夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「8月18日という日」

2024年08月18日 08時35分58秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
やっと雨があがりました。蒸し暑くもなってきました。
蝉時雨・・・・久しぶり!
北村薫の「リセット」を読み終わりました。近いうちに読書ページに感想を書きたいと思います。
最近はほとんど銀色夏生の本を読んでいます。他の作家の本は寝る前のリラックスタイムに読んでいます。
駅の近くにトンカツやさんがあるのですが、そこの持ち帰り弁当がうまいです。煮物も自分で作っていて濃いめに味がしみた大根は最高です。値段も手頃ですし良心的にやっているお店で、時々仕事で夜遅くなるとここでビールを飲みながら定食を食べています。夕螺御用達の店です。

【2004年】
残暑厳しいです。
香川県の水害は大変ですね。お見舞い申しあげます。
今年は集中豪雨の多い年でした。
東京は真夏に戻り35度ほどの気温。さすがにこたえます。

【2005年】
駅の自動改札を出たら、大きな怒鳴り声が聞こえた。
「なんだろ?」と思ってみたら、中年のおやじが駅員さんを怒鳴っていた。何が怒りを呼んだのか知らないが、尋常などなり声ではない。今まで生きてきた中で、こんなに怒鳴らなければならないようなことは駅を利用していてなかった。とすると、このおやじはそうはたいしたことでないことで怒鳴っているのかもしれない。
今の世の中、働いている人は大切にされずに金の関係でその上下関係が成り立つ世の中である。「客だから。。。。」これが対人関係になると上下関係が生まれる。
また、いろいろな犯罪が弱者を犠牲にしているが、これも力の上下関係である。
弱い立場に立ったり、弱いところを見せたらそこに付け込んで来る人がいる。。。。。
これが競争社会の究極の現象である。
たしかに能力のある人達や力のある人々がこの社会を動かすのだが、これが弱者や弱い立場にある人々に付け込むようになったら世は末である。

【2006年】
夏の日差しが戻りました。
昨日まではすごい蒸し暑さでした。晴れていると思ったら急に黒い雲が来て大粒の雨。15分ほどでやんだらさっと日差しがでて見る見る間にアスファルトの上の雨が蒸発。湿度の高さに耐えられませんでした。
こんな雨が2,3回ほど降って、その度に洗濯物を干したり取り込んだり。。。。。
気まぐれな人に惑わされたような気持ちでした。

【2007年】
今、「ラスト侍」を見ていました。まさに最後の戦場面。
この映画を見ながら思い出した本があったのでブログに書いて見ました。
こちら
昨夜から東京は涼しくなりました。寝るときもクーラーはいりません。
昼間もここのところ異常な暑さから比べると9度も下がったことになり、室温は28度でしたがそれでも涼しく感じられました。また来週には暑くなりそうですが。。。。
涼しくて過ごしやすいと思う反面夏の終わりに向かって行く寂しさもあります。
千葉県沖の地震は続いています。
なんだか日本列島全体の地殻に変動が出ているのでしょうか?怖いが逃げるというわけにも行かず。ナマズが静まってくれることを祈るしかない。
地震予知はなかなか進みませんが、地震が来る10秒前だったか、それは知らせる設備が出来たようですが、さてこの10秒のうちに何をするか?僕などはおろおろするばかりかもしれない。火を消すとか、逃げるルートを作る意味でドアを開けるとか、イメージトレーニングが必要ですね。でも、我が家にはこのような設備はまだないが。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
13日に「煙草を吸っているだけで?」というのを書いたが

まずは喫煙者の臓器は汚染しているから使うな

と、言ってほしい

煙草を吸っているだけで肺がん検診の

公費負担をやめよ。。。。。。

こういう医療関係の状態で

臓器移植法「改正」は怖い
          (Am7:47)

鉢植えに水をあげました

うん?ハハハハ・・・・

ゴーヤの赤ちゃんが♪

小さな小さなゴーヤの実

生意気にもごつごつした実
          (Am9:25)

今思いついたのですが

「ベビーリーフ」とか「ブロッコーリスプラウト」とか

少し生長したものをサラダにというのがある

ゴーヤの一口大は食えないのかな?

「ベビーゴーヤ」

サラダや少し茹でて胡麻和えとか。。。。。

ゴーヤはたくさん実をつけるからできそうだが?
             (Am9:59)

昼飯を買いに行ってきた

やたらと近所のおばちゃんに会う

そのたびに汗でテカった顔で

「暑いねぇ~、暑いねぇ~」

色白の日傘美人に出会えば

汗もひくのだが。。。。

・・・・・・・・・

しつれい・・・・どもども(笑)
        (Am11:08)

先日クラゲの入った冷やし中華を食べ、クラゲのおいしさを久しぶりに感じました。
きのうスーパーに行ったら塩漬けされたものではなくすぐに食べられるクラゲがあったので買いました。
うん、クラゲだけでは淋しいなぁと思い。。。。おいしそうなイカそうめんもありましたからクラゲと以下そうめんをあえて見ました。
味付けは。。。。。
麺汁・おろし生姜・砂糖少し・酢・ごま油。。。。ラー油をお好みで。
食べる前のタレをかけます。
さっぱりした食感でおいしかったです。イカをのどに引っ掛けないようにくれぐれもご注意ください。クラゲがなかなか噛み切れなく、そこにいかがはいるわけですから少々食いにくさがありました。
あとで気付いたのですが、キュウリの千切りを入れるともっとおいしいと思います。

臓器移植してもらうにはどのくらい金が必要なのかな?
貧しさにあきらめることはないかな?
がんの治療だってすごい金がかかるらしい。。。。
こう考えると医療が発展するのは良いがその医療のサービスを受けるにはかねが必要で、金があるかないかでその高度医療も、そのひとつである臓器移植も受けられるかは決まってくる?
移植しなければ治らない病気のときに家族のことを考えれば移植などできないと考えたりすることはないかな。。。。
臓器の売買は禁止されているが、、、、、、
まったく心配はないのかな?こういう危険性も考えられるからこそ臓器移植法関連や人の死をどこに置くかなど慎重な討議がされているのだろう。
僕は家族に遺言しておく。。。。。
僕の臓器は煙草で汚染されているし、煙草に敵意すら持つ人にあげたくない。まししてや金で売ったりはしないで。。。。。
こういうこと書く事が嫌だなぁ。。。。。。
僕がひねくれているのかと思う。でも何か信じられない世の中になっているから人の善意を他の人がその善意をありがたくいただくという当たり前のことである善意を利用されるような世の中になってきているような気がする。

建前で議論、実行は本音。。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
注文をしていた銀色夏生著「増補新版 黄昏国」(河出書房新社)が届きました。
旧版は1985年(昭和60年)に初版が出版をされています。
今、この河出書房新社から出版された初期の作品が増補新版として発売中で、すでに絵本「サリサリくん」が出ています。
旧版を2008年に読み直した時の僕の感想です。

「銀色夏生さん25歳。
この作品は、多くのイラストを挿み、詩をはじめ短い物語が書かれています。銀色夏生さんは多くの作品にイラストを挿入していますし、そのイラストの世界も読者にとっては興味深いものとなっていますし、翌年発売になる「これもすべて同じ一日」では、写真を挿入した詩やエッセイの本が発行されます。このイラストや写真を入れた詩の世界は銀色夏生さんの独特な世界で、特に「写真詩集」というものは銀色夏生さんの作品としては切っても切れないような世界となります。文中のイラストは後の日記エッセイ「つれづれノート」シリーズの作品に欠かせないものですし、写真は一時勉強されていたようでやはり独特な動きのある世界をつくっています。
短い物語は、やはり翌年発行される「サリサリ君」という絵本の世界ともつながりますし、「イサクのジョーク」という小説ともつながっていくと思います。特に「四コママンガ」や子豚シリーズに近いものがあるかもしれません。後に当時中学生だった丘紫真離さんの「黄色い卵は誰のもの」という本の帯に推薦文を書いていますが、どこかあどけなさのあるような絵本のような物語は「黄昏国」の特徴で銀色夏生さんの世界です。
このような意味において「いろいろな部分の予兆」がこの作品に出ているということでしょうか?
「無辺世界」のおはなしは、今、見ても、ふるえるほど感心します。(河出書房新社発行の「黄昏国」「無辺世界」「サリサリ君」「月夜にひろった月」-夕螺注)以上の4冊は、私のごく内面の世界をあらわしていて、私の人生の中でも、特別な空間を形づくっています。とても、ありがたい宝です。」
 (「つれづれノート」160ページ)
銀色夏生さんの詩は恋の詩というイメージが強いですし実際恋の詩が多くあります。しかしこの恋の詩の中には恋にあこがれるというような単なる恋の甘さがただようような詩ではなく、日常のさまざまな雑多の中に生きる一人の女性が見えます。その心の世界です。「黄昏国」も恋の詩がありますがひとつの精神世界があり「ごく内面の世界」「特別な空間」がより色濃く出ています。この意味において銀色夏生の世界を知る貴重な作品ではないかと思います。
「黄昏国」は、
「君がそこに そしてどこかで
 それより君が
 いつかたしかにいたってことを
 僕は知っている」
というプロローグの詩からはじまります。
ながいながい時間の流れの中で一瞬の時間を受け取って僕は生きている。片隅で。。。。
でも生きていることはたしかで生きていたこともたしか。。。。
こんな僕がここにいる、どこかにいたんだよねと見つめてくれて励ましてくれるような詩です。
人は孤独に生きている。そんな孤独を見つめてくれる夏生さんの詩です。
そしてエピローグともいえる言葉が
「だれでもいちどは
 しぬんだよ」
「ワッペンをあげるから」
「また会おうね」
というものだと思います。
「ワッペンをあげるから」という言葉のページには「SILVER SUMER BORN」(銀色夏生)と書かれた夏生さんのお顔?のワッペンのイラストがあります。その顔は、驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と。この複雑な顔のワッペンのイラストに「黄昏国」という作品から受け取るものがあるのではないかと思います。夏生さんは「銀色夏生の視点」で、ご自身の気持ちの中にあるものは「悲しみ」であると語っていましたが、それは孤独というものの中にあるのではないでしょうか?
「無辺世界」の中には、「私が神様です」と、なんだか情けないような貧乏神のような神様のイラストがあります。「黄昏国」にもなんとなくちんまりとした神様が描かれていますが。これもまた夏生さんの人生観を表しているのかと思います。
神は人に完全なものを与えなかった。人が互いに容姿を見ることができるような互いに互いの心を見る能力は与えなかった。ここに人の心は孤独と悲しみの中に置かれる。心が互いにすれ違いながら孤独に生きている中に社会は目に見えるものとして存在する。だからこの社会に生きている人はワッペンの顔にある驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と笑ってしまうような中に生きていく。「黄昏国」は、夏生さんらしい透明な孤独と悲しみとして描かれる。
「黄昏国」にも多くの恋の詩があります。
「あの時 君がボクにあたえたと思ってるものを
 あの時 実はボクは 受けとらなかったんだ」
ここに男女間の心のすれ違いがあります。
互いに心を確かめられない悲しみ。。。。。
しかしこれは恋ばかりではなく、日々生活をしている中での人と人との中に常にあるすれ違いでもあります。時には広い宇宙空間に一人漂うような孤独と悲しみにとらわれる。
しかし情けないような神がこんな人を創ったことに孤独や悲しみがあると同時に、その孤独と悲しみの中にいるからこそ喜びもあります。
「鳥の声 聞けば 驚いたようにさがしあい
 花の色 みれば ああ それとばかり教えあう」
「えり分けなれた私の手が 水面を指さし
 ならべ上手なあなたが視線を添える」
孤独の中にある互いの心がふと重なり合う瞬間の喜び。
恋ばかりではなく、人の持つ喜怒哀楽は心という孤独の中に沸き立ちまっす。
「11時のかねが鳴る
 青くるしい丘の上から
 世界中へ それは伝わり
 サイロの少年は 働く手を休める」
一つのものに触れたとき、人は互いに結び付けられ平安な心を持つ。それは孤独と悲しみを一時的であっても癒してくれる。
人は孤独と悲しみの中にいるから人の心を求め合う。すれ違った心のワッペンのような顔をしながらそれを繰り返しているのでしょう。
それを夏生さんは読者に問いかけるのかもしれません。
「僕は 鈴を鳴らす ならす
 僕は 鈴を鳴らす ならす
 その音は それを それとわかる人に
 どうしても聞こえてしまう」
驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と、常に鈴を鳴らし続ける。そしてその鈴の音が聞こえたら夏生さんからワッペンをもらえるのでしょう。すべての人が心のつながりができるとするのは空想かもしれませんが、いつかこの鈴の音を聞いてくださいと鳴らすことができるのは現実です。
夏生さんの世界は、恋の甘ったるい世界でも、人を美しいものと描くような世界ではありません。人のもつさまざまな心の奥底にあるものを見つめます。その中に「生きるって?」を鈴の音のように鳴らし続けます。 」

この旧版と今回の増補新版の違うところを書いておきます。
・まずカバーや表紙のデザインが変わりました。
・ページのところどころの文字やイラストの色が茶系になっています。
中身は以上のように変わりありませんでした。復刻ですね。
しかし、今回の版では、最後の「また会おうね」の後に「黄昏から夜明けまで」と題された小さな詩集のような詩が載せられています。一緒にできることをやっていこう。。。。

