【2024年】ツイッターつぶやき
池袋の事故では幼いお子さんと母親が死亡しました。
事故を起こした高齢の方は収監されています。
その被害者の家族の方が受刑者に面会ができる新しい制度ができたのでしょうか。被害者側が面会をしたらしい。
このような新しい制度での面会ですから問題はないのですが、面会を終えた被害者側が記者会見のような形で受刑者がこういった、こうした表情をしたということを話してよいものなのでしょうか。
受刑者は社会に対して発言ができない。
一方的な被害者側の言葉だけが社会の中に流れていく。
その中で高齢者の免許返納だとかが社会は大きく取り上げる。
しかし高齢者も年金支給年齢引き上げや低賃金で働かざるを得ない。都市でも地方でも車がなければ生活できない社会のシステムになっている。高齢ドライバーが人口比から増加するのはゆがんだ戦後の社会矛盾からです。しかし事故率からすれば特に高齢者の事故が多いわけではない。高齢ドライバーが多くなっているから目立つだけです。
こういった社会の矛盾が見えない中で被害者側の言葉が独り歩きしてしまうことはあまりよくない。
≪過去の記事≫
【2004年】
「あるようなないような」
中公文庫
川上 弘美 著
雑誌や新聞などに書かれたエッセイをテーマ別にまとめられたエッセイ集です。日常の暮らし・思い出・読書・パソコン通信と分けられるのか?4つの章にまとめられています。
日常の生活や友人関係においての楽しさやふと思いついたこと、不思議な話など、日常の暮らしや思い出について書かれていることをただ単に楽しく書いているだけではなく、やはりどこか川上作品の不思議な世界を連想する書き方だと思います。逆に見れば、このような生活や思い出の中の一部分のとらえ方が作品に結びつくのだと思います。
はじめに掲載されている「困ること」や「秋の空中」には、春や秋の季節の移り変わりを、不思議さのある人との言葉のやり取りや不思議な季節の声といえる言葉に現しています。季節の変わり目の美しさをそのままに言葉にしたエッセイはたくさんあるかと思いますが、川上さんのエッセイは、どこか季節の精に獲りつかれたような雰囲気が漂います。
「蛇や墓や」や「蹴ってみる」「頭蓋骨、桜」などに見るように川上さんの日常は、こんな得体の知れない精というものに獲りつかれるようなものを書き残しているのではないかと思います。しかし、川上さんは、この独特な雰囲気に入り込んだことを大げさな言葉には表現をしません。川上さんは「のほほん」という言葉を2,3回使っていますが、まさにその不思議さをぼんやりともいえるほど受け入れています。小説などの中にも不思議な体験をした女性が動揺せずにその不思議さを受け入れ獲りつかれていますが、そのような性格というのか生き方というのか、それは川上さん自身のものだと感じます。
もちろん川上さん自身が四六時中そのような世界にいるのではないと思うのですが、世の中に起きるさまざまなことに「のほほん」と対応していくようなものが川上さんの一面としてあるのではないかと思います。そのへんが僕が川上さんを好きになるところかもしれません。
「なまなかなもの」では、東京の粋な感じのするお母さんが出てきます。「母の刷り込み」が主題だと思います。ら抜き言葉という話題を通してこの「母の刷り込み」書いていますが、お母さんの影響は強いようです。なんとなく「蛇を踏む」を思い出しました。「生肉を噛む」ことから性的な連想をして、これをお母さんに話すなどいろいろと話のできる母子関係なのかな?ところで、父親やご主人の顔が見えませんね。。。。。。
暑いです。
週間天気予報もはずれっぱなし。よい天気です。
しかし風が強くてまいりました。洗濯物が飛ばされそうです。今日のように暑い日はそよそよした風はうれしいのですが、こうも強いといらいらしてきます。窓をめいっぱい開けて家中の埃を吹き飛ばそう・・・ハハハハ
【2005年】
暑いです。
週間天気予報もはずれっぱなし。よい天気です。
しかし風が強くてまいりました。洗濯物が飛ばされそうです。今日のように暑い日はそよそよした風はうれしいのですが、こうも強いといらいらしてきます。窓をめいっぱい開けて家中の埃を吹き飛ばそう・・・ハハハハ
【2006年】
5月も終わりです。
今度長雨が続いたら、東京も入梅でしょう。
5月は日照時間が少なかったらしいが、たしかにずっと曇ったり雨だったりした。そのたびに洗濯物が乾かず苦労した。本格的な梅雨。。。。ううう
洗面所の天上のカビは今のところだいじょうぶみたいです。このまま無事に梅雨をやり過ごせればいいのですが。。。電気代はもったいないけど、まめに換気扇を回したいと思います。
部屋干洗剤を用意しなくては。。。。
公園でバザーをやっていました。
出店しているお母さんたちも春の紫外線たっぷりの日差しの中大変そうでした。本はないかと見たのですがなかったです。買いに来たお母さんたちは、金は出さずに口ばかりだしていました。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
なんだか、もう梅雨に入ったような雨です。
このままずるずると入梅なのかもしれない。
今夜はモツ煮込みを作りました。生のモツを売っている近くの肉屋さんで僕が知っているところはここだけなのですが、スーパーに負けないように頑張っています。
モツ煮込み。。。いやぁ・・・うまかった。
少し寒いくらいの転校ですからモツに込みもおいしく感じました。もちろん味付けがいいに決まっているけど。。。。ハハハ
生のモツでないとこの味は出ない。。。
ラッキョウもいい味になってきました。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
川上弘美さんの「パスタマシーンの幽霊」を買いに行きましたがもう書店にはありませんでした。一応注文をしたのですが。。。。出版社にも在庫は少しだけだと。在庫があれば10日ほどで届く予定です。
雑誌「クーネル」に連載されていたらしいのですが読んでいません。ネットで調べたら小品集のようでユーモアの中に心にしみこむような作品らしいですが。。。。題名からして興味ひかれますなぁ。。。。
僕の背が伸びた
君の瞳を見たくて
少し背伸びをした恋
2㎝9㎜背が伸びたよ
地下鉄のドアに立ち
携帯に目を落として
すました君の顔
ちらっとだけ見ていた
電車が揺れたら
そこに君の瞳
でもオヤジの新聞が邪魔をした
背筋をぐっと伸ばしたんだ
2㎝9㎜の恋
僕の背が伸びた
君の瞳を見たくて
少し背伸びをした恋
2㎝9㎜背が伸びたよ
君はまたうつむいて
ストローを回しながら
僕にはわからない
言葉を話してた
僕の淡い恋
君の心の中
他の誰がそこにいるんだろうと
僕の心は膨らんだ
2㎝9㎜の恋
(どもども。。。夏生さんのホームページにあった「2cm9㎜背が伸びた男の話」に刺激されて書いたものです。お許しを・・・差しさわりがあれば削除します。)
【2011年】ツイッターつぶやき
銀色夏生著 増補新版「サリサリくん」(河出書房新社)
1986年に出版された絵本「サリサリくん」が増補新版として発売になりました。
初版が発売になってから25年!!
