【2023年】ツイッターつぶやき
終末週末円高になりました。
どうもアメリカの金利下げがあるということからの円高だったのか?
しかし147円前半から、また148円前半に円安となりました。
アメリカの株価は上昇。日本の株価は上昇していましたが今は横ばい。
アメリカの金利下げが本格的になればある程度円高は進むでしょうか、以前のように80円台に戻ることはあるのでしょうか。アメリカの金利と同時に日本経済が立ち直らなければ円買いも進まないでしょう。
金融資本主義ですが、基本は物やサービスを作り出す経済ですからなぁ。。。。
≪過去の記事≫
【2003年】
晴れ。うれしいです。
洗濯物も日差しの中に揺れてうれしそう。。。。
昨夜はすごい風でした。やはり台風の影響でしょうか?娘が怖かったのかなかなか寝付けなかったようです。
僕は大きないびき・・・・(笑)
まだ海は荒れているようですね。
紅葉狩りと思っていましたが、つい時期を失ってしまったようです。
そういえば、都心に四谷というところがあるのですが、その駅前に教会があり、クリスマスイブに行くと暖かい光に包まれています。通りには銀杏並木があり、落ち葉を踏んでぶらぶらするとロマンチックです。
晩秋。。。。楽しまないとね。
そして冬は・・・・じっと我慢です(笑)
【2004年】
車で買い物に行きました。帰り道、4時少し前になったばかりだというのに西日がまぶしかったです。5時というともう真っ暗です。ほんと今の季節はいやだ。。。。
12月というとクリスマスが楽しみですが、25日といえば冬至が過ぎたあと。一番くらい季節が終わり少しづつ日が伸びてくる楽しみも出てきます。キリストの復活というのもあるそうですが、やはりこの冬至を過ぎて太陽が復活していくというものとの関連もあるのかもしれません。
一番暗いこの季節、街を色とりどりに飾るのもこの冬至が過ぎ去るまでを幾分かでも楽しもうという意味もあるのかもしれません。
キリスト教には関係のない僕でも、上のような意味ではクリスマスを迎える楽しさが増します。
正月は、本来旧暦で、春の気配を感じながら新たな命のめぐみを期待するものでしょう。しかし今は、やはり冬至が過ぎて太陽の復活という陽暦にちなんだものになりつつあるのかもしれません。
こんなことを考えながら早く冬至が過ぎないかなぁとお持っています。
あわただしいし金もかかるけどね。。。。(笑)
「肩ごしの恋人」 唯川 恵 著
るり子は思う。
六本木や西麻布には足が向くが、新宿は苦手だと。なぜなら新宿は本音の街だから。自分というものをさらけ出さないとだめな街だから。
六本木などでは、女がちやほやされる。男に自分の魅力を見せ付ければ楽しい街である。しかし新宿は違う。新宿2丁目では男は振り向きもしない。ここでは男同士のゲイの街であり、女はただのひとりの人間としか見てもらえない。
るり子は、恋に結婚に生き、男は自分を幸せにすべき存在。それだけの美貌を持つ。萌は、素敵な女性ではあるが男に対して信用をもてない。結婚をはじめから望まないわけではないが、男との仲が結婚にまで進みそうになると引いてしまう。このようにお互いに性格のまったく違う二人の女だが、どこかお互いに寄り添うように生きてきた。
萌は、妻子ある男との微妙な関係の中にいる。るり子は、2度の離婚で慰謝料をふんだくりながらもまた3度目の離婚の危機にある。危なっかしい二人である。
そんな二人の中にかわいい男の子とも言うべき家出をした15歳の男が来る。別居を始めたるり子とこの高校生崇は萌の住まいに転がり込んだ。「修学旅行のように楽しい」生活がはじまり、この3人が新宿2丁目の世界に入っていき、本音の人間、女はただの一人の人間でしかないという世界に触れる。文ちゃんとリョウという二人のゲイと知り合う。
萌は、退職をして職を探す。離婚を決意したるり子も職を探すしかなくなる。同じ部屋に住む二人の女はお互いと支えながらその女の友情深めていく。
また大人の二人の女が少年を世話していると思い込んでいたが、崇はその純粋さを二人の女に見せつける。そこに少年から大人の男に変化する崇を見る。
るり子はゲイのリョウに好きだと告白をする。女を愛せないリョウという男に。。。。そしてつぶやく「好きだからそれでいい」
燃えとるり子と崇の「修学旅行のように楽しい」生活。ここに「好きだから一緒に生活をしているというものがある。萌とるり子の生活も女の友情という反感を持ちながらも好きだという自覚にある。もちろんるり子のリョウへの思いも。
人は家族関係の中に生活しているが、「好きだから」という基本を常に確認せねばならないのではないかと思う。基本は家族関係である。しかしこの作品は、この家族関係から離れた人同士の「好きだから」を純粋に表現しているのかもしれない。
燃えとるり子の新たな生活がはじまろうとしている。その生活がどのようなものかは読んでいただきたい。しかしこの二人が幸せになれるかは未知数である。
唯川さんは「あとがき」に「あっけらかんとしたもの」を書きたかったと書いているが、まさに読み終わったあとはなんともいえぬあっけらかんとした明るさのある作品である。
この文庫版での解説を江國香織さんが書いている。解説を書くにはある意味では最もふさわしいのではないか。
この「肩ごしの恋人」は、江國さんの「ホリーガーデン」でかかれた二人の女性の友人関係と、「きらきらひかる」で見せた青年の純粋さとゲイの男との関係の中から「好きだから一緒にいたい」という暖かさをひとつの作品にまとめたような気がするからである。
唯川さん、江國さんという二人の直木賞作家による表現の違いもおもしろいかもしれない。
【2005年】
朝のうち日が出ていたので布団を干したのですが、すぐに薄日となってしまい布団は退場。。。
今日からスポーツジムに行きはじめました。
まずは初日ですから面接があり、これからのメニューが決められました。
「こちらいらした目的は?」
「中性脂肪を減らしたくて。。。。」
「そうですかぁ。。。。」
「はい」
「あとは?」
「ぎっくり腰の予防です」
「そうですかぁ。。。」
「はい」
メモをのぞいたら「体力アップ」
「・・・・?」
「とりあえずは有酸素運動を中心にやって行きましょう」
「はい」
てなぐあいで初日が始まりました。
面接では体脂肪率や筋肉量、水分量などが測定できる機械もやり、こちらは理想的なものでした。えっへん!体脂肪率17%
はじめはウォーキングマシーンをやり、こちらは気持ちよく汗を流せました。次は腰痛関係で専門のトレーナーに診てもらいました。
「体がゆがんでますねぇ。。。」「足の長さが左右でちがってしまっている」
「はぁ。。。。」
ストレッチでめでたく左右の足の長さが同じになりました。
「それでは次に様々なマシーンの使い方をご説明します」
「はい」
「それでは一つひとつのマシーンを10回づつやってみましょう」
「はい。。。」
すべて重さ設定は30キログラム。
(箸より重いものは持ったことがないのに。。。(笑))
一通りやったらぐったりしてしまった。さすがに重量挙げはやらされなかったけど。。。
「それでは最後に自転車漕ぎを。。。。」
「はい。。。」
みっちり2時間コースでしたぁ。。。。
色男金と力はなかりけり。。。足腰が立たんっ!。。。ううう・・・・
【2006年】
12月ですなァ。。。。。
年の暮れと言えば、この時期に庶民の意識が経済に反映します。企業はボーナスを当てにしたクリスマス商戦を繰り広げます。この意味において12月という年の暮れは、日本の経済状況を反映します。
イザナギ景気を超えた景気。。。しかし企業は自信をもてないでしょう。国も自信をもてないでしょう。個人消費という幽霊に悩まされるでしょう。長期的な景気の上昇に期待をもてない。。。ここで、個人消費の伸び悩みを問題とする。しかし庶民は無い袖は振れない。
12月2日の朝日新聞朝刊1面を見て今後の経済状況が分かる。
「5000億円規模の企業減税が想定されている。その財源は、07年からの所得税の定率減税の全廃(約1.2兆円の増税)で賄われることになる。」
「『法人実効税率の10%程度の引き下げ』をすれば、4兆円規模の減税になる。その財源を他の税源で賄うとすると、消費税(現行5%)なら2%幅の引き上げが必要になる。」
「リストラ景気回復」が継続するのである。すなわち庶民生活を犠牲にした大企業優先の景気状況の継続である。
これは、国や大企業があえて毒饅頭を食うに等しい。
個人消費の伸び悩みを問題にしながら、景気の継続にはこの個人消費を抑えることしか出来ないのだから。競争はこの毒饅頭を企業が食わざるを得ない状況を作り出す。毒饅頭だから、一時は腹は膨れるが後に矛盾は噴出すだろう。更なる個人消費の落ち込みであり、好景気とされる中でのデフレ脱却は遠のく。
仮に大企業を優遇するにしても、その大企業が何をしてくれるのか?