2012年ツイッターつぶやき
朝日新聞1面に「日中韓 対立の悪循環」という見出しの記事があった。
この悪循環とはなんでしょうか?
中国や韓国では、この終戦記念日(中国や韓国は違う位置づけ)を挟んで毎年同じ反日行動が広まる。日本でも昔からある中国や韓国への蔑視や差別的なものがなくならない。
政治家も国内を意識すればたがいに「反」を口にするようになる。あるいは意識の中で。
根強い悪循環がずっと続いている。
互いに国家だからその威信や誇りがあり、経済的なエゴの中から対立も生まれるが、これが前面に出されれば出されるほどこの悪循環は深まるだろう。深まっていってもそこから何も解決は生まれないことは知っているはずで、最後は軍事力となる。
ここには東アジアの、それはアジア全体の発展を考える中ではマイナス要因ばかりだろう。アジア地域はより発展する様相を持っているが、自由や民主主義という政治的な発展が遅れている。そこには日本も含まれるだろう。互いに発展するにはどのような形での領土問題の解決が望ましいのかという互いの意見交換がなされない。
このような中で、どうだろうか?六カ国会議を北朝鮮問題に限ることなく、東アジアの安定と発展を協議する発展させた場としたら。。。。その中に北朝鮮問題もあれば領土問題も議論され、解決の方向性を有効の中から導く糸口になるのではないか。

【2013年】ツイッターつぶやき
今夜は冷汁です。
少し濃いめ(出汁も)の味噌汁を作りボールに移して水で粗熱を取ります。
豆腐はクッキングペーパーなどで水分をきっておきます。
アジの干物は焼いて冷ましておきます。
炊き上がったご飯は常温に冷ましておきます。
あとはきゅうりのスライス、オクラのスライス、茗荷のみじん切り、長ネギのみじん切りを用意しておきます。
味噌汁が冷めたら上記の野菜を入れてアジの干物と豆腐はほぐして入れます。
そこにすったしょうがとすりごまを入れてよくかき回して冷蔵庫でよく冷やします。
オクラの名張が出てとろみがつきますので嫌いな方は入れない方がいいと思います。
あくまでも我が家流の味ですから本場の冷汁とは違いがあるかと思いますのであくまでもご参考程度に

小泉政権を引き継いで第一次安倍内閣ができましたが、その後小泉政権時の矛盾が噴出して民主党政権に移行した。この失敗を時々日銀の金融政策の誤りからだと日銀責任論といったものがありましたが、今回の安倍政権が消費増税を行ってアベノミクスが失敗に終わったとしても(消費増税を行えばせっかくの景気改善も消えてしまうといった論理)それを消費増税の責任にしてはいけないと思う。
やはり小泉政権と今の安倍政権は似ていて、景気が上昇したという判断の裏側に勤労国民の生活の不安定さが増大し、それが経済・生活の格差の拡大になっていくという矛盾をはらんでいるわけで、それが景気の上昇と言われる景気そのものの足を引っ張る構造があるというわけです。消費増税を行えばなおさらですが、行わなくてもその矛盾は経済にも現れてくるでしょう。
社会全体のパイが大きくなっているときのある程度の格差の広がりは、勤労国民にも少しは景気回復の恩恵は回りますが、パイが小さくなる中での格差拡大は国民犠牲となる。そうすると大衆消費財の消費は減少します。それはデフレ圧力となるでしょう。円安での悪性の物価高はあり得ますが、本来の経済活動の活発化からのインフレ傾向は起きずにデフレ傾向となる。悪性の物価高がそれを促進する。ですから消費増税がなくても消費から見た経済もそうはうまくいかなくなるでしょう。
そうすると日銀の量的緩和がさらに続く。貨幣量が少ないからデフレ傾向ではないのに。貨幣の回転が悪くなる中でのデフレなのに。

【2014年】ツイッターつぶやき
僕が見ている範囲ですが、ツイッターなどを見ていると社会的な地位のある方々の慰安婦問題に関しての朝日新聞攻撃はいわゆるネトウヨ的範疇を出ないものに見える。国会に呼ぶ、廃刊すべきなどのような謝罪しろ。。。。。論理。慰安婦問題の根本にある議論抜きの批判のための批判。情緒的訴えに終わっている。戦前の日本のイメージづくりもまた情緒的である。
こういったものが安倍政権が目指す政治面での戦後レジームからの脱却を”応援”しているのでしょう。
もちろん安倍総理自身が多くの外遊の中で発言しているものも情緒的公約では?
情緒的なものは国民に「期待」を持たせたり表面的な自信や誇りも持たせるのですが、しかしそれはやはり情緒的範疇を出ない。
情緒的な”応援”が愛国心とすり替わっていく。
情緒的”応援”は言葉だけでどうにもなるものですから大きな強い声を出せばその範疇世界では勝ちであり尊敬をされる。こうして日本像というものが現実から乖離をしていく。
それが政策一般から経済にも及んでいく。

つづく

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
肺癌をはじめその他の癌に罹病する原因や様々な疾患の原因を一度煙草から切り離して研究されるべきです。なぜなら喫煙者も非喫煙者もその原因に日夜さらされているのですから。非喫煙者の方も最近の分煙で煙草の匂いをそうは感じない中健康の自信は増加しているのでしょうか?体調の悪い時煙草を連想?
肺がん=煙草というものが様々な角度から宣伝されて常識化しています。しかし一度この常識から離れることが必要になることはほかのことでもたくさんあるのではないかと思います。
「会社あっての労働者」は常識としてあります。しかしこの常識から一時離れてみると、労働者が働かなければ、あるいは人手不足になれば、会社は存続できないのです。するとここでこれまでの常識を180度変えた「労働者あっての会社」という常識が見えてきます。
「国家あっての国民」という常識も同じですね。「国民あっての国家」が常識なんです。国家あっての自分があるとみると国家に滅私奉公しなくてはいけない。しかし国家は自分が求めるものに変えていくなら、国家は国民が統治するものという常識が当たり前に見えてくるでしょう。
「選挙結果による数の力=民主主義」という常識の中に国民はいますが、民主祝儀が機能しないから数の力が常識化しているのです。決められない政治が問題となったことがありますが、これは数の力が拮抗していたからではなくて、政治家や政治自体に討議して決めるという民主主義が蔑ろになっていたのです
いじょうのように、たぶん、皆さんが常識と思い込んでいることをもう一で別の視点から見直すと違った世界が見えてくるのではないでしょうか。停滞した日本社会。この日本の未来は新しい常識の視点からしか生まれません。でも歴史を逆回転させることは新しい視点ではないです。発展させなければならない

【2018年】ツイッターつぶやき
毎年なら残暑厳しい季節で夏が好きな僕でも少々ばて気味になるのですが、今年は楽です。
7月が暑すぎましたから今30度ぐらいの気温なら涼しく感じます。
また、今年は秋の深まりが早いのでしょうか?
風も涼しいし夜の風は心地よいです。
蝉も鳴かなくなりました。

【2019年】ツイッターつぶやき
梅干を切らせてしまい今日買ってきました。
スーパーにはたくさんの種類が並んでいますが、塩分が高くて酸っぱい梅干しというのはほんのわずかしかありません。今日も探していたら一番上の棚の隅にありました。他の梅干しは塩分が5%とかせいぜい10%のものばかりでした。そのうえ鰹節入りとかハチミツ入りが多かったです。
塩分が20%以上で酸っぱくなければ梅干しではない!うん。。。。。
それでも昔のように塩の結晶が浮き出た梅干しは皆無ですなぁ。。。。。
かじると塩の結晶がじゃりっとする梅干し。
もう、10年以上前だったか、千葉県の道の駅でこのじゃりっとした梅干しを発見。たしかおばあちゃんの古漬けとか言っていたかな?小ぶりの梅干したがうまかったです。せっかく発見した梅干しですからたくさん書こう買おうとしたら妻に怒られてしまい3パックぐらい買ってきました。1カ月ぐらいするとなくなってしまい、結局車を飛ばしてあの道の駅へ。
3回ぐらい行ったかな?するとある日なくなってしまいました。もうおばあちゃんの甕にもなくなったようでした。
それ以来じゃりっとした梅干しには巡り合っていない。
和歌山に旅行に行った時も塩分のきつい梅干しは在りましたが、じゃりっとした梅干しは見当たりませんでした。観光地の土産屋ですから東京のスーパーと変わりないのでしょうね。
ドライブなどで道の駅に行くと味噌と梅干をチェックしますが、昔ながらの味噌はありますが、梅干しはない。。。。
死ぬまでにもう一度じゃりっとした梅干しを食ってみたい。。。。
毎日厳しい残暑が続いています。
梅干をかじって水分補給!!
最近は塩飴やら塩分の入ったジュースとかありますが、やはり塩分補給には梅干しです。昔からあ梅干しの塩は体に良いとお袋が言っていました。クエン酸とか梅の成分が解けた塩分になっているのかも?
秋分まであと一カ月残暑に負けず頑張りましょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
(以下ツイッターから)
敵が攻めてきたらどうするんだと若い人に突きつけたら右翼的な青年を作り出しているようなものです。
左翼にしても中途半端な観念的青年は敵が攻めてきたら戦うとなる。
どちらにしても戦争を肯定することになるでしょう。
敵が攻めてきたら。。。。。
これが真の右翼の挑発です。
左翼は敵が攻めてきたらどうするかを考える前に攻めてこない条件そしてもちろん日本が攻め込まない条件を作り出す過程を大切にする。この過程の中に日本の平和と平和主義が育っていくと考える。それが9条を守ることです。
戦後すぐに日米安保から警察予備隊が結成されて行くが、その後も自衛隊が結成され自民党の軍事的アメリカ追随が大きくなっていた。このなかで社会党を中心に労働組合や市民団体の結束によりどうにか75年もの間日本は戦争をしなかった。
敵が攻めてきたらではなくて戦争をしない国を目指した実践です
社会を深化させるのは、敵が攻めてきたらどうするという観念論ではなくて、攻めてくる国をつくらず、攻めていく国をつくらない実践という唯物論です。
敵が攻めてきたらどうするということを口にする政治家や有識者やマスコミなどの観念論者(扇動家)を否定せねばなりません。

【2021年】ツイッターつぶやき
酸素ステーション、やっと少しは重い腰が上がったのかもしれません。
もちろん入院ができない人の一時的な酸素吸入の場所です。
この酸素ステーションでベッド待ちをするわけですが、自宅療養よりはましかもしれません。
近くに医療従事者もいるわけですし。
しかしこの酸素を作る機械自体が足りなくなるのではないかと言われています。
テレビで自宅療養者の実態が映し出されていましたが、両親がほとんど身動きできないほどの肺炎を起こし、子供たちが一緒に暮らしている。東京ではこのような家庭で妻がなくなったというニュースもありました。
酸素ステーションも間に合わせのものです。もう少し医療が受けられるような本格的な臨時病棟が必要でしょう。
同時に検査体制の拡大が必要です。陽性者を多く見つけねば市中感染もさらに広がる一方です。

【2022年】ツイッターつぶやき
お盆休みも終わりました。
大都市圏は仕事の関係や繁華街での遊びで人が集まりますが、お盆休みのような一斉に休暇で人の移動がある場合は地方に都市部の人たちが分散して集まります。
今日、全国の新規感染者数が25万人を超えて過去最高になったそうです。
1週間から10日の間に人が動いたのですからそろそろ感染の広がりが出てもおかしくありません。もちろん今後1,2週間のうちに地方の方でクラスターが発生しないなら良いのですが、本来はピークアウトが起きても不思議でない時期ですから今後どうなるか。
尾身さんが全数把握はしないと言いだし急いでいますが、社会的な規制をしない、風やインフルエンザと同じだと言いだしているし、感染状況は闇の中に。感染状況が闇の中にとなれば死亡者数も把握できなくなるでしょう。
国民は効果のないワクチン漬けにさらされる。

【2023年】ツイッターつぶやき
トランプ前大統領がドル安により「米国は地獄に陥るだろう」と語ったそうです。
だいぶ前からアメリカの高速道路の整備が悪いという報道がありましたが、このようなことが様々な面で出ているようです。アメリカ経済も含めてインフラや国民生活を見れば途上国のような状態だと。
アメリカ経済は激しいインフレに陥っていますから本来ならばドルは下落するはずです。しかしそれでもドルは基軸通貨ですから買いが入りドルの価値は下がりません。ある意味、基軸通貨だからと言うのは為替ではイカサマのようなものです。しかし中国への制裁により中国もアメリカ国債を売りながら元による貿易取引を増加させています。ロシアも制裁を受けてドルによる貿易はできない。しかしロシア経済はそうは落ち込んでいない。ルーブルや元を使っているのでしょう。途上国内でも自国通貨による貿易も行われはじめています。
このままドル離れがはじまれば、というよりも価値低下を起こしているドルを避けるようになれば、ドルやに動くこともあり得ますし、それはメリカ経済に大きなダメージとなるでしょう。
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「8月17日という日」

2024年08月17日 08時16分37秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
霧雨。
雨上がりの朝、小さな公園の横を通ったら木々の香りがしました。ほんのわずかな雨上がりの時間でしたがこんな時間が好きです。
いよいよお盆休みも終わりですね。皆さんはどうお過ごしでしたか?
・・・・・といっても誰もみていないHP・・・・ハハハ
よろしかったら遊びにいらして下さいね。

【2004年】
東京は雷雨のはずが午後から晴れ間も。。。。
車で買い物に行きました。狭い駅前通のところどころに駐車をする車がたくさんありました。そんな時車が1台しか通れないのですが、お互いに譲り合い、譲られたほうが片手を上げて挨拶をする。。。。気持ちがいいものです。
そんな気持ちがよいままに帰ってきて自宅近くに着たら、1台の車がまた駐車をしようととまったのですが、いきなり後ろ座席のドアが開き危うくドアや出てくる人にぶつかるところでした。出てきた人がこっちを向いて薄ら笑いを。何だか頭がよいか悪いかの問題ではなくて人間性の問題です。せっかくの気持ちよさも台無しです。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
朝のうち曇っていましたし、天気予報でも曇りということで、今日は過ごしやすいかなと思ったのですが、そのうちにお天道さんが出てきてカンカン。
どれでも夜は涼しい風が吹いてきました。今夜は寝る前のクーラーも要らないかな。それでも部屋の中は29度あります。29度でも涼しいと感じるぐらい昨日までの気温が高かったということですね。「最低」気温が30度以上とは。。。。車に乗った瞬間、あまりの暑さにかえって寒気がした。やばいと思いつめたいペットボトルのお茶を飲み干しました。そういえば、自動販売機のお茶などが売り切れというところを2,3見かけましたよ。
北極の氷がそうとう解けているらしいです。
トップページの「東京日記 幻の月」(ハハハ・・大げさな気取ったタイトルだ)にもリンクさせたのですが、地下鉄の中はクーラーが効いていてつい居眠りをしてしまいました。少し時間が空くと珈琲ショップへ。
非難しながら一日を過ごしています。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美 様

菅総理大臣宅の警護警察官は

オシメをしているのです

うん?・・・・・・・(笑)

娘と行ったあの時のあのラーメン屋のラーメンを

腹いっぱい食わされて殺されるのが嫌です(笑)

敬具
          (Am10:17)

家電や車のエコ減税が終わる?