僕が持っているのは、1990年発行15版ですが今回の増補版と違うところは、細かいところでは表紙の題名の配置や「ギンイロナツヲ」という著者名の配置、最後にある著者名や発行者名などがあるページに花火のような小さなイラストが入ったこと(ここに初版化増補版かの区別があります)。そして2枚のイラストと手書きの文章が増補として入りました。
読み直しながら増補版の2枚のイラストや言葉を考えたいと思います。
【2012年】ツイッターつぶやき
大飯原発の再稼働が行われるようですが、野田総理は「最終的には私の責任で判断する」と。
この「私の責任」での「私」とは何か。
もちろん野田さん個人ではないことは間違いない。「総理大臣としての私」でしょう。
しかし「総理大臣の責任において」とは言わないで、総理大臣の「私」が判断するということです。どちらも同じではないかと見えるかもしれませんが、再稼働を総理大臣が決めることができるのでしょうか?今現在の原子力関連の法ではどうなのでしょう。福島原発の事故というなかで、国民の再稼働、安全性への不信は強いものがあり、今までの組織体ではだめとして今国会でも原子力規制庁の設置を議論しているところです。ここでは政府案は事故時の指揮を総理大臣としていますが、自民党案では総理大臣ではなくて規制庁の中に置くことが出ていますし、諸外国でも政府から離れた組織によることが多いようです。ですから、今の時期に総理大臣が再稼働を最終的に決めるということは法との関連も含めて論理的にも倫理的にも許されないことではないか。
だから野田総理は「総理大臣の責任において」とは言えないのです。ですから「(総理大臣の)私の責任で」と玉虫色なものとなるわけです。
誰も野田さんを信用などしていない。総理大臣もいつまでやっているかなどわからない。そのような方が「私の責任で」では困るわけです。そしてまた政権交代があった時しかも事故などがあった時にその時の総理が国民に野田総理の判断を継承して「はい、私の責任です」とは言わないでしょう
(関連。。。ツイッターより補足)
大飯原発再稼働は、「最終的には私の責任で判断」と野田総理は言っていますが、誰も野田さん個人などを信用などしていない。総理大臣もいつまでやっているかなどわからない。そのような方が「私の責任で」では困るわけです。自ら作ろうとした原子力規制庁がまだできない中では「国の責任」もあやふや。
再稼働するにも原子力規制庁が発足をして初めて再稼働の在り方が検討されるわけです。検討されて初めて地元や関西広域連合との話し合いを持つというのが筋でしょう。自治他も責任は持たない国任せ。国は規制庁も作らないうちの自治体の理解がと自治体任せ。野田さん個人が責任を持つでは安全は守れない
原子力規制庁の設置に向けては、事故時に誰が(どういう組織が)どのように指揮・命令をしていくのかが決まっていない。国会の事故調でも事故の原因や事故時の対処がどうなっていたかもはっきりしないで総括もない。このようななかで総理大臣が「私の責任で決定」ということは許されないでしょう。
関西広域連合も、国が責任をとるならいいですよと自己弁護しているようでは安全は守られないでしょう。一つの町の小さな議会が、国が決めることをこの町の議会が決められるわけがないというものは当たり前です。結局誰も責任を持たない中で再稼働はされていくのです。
福島原発事故を受けて、最低限度のこともされないままの再稼働騒ぎなのです。
国会も総理大臣個人の責任において再稼働などをさせては国の責任の放棄でしょう。原子力規制庁の議論の中に大飯原発再稼働の是非ぐらいは関連討議とされるぐらいの民主主義がほしいです。総理大臣がごり押しで決められる「決められる民主主義」などはペテンでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
橋下市長や猪瀬都知事の「失言」が国内だけではなくて国際的な批判や日本への懐疑とつながりつつある。その中で日本の政治そのものにも影響が出てくる。しかしこの「失言」は失言ではなくて今の保守の本音や意識性が出てきているのではないかと思う。特に橋下市長の慰安婦・風俗発言はその歴史認識や今後の日本が向かう上での保守層の本音や意識性が出たのではないかと思う。
経済面でのアベノミクスや政治面での改憲そして外交の中にもだんだんとその本音や意識性が顕著に表れてくるでしょう。
今の保守は自信を持っています。しかしこの自信が本音や意識性を表に出すという形になる。というよりも今後の政治や経済を動かすわけですから具体化してきます。すでに「期待」だけでは通用をしなくなる。これまでも「改革」といった言葉それは「期待」感ですが、その言葉に国民は踊らされてきました。この数か月の安倍政権の「期待」感や「強い日本」という抽象的な言葉に国民は踊らされてきたと思います。安倍政権は小泉路線を引き継ぐわけですが、その小泉路線がすなわち「改革」という期待感で動いたわけで、現実の政策は長期の好景気と言われましたが国民生活に及ばずに逆に年金改悪や格差の拡大が生活の中に見えるようになった。
今、この保守層の本音・意識性をしっかりと見つめる時期に来たのではないでしょうか?
