【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
夏生さんの「とにかくあてもなくこのドアをあけよう」(幻冬社文庫)と吉本花なの「ハードボイルド」を買いました。
【2004年】
南房総にドライブにいってきました。
夏休み中は平日でも渋滞が激しいので早朝に出発。
釣り糸を少したらしたのですが、うんともすんともウキは動かない。。。。1時間ほどであきらめました。ここは鰺や鰯の小さいのがいるのですが、今日はお留守でした。
花のきれいな温室に行ったのですが、夏の温室は二度と行かない・・・
南房総は早い花で有名なので、温室も冬にきれいな花を咲かせることになっているようです。夏は何の花もない。
海岸沿いのきれいな風景の中を走っていたのですが、もうトンボがたくさん飛んでいました。秋は早いかもしれません。
【2005年】
水槽の掃除をしました。
そうしたら、いつの間にか死んでしまった魚が何匹か沈んでいました。約2年ぐらいしか生きない小さな魚ばかりなので仕方ありません。でも夏は水温管理が難しく、そのせいかも?冬はヒーターで調節できますが、夏は冷やすことができないです。一応フィルターのふたを開けて風で冷やすようにしました。
魚の数がさみしいので少し買ってきたのですが、よくよく思い出したら、その魚は7センチぐらいまで大きくなる魚でした。ううう。。。
車に乗るとき、安室浪江のアルバムを聞いています。
CMとかで流れているあのヒップポップ系というのか?少し暗いような歌です。誕生日に娘と妻が買ってくれました。妻は「えぇ~、あのヒップポップのようなのよぉ。。。?」と。でも歌は上手いと思うんだが。。。。
離婚して小さな子を育てながら頑張ってるし。。。松田聖子と比べる人もあるようだけど、どこかちがうような気がする。「ママドル」ではないですよね。。。。
スーパーなどに買い物に行くと10代後半から20歳前半のママさんを最近よく見ます。案外若いときに結婚する女性が増えているのかもしれない。安室浪江はそんなままさんの手本みたいなものかな?ルックスが案外似ている様な。。。
「ファースト・プライオリティー」
角川文庫
山本 文緒 著
ある女子高あるいは女子大を卒業した女性たち。これまでは学生として自分自身の基礎を築く場所におり、親や学校の中に保護をされた環境の中にいた。もちろん個性のある女性たちではあるが、社会的に見れば学生という集団の中の一人であり、社会的個性はまだできていない。
そんな彼女たちは、社会の中に羽ばたき出る。
一人で食うために社会に出る。巣立ちというのは、社会の中ではじめてその女性の個性が出される場である。男社会の中での女性軽視など社会には様々な矛盾があるが、その矛盾する社会に無条件に入らなければならない。その巣立ちには、これまでの学生という立場で築かれた基礎において出発点も違うし、人生観の違いの中でのものである。もちろん育った環境もある。だから、その巣立ちにも様々な形態としてその後の彼女たちの未来を規定し、出発点からしてその違いは出てくる。
彼女たちが巣立ちをして10年前後の月日が流れ、彼女たちは31歳になった。
上に書いたことは僕の空想であるが、このようなことを想像することができるように「ファースト・プライオリティー」という作品は、その31歳の女性たちが主人公となった短編集である。
「冒険」「ボランティア」をのぞき、すべての短編はちょうど10ページとなっている(とは言っても「冒険」も「ボランティア」も12ページ)。31人の女性の物語である。ちょうど10ページづつ割り振られた31歳になった31人の女性たち、ここにこの作品の意図するものもあるのかもしれない。
女性というのは、男に比べると社会的の中において精神的に10歳はその精神年齢を高めるのかもしれない。男は大体40歳になる頃に、今までの人生を振り返ることがある。私生活においても社会生活においても、「こういう大人が一人出来上がった」という結論が人生の中間点として見えてくる。そしてその後の後半の人生を思い描くのである。女性はこの男が40才頃に思う気持ちを30歳を越えた頃に思うのか?結婚の適齢期(体的に子供を持つことができる)の限界も見えてくる。そして男社会の中では、仕事の先も見えてくるのかもしれない。そういう中で31歳は女性にとっての区切りを感じる年齢なのかな?
この区切りを迎えた女性たちは、作品中では幸福な生活を送っているわけではない。恋・結婚・子育て・仕事・家族などと何かしら今までを振り返りながら今を悩んでいるようである。そしてこれからに不安を持ちながら生きていこうとしている。
「31歳」という短編には次のような言葉が出てくる。
「30歳を出たくらいの女っていいじゃないか。そろそろ迷いが吹っ切れて、腹がくくれてて、でもやり直しもスタートもできる歳だろ」
(305ページ)
これまでの人生を振り返ればひとつの大人の女が出来上がっている。その自分を見たときには、いろいろな不満もあるが、同時にその不満な部分からまだ抜け出せる年齢でもある。
作品中の女性は、今を憂うがそこから1歩出ようとするし、同時に今ある生活に生きようと腹をくくる。
弱さもたくさん抱えている女性たちだが、そこには強い部分もある。
「今のままではいけない」「今のままに何を求めるか」その中に女性たちは動くのである。もちろんその動き方はいろいろである。しかし何か吹っ切れたものを持って生きようとしていく。
今の生活に疲れるだけではなく、ただたんに笑い飛ばすだけでもなく、これからに一筋の光を求める姿に強さを見るのである。
雑誌に出てくるようなセレブな生活をする女性は出てこない。出てくる女性はその辺どこにでもいる等身大の女性たちである。だからこそ、そのような女性たちの力強さに暖かいものを感じるのだろう。
その強さの中心となるものは、これからの人生の中においてのプライオリティーすなわち優先すべきもの、あるいは今大切にすべきものというのか、それの存在に気付くことなのかもしれない。
それは、人並み以上の優れたものでもなく、人並み以上に目立つようなものでもない。恋であり結婚であり、仕事でありそれはすべて日常にある。もちろん優先すべきものの反面には切り捨てるものあきらめるもの置き去りにするものも出てくるだろう。それもまた恋であり結婚であり仕事である日常のものなのだろう。
最後の短編は、「小説」である。
30人のいろいろな女性たちを描いてきて、山本さん自身をご自身が見つめたような短編である。離婚の経過も書かれ、小説家といえば華やかな生活を思い描くが実際はそうではないこと、読者に認められないことなどなど。。。
離婚後の自分。。。
恋や結婚、小説にももどかしさは残るが、その中に吹っ切れたある心や腹をくくろうとする小説家の姿がある。
このたぶん山本さんご自身の姿であろうが、そこに見るのはそれまで描いてきた等身大の女性たちとなんら変わるものはないのであり、同じ31歳の女として生きていこうとするものを思い起こされる作品である。
「小説」の主人公は、結婚生活を失う。しかし小説を書くことに一筋の光を見るのである。山本さんのプライオリティーは小説なのである。
ここに迷いが吹っ切れ、腹をくくる一人の31歳の女性がいるのである。
偶然にも群ようこさんの「姉の結婚」の後に続けて読んだが、題材としては同じものだろう。作家の個性が見えておもしろいと思った。
【2006年】
今夜は柔らかジューシートンカツ。
「おまけ日記」では時々紹介しましたが、薄切りの豚ロース肉を重ねてトンカツにします。よ~っく重ね合わせないと、あげているときに肉と肉とがはがれてしまうのでお気をつけください。
この前、妻とスーパーの家庭用品売り場に行ったら、安売りのカーテンがありました。我が家のカーテンもだいぶ疲れてきているので買って来ました。いちおう遮光効果のあるカーテンなのですが、やはり安いだけあって薄くてあまり光を遮りません。。。。安くてあまり遮光効果のないカーテン。。。。たしか川上さんの「夜の公園」に出てきたと思います。暁のアパートのカーテンもこんな感じだったのか。。。
【2007年】
8月10日は、僕にとってけして忘れられない一日となりました。
そう。。。。
銀色夏生さんのサイン会でお会いし、一言お話をし、そして握手(感涙)
当日ははやる心を抑えきれずに早く着きすぎてしまいました。しばらく渡辺諄一さんのインタビューを聞いていたのですが、サイン会が始まるのが7時半ということで腹ごしらいを。
しかし。。。。
飯を食うとき酒がほしくなる。緊張のうえになおさら。
ビール1杯が2杯に。。。ううう
サイン会が始まりました!!
