夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

gooブログお題「新聞を読んでいますか?」

2017年04月07日 20時30分02秒 | 「思うこと」
昔はテレビニュースでニュースのあらましを知って詳しく知りたいときに新聞を読んでいました。
今はネットがありますから幅広く自分の知りたい情報を読み、最新のニュース(情報)であれば新聞を開きます。
逆に新聞を読んで興味を持った記事についてネットで調べて他紙やツイッターなどで探し読んでいます。
ネットと新聞とは、確かに広告で競合しますから厳しいですね。しかし読者から見れば互いの情報の交換ができますのでうれしいです。
新聞もその存続の曲がり角に来ていると思いますが、そうはネットにも負けないのではないでしょうか。
しかし新聞も国民の視点をジャーナリストの目を通して報道していかないと生き残れないかもしれません。もちろんこれはポピュリズムでも官報でもない視点です。
今、もう一度終戦直後の自社の反省と決意を再確認すべき時代になったのではないでしょうか?
また、公平性もある情報を公平に報道するとしても、その報道する情報の量や数は政府や社会的影響力のある人や組織の情報が多くあり、少数派の情報量は少ないのですから、公平さにも情報量が多いところのものが勝ることになります。
新聞の公平性は、記者の目を通して少数の人々、力のない人々の情報を意識的に取り上げることにあると思います。
復興相の問題発言がありましたが、なぜこの「自己責任」という言葉が社会的問題なのか?それは原発事故さえなかったら復興のために多くの人々が帰るでしょう。なぜ原発事故が起きたかは明確に精勤も含めて総括がなされていません。同時に帰っても安全な日常を送れるのかなど疑問があります。
この中で自主避難を続けざるを得ない方は自己責任なのでしょうか?
復興相は大きな情報を流します。テレビラジオが取り上げます。一方自主避難者や復興相への非難をする人々は情報量としては弱い立場です。この弱い立場の人々の情報量が足りない中で、自主避難する子供たちの教育現場におけるいじめが因子羽化します。
以上の視点は、社会全体の中で起きることすべてに通じるものがあります。
公平性で政府批判ばかりは間違いだといわれていますが、この視点が間違いなのです。
新聞は力のない少数の国民の声を大きく取り上げることにより、情報の強者と弱者とを公平にするのです。
情報そのものは包み隠さず報道をすること。これも公平性ですね。

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