減税効果だけが報道される

本来の目的は?

政府はCO2の削減効果の中身を出すべき

燃費の悪い13年以上乗った車がどのくらい減ったか?

不正申請はなかったか?

どのメーカーのどの製品(車)も

エコ対象。。。。。だったような?
        (Am11:59)

【2011年】ツイッターつぶやき
政府日銀による外貨準備高が約100兆円といわれている。
この資金は民間からの借りれのようなものであるそうですから国の借金なわけです。しかしこの資金が100兆円もあるわけですから寝かせておくわけがないので運用をするそうです。借金をしてそれを運用して金利差で儲けを出す。これは金融市場などで銀行から低利で金を借りてそれを運用して金利差のもうけを出すというものは行われている?と思うのですが、こういった借金は借金であると同時に貯金です。国債と違うのは資金の使い方が為替に強く関連をすると同時にこの運用にあるのではないかと思います。
ところがこの為替に関しては、最近行われた円安を防ぐためのドル買いが続いているわけですがここから当然ドルとして外貨準備高はすすむ。そして運用はアメリカ国債の引き受けという形になる。ドルを多く所有をして世界で中国に続いて2番目のアメリカ国債の所有国となっていきます。今の情勢では輸出企業を守るためにあるいはその利益を保証するためにドル買いの方向性は続き、アメリカ国債は売るに売れないものになっている。
こう見たときに、たしかに資金は借金ですが、それをある意味貯蓄のような形で増え続けているというのが実態で、国の貯金であることに変わりありません。
現在被災地救援のために増税やら赤字国債が言われています。
増税で国民生活を犠牲にすることや新たに借金をする前に膨らみすぎた外貨準備高という貯金をまず使うことが求められているのではないでしょうか?
たしかにアメリカとの信頼関係や輸出企業に辛い結果を持つかもしれませんが、それを行うのが外交でしょう。平等な。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
竹島問題で日本は国際司法裁判所に提訴する構えですが、韓国は共同での提訴は拒否をいや、問題は存在しないということで提訴はしないという。現実の竹島を実効支配しているのは韓国と言うことですし、韓国は提訴する理由はないという態度も必然的である。このようなことを日本は認識している中での提訴するということですからその限界は知っているということになります。
北方四島にしてもロシアが実効支配をしている。
尖閣諸島はどうなんでしょうか。たぶん日本が実効支配しているということになるのでしょうか。
日本というのはこの実効支配という観点からの領土問題の取り扱いは相当複雑な論理展開にならざるを得ないのかもしれませんね。
尖閣諸島の紛争を実効支配から言えば、その実効支配から竹島や北方四島問題は厳しくなる。
実効支配の目安は50年?
日本はアメリカを頼った外交、アメリカの世界戦略に沿った外交を行ってきたわけですが、そのアメリカも安保上の軍事的動きがない限り中立的な立場を今後は取り続けそうですし、国家間の問題としての解決を望む。もう戦後からも長い時間が経過して占領国が作った国境には縛られない世界になってきているのでしょうか。
韓国も中国も国力をつけてきて日本と同様な経済的なパートナーとして台頭してきましたし、韓国は朝鮮半島問題を抱える政治的にも重要な位置を持ち、中国は終戦後からずっと悪とみなされつつも政治的な位置づけを世界が認めてきた。アメリカは政治的にも無視をするようなことはありえない。北朝鮮問題はここに複雑さがある。
東アジアは動いています。経済面でも政治面でも。
動いていないのはアメリカに依拠する日本ばかりではないでしょうか。経済の落ち込みはこれを加速させるかもしれません。
北方四島に、尖閣諸島、そして竹島。。。。。
ここに打つ手がさらになくなっていくのでしょうか。国内的にはこういった国際問題を感情的な側面からの反ロシア、反中国、反韓国そして反アメリカも存在する。しかしそこからは何も解決できないことはわかりきったものがある。
実効支配にはどこかで軍事力とつながりがある。日本を再生させる、強靭化させるという二大政党制の中にも当然軍事面は含まれつつある。
もしアジアが北朝鮮の経済的発展政策が安定化をして資源開発をてこに発展していき、韓国との経済的なつながりは同じ民族意識を高めていくことでしょう。ロシアも東アジアに目を向け始めていると言います。もちろん中国はアジアの中心になろうとしている。もちろんアメリカを無視するわけにはいきませんから、何らかの形で東アジアの関係強化にアメリカの力も温存させるでしょう。
ここに日本の孤立、もちろんまだ大きな経済的な影響力があるわけですから日本を無視するということにはすぐにはなりませんが、経済面から離れた政治的孤立を心配することは考えすぎでしょうか。
アジアは日本を孤立させてはいけません。もちろん日本もアジアから孤立することは避けるべきです。そのためには領土問題としての尖閣や竹島や北方四島ではなくて、東アジアの発展という広い視野での解決策を模索すべきです。互いに経済面を優先させるなら、漁業や地下資源は互いの利益になるように考えればよいわけです。「戦後」を終わらせねばなりません。このような中で日本は東アジアの中心となれるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
以前から消費増税を行っても景気が落ち込むなら税収はがらないという指摘がありましたが、どうも消費増税を行うかおこなわないかの判断の一つにこの税収が上がるかという分析が加わってきたようです。
政府は消費増税を社会保障に直結するのではなくて財政再建に消費増税を置くようになったわけですからこのような懸念は出てくるでしょう。特に消費増税と対となった法人税減税も考えているわけですから財政への影響は微妙でしょう。
消費増税はその条件として経済安定や成長を前提にし、デフレからの脱却が伴わなければならないというのがアベノミクスの責任なわけです。経済見通しについては政府も日銀も楽観する声明を出していますし、デフレからの脱却も市場での物価高傾向を見て判断している。しかし経済の見通しも株価と円安効果中心で、物価高も円安効果中心です。そして景気の回復という期待感だけです。このような擬制経済は大本営発表でも済むわけですが、実際に消費増税というものを行うかといった重要なものとなれば実体経済に影響するわけですからそうは簡単ではないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
旧ブログからずっとアベノミクスそして日銀の量的緩和は逆立ちをしていると書いてきた。
デフレからの脱却=物価の上昇=インフレ(物価の安定とは言うが)=経済成長
この論理にはいくつかの落とし穴がある。
デフレからの脱却とは「デフレ不況」からの脱却出なければならないはずですから、ただ単に物価を政策的に引き上げればよいということではなくて不況から抜け出さなければならないはずなのです。デフレ不況の原因の一つは企業利益の維持のために賃金をコスト扱いをして低賃金化というものを生産性の向上としてしまった。国民のほとんどは何かしらの形で賃金を得て生活(消費)をする労働者とその家族です。ここに低賃金化が押し寄せれば当然生活の低下=消費の低下が起きるわけです。この消費の低下を食い止めるために小売店はカードの発行を広げてボーナス一括払いあるいはひどい場合はその次のボーナス一括払いなどといったもので消費を促した。しかしそれにも限界があるわけで、最終的には安売り競争に陥っていく。もちろん海外生産は商品を安く国内に入れるし世界的にも過剰生産気味ですから価格の減少は避けられませんでした。この中に商品価格の下落が継続的に表れてその中での企業利益の減少をさらに低賃金化で埋めようとした。ここに負の連鎖が生じてデフレ不況が現れる。
もちろんこの中で企業の国内設備投資の積極性は落ちていき、ここでも消費の減退が起きる。
こうした中でのデフレからの脱却として物価だけを上げれば経済が好転するといった政策は誤りといわざるを得ないでしょう。
物価だけを押し上げることができても経済の好転はないのですから本来の意味での(経済が成長する中での)インフレは起きない。悪性の物価高だけが残りその一軒インフレと見える物価上昇は結果としては疑似インフレに過ぎなくなる。
本来は「デフレ不要」の不況の改善を行い経済の好転からのインフレを目指すべきなのに全くの逆立ちをしてしまったのです。
疑似インフレはスタグフレーションを起こして物価高と不況が同時に発生をする。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ロイターに「輸出競争むしばむ日本病 リスクとらない経営者」という記事があった。
リスクをとらないという事は、その根底にリスクをとらなくてもよい条件と、リスクをとることによる自己責任の大きさがある。
日本病を現す言葉に、「失われた10年」「失われた20年」そして「失われた30年」に向かう日本がある。
日本は生産性の向上をどのように労働者から搾り取るかに重点を置き、企業利益を第一義的に考えてきた。先進国で労働者の賃上げが抑えられてきたのは日本だけのようです。労働力は、一方では過労死にあるように使い捨てをされて一方ではニートという若い人々をつくってしまった。正社員から非正規雇用労働者へ。男女間賃金格差。そして今は労働の規制緩和が言われて、過労死容認法ともいわれる時間外労働による長時間労働と、この時間外労働さえ残業代を支払わないという事が検討されている。残業代未払いの合法化は1000万以上の専門職のようだが、派遣労働法にも見るように適用範囲は広がっていくでしょう。
経済面を見ると、アベノミクスと日銀の量的緩和により、輸出産業を中心とした企業利益づくりが進み、企業の実績を現すはずの株価も人為的に上げられていった。
以上のような毒饅頭をむさぼって満腹感を得ていれば、何も大きなリスクを背負う必要もなくなるのである。その場しのぎとしては。。。。。
このその場しのぎの満腹感を得ているときには、それ自体が好景気であると勘違いをしてしまう。これではだめだという経済人も多くいるでしょうが、まやかしの好景気を批判したり、ましてや方向転換をすればそれは異端児となり、失敗をすれば個人の責任で終わるでしょう。
社会全体がこの個人攻撃により事故の正当性に胡坐をかいてしまっています。国民全体が、多数の意見が正しくて、多数の意見を言っていれば常識人だとなってしまう。
考えることを停止してしまうのです。。。。。最終的には。
政治も先進国の保守政治から離れて復古的な日本が叫ばれはじめています。
日本がリスクを取りながらも発展していこうとするのではなくれ、このリスクを考えないようにして虫をすることにより、リスクをとらない日本病になるのですが、政治や経済のすべての哲学が思考停止をして内にこもってしまう病に侵されているのです。
学校教育もこれから右傾化していくでしょう。次の世代である子供たちも考えない日本人として再生産されるでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
今、ツイッターで禁煙を呼びかける人たちとお話をしています。
なかなか忙しい・・・・(笑)
でも僕にとっては今の禁煙運動の中で一般の人たちがどのように考えているのかがわかるので面白いと思います。
しかしそれが全禁煙運動の流れの中での考え方であることがつかめます。
WHOも含めて煙草増税で禁煙を勧める動きがあります。
喫煙を嫌う方からすればどんどんたばこ税を上げろという単純さが出ますね。
しかしどうでしょうか?たばこ税で禁煙を促すにしてもたばこ産業の企業に対して法人税などを増税するのではなくて、立場の弱い一人一人の喫煙者にターゲットを当てて所得の低い人たちから禁煙せざるを得ない経済的な格差を利用して禁煙を強制させます。所得が低い人たちだけではなくて今の格差社会では平均的なサラリーマンの小遣は37000円だと言いますから平均的なサラリーマンでもたばこをやめざるを得ない強制力が働きます。
これで日本では喫煙率が下がっていると単純に評価を加えているのですから恐ろしい社会です。
喫煙者は少数派になっています。
喫煙者は数の力からしても力が弱いのですが、その弱い立場にさらに個人的な経済的強制が働くのですが、これが当たり前正しいと思う人々が増えていることに社会の劣化を感じます。
これから消費増税もありそうですが、国家財政のために!と国民は高い税率を我慢しなくてはいけない状態になります。それは何を意味するか?金がないならタバコなど吸うな!という論法と同じに、金のない奴は生活も切り詰めればよいだろうという意識が広がってしまいます。
人道を考えない社会になるでしょう。
そのほかにも禁煙運動の矛盾は多くありますが、そのうちに。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
8月15日が満月でした。
少し欠け始めた月ですが今晩は美しい月が出ています。
15日といえばお盆(旧暦・月後れ)も終わりですね。
送り火を炊いてご先祖が帰っていく。
満月の夜空に帰っていく。
お盆というものがどのように決まったかはわかりませんが、月と深い関係があるのでしょうか。
かぐや姫が満月の夜空に帰っていく。なんか永遠の別れを思い起こしますが、死の国と月は関係があるのでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
6月川上さんの心の中にコロシアムが建造された。。。。。
うん?(笑)
コロナ騒ぎの中、いきなり学校が休みになったり緊急事態宣言が出されたが、6月になってそれがあっさりと解除された。。。。。
大丈夫かな?
誰しもが国民は心の中にコロシアムを建造してしまったでしょうなぁ。
コロナ対策と経済を天秤にかけてしまう社会全体もそうですが、それは一人一人の問題で”葛藤”が激しく始まる。
体重計が怖いというのもまた葛藤ですなぁ。。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナも自然現象ですからたしかに自然最大とみることができる面はある。
しかしこの自然災害に対する対策は人の行動です。
東北の震災は1000年に一度の災害とされましたが、原発事故そのものは自然災害ではない。人間の対応の失敗です。失敗ならまだよいのですが、対策を怠ったならそれは人災となります。原発事故は人災の面が強い。
これと同じようにコロナ対策も人災の面が強い。
1年半ずっと同じことしかできないということ自体も人災です。
Go Toやオリンピックそしてパラリンピックと人の移動を促すようなことを行ってばかりいること自体が人災です。

