世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

草津よいと~こ、一度はおいで~(3)**追記あり

2024年02月14日 | 国内旅行

草津での二日目の様子をアップする前に、今回宿泊した旅館をご紹介します。

娘のKちゃんが選んでくれた二つのホテル旅館のうち、私の希望で老舗旅館タイプを選びました。

草津名物「湯畑」にも近く、草津屈指の老舗和風旅館「奈良屋」。

創業は明治10年だそうで、およそ150年の歴史ある由緒ある旅館です。

全館畳敷きですので、とっても楽です。


<ロビー>

温泉は草津温泉で最古の源泉とされる「白旗の湯」 また奈良屋では「湯守」がいて、

その手仕事により、まろやかな湯をつくりあげているとのこと。

 

<男女入れ替え制>

 

が、全般的に草津のお湯は熱いです。長湯をしていると湯あたり、のぼせてきます。

私も最初に入浴した折、長く浸かり過ぎたのか、息切れがし、ベッドに倒れ込みました(苦笑)。

神経痛に効くとか。坐骨神経痛、治るかな~と期待しましたが、そう簡単にはいかないようです

いかにも老舗旅館らしく、従業員は皆さん紺色の法被を着用し、とても行き届いたサービスでした。

 

私たちが宿泊した部屋は泉游亭の中の「もみじ」。

泉游亭は天井の梁が特徴的なお部屋で2ベッドの和モダンの居心地の良い素晴らしいお部屋でした。

御食事は朝夕、お食事処の個室。娘と二人で誰に気兼ねすることもなく寛いで頂くことができました。

もちろん浴衣姿でO.Kです。

量も程よく、美味であったことは言うまでもありません。

お腹もいっぱいなり、就寝前にもう一度温泉に行くつもりが、疲れもあったのでしょう。バタンキュー!

翌朝6時までぐっすり眠ってしまいました。娘は夜の湯畑に。元気です!

こちらは朝食です。

そうそう、和食ではありますが、不思議なことに焼き立てのクロワッサンのサ-ビスがありました(笑)。

 

最後にちょっぴりモデル風の1枚の写真を!JRのコマーシャルの高峰三枝子みたいだって!

私が言ったのではありませんよ。この写真をラインで送ったら、夫のひと言、最高のおべんちゃらです(苦笑)

 

             

幸せな追記です!

本日バレンタインデーの大安の日、5年半のお付き合いを経て、孫娘Rちゃんがゴールイン入籍しました。

この3連休に両家の顔合わせをし、私たち祖父母のところへも挨拶に来てくれました。

素直な真っすぐなスポーツマン、好青年です。

もう婆としてはこんなに嬉しいことはありません。25歳同士の若い夫婦の誕生です。

Rちゃん、今までも十分幸せだったけれど、今度は彼と新しい家庭を築いてもっともっと幸せになってね。

結婚式を挙げるかどうかはまだ決めていないそうですが、これが今流なのでしようね。

曾孫をこの手に抱けるまでおばあちゃんは頑張りますよ。

おめでとう!

 

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草津よいと~こ、一度はおいで~(2)

2024年02月09日 | 国内旅行

皆さんは日本三大名泉をご存知でしょうか。

有馬温泉(兵庫県)、下呂温泉(岐阜県)、そして草津温泉(群馬県)です。

自然湧出量日本一を誇る草津温泉は強酸性で、「恋の病以外は治す」と言われているとか。

そういえば、娘は入浴後、顔肌がピリピリすると言ってました。

私は?きっと面の皮が厚いのでしょうね~。なんともありませんでした(苦笑)

午後からはもう降るわ~降るわ~雪。草津でも今年2度目の大雪だそうです。

それゆえか、温泉街にも関わらず、お年寄りは殆ど見かけませんでした。

若者、カップルの多いこと!そして飛び交う中国語!春節もまじかですね。

私は予報から登山靴を持参していきましたので、スニーカーから登山靴に履き替え、

何の不安もなく歩くことができました。

 

温泉街の中心にあるのが、草津温泉のシンボルあの有名な「湯畑」です。

毎分4000リットルの温泉が湧き出ているそうで圧巻!

この日はその湯けむりと降りしきる雪のため湯畑辺り一面真っ白。

湯畑を取り囲んで立ち並ぶお土産店やホテル、旅館はぼんやりとしか見えませんでした。

また湯畑の中には四角に組まれた木枠が沈んでいるそうで、徳川八代将軍吉宗が、

この木枠の湯を樽に詰め、江戸城まではこばせ、草津の湯を楽しんだとか。

それゆえ草津の湯は「将軍御汲みあげの湯」と言われているそうです。

四角い枠は確認できませんでしたが、「将軍御汲み上げの碑」が建てられていました。

 

また湯畑石柵には「草津に歩みし百人」、草津を訪れた偉人、著名人の名が刻まれています。

古くは日本武尊、源頼朝、前田利家まで。

この湯滝の前にはライブカメラが設置され、外部から現在の様子を見て知ることができます。

たまたま大雪のため仕事がリモートに切り替わった孫娘たちに知らせ、ライブカメラの前で手を振ったり、

そんなことをしてふざけ楽しんだ母娘でした(笑)。

 

3時半からは「熱之湯」の「湯もみショー」へ。

草津の湯の温度は高くて51度あるそうで、そのままでは入浴できないので、

こうして湯もみをして入浴できる適温にさげるのだそうです。

草津節、湯もみ唄を歌いながらの湯もみはなかなか迫力があり、特に2枚目の写真はド迫力!

