゾウ)の名は淡紅色大輪八重の花を普賢菩薩が乗る象に見立てた事から。京都千本閻魔堂の桜として室町時代から知られるが、現在の品種は江戸時代からのものらしい。
福禄寿(フクロクジュ)は明治時代の荒川堤から関東に広まった品種で、花は淡紅紫色大輪八重である。イギリス式庭園の脇にある福禄寿は形が良く、晩春では一番目立つ桜と言える。
鬱金(ウコン)は江戸時代中期に京都で栽培されていた品種で、その名は香辛料のウコンに由来する。花は黄色大輪の八重だが、散り際には赤みを帯びるようになる。
御衣黄(ギョイコウ)は江戸時代中期に京都で栽培されていた品種で、花は緑黄色中輪の八重だが、鬱金と同様に色が変わり赤みを帯びる。
駿河台匂(スルガダイニオイ)は明治時代の荒川堤に植えられていた品種で、呼称は駿河台の屋敷にあった事に由来する。花は白色中輪一重で、芳香があるというが、匂いには気づかなかった。
妹背(イモセ)は、京都平野神社に原木があり、花は淡紅色大輪八重である。二つの実が並んで付く事から名が付いたという。
霞桜(カスミザクラ)は山間地に多い野生の桜で、高木である。花は白色か淡紅色で中輪一重、遠くから見ると霞のように見えるのが名の由来という。
琴平(コトヒラ)は、四国の金刀比羅宮の参道に原木があり、京都の造園家により広められたという。花は白色中輪八重である。
大枝が横に広がって白色中輪八重の花が枝に群がる。京都の市原にあった桜で、枝全体が虎の尾に見えることが名の由来である。
参考資料:「新宿御苑のみどころ・春(パンフレット)」「新宿御苑の桜」