世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

キョウイク、キョウヨウ!

2014年08月11日 | 日記

のろのろ、それでも大暴れした台風もようやく日本海に抜け、ホッとしたのも束の間、また猛暑が戻ってまいりました。

しかし今朝はまだ台風の名残、風もありいくぶんしのぎ易いような気がいたします。

今朝の早朝ウォーキング、羽田方面に向かって歩く前半は、南風が強く、歩くのに少々苦労するほどでした。

でもそれだけに、いつもよりカロリー消費も多く、ダイエットになったかな?よしとしましょう!(笑)

今日のタイトル、「キョウヨウ、キョウイク」!皆さん既に良くご存知ですよね。

そう!「キョウヨウ」は「教養」ではなく、「今日用がある」、「キョウイク」は「教育」ではなく「今日行くところがある」。

高齢期にはこのふたつがとても大切なのだそうです。

昨年の7月、朝日新聞の天声人語に載っていたそうですが、私は朝日は購読していないため、
何方かのブログ記事でこのことを知りました。

猛暑の夏になるとこの「キョウヨウ」「キョウイク」が突然激減するのが我が夫!
夏場は完全な「ぐーたら亭主」と化します。

古希を過ぎた夫は、同年代の方々と比較してもかなり元気、活動的な人ですが、年齢とともに夏はバテ気味です!

丘に上がったカッパのように元気がありません。本人はいざ知らず、私にはそのように見えます。

普段はゴルフ、山、飲み会、ウォーキングと自由な時間を満喫、生き生きとしている彼ですが、私同様暑さが苦手。

夏場は仲間も皆死んだように静か(笑)で、息子との南八ヶ岳縦走から帰宅してからの10日間は家でゴロゴロしてばかり。

テレビの前のカウチには寝型かつきそう。とりためた山の録画ばかり観ています。 引き篭もり?

「お父さんらしくないわよ~!」

とハッパをかけたら、今日この猛暑の中、耐暑訓練と称して、陣馬山から影信山、高尾山の縦走に出かけました。

大丈夫かな~?ちょっと心配、熱中症!

 

私は常に「キョウヨウ、キョウイク」がありますが、夫にはそれがありません。全くの自由気まま。

時折、これでいいのかしら?と思いますが、当の本人は私の心配など何処吹く風、日々の生活に不満もストレスも全くなさそうです。

長生きするわ~。(妻のひとりごと!)

家でゴロゴロ、ウロウロしている夫を見ていると、暑苦しくて、私の方がイライラ、ストレス溜まりっぱなし!

でも、私は今日は「キョウヨウ」も「キョウイク」もなく、夫も居ない!なんという幸せ!

「キョウヨウ、キョウイク」、高齢期には大切ですが、偶にはこんな日もなければね~。

ブログも「キョウヨウ」の感あり!(苦笑) お盆に入り私も今週、ブログのお盆休みを頂きます。

Have a nice week and good luck!

 

 

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あなたはこの映画を直視できますか?

2014年08月09日 | 日記

今日は長崎に原爆が投下された日、8月9日です。

前回の記事に続き、心からの平和を願って、原爆に関する記事をもうひとつアップすることにいたしました。

皆さんはこの映画をご存知でしょうか?1953年に製作された「ひろしま」という映画です。

この映画の紹介には、被爆シーンがあまりにもリアルで悲惨ゆえ躊躇われましたが、被爆2世のひとりとして、

核の恐ろしさを直視して頂きたく、勇気を持ってYU-TUBEの映像をお借りし、アップいたしました。

被爆者である母の話では、この映画の興行に当たっては、配給元である松竹がGHQとの軋轢を恐れ、協力を拒んだとか。

それゆえ、長い間「幻の映画」と言われてきました。

この映画には沢山の広島市民がエキストラとして協力しています。

広島出身の女優「月丘夢路」さんも、ノーギャラの無報酬で出演したと聞いています。

詳しくはコチラをご覧下さい。(色に変わっている部分をクリックしてください)