お湯は重く腕力が必要でしょうね~。まるでスクワットをしているみたいで、演じる方は大変です。

以前(20年前ぐらいかな)見た時は希望者には体験もさせてくださいましたが、今回はそれはありませんでした。

草津温泉の歴史も知ることができ、十二分に楽しませていただきました。ありがとうございます。

ちなみにショーの時間は20分ぐらい、料金は700円です。

 

そして夜!湯畑近辺はライティングされ、それはそれは美しいらしいです。

是非観てみたかったのですが、この大雪、冷えて道は凍っているかもしれず、

お母さんには「危険」と娘に強く止められ、私は出かけるのを諦めました。

Kちゃんがひとりででかけ、沢山写真を撮ってきてくれました。その中から数枚を。

若い子たちもツルツル滑っていたよと。行かなくてよかったかもしれません。

 

続きます!

 

 

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草津よいと~こ一度はおいで~どっこいしょ♪(1)

2024年02月08日 | 国内旅行

<雪舞う5日の湯畑>

よりにもよって大雪の降った5日、娘と草津温泉1泊旅行に出かけました。

まさかあんな大雪になろうとは夢にも思わず、温泉だもの、寒いのはむしろ嬉しいよねと、

Kちゃんの1週間のリフレッシュ休暇を利用して、恒例の母娘水入らずのTripです。

早割りで彼女が高級老舗旅館を安く予約。夫とは決して味わえない贅沢な時間です。

お喋りと、お食事と、観光!お留守番の夫には申し訳ないけれど、最高の旅でした。

 

朝9:05分上野発の「四万71号」に乗車、長野原草津口まで約2時間半。

 

そこからJRバスに乗り換え草津温泉バスターミナルまで約30分。

 

いろいろな行き方があるようですが、このルートが比較的リーズナブルで楽だと思います。

電車の中でも、バスの中でも母娘の弾丸トークは続きます(笑)。周囲の方申し訳ありません

草津は二度目ですが、前回はゴルフと山を兼ね、車でした、夫と。もう20年以上前のことかな。

 

草津に着くころはもう雪は本降り、旅館まで歩いても2~3分ですが、旅館からお迎えがありました。

<老舗旅館 奈良屋 居心地の良いこの旅館のことはまた後で詳しくアップしますね>

旅館に荷物を預け、まずはランチ、腹ごしらえです。こういうところが若い子は素晴らしい!

Kちゃんは前もって人気店をチェック、並ぶかもしれないけれどと案内してくれました。

 

湯畑にほど近く100年続く老舗蕎麦店「三国屋」。名物「きざみ鴨せいろそば」!

文字通り、鴨肉を刻んでつゆに入れてあるもので、やや汁味は濃いめですが、美味しい!

たっぷりのつけ汁は溢れるばかりでこぼしてもいいんですって。

お店は満席。私たちは殆ど待たずに座れましたが、時間によっては長い行列ができるそうです。

お腹いっぱいになったところで、いよいよ温泉町散策。午後は湯畑と「熱之湯」の湯もみショーを見学。

 

今日のアップはここまで。続きます!

 

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笠置シズ子さん~思い出

2024年02月04日 | 日常の生活

こんなタイトルをつけると、まるで笠置シズ子さんと私が知り合いでもあるかのようですね、

いえ、全く関係はありません。ただあることで彼女にはとても親しみを感じています。

毎日楽しみにみている朝ドラ「東京ブギウギ」。毎朝元気をもらってますが、ここ数日は涙をこらえるのが大変でした。

<テレビ画面より>

その主人公笠置シズ子さんはかって私の隣人だったのです。

 

私たち家族は1973年から、1977年のドイツ渡航までの4年間を世田谷区弦巻1丁目の社宅に住んでいました。

社宅の前は確か社会党の有名な議員さんのお宅であったと記憶しています。鈴木茂三郎氏?

そして同じ並び、社宅から100mの角地に笠置シズ子さんの自宅がありました。

白い壁の瀟洒なお洒落な平屋の建物で、手入れの行き届いたひろ~いお庭があり、

いつも色とりどりのお花が咲き、ロマンチックなおとぎの国のような邸宅でした。

近隣の人からは「笠置御殿」と呼ばれていたようです。

ところがそんな素敵な家にお嬢様とお二人でお住いだった笠置シズ子さんですが、

その恰好たるや、「どこのおばさん?」と言いたくなるようなお姿!まるで家政婦のよう。

モンペイのようなズボンに手ぬぐいでほおかぶりをし、とても芸能人には見えませんでした。

そんな姿でお庭の手入れをし、道路を掃き清め、子供たちが道路で遊んでいると、

危ないと、あの独特のドスの効いた声でよく注意されていました。我が子も叱られたひとりです。

幼稚園に子供を送っていく時、いつも笠置家の前を通りますが、気軽に挨拶を交わしてくれる、

どこにでもいる普通の気さくな「おばちゃん」でした。

<我が子と実家の母 この道路の先の角地に笠置シズ子さんのお宅がありました>

笠置さんは1951年にあの家を建てられ、1985年お亡くなりになるまでずっとそこに住んでいらしたそうです。

笠置シズ子さんのお宅近隣は高級住宅地で素敵な豪邸がずらりと建ち並び、

今の田園調布のような地域だっと思います。

今は私の住んでいた社宅跡にも笠置シズ子さんの自宅跡にもマンションが建てられているようです。

先日も夫と「一度行ってみたいわね」と話しました。近々、訪ねてみようと思っています。

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