【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターのコラムに「「悪い賃上げ」が招く株価と景気の失速リスク」という記事がある。
その中に現在現れている賃上げ傾向(実際に実質賃金の上昇かどうかは別として)を復興や公共事業からの一時的な労働力の需要とこれ以下社会での労働力の不足からとしてその中での賃上げを「悪い賃上げ」としているように思われる。この悪い賃上げが株価や景気の失速に結びつくことからも悪い賃上げとされる。
しかしその前に「悪い賃上げが株価や景気の失速に結びつくこと」という「株価や景気」の現状が良い景気回復なのかが問題でしょう。
悪性の物価上昇やそれと関連する人為的な株価や景気(人為的な円安)だからこそ悪い賃上げは付随するということでしょう。
悪性の物価高や株価の値上がりによる金融バブル的な景気とそれに付随する高級品などが中心の景気。このような景気を支える個人消費の維持には機械的な賃上げ(名目賃金)が必要ということです。日銀が民間や国に対してそれを求めることは自然でしょう。何よりも金融緩和(量的緩和)だけでは景気は回復しないのですから。悪性の物価高を作れな悪性の賃上げも含めた悪税の税制や悪性の減税など様々な政策が必要となりそれの集約されたものが成長戦略でしょう。
たしかにこのような視点からだけに賃上げを見れば悪い賃上げとも見えなくもないのですが、賃上げの必要性はこれまでバブル崩壊後の企業利益を支えるために低賃金化が進められてきたわけですが、その低賃金化がデフレの継続にも結び付いて経済を冷え込ませた側面があるわけですから、その矛盾を解決するための賃上げは「良い賃上げ」となるでしょう。
労働力不足は労働人口の減少だけに問題があるわけではなくて、ブラック企業という言葉が一般化するほど労働力の浪費をしてきたツケにあります。バブルをソフトランディングさせるには労働時間の短縮と雇用・賃金の維持が必要にもかかわらず高齢者を窓際族扱いをし若い人も含めた低賃金化を生産性の向上と勘違いした経済学や経営哲学に走り、ついには労働意欲を若い人から奪ったり自由な働き方を不安定雇用という形でごまかしたりしてきたツケとしての労働力の浪費があったわけです。これを反省点とした賃上げが必要という意味においてそれは「良い賃上げ」なのです。賃金だけではなくて労働時間や労働日数そして労働条件全般に改善が必要なのです。労働条件の劣悪さや社会保障の充実なしに高齢者や女性労働力の活用も進まないでさらに労働力の浪費に向かわせる。特に女性労働力の活用は間違えれば更なる少子化を招くでしょう。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「棋士といえば?」
子供のころ将棋が好きでした。
たしか、そのころ一番強かったのは大山康晴さんだったかな。
NHKの将棋番組で時々お姿を見ていました。
うっすらと記憶に残っているのが増田さん。あの風貌は独特ですね。
子供ですから王将戦とかはなかなか興味があっても見知らぬ世界でした。新聞記事やテレビニュースでのニュースで見ていました。
成人してからは、詰将棋の本を読んだり、友人や職場の同僚と指していました。
今は休憩時間などに将棋を指すといった余裕は職場にあるのでしょうか?
和解岸の方が活躍していますから、まだ若い方の将棋ファンは多いのでしょうね。でも、身の回りを見回しても将棋を指すという若い人が見つかりません。。。どうなんでしょ?
そういえば、だいぶ前にパソコンのソフトでコンピューター相手に将棋を指していました。
一番弱い設定ではいつも勝つのですが、中級ぐらいになると。。。。
この程度の棋力です。
【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「禁煙をしたことがありますか?」
禁煙らしい禁煙はしたことがありません。
しかし、たばこ税が増税されるたびにたばこも辞めないといけないかなぁ・・・・と。
最近では禁煙運動の過激化により分煙も駄目だ、喫煙した後はエレベーターに乗るな、煙草臭い等々いじめられていますし、オリンピックに向けてさらに飲食店も厳しくなるようです。
合法的なたばこを禁止するという事自体が矛盾をはらんぢるわけで、ですから禁煙運動は陰湿になってきます。合法的だから強権で禁止をしていくこと。それが煙草税の増税でもあります。
こういう中で禁煙者も増加をする一方です。
体を壊したりして禁煙をすることにどうのこうのは言いませんが、過激な禁煙運動で禁煙せざるを得ない人々が出ていることには憤りを感じます。
非喫煙者の中でも禁煙は良いが、禁煙運動については疑問を持つ方がいらっしゃいますが、この禁煙運動のやり方がたばこ以外にも波及する危険性は否定できないでしょう。
こんなことを考えているとなおさら禁煙をしたいなどと考えられなくなります。
【2019年】ツイッターつぶやき
バブル崩壊後1993年から2004年に卒業した人たちは、就職氷河期世代として現在35歳から44歳になっているという。
5月30日朝日新聞朝刊によると、
非正規で働く人 317万人
フリーター 52万人
職探しをしていない人 40万人
の人たちが不安定な生活をしている。
また40歳から64歳のひきこもりの方が61万人だそうです。
このような人たちに政府は集中して就労などの支援を行うこととしたようです。
正社員として採用した企業には60万円の助成金を出すなどするようです。
なぜここにきて政府がこの世代に支援をするようにしたかといえば、高齢化するに従い生活保護を受ける人が増加をするからと。。。。。
現在も親の年金に頼って生活している人たちも多いようですね。
しかし実質2カ月で急ごしらえの政策ですから、どれだけ実態を把握した政策か成果があるのかは未知数のようです。
自民党政治が労働力を無駄にしてきたツケなんです。
失われた10年の経済の立て直しがうまくいかずに失われた20年そして30年に向かいます。
なぜこのような失われた10年が生まれてしまったか?