派遣社員やバイト・パートの正社員化は進まないようである。。。
こう見ると、名目上の景気回復では国民生活の向上は当分の間望めない。
【2007年】
日記を少しサボっている間に12月に入ってしまいました。サボっていたというより、少し忙しくて夕食後は眠くて動けませんでした。
東京は、今が一番紅葉がきれいかな。。。。
公園は鮮やかな秋の色!
ぼうっと立ち止まって眺めてしまいました。夜の公園。。。街灯にライトアップされた紅葉。。。。きれいです。
イチョウの葉もだいぶ黄葉してきました。
イチョウが散りはじめて僕の日記も冬です。クリスマス・冬至の頃。
冬至を過ぎて寒さは厳しいけど、これから日が延びるといううれしさ。冬の嫌いな僕としてはこのうれしさが支えです(笑)
今夜は豚肉と厚揚げの味噌炒めと刺身。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
12月に入りました
毎年この時期になると
アマリリスの葉などが枯れるのですが
今年はまだ青々しています
東京の気温は20度とか。。。。
温かい日差しが気持ちがいいです
予報は午後から夕方に雨?
胡蝶蘭の花の茎がだいぶ伸びました
デンドロビュームも分厚い葉っぱの花の茎も
シクラメンはまだ芽がでません
部屋に入れたほうがよいのか。。。。。。
春一番に咲く花々。。。。
楽しみです
【2011年】ツイッターつぶやき
11月29日に『《第95回紀伊國屋サザンセミナー》 文芸誌「モンキービジネス」最終号刊行イベント 「猿の一休み」』というイベントに行ってきました。
「モンキービジネス」という季刊誌は読んだことがなかったのですが、この季刊誌が15号をもって休刊するということでのイベントでした。川上さんは創刊からずっと短編を連載されておりこのイベントにも参加をするというので喜び勇んで新宿まで行ってきました。
新宿の紀伊国屋と言えば「あの」通いなれた紀伊国屋と思い出かけたのですが、7階にそのような会場がない。。。。店員の方に訊いたら代々木駅近くの紀伊国屋だと。新しくできたのですね。。。。急いで約一駅歩いていきました。どうにか間に合ったので入口で一服して当日券で入りました。入ってみると本が並んでおり川上さんの「神様」のサイン入りの本が!最後の1冊。手に取ろうとしたら若い男がさっととってしまった。入り口でのんびりと煙草など吸わなければよかった。
当日券でしたが端っこの方の前の席が空いていてラッキーでした。川上さんのお顔をよく見ることができました。
お話の中に川上さんが「空気を読まない」で書くようにしているというようなお話がありました。作家の作品というものを通して作家と読者が理解しあえるという事はない。15人ほどの人しか理解できなくてもいいのではないかと。
これは作家が読者を引き離すような言葉ではなくて、書いた人間と読んだ人間との距離は埋めることができないということでしょう。これは作家と読者とはその生活の場やこれまでの人生が違うわけでして書いた方の思いを作品という形にするのですが、その作品は本になってしまえば読者のもので読者の人生観などで読むわけです。ですから作者の思いがそのままに伝わるということはないのです。しかしこの伝わらない中に作者と読者が切り離されるかと言えばそうではなくて、やはり作品というものを通じてのつながりはあるわけです。その中に読者は間違った読み方をしてしまうというものはほとんどなくなります。「感想」なのです。そのつながりは。感想の中に間違いというものはありません。作品の中に見つけたものがそれぞれの読者が違うだけなのです。この意味において一つの作品は作者がこう読めということではなくて、読者それぞれの感想の中に生きているわけです。ですから作者と読者が一致しないというのはその作品に普遍性が出てくるのです。この普遍性が広ければ広いほどすぐれた作品になるわけです。
15人ほどというのは、川上弘美という人間との付き合いがあるかたがより川上弘美的に作品を理解できるということではないでしょうか?または生き方や人生が似ているとかもあるかもしれません。
こうしてみると、「空気を読まない」というのはすごく大切なことになります。
読者を感動させるには今はこういう作品をとか、ましてや売れる作品をとかを考えないで心のままに描いた作品をより普遍性のあるものに描くことが大切なだけです。
川上さんの作品がじんわりと心の中にしみのように広がっていく感覚はここから来ているのではないでしょうか?読者はどんな偉ぶった教訓も受けずに自分を見ながら読み進められる。そしてそこに自分だけの感想を持つことができる。これもまた文学の一つの形でしょう。
【2012年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから。。。。
「先進国が自国の通貨安競争に走るって異常なことでしょう。。。。。競争ですからそれは人的な政策です。為替や株などなど、経済実態に添わないで経済は人の手でどうにでもなるというある意味新自由主義の自由とは何かが現れているのでしょうか。一方では国民生活はそのつくられた市場に任せると。」
自然水準というのは結局は「そのつくられた市場に任せると」ということによる長期的な目で見た結果でしょう。失業率を自然失業率として決定するのは何も自然なことではなくて人的な経済を動かそうとする政策が失業率を高めたり低めたりするわけですからその結果が自然と名付けられて自然失業率と呼ばれるだけなわけです。
ですから自然水準からの国民生活は人的な上部構造である政策などから規定をされてその中から格差社会などが生まれる。そしてこれが下部構造の経済自体の矛盾を深める。結果として自由でない自由主義が現れる。
下部構造の経済からその矛盾を解決する上部構造である政策を決定しなければならないのだが、企業や富裕層がその利益目的に政策を決めればそれは逆さまな論理となる。
【2013年】ツイッターつぶやき
先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展画問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。
【2014年】ツイッターつぶやき
以下、2013年12月に書いたものの再掲載です。
先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価低下をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展が問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。
(つづきです)ツイッターから