【2022年】ツイッターつぶやき
医療機関が「災害レベルだ」と現在の医療崩壊に危険性をうったえた。(ハフィントンポスト)
これまでも素手に救急搬送が受け入れ先がないために長時間かかるというニュースがあったが、コロナ患者だけではなく普通の病気や怪我でも入院できなくなっている実態が出ているのでしょう。
政府は緊急事態宣言やまん延防止は新規感染者数の増加ではなくて医療機関の実態や死亡者数により判断すると変更をしてきましたが、現在のように医療崩壊が叫ばれている中でも宣言やマンボウが出されない。出されないどころか社会的規制をせずにこのお盆休みの人の移動を許した。
政治や専門家は規制を行わないが自己責任と自己管理で動くようにとしてしまった。
大都市圏から地方へ人が動くことにより、熊本では新規感染者数が過去最高だとも。
ピークを迎えるのではないかという判断が出はじめているがこのピークはさらに遅くなるのではないか。
尾身会長は感染者の全数把握を行わないとイイダシせレを政府は受け入れるでしょう。
コロナ対策での矛盾が出れば経済優先で解釈(ルール)を変更しさらに矛盾が深まればまた解釈やルールを変更し、最終的には野放しのコロナ対策となっている。
政治と専門家の自殺行為である。

【2023年】ツイッターつぶやき
10日ぐらい前だったかな、ガソリンを入れに行ったら162円でした。東京でも安いと思われるスタンドでしたが160円を超えると高いと思いました。
しかし今日のニュースでは180円を超えていると。地方や高速道路のスタンドではだいぶ高いでしょうね。
円安も進んで145円とか。円安、株安、金利安の状態ですから当分円高にはならないかな?
同時に政府のガソリンに対する補助がなくなりましたからガソリンも200円ぐらいになるかもしれない。
産油国の増産もアメリカとの関係ですぐにはなさそうです。
トラック輸送業者は厳しいでしょうね。
コメント
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「8月16日という日」

2024年08月16日 07時53分13秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
昨日は終戦記念日でした。
いろいろな追悼式があったようです。以前東京の空襲で大きなけがをした人の話を聞いたことがありました。民間人です。原爆でやられた方々もそうですが、戦争で犠牲になった民間人の人たちには何の保障もないようです。
この前のイラク戦争もそうですが、いちばん悲惨なのは弱い立場にある民間人(戦争で儲けた人たちはのぞくとしても)と徴兵という形で銃を持たされた一般の戦士ではないかと思います。今、北村薫の「リセット」を読んでいます。リセットとは・・・・

【2004年】
昨日の涼しい雨に秋の気配。。。。
ごろんと何も掛けずに布団に横たわり眠りに入っていくとき、つくづく夏はいいなぁとおもいます。昨夜は少し冷えてしまった。。。。夜中にトイレ2回(笑)
気持ちのせいか空が高く感じます。
夏生さんは、次の季節に移り変わることにわくわくするそうですが、どうも僕は夏と秋に限っては寂しくなってしまいます。根っからの冬嫌いからかな。。。。

【2005年】
ビールもカロリーが多そうなので缶のチューハイでも飲もうと買いに来ました。
でも、缶のチューハイも糖分というのか糖質がありどんより。。。。
そこで見つけたのがとあるワインメーカーのチューハイ。飲んでみたら、たしかに甘みはなくてレモンの風味と酸味がさわやかでした。家でチューハイを作るのも大変だから今度はこれにしようと思います。
どこのと言ってもいいほどチューハイにはウォッカが使われている。ロシアのウォッカ?それとも焼酎系もすべてウォッカという名称なのか?
天気は不安定です。
出かけ先で通り雨にあってしまいました。天気予報も当たりにくいですなぁ。。。

【2006年】
今夜は久しぶりにチャーシューを作りました。
一応国産の豚肉を使ったのですが。。。。なんとなくうまくない。以前、やはり国産豚肉でトンカツを作ったらすごく固かった。ブロックや厚切りの肉となると安い肉を使うのか?
そういえば、牛肉を買ったときに2等肉?だったか等級があるらしい。
麦茶を沸かそうとやかんをガスコンロに乗せて火をつけるとあっという間に沸く。水道の水の温度がそうとう生ぬるいです。ガス料金が冬の半分ぐらい。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
昨日は終戦記念日

テレビで特番をやっていた

人は死ぬことより生きることを考えねば。。。。

生きることが国のためである

死ぬことを前提では何も生まれない

死に物狂いの力は

生きるという合理性にいつか負ける。。。
         (Pm6:55)

熱帯夜である

風呂上りの汗がひかない

熱帯夜。。。。。

なじみのある言葉だが最近聞きますか?

テレビなどで。。。。。

そういえば最近見なくなったもの。。。。

車にカーナビは当たり前の世の中だが

車の屋根の後ろにあったあのアンテナ

二又になった金属のあのアンテナ

今日久しぶりにみました。。。。

見て懐かしいような、まだあったか・・・・と
           (Pm10:17)

思い出した。。。。。

ツイッターですが。。。

登録してすぐに

夏生さんをフォローして「返信」を

でも、わからないで何か間違いをしたら

たしか「もうあなたのお書きになったものは読みません」

というようなテロップが?

うううう。。。。。。
(Pm10:35)

南の空から夏の名残の天使の声がした。

愛してもらえないことは悲しい
しかし愛せないことはもっと悲しい
しかししかし愛をあきらめざるを得ないことはもっともっと悲しい
汝は私を信じ愛せよ

ううう・・・・

【2011年】ツイッターつぶやき
ツイッターをやっているのですが、フォローをさせていただいた方から「ブロック」なるものをされてしまいました。ブログの機能にもアクセス拒否やコメント拒否といった機能がありますが、このようなものはある意味必要悪なのでしょうね。
僕がブロックされた理由は、どうも自分の意見を書くと「絡まれた」と判断をされたからのようで、とんと僕には理解できない世界です。ブログでもコメントを拒否とか削除を僕もしますが、これはある特定のたとえばH系のものや誹謗中傷目的のものばかりで、議論を「絡み」と判断しての削除はしていません。
だいたいこの絡みだけを理由とする、いや、絡みと断定をして議論を避ける方法は、あんがい自分は他の人を辛辣な言葉で批判をしてしかし議論はしないという特殊な世界に意識があるかたのように思います。人の批判は書く、しかしその反批判が来たら絡みだとして議論しない。議論はしないことを前提とした他の人への批判は、自分自身がその方に対して絡んでいることに他ならないことに気づいていないわけです。その批判する人が政治家だったり学者だったりする場合がありますが、そのような方は反批判などをわざわざしてこない。だから一方的な批判だけで済んでいるのです。しかし一般の方はそうはいかない。書いたことには批判をする。すると批判された立場になると「絡み」だという。面倒な論理的なものになるとこうした傾向が出るのではないかと思います。
こう書くと批判が出そうですが、インテリ層の一部にある特殊な考え方やとらえ方なのかもしれません。
勘違いをされては困るのですが、ここではその方の批判をしているわけではないです。
ツイッターだけではなくてネットという世界のコミュニケーションの難しさを感じるのです。ネットの世界では匿名性がありますからそれを悪用したものも確かにありますし、いろいろな弊害もあります。その中でネット上の議論というもの自体が軽視されてはネットも文化になりません。ネットの悪いところを修正しながらみんなが意見交換できる場を作っていかねばならないのにこの議論そのものを拒否するのではネットの文化構築も別の角度から否定をされてしまっていることが悲しいのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
ジブリ作品「風立ちぬ」に対して禁煙学会から喫煙シーンが多いとの批判が出ているようであり、これに対して賛成の意見や反対の意見も出ている。そしてその賛否は表現の自由の侵害をも含めた議論になっている。
これをどう見ればいいのでしょうか。
それを考えるうえでまずは映画だけではなくてテレビドラマや文学作品などにおいて喫煙シーンがあってはいけないのかという点です。
日本もまだ喫煙率は30%前後あるようです。そうすると喫煙という幅径は日常に社会の中にある風景と言えるでしょう。その風景は喫煙者にとっては日常のそして人生の一コマという風景です。映画やドラマそして文学などすべての作品上の表現には当然喫煙の風景があっても不自然ではないでしょう。もちろんそこには喫煙の風景による表現があってもおかしくない。
これに対して喫煙の風景が喫煙をを促すからやめるべきだという論理はどう見てもおかしいでしょう。作品自体が喫煙を促す中身ならば批判する自由はありますが、喫煙の風景を描いただけでの批判は自由でしょうか?このような自由を認めるなら飲酒や人殺しや様々なシーンに対してやめろという自由が氾濫してしまいます。もちろん先に書いたように未成年者に飲酒を勧める中身であったり犯罪の心を湧き立たせるような中身の表現ならばそれには批判の自由があります。
「風立ちぬ」での喫煙の風景は完全に表現の自由の藩中でしょう。ですから喫煙シーンはやめろという批判は成り立ちません。
映画やドラマそして文学などからこの喫煙の風景を消し去ることは、現実の社会においても喫煙の風景を消し去ることとイコールで結ばれています。もちろんそれは喫煙者を消し去ることです。これが現実社会においてはたばこ消費税増税という国家の権力を使って禁煙を勧めたり、精神社会においては文化・芸術作品から喫煙の風景を消し去ったりする。それは喫煙者という人間を力や表現の自由を抑えることで消し去ることです。このような方法は良識的な禁煙の運動でもなければ禁煙を促す表現の自由でも言論の自由でもないでしょう。その意味においてこれが過剰なものとなっていけば禁煙ファシズムではないかという意見が出るのが当たり前でしょう。
ある強い力を持つ組織が「これが悪だ」と決めつけてその悪を消し去るには何でもありというものがどんなに危険なものか。
表現の自由や言論の自由は、互いに表現と言論を通じてより良い結論を出していく作業です。
以前、性描写について表現の自由かといったことが裁判にもなりましたが、性描写そのものがその表現として性を売り物にしただけのものか、それとも性は人の営みとして日常にある風景として描いたものかによってその判断は違ってきます。裁判にする前に表現の自由とは?といったものを出版社自体が内部で議論してより良い判断をすべきなのです。
言論の自由と言っても何を言ってもよいといったものはありません。