労働者を犠牲にした政策が経済の好転の妨げになっているからです。ですから失われた20年に向かってきた。
【2020年】ツイッターつぶやき
椅子に座り本を読みながらランチを食べていた
はしたないこととは思いながらも途中でトイレに立った
レストランの通路を進むと
その通路に椅子に座った女がいた
テーブルから1メートル30センチ5ミリ椅子を引いて座っているのである
はて?テーブルにはホットコーヒーが置かれていた
トイレを済ましまたランチと本に集中しようとしたが
あの女が気になって仕方がない
相変わらず背筋を伸ばし、足をきちんとそろえて座っている
はて?あのホットコーヒーと女はどこで接点をもてるのか
食い入るように見てしまった
しかし女は微動だにしない
見るのも飽きて本に目を移そうとしたときである
手がのびた。。。。
手がコーヒーにのびて飲んだと言うことではない
まさに腕が伸びたのである1メートル30センチ5ミリまで
はて?どうして口元まで持ってくることやら
しかし心配は要らなかった
首も1メートル30センチ5ミリ伸びてきちんとテーブルの上で飲んだのである
ふと見るとテーブルの向かいには男がいた
微妙な二人の関係の空気が店内を漂い始めた
*昔ホームページに書いたものですが、ソーシャルディスタンスのお話ではないです。でも、コロナ騒ぎの中で男女の距離も。。。。。
【2021年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターから
喫煙者はコロナに感染しやすい?
なぜか?
「心血管疾患や呼吸器疾患、糖尿病などの持病があると重症化しやすく、たばこはこうした非感染性疾患の主要な危険因子です。」(WHO神戸センター サラ・バーバー所長のメッセージ)
直接の因果関係ではなくて風が吹くと桶屋が儲かる的なものか?
今年の禁煙デーの特徴は「辞めることを約束する」がテーマか?(WHO)
禁煙したい人が増えているからその支援をと。
しかしたばこをやめたい人がどのような理由か?たばこ増税や灰皿撤去(喫煙場所を狭める)という禁煙の強制が背景もある。WHOもこれを利用する。
こういうWHOを悲しみながら一服してこよ・・・・・
なぜこのWHOによる禁煙デーに対して怒りを通り越して悲しみになるか。
2014年の国際禁煙デーでは
「たばこ税が高ければ高いほど、特に低所得国の喫煙者を効果的に減らすことができ、かつ若年層の喫煙開始を予防することができるとの研究結果が出ています。」
と。
世界中で貧困と格差が広がる中、その貧困や格差(サラリーマンの小遣いや年金瀬勝茂)を利用した禁煙は経済的強制禁煙です。
この強制的なもので喫煙者を追い込んでおきながら今年の禁煙デーではタバコをやめたい人が増加いているとする。
このようなやり方は反人道的です。
この反人道的方法をたばこの害という「正義」で正当化する。
こんなことをしているから禁煙運動は「禁煙ファシズムだ」という批判も起きるのです。
ですから怒りを覚えると同時にそれを通り越してこれが国際機関かと悲しくなるのです。
【2022年】ツイッターつぶやき
今年の世界禁煙デーは地球の環境と煙草でしょうか?
