夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「5月 3日という日」

2024年05月03日 08時18分58秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
スーパーにたくさんの春キャベツが出ています。
朝のサラダに千切りした春キャベツを乗せますが、柔らかくてうまいですね。少し甘みもあるかな?
今夜は回鍋肉に春キャベツを使いました。さっと炒めて皿に移し、ねぎと豚バラ肉を炒めてクックドゥ。。。。。
春キャベツを戻して少し炒めたら出来上がり。
今年は5日が立夏ですね。
そろそろ枇杷が出はじめるかな?
いそがしさが落ち着いたら千葉にでも行ってこよう。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
一昨日から1泊で福島のほうの温泉にいってきました。
山の新緑がきれいで、桜も残っていました。田んぼには水が入っていました。
近いうちに「ぶらり旅」に書きますね。
帰りに道の駅によったのですが、そこにたくさんの山菜が売られていました。
東京では見ることもないいろいろな山菜が。「天ぷらセット」という山菜の詰め合わせと姫竹の子を買ってきました。
姫竹の子。。。。お袋が作る味噌炒めを思い出します。
さっそく今朝挑戦してみましたが、まずどこまで皮をむいたらよいものか?サルのラッキョ剥きという言葉がありますが、剥きはじめると実がなくなりそう。
一応出来上がりました。。。。。。
うう。。。ん、うまい。
娘が好物でして、あっという間になくなってしまいました。
もっと買ってくればよかった。

「俳諧大要」 正岡 子規  著
時々子規の「俳諧大要」をペラペラ開きながら読み、そのつど感想をブログ内に「俳句考」として書いてきました。
まとまらないし解釈が妥当かは自信がないので巣が、「感想」としてと同時に「俳句ってなんだろ?」と考えながらの感想です。
これまで書いてきた感想の転載ですから箇条書き風になっています。

俳句のことを考えながら正岡子規でもと本棚を探していたら、「俳諧大要」という本が目についた。
もう15年以上昔に読んだ本です。
俳句とは?といったものを初心者に解説した本であり、同時に過去の俳句を紹介をして子規の味わい方のようなものの解説があります。
近代の俳句も子規から始まるとはいえ、子規亡き後は弟子たちの間にもいろいろな考え方も出て来て、今はさまざまな枝葉のような発展があるのだろうと思いますが、子規がどのように書いているかをあらためて読むのもおもしろいと思います。
俳句を文学(詩)に高めるための力強い文体に圧倒されます。
今読んでいる本に平行しながらぺらっと読み返したいと思います。

芭蕉の「古池や。。。。」の句を静寂とか解釈すが、芭蕉はただ、かえるが池にボチャンと飛び込んだというのを詠んだのだと。
漱石と子規とのあいだに、俳句はスケッチだという言葉がたしか出ていたと思うのですが、その自然などを見つめる目が大切ということだろうか?
「俳諧大要」は、初心者に向けて書かれていますが、初心者はまずこのスケッチをたくさんしろということかもしれない。
俳句には17文字とか季語を入れるとかいくつかの決まりがあるわけですが、子規は初心者に対してすごく寛大であり、字数。。。。18文字でもいいんじゃない。「雑」季語が要れられないならそれも。。。とか、まずは見つめる目を養うということを教えているのかもしれません。
かえって俳句のお師匠さんを気取る方への批判も。
決まりごとに縛られるより自由に目を肥やす。それがだんだんと決まりごとを守れるような俳句に進歩していきますよ♪。。。そんな子規の笑顔が見えるような著書です。
オリジナリティーな自由な心の中から出てくる言葉。。。。

東京は天気がはっきりせず薄ら寒さも感じます。
5月や10月、一年間のあいだに過ごしやすい季節というのは2ヶ月ほどかもしれません。まぁ、夏は好きですが。。。。
でも、過ごしやすいというのは人間から感じる自然です。もしかしたら人間だけではなくてすべての生物にもいえるのかもしれません。自然は、生物に対して厳しさを持つというのが基本かもしれません。生物は自然に順応することで生き延びている。
そうならば、一生物である僕も順応するしかない。もちろん順応しているから生きているわけですが、気持ちの中にある「嫌な季節・天気」というものにも心として順応しなくてはいけないのかなということです。
まぁ、嫌なものは嫌なのですが、自然を見つめる事でどうにか順応できるのではないかと思います。幸いに日本にはきれいな自然の移りゆきがありますし、それを心で感じ取ろうとする俳句というものがある。ううう。。。。ん、俳句かぁ・・・・

