夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 5月23日(金)2「働く意欲と自己責任」

2014年05月23日 14時12分18秒 | 「政治・経済」
高齢者や女性の雇用が言われ「働く意欲のある人」のある人にはそれに応えるといった言葉が多くなっている。「働く意欲のある人」とは言葉の違いはあるにしても昔から言われているもので、意欲のある人には高い賃金などといった格差賃金もこれに類するものでしょう。小泉内閣当時も「一生懸命に働く者が報われる社会」とも言われていた。
しかしこの「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」とはどのような人でしょうか?もちろん一般的な意味で社会の中で役に立ちたいとかといった「気持ち」はありますからその一般的な意味での意欲や頑張りという意味合いもあるでしょう。しかしこれまでの社会で使われている「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」というのはある意味作られた人です。生活をしているわけですからやはり働くのも一般的な意味での役に立ちたいといったものだけではなくてやはり金銭面です。極端な言い方をすれば、国民を貧困にしておけば「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」が生まれてきます。就職難や正社員につきにくいとか、そういった労働環境によっても「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」は作り出されます。高齢者にしても年金制度の改悪の中で無年金年数が伸びていくわけですから「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」は作られる。女性も男より一人で生きていくには厳しさを増していますし結婚しても共働きでなければ一定の生活ができにくくなっています。その中でやはり「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」という女性が作られる。
こう見ると「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」という一般的には誰もが否定しない言葉なのですが、裏に隠れた国民生活の実態から見れば相当ひどい意味合いを持つ馬鹿にした言葉ではないでしょうか。
同時に今女性が働き続けられる条件整備が言われていますが、その条件整備も不足する中で女性労働の活用が言われています。高齢者にしても定年などでその後の低賃金化や高齢者が働き続けられる労働条件の整備や定年延長という条件整備は進みません。若い方も雇用制度の矛盾の中で「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」であっても報われない社会ですし、下手をすればブラック化の中で働き続けられない受験も出ています。その中で「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」という自分は自己責任でこの社会の中で頑張るしかない。もちろん競争の中で一部の人は勝ち組にもなれるのですが、格差は広がるでしょう。
一般的な社会に役立ちたいとかといった意味合いで今使われている「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」という言葉を理解してはならないということですね。

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