煙草を作るためにこれまで気を何本切ったか、CO2の発生、水の使用。。。。。
数字だけが独り歩きをしている。
煙草には害がある。プラゴミが出る。。。。。
何もタバコだけの問題ではないはずです。後始末をたばこ産業が行え?全産業で行わせてからの話でしょう。
数字には根拠となる文章がない、たばこの害は他の害との比較がない。
印象操作としての数字と言葉の羅列。
【2023年】ツイッターつぶやき
南米11か国のサミットが開かれ共通通貨の創設が具体化しそうです。
貿易でのドル不足があるようですが、本来ならばアメリカのインフレによりドルは価値を低下しているはずです。しかし基軸通貨としてドルがあるわけですから逆に各国の通貨が下落している。円安もそうですね。
こういったドルの不安定性と価値以上の強さを持っているアメリカの世界支配から抜けようとしているのが南米での共通通貨でしょう。
それを実現するには南米だけの経済力だけではできないでしょう。そこに中国の力が必要となる。
中国はブラジルとは自国通貨での決済をはじめている。当然共通通貨ができれば、南米発動くとの貿易ではドル抜きになるでしょう。経済支援もインフラにしても経済の発展にも中国の力に依拠できます。
中国では世界中にこの自国通貨貿易を広げようとしています。元が基軸通貨化するかもしれません。
ドル経済圏はG7とその周辺に。。。。。。
経済が停滞し後退する危機があるドル経済圏。もちろん世界で経済力を持つ国々ですから力はある。しかし途上国はアメリカの支配から離れて発展する可能性が強い。衰退する経済圏と発展する経済圏。。。。。
池袋の事故では幼いお子さんと母親が死亡しました。
事故を起こした高齢の方は収監されています。
その被害者の家族の方が受刑者に面会ができる新しい制度ができたのでしょうか。被害者側が面会をしたらしい。
このような新しい制度での面会ですから問題はないのですが、面会を終えた被害者側が記者会見のような形で受刑者がこういった、こうした表情をしたということを話してよいものなのでしょうか。
受刑者は社会に対して発言ができない。
一方的な被害者側の言葉だけが社会の中に流れていく。
その中で高齢者の免許返納だとかが社会は大きく取り上げる。
しかし高齢者も年金支給年齢引き上げや低賃金で働かざるを得ない。都市でも地方でも車がなければ生活できない社会のシステムになっている。高齢ドライバーが人口比から増加するのはゆがんだ戦後の社会矛盾からです。しかし事故率からすれば特に高齢者の事故が多いわけではない。高齢ドライバーが多くなっているから目立つだけです。
こういった社会の矛盾が見えない中で被害者側の言葉が独り歩きしてしまうことはあまりよくない。
≪過去の記事≫
【2004年】
「あるようなないような」
中公文庫
川上 弘美 著
雑誌や新聞などに書かれたエッセイをテーマ別にまとめられたエッセイ集です。日常の暮らし・思い出・読書・パソコン通信と分けられるのか?4つの章にまとめられています。
日常の生活や友人関係においての楽しさやふと思いついたこと、不思議な話など、日常の暮らしや思い出について書かれていることをただ単に楽しく書いているだけではなく、やはりどこか川上作品の不思議な世界を連想する書き方だと思います。逆に見れば、このような生活や思い出の中の一部分のとらえ方が作品に結びつくのだと思います。
はじめに掲載されている「困ること」や「秋の空中」には、春や秋の季節の移り変わりを、不思議さのある人との言葉のやり取りや不思議な季節の声といえる言葉に現しています。季節の変わり目の美しさをそのままに言葉にしたエッセイはたくさんあるかと思いますが、川上さんのエッセイは、どこか季節の精に獲りつかれたような雰囲気が漂います。
「蛇や墓や」や「蹴ってみる」「頭蓋骨、桜」などに見るように川上さんの日常は、こんな得体の知れない精というものに獲りつかれるようなものを書き残しているのではないかと思います。しかし、川上さんは、この独特な雰囲気に入り込んだことを大げさな言葉には表現をしません。川上さんは「のほほん」という言葉を2,3回使っていますが、まさにその不思議さをぼんやりともいえるほど受け入れています。小説などの中にも不思議な体験をした女性が動揺せずにその不思議さを受け入れ獲りつかれていますが、そのような性格というのか生き方というのか、それは川上さん自身のものだと感じます。
もちろん川上さん自身が四六時中そのような世界にいるのではないと思うのですが、世の中に起きるさまざまなことに「のほほん」と対応していくようなものが川上さんの一面としてあるのではないかと思います。そのへんが僕が川上さんを好きになるところかもしれません。
「なまなかなもの」では、東京の粋な感じのするお母さんが出てきます。「母の刷り込み」が主題だと思います。ら抜き言葉という話題を通してこの「母の刷り込み」書いていますが、お母さんの影響は強いようです。なんとなく「蛇を踏む」を思い出しました。「生肉を噛む」ことから性的な連想をして、これをお母さんに話すなどいろいろと話のできる母子関係なのかな?ところで、父親やご主人の顔が見えませんね。。。。。。
暑いです。
週間天気予報もはずれっぱなし。よい天気です。
しかし風が強くてまいりました。洗濯物が飛ばされそうです。今日のように暑い日はそよそよした風はうれしいのですが、こうも強いといらいらしてきます。窓をめいっぱい開けて家中の埃を吹き飛ばそう・・・ハハハハ
【2005年】
暑いです。
週間天気予報もはずれっぱなし。よい天気です。
しかし風が強くてまいりました。洗濯物が飛ばされそうです。今日のように暑い日はそよそよした風はうれしいのですが、こうも強いといらいらしてきます。窓をめいっぱい開けて家中の埃を吹き飛ばそう・・・ハハハハ
【2006年】
5月も終わりです。
今度長雨が続いたら、東京も入梅でしょう。
5月は日照時間が少なかったらしいが、たしかにずっと曇ったり雨だったりした。そのたびに洗濯物が乾かず苦労した。本格的な梅雨。。。。ううう
洗面所の天上のカビは今のところだいじょうぶみたいです。このまま無事に梅雨をやり過ごせればいいのですが。。。電気代はもったいないけど、まめに換気扇を回したいと思います。
部屋干洗剤を用意しなくては。。。。
公園でバザーをやっていました。
出店しているお母さんたちも春の紫外線たっぷりの日差しの中大変そうでした。本はないかと見たのですがなかったです。買いに来たお母さんたちは、金は出さずに口ばかりだしていました。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
なんだか、もう梅雨に入ったような雨です。
このままずるずると入梅なのかもしれない。
今夜はモツ煮込みを作りました。生のモツを売っている近くの肉屋さんで僕が知っているところはここだけなのですが、スーパーに負けないように頑張っています。
モツ煮込み。。。いやぁ・・・うまかった。
少し寒いくらいの転校ですからモツに込みもおいしく感じました。もちろん味付けがいいに決まっているけど。。。。ハハハ
生のモツでないとこの味は出ない。。。
ラッキョウもいい味になってきました。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
川上弘美さんの「パスタマシーンの幽霊」を買いに行きましたがもう書店にはありませんでした。一応注文をしたのですが。。。。出版社にも在庫は少しだけだと。在庫があれば10日ほどで届く予定です。
雑誌「クーネル」に連載されていたらしいのですが読んでいません。ネットで調べたら小品集のようでユーモアの中に心にしみこむような作品らしいですが。。。。題名からして興味ひかれますなぁ。。。。
僕の背が伸びた
君の瞳を見たくて
少し背伸びをした恋
2㎝9㎜背が伸びたよ
地下鉄のドアに立ち
携帯に目を落として
すました君の顔
ちらっとだけ見ていた
電車が揺れたら
そこに君の瞳
でもオヤジの新聞が邪魔をした
背筋をぐっと伸ばしたんだ
2㎝9㎜の恋
僕の背が伸びた
君の瞳を見たくて
少し背伸びをした恋
2㎝9㎜背が伸びたよ
君はまたうつむいて
ストローを回しながら
僕にはわからない
言葉を話してた
僕の淡い恋
君の心の中
他の誰がそこにいるんだろうと
僕の心は膨らんだ
2㎝9㎜の恋
(どもども。。。夏生さんのホームページにあった「2cm9㎜背が伸びた男の話」に刺激されて書いたものです。お許しを・・・差しさわりがあれば削除します。)
【2011年】ツイッターつぶやき
銀色夏生著 増補新版「サリサリくん」(河出書房新社)
1986年に出版された絵本「サリサリくん」が増補新版として発売になりました。
初版が発売になってから25年!!