前回の俳句考1では、俳句はスケッチのようにそのままを詠むということかと書きましたが、俳句はこのように四季の自然を用いる事が基本で、その意味においてのスケッチといえるかもしれない。
しかし子規は、俳句に表現されるものは自然の景物に限るものではないと。「季以外の雑財」を取り入れて読むべきだと。そしてこの両者が並ぶ事により句の狭さがなくなると。
では、この「雑題」が何かを考えると、四季の自然以外ということから人の営みということだろう。それは農耕をはじめに四季折々の習慣などかもしれない。
自然に対する人間(人工)は、なんとなく見方によっては対立的にも見ることができるが、子規はこの両方がないと駄目だと。それは言うに及ばず人の感情が入るということではないか?
この意味においての人間の姿のスケッチでもあるということではないか?
ここに俳句の複雑さと面白みがあるのだろう。
子規は、このような意味での俳句を(人間の感情が入るにしても?)難しく詠めば高尚な句であると勘違いをしてはならないといっているようである。そうではなく「平凡なる句はなかなかに貴し」という。
その意味では
朝顔に釣瓶取られてもらひ水
という有名な句は、スケッチ的でありわかりやすく平凡さもある。
しかし子規は書く
「このもらひ水といふ趣向俗極まりて蛇足なり」と。。。。。
人の行いが現れているし、朝顔という自然の貴さも出ているが、これは俳句とは呼べないとも。厳しいですなぁ。。。。
もっと自然な形の中に心を表せということでしょうか?。。。。うううう
難しいですなぁ。。。。

第6章では、就学第二期に入ります。
「利根のある学生俳句をものすること5千首」
このぐらい詠めれば第二期に入れと。
利根。。。賢く機転が利くというような意味だそうです。「学生」については先のほうにも出てきましたが難しいです。
普通の人でも少しは学問のある者でも1万首詠めば第二期に入ってもよいだろうと。
この少しは学問がある者というのが難しいですなぁ。
明治の時代のインテリは、漢文や古事に詳しくといった教養を連想しますし、さらさらと毛筆で達筆な手紙をきちんと書けるとか。俳句にもこのような教養が出てくるようです。現代でも俳句の世界ではこの教養のあるないに俳句の深みが決まってくるのでしょうか?
仮にこれを伝統的な俳句とするならば、現代的インテリジェンスや教養、あるいは現代人の持つ機転のある頭のやわらかさから来る俳句もあるはずですね。季語も変化してきているようです。明治の子規の句も現代俳句、今の俳人の句も現代俳句なのでしょう。。。。
まぁ、どちらにしてもよりすぐれた頭脳や少しは学問のある普通の人でもない僕としてはたじろぎますなぁ。。。。
しかし、ここで書いている子規の言葉は、最後の第三期に上り詰める志、プロとはいわないまでも俳句雑誌などで名が通るような、俳人になることを目的にしているのかもしれません。これに対して学問はないが少しでも俳句を楽しみたいといういわば素人がいてもいいわけです。「俳諧大要」で言えば修学第1期にとどまる素人が大勢いることもまた俳句の世界を広げるわけです。でも、ただの大衆受けをするようなだけの俳句の世界ができてもとは思うが。。。
うん。。。1匹狼の自己満足?
こういう俳句もあっていいのかも(笑)
でも、学問はないから大層なことは書けないが、それでも正直に素直に書くこと。俳句でも読書感想文でも。