生産性の向上(賃下げというものではない)は、少ない労働力でより多くの商品を生産するからその1つあたりの商品は価値低下を起こす。しかし生産性の向上からの派生として、もう一つの面として優れた商品は使用価値を高める。商品の価値は下がるが一時的には使用価値からの価格は上昇
パソコンや電化製品など性能がアップしたり付加価値をつけて価格の維持をするといったものがある。これが使用価値からの価格の維持であり、時には価格は上昇する。
しかしその使用価値からの価格の維持や上昇はその商品を生産する産業全体で平均化されればその新たな使用価値は当たり前となりすぐにその商品の価値に価格は引き下げられる傾向を示す。商品の使用価値からの価格はその商品の価値が基本となる。
資本主義は競争としてこの生産性の向上により安くて大量の商品を生産して1つあたりの価値を下げていき、より良い商品という使用価値を高度にする。これが資本主義の優れたところであるはずです。この中で消費者物価は下がり続ける傾向を示す。これが資本主義経済の発展でしょう。
商品の価値を低下させてよりすぐれた使用価値を持つ商品は、国民生活を豊かにするでしょう。また生産に必要なより少ない労働力量は国民の労働時間を削減してこれもまた国民を豊かにするでしょう。資本主義経済はこれを目指して発展をしていくのです。経済はこういう社会にしろという。
国民はこういった社会を望んでいますから素直に従えます。しかし同時に資本主義経済はこれでは困るという自己矛盾を抱えています。これでは困るという人がいるという事です。
商品の価値低下により物価が下がることをデフレと呼び、利益が少なくなることからその利益を維持するために賃下げや失業を作り出します。そのために経済システムは破壊されてデフレは単なる物価の下落ではなくてデフレ不況となります。
ここで利益を得た人々はその金を生活のための消費ではそうは使いません。その金は子を産むものでなければなりません。ここに貨幣という富の集中(資本の集中化)とだぶつきが起きます。だぶつきは不況ですから当然です。たとえば新たな設備投資などはできませんから。
不況は子を産まない金の集積です。だぶつきです。この集積やだぶつきが起こらないようにするのが国民生活の豊かさのために流れなければならないという事を示しているのです。
株や土地といった価値のない(土地は人の労働でつくられたものではないから)ところでの売買益に頼る。絵画の値段を引き上げての売買益。すべて人の労働からつくられる富とかけ離れた架空の富を生産する。銀行もそのためにろくな担保もないところに金を貸し出す。
いわば人の労働というものから生まれる価値から切り離された子を産むというだけの使用価値だらけのものに集積しただぶついた金は流れていく。バブルです。。。。。当然はじけるでしょう。そこに待ち受けるのは恐慌の危険性です。
こういったバカげたものはもうなくして富裕層の皆さんも我慢しなくてはならない。結局国家が全体的に縮小していけば富裕層の中での没落がはじまる。低賃金でこき使ってセレブな生活を得ることは我慢しましょう。我慢してもらえるようなシステムを作り上げるのが社会民主主義経済です
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
小池都知事が電柱をなくして地中に電線を埋めることに力を注ぐようですね。
小池都知事がどのような考え方でこれを行おうとしているのかはわかりませんが、いろいろな意味でこの政策は必要だと思います。
都心に行くと電線がありませんね。
しかし東京でもほとんどのところに電柱や高圧線鉄塔が立っています。
オリンピックに向けて景観からも電柱をなくそうとすることもよいのですが、電柱の問題はただ景観だけの問題ではありません。
歩道もない車の交通量が多い道路に電柱が立っていますが、細い道に歩行者や自転車車いすの方が通っています。車で底を通るたびに電信バイらがあるために歩行者や自転車が道路の真ん中に飛び出てきます。危ないと思います。逆にそこを歩いていると車が邪魔で一方通行にすればいいなどとも逆の立場で思ったりもします。危ないので行政は歩道にするためにオレンジと黒にペイントした鉄の柵を立てます。しかしその策で区切られたエセ歩道の真ん中に電信柱があるときがあります。車いすは通れませんし、人や自転車が飛び出てくるのも変わりありません。
無電柱化は都民の安全にもかかわる重要な政策です。
しかしこの無電柱化と言う政策はもっと政治全般の哲学とならなければなりません。
電柱には電気や電話の回線がついています。無電柱化というのはこの電線が邪魔だから電気も電話もなくせという政策ではない。こんなわかりきったことを本気で批判材料として言う人もいますが。
電線は地下に埋めれば電気も電話を使えるのです。
こういった論理が政治全般に必要だと思うのです。
オリンピックも僕が子供のころに東京で開催されました。また2度目のオリンピックを見ることができること自体に反対はしません。しかし現在の開催方法を見れば当初の予算よりもバカ高い金を使おうとしています。一方で国民生活は公助を捨てて自助共助でとなっています。社会保障が削られていく中の一方でとてつもない金を使うことに矛盾があると思うのです。ならば反対なのです。オリンピックという電線は良いが、国民生活を犠牲にしている電信柱は必要ないし邪魔なのです。
築地市場移転問題も同じでしょう。
築地市場という老朽化したものを改善しなければいけないことに反対はない。しかし安全面でも設備的欠陥でも行政のいい加減さにおいて反対なのです。市場の改善という電線は必要なのですが、先に書いた豊洲市場の矛盾という電信柱は邪魔なのです。
このような都政だけではない。
国政においてもたくさんの必要とする電線は必あるのですが、あらゆるところで国民の安心・安全そして安定した生活を邪魔する施策という電信柱が乱立しているのです。
この電線と電信柱の関係の思考からすると、どうも自民党という政党がこの電信柱になりつつあると言ことが見えてきました。
経済も政治も外交もその限界が見えてきていると思います。
どうも国民の犠牲において経済も政治も変な方向に向かっています。
野党4党の共闘は、この自民党とその政策という電信柱をなくそうとすることでしょう。
小池都知事もこの電信柱とぶつかりそうです。
カジノ法案の強行採決では公明党も自主判断を行いこの電信柱と小さなぶつかりがありました。自民党はもう公明党なしでも維新との共闘で強行採決できるというおごりを示しました。
改憲はこの路線で進むかもしれません。
小池都知事の思想信条はいろいろと報道されていますが、もし小池新党ができて電信柱をなくそうとするならば野党4党と共闘できますし、公明党もこのまま与党で電信柱に埋没するよりも野党4党と共闘すべきでしょう。
ここを国民はしっかりとみていかなければならない。
電信柱をなくした後電線をどのように国民の安全安心そして生活の安定に役立つように処理をするかを野党共闘は真摯に話し合うべきでしょう。