僕が持っているのは、1990年発行15版ですが今回の増補版と違うところは、細かいところでは表紙の題名の配置や「ギンイロナツヲ」という著者名の配置、最後にある著者名や発行者名などがあるページに花火のような小さなイラストが入ったこと(ここに初版化増補版かの区別があります)。そして2枚のイラストと手書きの文章が増補として入りました。
読み直しながら増補版の2枚のイラストや言葉を考えたいと思います。
【2012年】ツイッターつぶやき
大飯原発の再稼働が行われるようですが、野田総理は「最終的には私の責任で判断する」と。
この「私の責任」での「私」とは何か。
もちろん野田さん個人ではないことは間違いない。「総理大臣としての私」でしょう。
しかし「総理大臣の責任において」とは言わないで、総理大臣の「私」が判断するということです。どちらも同じではないかと見えるかもしれませんが、再稼働を総理大臣が決めることができるのでしょうか?今現在の原子力関連の法ではどうなのでしょう。福島原発の事故というなかで、国民の再稼働、安全性への不信は強いものがあり、今までの組織体ではだめとして今国会でも原子力規制庁の設置を議論しているところです。ここでは政府案は事故時の指揮を総理大臣としていますが、自民党案では総理大臣ではなくて規制庁の中に置くことが出ていますし、諸外国でも政府から離れた組織によることが多いようです。ですから、今の時期に総理大臣が再稼働を最終的に決めるということは法との関連も含めて論理的にも倫理的にも許されないことではないか。
だから野田総理は「総理大臣の責任において」とは言えないのです。ですから「(総理大臣の)私の責任で」と玉虫色なものとなるわけです。
誰も野田さんを信用などしていない。総理大臣もいつまでやっているかなどわからない。そのような方が「私の責任で」では困るわけです。そしてまた政権交代があった時しかも事故などがあった時にその時の総理が国民に野田総理の判断を継承して「はい、私の責任です」とは言わないでしょう
(関連。。。ツイッターより補足)
大飯原発再稼働は、「最終的には私の責任で判断」と野田総理は言っていますが、誰も野田さん個人などを信用などしていない。総理大臣もいつまでやっているかなどわからない。そのような方が「私の責任で」では困るわけです。自ら作ろうとした原子力規制庁がまだできない中では「国の責任」もあやふや。
再稼働するにも原子力規制庁が発足をして初めて再稼働の在り方が検討されるわけです。検討されて初めて地元や関西広域連合との話し合いを持つというのが筋でしょう。自治他も責任は持たない国任せ。国は規制庁も作らないうちの自治体の理解がと自治体任せ。野田さん個人が責任を持つでは安全は守れない
原子力規制庁の設置に向けては、事故時に誰が(どういう組織が)どのように指揮・命令をしていくのかが決まっていない。国会の事故調でも事故の原因や事故時の対処がどうなっていたかもはっきりしないで総括もない。このようななかで総理大臣が「私の責任で決定」ということは許されないでしょう。
関西広域連合も、国が責任をとるならいいですよと自己弁護しているようでは安全は守られないでしょう。一つの町の小さな議会が、国が決めることをこの町の議会が決められるわけがないというものは当たり前です。結局誰も責任を持たない中で再稼働はされていくのです。
福島原発事故を受けて、最低限度のこともされないままの再稼働騒ぎなのです。
国会も総理大臣個人の責任において再稼働などをさせては国の責任の放棄でしょう。原子力規制庁の議論の中に大飯原発再稼働の是非ぐらいは関連討議とされるぐらいの民主主義がほしいです。総理大臣がごり押しで決められる「決められる民主主義」などはペテンでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
橋下市長や猪瀬都知事の「失言」が国内だけではなくて国際的な批判や日本への懐疑とつながりつつある。その中で日本の政治そのものにも影響が出てくる。しかしこの「失言」は失言ではなくて今の保守の本音や意識性が出てきているのではないかと思う。特に橋下市長の慰安婦・風俗発言はその歴史認識や今後の日本が向かう上での保守層の本音や意識性が出たのではないかと思う。
経済面でのアベノミクスや政治面での改憲そして外交の中にもだんだんとその本音や意識性が顕著に表れてくるでしょう。
今の保守は自信を持っています。しかしこの自信が本音や意識性を表に出すという形になる。というよりも今後の政治や経済を動かすわけですから具体化してきます。すでに「期待」だけでは通用をしなくなる。これまでも「改革」といった言葉それは「期待」感ですが、その言葉に国民は踊らされてきました。この数か月の安倍政権の「期待」感や「強い日本」という抽象的な言葉に国民は踊らされてきたと思います。安倍政権は小泉路線を引き継ぐわけですが、その小泉路線がすなわち「改革」という期待感で動いたわけで、現実の政策は長期の好景気と言われましたが国民生活に及ばずに逆に年金改悪や格差の拡大が生活の中に見えるようになった。
今、この保守層の本音・意識性をしっかりと見つめる時期に来たのではないでしょうか?