新聞の俳句欄を時々開いて入選した句を読ませてもらいます。
しかし、その句がどのような意味を持つのかがよくわからない。難しい漢字は読めないしその意味となるとなおわからん。
子規は書きます。
「天然を研究して深きものが熟慮したる句を示すとも、諸学の人はその句の美を感ぜざるべし。けだし彼は天然の上にかかる美の分子あることを知らざればなり。」
(66ページ)
優れた句を読み、その表現される世界を感じ取れないという事は、結局は優れた句は素人には作れないという事なのかもしれない。
子規は例句をあげながらその句は何を歌っているのかを書いている。たしかに子規の書く解釈を読むとその句の意味することがよくわかる。
たくさんの句を詠む事、読む事は、一緒だという事でしょうね。それには、さまざまな事物に心向けて勉強しなければならないということでしょうし、感じ取る心が必要なのでしょうね。
たった17文字ですが、それを文学に高めようとした子規ですが、初心者には優しさがありますが、17文字とはいえ奥深いものだぞと教えているのでしょうね。
でも、俳句の中の言葉は、その時代により現代人では理解できない時代性がある。現代人からすれば明治も遠い時代です。それ以上に明治の前ははるか遠くに過ぎた時代。現代語にも今の時代としての心に響く言葉があるはず。でも、子規の時代から離れた奇抜さだけの句は。。。。
今の時代の言葉で花鳥風月を。。。。それには、決まりという制約を受けながらもそこに真の自由のおもしろさがあるのかもしれない。

「俳諧大要」読了。
その他のものは後日時間があったら読み返したいと思います。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
僕が僕らしく生きて
君も君らしく生きて
気付いたらふふっ・・・・て
同じだったらいいね
君が自分らしく生きて
僕が自分らしく生きて
気付いたらアハハハっ・・・て
一緒だったらいいね
全部同じじゃなくて
ふふって。。。。
同じことを今考えていたって。。。。
そうすれば幸せじゃないかな
悲しみも一緒になれるよ

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
憲法記念日です。
朝日新聞は1面から1票の格差を取り上げて「憲法記念日に問う」とする。なぜ1票の格差なのか。たしかに民主主義を考えれば大きな問題なのかもしれないが。しかし、今は改憲が叫ばれている時代である。
今の改憲の動きに対しての憲法の議論では、12面の「日本国憲法 今も最先端」はよかったと思う。
今はアメリカの憲法も「今から憲法を創設するとき、私なら米国の憲法は参考にしない」と最高裁判所の判事が。
9条に近い憲法は結構例があるそうで、人権関連19項目はすべて満たす憲法だという。そしてこの憲法が改正もされない最高齢だという。この改正されなかったのは、国民の自主的な支持が強固だったからで、この意味では「押し付け憲法」という改憲理由は弱いともされる。日本の国民が守り続けた憲法であるならば、それはすでに日本国民の総意で守られる憲法になっているということでしょう。
しかし立派な先進的な憲法があるにもかかわらず、その憲法が生かされない現実があるということでしょう。女性の権利は憲法で65年前から保障されているが、実際の社会新s筒の実態となると他の国々に比べると鈍いと。
政治的には何も革新系が守ったということだけを強調するつもりはない。保守も経済成長の中で変化をしただろうし、憲法に保障された社会だからこそ経済発展もあったと考える人たちもいることでしょう。
しかし現在は経済も後退を続けて国民生活を犠牲にしなければ企業を守れない状況になっている。世界的な右傾化も言われてそこに日本も例外とはなりえない情勢である。これは民主主義などとは言っていられないというような変な現実論が出たり、国民意識を変えようとする精神論(国を愛せよなど)はやってくる。現実社会に憲法を変えて合わせるという論理が出てくる。しかし現実のシステムに誤りがあるならばそれに合わせる改憲も誤りを招くだろう。今の社会システムに誤りがあるということから出発をするならば、憲法に対してはその理念に近づけるように憲法自体を活かすことが求められてくる。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
まずはツイッタから
今の内政や外交の中身そして経済の統制的な動き。。。。これが改憲後の社会を先取りしているのではないか。
国家主義ではなくて国民が主体になれるような仕組み。。。これまでの自民党政治においての、そして民主党の自民党化においてのこの不足をさらに補っていくのが歴史的な戦後レジームからの脱却でしょう。
憲法記念日にあたって、戦後の自民党政治は一応戦前を否定した戦前レジームからの脱却だったことをまずは確認して、その戦後の自民党政治の歴史的逆流を含めた国民生活の低下に対する真の国民のための戦後レジームからの脱却を考えないといけませんなぁ。