【2014年】ツイッターつぶやき
14日に書いた「スタグフレーションか」というものを書きましたが、このスタグフレーションとはどのようなものでしょうか?経済の成長がないところに本来は経済成長の中に起きるべきインフレが同時に起きている状態といってもよいのではないでしょうか?
もう一度東京新聞の「消費増税でGDP急減 個人消費落ち込み 4~6月期」という記事の表を見てみましょう。
14年の4-6期の特徴はどこにあるのでしょうか?
名目GDPの落ち込みはマイナスですがほぼゼロに近い。しかし実質GDPはー6.8と急激に落ちています。この名目に対する実質の差が低くなればデフレーターは大きくなります。こちらの記事の表を見ると。そのためにデフレーターは+2に跳ね上がっています。それではこのデフレーター+2はどのようなことを現しているかといえば、こちらの記事の名目と実質のGDPについての解説がわかりやすと思うのですが、デフレーターが+1を超えるとそれはインフレとなる。4-6期のデフレーター+2は相当なインフレ状態を現していると見たほうがよいでしょう。
しかしこのインフレは経済成長がマイナスの状態で起きている。
マイナス成長下のインフレです。
このデフレーターから見るインフレは政府・日銀の目標ですからそうは簡単に方向転換をしない。これがまたマイナス成長下のインフレを拡大していく。
このデフレーターが現すインフレ傾向は消費増税により引き起こされたとみるべきですが、アベノミクス自体がアベノミクス期待で13年1-3期には名目実質ともに高くなるのですが、実際の経済の動きは実質GDPは下り坂で徐々に名目GDPは横ばいになる。この延長線で見ると消費増税がなくても名目と実質の差は広がりインフレ傾向を示していたでしょう。しかしもちろん消費増税がインフレを一気に引き起こした。それもマイナス成長の中でのものです。
アベノミクスの矛盾そのものが噴出していると同時にその矛盾を大きくしたのが消費増税だということです。
「安倍政権がもたらした消費税増税による自業自得的な経済急減速について(いわゆるリフレ派の見解まとめ)」という記事がありますが、消費増税を否定しても緩和策は継続すべきといった論理もまたアベノミクスの期待から失望の中にある状態ではそうは効果は出ずに、デフレーターから見るインフレは4-6期よりも改善される場合もありますがマイナス成長あるいはゼロ成長の中でのインフレに変わりはないでしょう。
スタグフレーション=マイナス成長下のインフレ=悪性の物価高となります。早い時期のアベノミクスからの脱却が必要ですし、日銀の量的緩和も出口に向かうべきです。今の矛盾をどうにか繕うために年金積立金までもを株価維持に使ってしまう危険性や更なる消費増税と労働者の生活低下を引き起こしかねません。
もちろんこのアベノミクスと量的緩和からの脱却をソフトランディングさせるのは相当難しい状態にすでに陥っているかもしれませんが、だからと言ってこのまま突っ走ったらさらにひどい状態になってしまいます。これが安倍政権が作り出してしまった経済的の現在時点の状態でしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
安倍政権は消去法からの期待からはじまり、次第に失望に向かい、今では不信感が高くなっています。不信の後は見限ることになっていくのではないでしょうか。
政治はお友達内閣とも揶揄され、大臣の資質まで問われるような事態になり改造を余儀なくされました。安倍総理自身も規制の緩和といいつつもふたを開けたらやはりお友達への配慮という疑惑を深めていくばかりです。北朝鮮との危機は集団的自衛権で強くなってしまいました。平和を口にしつつも過去の反省はどこかへ行ってしまいました。
経済は、最近国内消費の増加が言われはじめていますが、それは公共事業や外国人の消費に頼っています。
ロイターに「強い消費支える耐久材、背景に物価安定効果の声」という記事がありました。
そこには次のように書かれています。(以下引用)
上がらない物価が「消費そのものに影響を及ぼした可能性が否定できない」と分析している。つまり物価が上がらないことで、個人の消費意欲に冷水をかける要因が減ったという見方だ。
早い話が、デフレ脱却を人為的に物価を上げることとした経済学が間違っていたのでしょう。物価ではなく不況を抑えることです。あとは円安誘導での輸入品目の値上がりを戻すことが大切になってきます。
これまで「物価安定」という言葉は物価上昇傾向の継続を意味していたと思いますが、ここでは物価上昇が抑えられて安定することを意味していると思います。これが普通の考え方でしょう。安倍政権ではデフレ状態が悪とされるわけですから牧歌高状態が不通となりますが、これは逆立ちをした論理でした。
アベノミクスの失敗が国民の消費を拡大していくことが証明されました。
今後労働の規制緩和により過労死容認法ともいえる残業「規制」や残業代ゼロが行われることになりかねません。そして解雇自由法ともいえる(解雇は金で解決)ものも考えられます。すでに消費税10%は行うというものが発表されました。
そろそろ安倍政治は終わりにしないといけませんね。

【2018年】ツイッターつぶやき
オリンピックに向けて暑さ対策でサマータイムの導入が検討されているようですが、そもそもなんで暑い時期にオリンピック開催を決めたのでしょ?
前回東京大会は10月で、一番雨が少ない時期でもあり気候も一番良い時期でした。
夏は蒸し暑さのためただでも寝不足になりますが、体のリズムからすれば2時間早く起きるという感覚は残るでしょう。どちらかと言えば、2時間時計を遅らせるほうが寝不足解消になるのかなと思ったりもします。朝の涼しい時間に2時間眠ることができる。
世の中にはいろいろな仕事があります。冬に暗いうちから出勤をするというのが夏は明るいときに出勤ができるというのは良いものでしょう。電車の始発を5時とすれば、サマータイムでは3時に始発電車。。。。
早朝から働いている方というのは多くいると思います。
逆に就業時間が2時間早まるのですが、残業などで夜遅く帰るわけですが、サマータイム導入でも明るいうちに帰れるというメリットはないでしょう。
ゆるになれば花火大会やら盆踊りや祭り。。。。サマータイム7時からとするなら5時ですからなぁ・・・・西日の中の明るいうちから花火をみなければならない。サマータイム商戦も活発になりますがそうは明るいうちから酔っぱらうこともできないでしょう。
幾度かサマータイムは検討されたそうですが、できなかった歴史があります。
社会的にできないものをオリンピックのためにというのは乱暴でしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
ある企業でAという商品を月間1万個生産していたとする。
その企業が生産性を高めて同じ量の労働力(労働者の数という面でも)を用いて1万1千個(10%増)の商品を生産できるようになったとする。
すると、商品の価値は労働力量が同じなのですから変化はないが、商品量は10%増加したのだからこの商品の使用価値は10%増加をしたことになる。
ここから何がわかるか?商品の価値と使用価値とは一致はしないということです。
企業は1万1千個の商品を今までと同じ価格で売ろうとする。価値に変化はないのに10%増加する利益を得ようとする。
しかしこのAという商品を生産する産業全体が10%生産性を高めたならば、価格競争を通じて10%低下した価格とならざるを得ない。
もちろんすべての商品が売れているうちはよいが、10%の生産拡大は商品の過剰生産を現し始める。ここに価格競争は不可避です。それ以上にさらなる値引きも行われるでしょう。
同時に格差の拡大による貧困や低賃金そして社会保障の低下は価格が下落してもその商品の必要量を買うこともできなくなる。この中で商品の過剰傾向は増大して過剰生産はさらに顕著となる。
このようなことが全産業に起きているのが現在でしょう。そしてグローバル化の中でこの現象は世界中で起きる。
商品(商業)恐慌の傾向を深める。
企業の活動は鈍り企業には貨幣資本がだぶつく。
商品価値量に変化はないが商品の使用価値(価格)の下落は続きデフレとなる。そして企業活動が鈍くなることによりデフレはデフレ不況となる。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日も書きましたが安倍総理は露骨に戦争を行える積極的平和主義を露骨に表明した。
これは韓国や中国との関係をさらに悪化するでしょう。そして露骨なアメリカ追随主義は政治とともに経済に大きく影響してくるでしょう。
(以下ツイッターから)
安全保障を理由に韓国への半導体輸出規制に反発した韓国での日本製品不買運動が長期化しているようです。
この長期化には日本製品がなくても不便ではないという人が69%と広がっているからであるようです。
なにも日用品の不買運動が起きているというだけではなくて半導体自体の国産化(日本企業誘致も?)を目指し日本に依拠していたフッ化水素自体も高純度で生産できるかもしれない状態に
韓国だけではなく、対中国に対してもアメリカ追随の中日本は経済面でも苦しい立場に置かれるかもしれない。
国内の保守層でも政治対立から中国離れを言いはじめているが、中国の消費又は競争力を捨てることはできないでしょう。
日本の保守思想は日本を孤立させる。

【2021年】 ツイッターつぶやき
緊急事態宣言の県が7県増加するという。
そして東京などすでに緊急事態宣言が出されている県では来月まで延長されるという。
新規感染者数が急拡大して医療逼迫の危険性が出てから緊急事態宣言という後手後手がまだ続いている。
そのうえどこの県かもわからなくなっているまん延防止があるわけで、もう緊急事態宣言が昨日できない状態にもある。緊急事態宣言が出されても組みや自治体が行うことは国民に対しての自己責任を言うだけです。
検査の拡大もやらず隔離のための病棟もそのまま。自宅待機者への酸素発生機がもうなくなっているという。医者は苦しいけど頑張ってねと励ますしかできない。
日本のコロナ対策は崩壊をしはじめています。
どうにか早くピークアウトして欲しいですがその根拠は見つからない。ピークアウトしても下げ止まりが長く続くでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
「1日当たりの死者数は1カ月で約7倍に増え、ほぼ連日200人台と、年明け以降の第6波に迫る。」(JIJI.COM)
感染力は第七波の方が大きく感染者数は3倍近くに。その意味では死病率から見れば低いのかもしれない。これがウイルスの弱毒化なのかワクチンの効果なのかは定かではありませんが死亡率が低いことではよかったのかもしれません。しかし死亡者数は第六波を超えるのは確実でしょうから、感染力の高いウイルスの怖さでしょう。
第六波では政府の感染防止は不十分ながら国民の目に見えていたと思いますが、第七波では放置コロナ対策ですべて国民の自己責任となりました。ですから毒性が少ないあるいはワクチンがあるとしても感染拡大防止をおろそかにすれば死亡者も増加をするということです。

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が行使されました。地球が許してくれる。
川上さんはたびたびお仕事でベルギーのほうへ行くようですね。
翻訳関係なのでしょうか?
6月、すでに円安もピークに。
まぁ。そん関係ではないでしょうが、ホテルではコンビニで買ったもので過ごす毎日。
お若いころからの旅行の形なんでしょうね。
ベルギーといえば。。。。。
チョコレート。
「デンマークチョコですのよ。おほほほ・・・」
しかしイタリア製。
有名スーパーですが、スーパーですからなぁ。日本でもスーパーに行けばどこかの国のものも売っている。
小分けされたチョコレートはお土産にぴったし。
しかしスーパーのベルギーチョコはただの袋詰め。
地球環境によいSDGs
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「8月15日という日」

2024年08月15日 12時42分26秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
今日も雨です。それも秋を思わせるような寒い雨。昨夜はタオルケットだけで寝たら、夜中に寒くて起きてしまいました。
まだ雨が降っていますし肌寒いのですが、蝉君は一生懸命に鳴いています。なんかやけくそで鳴いているみたい。
神奈川では大雨警報。東京でもだいぶ降りました。

「リセット」
                       (新潮文庫)
             北村 薫  著
物心の付かない頃、戦前にあらわれた獅子座流星群をみた真澄。少し年上の修一。
真澄が女学校に通いはじめた頃に二人は知り合い好意を持つようになる。二人は次に現れる獅子座流星群をみようと約束する。戦争がはじまり二人も軍需工場にかり出される。そこで修一は空襲で死ぬ。
戦後村上という男が病院の中で子供の頃の日記を読み返しながら謎を秘めた話を録音しはじめる。この村上が小学生の頃の日記である。
村上が小学校の頃に貸本をする女性と知り合う。それが生き残った真澄である。ある日、村上は読んだこともない昔の啄木カルタの歌を覚えているように詠む。そのことを発端に村上が戦死した修一の生き返りだということがわかってくる。しかし真澄は小さな少年に修一が生まれ変わったことによろこびを感じるがつらくなり引っ越す。引っ越した先を突き止めた村上少年は会いに行く。
その帰り道、列車事故により真澄は死ぬ。
村上少年が成長し就職をした頃、ひとりの少女と知り合う。それが真澄の生き返りだと知る。後に結婚をし二人が見たものは。。。。。
生き返りという物語の中にリセットが表現されていますが、親から子へ思いなどが継承されていくという物語でもあります。
一度死んだ愛し合う二人が生まれ変わって再会をし、結婚をする。それも戦争や事故という悲惨な死に方をした二人ですから、結末には暖かいものがあふれています。
リセット。。。。。これは人間の問題として取り上げられていますが、もう一つには、その人間自身が作っている社会があります。社会もリセットされるのか?人間がリセットされるなら、その人間の作る社会もリセットされるはずです。
たしかに今は危険な政治情勢ですね。。。。。。
この前の獅子座流星群をみた子供達の運命が戦前にあらわれた獅子座流星群をみた子供達と同じものであってはならないと思います。

【2004年】
昨日よりも気温は10度低くなっているそうです。過ごしやすいです。
息子が破けた汚いジーパンをはいているので、もう捨てろといったら、買ったばかりだという。値段を聞いたら目の玉が飛び出るほどの値段です。ぼろぼろで洗濯をするのが怖いほどです。。。。。ハハハ
もう何ヶ月ぶりだろ・・・家族4人で買い物に行きました。
今夜は夕螺特製の角煮です。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
終戦記念日

昨日の東京大停電はすごかったようですね。って、東京に住みながら朝寝坊をし、植木に水をやったりパソコンに文章をアップしたりで、10時半ころまでテレビも見なかったのでびっくりしました。大都市の脆さという言葉を時々来ますが、今回の停電もそうですね。
今日の新聞では、その切れた電線に昇って作業をする東京電力の方(下請けの方)?の写真がありましたが、僕のような高所恐怖症の者にとっては写真を見ただけで手のひらに汗が浮かんでくるような所で作業をしていました。たぶん数人の方の手によって復旧がされたのでしょうが、その数人の方の手にものすごい電力供給の大動脈が支えられていたということか。もちろんその人たちは、作業を指示されてやっていたのでしょうが、それにしても現場で作業をする人たちの手というものは大切なものです。
社会の中にはこういう人たちがたくさんいて成り立っているはず。。。。それは、社会を支えているということで再認識が必要ではないかと思います。
こういう地味な所で社会は支えられていること。。。
今これが忘れられようとしているのではないかと思います。あるいはないがしろにされている。

【2007年】
熊谷だったか?気温が40度を超えたそう。
東京もすごい暑さでした。気温は35度ほどでしたが時々風がほとんどなくなり、蒸し風呂状態でした。まったく温泉の脱衣場状態。。。。
水分補給をと、いくら麦茶を飲んでもすぐに汗となる。尿の回数が減ったみたいです。これではいかんとまた飲む。そしてまた汗となる。。。。
体力の消耗が激しい。
それでも夏は食欲があるのでどうにか元気にやっています。
終戦記念日ですなぁ。
いろいろな思いでこの日を迎えた方がいらっしゃると思います。同時に戦後生まれが圧倒的に多くなり、その戦後生まれが戦争や終戦を考える時代になってきました。これは日本だけではなくて、終戦の時期がいつかの違いはありますが、世界中に共通することです。終戦を戦勝記念日ととらえる国もあるのは当然で、開放記念日ととらえる国もあるはず。その中でその国においても戦後生まれがこの日を迎えているわけです。
この新たな世代による社会作り。
それがどのような意識として現れてくるかが問題でしょう。
終戦記念日・戦勝記念日・開放記念日、それぞれに戦争認識やその歴史認識が違うわけで、すぐにはお互いの理解を埋めることが難しいと思いますし、時間のかかるものだと思います。これらを共通のものにしていく努力と同時に、それは今の現時点で戦争を始めようとする動きに対しては、国際的に抑える役割をどのように強くしていくかが問われるわけで、それが第二次世界大戦が終結した世界的な意識の記念日としなければならないでしょう。