【2017年】ツイッターつぶやき
違法性が疑われる補助金を受けた企業からの献金。(朝日)
企業献金は昔からその矛盾が言われてきて問題が起きたときに法改正もされてきたはずですが、今でも法の抜け穴というのか例外が認められている。
企業献金を廃止しろというと、昔はよくならば労働組合からの献金も禁止しなければと言われていた。しかし、企業は営利目的の団体でその利益からの献金。労働組合はエリ目的での金でではない。
企業の活動には政治の影響力が強いわけですが、この関係において献金をするという事自体がおかしなわけです。ましてや補助金を受けた企業が政治献金をと言えばなおさら政治との癒着があるわけですし、補助金は国民の税でしょう。
企業献金は廃止しなければいけませんね。
そうしないと抜け穴があり続けて違法性は必ず出てくるでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
先日書いた「値上げすれば解決するという発想」の関連です。
フランスで燃料税増税に対するデモが拡大化し、一部が暴徒化している。
燃料税をなぜ増税げするか、CO2削減という環境政策による。
地球環境については国際的な取り組みとして広がっている。各国はCO2削減にも積極的になっている。ここからフランスが削減の取り組みを行うことは評価できるでしょう。しかしヨーロッパにおける電気自動車への取り組みとリンクするならばだれの利益となるか?が問われるでしょう。
CO2削減のために燃料税増税を行うというのは、先の「値上げすれば解決できるという発想」でも触れたが矛盾が発生する。燃料税を上げれば確かに消費は減ってCO2削減にもつながるでしょう。しかしどの国民の階層がこの削減で我慢をさせられるか?ここが大切です。もちろん低所得層が苦しみ、その苦しみの中からCO2は削減される。これは大きな矛盾です。
燃料税の増税がされれば、ガソリンや灯油が値上げされてそれは様々な物品の値上げに波及するでしょう。するとこの部分でも一番困るのは低所得層です。。
混雑するレストランの混雑緩和を値上げすれば解消されるという発想(上記リンクページ参照)と同じですね。低所得者が来なくなればレストランはすいて高所得者が利用しやすくなる。。。。
燃料税が増税されても富裕層の消費(CO2発生量)は変わらないでしょう。
禁煙を促すにはたばこ増税を(低所得者は禁煙せざるを得ない)!といったものがずっと受け入れられてきましたが、この方法があらゆる面で社会に表れているのではないでしょうか?
【2019年】ツイッターつぶやき
ノースポールの花が1輪咲きました。
プランタに9月ごろ蒔いた花の種が発芽をしてやっと花屋さんで売っているぐらいの苗の大きさになってきました。
プランタに5種類の花の種をまいてうまく育てばミニお花畑になります。
あるいはプランタに寄せ植えをしたような感じになるかもしれません。
ノースポールはだいぶ大きくなるので他の花を押しつぶしてしまわないか心配ですが、どうにか平和的に育ってほしいです。
サルビア、キンセンカ、アリッサム、サクラソウ。。。。。
多分こんな花が咲くだろうと予想しているのですが、まだわかりません。
そういえば寒咲きの菜の花の芽が大きくなってきました。
こちらも楽しみです。
3月ぐらいになるとにぎやかになると思います。
【2020年】ツイッターつぶやき
風邪でもインフルエンザでも、同じ生活をしていても感染する人もいれば感染しない人もいる。コロナで意識的に感染防止をしている中でインフルエンザの感染者が少ないとも言われている。
結局感染する条件があってもウィルスに強い免疫を持つことと感染防止がセットにならなければならないということで、これはコロナにも言えることなんでしょうね。
コロナに感染した人は抗体というのができるそうで、それを外部から作り出すのがワクチンかもしれませんが、しかし感染防止を行うことを並行して行わなければコロナもおさまらないでしょう。
抗体と免疫とはどう違うんでしょ。免疫というのは体の抵抗力でしょうか?だからコロナにしても持病を持つ方が抵抗力がなくなり感染しやすくなる。
一時集団免疫というのをよく耳にしました。感染防止も何もしないでいてもコロナに感染すれば抗体ができて感染は収まるというものだったと思います。これは死ぬ人が死ねばコロナは収まるという論理でしょうから破綻をします。そこでワクチンが出てくるのですが、これもインフルエンザのワクチンを見ればそうは期待できないでしょう。
コロナもインフルエンザの様に繰り返し繰り返し発生するのでしょうか。でも季節性のないコロナはずっと感染が続きます。ワクチンも有効期限があるわけで年に2,3回接種でしょうか?
厄介ですね。
結局は感染防止をしながら免疫を高めて抵抗力を作るしかないのかも入れません。
免疫力とか抵抗力というのは何となく非科学的な面があるのかもしれませんから何をしたら良いのかはわかりません。結局日常生活の質なんでしょう。
煙草が悪いとか酒が悪いとかというものではなくて普通の衣食住の安定。
【2021年】ツイッターつぶやき
新型ウイルスオミクロンが世界的にも感染を広げているようです。
日本でも2名ですかぁ?感染者が見つかっています。
水際対策も入国できないようにしましたが帰国する日本人や日本で生活している外国人の入国をどうにかしなくてはいけないので政府も方針を変えたようです。
しかし入国者が出るわけですから検疫体制を十分行わないとだめですね。
しかし水際対策はこれまでほとんど失敗をしてきましたので、やはりある程度の国内感染は避けられないかもしれません。もちろん水際対策が無駄だということではなくより感染者の入国を避けること自体は大切です。
国内の感染者をより少なくしながら感染拡大をどう防ぐか。
今までと同じように検査も少なく隔離(入院)もままならないならば第六波は確実ですね。
【2022年】ツイッターつぶやき
去年と今年は2年続けて木枯らし1号が吹かなかったとテレビだったかラジオの声から聞こえてきた。
木枯らし1号というもの自体これといった決まった定義がないようで、晩秋から初冬に吹く秒速8メートルの北風といった定義らしい。ですから木枯らし1号がなかったというのは初冬になかったということなんでしょう。
木枯らしというぐらいだから、たしかに木々の葉が落ちるまでに強い北風はなかった。
でも、だいぶ東京も寒くなりましたからそのうち強い北風は吹くでしょうから、これが木枯らし1号といってもいいのかな?関東の空っ風。。。。。嫌ですなぁ。
温暖化で気温が高くなっていますから季節も少しずれてきていますね。
そういえば、春一番という風もありますね。
この春一番という風も苦手で強い風に胃が痛くなります。
木枯らし1号も眉をひそめてしまう。
どうもアメリカの金利下げがあるということからの円高だったのか?