先日も「否定の否定」でも書きましたが、本来は日本の発展性においての戦後レジームからの脱却とは自民党政治の終焉でなければならないわけです。しかし今の自民党は変わったといわれています。だから旧自民党政治は終わったのだと。小泉元首相も言っていましたね。自民党をぶっ壊すと。しかし結局は古い自民党の代わりに出来上がった自民党は明文改憲の政党でした。
しかし明文改憲にはまだいくつかのハードルがありますから、安倍路線を今すぐ実行するには解釈改憲が必要になります。既成事実として今の憲法下において改憲後の政治体制を築くことが解釈改憲でしょう。ですから「今の内政や外交の中身そして経済の統制的な動き。。。。これが改憲後の社会を先取りしているのではないか。」ということになります。
解釈改憲といえば集団的自衛権が大きく取り上げられていますが、要点はこの集団的自衛権だけではなくて今の社会の流れ全体で何が起きているかなのです。秘密保護法では言論の自由などが問題になりましたが、やはりこの法律自体が解釈改憲だったわけです。これと同じことが教育などさまざまなところで出ているのではないでしょうか。経済は成長路線で人為的な物価高を引き起こそうとして消費増税での物価高を市場原理を否定しながら価格転嫁を行わせる。これは自由主義経済から逸脱したひとつの統制経済でしょう。これもまたある意味解釈改憲の中身です。
外交は安保を日本側が利用して日本側の論理で集団的自衛権を行う。ここにアメリカとのすれ違いも出る。もちろん中国や韓国との摩擦を安保・集団的自衛権に組み込む。
解釈改憲はもう始まっていると見たほうがよいでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
刺身用のびんちょう鮪のブロックを1,5cmほどぐらいに切り塩コショウをして白ワインで…と書きたいのですが今夜は日本酒を振って30分ほど寝かしておきます。
フライパンにオリーブオイルを入れて水菜を塩コショウでいためさらに敷き詰めておきます。
フライパンにオリーブお入れを入れて、ベーコンとエリンギの短冊切りを塩コショウで炒めます。エリンギがしんなりしたらびんちょう鮪を入れてレア状態まで火を通します。そこに水・ブイヨンの素・ケチャップ・飲むヨーグルト・クリームチーズ・砂糖(飲むヨーグルトの甘さによって調節)を入れてさっと煮立ったら出来上がりです。これを先ほどの水菜の上に乗せます。ソースで水菜もうまいです。

