世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

笠置シズ子さん~思い出

2024年02月04日 | 日常の生活

こんなタイトルをつけると、まるで笠置シズ子さんと私が知り合いでもあるかのようですね、

いえ、全く関係はありません。ただあることで彼女にはとても親しみを感じています。

毎日楽しみにみている朝ドラ「東京ブギウギ」。毎朝元気をもらってますが、ここ数日は涙をこらえるのが大変でした。

<テレビ画面より>

その主人公笠置シズ子さんはかって私の隣人だったのです。

 

私たち家族は1973年から、1977年のドイツ渡航までの4年間を世田谷区弦巻1丁目の社宅に住んでいました。

社宅の前は確か社会党の有名な議員さんのお宅であったと記憶しています。鈴木茂三郎氏?

そして同じ並び、社宅から100mの角地に笠置シズ子さんの自宅がありました。

白い壁の瀟洒なお洒落な平屋の建物で、手入れの行き届いたひろ~いお庭があり、

いつも色とりどりのお花が咲き、ロマンチックなおとぎの国のような邸宅でした。

近隣の人からは「笠置御殿」と呼ばれていたようです。

ところがそんな素敵な家にお嬢様とお二人でお住いだった笠置シズ子さんですが、

その恰好たるや、「どこのおばさん?」と言いたくなるようなお姿!まるで家政婦のよう。

モンペイのようなズボンに手ぬぐいでほおかぶりをし、とても芸能人には見えませんでした。

そんな姿でお庭の手入れをし、道路を掃き清め、子供たちが道路で遊んでいると、

危ないと、あの独特のドスの効いた声でよく注意されていました。我が子も叱られたひとりです。

幼稚園に子供を送っていく時、いつも笠置家の前を通りますが、気軽に挨拶を交わしてくれる、

どこにでもいる普通の気さくな「おばちゃん」でした。

<我が子と実家の母 この道路の先の角地に笠置シズ子さんのお宅がありました>

笠置さんは1951年にあの家を建てられ、1985年お亡くなりになるまでずっとそこに住んでいらしたそうです。

笠置シズ子さんのお宅近隣は高級住宅地で素敵な豪邸がずらりと建ち並び、

今の田園調布のような地域だっと思います。

今は私の住んでいた社宅跡にも笠置シズ子さんの自宅跡にもマンションが建てられているようです。

先日も夫と「一度行ってみたいわね」と話しました。近々、訪ねてみようと思っています。

コメント (4)
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