ズボン姿にハンチング帽?少し緊張気味に司会の方に「恥ずかしい。。。」
今回のサイン会を開いた思いや同席した幻冬舎の菊池さんとの「へなちょこ2」のエピソードも少し。
お声はやさしかったです。。。。。笑顔も素敵でした。
ショート風の髪は、寝癖のつきやすい髪でした。。。。(笑)
。。。「つれづれ」のイラストを思い出します。
やはり印象的なのは、夏生さんの目。。。。
僕の番になったのですが、その目で見つめられたときは。。。。もうだめ。頭の中が真っ白になってしまいました。「しげちゃん」のご様態など聞きたいことはたくさんあったのですが、「へなちょこ2」の感想文をお渡しするだけで精一杯でした。ただ一言サインの上に押していただいた「クロちゃん」スタンプを見て「これクロちゃんですか?」と質問。。。。ううう・・・こんな質問、情けない。
でも、夏生さんや菊池さんが「もうお読みになったのですか?」と。
「はい!」
ホームページに書いた感想を印刷したもの(時間がなくてこのような形のものは失礼かと思ったのですが。。。)を受け取っていただけました。
120人もの方が集まるので、こんなにお話ができるなんて思っても見なかったのでもっと落ち着いてお話がしたかった。インタビューのことなども。
最後に握手。。。。
柔らかくて温かい感触は一生忘れないと思います。
あの手が素敵な言葉を紡いでいらっしゃるのですねぇ。。。
清水の舞台から飛び降りるような気持ちで参加。。。。(笑)
こうやって書くのも冷や汗。。。ううう
でも、夏生さんも僕たちファンの前に一歩出ていただいたのですからね♪
僕も一歩。。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
道の駅 たくみにの里
群馬県水上(みなかみ)にあります。
こちらの道の駅に立ち寄るのは今回で3回目となりますが、何しろ広すぎてすべてを見るということができません。何といったらよいのか。。。。一つの里がそのまま道の駅になっているという感じです。もちろん道の駅としてだけではなくて水上の町の観光名所といったように整備された地区です。
中心には水上の物産や新鮮な野菜を売るところがどこの道の駅とも同じくあるのですが、そこを中心にして整備された道を歩きながら職人さんが作るいろいろな民芸品や食品を売る店があり、食事をするための蕎麦屋さんや喫茶店の並びます。一つの里ですから10分ほど歩いてある職人さんの工房とか。。。。。
半日ほど時間を作って廻るのも楽しいかもしれません。
でも、このような感じですから店や工房なども休みということも?
あまり時間がなかったので中心にある物産店と近くの喫茶で食事をしてお豆腐やさんで饅頭やら揚げたてガンモを。
ABCの評価としては。。。。。やはりAですなぁ。
でも、子供たちが小さい頃はじめていったときはもっと混雑していたように記憶しているのですが。。。。道の駅自体が過渡期なのでしょうか?
好きだけどなぁ。。。。道の駅
お盆休み。。。。。
この時期、毎年東京は静かになるはず
周辺道路もすいて空気も澄むはず。。。。
しかし今年は道路の渋滞も多い
平日の渋滞に比べてもひどい
どこかに出かける人が少なく
ショッピングモールあたりで家族で過ごす?
国会もお休みで議員の皆さんは外遊?
外遊といえば毎年何百万の人が海外へ
何百万とすごい人だが人口全体の比率では
数%ですからなぁ。。。。。
(Am8:30)
朝飯を食いました
だいぶ前のテレビ番組での
健康訓的な言葉に
減塩多酢
というようなものがあった
まぁ、この暑い時期減塩といっても
塩分は必要なわけでして。。。。
酢は。。。。我が家では米酢・黒酢
そして沖縄の泡盛の麹モロミで作ったモロミ酢
紫蘇ジュースにも酢はだいぶ入っています
効果は?
夏に強い僕ですが更にだるさがなくなったような
この夏は無事乗り越えられるでしょう。。。。。
(Am9:43)
昨日の朝日新聞11面「歴史つくれるか 民主党政権」と、今朝の「夏の基礎講座 生命」を読んでいろいろと思うことが。。。。。
東大名誉教授篠原一さんと分子生物学者福岡伸一さんのお話です。
篠原さんは、今の菅民主党内閣を「なお体制以降移行の途上」とした見方をお話されています。
55年体制当時のお話も出てきますが、僕の記憶では55年体制下での自民党社会党のある意味二大政党の中で市民運動というものが台頭してきて「脱イデオロギー」「既存政党ではだめ」といったようなさまざま市民運動の中心になる政治家が出てきました。その中に若き菅首相もいらしたのでしょう。
日本の55年体制は、アメリカソ・ビエトの冷戦体制とも似た階級闘争の要素を強くした「体制」でした。ですから市民運動は、この55年体制という「体制」に反対をした一つの運動と見ても間違いはないでしょう。
歴史は動いてソビエト東欧社会主義が崩れました。しかし資本主義の勝利を謳った資本主義は新自由主義に移行をしてその後の新自由主義の誤りから「資本主義も勝利したわけではない」という言葉が出ました。一方では、資本主義経済を利用した社会主義政権ともいえる中国が台頭します。ソビエトもロシアとなってから共産党を残しながら資本主義化が進みます。
冷戦体制、日本でいえば55年体制が崩壊をした中身は、社会主義あるいは日本の社会党総評ブロックはある意味「自壊」しました。一方資本主義は新自由主義の業病であるバブルの崩壊(恐慌・デフレ・スタグフレーション)が恒久化するというやはり「次回」に進みます。
社会主義は資本主義に負けたとか、資本主義の政策上の失敗とかいう段階のものではなくて、経済としてみるならば教条的な計画経済の自壊と市場万能主義ともいえる資本主義の自壊なわけです。
ここで「体制」の移行とはどういうことになるか。社会主義でも資本主義でもない体制への移行しかないということです。
ここに篠原さんのような論理も出てくるわけです。それはやはり市民社会なのかもしれません。しかしこの冷戦体制55年体制を否定をし、社会主義と資本主義が自壊したあとの市民社会というものはものすごく曖昧なものになります。結果は民主主義という御旗を立てて空想的な話し合いで決められる社会というものになり、その目指す社会構造は霧に包まれることになります。その表れが今の間内閣の右往左往する政権として見えるわけです。
なぜ市民運動がこのようなジレンマに陥るかといえば、やはりイデオロギーがないわけです。社会主義や新自由主義に変わるイデオロギーがないわけです。民主主義はある目標が決まっているからそれに向かって民主主義が機能するわけです。ビジョンがない中に民主主義は現れません。また、階級闘争という闘争事態は今はなくなりました。しかしこの階級間矛盾がなくなったわけではないのですから、今必要なのは階級間矛盾を闘争という形ではなくてどう解消できるかというビジョンやイデオロギが必要なのです。それがよりよい国家となるわけです。
福岡さんが「脳は偉くない」として、脳が指令を出して心臓は動いているわけではなく心臓は自分で動いているといったことを書いていますが、今の社会を動かしているのは偉い人といったいわば立派な脳があるから国民は動くと勘違いをされますが、そうではないということです。臓器が動かなければ脳も死ぬ。脳を移植すると臓器がその脳を攻撃するそうです。臓器が健康に動くからこそ脳の存在理由が生まれ、脳はいろいろな指令を出せる。そこに人間動物は健全な生命を維持できる。階級間矛盾はなくさねばなりません。同時に立派な脳が機能しなければならない。それがビジョンでありイデオロギーなわけです。これをどう民主的に討議されるか。。。それが篠原さんの主張でもあるのでしょう。