ツイッターからの転載です。
最近、世論調査での改憲反対意見が増えているようですが、一時中国や北朝鮮危機の報道も多く安保法案もすんなり通り改憲意見も増えたように思いますが、しかしこの間の国会討論やマスコミの控えめな報道からでも憲法を変えてしまったらどうなるのかという不安が大きくなっているのではないでしょうか。
このような軍事的危機が改憲の目的というようにとらわれ始めているのでは?また民主主義が今の日本ではどうなっているのか、それと改憲がどう結びつくのかといった不安も増大しているのではないでしょうか。
改憲を軸とした政治の方向性という社会の上部構造の変化は、経済という得に国民生活に現れる経済という下部構造の変化にもつながっている。下部構造の変化が上部構造を規定しますから、下部構造である経済的な格差拡大は政治の上部構造においても格差拡大として現れるのです。
経済的矛盾に気が付き始めると、改憲を中心とした政治の世界にも矛盾が出ることに気が付き始めます。今のような生活が国や社会構造の中で容認されるのか?国や社会構造は法治国家ですから法に現れます。その方の頂点が憲法であり、憲法が変わればすべての方も代っていく。国民の疲弊化
これまでの安倍政権が示していた「美しい国」「強い日本」そして現在のアベノミクスという「経済の強靭化」と、国民が考える美しい国や強い国や経済の安定というものとが乖離してそれが目に見えて大きくなっているのではないでしょうか。
国民が描く社会は、平和と民主主義・自由そして生活の安定と贅沢は言わないが生活を楽しむことです。平和・民主主義・自由・生活の安定は、すべて相互に関連した事柄なのです。どれ一つが狂っててくるとすべてが悪い方へ狂っていきますし逆に一つでも発展すれば良い方向にも向いていく
肌で感じる漠然とした不安でしょう。まだ。。。。肌で感じるとは経済問題での国民の扱われ方と、災害や原発事故に見る国民の扱われ方などでしょう。生活全般をさらに見直していかねばなりません。
昨夜テレビで「しくじり先生」(だったかな?)という番組を家族と一緒に見ていたらマルクスが出てきた。資本論を2行で言いあらわすと「金持ちと貧乏の格差」といったように表現していた。ある意味正しいのですが、ある意味間違いです。
資本論は、格差という言葉を使うなら、その格差がどう表れているのかというだけではなくて、その格差がどのように作られるのかという資本主義の分析と理論化です。科学的経済理論において格差の必然性を書いている。
しかし資本論は貧乏人がさらに貧乏になっていくことだけを理論化しているのではない。日本においては賃上げ反合理化の闘いとして改良闘争を行った。改良闘争は資本主義を延命させる面もあるが、同時に労働者を強くしていく作用があった。その中で資本論は労働者の中で血肉となる。
「改良闘争は資本主義を延命させる面もあるが、同時に労働者を強くしていく作用」これが社会民主主義という改良です。
資本主義経済をより高度化すると同時に、労働者が主体となって資本主義経済を維持管理していく。この中で格差は是正をされるでしょう。資本主義であっても。また、社会民主主義のこの作用が資本主義的競争に打ち勝つようにするでしょう。より発展した資本主義国が世界経済をけん引する
昔優秀な経営者は一度は資本論をかじったことがあるといわれていた。日本経済は世界に類を見ない日本型の資本主義をつくった。その一つが年功序列型賃金でした。ただ全体的な平均として世界的には低賃金でしたが。公的年金制度を作り公的健康保険を作り企業負担を行った。
もちろんこれは自民党政権が作り上げたものではなくて、社会党という社会民主主義(綱領的には社会主義)政党が改良として総評や女性団体、市民団体として要求してきたものです。賃上げ反合理化闘争や様々なかいりょにおいて総評は強くなっていきました。女性解放や市民の力も。
マルクスの資本論は結論としてはこのことを書いているのです。社会党という日本型社会主義でした。そして議会制民主主義の擁護からの労働者が主体となる社会でした。平和・議会制民主主義の擁護も改良としての作用もありました。それが強く表れたのが土井社会党と後の社民党でしょう。
議会制民主主義の擁護が日本の発展のためには不可欠です。

【2017年】ツイッターつぶやき
9条があるから平和がある。
しかし最近ではこの言葉を歪曲して、敵が攻めてきたら日本には9条があるから日本を守れるとして、それでは守れないなどと9条と平和主義を批判する。日本には9条がるぞと見せれば、それで日本を守れるのかと9条と平和主義を批判する。
そもそも「敵が攻めてきたら」という仮定で話を進める。ここから歪曲がはじまる。
9条があるから平和が守れるというのは、9条を神棚に祭っているからではない。
9条に沿って自衛多自衛隊も最低限の自衛の組織として国際的な紛争を話し合い解決として解決するすることを積極的に国際社会に訴えることに9条の平和主義が平和を守ることにつながる。ましてや日本自身が攻撃をして侵略することは全面否定をされる。
これらの行動自体が9条に沿ったものとなることから、9条が理念的柱として平和を守るのである。
敵が攻めてきたら9条があるからといって守れないという歪曲が政治的な常識とされると、9条のタガが外れて、最近のように先制攻撃論まで飛び出すこととなる。日米安保が集団的自衛権となり、アメリカの軍事行動を「守る」ことが許されるとしてその中に戦闘に参加することが正当化される。また北朝鮮のミサイル危機が言われているが、これまで北朝鮮の核・ミサイル実験には今のような危機を政府は訴えたことがなかったでしょう。しかし今は安保集団的自衛権の中で、アメリカによる北朝鮮攻撃あるいは総書記の暗殺まで言われるようになると、日本国内の米軍基地への攻撃が現実味を帯びる。これにより急に日本の危機が言われるようになったのです。
このアメリカに追従する安保・集団的自衛権という「敵が攻めてきたら9条があるから平和が守れることにはならない」という論理が自ら作り上げた危機を一般化させて煽られることになる。
この戦争ができる国には現在の憲法が邪魔になる。
この中にかいけんが言われる。
戦争には国民を総動員しなければならないというのが日本独特な論理である。
この総動員には自由や民主主義そして言論の規制を必要とするようになる。改憲はここにまで言及されていくでしょう。
しかし改憲だけでは人の心までは変えられない。
大人社会においてはヘイト的なポピュリズムまでが飛び出し、排外主義や日本の優位性が強調されはじめる。子供には最近教育勅語の問題が出ていたが、教育によってこれが作られる。
経済は国による公助の軽視から自助の社会に向かう。経済的にも国民は総動員されていく。
国は国家主義として生き残りを見出そうとする。
しかしアメリカの保護主義が失敗の様相を示しているのと同じように、国家主義も日本社会を閉塞的にしていくことから経済を土台にして社会全体が衰退していくでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
今日は憲法記念日。
戦争で平和を作り上げるというこの矛盾。その矛盾を隠すために、聖戦とか正義の戦争という枕言葉をつける。戦争に正義を結びつける方法の一つが、敵をつくって危機を作り上げることですね。この敵をつくらないことが平和主義です。平和主義が歪むと今の社会のようになってしまいます。
平和主義の大切さと同時に、憲法を活かすことの大切さを思いつつ、毎年土井たか子さんを思い出します。
平和主義は憲法を活かすことです。
憲法をないがしろにした既成事実をつくることが改憲です。