【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターのコラムに「「悪い賃上げ」が招く株価と景気の失速リスク」という記事がある。
その中に現在現れている賃上げ傾向(実際に実質賃金の上昇かどうかは別として)を復興や公共事業からの一時的な労働力の需要とこれ以下社会での労働力の不足からとしてその中での賃上げを「悪い賃上げ」としているように思われる。この悪い賃上げが株価や景気の失速に結びつくことからも悪い賃上げとされる。
しかしその前に「悪い賃上げが株価や景気の失速に結びつくこと」という「株価や景気」の現状が良い景気回復なのかが問題でしょう。
悪性の物価上昇やそれと関連する人為的な株価や景気(人為的な円安)だからこそ悪い賃上げは付随するということでしょう。
悪性の物価高や株価の値上がりによる金融バブル的な景気とそれに付随する高級品などが中心の景気。このような景気を支える個人消費の維持には機械的な賃上げ(名目賃金)が必要ということです。日銀が民間や国に対してそれを求めることは自然でしょう。何よりも金融緩和(量的緩和)だけでは景気は回復しないのですから。悪性の物価高を作れな悪性の賃上げも含めた悪税の税制や悪性の減税など様々な政策が必要となりそれの集約されたものが成長戦略でしょう。
たしかにこのような視点からだけに賃上げを見れば悪い賃上げとも見えなくもないのですが、賃上げの必要性はこれまでバブル崩壊後の企業利益を支えるために低賃金化が進められてきたわけですが、その低賃金化がデフレの継続にも結び付いて経済を冷え込ませた側面があるわけですから、その矛盾を解決するための賃上げは「良い賃上げ」となるでしょう。
労働力不足は労働人口の減少だけに問題があるわけではなくて、ブラック企業という言葉が一般化するほど労働力の浪費をしてきたツケにあります。バブルをソフトランディングさせるには労働時間の短縮と雇用・賃金の維持が必要にもかかわらず高齢者を窓際族扱いをし若い人も含めた低賃金化を生産性の向上と勘違いした経済学や経営哲学に走り、ついには労働意欲を若い人から奪ったり自由な働き方を不安定雇用という形でごまかしたりしてきたツケとしての労働力の浪費があったわけです。これを反省点とした賃上げが必要という意味においてそれは「良い賃上げ」なのです。賃金だけではなくて労働時間や労働日数そして労働条件全般に改善が必要なのです。労働条件の劣悪さや社会保障の充実なしに高齢者や女性労働力の活用も進まないでさらに労働力の浪費に向かわせる。特に女性労働力の活用は間違えれば更なる少子化を招くでしょう。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「棋士といえば?」
子供のころ将棋が好きでした。
たしか、そのころ一番強かったのは大山康晴さんだったかな。
NHKの将棋番組で時々お姿を見ていました。
うっすらと記憶に残っているのが増田さん。あの風貌は独特ですね。
子供ですから王将戦とかはなかなか興味があっても見知らぬ世界でした。新聞記事やテレビニュースでのニュースで見ていました。
成人してからは、詰将棋の本を読んだり、友人や職場の同僚と指していました。
今は休憩時間などに将棋を指すといった余裕は職場にあるのでしょうか?
和解岸の方が活躍していますから、まだ若い方の将棋ファンは多いのでしょうね。でも、身の回りを見回しても将棋を指すという若い人が見つかりません。。。どうなんでしょ?
そういえば、だいぶ前にパソコンのソフトでコンピューター相手に将棋を指していました。
一番弱い設定ではいつも勝つのですが、中級ぐらいになると。。。。
この程度の棋力です。
【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「禁煙をしたことがありますか?」
禁煙らしい禁煙はしたことがありません。
しかし、たばこ税が増税されるたびにたばこも辞めないといけないかなぁ・・・・と。
最近では禁煙運動の過激化により分煙も駄目だ、喫煙した後はエレベーターに乗るな、煙草臭い等々いじめられていますし、オリンピックに向けてさらに飲食店も厳しくなるようです。
合法的なたばこを禁止するという事自体が矛盾をはらんぢるわけで、ですから禁煙運動は陰湿になってきます。合法的だから強権で禁止をしていくこと。それが煙草税の増税でもあります。
こういう中で禁煙者も増加をする一方です。
体を壊したりして禁煙をすることにどうのこうのは言いませんが、過激な禁煙運動で禁煙せざるを得ない人々が出ていることには憤りを感じます。
非喫煙者の中でも禁煙は良いが、禁煙運動については疑問を持つ方がいらっしゃいますが、この禁煙運動のやり方がたばこ以外にも波及する危険性は否定できないでしょう。
こんなことを考えているとなおさら禁煙をしたいなどと考えられなくなります。
【2019年】ツイッターつぶやき
バブル崩壊後1993年から2004年に卒業した人たちは、就職氷河期世代として現在35歳から44歳になっているという。
5月30日朝日新聞朝刊によると、
非正規で働く人 317万人
フリーター 52万人
職探しをしていない人 40万人
の人たちが不安定な生活をしている。
また40歳から64歳のひきこもりの方が61万人だそうです。
このような人たちに政府は集中して就労などの支援を行うこととしたようです。
正社員として採用した企業には60万円の助成金を出すなどするようです。
なぜここにきて政府がこの世代に支援をするようにしたかといえば、高齢化するに従い生活保護を受ける人が増加をするからと。。。。。
現在も親の年金に頼って生活している人たちも多いようですね。
しかし実質2カ月で急ごしらえの政策ですから、どれだけ実態を把握した政策か成果があるのかは未知数のようです。
自民党政治が労働力を無駄にしてきたツケなんです。
失われた10年の経済の立て直しがうまくいかずに失われた20年そして30年に向かいます。
なぜこのような失われた10年が生まれてしまったか?