今存在するビジョンやイデオロギーでは、社会民主主義がその一つの有力なものでしょう。中国やロシアは社会主義の経験から移行しやすいかもしれない。日本も日本型社会主義ともいわれた55年体制化で自民党社会党の互いの妥協の中に生まれた日本型の社会があったわけでそれは大きな力になるでしょう。社会保健や年金、健康保険制度などが崩壊する前に。。。。そして雇用関係の経験や賃金体系も。
【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞「耕論」に「今こそ解散、なのか」という記事があった。
お三方の意見は、今すぐに解散すべきかという上っ面内見ではなくて二大政党制に矛盾の表れや民主主義の問題そして政局よりも政策を作り上げるべきなどといったこれまでの民主・自民のある意味最悪なスキャンダル国会による政局作りからの脱皮としてのマニフェスト重視とその破綻による政権交代を踏まえたこの間の民主とう政権と絡めた二大政党制を語っているのではないかと思います。
政策的議論が見えない中において自民党が強引に内閣不信任案を提出し、民主党内も菅おろしが露骨になった時点においては解散というものが一つの選択であったと今も思っていますし、今後も政策抜きの特に原発に頼らない社会を目指すという方向性を反故にするようなものが出てくるなら解散も必要でしょう。しかしこの解散がどうのというのは政局次第でもありますので、いま議論しなくてはいけないのは国会内の政策論争と速やかな被災地の速やかな復興と原発処理(原発のない社会も含めて)を行わなければならないということです。もちろんここには大連立がまた持ち上がってくるかもしれませんが、それは二大政党制の崩壊を意味すると同時に国会の民主主義にもかかわってくる問題ですので注意は必要でしょう。二大政党制批判は大連立を答えとしてはなりません。
ねじれ国会の矛盾は、政策のぶつかりではなくて、菅おろしもそうですがすぐに内閣の辞職や選挙に結び付けるだけの民主主義の欠落からの数合わせの矛盾でしかないはずです。
原発事故の処理や核汚染をどう食い止めるか、ここにも国民の命や健康そして生活を見つめる民主主義の目が必要なはずです。福島では草の根の住民による除染作業が進んでいるそうですし、お母さん方の個人的努力で子供が疎開をしている。こういう中で菅総理が辞任を言わざるを得ない政局が作られ、すでに次の代表がどうのというやはりよく見れば政策抜きの首相の座争いとしてしか見えないごたごたが起きている。菅総理が辞めないと法案の中身はともかく通さないと野党(少しは変化しましたが)。この国民意識と国会の意識のずれ。。。。。これがまだ今の状態においても変わりなく続く日本の悲惨さです。あらゆるものは民主主義から見つめなければなりません。
その意味では改憲をどうするというものの視点を僕たちは見つめねばならないでしょう。。。。
脱原発とか増税反対とか、いろいろ国民のためを考えた政策は評価はしなければなりません。しかし最後に改憲では民主主義や平和は守れないでしょう。
【2012年】ツイッターつぶやき
消費増税案が参議院で可決された。
野田総理は消費増税に命だか政治生命だかをかけるとして決める政治を貫くと言っていた。
しかしこの決める政治の中身はなんだったのだろうか?
本来なら決める政治とは国民の理解を得ることである。民主党は国民の信を得た政策を捨て去り菅前総理は消費増税を言い出した。その後の野田内閣は消費増税路線を突っ走った。消費増税は社会保障の充実に使うというがその充実にはわずかな税しか使われないようである。いつの間にか国家財政を立て直すことが消費増税の目的となり、10%では足りないと言っていた。ここにはすべてにわたって国民の理解を得るということでの決める政治の努力もないしむしろ国民無視という形こそが決める政治なった。
野田内閣は真の決める政治などはやっていないのである。
それでは野田内閣の決める政治とはなんだったか。
消費増税自体は自らの変質で政策の最重要課題にもした。ここに自民党との政策上の違いはほとんどなくなったわけで、二大政党という圧倒的な数で消費増税は決まったも同然であった。しかしなぜそこで命や政治生命をかけた決める政治をことさらに強調したのか。公明党は自民党を何とかすればどうにでもなる。自民党との政局をあらわにした権力闘争なのである。この権力闘争の中でボタンのかけ違いが一番怖いわけで、これを避けることそして権力闘争を有利に運ぶことに命や政治生命をかけて決める政治を行うといったのである。一方自民党も消費税や流行りたい。法案には自民党色を出して成立させて総選挙を行い又権力を握ることが目的だった。
結局は政局に始まり政局に政治生命をかけた決める政治が行われたということである。
今後の原発の在り方も中身のないままに原発の再稼働が行われ、ここでも国民の意見を虫をした決める政治が内閣のそれも少数の関係閣僚だけで決められた。消費増税と同じ手法で行われた決める政治だった。
国会の権力は数の力である。選挙に勝てば何でもありの世界で国民への約束や国民の意思は無視されるべきものであると。これは国のためとか国民のためという言葉で自己正当化されていく。
しかし国民といっても影形の見えないものである。一般の勤労国民もいれば財界人も国民である。野田総理は幅広い国民の声を聞いて判断すると、たしか再稼働時に言っていたと記憶するが、この国民こそが財界人なわけである。勤労国民の声は音がするという程度のものでしかないわけです。
決める政治で安定的な政治が行われるとマスコミまでは称賛しているが、以上書いてきた中身として決める政治があるならば、それを称賛してどうするのでしょう。
朝日新聞の社説ではこの決める政治をある程度評価している。一方では国民生活の悪化や公共事業というコンクリートの政治の財源となることを危惧している。まずは消費増税ありきであるから今回の決める政治を評価するだろう。あとの国民生活の不安はここでも先送りされた課題となり、今の先送り政治の典型をマスコミも示しているのではないだろうか。
この後の選挙が重大であることは間違いない。消費増税が適当かどうかの判断はこれからもできるわけだから選挙で民主的な勢力を伸ばすことは重要である。しかし選挙だけに期待をしてはだめだろう。消費増税ストップの運動はできるだろう。再稼働反対もこれからが本番でしょう。決められる政治や決める政治に対抗する民主主義擁護の運動も。だんだんと今の政治と社会の仕組みが明らかになってきています。ここをしっかりと見つめていきましょう。自らの生活を見ながら。。。。
このような不平や不満を言うことに非難をする人々もいます。内部矛盾ですね。。。。勤労国民間の中の。
【2013年】ツイッターつぶやき
ツイッターやそれを通じてのブログなど、様々な課題やその視点での意見がかかれている。
今の日本はどっと矛盾が噴き出てきてその矛盾はさらに拡大されていく様子を見せています。ですから課題が大きく多くなっていきます。
経済や教育、原発問題、TPPそして改憲などなど。。。。
その一つ一つの問題点が出されるのですが、それがどうもつながっていかないですね。一人ひとりが問題視する事柄の根底には何があるのでしょうか?