【2019年】ツイッターつぶやき
5月3日の朝日新聞朝刊によると、これからの日朝会談では「条件をつけず」まず首脳会談を行える体制を作るらしい。その柱は小泉内閣時の日朝平壌宣言である。
安倍政権は拉致問題解決を第一に据えてきた。しかし現実は北朝鮮に対してはトランプさんを介してまな板の上に乗せてきただけだった。日本独自に日朝会談を行う環境づくりはできなかった。これは安倍政権の基本的な戦略に問題があったでしょう。その戦略の柱は「積極的平和主義」にある。非核化は日米同盟の軍事的同盟関係を作り上げながらアメリカによる対北朝鮮への武力解決を暗黙の裡に認め、その過程において拉致問題の解決も実現するというものである。先日の日米首脳会談でどのような話し合いになったか?アメリカ側からの際限のない経済問題への譲歩の働きかけとアメリカへの投資。それでも安倍総理はアメリカの言いなりになりながら拉致問題を同盟関係として解決することを建前上は捨てられないが、現実はアメリカもそうは簡単に武力での解決はできなくなっている。
先日の日ロ首脳会談では、北方領土解決の道筋はまたも見えずに、対北朝鮮ではプーチンさんは6か国協議をやろうと言っていた。アメリカは不十分ながら米朝会談を継続している。北朝鮮の金委員長は初めてロシアとの首脳会談を行えた。韓国と中国は強い関係づくりに入っている。こう見ると北朝鮮と首脳会談を行えないのは六か国注日本だけとなる。
このような中で日本も早急に日朝会談の開催が必要となっているのでしょう。
しかし北朝鮮は日朝会談開催の具体的な意思は示していない。その上小泉内閣時の拉致被害者の一時帰国が「人権」という理由で返さなくなったという経過もある。
日朝会談は暗礁に。
日米関係はカネまみれ。
日中関係は日本の政治経済の乖離による玉虫色の中途半端さ。
日韓問題は慰安婦や徴用工問題で最悪に。
日ロ関係は北方領土どころか下手をすればカネまみれに。
そしていまだに改憲を強く言っている日本はどう映るのだろうか?
内政は天皇の大尉と即位そしてさらに「ニッポンすごい」という精神論に。
下手をすれば安倍政権は蚊帳の外。

カネによる外交と精神論的内政。
ここに日本の危うさがる。
改憲は精神論的にそして感情的に進められる。
憲法記念日にもう一度この日本の危うさを見つめるべきでしょう。
(ツイッターより)

