夢七雑録

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荒川二丁目から荒川区役所前へ

2011-03-20 13:02:16 | 都電荒川線に沿って

 荒川二丁目の停留所を後にして、線路沿いに歩き、次の踏切を渡って荒川公園に行く。荒川区役所の前庭のような公園で、噴水池があり、また、さほど広くはないが池があって釣りをしている人が何人か居る。公園の外に出て、騒がしい明治通りを歩道橋で渡り、警察署の横にある地蔵堀石地蔵に行く。もともと、この石地蔵は、明治通り北側にあるサンパール荒川の位置に南向きに置かれていて、村人が旅する時には道中の無事を石地蔵に祈っていたという。荒川公園南側の明治通りの場所は、江戸時代、三河島村の主要道路であった新堀道(日暮里道)が通っていたところだが、石地蔵が置かれていたのは、新堀道から分かれる小塚原道の分岐点にあたり、村絵図にも記載されている。新堀道の道沿いには、石神井川の分流である下郷用水(音無川)から分水した用水が流れていて、都電三ノ輪停留所の周辺にあった大名屋敷に水を供給していた。この用水から余分な水を荒川(隅田川)に落とすための排水路が分岐していたが、石地蔵のあった場所は排水路の分岐点でもあった。この排水路は地蔵堀と呼ばれ、途中まで小塚原道に沿って流れたあと、北に流れて、現・アクロシティ付近で荒川(隅田川)に流れ込んでいたが、現在は全区間暗渠になっている。

 明治通りを渡った先、サンパール荒川の前の狭い方の道が旧道の小塚原道と思われる。ここでは広い方の千住間道を通って荒川区役所前の停留所に行く。停留所のホーム屋根の上にスカイツリーが少し見えているが、この辺りは、都電の沿線でスカイツリーが見える場所として、以前から知られていた場所である。この停留所の開業は大正2年。当初の停留所名は千住間道であったが、昭和17年に三河島二丁目に変更され、昭和37年からは現停留所名になっている。


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