労働者を犠牲にした政策が経済の好転の妨げになっているからです。ですから失われた20年に向かってきた。
【2020年】ツイッターつぶやき
椅子に座り本を読みながらランチを食べていた
はしたないこととは思いながらも途中でトイレに立った
レストランの通路を進むと
その通路に椅子に座った女がいた
テーブルから1メートル30センチ5ミリ椅子を引いて座っているのである
はて?テーブルにはホットコーヒーが置かれていた
トイレを済ましまたランチと本に集中しようとしたが
あの女が気になって仕方がない
相変わらず背筋を伸ばし、足をきちんとそろえて座っている
はて?あのホットコーヒーと女はどこで接点をもてるのか
食い入るように見てしまった
しかし女は微動だにしない
見るのも飽きて本に目を移そうとしたときである
手がのびた。。。。
手がコーヒーにのびて飲んだと言うことではない
まさに腕が伸びたのである1メートル30センチ5ミリまで
はて?どうして口元まで持ってくることやら
しかし心配は要らなかった
首も1メートル30センチ5ミリ伸びてきちんとテーブルの上で飲んだのである
ふと見るとテーブルの向かいには男がいた
微妙な二人の関係の空気が店内を漂い始めた
*昔ホームページに書いたものですが、ソーシャルディスタンスのお話ではないです。でも、コロナ騒ぎの中で男女の距離も。。。。。
【2021年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターから
喫煙者はコロナに感染しやすい?
なぜか?
「心血管疾患や呼吸器疾患、糖尿病などの持病があると重症化しやすく、たばこはこうした非感染性疾患の主要な危険因子です。」(WHO神戸センター サラ・バーバー所長のメッセージ)
直接の因果関係ではなくて風が吹くと桶屋が儲かる的なものか?
今年の禁煙デーの特徴は「辞めることを約束する」がテーマか?(WHO)
禁煙したい人が増えているからその支援をと。
しかしたばこをやめたい人がどのような理由か?たばこ増税や灰皿撤去(喫煙場所を狭める)という禁煙の強制が背景もある。WHOもこれを利用する。
こういうWHOを悲しみながら一服してこよ・・・・・
なぜこのWHOによる禁煙デーに対して怒りを通り越して悲しみになるか。
2014年の国際禁煙デーでは
「たばこ税が高ければ高いほど、特に低所得国の喫煙者を効果的に減らすことができ、かつ若年層の喫煙開始を予防することができるとの研究結果が出ています。」
と。
世界中で貧困と格差が広がる中、その貧困や格差(サラリーマンの小遣いや年金瀬勝茂)を利用した禁煙は経済的強制禁煙です。
この強制的なもので喫煙者を追い込んでおきながら今年の禁煙デーではタバコをやめたい人が増加いているとする。
このようなやり方は反人道的です。
この反人道的方法をたばこの害という「正義」で正当化する。
こんなことをしているから禁煙運動は「禁煙ファシズムだ」という批判も起きるのです。
ですから怒りを覚えると同時にそれを通り越してこれが国際機関かと悲しくなるのです。
【2022年】ツイッターつぶやき
今年の世界禁煙デーは地球の環境と煙草でしょうか?
煙草を作るためにこれまで気を何本切ったか、CO2の発生、水の使用。。。。。
数字だけが独り歩きをしている。
煙草には害がある。プラゴミが出る。。。。。
何もタバコだけの問題ではないはずです。後始末をたばこ産業が行え?全産業で行わせてからの話でしょう。
数字には根拠となる文章がない、たばこの害は他の害との比較がない。
印象操作としての数字と言葉の羅列。
【2023年】ツイッターつぶやき
南米11か国のサミットが開かれ共通通貨の創設が具体化しそうです。
貿易でのドル不足があるようですが、本来ならばアメリカのインフレによりドルは価値を低下しているはずです。しかし基軸通貨としてドルがあるわけですから逆に各国の通貨が下落している。円安もそうですね。
こういったドルの不安定性と価値以上の強さを持っているアメリカの世界支配から抜けようとしているのが南米での共通通貨でしょう。
それを実現するには南米だけの経済力だけではできないでしょう。そこに中国の力が必要となる。
中国はブラジルとは自国通貨での決済をはじめている。当然共通通貨ができれば、南米発動くとの貿易ではドル抜きになるでしょう。経済支援もインフラにしても経済の発展にも中国の力に依拠できます。
中国では世界中にこの自国通貨貿易を広げようとしています。元が基軸通貨化するかもしれません。
ドル経済圏はG7とその周辺に。。。。。。
経済が停滞し後退する危機があるドル経済圏。もちろん世界で経済力を持つ国々ですから力はある。しかし途上国はアメリカの支配から離れて発展する可能性が強い。衰退する経済圏と発展する経済圏。。。。。
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