しかし147円前半から、また148円前半に円安となりました。
アメリカの株価は上昇。日本の株価は上昇していましたが今は横ばい。
アメリカの金利下げが本格的になればある程度円高は進むでしょうか、以前のように80円台に戻ることはあるのでしょうか。アメリカの金利と同時に日本経済が立ち直らなければ円買いも進まないでしょう。
金融資本主義ですが、基本は物やサービスを作り出す経済ですからなぁ。。。。
≪過去の記事≫
【2003年】
晴れ。うれしいです。
洗濯物も日差しの中に揺れてうれしそう。。。。
昨夜はすごい風でした。やはり台風の影響でしょうか?娘が怖かったのかなかなか寝付けなかったようです。
僕は大きないびき・・・・(笑)
まだ海は荒れているようですね。
紅葉狩りと思っていましたが、つい時期を失ってしまったようです。
そういえば、都心に四谷というところがあるのですが、その駅前に教会があり、クリスマスイブに行くと暖かい光に包まれています。通りには銀杏並木があり、落ち葉を踏んでぶらぶらするとロマンチックです。
晩秋。。。。楽しまないとね。
そして冬は・・・・じっと我慢です(笑)
【2004年】
車で買い物に行きました。帰り道、4時少し前になったばかりだというのに西日がまぶしかったです。5時というともう真っ暗です。ほんと今の季節はいやだ。。。。
12月というとクリスマスが楽しみですが、25日といえば冬至が過ぎたあと。一番くらい季節が終わり少しづつ日が伸びてくる楽しみも出てきます。キリストの復活というのもあるそうですが、やはりこの冬至を過ぎて太陽が復活していくというものとの関連もあるのかもしれません。
一番暗いこの季節、街を色とりどりに飾るのもこの冬至が過ぎ去るまでを幾分かでも楽しもうという意味もあるのかもしれません。
キリスト教には関係のない僕でも、上のような意味ではクリスマスを迎える楽しさが増します。
正月は、本来旧暦で、春の気配を感じながら新たな命のめぐみを期待するものでしょう。しかし今は、やはり冬至が過ぎて太陽の復活という陽暦にちなんだものになりつつあるのかもしれません。
こんなことを考えながら早く冬至が過ぎないかなぁとお持っています。
あわただしいし金もかかるけどね。。。。(笑)
「肩ごしの恋人」 唯川 恵 著
るり子は思う。
六本木や西麻布には足が向くが、新宿は苦手だと。なぜなら新宿は本音の街だから。自分というものをさらけ出さないとだめな街だから。
六本木などでは、女がちやほやされる。男に自分の魅力を見せ付ければ楽しい街である。しかし新宿は違う。新宿2丁目では男は振り向きもしない。ここでは男同士のゲイの街であり、女はただのひとりの人間としか見てもらえない。
るり子は、恋に結婚に生き、男は自分を幸せにすべき存在。それだけの美貌を持つ。萌は、素敵な女性ではあるが男に対して信用をもてない。結婚をはじめから望まないわけではないが、男との仲が結婚にまで進みそうになると引いてしまう。このようにお互いに性格のまったく違う二人の女だが、どこかお互いに寄り添うように生きてきた。
萌は、妻子ある男との微妙な関係の中にいる。るり子は、2度の離婚で慰謝料をふんだくりながらもまた3度目の離婚の危機にある。危なっかしい二人である。
そんな二人の中にかわいい男の子とも言うべき家出をした15歳の男が来る。別居を始めたるり子とこの高校生崇は萌の住まいに転がり込んだ。「修学旅行のように楽しい」生活がはじまり、この3人が新宿2丁目の世界に入っていき、本音の人間、女はただの一人の人間でしかないという世界に触れる。文ちゃんとリョウという二人のゲイと知り合う。
萌は、退職をして職を探す。離婚を決意したるり子も職を探すしかなくなる。同じ部屋に住む二人の女はお互いと支えながらその女の友情深めていく。
また大人の二人の女が少年を世話していると思い込んでいたが、崇はその純粋さを二人の女に見せつける。そこに少年から大人の男に変化する崇を見る。
るり子はゲイのリョウに好きだと告白をする。女を愛せないリョウという男に。。。。そしてつぶやく「好きだからそれでいい」
燃えとるり子と崇の「修学旅行のように楽しい」生活。ここに「好きだから一緒に生活をしているというものがある。萌とるり子の生活も女の友情という反感を持ちながらも好きだという自覚にある。もちろんるり子のリョウへの思いも。
人は家族関係の中に生活しているが、「好きだから」という基本を常に確認せねばならないのではないかと思う。基本は家族関係である。しかしこの作品は、この家族関係から離れた人同士の「好きだから」を純粋に表現しているのかもしれない。
燃えとるり子の新たな生活がはじまろうとしている。その生活がどのようなものかは読んでいただきたい。しかしこの二人が幸せになれるかは未知数である。
唯川さんは「あとがき」に「あっけらかんとしたもの」を書きたかったと書いているが、まさに読み終わったあとはなんともいえぬあっけらかんとした明るさのある作品である。
この文庫版での解説を江國香織さんが書いている。解説を書くにはある意味では最もふさわしいのではないか。
この「肩ごしの恋人」は、江國さんの「ホリーガーデン」でかかれた二人の女性の友人関係と、「きらきらひかる」で見せた青年の純粋さとゲイの男との関係の中から「好きだから一緒にいたい」という暖かさをひとつの作品にまとめたような気がするからである。
唯川さん、江國さんという二人の直木賞作家による表現の違いもおもしろいかもしれない。
【2005年】
朝のうち日が出ていたので布団を干したのですが、すぐに薄日となってしまい布団は退場。。。
今日からスポーツジムに行きはじめました。
まずは初日ですから面接があり、これからのメニューが決められました。
「こちらいらした目的は?」
「中性脂肪を減らしたくて。。。。」
「そうですかぁ。。。。」
「はい」
「あとは?」
「ぎっくり腰の予防です」
「そうですかぁ。。。」
「はい」
メモをのぞいたら「体力アップ」
「・・・・?」
「とりあえずは有酸素運動を中心にやって行きましょう」
「はい」
てなぐあいで初日が始まりました。
面接では体脂肪率や筋肉量、水分量などが測定できる機械もやり、こちらは理想的なものでした。えっへん!体脂肪率17%
はじめはウォーキングマシーンをやり、こちらは気持ちよく汗を流せました。次は腰痛関係で専門のトレーナーに診てもらいました。
「体がゆがんでますねぇ。。。」「足の長さが左右でちがってしまっている」
「はぁ。。。。」
ストレッチでめでたく左右の足の長さが同じになりました。
「それでは次に様々なマシーンの使い方をご説明します」
「はい」
「それでは一つひとつのマシーンを10回づつやってみましょう」
「はい。。。」
すべて重さ設定は30キログラム。
(箸より重いものは持ったことがないのに。。。(笑))
一通りやったらぐったりしてしまった。さすがに重量挙げはやらされなかったけど。。。
「それでは最後に自転車漕ぎを。。。。」
「はい。。。」
みっちり2時間コースでしたぁ。。。。
色男金と力はなかりけり。。。足腰が立たんっ!。。。ううう・・・・
【2006年】
12月ですなァ。。。。。
年の暮れと言えば、この時期に庶民の意識が経済に反映します。企業はボーナスを当てにしたクリスマス商戦を繰り広げます。この意味において12月という年の暮れは、日本の経済状況を反映します。
イザナギ景気を超えた景気。。。しかし企業は自信をもてないでしょう。国も自信をもてないでしょう。個人消費という幽霊に悩まされるでしょう。長期的な景気の上昇に期待をもてない。。。ここで、個人消費の伸び悩みを問題とする。しかし庶民は無い袖は振れない。
12月2日の朝日新聞朝刊1面を見て今後の経済状況が分かる。
「5000億円規模の企業減税が想定されている。その財源は、07年からの所得税の定率減税の全廃(約1.2兆円の増税)で賄われることになる。」
「『法人実効税率の10%程度の引き下げ』をすれば、4兆円規模の減税になる。その財源を他の税源で賄うとすると、消費税(現行5%)なら2%幅の引き上げが必要になる。」
「リストラ景気回復」が継続するのである。すなわち庶民生活を犠牲にした大企業優先の景気状況の継続である。
これは、国や大企業があえて毒饅頭を食うに等しい。
個人消費の伸び悩みを問題にしながら、景気の継続にはこの個人消費を抑えることしか出来ないのだから。競争はこの毒饅頭を企業が食わざるを得ない状況を作り出す。毒饅頭だから、一時は腹は膨れるが後に矛盾は噴出すだろう。更なる個人消費の落ち込みであり、好景気とされる中でのデフレ脱却は遠のく。
仮に大企業を優遇するにしても、その大企業が何をしてくれるのか?