【2020年】ツイッターつぶやき
憲法を守りましょう。そして活かしましょう。
安倍内閣はコロナウィルス対策に関連して改憲による緊急事態条項を訴え始めている。
国や東京都をはじめとした自治体の呼びかけに国民は皆我慢をしながら耐えている。諸外国に比べて休業補償の脆弱さそして国民への生活資金の配布も貧弱で、しかもまるでスピード感がない。その上麻生大臣の「手をあげた人」に上げますよというプレッシャーを国民にかけている。その中でも国民は踏ん張っているのですが、パチンコ屋さんの一部営業を取り上げたり、サーフィンに行っている打の釣りに行っているなどとほんのわずかな部分を取り上げて外出自粛を行っていないことを誇張する。その中で緊急事態条項が必要だろうというまさには地場泥棒的な手法で国民をだまそうとしている。
日本のコロナウィルスの終息にはそうとな時間(1年という説も)がかかることを政府は認めざるを得なくなっているが、これはこれまでの対策に誤りがあったことを示している。
政府自らの過ちを憲法が悪いからだという詭弁であるように受け止められる。
しかし安倍内閣を見れば、改憲が必要どころか、民主主義や自由を蔑ろにして現憲法をなし崩し的に否定をしている。
去年一年間の安倍内閣を見てそれを見本にしてその現実に合わせた改憲が必要だろうか?
この一年の政治の仕組みや腐敗を当たり前のものとするのが改憲でしょう。
現憲法ではコロナ対策で動けないとするサボタージュでしかないなら、現憲法に従い活かせないのですから政権から降りるべきで、政権から降りて憲法改正を言うべきですね。
現憲法で5月も緊急事態宣言が延長に。また動けないで終わるでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
1都3府県の緊急事態宣言は予定としては11日に解除です。
予定どおり解除はできるのでしょうか?
大阪の新規感染者数の増加割合は落ち着いてきましたし、東京も大阪のように第三波を上回るような急激な感染拡大は起きていません。
しかし現在連休中ですから検査数の減少により新規感染者数も人為的に抑えられている。
連休というのは多くの労働者が仕事を休み人の移動が抑えられのですから新規感染者数も減る傾向があるでしょう。しかし連休の規制や旅行や娯楽など人出もまた作られますから新規感染者数の減少は相殺される傾向があります。すると、この連休中の感染拡大の実態は連休が終わる来週から23日の週に数字として現れるでしょう。
政府は連休中の数字だけを見て解除するならば大きな間違いを犯すことになるでしょう。
ですからどう見ても11日解除というのはあり得ないはずです。そもそも11日に解除という「予定」を組むこと自体が異常だったのです。
北海道など他の道府県ではまん延防止の発令を要請する動きも出ています。全国的には新規感染者数の増加や医療の逼迫が問題となっている最中です。ここからも緊急事態宣言を解除するわけにはいかないはずです。解除して1都3府県もまん延防止にするのでしょうか。
第五の波は必然ですね。

【2022年】ツイッターつぶやき
ウクライナ情勢によって改憲の動きもさらに急になってきました。
敵が攻めてきたら。。。。。。
こう問われれば軍備増強と今では敵基地攻撃まで言われるようになる。
それには憲法9条が邪魔になり、緊急事態条項が必要になる。
敵が攻めてきたら9条が役に立つのかという論理も出ている。
しかし9条をはじめとした平和主義というのは、敵が攻めてきたらという仮定を否定して、軍事的な敵をつくらず攻めてこないようにそして攻めないように外交の力を強化することにある。
平和主義は空想的なのか?
現実としての事実は、戦後70年以上どこの国も攻めてこなかったし、後方支援はあった者の他国で軍事行動をしなかった。こう見れば平和主義は現実なものだったのであり、敵が攻めてきたらというのが非現実的だったのです。
敵が攻めてこなかったのは自衛隊がありアメリカとの安保があったからだという意見もあるが、自衛隊ができてしまった現実はあっても専守防衛であり、アメリカとの軍事同盟化をしなかった。これがギリギリに平和主義を守ってきた事実です。ですから平和が守られた。逆にアメリカの軍隊が駐留することにより、他国からすれば仮想敵国になってしまい危険性を持っていたのです。

【2023年】ツイッターつぶやき
憲法記念日です。
護憲派の集会がありましたが、政府は改憲を加速しようとしています。
軍事面では、自民党は解釈改憲自衛他の海外派遣を含めて憲法を形骸化してきました。
しかし、現在は敵基地攻撃能力と先制攻撃まで言及し、日米安保は安倍政権で軍事同盟化しました。これはこれまでの解釈改憲ではどうしても説明ができないものです。すでに改憲を前提に既成事実を作り上げていってます。憲法は無視をされています。

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