バイエルンアルプスハイキングも終盤です。
正直このシリーズも早く終わらせたい気分(少々疲れた~)。
でも旅の記録としてどうしてもまとめておかなければなりません、自分のために。
帰国してこうしてブログを綴ることにより、思い出はより一層濃くなっていきますから。
10月10日、この日はロマンティック街道の終着の街フュッセンから、美しい落葉樹の森を抜けて、
ノイシュヴァンシュタイン城の起点となるホーエンシュヴァンガウまで歩きます。
ガイドはドイツ人と結婚、30年この地に住む日本人女性ゆかりさん。
ハイキングしながら、主婦の立場でいろいろなドイツ事情を伺え、とても楽しかったです。
<朝霧にかすむレヒ川に面した聖マング市教区教会とフュッセン市博物館>
フュッセン博物館は9世紀から1802年まで修道院として町の繁栄を支えてきました。
現在はフュッセンにまつわる博物館、また市庁舎として使われています。
<14~5世紀に建てられたアウグスブルク大司教の離宮ホーエス城>
フュッセン博物館、そしてこのホーエス城の建物はとてもユニークなところがあり、
一見すると本物に見えますが、外壁のレンガ、窓飾り、時計・・・全て「だまし絵」なのです。
実にうまく描かれていて、説明がなければ気が付かない程です。
山に入ります。ここはアルペンローゼーベーク(Alpenroseweg)といい、
名前からするとアルプス三大名花アルペンローゼがたくさん咲いている道に思えますが、
ガイドのゆかりさんおお話では、咲いているのを見たことがないと。
<レヒ川>
この道は今回の旅行で最も山道らしい山道であったかもしれません。
今から訪れるノイシュヴァンシュタイン城の後方に見える二つの湖、シュヴァン湖、アルプ湖を見下ろしながら、
アルプ湖のほとりのホーエンシュヴァンガウまでのハイキングです。
でもハイキングの写真がほとんどありません。夫も撮っていなかったようです。
<左上に白亜の城 ノイシュバンシュタイン城がみえます。眼下はアルプ湖 右下は博物館>
途中アルプ湖を見下ろし、ノイシュヴァンシュタイン城を見上げるビューポイントです。
ノイシュヴァンシュタイン城が目に飛び込んできた時には「ドイツに来たんだ~」という感動がありました。
<ホーエンシュバンガウ城 黄色味のどっしりとしたお城>
40年前訪れた時はもっと古色蒼然とした風情があり、Schloss(城)というよりBrug(城塞)といった感じでしたが、
今回は黄色味濃くぬりかえられたのか、美しいお城のイメージで、以前の方が歴史が感じられいいな~と思ったものです。
ルードヴィッヒ2世の父マクシミリアン2世が建てたお城で、ルードヴィッヒもここで幸せな子供時代を過ごしました。
さて昼食を挟んでいよいよドイツ旅行のハイライトともいえるノイシュバンシュタイン城へ向かいます。
その前に一休み
中央が日本人現地ガイドのゆかりさん。
<レストランから見上げるノイシュバンシュタイン城>
お城への行き方には3つの方法があります。徒歩、馬車、専用バス!
これにもびっくり!半世紀近く前に私たちが訪れた時は徒歩か馬車しかありませんでした。
幼い二人の子供を連れて、坂道を40分かけて歩いて登ったものです。
ですから今のように混雑もしていませんでしたし、すぐに入場できました。写真もOKでした。
今回は専用バスで。バスの終点は人気の絶景ビューポイントマリエン橋。
<お城の後方、左側がアルプ湖 右側がシュヴァン湖>
ちなみにシュヴァン(Schwan)は白鳥、ノイ(neu)は新しい、シュタインSteinは石の意味。
日本人ツーリストの中にはノイシュバインシュタインという方がいますが、これは大きな間違い。
シュバインはドイツ語で豚になりますからお気をつけてとゆかりさん!(笑)
この橋へも当時はお城から山道を歩いていかなければならず、知る人ぞ知るのビューポイントでした。
当時のブルーガイド「ドイツの旅」にもマリエン橋の詳細な紹介はなく、こう綴られています。
「山間の美しい湖アルプエゼーを背景に眺めるその姿は、この世のものとも思われないほど。
残念ながら裏山への一般登山道はない。裏手の山道をたどり渓谷にかかる高い橋の上から眺めるとよい」
「渓谷に係る高い橋!」その橋が今のマリエン橋です。
そして裏手の山道の入り口がここ!現在は通行止めになっています。懐かしかったな~。
当時は名前もなかったような。道すがら人に会うこともなく、その絶景は私たち家族で独占でした。
お城の内部からマリエン橋を撮った画像。よくぞこんなところに橋を架けたものだと感心しました。
下を見るとちょっとコワイですよ。
ノイシュヴァンシュタイン城から今歩いてきた道が見えます。
右の湖シュヴァン湖の奥の森の中を歩き、左のアルプ湖のほとりを歩き、
ホーエンシュバンガウ城のふもとへ出てきました。
お城の内部は日本語の音声ガイドがあり、撮影は禁止です。
バイエルン王ルードヴィッヒ2世は17年の歳月と巨額の費用をかけて、憧れの中世のお城を実現させました。
というのもこのお城は決して中世に建てられたものではなく、19世紀後半の築城です。
城内は王の憧憬した作曲家リヒャルト・ワーグナーのオペラの名場面の壁画で埋まり、
絢爛豪華で目を見張ります。そこは昔と変わっていません。
が、彼は建築と音楽に破滅的な浪費を繰り返し、「狂王」の異名のもと、城の完成を見ずして、
シュタルンベルク湖ほとりのベルク城に幽閉され、その翌日シュタルンベルク湖で謎の死を遂げます。
この方がルードヴィッヒ2世!イケメン王ですね。
こうした悲劇の物語が、いっそうお城の美しさを引き立てているようで、私たちのロマンは掻き立てられます。
築城当時、決して歓迎されず、狂人と言われたルードヴィッヒ2世の建てたこの白亜のお城が、
いまやドイツ観光のシンボルマーク、ドル箱になっているのも、なんとも皮肉としか言いようがありません。
帰路、のどかな草原の真っ只中に立つ世界遺産ヴィースの教会に寄りました。
ヨーロッパでもっとも美しいといわれるロココ様式の教会で、内部の華やかさと壮麗さに目を奪われます。
やはり内部撮影は禁止です(40年前はOKでしたが)。
さらに木工の町、オーバーアマガワにも寄りましたが、内容濃い今日のスケジュールにもう皆少々お疲れ。
写真無しです。
さて最後におまけの写真を2枚!40年前!アルバムから。
当時のマリエン橋で。
後方小高い丘の上にノイシュヴァンシュタイン城が見えます。
いまや立派なおじさん、おばさんとなったこの二人のわが子はこのお城に当時何を感じたでしょうか。