派遣社員やバイト・パートの正社員化は進まないようである。。。
こう見ると、名目上の景気回復では国民生活の向上は当分の間望めない。
【2007年】
日記を少しサボっている間に12月に入ってしまいました。サボっていたというより、少し忙しくて夕食後は眠くて動けませんでした。
東京は、今が一番紅葉がきれいかな。。。。
公園は鮮やかな秋の色!
ぼうっと立ち止まって眺めてしまいました。夜の公園。。。街灯にライトアップされた紅葉。。。。きれいです。
イチョウの葉もだいぶ黄葉してきました。
イチョウが散りはじめて僕の日記も冬です。クリスマス・冬至の頃。
冬至を過ぎて寒さは厳しいけど、これから日が延びるといううれしさ。冬の嫌いな僕としてはこのうれしさが支えです(笑)
今夜は豚肉と厚揚げの味噌炒めと刺身。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
12月に入りました
毎年この時期になると
アマリリスの葉などが枯れるのですが
今年はまだ青々しています
東京の気温は20度とか。。。。
温かい日差しが気持ちがいいです
予報は午後から夕方に雨?
胡蝶蘭の花の茎がだいぶ伸びました
デンドロビュームも分厚い葉っぱの花の茎も
シクラメンはまだ芽がでません
部屋に入れたほうがよいのか。。。。。。
春一番に咲く花々。。。。
楽しみです
【2011年】ツイッターつぶやき
11月29日に『《第95回紀伊國屋サザンセミナー》 文芸誌「モンキービジネス」最終号刊行イベント 「猿の一休み」』というイベントに行ってきました。
「モンキービジネス」という季刊誌は読んだことがなかったのですが、この季刊誌が15号をもって休刊するということでのイベントでした。川上さんは創刊からずっと短編を連載されておりこのイベントにも参加をするというので喜び勇んで新宿まで行ってきました。
新宿の紀伊国屋と言えば「あの」通いなれた紀伊国屋と思い出かけたのですが、7階にそのような会場がない。。。。店員の方に訊いたら代々木駅近くの紀伊国屋だと。新しくできたのですね。。。。急いで約一駅歩いていきました。どうにか間に合ったので入口で一服して当日券で入りました。入ってみると本が並んでおり川上さんの「神様」のサイン入りの本が!最後の1冊。手に取ろうとしたら若い男がさっととってしまった。入り口でのんびりと煙草など吸わなければよかった。
当日券でしたが端っこの方の前の席が空いていてラッキーでした。川上さんのお顔をよく見ることができました。
お話の中に川上さんが「空気を読まない」で書くようにしているというようなお話がありました。作家の作品というものを通して作家と読者が理解しあえるという事はない。15人ほどの人しか理解できなくてもいいのではないかと。
これは作家が読者を引き離すような言葉ではなくて、書いた人間と読んだ人間との距離は埋めることができないということでしょう。これは作家と読者とはその生活の場やこれまでの人生が違うわけでして書いた方の思いを作品という形にするのですが、その作品は本になってしまえば読者のもので読者の人生観などで読むわけです。ですから作者の思いがそのままに伝わるということはないのです。しかしこの伝わらない中に作者と読者が切り離されるかと言えばそうではなくて、やはり作品というものを通じてのつながりはあるわけです。その中に読者は間違った読み方をしてしまうというものはほとんどなくなります。「感想」なのです。そのつながりは。感想の中に間違いというものはありません。作品の中に見つけたものがそれぞれの読者が違うだけなのです。この意味において一つの作品は作者がこう読めということではなくて、読者それぞれの感想の中に生きているわけです。ですから作者と読者が一致しないというのはその作品に普遍性が出てくるのです。この普遍性が広ければ広いほどすぐれた作品になるわけです。
15人ほどというのは、川上弘美という人間との付き合いがあるかたがより川上弘美的に作品を理解できるということではないでしょうか?または生き方や人生が似ているとかもあるかもしれません。
こうしてみると、「空気を読まない」というのはすごく大切なことになります。
読者を感動させるには今はこういう作品をとか、ましてや売れる作品をとかを考えないで心のままに描いた作品をより普遍性のあるものに描くことが大切なだけです。
川上さんの作品がじんわりと心の中にしみのように広がっていく感覚はここから来ているのではないでしょうか?読者はどんな偉ぶった教訓も受けずに自分を見ながら読み進められる。そしてそこに自分だけの感想を持つことができる。これもまた文学の一つの形でしょう。
【2012年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから。。。。
「先進国が自国の通貨安競争に走るって異常なことでしょう。。。。。競争ですからそれは人的な政策です。為替や株などなど、経済実態に添わないで経済は人の手でどうにでもなるというある意味新自由主義の自由とは何かが現れているのでしょうか。一方では国民生活はそのつくられた市場に任せると。」
自然水準というのは結局は「そのつくられた市場に任せると」ということによる長期的な目で見た結果でしょう。失業率を自然失業率として決定するのは何も自然なことではなくて人的な経済を動かそうとする政策が失業率を高めたり低めたりするわけですからその結果が自然と名付けられて自然失業率と呼ばれるだけなわけです。
ですから自然水準からの国民生活は人的な上部構造である政策などから規定をされてその中から格差社会などが生まれる。そしてこれが下部構造の経済自体の矛盾を深める。結果として自由でない自由主義が現れる。
下部構造の経済からその矛盾を解決する上部構造である政策を決定しなければならないのだが、企業や富裕層がその利益目的に政策を決めればそれは逆さまな論理となる。
【2013年】ツイッターつぶやき
先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展画問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。
【2014年】ツイッターつぶやき
以下、2013年12月に書いたものの再掲載です。
先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価低下をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展が問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。
(つづきです)ツイッターから