話はまったく関係のない話になりますが、少しサイト上でややこしいことになっています。もう僕からはお話はやめようと思いますが、僕には僕の思いがあるわけで、こちらの日記にもそのあるサイトに書いたものをコピーして残すこととしました。
<覚書  夏生さんのサイン会について>

なんか、僕のことですみません。
サイン会情報のお話から楽しくこちらでも僕の掲示板でもお話させていただいたことはうれしかったです。
しかしのんきな僕も「はっ」と気づいたのです。そう、サイン会といえばほとんどが女性ばかりですし、僕のようなおじさんがいけば目だってしまうなぁと。このへんの気持ちは、僕の掲示板1917,1919の書き込み
http://www3.ezbbs.net/cgi/reply?id=yuura&dd=29&re=1895
で書いたとおりでして、のんきそうに書いていますが、心落ち着かないものがありました。ですからその後のサイン会に行くかどうか、整理券を手に入れることが出来たかというお話の中では玉虫色(笑)にならざるを得ませんでしたし、遠くから夏生さんのお顔だけ拝見しようかとも思いました。
でも、人の前に出てくることがなかった夏生さんがファンのためにもサイン会を開いてくださることに感動をし、同時にお会いしたいという僕の気持ちも抑えられなくなり、清水の舞台から飛び降りる気持ちで参加しました。
また、サイン会に参加しての感動を書こうかどうか迷ったのですが、舞台に夏生さんが緊張しながら上がっていらしてまず「恥ずかしい」と小さなお声で司会者にお話したようですが、そんな夏生さんを思い出して僕も一人のファンとして感謝の気持ちと感動の気持ちを素直に書こうと思い書きました。
いくつかのブログでサイン会にいらした方の書き込みを読ませていただきましたが、感動で涙が出てきてお話もあまりできなかったとか、その感動をお書きになっていました。情報ではありません。心の中からの「銀色夏生さん、心のこもったサイン会をありがとう」という気持ちなのです。僕の心もそこにあります。
ファン一人ひとりがそのような感想を夏生さんにお伝えすることが(もちろん届くかどうかは別にして気持ちとして)僕たちファンのできることではないでしょうか?
たしかに東京まで出てきて整理券を買い、また当日来るというようなことができなかったファンの方もたくさんいらっしゃると思いますし、その方にも感動を伝えたいという気持ちは僕にもあります。僕の感動を掲示板などに書いたのもこのためでもあります。しかし情報としては、幻冬舎が公開する写真や雑誌「Papyrus」でも夏生さんがお書きになっていたサイン会レポートを待つしかありません。もしかしたら今月28日号には夏生さんのお写真も含めてサイン会のレポートを見ることができるかな?と楽しみにしているファンもいらっしゃるのでは?もしレポートが出ているようでしたら、それを情報として皆さんにいち早くお知らせするということが僕たちファンの「情報を提供する」という中身ではないでしょうか?
僕は以上のように思っています。
今回の書き込みで、僕の書いたものへの疑問という内容の書き込みでない限りこれで僕からの今回の件についての書き込みを終わりとします。
もちろんこれからも○○さんをはじめ、こちらにいらっしゃる方々と楽しくお話しをさせていただけることを楽しみにしております。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
リストラ経済学

もう何年この方向で政策が進んできたか

もちろんリストラ経済学という言葉はない

しかし企業が生き残っていくには。。。。として

行われてきたのがリストラによる国民生活の低下だった

リストラ。。。。。

何も首切りというだけではない

合理化である

一方における過度の労働と。。。

一方における失業

競争原理は自身の賃金を下げる

そろそろ気付かないと。。。。。。

公務員の給与削減?

昔は給料が安いからと公務員のなりてがなかった

今はうらやましがられる

うらやましさが嫉妬になり反対はしない
          (Am8:25)

夏生さんち(HP)に行って

種を蒔いてきた。。。。アハハハ
          (Am9:11)

     2010年第43回芥川受賞作 「文藝春秋」9月特別号
とても難しい作品でした。
どう理解したらよいのかその意味において難しい作品です。
結論はユダヤ人である自分を捨ててオランダ人になると語るアンネをその時点で死んだものとして「他者」になることを批判をし、主人公の「みか子」はアンネを密告する。。。。。。
読み方によっては、自分というものを見失うことなく嘘や噂の中に生きる「乙女」を否定をして真実を語るという教訓として受け取れますが、なぜみか子はゲシュタポの手先となってアンネを密告する必要があったのか?こう見ると釈然としない結末です。
アンネは密告された。ただユダヤ人だからという理由で。みか子はバッハマン教授との関係を噂されるという理不尽な形で密告された。ここにアンネもみか子も自分には関係のない事柄であるという共通点の中に密告されたわけだから、そのみか子がなぜアンネを密告しなければならないのか。ここにこの作品を理解するうえでの難しさやどう理解したらよいのかというすっきりしないものが残るのである。
みか子は「乙女」である。
今は耳にしない「乙女」にトギマギしてしまったが、どうもこの「乙女」がキーワードなのだろう。世間では耳にしない「乙女」たちが狭い空間世界である外語大学の中に生息をする。自らを「乙女」とし、「乙女」は噂が広まることがその狭い世界では真実とされる。真の真実はどうでもいい。こんな狭い世界に命をかけるまでに「アンネの日記」を暗証させられる。
この狭い世界」の怖さの中に狭く生息する「乙女」なのである。
この狭さは、アンネが隠れ住んだ狭い各誌部屋の空間的狭さと「乙女」が生息する外語大学という空間の狭さを感じ取れますが、怖いのは、「乙女」たちの噂を真実だとおくような精神的な狭さなわけで、この精神的狭さは、国民全体が根拠もないものを真実として動くような精神的な狭さとしての全体主義的なものなのです。ユダヤ人を密告することは真実を言ったらいつ自分も密告されるかわからない狭い精神的空間なのです。
14歳?のアンネは隠れ部屋という狭い空間にいた。しかしその少女の心は恋もして戦争が終わったらオランダ人になるという迫害されない自分を夢見る。微塵の精神的狭さはない普通の少女であったはずである。それをなぜ。。。。
「『アンネフランク』とは一体誰ですか。ミープがあんなに必死で守った少女は一体何者ですか。乙女の記憶からはアンネの本当の姿が奪われます」                 (文藝春秋420ページ下段)
となるのか?
幸せを夢見ることが「他者」になることか?幸せになるためにアンネは誰かを密告したか?ここにこそアンネに見る「乙女」の真の姿がある。みか子たち外語大学の若い女性にこそ「乙女」は失われている。
外語大学の「乙女」たち。。。。。「一体何者ですか」
何者かわからないみか子がわけもわからずにアンネを密告しますと。。。。。「乙女の密告」とは?
これをブラックユーモアとしてみたらよいのか?著者はこのブラックユーモアを描いたのか?ならばこの作品には多少の面白さがあるが、ブラックユーモアはブラックユーモアだとわかってこそその価値がある。
作品で表現したく思う中身は著者の考え方が出るわけだからその考え方への批判だけでは書評とはいえない。というなかで、その作品的な好し悪を見ると、読者を混乱させるほど技巧が先に立ちどうとらえたらよいのかがいつまでも残ってしまう。それはやはり著者の考え方がわかりやすく出ていないということにつながる。
「アンネは忍耐したのだ。アンネはユダヤ人である自己に忍耐したのだ。アンネはユダヤ人故に死んだ」   (同423ページ上段)
そうではない。
アンネは「乙女的社会」と「乙女的国民性」の中に忍耐をしそして死んだのだ。精神のうちに死んだのでもない。
「乙女」を密告せざるを得ない。
(もう少し釈然としない部分が。。。。また続きを書くかも)

今、「乙女の密告」の選評を読みました。
いつもより字数の多い選評であったと思います。それだけ「乙女の密告」を評価したり、評価しなかったり疑問を呈したりするにはこの字数が必要だったということでしょうか?
評価する選考委員と評価しないあるいは消極的だった選考委員が半分に分かれ、特徴的なのは、男性選考委員があまり評価せず、女性選考委員が評価するという形になっているのではないかと思います。
小川洋子さんは、みか子が最後にアンネを密告したことについて「それはアウシュビッツに送り込むための手段ではなく、アンネを本当の居場所に安置するための密告である」とお書きになっていますが、それではなぜみか子はアンネがユダヤ人であると密告する必要があったのか?なぜ密告する必要があったのかが理解できなくなる。アンネの誇りを守るため?それにしても他者的な判断である。みか子も乙女の中で密告されていたわけだから、そのみか子がアンネを密告する理由は何もない。むしろみか子は乙女に密告される中にアンネと重ね合わせて悲惨さをアンネと共に乙女を密告しなければならなかったはずである。
これと同じものが、黒井千次さんの「自己のアイデンティティーを問い直さざるを得ぬところで話は結ばれる」という言葉でしょう。
みか子は誰にアンネを密告したか?ゲシュタポにである。それは弁論大会会場にいる乙女たちにである。麗子様は「無口なアンネ」という言葉を捜してストップウォッチを置き姿をけした。麗子様は逃げたのか?みか子は「今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!」という言葉を得て「私は他者になりたい」というものと重ね合わせる。そしてアンネを密告するのだが、アンネにユダヤ人の誇りなどを保たせ他者になることを否定するためにみか子は密告したのか。。。。アンネにしてみれば余計なお世話である。あんたが乙女に密告するようなものではないでしょうと。
「アンネ・フランクの日記に記述されている苦しみは、アンデンティティーを否定しなければ生きて行けなかった、というものです。その苦しみと、『乙女』であることについての主人公のアイデンティティーのしかたのつながりは、わたしはほんの少しの危惧を感じました。」という川上弘美さんの言葉が印象的でした。村上龍さんがお書きのようにこの作品は「誤解を生みやすい」のであり、読み方によっては余計なお世話から他人を貶めることにもなる。
宮本輝さんが「ユーモア小説として読んだが」としてしかし乙女の世界とアンネをリンクさせる手法は支持できないとしている。そう、ユーモア小説である。ブラックユーモア小説である。
石原慎太郎さんは、「日本の現代文学の衰弱を表象する作品の一つとしてしか思えない」と厳しいご意見だが、この作品は石原さんもお書きのように「人工的」で、山田詠美さんがお褒めになる「言葉が一番!」的な意味ではよくできた作品ですが、文学の技法からすれば著者は頭がいいと思います。しかしその中身の整理となるといろいろな疑問が出てくるわけです。どのようにとらえるかでは雲泥の差が出る作品に仕上がっている。よく新書などを読むと社会批判などが書かれこの著者はよく考えていると感じるが、最後まで読むとなんてことはない啓蒙書だったということがある。これと同じ性質をこの作品には感じるのです。

【2011年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美 様
東京日記を拝読させていただきました。
何もかもが、そっくり。。。。。いよいよ「一美ちゃんのこと」の世界が川上さんの現実の世界に現れましたね。それとも以前から同じようなご経験から「一美ちゃんのこと」をお書きになったのでしょうか。
「ふくろうがホウと鳴いたので、一美ちゃんが訪ねてきたことがわかった。」
クローンの一美ちゃんはもちろん命ある人間ですから近づけばセンサーのフクロウは「ホウ」と鳴く。
しかし人工的なフクロウが他の人なら「ホウ、ホウ、」と鳴くのに一美ちゃんの時は一度しか鳴かない。
人工的なフクロウが一度だけ「ホウ」と鳴く。。。。怖いですなぁ。。。。。
「ユモレスク」の流れるような公園の池。快活で気まぐれな世界ですから白鳥がアヒルになっても。。。。。
この暑さの中、ぼうっとして歩いている僕は、実際の僕なのだおるか?もしかしてクローンの僕なのだろうか?わかりにくくなりますね。もしかして何もかもが、そっくりな世界にいらっしゃる川上さんがクローンなのか?実物だという自信がおありですか?しかし生きていることには変わりがないですなぁ。。。。快活に気まぐれに。。。。あの曲に乗って生きましょう。
                   敬具

親父が入院をしていて一時は廊下を一人で歩くのもままならない状態でしたので横に並んで腕をとって支えてあげました。
それを見ていた娘が「おじいちゃんとお父さんの後ろ姿はそっくりだよ」と言いました。
遺伝子がつながっているんですね。本来の生物的な半分の遺伝子のつながりに人の容姿や個性の妙味があるんですなぁ。100%生粋の遺伝子のクローンはやはり楽しきないかもしれません。