映画「ひろしま」予告編_修正版(ムシカ) 、

画面右下の全画面をくりっくし、フルスクリーンでご覧下さい。 

実は私も姉もこの映画に出演しています。私は小学校1年生、姉は3年生でした。

出演することになったきっかけは・・・・・

1年生の時の担任の先生(今でも覚えています、林先生)が市民劇団の一員であったことにより、
オーディションに参加(なかば強制的)、選ばれました。

監督(助監督だったかな?)が小学校にやってきて、歩いたり声をだしたりのいくつかのテストがあったことを、
今でも鮮明に覚えています。

姉は私の撮影に母と共について来て、監督の目に留まり、スカウト(?)され、出演することになりました。

2人とも、ちゃんと「セリフ」もあったんですよ。私は原爆投下前、姉は投下後の子供としての出演でした

そんなこともあって、全編観てみたい気がしますが、都内では上映されていませんし、DVDの貸し出しもありません。

広島在住の叔母の話では広島では希望すればいつでも観賞することができるとのことですが・・・・。

機会があれば姉と共に是非観てみたいものです。

 

「核の恐怖」を知り、「戦争と平和」について考えさせられる幻の映画「ひろしま」!

皆様にも観賞する機会がありますことを、被爆2世のひとりとして、願ってやみません。

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今日8月6日は原爆の日 そして父の命日

2014年08月06日 | 日記

再び巡ってきた8月6日、今日は69回目の「原爆の日」でした。

生憎の雨 69年前のあの日が今日のような雨だったら、広島の悲劇は起こらなかったのに。

あの日は晴天だったそうです。そして私の記憶の中にも雨の原爆の日はありません。

 

私は広島生まれの広島育ち、しかし終戦の翌年に生まれました。

二つ違いの姉と既に亡くなった両親は被爆者です。父と母が亡くなって今年でもう18年になります。

今日は原爆の日であると当時にまた父の命日でもあります。

ブログを書き始めた2008年(以前のブログです)の8月6日、「原爆の日に寄せて」というタイトルで、
下記の記事を書いています。

広島では今年被爆者が20万人を割り、平均年齢は79,4歳となりました。

こうした中、被爆体験を語り告ぐ語り部の減少が懸念されています。

父の体験をここに再び記すことが、少しでも平和の大切さを考えるきっかけになればと思い、
6年前の記事をここにコピーいたします。

 

「原爆の日に寄せて」  

2008年8月6日(旧ブログ「プラチナのように輝いて」より) 

私達夫婦は生まれも育ちも 広島 です。
今日8月6日は私達、特に私にとっては、重たい重たい忘れられない日です。

私の父母、姉、そして夫、義父、全て 被爆者 です。
私の父母、姉は爆心地から直線距離で3キロ地点の自宅で被爆しました。

私はといえば、その翌年の8月に生まれ、辛うじて胎児被爆も免れました。

父母は悲惨な被爆体験を多くは語ろうとしませんでしたが、裏覚えに覚えている父母の話をここに記します。
平和を考える何かのきっかけになってもらえればという思いで・・・。

      昭和20年8月6日の朝 
広島は晴れわたっていました。

原爆が投下される少し前、空襲警報が解除され、大勢の人々が戸外にでていたそうです。

父は前日が出張であったため、会社の規約で30分出社を遅らせていました。

玄関先で靴のゲートルを巻き上げていたその時、午前8時15分
       
       突然の閃光とドカーンという爆音 !

父は自宅の裏庭にB29が爆弾を投下したと思ったそうです。

一瞬にして家の中はめちゃめちゃになりました。
つぶれることはありませんでしたが、家は傾き、ガラスは粉々に飛び散りました。

実家の2階の部屋に知人夫婦が間借りして住んでいましたが、
奥様は全身に飛び散ったガラス片が刺さり、生死をさまよわれたそうです。

実家の2階の柱にはそのままガラス片がいくつか刺さったままで、
障子や襖と柱は合わさることなく、隙間だらけでした。
このことは私の子供達(父母にとっては孫)もよく覚えています。

父はその後、即会社(爆心地のすぐそばにありました)へ向かいましたが、
その爆弾が新型爆弾の ピカドン であることは当然知りません。
(広島の人は原子爆弾のことをピカドンといいます)

ただ会社へ向かう道すがら、これはただごとではないと気がついたといいます。
道には焼けた丸太のように、沢山の人たちがごろごろと転がっていたそうです。

その中の一人、全身焼けただれた若い女性が、
「○○さん、私は○○課の○○です。父母に知らせてください」と住所を言い、助けを求めました。
あまりの惨さに誰だかわからなかったそうです。