生産性の向上(賃下げというものではない)は、少ない労働力でより多くの商品を生産するからその1つあたりの商品は価値低下を起こす。しかし生産性の向上からの派生として、もう一つの面として優れた商品は使用価値を高める。商品の価値は下がるが一時的には使用価値からの価格は上昇
パソコンや電化製品など性能がアップしたり付加価値をつけて価格の維持をするといったものがある。これが使用価値からの価格の維持であり、時には価格は上昇する。
しかしその使用価値からの価格の維持や上昇はその商品を生産する産業全体で平均化されればその新たな使用価値は当たり前となりすぐにその商品の価値に価格は引き下げられる傾向を示す。商品の使用価値からの価格はその商品の価値が基本となる。
資本主義は競争としてこの生産性の向上により安くて大量の商品を生産して1つあたりの価値を下げていき、より良い商品という使用価値を高度にする。これが資本主義の優れたところであるはずです。この中で消費者物価は下がり続ける傾向を示す。これが資本主義経済の発展でしょう。
商品の価値を低下させてよりすぐれた使用価値を持つ商品は、国民生活を豊かにするでしょう。また生産に必要なより少ない労働力量は国民の労働時間を削減してこれもまた国民を豊かにするでしょう。資本主義経済はこれを目指して発展をしていくのです。経済はこういう社会にしろという。
国民はこういった社会を望んでいますから素直に従えます。しかし同時に資本主義経済はこれでは困るという自己矛盾を抱えています。これでは困るという人がいるという事です。
商品の価値低下により物価が下がることをデフレと呼び、利益が少なくなることからその利益を維持するために賃下げや失業を作り出します。そのために経済システムは破壊されてデフレは単なる物価の下落ではなくてデフレ不況となります。
ここで利益を得た人々はその金を生活のための消費ではそうは使いません。その金は子を産むものでなければなりません。ここに貨幣という富の集中(資本の集中化)とだぶつきが起きます。だぶつきは不況ですから当然です。たとえば新たな設備投資などはできませんから。
不況は子を産まない金の集積です。だぶつきです。この集積やだぶつきが起こらないようにするのが国民生活の豊かさのために流れなければならないという事を示しているのです。
株や土地といった価値のない(土地は人の労働でつくられたものではないから)ところでの売買益に頼る。絵画の値段を引き上げての売買益。すべて人の労働からつくられる富とかけ離れた架空の富を生産する。銀行もそのためにろくな担保もないところに金を貸し出す。
いわば人の労働というものから生まれる価値から切り離された子を産むというだけの使用価値だらけのものに集積しただぶついた金は流れていく。バブルです。。。。。当然はじけるでしょう。そこに待ち受けるのは恐慌の危険性です。
こういったバカげたものはもうなくして富裕層の皆さんも我慢しなくてはならない。結局国家が全体的に縮小していけば富裕層の中での没落がはじまる。低賃金でこき使ってセレブな生活を得ることは我慢しましょう。我慢してもらえるようなシステムを作り上げるのが社会民主主義経済です
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
小池都知事が電柱をなくして地中に電線を埋めることに力を注ぐようですね。
小池都知事がどのような考え方でこれを行おうとしているのかはわかりませんが、いろいろな意味でこの政策は必要だと思います。
都心に行くと電線がありませんね。
しかし東京でもほとんどのところに電柱や高圧線鉄塔が立っています。
オリンピックに向けて景観からも電柱をなくそうとすることもよいのですが、電柱の問題はただ景観だけの問題ではありません。
歩道もない車の交通量が多い道路に電柱が立っていますが、細い道に歩行者や自転車車いすの方が通っています。車で底を通るたびに電信バイらがあるために歩行者や自転車が道路の真ん中に飛び出てきます。危ないと思います。逆にそこを歩いていると車が邪魔で一方通行にすればいいなどとも逆の立場で思ったりもします。危ないので行政は歩道にするためにオレンジと黒にペイントした鉄の柵を立てます。しかしその策で区切られたエセ歩道の真ん中に電信柱があるときがあります。車いすは通れませんし、人や自転車が飛び出てくるのも変わりありません。
無電柱化は都民の安全にもかかわる重要な政策です。
しかしこの無電柱化と言う政策はもっと政治全般の哲学とならなければなりません。
電柱には電気や電話の回線がついています。無電柱化というのはこの電線が邪魔だから電気も電話もなくせという政策ではない。こんなわかりきったことを本気で批判材料として言う人もいますが。
電線は地下に埋めれば電気も電話を使えるのです。
こういった論理が政治全般に必要だと思うのです。
オリンピックも僕が子供のころに東京で開催されました。また2度目のオリンピックを見ることができること自体に反対はしません。しかし現在の開催方法を見れば当初の予算よりもバカ高い金を使おうとしています。一方で国民生活は公助を捨てて自助共助でとなっています。社会保障が削られていく中の一方でとてつもない金を使うことに矛盾があると思うのです。ならば反対なのです。オリンピックという電線は良いが、国民生活を犠牲にしている電信柱は必要ないし邪魔なのです。
築地市場移転問題も同じでしょう。
築地市場という老朽化したものを改善しなければいけないことに反対はない。しかし安全面でも設備的欠陥でも行政のいい加減さにおいて反対なのです。市場の改善という電線は必要なのですが、先に書いた豊洲市場の矛盾という電信柱は邪魔なのです。
このような都政だけではない。
国政においてもたくさんの必要とする電線は必あるのですが、あらゆるところで国民の安心・安全そして安定した生活を邪魔する施策という電信柱が乱立しているのです。
この電線と電信柱の関係の思考からすると、どうも自民党という政党がこの電信柱になりつつあると言ことが見えてきました。
経済も政治も外交もその限界が見えてきていると思います。
どうも国民の犠牲において経済も政治も変な方向に向かっています。
野党4党の共闘は、この自民党とその政策という電信柱をなくそうとすることでしょう。
小池都知事もこの電信柱とぶつかりそうです。
カジノ法案の強行採決では公明党も自主判断を行いこの電信柱と小さなぶつかりがありました。自民党はもう公明党なしでも維新との共闘で強行採決できるというおごりを示しました。
改憲はこの路線で進むかもしれません。
小池都知事の思想信条はいろいろと報道されていますが、もし小池新党ができて電信柱をなくそうとするならば野党4党と共闘できますし、公明党もこのまま与党で電信柱に埋没するよりも野党4党と共闘すべきでしょう。
ここを国民はしっかりとみていかなければならない。
