あじさいまつりの期間中、高幡不動(高幡山金剛寺)に紫陽花を見に行った。不動堂を参拝したあと、早速、境内略地図を入手。この図によると、紫陽花を見る道は3ルートある。最初に、一番短い“あじさいのみち”を歩いてみた。
高幡不動には、250種7500株の紫陽花があるという。五重塔の近くにも紫陽花の群落があるが、種の識別など出来そうにない。
“あじさいのみち”を歩いて行くと九輪塔があった。中世の九輪塔を寄贈された金剛寺が、日野に領地があった山内経之の供養塔として、この地に移設したものという。
山内経之は山内首藤の支族で、常陸合戦で討ち死にしたため、陣中から家族や金剛寺の僧に宛てた書状を集め、供養のため不動明王像の中に納めるということがあったらしい。この書状は、当時の東国武士の実態を伝えるものとして価値が高いことから、「高幡不動本尊像内部文書」として、国の重要文化財に指定されている。
“あじさいのみち”のあと、“四季のみち”を歩く。この道は坂を上がって“山内八十八ケ所巡拝路”に合流したあと、別の経路で下って行くが、今回は合流点から“巡拝路”に移って先に進む。山道らしくなった“巡拝路”を上がり、27番の弘法大師像を過ぎると、山頂遊歩道に出る。
“巡拝路”からは外れることになるが、高幡不動の裏山(高幡山)の山頂に上がってみる。山頂は小広く眺めも良いので小休止に向いている。「武蔵名勝図会」によると、往昔、金剛寺の不動堂は山頂にあり、後に平山季重が山頂に八間四面の御堂を建立したという。
中世になると、今は高幡城の名で呼ばれている山城が築かれ、その主郭が山頂にあったという。また、山頂から北に続く尾根に沿って山城の郭が続いていたというが、幅はさほど広くない。ただ、記録が無いので確かなことは分からない。
山頂から下って、“巡拝路”を先に進み、右に下る道を見送って先に行くと、見晴と呼ばれる場所に出る。この辺りは西側の展望が開けている。“巡拝路”は、この先で下りとなり、馬場跡と呼ばれている、三方を山に囲まれた広場に出る。
“巡拝路”は馬場跡の周囲を回る道になっており、途中には紫陽花もある。「武蔵名勝図会」によると、この地は、八王子城主氏照の家臣で、八王子城の落城の際に討ち死にした高橋十右衛門の居地だという。ただし、城については記されていない。「新編武蔵風土記稿」には、高幡村の小名として根古屋とあり、金剛寺の山根の通りと記している。根古屋は山城の麓にある屋敷地のことを言うので、馬場跡は根古屋に該当しているように思える。
“巡拝路”は馬場跡から山頂遊歩道に出るが、この辺りは西方の眺めが良い。さらに進んで高幡城址の案内表示があるところから北に向かい、やや広い道に出て右へ、鐘楼の横を通って左に折れると、“巡拝路”も終りに近づく。
“山内八十八ケ所巡拝路”は四国八十八ケ所の写しで、高幡不動の裏山にある88カ所の弘法大師像を巡る道である。最後の八十八番は香川県大川郡長屋町多和とあるが、これは結願の郷に該当する。巡拝路は整備されているが上り下りの多い山道であり、時間も多少かかるので、短いハイキングコースの積りで歩くと良いのだろう。今回は、88カ所の一部を通っただけだが、機会があれば、順番通りに歩いてみたい。