ここを見つめないとつながりは出てこないでしょう。たとえば一人の人が原発について関心は持つがその他のこととなるとあまり考えない。するとその人から見ると原発問題で一致しないと批判対象になる。それは政党の動きにも敏感となって批判的になる。ここでは原発問題を例にしましたが多くの課題一つひとつの中に同じようなものを感じているのではないでしょうか。
脱原発はあらゆる層の人が不安を持ち語るが、しかし社会保障となるとその脱原発の方の中にも社会保障の切り下げには無関心だったり賛成する。そこにはこの二つの課題をつなげる基軸がないわけです。脱原発を考えたり具体的な運動をしている方は脱原発も経済的なものの中にあることにぶつかるでしょう。たとえば経済的なものが解決されないと原発のある地元の方々もそうはすんなり脱原発とならない。もちろん社会保障は経済的問題です。両方ともに経済的な課題にぶつかってそこに壁ができる。そしてその壁があることで国民の犠牲が拡大する。そうすると、原発問題も社会保障も今の経済の流れの中において共に国民の生活や命が犠牲にさせられているという共通項が見えてそれは両課題の問題点を結ぶ基軸が見える。
そのほかの多くの課題もどこかで必ず経済問題とそこからの国民生活の犠牲が見えてくるはずです。
様々な課題を政党も羅列しますが、そういった課題の羅列では力にならない。なぜ民主党が政権を奪うことができたのか?それは「国民生活の視点」という基軸を設けることができたからです。今は経済的な問題からの国民犠牲が高まり、その国民犠牲は民主主義の欠如にもあると言えます。これを基軸とするには間違いや足りないものがあることは十分承知ですが、こういった一つの基軸の下にその視点で様々な課題を結び付けていけばある一定のまとまりができるでしょう。
政党もこの国民の意見を聞けるのは我が党だけであるといったところにとどまらず、党の基本は持ちつつ広さを持った運動による結集が必要でしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターに「労働生産性革命で株価1万8000円へ」という記事がる。
たしかに労働の生産性と株価については因果関係はあるでしょう。しかし株価上昇のための労働の生産性とは何か?たしかに「すき家に見る日本的サービスの無理」(引用)というブラック企業と呼ばれる企業体質は否定をされているが、労働力不足からの労働の生産性を言う場合どうしてもコスト扱いされる賃金や雇用切り下げによって企業利益を維持するという政策や企業論理は根強くあるわけでして、これを本来の労働の生産性に結びつける方向性は新しいというのは本来の形に戻すためにはこの記事はどう理解したらよいのか?労働の生産性を上げて労働力不足を解消する?
しかしこの記事から離れて労働の生産性とはどのような結果をもたらすかを見ると、一つは商品価値の低下であり、雇用の減少とその中での低賃金化である。ブラック企業は許さないにしても企業論理は継続をされる。
企業利益の増大に株価上昇がリンクするわけですから、その中間には労働の生産性の向上による企業利益の拡大が見える。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「今、頑張れ!を言いたい人は?」
高度成長を支えた人、バブルにまでなるほど働いた人、不況期にも窓際族ともいわれた人。これが高齢者ですね。
常に結婚をとるか仕事をとるか、そして子育ても仕事もと突きつけられて低賃金に抑えられてきた女性。輝く女性はとん挫してしまいましたね。
一生懸命に働けば結婚して家を持ててどうにか退職金や年金で老後を過ごすという当たり前の条件のはしごを外されそうで、時にはブラックな働き方をさせられる若い人たち。
不信だらけの政治に小バカにでもさせられていると思う瞬間がありますね。
また戦争の道を危惧せざるを得なくなったすべての国民。。。。。。
頑張れ!といいたいです。
いや、頑張りましょう!!
国は国民が作るもので作ってきました。
これからも作り上げていくと思います。歴史の物差しは長いですが、頑張りましょう。
その中でたくさんの優れた政治家がさらに生まれるでしょう。
政治家だけではなくて知識人や専門家そして報道陣も。
もちろん国民全体が頑張れるわけではありません。
お調子者や邪魔をする人もいますが、総体において国民ですから・・・・・
【2018年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「禁忌と欲望。」が更新されました。
韓信の股くぐり。。。。。
飛び跳ねる(欲望)ことと、回転すること(忍耐)。。。
禁忌が欲望を生む。。。。
飛び跳ねないようにすることが禁忌ですが、回転しないようにするのも禁忌。
どうしようもない欲望に飛び跳ねることは禁忌を破る。欲望を忍耐で抑えることも禁忌を破ること。
結局人は自然そのものとして生きることしかできませんなぁ。。。。。
【2019年】ツイッターつぶやき
1年ぶりに冷や汁を作りました。
わが家の冷や汁の作り方は邪道かもと思いつつもおいしいので夏は作ります。
なぜ邪道かというと、茄子を入れたいのでまずは茄子の味噌汁作りから。本来はすり鉢に味噌を入れて作るようですが、、、、、、
今夜は小松菜も入れて茄子の味噌汁を作ります。味は濃いめです。
これを洗い桶などに水を入れて冷まします。
冷めたら冷蔵庫の中へ。
具材はさっと塩茹でしたオクラ、ミョウガの千切り、さっと塩もみした胡瓜、千切り大葉、ほぐした豆腐、アジの干物を焼いてほぐしたものです。
冷蔵庫で冷たくなった那須の味噌汁に上の具材を入れて盛り付けたら分葱のみじん切りと胡麻を乗せたら出来上がりです。
豆腐とアジの干物のたんぱく質もありますし案外栄養たっぷりかもしれません。
〆はご飯を入れてさらさらっと。。。。。。
オクラのとろみがどうかなと思いましたがそうでもなくておいしかったです。
【2020年】ツイッターつぶやき
かなりやばいです。
夜10時、この時間でも室内の気温が33.7度あります。
完全に壁が熱を吸収してしまったようです。
このまま寝たらやばいですなぁ。。。。。。。
子供の頃、窓を開けて蚊帳をつって扇風機をつけて寝てましたが、その当時はその扇風機の風でも涼しく感じました。今ではエアコンの風がないとだめです。温暖化で気温が上がっているのかもしれませんが、人間の体自体が暑さ寒さに弱くなっているのかもしれません。そういえば、子供の頃炎天下で遊んでいると日射病になると注意されましたが、夜はそんなことは言われたことがなかったです。今で熱中症を夜も心配しなければならない。
10年後20年後ぐらいには夏は40度が当たり前になるのかもしれませんね。
【2021年】ツイッターつぶやき
東京の重症者数が急上場しています。
確保病床392床に対して重症者数は197名です。
中等症以下の病床も確保病床5967床に対して3667人となっています。
まだ入院できるだけましで
宿泊療養 1,765 人 自宅療養 19,396 人 入院・療養等調整中 10,861 人
入院できない人が圧倒的に多くなっています。今問題になっている自宅療養者数はすぐに2万人に達するでしょう。
新規感染者数が急上昇すれば重症者数も急上昇することは自明です。政府は高齢者のワクチン接種により重症者はそうは多くならないと見ていたのでしょうが、若い人でも重症化するということがはっきりしてきました。
死亡者数はそうは増加していませんが、重症者が増加し、自宅量余が増加すれば今後増加をするのではないかと思われます。また警視庁の変死でのコロナ感染者も多く報告され数字に表れない死亡者が増加している懸念があります。厚労相自体この死亡者数の把握が困難になっています。
この東京の実態は全国に広がるでしょう。すでに沖縄県は東京以上の医療崩壊となっています。
【2022年】ツイッターつぶやき
夕方から少し風が強くなってきました。
熱帯低気圧が接近してくるそうで、接近にともない台風になるかもしれないとのことです。
日本近海で台風に発達するということはあまり聞いたことがないですが、日本近海の気温も海水温も高いのかな。
数年前、今回の台風と同じコースの台風が上陸前に西に向かったということがありました。昔からフィリピン沖で発生した台風と同じものが日本近海で起きているのかもしれません。
伊豆半島あたりに上陸でしょうか?そして東京湾上空を通過しそうです。
雨風の警戒情報が出ていないのでそうは大きな台風ではないのかもしれませんが、雨が降らないうちに3日分の買い物をしてベランダを片付けたいと思います。
何となく秋台風のコースのようですが、台風が過ぎても残暑は厳しそうです。
【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカのインフレの結果がどのように現れているか、賃上げもあったがインフレには追い付かず、賃上げがあれば企業は値上げをする。
