世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

広島へ

2016年11月22日 | 国内旅行

今朝の地震で被害に合われた方々には心からお見舞い申し上げます。

が、地震の揺れには敏感な私、珍しくぐっすり寝入っていたのか気がつきませんでした。

反対に揺れには鈍感な夫が気付き、起こされTVを観てビックリ!3・11を思い出してしまいました。

一瞬、こんな天災の多い日本でオリンピックをやってもいいものだろうかと不安になりました。

さて土日と1泊2日で故郷広島と再度倉敷に行ってまいりました。

広島駅からホテルまでの渡り廊下にはズラリとカープの感動場面が実物大で!

あの興奮がまた蘇りました。

 

早いものであれから1年近くが過ぎようとしています。

義兄の一周忌の法要が広島の菩提寺で家族と一部の親しい親族で執り行われました。

厳かな中にも和気藹々とした楽しいひと時でもありあした。

きっと義兄も家族の仲睦まじさに密かに喜んでくれていると思います。

詳細はまた姉「かれん桜」がいずれブログにアップすることと思いますのでここでは省きます。

広島で私たち姉妹は生まれて結婚するまで、両親に愛され何不自由なく育ちました。
(大学時代4年間、広島を離れましたが)。

1996年両親が相次いで他界し、誰も帰ることのない実家を致し方なくたたむことにしました。

昭和の初期に建てられた大正ロマンを思わせるモダンな和洋折衷の住居でした。

人手にわたり、更地となった段階(20年前)で一度見に行ったきり、一度も足を踏み入れていませんでした。

この度姉と共に過ごした実家跡を二人揃って訪れるのも一つの目的で、とても楽しみにしていました。

広島も当時とは大きく変わり、実家近辺も開発が進み、広い道路ができたと聞いていましたので、

果たして行き着くことができるだろうかと不安でした。

姉も私も小中は電車通い、その道を辿りたいと最寄駅で降り、さてどこだっけ?私たちが歩いた道は?

ふたりで「ここ、ここじゃない?」と記憶を辿りながらキョロキョロ・・・・。

「この家、昔のままだわね」とか「全然変わっちゃたわね」とか「どこ曲がるんだっけ?」とか。

少し迷いましたがようやく行き着くことができました。

こちらが私たちの実家のあった細い通り。写真の2軒のお宅は昔のまま。

今回はご挨拶もせず、そっと帰ってまいりましたが、思い出のあるお宅です。

通りを挟んでこの2軒のお宅の前に私たちの実家がありました。今は跡地に2軒の家が建っています。

思い出の多い実家跡を訪れることができ、長い間心の片隅に残っていた何かが吹っ切れた思いで、

感慨深いものがありました。姉も私もしばらく無言で立ち尽くす瞬間でした。

父と母もよく帰ってきたと喜んでくれていると思います。

もう訪れることは二度とないかもしれません。お父様、お母様、ありがとう!

こちらの学校は姉、義兄、そして私の夫の卒業した小中高の大学付属名門校です。

姉と夫は小学校から、義兄は中学から。私だけハブなんですよ。

私は3度チャレンジしましたが、3回とも空しく落とされました(苦笑)。

小学校は「くじ」で落とされ、帰路の電車の中で姉につねられとても痛かったのを今でも懐かしく思い出します。

姉は一緒に学校へ行けることを楽しみにしていたのでしょう。悔しかったのでしょう。

幼い子供なりの妹への精一杯の愛情表現だったのね、と笑い合い、思い出を語った半日でした。

この後、子供達家族と合流し、法事とお墓参りをし、広島駅そばのホテルに1泊しました。

 

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コメント (8)
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