夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2020年 8月12日(水)「デカダンス」

2020年08月12日 21時32分12秒 | 「思うこと」
デカダン
この言葉は相当幅広く使われているようです。
退廃、荒廃、猜疑心と悲観、反権威。。。。。。
そしてこのようなものを生活や思考の中に取り入れて生きようとするデカダンス
これは思想や芸術面として現れてくるようですが、その背景には政治の退廃や後輩そして経済を含めた没落と衰退の中に現れてきます。
デカダンの対義語とはなにかはわかりませんが、一つにここ数年多く見られるようになった「ニッポンすごい」という大衆的国家観があると思いますが、政治に白経済にしろ没落と衰退が隠せなくなった時にその延長線上としても反動としても退廃や後輩につながるという面ではデカダンの逸出思われます。
このデカダンが大衆の中に現れてしまうのはある面社会から疎外されている中で仕方ない面もs利ますが、実は政治や官僚組織あるいは企業組織の中にも広がり、マスコミや知識人がこれを大衆の中にデカダンスをさらに煽るようになります。
政治に理念や理想がなくなり何でもありになります。その政治を支える官僚も何でもありになります。そこに忖度するマスコミなどの人々が何でもありとなります。理念や理想がないですからそれは荒廃であり退廃につながっていく。
時には平和を脅かす言動にもつながっていきます。排外主義というデカダンス。
残念なことですが、現在のコロナ騒動の中にも政治経済はアベノミクスと出口放棄の日銀緩和が続いて現れ、国民不在の政治と経済がコロナ対策にも現れてしまい、政治は官僚の人事権を奪って政治主導になったかと言えばそれは表面的であり、実は安倍内閣に乗っかった官僚の独裁が生まれて無能な政治を支配しはじめている。数の力を持つ政治が腐敗をしていますが力だけを持つのですから、コロナの専門家をはじめ専門家や知識人そしてマスコミが忖度を始める。
結果コロナ対策についても国民を納得させる政策にも示せず、責任を地方自治体と国民一人ひとりへの自己責任という無政府的な状態となっている。
政治や国家組織自体がデカダンス状態。
その国家組織に置かれている国民もお盆休みにしても東京から規制する人に露骨に帰れという人も現れ、逆にマスク拒否者やコロナなど怖くないとして観念的な自由(間違った反権威)を社会に広める人も現れる。
もちろん冷静な国民そして専門家や知識人が多いですし、まじめなマスコミや政治家官僚も多いでしょう。しかしここに組織性がなくなっている。
野党の仕事はこの組織性を作ることにある。
組織性は団結です。そして団結は思想(理念)です。

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池に浮かぶ月928【8月12日】

2020年08月12日 18時46分14秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は川上弘美さんの「東京日記」を読みました。
毎月1回ウェッブで読めますが、なんというのか、毎日殺伐とした中で脳味噌の使わない部分が目覚めるような気持ちよさを味わっています。
そういえば、今月もそろそろですね。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

2019年 8月12日(月)「川上弘美 東京日記:横ぎるタヌキ。」

川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。川上さんが住む東京は6月ごろは長い雨続きで日照時間は短くて気温が上がりませんでしたね。わが家の花たちもどんよりとしていました。池もど......

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