インフレで物価が上昇すれば、その物価に対して格差が生じる。インフレになればなるほど格差は拡大する。
格差の拡大は、中間層を低所得層にし、低所得層は貧困層となる。
アメリカの賃金が円換算にするとすごいと思うだろうが、消費を見れば、そのすごい賃金額で何が買えるかとなる。
これは日本も無関係ではなく、悪性の物価高による消費の縮小は貧困化に結びつく。
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
夏生さんの「とにかくあてもなくこのドアをあけよう」(幻冬社文庫)と吉本花なの「ハードボイルド」を買いました。
【2004年】
南房総にドライブにいってきました。
夏休み中は平日でも渋滞が激しいので早朝に出発。
釣り糸を少したらしたのですが、うんともすんともウキは動かない。。。。1時間ほどであきらめました。ここは鰺や鰯の小さいのがいるのですが、今日はお留守でした。
花のきれいな温室に行ったのですが、夏の温室は二度と行かない・・・
南房総は早い花で有名なので、温室も冬にきれいな花を咲かせることになっているようです。夏は何の花もない。
海岸沿いのきれいな風景の中を走っていたのですが、もうトンボがたくさん飛んでいました。秋は早いかもしれません。
【2005年】
水槽の掃除をしました。
そうしたら、いつの間にか死んでしまった魚が何匹か沈んでいました。約2年ぐらいしか生きない小さな魚ばかりなので仕方ありません。でも夏は水温管理が難しく、そのせいかも?冬はヒーターで調節できますが、夏は冷やすことができないです。一応フィルターのふたを開けて風で冷やすようにしました。
魚の数がさみしいので少し買ってきたのですが、よくよく思い出したら、その魚は7センチぐらいまで大きくなる魚でした。ううう。。。
車に乗るとき、安室浪江のアルバムを聞いています。
CMとかで流れているあのヒップポップ系というのか?少し暗いような歌です。誕生日に娘と妻が買ってくれました。妻は「えぇ~、あのヒップポップのようなのよぉ。。。?」と。でも歌は上手いと思うんだが。。。。
離婚して小さな子を育てながら頑張ってるし。。。松田聖子と比べる人もあるようだけど、どこかちがうような気がする。「ママドル」ではないですよね。。。。
スーパーなどに買い物に行くと10代後半から20歳前半のママさんを最近よく見ます。案外若いときに結婚する女性が増えているのかもしれない。安室浪江はそんなままさんの手本みたいなものかな?ルックスが案外似ている様な。。。
「ファースト・プライオリティー」
角川文庫
山本 文緒 著
ある女子高あるいは女子大を卒業した女性たち。これまでは学生として自分自身の基礎を築く場所におり、親や学校の中に保護をされた環境の中にいた。もちろん個性のある女性たちではあるが、社会的に見れば学生という集団の中の一人であり、社会的個性はまだできていない。
そんな彼女たちは、社会の中に羽ばたき出る。
一人で食うために社会に出る。巣立ちというのは、社会の中ではじめてその女性の個性が出される場である。男社会の中での女性軽視など社会には様々な矛盾があるが、その矛盾する社会に無条件に入らなければならない。その巣立ちには、これまでの学生という立場で築かれた基礎において出発点も違うし、人生観の違いの中でのものである。もちろん育った環境もある。だから、その巣立ちにも様々な形態としてその後の彼女たちの未来を規定し、出発点からしてその違いは出てくる。
彼女たちが巣立ちをして10年前後の月日が流れ、彼女たちは31歳になった。
上に書いたことは僕の空想であるが、このようなことを想像することができるように「ファースト・プライオリティー」という作品は、その31歳の女性たちが主人公となった短編集である。
「冒険」「ボランティア」をのぞき、すべての短編はちょうど10ページとなっている(とは言っても「冒険」も「ボランティア」も12ページ)。31人の女性の物語である。ちょうど10ページづつ割り振られた31歳になった31人の女性たち、ここにこの作品の意図するものもあるのかもしれない。
女性というのは、男に比べると社会的の中において精神的に10歳はその精神年齢を高めるのかもしれない。男は大体40歳になる頃に、今までの人生を振り返ることがある。私生活においても社会生活においても、「こういう大人が一人出来上がった」という結論が人生の中間点として見えてくる。そしてその後の後半の人生を思い描くのである。女性はこの男が40才頃に思う気持ちを30歳を越えた頃に思うのか?結婚の適齢期(体的に子供を持つことができる)の限界も見えてくる。そして男社会の中では、仕事の先も見えてくるのかもしれない。そういう中で31歳は女性にとっての区切りを感じる年齢なのかな?
この区切りを迎えた女性たちは、作品中では幸福な生活を送っているわけではない。恋・結婚・子育て・仕事・家族などと何かしら今までを振り返りながら今を悩んでいるようである。そしてこれからに不安を持ちながら生きていこうとしている。
「31歳」という短編には次のような言葉が出てくる。
「30歳を出たくらいの女っていいじゃないか。そろそろ迷いが吹っ切れて、腹がくくれてて、でもやり直しもスタートもできる歳だろ」
(305ページ)
これまでの人生を振り返ればひとつの大人の女が出来上がっている。その自分を見たときには、いろいろな不満もあるが、同時にその不満な部分からまだ抜け出せる年齢でもある。
作品中の女性は、今を憂うがそこから1歩出ようとするし、同時に今ある生活に生きようと腹をくくる。
弱さもたくさん抱えている女性たちだが、そこには強い部分もある。
「今のままではいけない」「今のままに何を求めるか」その中に女性たちは動くのである。もちろんその動き方はいろいろである。しかし何か吹っ切れたものを持って生きようとしていく。
今の生活に疲れるだけではなく、ただたんに笑い飛ばすだけでもなく、これからに一筋の光を求める姿に強さを見るのである。
雑誌に出てくるようなセレブな生活をする女性は出てこない。出てくる女性はその辺どこにでもいる等身大の女性たちである。だからこそ、そのような女性たちの力強さに暖かいものを感じるのだろう。
その強さの中心となるものは、これからの人生の中においてのプライオリティーすなわち優先すべきもの、あるいは今大切にすべきものというのか、それの存在に気付くことなのかもしれない。
それは、人並み以上の優れたものでもなく、人並み以上に目立つようなものでもない。恋であり結婚であり、仕事でありそれはすべて日常にある。もちろん優先すべきものの反面には切り捨てるものあきらめるもの置き去りにするものも出てくるだろう。それもまた恋であり結婚であり仕事である日常のものなのだろう。
最後の短編は、「小説」である。
30人のいろいろな女性たちを描いてきて、山本さん自身をご自身が見つめたような短編である。離婚の経過も書かれ、小説家といえば華やかな生活を思い描くが実際はそうではないこと、読者に認められないことなどなど。。。
離婚後の自分。。。
恋や結婚、小説にももどかしさは残るが、その中に吹っ切れたある心や腹をくくろうとする小説家の姿がある。
このたぶん山本さんご自身の姿であろうが、そこに見るのはそれまで描いてきた等身大の女性たちとなんら変わるものはないのであり、同じ31歳の女として生きていこうとするものを思い起こされる作品である。
「小説」の主人公は、結婚生活を失う。しかし小説を書くことに一筋の光を見るのである。山本さんのプライオリティーは小説なのである。
ここに迷いが吹っ切れ、腹をくくる一人の31歳の女性がいるのである。
偶然にも群ようこさんの「姉の結婚」の後に続けて読んだが、題材としては同じものだろう。作家の個性が見えておもしろいと思った。
【2006年】
今夜は柔らかジューシートンカツ。
「おまけ日記」では時々紹介しましたが、薄切りの豚ロース肉を重ねてトンカツにします。よ~っく重ね合わせないと、あげているときに肉と肉とがはがれてしまうのでお気をつけください。
この前、妻とスーパーの家庭用品売り場に行ったら、安売りのカーテンがありました。我が家のカーテンもだいぶ疲れてきているので買って来ました。いちおう遮光効果のあるカーテンなのですが、やはり安いだけあって薄くてあまり光を遮りません。。。。安くてあまり遮光効果のないカーテン。。。。たしか川上さんの「夜の公園」に出てきたと思います。暁のアパートのカーテンもこんな感じだったのか。。。
【2007年】
8月10日は、僕にとってけして忘れられない一日となりました。
そう。。。。
銀色夏生さんのサイン会でお会いし、一言お話をし、そして握手(感涙)
当日ははやる心を抑えきれずに早く着きすぎてしまいました。しばらく渡辺諄一さんのインタビューを聞いていたのですが、サイン会が始まるのが7時半ということで腹ごしらいを。
しかし。。。。
飯を食うとき酒がほしくなる。緊張のうえになおさら。
ビール1杯が2杯に。。。ううう
サイン会が始まりました!!