【2012年】ツイッターつぶやき
終戦記念日。。。。玉音放送での敗戦を国民に知らせた日ということでしょうか。
昔から何度もこの終戦記念日のニュースや特別番組などで終戦を国民がどのように受け止めたかとなると人さまざまなようです。しかし国はもちろん国民の総意は二度と戦争をしないという決意と亡くなった方のご冥福をを祈ることでしょう。これは憲法にも生かされているわけです。
しかし、案外この二度と戦争をしないという決意は、憲法で書いてあるからだといった法的見解といったようなものであったということでもあった。
終戦記念日は敗戦の日でもあるということでの日本人の心には複雑な感情を残している。
終戦記念日を国や国民の二度と戦争はやらないという平和宣言の日という位置づけは難しくともおこなっていかなければならないのではないか。本来ならば戦後の復興を終えて高度成長に移行した時期に行うべきだったのでしょう。しかし現実は逆で自衛隊ができ、安保は集団的自衛権に踏み込む動きは常にあったし、9条の問題が繰り返し改憲として提起された。
今はこうした動きが急速に高まっている時期なのでしょう。すると終戦記念日の居続けも変わってくるでしょう。今後は。
中国と韓国そしてロシアとに国境問題があり、常に周辺諸国と不安定な状態が続いている。そこに終戦記念日の意義も強い日本の復活に結び付く。この時、どうしても軍事面がわかりやすいし戦争とは言わないまでも軍事力を背景とした外交が言われる。今までは経済力を背景とした外交でどうにか平和的な関係を維持してきたが、経済の落ち込みの激しさはその軸足を軍事に向ける。
しかしそこからは何の解決の道は導かれないことを国や国民は本当は知っているはずです。しかし一度軍事面での対立と感情的なぶつかりが大きくなると、精神論が大きくなってくる。経済や平和といったものよりも国の誇りなどが強くなる。国民もわかりやすいから受け入れやすい。
こうした動きは今回の消費増税問題や原発事故とその後の再稼働問題など、国民生活と関連するものが大きいことを見なければならないだろう。
国民が個人を忘れ、個人の生活の発展と、この個人の自由とそれを守る民主主義を自らが精神面で否定をしだすと経済的社会的個人は軽視をされ始めて、今回の民自公による独裁的な国会勢力で消費増税も決まってしまうということである。
国民生活の生き方や生活の楽しみ方なども含めて選択肢は総体的にも個人的にも狭まってくるだろう。

【2013年】ツイッターつぶやき
今日は68回目の終戦記念日。
この終戦という言葉にはいろいろな意味合いが込められているのでしょう。そして終戦という言葉に対しての思いが。
今日の朝日新聞の「天声人語」に、角川書店の創業者である角川源義さんの言葉について語られている。
8月15日は終戦ではなくて敗戦の日だと。
先の大戦では約300万人の軍民合わせて日本人戦没者がいたという。そのうちの200万人が最後の1年でなくなった。この1年という時間を遡って日本が戦争をやめていたら(終戦)少なくとも200万人の方の命は亡くさずに済んだ。沖縄戦・空襲・原爆など民間人の命を救えただろう。その意味では8月15日は多くの命を亡くした中の一番不幸な状態をつくりだしての敗戦だったわけです。8月15日は無条件降伏と基本的人権や平和的な政治などを要求したポツダム宣言を受諾したわけですから歴史的にもどう見ても敗戦の日でしょう。
しかしなぜ日本では敗戦の日ではなくて終戦記念日が一般的になったのでしょうか?戦勝国には戦勝記念日があったり解放された国々には解放記念日があるわけですが、敗戦国としては敗戦記念日といった名称は持ちずらいでしょう。そのような意味でも終戦記念日になったのでしょうか?
しかしこんな単純な理由だけではないでしょう。
1945年にポツダム宣言を受諾して日本は新しい憲法の発布に向かいます。そして翌年46年5月にはGHQの指導下において起草されたとしても大日本帝国憲法73条の憲法改正手続きによって11月3日に公布され翌年5月に施行された。もちろんこの新憲法の戦争と平和に関する条項の中心となるのは9条でしょう。
日本はこの新憲法により敗戦から終戦へと向かったのではないでしょうか?ただの敗戦なら戦争は再び起きることがあるが、終戦は9条にあるように二度と戦争は行わないという意味にもなります。先の大戦を終わらすそして今後も日本は戦争を終わらすといった意味合いになります。このような意味合いからの日本人には終戦だったと同時に戦争を二度と行わないという意味での終戦がダブっていると思います。
ですから終戦記念日では、戦没者への思いと二度と戦争は行わないことが語り続けられたと思います。そして侵略戦争での相手国への思いと(侵略と植民地化の違いがどこにあるかの議論はあると思いますが)。
ですから終戦という言葉は9条なくして語れないものでしょう。
厳密には8月15日は敗戦の日です。しかしこの日から終戦に向かうこととなり11月3日が終戦の日ということになるでしょう。世界的に見ても類のない戦争を終わらせる日としての終戦記念日です。

【2014年】ツイッターつぶやき
まずツイッターから
戦後レジームからの脱却としての終戦記念日。不戦の誓いから積極的平和主義へ。
戦後レジームからの脱却は世界史レベルからすれば、敗戦国だが戦前の日本を世界は認めよというものでしょう。それは戦後の世界秩序の否定への挑戦でしょう。しかし、日本は敗戦国だから戦前の日本を否定されているのではないでしょう。
今日は敗戦の日ではなくて終戦の日なのです。
「終戦という言葉は9条なくして語れないものでしょう。 厳密には8月15日は敗戦の日です。しかしこの日から終戦に向かうこととなり11月3日が終戦の日ということになるでしょう。世界的に見ても類のない戦争を終わらせる日としての終戦記念日です。」(旧ブログから)
戦後レジームからの脱却とは、終戦記念日ではなくて敗戦の日という色合いが強い。
この敗戦意識だけが残り、終戦としての平和主義を薄める中に日本の誇りが語られはじめる。戦後平和主義によって自国民も殺されずに他国民も殺さずに済んだ日本人の戦後の誇りをも薄めていく。

日本人は戦争に負けたから誇りを失ったのか?
しかし国として本当に誇りを持てる状態だったのだろうか?兵士も国民も飲まず食わずの状態で国民はB29に対しては竹槍とバケツリレー訓練で。原爆そして東京大空襲や沖縄戦などでの市民の犠牲者。戦士の状態は「戦没者230万人:兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち」という記事があった。
自国の兵士や国民を多く犠牲にしたと同時に中国や朝鮮半島の国民への謝罪は今も続いている。

続き

侵略だろうが「多大な迷惑をおかけした。。。」などと言葉は違うが軍事力を背景にしたアジア政策による加害国として戦前の日本を否定してきた。
こう見ると戦前の日本の誇りは揺らぎざるを得ない。
日本の誇りは敗戦を機にした終戦後の日本にある。
しかしこの戦後の日本を自虐的とした中に戦後れレジームからの脱却が位置付けられてきている。少なくともネットなどにみられる発言にこの傾向があり、一つに日本人が見えていることに間違いはないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
安部首相は戦没者追悼式で次のように述べている。
「私たちが享受している平和と繁栄は、かけがえのない命を捧げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。」 (ハフィントンポスト)
日本の加害責任は海外の国民に対してと、日本国民を戦争に巻き込んでしまったことに対して国としての責任がある。「平和と繁栄は、かけがえのない命を捧げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれた」という言葉には、諸外国に対しても自国民に対しても国の責任が感じられなくなっているのでしょう。
多くの兵士と国民を犠牲にした戦争を引き起こした国の責任において、その犠牲を見なくてはいけないでしょう。
戦争での犠牲を国のためという面だけを強調してはならないでしょう。
総理大臣は国家を代表しています。ですから先の戦争を引き起こして多くの国民を犠牲にした責任を国家として反省をしなければならないし、これからの国家を戦前のような国家にしないことを約束しなければならないでしょう。
もちろん国家は人が作り出したものですから、その国家をつくった指導的役割をした人たちの責任はありますし、広く見れば国民全体の責任だったはずです。しかし変化していく国家がまた人を作り出してしまいました。この相互作用が過ちを犯した国家として仕上がりました。
平和を作り出すには、9条の理念を真の反省として守り、その理念に近づいていく国家を作り出さなければなりません。これが諸外国への真の反省となるでしょう。
韓国に10億円渡したから慰安婦問題は終わりといったものではないはずです。

【2018年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストに30代は開戦前に敗戦をを予測 歴史に埋もれた総力戦研究所から学ぶこと(終戦の日)という記事があった。
「1941年8月に日本の敗戦は予測されていた。4ヶ月後、同年12月には真珠湾攻撃が始まる。そんな年の出来事である。
 予測したのは戦後に日銀総裁、東芝社長などを務めることになる将来を有望視された30代たち。彼らは国の命令で集められ、もう一つの内閣を作り、詳細なシミュレーションに取り組んだ。」(上記リンクページより引用)
30代の若い人たちが科学的な分析ともいえるものから導き出した結論は「日本必敗」だったという。
その分析の重要な部分が石油の備蓄だったという。結果開戦してからこの石油不足は明白になる。
本来ならばこの結論から日米開戦は回避されたかもしれない。
しかしこれを阻止して回線開戦に導いたのが石油備蓄データの隠蔽と南方の油田を占領という楽観論そして精神論だったようである。
今年に入ってから公文書の隠蔽や改ざんが問題化した。そしてそれに対して政府は根本的な解明を行っていない。
アベノミクスの6年間は、国民に対する「期待」と経済政策での言葉による楽観論だったともいえる。
2020年オリンピックに向けて「大和魂」という言葉が復活しつつある。精神論はすでに企業による労働者への労務管理として進められてきて「会社のため」というものから労働組合は弱体化し、労働者は低賃金とチュ時間労働と休暇の自粛。これは政府による公助から自助へという変化にも現れている。国民は国家のために、個人の問題は個人で自己解決。。。。。。福祉や社会保障は軽視され、消費増税が社会保障に回らなくなっている。
結果は経済的敗戦になりそうである。ある意味日本必敗である。
自民一強と自民党内にも安部一強。全体主義は進んでいく。忖度政治や忖度官僚機構そして忖度経済団体は今のままでは科学的な分析と方向性は精神論の前に消え去る。
しかし今の内ならば経済的敗戦で済む。ここからの復興を考えるべきでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
おやじビキニ。。。。。。
いいですなぁ。
先日テレビニュースで中国のおやじがTシャツなどをおっぱいの下までたくし上げて涼を取るのが風習のようになっているというのをやっていました。
おやじビキニです。
さすがにこの姿は日本にはない風習ですから外ではできませんが、部屋の中ではやってます。
涼しい風が臍をなでていく(笑)
腹だけが涼しいくなるだけではなくて上半身全体が涼しく感じます。
若い女性が臍を出して歩いていますが、確かに涼しいだろうなぁと思います。
親父がでかい腹を出して歩く姿は確かに見栄えはよくありませんね。中国では国家の近代化のために寄生規制するような動きがあるようですが中国でも下町はあるのでしょうから古き良き風習として残すべきですなぁ。
日本でも昔は夏にはおやじがステテコ姿で路地など歩いていました。今では見かけなくなりましたね。海外旅行でもホテル内をステテコ一枚で問題になったこともありますが、ステテコ一枚はおやじのシンボルでした。

【2020年】ツイッターつぶやき
終戦記念日。
安倍総理は全国戦没者追悼式で、先の戦争でのアジア食への加害を口にせず初めて積極的平和主義を口にしたようです。
このブログでもこれまでこの「積極的平和主義」について書いてきました。
平和主義という言葉を使っていますが、中身は真逆で日米の同盟関係も日本が参戦する方向に向かいましたが、この日米同盟を基に戦争を含めた力による「安定」に平和を求めています。
期待朝鮮との拉致問題解決を話し合いに持ち込むことはせずに、アメリカの軍事行動に依拠しています。そこに同盟国として日本も何かしらの軍事行動を起こして拉致問題を解決する手段を模索しているでしょう。
日米同盟強化の中で領土問題などで対立する中国や最近の韓国も視野に入れて力の政策を行っていくでしょう。
アジア諸国への加害を認めないということは、内政的には多くの市民が戦争の犠牲になりましたが、無謀な戦争そして軍国主義体制であった国の国民に対する責任も放棄されていきます。ですから原爆の犠牲者にも沖縄にも冷たい態度を取り続けてきましたし今後も国民が国に奉仕する国家観が前面に出てくるでしょう。
戦争という最も悲惨な経験を正しく総括しない国はまた必ず同じ親街を行います。

【2021年】ツイッターつぶやき
今も記憶に残っているのですが、武漢だったかどこかの都市でコロナ感染が急拡大をした時、医療の逼迫があったためか急遽臨時の病棟を作りました。それも1週間とか10日で作り上げていました。
現在日本でも毎日のように2万人の新規感染者が出ており重症者も増加し自宅療養が出ています。自宅療養で亡くなる方も出ています。
このような時(とは言っても遅すぎるのですが)に臨時病棟を作り自宅療養ではなく医療従事者がいるところに入院をさせるべきです。これにより家庭内感染も防げますし隔離をするという面でも有効でしょう。
また医療の逼迫を考えた場合、医療従事者が自宅療養者の家庭まで出かける実態とそれが行えなくなる実態から考えて臨時病棟のようなところがあれば医療従事者の省力化と負担の軽減につながるでしょう。
すでに福井県では臨時病棟が作られはじめていますし、感染拡大が激しい沖縄でも作っているようです。
たしかにきちんとした病室ではもちろんないのですが、医療従事者の目が届く中での療養対面では医療的処置ができるでしょう。
東京の自宅療養者は2万1千人を超えました。
すべての人を臨時病棟へとは仮定の状況もありますから強制はできませんが、中等症など病状が急変する可能性のある方を入れることができるでしょう。去年から築地市場跡地を臨時病棟にという意見を僕も持っていましたし、オリンピックを中止をして選手村を活用すべきという意見もありました。
東京でも今できることは必ずあるはずです。急ぐべきです。
救える命も救えません。
コロナの感染拡大を災害急だと涼しいで都知事はいますが、災害ではなくて人災の面が強くなっています。