その住所は爆心地、ど真ん中、父はどうすることも出来なかったと悔やんでいました。

会社は跡形もなく、父は無念にもまた来た道を引き返し、黒い雨を全身に浴びながら、
助けを求める人々や転がる死骸をまたぎまたぎ、母や姉のもとへ急いだそうです。

その 地獄図 は想像にあまりあるものがあります。

幸いに母も姉も怪我ひとつつなく、無事でした。
父が前日出張でなければ、普通通りに出社していたら、父の命は無かったでしょう。
 
父は運の強い人です 


もうひとつの偶然があります。

当時 建物疎開 というのがありました。
あらかじめ特定の建物を取り壊し、空襲の折、火災がひろがるのを防ごうという目的で、
多くの主婦、学生、一般市民が強制動員されました。

母の属していた班(路地ごとに区切ってあったようです)は翌日がお当番でした。
お気の毒に8月6日がお当番にあたっていた一本前の筋の方たちは、全員お亡くなりになったそうです。

原爆投下がもう一日後だったら・・・。

 母もまた運の強い人です 

この二つの偶然と強運が重なって、私が今ここにいます 


昭和20年 8月6日、父はその命を強運によって救われました。

しかし12年前、まるでその命をその日にお返しするかのように
8月6日その日に、静かに 他界 しました。享年80歳。

今日は父の 命日 でもあります。合掌。


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父と子の絆

2014年08月03日 | 家族

8月に入り早3日!6年先の今日は東京オリンピックの開催日。やっぱり心配になる私。

こんな猛暑の中、本当に大丈夫なのでしょうか。

毎日のように、TVでは熱中症の注意を呼びかけ、激しいスポーツは避けるようにと言っています。

天候だけはどんな力でも変えることはでません。

東京オリンピック成功を願い、楽しみにしている私としては、今からでも開催時期をずらすことはできないものかと・・・。

 

がらりと話題は変わり、長崎県佐世保の女子高生殺害事件、おぞましい事件に背筋が寒くなると同時にやりきれない悲しさを覚えます。高校1年生といえば、私の一番上の孫と同じ年齢。とても信じられません。

何故こんな悲しい恐ろしい事件を食い止めることができなかったのでしょうか。

危険なサインはいくつもあったようですね。それを放置し、対処しなかったなんて!

未成年、それも16歳の女子高生の起こした事件だけに、大人の責任は重大、かつ重いと言えるでしょう。

高い教育を受けた親御さんに育てられ、父親は地域では著名人であったそうです。

父親は地位も名声も当然ながら失うでしょう。

精神鑑定を受け、治療後は親元に戻されるのでしょうか。

「天に唾すは、自分の顔に落ちてくる」。この事を肝に銘じ、親としての教育、監督を怠らず、更正させて欲しいです。

被害にあわれた女子高生の、そしてそのご家族の無念さを思うと、胸が張り裂けそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

 

         


<後方 赤岳>

さて我が家の父と子(長男)。一昨日予備日を使うことも無く、無事2泊3日の南八ヶ岳縦走から帰還いたしました。

夫の説明つきでTVの大画面で画像を観ていると、親子水入らず、男同士の楽しかった登山が伺え、
母親、妻として胸にこみ上げてくる喜びがあります。

企業戦士(この言葉、今では死後と化しましたね)だった夫は、現役中は家庭を顧みる人ではなく、
イクメンとは程遠く、我が家の父子関係が良好であったと言えるかどうかはわかりません。

しかし少なくと息子は父親の背中を見て真っ直ぐに育ち、最終的には良い伴侶と可愛い息子を得て、
一段と成長したと思っています。

今回の親子登山は息子からの声かけで実現しました。息子の山歴は決して長くはありません。


<阿弥陀岳頂上から見える富士山>

大学山岳部で本格的訓練をした生粋の山男である父親から、息子は多くのことを学んだのではないでしょうか。

コースは美濃戸口から入山、赤岳鉱泉ー行者小屋ー中岳のコルー阿弥陀岳ー赤岳ー横岳ー硫黄岳。

 
<鎖や梯子、こわ~い!>

息子のFBによると・・・・・

「山の天気は変わりやすく、朝晴れていても午後から不安定になりやすい。そんな山の基本に忠実な父親と一緒だから、朝は未明から行動を起こし、全行程を通して、正午ごろには目的地に到着、山小屋でゆっくりした時を楽しんだ」と。

 

父親である我が夫の感想は「やはり日頃の鍛錬と若いだけある。あいつは実にタフだ!若さには叶わん」。

お父さん、Kちゃんに脱帽ですか?