ズボン姿にハンチング帽?少し緊張気味に司会の方に「恥ずかしい。。。」
今回のサイン会を開いた思いや同席した幻冬舎の菊池さんとの「へなちょこ2」のエピソードも少し。
お声はやさしかったです。。。。。笑顔も素敵でした。
ショート風の髪は、寝癖のつきやすい髪でした。。。。(笑)
。。。「つれづれ」のイラストを思い出します。
やはり印象的なのは、夏生さんの目。。。。
僕の番になったのですが、その目で見つめられたときは。。。。もうだめ。頭の中が真っ白になってしまいました。「しげちゃん」のご様態など聞きたいことはたくさんあったのですが、「へなちょこ2」の感想文をお渡しするだけで精一杯でした。ただ一言サインの上に押していただいた「クロちゃん」スタンプを見て「これクロちゃんですか?」と質問。。。。ううう・・・こんな質問、情けない。
でも、夏生さんや菊池さんが「もうお読みになったのですか?」と。
「はい!」
ホームページに書いた感想を印刷したもの(時間がなくてこのような形のものは失礼かと思ったのですが。。。)を受け取っていただけました。
120人もの方が集まるので、こんなにお話ができるなんて思っても見なかったのでもっと落ち着いてお話がしたかった。インタビューのことなども。
最後に握手。。。。
柔らかくて温かい感触は一生忘れないと思います。
あの手が素敵な言葉を紡いでいらっしゃるのですねぇ。。。
清水の舞台から飛び降りるような気持ちで参加。。。。(笑)
こうやって書くのも冷や汗。。。ううう
でも、夏生さんも僕たちファンの前に一歩出ていただいたのですからね♪
僕も一歩。。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
道の駅 たくみ
群馬県水上(みなかみ)にあります。
こちらの道の駅に立ち寄るのは今回で3回目となりますが、何しろ広すぎてすべてを見るということができません。何といったらよいのか。。。。一つの里がそのまま道の駅になっているという感じです。もちろん道の駅としてだけではなくて水上の町の観光名所といったように整備された地区です。
中心には水上の物産や新鮮な野菜を売るところがどこの道の駅とも同じくあるのですが、そこを中心にして整備された道を歩きながら職人さんが作るいろいろな民芸品や食品を売る店があり、食事をするための蕎麦屋さんや喫茶店の並びます。一つの里ですから10分ほど歩いてある職人さんの工房とか。。。。。
半日ほど時間を作って廻るのも楽しいかもしれません。
でも、このような感じですから店や工房なども休みということも?
あまり時間がなかったので中心にある物産店と近くの喫茶で食事をしてお豆腐やさんで饅頭やら揚げたてガンモを。
ABCの評価としては。。。。。やはりAですなぁ。
でも、子供たちが小さい頃はじめていったときはもっと混雑していたように記憶しているのですが。。。。道の駅自体が過渡期なのでしょうか?
好きだけどなぁ。。。。道の駅
お盆休み。。。。。
この時期、毎年東京は静かになるはず
周辺道路もすいて空気も澄むはず。。。。
しかし今年は道路の渋滞も多い
平日の渋滞に比べてもひどい
どこかに出かける人が少なく
ショッピングモールあたりで家族で過ごす?
国会もお休みで議員の皆さんは外遊?
外遊といえば毎年何百万の人が海外へ
何百万とすごい人だが人口全体の比率では
数%ですからなぁ。。。。。
(Am8:30)
朝飯を食いました
だいぶ前のテレビ番組での
健康訓的な言葉に
減塩多酢
というようなものがあった
まぁ、この暑い時期減塩といっても
塩分は必要なわけでして。。。。
酢は。。。。我が家では米酢・黒酢
そして沖縄の泡盛の麹モロミで作ったモロミ酢
紫蘇ジュースにも酢はだいぶ入っています
効果は?
夏に強い僕ですが更にだるさがなくなったような
この夏は無事乗り越えられるでしょう。。。。。
(Am9:43)
昨日の朝日新聞11面「歴史つくれるか 民主党政権」と、今朝の「夏の基礎講座 生命」を読んでいろいろと思うことが。。。。。
東大名誉教授篠原一さんと分子生物学者福岡伸一さんのお話です。
篠原さんは、今の菅民主党内閣を「なお体制以降移行の途上」とした見方をお話されています。
55年体制当時のお話も出てきますが、僕の記憶では55年体制下での自民党社会党のある意味二大政党の中で市民運動というものが台頭してきて「脱イデオロギー」「既存政党ではだめ」といったようなさまざま市民運動の中心になる政治家が出てきました。その中に若き菅首相もいらしたのでしょう。
日本の55年体制は、アメリカソ・ビエトの冷戦体制とも似た階級闘争の要素を強くした「体制」でした。ですから市民運動は、この55年体制という「体制」に反対をした一つの運動と見ても間違いはないでしょう。
歴史は動いてソビエト東欧社会主義が崩れました。しかし資本主義の勝利を謳った資本主義は新自由主義に移行をしてその後の新自由主義の誤りから「資本主義も勝利したわけではない」という言葉が出ました。一方では、資本主義経済を利用した社会主義政権ともいえる中国が台頭します。ソビエトもロシアとなってから共産党を残しながら資本主義化が進みます。
冷戦体制、日本でいえば55年体制が崩壊をした中身は、社会主義あるいは日本の社会党総評ブロックはある意味「自壊」しました。一方資本主義は新自由主義の業病であるバブルの崩壊(恐慌・デフレ・スタグフレーション)が恒久化するというやはり「次回」に進みます。
社会主義は資本主義に負けたとか、資本主義の政策上の失敗とかいう段階のものではなくて、経済としてみるならば教条的な計画経済の自壊と市場万能主義ともいえる資本主義の自壊なわけです。
ここで「体制」の移行とはどういうことになるか。社会主義でも資本主義でもない体制への移行しかないということです。
ここに篠原さんのような論理も出てくるわけです。それはやはり市民社会なのかもしれません。しかしこの冷戦体制55年体制を否定をし、社会主義と資本主義が自壊したあとの市民社会というものはものすごく曖昧なものになります。結果は民主主義という御旗を立てて空想的な話し合いで決められる社会というものになり、その目指す社会構造は霧に包まれることになります。その表れが今の間内閣の右往左往する政権として見えるわけです。
なぜ市民運動がこのようなジレンマに陥るかといえば、やはりイデオロギーがないわけです。社会主義や新自由主義に変わるイデオロギーがないわけです。民主主義はある目標が決まっているからそれに向かって民主主義が機能するわけです。ビジョンがない中に民主主義は現れません。また、階級闘争という闘争事態は今はなくなりました。しかしこの階級間矛盾がなくなったわけではないのですから、今必要なのは階級間矛盾を闘争という形ではなくてどう解消できるかというビジョンやイデオロギが必要なのです。それがよりよい国家となるわけです。
福岡さんが「脳は偉くない」として、脳が指令を出して心臓は動いているわけではなく心臓は自分で動いているといったことを書いていますが、今の社会を動かしているのは偉い人といったいわば立派な脳があるから国民は動くと勘違いをされますが、そうではないということです。臓器が動かなければ脳も死ぬ。脳を移植すると臓器がその脳を攻撃するそうです。臓器が健康に動くからこそ脳の存在理由が生まれ、脳はいろいろな指令を出せる。そこに人間動物は健全な生命を維持できる。階級間矛盾はなくさねばなりません。同時に立派な脳が機能しなければならない。それがビジョンでありイデオロギーなわけです。これをどう民主的に討議されるか。。。それが篠原さんの主張でもあるのでしょう。