電信柱をなくした後電線をどのように国民の安全安心そして生活の安定に役立つように処理をするかを野党共闘は真摯に話し合うべきでしょう。
【2017年】ツイッターつぶやき
違法性が疑われる補助金を受けた企業からの献金。(朝日)
企業献金は昔からその矛盾が言われてきて問題が起きたときに法改正もされてきたはずですが、今でも法の抜け穴というのか例外が認められている。
企業献金を廃止しろというと、昔はよくならば労働組合からの献金も禁止しなければと言われていた。しかし、企業は営利目的の団体でその利益からの献金。労働組合はエリ目的での金でではない。
企業の活動には政治の影響力が強いわけですが、この関係において献金をするという事自体がおかしなわけです。ましてや補助金を受けた企業が政治献金をと言えばなおさら政治との癒着があるわけですし、補助金は国民の税でしょう。
企業献金は廃止しなければいけませんね。
そうしないと抜け穴があり続けて違法性は必ず出てくるでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
先日書いた「値上げすれば解決するという発想」の関連です。
フランスで燃料税増税に対するデモが拡大化し、一部が暴徒化している。
燃料税をなぜ増税げするか、CO2削減という環境政策による。
地球環境については国際的な取り組みとして広がっている。各国はCO2削減にも積極的になっている。ここからフランスが削減の取り組みを行うことは評価できるでしょう。しかしヨーロッパにおける電気自動車への取り組みとリンクするならばだれの利益となるか?が問われるでしょう。
CO2削減のために燃料税増税を行うというのは、先の「値上げすれば解決できるという発想」でも触れたが矛盾が発生する。燃料税を上げれば確かに消費は減ってCO2削減にもつながるでしょう。しかしどの国民の階層がこの削減で我慢をさせられるか?ここが大切です。もちろん低所得層が苦しみ、その苦しみの中からCO2は削減される。これは大きな矛盾です。
燃料税の増税がされれば、ガソリンや灯油が値上げされてそれは様々な物品の値上げに波及するでしょう。するとこの部分でも一番困るのは低所得層です。。
混雑するレストランの混雑緩和を値上げすれば解消されるという発想(上記リンクページ参照)と同じですね。低所得者が来なくなればレストランはすいて高所得者が利用しやすくなる。。。。
燃料税が増税されても富裕層の消費(CO2発生量)は変わらないでしょう。
禁煙を促すにはたばこ増税を(低所得者は禁煙せざるを得ない)!といったものがずっと受け入れられてきましたが、この方法があらゆる面で社会に表れているのではないでしょうか?
【2019年】ツイッターつぶやき
ノースポールの花が1輪咲きました。
プランタに9月ごろ蒔いた花の種が発芽をしてやっと花屋さんで売っているぐらいの苗の大きさになってきました。
プランタに5種類の花の種をまいてうまく育てばミニお花畑になります。
あるいはプランタに寄せ植えをしたような感じになるかもしれません。
ノースポールはだいぶ大きくなるので他の花を押しつぶしてしまわないか心配ですが、どうにか平和的に育ってほしいです。
サルビア、キンセンカ、アリッサム、サクラソウ。。。。。
多分こんな花が咲くだろうと予想しているのですが、まだわかりません。
そういえば寒咲きの菜の花の芽が大きくなってきました。
こちらも楽しみです。
3月ぐらいになるとにぎやかになると思います。
【2020年】ツイッターつぶやき
風邪でもインフルエンザでも、同じ生活をしていても感染する人もいれば感染しない人もいる。コロナで意識的に感染防止をしている中でインフルエンザの感染者が少ないとも言われている。
結局感染する条件があってもウィルスに強い免疫を持つことと感染防止がセットにならなければならないということで、これはコロナにも言えることなんでしょうね。
コロナに感染した人は抗体というのができるそうで、それを外部から作り出すのがワクチンかもしれませんが、しかし感染防止を行うことを並行して行わなければコロナもおさまらないでしょう。
抗体と免疫とはどう違うんでしょ。免疫というのは体の抵抗力でしょうか?だからコロナにしても持病を持つ方が抵抗力がなくなり感染しやすくなる。
一時集団免疫というのをよく耳にしました。感染防止も何もしないでいてもコロナに感染すれば抗体ができて感染は収まるというものだったと思います。これは死ぬ人が死ねばコロナは収まるという論理でしょうから破綻をします。そこでワクチンが出てくるのですが、これもインフルエンザのワクチンを見ればそうは期待できないでしょう。
コロナもインフルエンザの様に繰り返し繰り返し発生するのでしょうか。でも季節性のないコロナはずっと感染が続きます。ワクチンも有効期限があるわけで年に2,3回接種でしょうか?
厄介ですね。
結局は感染防止をしながら免疫を高めて抵抗力を作るしかないのかも入れません。
免疫力とか抵抗力というのは何となく非科学的な面があるのかもしれませんから何をしたら良いのかはわかりません。結局日常生活の質なんでしょう。
煙草が悪いとか酒が悪いとかというものではなくて普通の衣食住の安定。
【2021年】ツイッターつぶやき
新型ウイルスオミクロンが世界的にも感染を広げているようです。
日本でも2名ですかぁ?感染者が見つかっています。
水際対策も入国できないようにしましたが帰国する日本人や日本で生活している外国人の入国をどうにかしなくてはいけないので政府も方針を変えたようです。
しかし入国者が出るわけですから検疫体制を十分行わないとだめですね。
しかし水際対策はこれまでほとんど失敗をしてきましたので、やはりある程度の国内感染は避けられないかもしれません。もちろん水際対策が無駄だということではなくより感染者の入国を避けること自体は大切です。
国内の感染者をより少なくしながら感染拡大をどう防ぐか。
今までと同じように検査も少なく隔離(入院)もままならないならば第六波は確実ですね。
【2022年】ツイッターつぶやき
去年と今年は2年続けて木枯らし1号が吹かなかったとテレビだったかラジオの声から聞こえてきた。
木枯らし1号というもの自体これといった決まった定義がないようで、晩秋から初冬に吹く秒速8メートルの北風といった定義らしい。ですから木枯らし1号がなかったというのは初冬になかったということなんでしょう。
木枯らしというぐらいだから、たしかに木々の葉が落ちるまでに強い北風はなかった。
でも、だいぶ東京も寒くなりましたからそのうち強い北風は吹くでしょうから、これが木枯らし1号といってもいいのかな?関東の空っ風。。。。。嫌ですなぁ。
温暖化で気温が高くなっていますから季節も少しずれてきていますね。
そういえば、春一番という風もありますね。
この春一番という風も苦手で強い風に胃が痛くなります。
木枯らし1号も眉をひそめてしまう。