北区の赤羽自然観察公園にある旧松澤家住宅は、北区指定有形文化財(建造物)であり、東京9区文化財古民家めぐりの対象の一つになっている。赤羽自然観察公園へは赤羽駅から弁天通りを進み、あかいとり幼稚園入口のバス停の先の信号を案内板により右に入り、左、右、左と進んでいけば公園の東口に出る。赤羽自然観察公園の西口へは、赤羽駅からのバスもある。赤羽自然観察公園は通年公開だが、夜間は閉鎖されている。
東口から入るとすぐ稲田があり、その向こうに浮間から移築された旧松澤家住宅が見える。旧松澤家住宅は弘化元年(1844)の創建と伝わる。新編武蔵風土記稿によると、足立郡平柳領浮間村は、荒川沿いのため洪水被害があり、畑しか作れない村だったという。一方、川向こうの茅野を御用地と称し、野銭を納めていたとあるので、茅を主な産業にしていたらしい。
移築以前の松澤家住宅はトタン葺きの屋根であったが、その下には茅葺の屋根が残っていた。この住宅が調査され建物全体が解体されて部材が保存されたのは平成9年のことである。平成15年になって、旧松澤家住宅の主屋と倉屋の移築が始まり、幕末から明治初期の間取りが復元される。さらに、詰所と防火施設を設置して、北区ふるさと農家体験館として開館したのは平成17年のことである。松澤家は浮間の大規模農家で、明治時代には農業のほか養蚕も行っていたという。また、農耕用と運搬用に馬を数匹飼っており、幕末か明治の初めには、ウマヤが増築されている。
旧松澤家住宅は何度か増改築が行われたと考えられているが、創建時から、食い違い四間取り形式であったと推定されている。上の写真はドマから見たもので、右側の手前の部屋がザシキ、その向こうがオクザシキになる。左側の板の間はオクノマで、その先がナンドになっていた。浮間ではドマで煮炊きを行っていたので、オクノマに囲炉裏は無かった。
主屋の裏手に倉屋があった。倉屋は主屋より古く、納屋として使われていた。現在、倉屋では旧松澤家住宅の復元についての展示が行われている。倉屋には舟も展示されているが、洪水の時の移動手段として舟を用意しておく事があったらしい。浮間地域は荒川の洪水に度々みまわれたため、周囲より高く土を盛った水塚と呼ぶ地盤の上に家を建てており、移築以前の松澤家住宅も水塚の上に建っていた。それでも床上浸水になる事もあり、その時は屋根裏を避難場所にしていたという。
赤羽自然観察公園には湧水があり、自然保護区域も設けられている。園内の植栽は北区固有の種を用い、郷土の自然を育てているという。古民家とともに、その周辺環境も昔の姿のように保存されるのだろう。旧松澤家住宅を見終わったあと、周辺を散策し、それから赤羽駅へと戻る。