今存在するビジョンやイデオロギーでは、社会民主主義がその一つの有力なものでしょう。中国やロシアは社会主義の経験から移行しやすいかもしれない。日本も日本型社会主義ともいわれた55年体制化で自民党社会党の互いの妥協の中に生まれた日本型の社会があったわけでそれは大きな力になるでしょう。社会保健や年金、健康保険制度などが崩壊する前に。。。。そして雇用関係の経験や賃金体系も。
【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞「耕論」に「今こそ解散、なのか」という記事があった。
お三方の意見は、今すぐに解散すべきかという上っ面内見ではなくて二大政党制に矛盾の表れや民主主義の問題そして政局よりも政策を作り上げるべきなどといったこれまでの民主・自民のある意味最悪なスキャンダル国会による政局作りからの脱皮としてのマニフェスト重視とその破綻による政権交代を踏まえたこの間の民主とう政権と絡めた二大政党制を語っているのではないかと思います。
政策的議論が見えない中において自民党が強引に内閣不信任案を提出し、民主党内も菅おろしが露骨になった時点においては解散というものが一つの選択であったと今も思っていますし、今後も政策抜きの特に原発に頼らない社会を目指すという方向性を反故にするようなものが出てくるなら解散も必要でしょう。しかしこの解散がどうのというのは政局次第でもありますので、いま議論しなくてはいけないのは国会内の政策論争と速やかな被災地の速やかな復興と原発処理(原発のない社会も含めて)を行わなければならないということです。もちろんここには大連立がまた持ち上がってくるかもしれませんが、それは二大政党制の崩壊を意味すると同時に国会の民主主義にもかかわってくる問題ですので注意は必要でしょう。二大政党制批判は大連立を答えとしてはなりません。
ねじれ国会の矛盾は、政策のぶつかりではなくて、菅おろしもそうですがすぐに内閣の辞職や選挙に結び付けるだけの民主主義の欠落からの数合わせの矛盾でしかないはずです。
原発事故の処理や核汚染をどう食い止めるか、ここにも国民の命や健康そして生活を見つめる民主主義の目が必要なはずです。福島では草の根の住民による除染作業が進んでいるそうですし、お母さん方の個人的努力で子供が疎開をしている。こういう中で菅総理が辞任を言わざるを得ない政局が作られ、すでに次の代表がどうのというやはりよく見れば政策抜きの首相の座争いとしてしか見えないごたごたが起きている。菅総理が辞めないと法案の中身はともかく通さないと野党(少しは変化しましたが)。この国民意識と国会の意識のずれ。。。。。これがまだ今の状態においても変わりなく続く日本の悲惨さです。あらゆるものは民主主義から見つめなければなりません。
その意味では改憲をどうするというものの視点を僕たちは見つめねばならないでしょう。。。。
脱原発とか増税反対とか、いろいろ国民のためを考えた政策は評価はしなければなりません。しかし最後に改憲では民主主義や平和は守れないでしょう。
【2012年】ツイッターつぶやき
消費増税案が参議院で可決された。
野田総理は消費増税に命だか政治生命だかをかけるとして決める政治を貫くと言っていた。
しかしこの決める政治の中身はなんだったのだろうか?
本来なら決める政治とは国民の理解を得ることである。民主党は国民の信を得た政策を捨て去り菅前総理は消費増税を言い出した。その後の野田内閣は消費増税路線を突っ走った。消費増税は社会保障の充実に使うというがその充実にはわずかな税しか使われないようである。いつの間にか国家財政を立て直すことが消費増税の目的となり、10%では足りないと言っていた。ここにはすべてにわたって国民の理解を得るということでの決める政治の努力もないしむしろ国民無視という形こそが決める政治なった。
野田内閣は真の決める政治などはやっていないのである。
それでは野田内閣の決める政治とはなんだったか。
消費増税自体は自らの変質で政策の最重要課題にもした。ここに自民党との政策上の違いはほとんどなくなったわけで、二大政党という圧倒的な数で消費増税は決まったも同然であった。しかしなぜそこで命や政治生命をかけた決める政治をことさらに強調したのか。公明党は自民党を何とかすればどうにでもなる。自民党との政局をあらわにした権力闘争なのである。この権力闘争の中でボタンのかけ違いが一番怖いわけで、これを避けることそして権力闘争を有利に運ぶことに命や政治生命をかけて決める政治を行うといったのである。一方自民党も消費税や流行りたい。法案には自民党色を出して成立させて総選挙を行い又権力を握ることが目的だった。
結局は政局に始まり政局に政治生命をかけた決める政治が行われたということである。
今後の原発の在り方も中身のないままに原発の再稼働が行われ、ここでも国民の意見を虫をした決める政治が内閣のそれも少数の関係閣僚だけで決められた。消費増税と同じ手法で行われた決める政治だった。
国会の権力は数の力である。選挙に勝てば何でもありの世界で国民への約束や国民の意思は無視されるべきものであると。これは国のためとか国民のためという言葉で自己正当化されていく。
しかし国民といっても影形の見えないものである。一般の勤労国民もいれば財界人も国民である。野田総理は幅広い国民の声を聞いて判断すると、たしか再稼働時に言っていたと記憶するが、この国民こそが財界人なわけである。勤労国民の声は音がするという程度のものでしかないわけです。
決める政治で安定的な政治が行われるとマスコミまでは称賛しているが、以上書いてきた中身として決める政治があるならば、それを称賛してどうするのでしょう。
朝日新聞の社説ではこの決める政治をある程度評価している。一方では国民生活の悪化や公共事業というコンクリートの政治の財源となることを危惧している。まずは消費増税ありきであるから今回の決める政治を評価するだろう。あとの国民生活の不安はここでも先送りされた課題となり、今の先送り政治の典型をマスコミも示しているのではないだろうか。
この後の選挙が重大であることは間違いない。消費増税が適当かどうかの判断はこれからもできるわけだから選挙で民主的な勢力を伸ばすことは重要である。しかし選挙だけに期待をしてはだめだろう。消費増税ストップの運動はできるだろう。再稼働反対もこれからが本番でしょう。決められる政治や決める政治に対抗する民主主義擁護の運動も。だんだんと今の政治と社会の仕組みが明らかになってきています。ここをしっかりと見つめていきましょう。自らの生活を見ながら。。。。
このような不平や不満を言うことに非難をする人々もいます。内部矛盾ですね。。。。勤労国民間の中の。
【2013年】ツイッターつぶやき
ツイッターやそれを通じてのブログなど、様々な課題やその視点での意見がかかれている。
今の日本はどっと矛盾が噴き出てきてその矛盾はさらに拡大されていく様子を見せています。ですから課題が大きく多くなっていきます。
経済や教育、原発問題、TPPそして改憲などなど。。。。
その一つ一つの問題点が出されるのですが、それがどうもつながっていかないですね。一人ひとりが問題視する事柄の根底には何があるのでしょうか?