<硫黄岳頂上>


<コマクサの群生があったそうです>

息子はこの夏休み、今度はわが子(私の孫8歳)をつれて山小屋泊まりの八ヶ岳登山にチャレンジするそうです。

その下調べでもあったのかしら? 夫から息子へ、そして息子から孫へ、DNAは受け継がれていますね(笑)

それぞれに「父と子」の絆は深まっていくことでしょう。

*******

画像のモデルは全て息子、カメラマンは夫です。
夫には悪いけれど、息子と一緒じゃ~おじさん体型の貴方はかっこ悪くて、写真は載せられません(苦笑)、

 

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「子どもは親や教師の『いう通り』にならないが、『する通り』になる。」 

渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」より。

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ひとりごと~徒然なるままに

2014年08月01日 | 日記

毎日暑い 暑い といっても涼しくなるわけではなく、八月産まれの私でありながら、夏は苦手です。

戦後のどさくさの中、勿論エアコンなど無く、さぞかし母は大変だったろうと想像し、感謝に耐えません。

しかし今が一番暑いときと思えば、この猛暑も後2~3週間我慢すれば良いのですよね。

 

さてカナダ旅行記が終わり、何を書きましょう。

旅行記を書いている間、世間のことで結構いろいろ感じることはありましたが、今更書くには新鮮味なく、パス。

最近の自分について少し触れてみたいと思います。

時折「若年認知症」という言葉が頭をかすめることがあります。ひょっとして私・・・・・?

若年なんておこがましいでしょうか。今もし自分が「認知症」と診断されても、若年ではありませんね。(苦笑)

認知症と単なる物忘れの違いはよく認識しているつもりですが、それにしても最近の私は少しおかしい。

先日玉川高島屋の駐車場で迷子になりそうでした。

最近はデパートに行くにも電車を使うことが多く、車で出かけるのは久しぶりでしたが・・・

それにしても、あんなに通い慣れているはずの駐車場なのに、迷子になるなんて。

若い頃から少々方向音痴のところのある私。年齢があがるにつれてその度合いが増してきたような気がします。

こうしていずれ我が家への道順も忘れ警察に保護されるなんてことになってしまうのでしょうか。あ~いやだ~

 

またこれは昨日のこと。夏休みスペシャルお話会の打ち合わせが図書館の、ある一室でありました。

打ち合わせが終わり、暫く涼しい館内で新聞を読み、帰ろうとした時、打ち合わせの部屋に日傘を置き忘れたことに気づきました。

児童担当のスタッフに忘れ物をしたことを話し、部屋の鍵を開けてもらったのですが、ありません。

無いわけです。たった30分前のことなのに、私、部屋を間違えているのです。
開けて貰った部屋も時々打ち合わせに使ってはいたのですが、昨日は別の部屋でした。

すぐ気がついたものの、なんという頓馬!思い込み、思い違い、うっかりの多い昨今です。

傘は少し離れたテーブルの上にありました。ここで思ったこと。
その部屋を出るとき、何か忘れ物をしているような、物足りないような気がしてならなかったのです。
(何も感じないより、まだ救いがあるかな?)

やっぱり!そのように感じるときは周囲を見回し焦らずじっくり考えたほうがいいですね。

何を言っているのでしょう。ここで問題なのは忘れ物をしたことではなく、部屋を間違えたことなのです。

 

ついでにもうひとつ!頓馬なお話を!

先日いつものメンバーでゴルフに出かけました。この日は私が愛車を出し、ドライバーです。

我が家から一番遠い(と言っても車で15分)のTさんが他のメンバーを拾いながら駐車場まできて、車を入れ替えます。

さて夕刻、皆をのせ駐車場(戸外の月極駐車場です)に戻れば、あれ~?私の車を駐車する場所に見かけない車が停まっているではありませんか。

「誰だ~うちの駐車場に無断で車を置いた奴は」と一瞬頭に血が上りましたが・・・。

当たり前です。それは朝ここまで皆を乗せて来たKさんの車!すぐにピンとこなかった頓馬な私。

「私達、どうやって帰るの~」と大笑い。私は恥ずかしくて穴があったらはいりた~い

 

私の最近の間抜け話、3話でした!これって大丈夫かな~

 

日本人男性、平均寿命初の80歳越えです!おめでとう!

 

 

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