ここを見つめないとつながりは出てこないでしょう。たとえば一人の人が原発について関心は持つがその他のこととなるとあまり考えない。するとその人から見ると原発問題で一致しないと批判対象になる。それは政党の動きにも敏感となって批判的になる。ここでは原発問題を例にしましたが多くの課題一つひとつの中に同じようなものを感じているのではないでしょうか。
脱原発はあらゆる層の人が不安を持ち語るが、しかし社会保障となるとその脱原発の方の中にも社会保障の切り下げには無関心だったり賛成する。そこにはこの二つの課題をつなげる基軸がないわけです。脱原発を考えたり具体的な運動をしている方は脱原発も経済的なものの中にあることにぶつかるでしょう。たとえば経済的なものが解決されないと原発のある地元の方々もそうはすんなり脱原発とならない。もちろん社会保障は経済的問題です。両方ともに経済的な課題にぶつかってそこに壁ができる。そしてその壁があることで国民の犠牲が拡大する。そうすると、原発問題も社会保障も今の経済の流れの中において共に国民の生活や命が犠牲にさせられているという共通項が見えてそれは両課題の問題点を結ぶ基軸が見える。
そのほかの多くの課題もどこかで必ず経済問題とそこからの国民生活の犠牲が見えてくるはずです。
様々な課題を政党も羅列しますが、そういった課題の羅列では力にならない。なぜ民主党が政権を奪うことができたのか?それは「国民生活の視点」という基軸を設けることができたからです。今は経済的な問題からの国民犠牲が高まり、その国民犠牲は民主主義の欠如にもあると言えます。これを基軸とするには間違いや足りないものがあることは十分承知ですが、こういった一つの基軸の下にその視点で様々な課題を結び付けていけばある一定のまとまりができるでしょう。
政党もこの国民の意見を聞けるのは我が党だけであるといったところにとどまらず、党の基本は持ちつつ広さを持った運動による結集が必要でしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターに「労働生産性革命で株価1万8000円へ」という記事がる。
たしかに労働の生産性と株価については因果関係はあるでしょう。しかし株価上昇のための労働の生産性とは何か?たしかに「すき家に見る日本的サービスの無理」(引用)というブラック企業と呼ばれる企業体質は否定をされているが、労働力不足からの労働の生産性を言う場合どうしてもコスト扱いされる賃金や雇用切り下げによって企業利益を維持するという政策や企業論理は根強くあるわけでして、これを本来の労働の生産性に結びつける方向性は新しいというのは本来の形に戻すためにはこの記事はどう理解したらよいのか?労働の生産性を上げて労働力不足を解消する?
しかしこの記事から離れて労働の生産性とはどのような結果をもたらすかを見ると、一つは商品価値の低下であり、雇用の減少とその中での低賃金化である。ブラック企業は許さないにしても企業論理は継続をされる。
企業利益の増大に株価上昇がリンクするわけですから、その中間には労働の生産性の向上による企業利益の拡大が見える。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「今、頑張れ!を言いたい人は?」
高度成長を支えた人、バブルにまでなるほど働いた人、不況期にも窓際族ともいわれた人。これが高齢者ですね。
常に結婚をとるか仕事をとるか、そして子育ても仕事もと突きつけられて低賃金に抑えられてきた女性。輝く女性はとん挫してしまいましたね。
一生懸命に働けば結婚して家を持ててどうにか退職金や年金で老後を過ごすという当たり前の条件のはしごを外されそうで、時にはブラックな働き方をさせられる若い人たち。
不信だらけの政治に小バカにでもさせられていると思う瞬間がありますね。
また戦争の道を危惧せざるを得なくなったすべての国民。。。。。。
頑張れ!といいたいです。
いや、頑張りましょう!!
国は国民が作るもので作ってきました。
これからも作り上げていくと思います。歴史の物差しは長いですが、頑張りましょう。
その中でたくさんの優れた政治家がさらに生まれるでしょう。
政治家だけではなくて知識人や専門家そして報道陣も。
もちろん国民全体が頑張れるわけではありません。
お調子者や邪魔をする人もいますが、総体において国民ですから・・・・・
【2018年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「禁忌と欲望。」が更新されました。
韓信の股くぐり。。。。。
飛び跳ねる(欲望)ことと、回転すること(忍耐)。。。
禁忌が欲望を生む。。。。
飛び跳ねないようにすることが禁忌ですが、回転しないようにするのも禁忌。
どうしようもない欲望に飛び跳ねることは禁忌を破る。欲望を忍耐で抑えることも禁忌を破ること。
結局人は自然そのものとして生きることしかできませんなぁ。。。。。
【2019年】ツイッターつぶやき
1年ぶりに冷や汁を作りました。
わが家の冷や汁の作り方は邪道かもと思いつつもおいしいので夏は作ります。
なぜ邪道かというと、茄子を入れたいのでまずは茄子の味噌汁作りから。本来はすり鉢に味噌を入れて作るようですが、、、、、、
今夜は小松菜も入れて茄子の味噌汁を作ります。味は濃いめです。
これを洗い桶などに水を入れて冷まします。
冷めたら冷蔵庫の中へ。
具材はさっと塩茹でしたオクラ、ミョウガの千切り、さっと塩もみした胡瓜、千切り大葉、ほぐした豆腐、アジの干物を焼いてほぐしたものです。
冷蔵庫で冷たくなった那須の味噌汁に上の具材を入れて盛り付けたら分葱のみじん切りと胡麻を乗せたら出来上がりです。
豆腐とアジの干物のたんぱく質もありますし案外栄養たっぷりかもしれません。
〆はご飯を入れてさらさらっと。。。。。。
オクラのとろみがどうかなと思いましたがそうでもなくておいしかったです。
【2020年】ツイッターつぶやき
かなりやばいです。
夜10時、この時間でも室内の気温が33.7度あります。
完全に壁が熱を吸収してしまったようです。
このまま寝たらやばいですなぁ。。。。。。。
子供の頃、窓を開けて蚊帳をつって扇風機をつけて寝てましたが、その当時はその扇風機の風でも涼しく感じました。今ではエアコンの風がないとだめです。温暖化で気温が上がっているのかもしれませんが、人間の体自体が暑さ寒さに弱くなっているのかもしれません。そういえば、子供の頃炎天下で遊んでいると日射病になると注意されましたが、夜はそんなことは言われたことがなかったです。今で熱中症を夜も心配しなければならない。
10年後20年後ぐらいには夏は40度が当たり前になるのかもしれませんね。
【2021年】ツイッターつぶやき
東京の重症者数が急上場しています。
確保病床392床に対して重症者数は197名です。
中等症以下の病床も確保病床5967床に対して3667人となっています。
まだ入院できるだけましで
宿泊療養 1,765 人 自宅療養 19,396 人 入院・療養等調整中 10,861 人
入院できない人が圧倒的に多くなっています。今問題になっている自宅療養者数はすぐに2万人に達するでしょう。
新規感染者数が急上昇すれば重症者数も急上昇することは自明です。政府は高齢者のワクチン接種により重症者はそうは多くならないと見ていたのでしょうが、若い人でも重症化するということがはっきりしてきました。
死亡者数はそうは増加していませんが、重症者が増加し、自宅量余が増加すれば今後増加をするのではないかと思われます。また警視庁の変死でのコロナ感染者も多く報告され数字に表れない死亡者が増加している懸念があります。厚労相自体この死亡者数の把握が困難になっています。
この東京の実態は全国に広がるでしょう。すでに沖縄県は東京以上の医療崩壊となっています。
【2022年】ツイッターつぶやき
夕方から少し風が強くなってきました。
熱帯低気圧が接近してくるそうで、接近にともない台風になるかもしれないとのことです。
日本近海で台風に発達するということはあまり聞いたことがないですが、日本近海の気温も海水温も高いのかな。
数年前、今回の台風と同じコースの台風が上陸前に西に向かったということがありました。昔からフィリピン沖で発生した台風と同じものが日本近海で起きているのかもしれません。
伊豆半島あたりに上陸でしょうか?そして東京湾上空を通過しそうです。
雨風の警戒情報が出ていないのでそうは大きな台風ではないのかもしれませんが、雨が降らないうちに3日分の買い物をしてベランダを片付けたいと思います。
何となく秋台風のコースのようですが、台風が過ぎても残暑は厳しそうです。
【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカのインフレの結果がどのように現れているか、賃上げもあったがインフレには追い付かず、賃上げがあれば企業は値上げをする。
インフレで物価が上昇すれば、その物価に対して格差が生じる。インフレになればなるほど格差は拡大する。
格差の拡大は、中間層を低所得層にし、低所得層は貧困層となる。
アメリカの賃金が円換算にするとすごいと思うだろうが、消費を見れば、そのすごい賃金額で何が買えるかとなる。
これは日本も無関係ではなく、悪性の物価高による消費の縮小は貧困化に結びつく。
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