【2022年】ツイッターつぶやき
終戦記念日。
原爆の投下、大空襲、沖縄戦、満州からの引き上げなどなど、多くの市民が犠牲になった。もちろん赤紙による徴兵でも。
これは戦争の犠牲という側面を持っている。
同時に日本国民が犠牲になったという意味での犠牲と同時に、多くのアジアの市民を犠牲にした加害行為という面も忘れてはならないでしょう。
全国戦没者追悼式で岸田総理が
「歴史の教訓」については、「戦後、我が国は一貫して平和国家としてその歩みを進めてきた」と述べたうえで触れた。
と述べた。(毎日新聞)
安倍元総理時代から戦争加害という面がぼやかせられている中で、歴史の教訓を語った面では評価はされる。
しかしその教訓から総理は今後日本の平和をどのように進めるかが問われる。
それは
「積極的平和主義の旗の下、国際社会と力を合わせながら、世界が直面するさまざまな課題の解決に全力で取り組む」との方針を強調 (同上毎日新聞)
した。
この積極的平和主義とはアベノミクスの大きな柱で、アメリカとの安保条約をアメリカとの軍事同盟化することにある。
アメリカが日本を守る(これも怪しく、アメリカの軍事戦略の中の駐留米軍)だけではなくて同盟化とはアメリカを日本が守ることを約束された。北朝鮮の核がアメリカに向けられればそれを日本が撃ち落とすといったようなものも含まれるようで、仮想敵国への攻撃を含むものです。ですから敵基地への先制攻撃も行われるようにしたいのです。
これはアメリカの銀二戦略に日本が積極的に参加する中でその戦争を介して相手国を押さえつけることで平和な日本となるという空想的な平和主義なのです。
これは、75年間守り続けた平和主義とは真逆なものです。
結局は、また相手国の市民を殺すことになるでしょう。
ロシアとウクライナの戦闘というものが大きくかかわっていますが、これを利用しながら積極的平和主義を進めていくでしょう。
しかし忘れてはいけないことは、先の大戦は反ファシズムの戦争と位置付けられている点です。ロシアや中国は反ファシズムを大きく取り上げている。アメリカはウクライナへ軍事援助をしていますが、いざ世界戦ともなれば反ファシズムを捨てることはできないでしょう。いつウクライナから手を引くかわからない。
また日本が昔帰りをすればいつアメリカが敵国となるかわかりません。
積極的平和主義にはこうした問題が含まれているのです。

【2023年】ツイッターつぶやき
「 GDPとGDI 国内総生産(GDP)は一国全体で一定期間に生み出されたモノやサービスの付加価値の合計額。景気や経済力を示す代表的な指標とされる。GDPが生産と支出の面から経済活動を捉えるのに対し、国内総所得(GDI)は所得面から把握して日本全体の購買力を表す。実質GDIから実質GDPを差し引いた金額を交易利得と呼び、マイナスなら交易損失となり海外に所得が流出していることを示す。」(東京新聞
GDPはある程度上昇しているが、GDIはコロナ以前から回復していないそうですから海外に所得が流出していることになります。ネット上では、岸田総理の海外へのバラマキのひどさを言い、国内で災害が起きても動きが遅いという批判がありますが、まぁ、これは象徴的な見方ですが、ある程度今の政治経済を言い当てていると思います。
税と社会保障費用そして国債の償還で、日本は六公四民と言われています。企業利益や投資に利益が流れる半面、汗水流して働く人の生活水準が落ちている。
こうした結果が購買力を下げますし、その個賠力の減少の分が海外に流れる。
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「8月14日という日」

2024年08月14日 21時33分49秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
一応夏休みということで、長野県の八ヶ岳から蓼科に行ってきました。
八ヶ岳のロープウェイを登ると気温がたぶん10度台だったと思います。山頂の喫茶室に「暖房入れました」と。。。。。。
東京に帰って部屋に入ったら、蒸し風呂状態。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
毎年のような寝苦しさがないので楽です。
昨夜寝るときに窓を開けていたら寒いぐらいでした。いつもの年ですと、夜中も街灯の光の中蝉がうるさいように鳴くのですが、昨夜は全然鳴いていませんでした。異常気象ですね。
ニュースではあまり報道されませんが、米はどうなっているのかと心配になります。
脱衣所の天井に黒カビが発生。。。。
からっと晴れているときにカビ取り材でと思っているのですが、夏とはいえ天候が変で困ります。

【2004年】
茨城県にドライブ&温泉に行ってきました。
水道水温泉が何かと話題になっていますが、今日の温泉は?
うう。。。ん?ハハハ・・・・
7年ほど昔に行ったときは、もう少し肌を刺すようなお湯だったと記憶いていたのですが。。。。冬に行ったせいかな?
みどりの山々を眺めながらの露天風呂は最高でした。
帰りにある陶器で有名な町に行ったのですが、150メートルほどの長さの通りに陶器やさんが並び、そこで陶器で作った蝋燭立てに蝋燭を立ててたくさんならべてありました。もう7時でしたから夕闇に浮かぶ光がきれいでしたよ。
小川洋子さんの「白紙が愛した・・・・」が、本屋さんが選んだベスト本とか言う賞を取ったようですね。テレビで受賞の様子が放映されていました。
おめでとうございます。

【2005年】
晴れてはいたけど、空には黒い雲もありました。
明日からあさってにかけては雷雨も来そうです。
家族で足利市に行ってきました。
教科書にも乗っている足利学校で有名な町です。近いうちに「ぶらり旅」に書きますね。高速は少し渋滞していました。
帰省とユーターンで上下線とも渋滞でした。

足利氏や足利学校で有名な栃木県足利市です。
足利市は、渡良瀬川をはさみ、南は大きなデパートなど盛る繁華街になっており、北側は、今回訪れた足利学校や足利氏の氏寺鑁阿寺(ばんなじ)などがある旧市外とに分かれます。
旧宿場町が衰退した理由に、明治以降鉄道が開通していく過程で駅が宿場から離れた場所にでき、必然的に近代化は駅を中心に発展したためとテレビ番組で観た覚えがあるのですが、やはり足利市も同じなのかもしれません。しかしそのために建物はともかくとして旧宿場町の面影が町並みとして残されたのだと思います。
足利学校も新学校制度の中では以降になったようですが、世界的にもその名が残る学校を残そうとして現在に至っているようですが、それも古い町並みが残る場所であったからこそなのでしょう。
細い道が碁盤の目のように走り、平屋建ての民家も多く、また、織物の町であったらしく和風の残る洋服などが売られています。
もちろん鉄道の開通により町の中心地が移り、没落した商家や武家屋敷もあったのでしょうが。。。。その中でも町は町として人々の暮らしがそこにはあったのでしょう。
<足利学校>
門の一部は江戸時代や明治の頃のものが残りますが、学校自体の建物は最近再建されたものだそうです。それでも忠実に再建されたらしくかやぶき屋根がきれいでした。
思ったより狭いところなのですが、その時代時代の秀才が集まって勉学に励んだと思うと重みがあります。教科書?本は、一時古本として売られそうになったようですが、貴重な写本などは残っているそうです。
訪れたからには勉強を!?
机の上には漢字テスト用紙。。。。(笑)
80点でしたぁ。。。。。
学生は自学自習だったようで、世に出るかでないかはその学生の心がけ次第だったのでしょう。校長先生は日本全国から選ばれていたようです。

静けさや 漢字テストに 油蝉(脂汗とも読め・・・ハハハ) 


<鑁阿寺>
もともとは足利氏の館があったところらしく、寺域は武家屋敷の面影が残るそうです。
その後寺となったそうです。足利尊氏もここを本拠地としたのでしょうか?
鑁阿寺と足利学校は隣り合っていますが、その周りに堀が残されています。この雰囲気から街中にあるお寺であってもどこかしっとりとした落ち着きを感じるお寺でした。

汗拭くや 杉の木蔭に 多宝塔

【2006年】
お盆休みの幕開けですなぁ。。。高速道路の渋滞ニュースが出ていました。
晴れてはいますが、東のほうの空には入道雲が出ています。天気は不安定そう。。。夕立に洗濯物をぬらされないようにしないと。
文藝春秋9月号を買って来ました。
他の記事にも興味がありますが、この雑誌に、芥川賞受賞作伊藤たかみ著「八月の路上のに捨てる」が全文載せられているから買いました。
ちらっと訊いたのですが、伊藤さんは角田さんのご主人?電車の吊り広告には、フリーターの純愛小説とかいう言葉が。。。角田さんもフリーターシリーズがありますし、男の側からの視点が楽しみです。
たぶんすぐに本として出版されると思う(もう出版されている?)のですが、ちょっと本代を節約(笑)感動する作品だったら本も買ってみようかと思いますが。。。。
蝉が盛んに鳴いています。
昨日、風の通る畳の上でごろんとして蝉の声を聞いていたらまた眠くなってしまった。「やかましい昼寝の夢に蝉の声」というような漱石の句があったような。。。。
去年だったか、やはり昼寝をしていたら、どうもいつもより蝉の声がやかましいので目を覚ましたことがありました。そしたら、頭のすぐ上の網戸にアブラ蝉が1匹。。。。一生懸命に鳴いてた。。。。ううう
夜の街灯の光で蝉も夜中に鳴いてますが、もうすぐ蝉の声から虫の声に変わっていくのですねぇ。。。日も短くなりつつあるし、なんとなく夏の終わりは淋しいです。。。

「タトゥーへの旅」 銀色 夏生  著
先に出版された「女っておもしろい」の中に、「エイジくん」がタトゥーを彫りに秋田に行くというのでついていくというお話がありました。この秋田の旅の中での夏生さんと「エイジくん」とのおしゃべり本です。「おしゃべり本」第2弾。
本には「エイジ君」のプロフィールはなく、前書きに換わる「『タトゥーへの旅』のいきさつ」には、「エイジくん」について
「エイジくんっていうのは、1988年4月に出した『LESSON』という本の中で、写真を撮らせてもらった人のうちのひとりです。」
と、書かれています。
日記エッセイ「つれづれノート」シリーズの中にも「エイジくん」「エージくん」として登場しますが、同じ方だと思います。現在でも時々会う夏生さんとは古くからのお友だちです。「LESSON」当時は、10代だと思いますので、現在30歳後半だと思います。本文中には、「LESSON」で使われた写真もありますし、現在の「エイジ君」の写真もあります。職業は、やはり音楽関係?の雑誌の仕事をしていらした(やっている)ようでインタビューに行ったという記事が出てきます。
本文中に、「カネミツ」という夏生さんと「エイジくん」共通のお友だちの名前が出てきますが、「カネミツ」という名は、「Go Go Heavenの勇気」の本文中にでてきますし、「タトゥーへの旅」本文中(54頁)にも「LESSON」の時に少し写真をとらせてもらったとありますし、興味深いです。同じ方だとすれば、「いきさつ」にある
「友だちの友だちで、家に遊びに来て、知り合った」
という友だちとは「カネミツ」?とも想像してしまいます。本文中の「カネミツ」、「エイジくん」、夏生さんの関係については、「つれづれノート」にもでてきます。
「LESSON」「Go Go Heavenの勇気」は、3ヶ月の時間をおいて次々へと出版された本ですが、夏生さんも46歳。。。お二人は約20年という時間が経た今でもそんな若い頃の思いでも感じあいながらおしゃべりをしたのではないかと思います。
「(エイジくんがいった言葉で、)話してもだめな人と関係を切れない状況って、けっこう地獄ですね」(背表紙より引用)
これは生活上での一般的な話というものからくる言葉だと思いますが、「おしゃべり本」シリーズ1として出版されたトゥトゥさんはもちろん、今回の「エイジくん」、そしてこれから出版される2冊も、夏生さんがゆったりとお話ができる古い友人としても、ツーカーの仲というのか、そういう中間としての打ち解けた雰囲気が伝わります。
「タトゥーへの旅」は、タトゥーを彫るということはどのようなことなのかというような一つのテーマによっておしゃべりが続いていくといった中身ではなく、古くからの友人「エイジくん」との楽しいおしゃべりというものそのものがこの本から伝わるものだと思います。
ですからお二人のお話は様々な中身のおしゃべりとして展開されていきます。
「女っておもしろい」のトゥトゥさんとのおしゃべりは、今の社会での「女の生き方」というものがある程度出ていましたが、今回は特殊な世界であるタトゥーのお話ですから、夏生さんの予備知識や考え方も足りなかったのか?タトゥーのお話しそのものを通じての直接的な「エイジくん」の生き方は足りなかったと思います。これはテーマということからの感想です。
それでも、「エイジくん」のこれまでのお仕事のお話や会社でのことなど、やはり「エイジくん」もアウトローな生き方をしている方なのでしょう。このアウトローというのは、「女っておもしろい」にもでてくる意味でのアウトローであり、「話してもだめな人と関係を切れない状況って、けっこう地獄ですね」という「エイジくん」の生き方が垣間見えます。
「エイジくん」のタトゥーを彫る問いことは、あうとろーな生き方しかできない中での一つの形ではないかと思います。この形に現すというのは、ある願いや希望を実現するまでお茶や酒を断つというような形もありますが、人というのはみんな弱いもので、心の中の決意を自分でいつも見つめるためには、いろいろな形というものが必要なのかもしれません。「エイジくん」が睡眠薬に頼ったお話と、このタトゥーを彫るということの関連性についていろいろ考えさせられました。
これからもこういう生き方(ある意味でのアウトローな生き方)をして行くんだというような思いが伝わるような気がします。夏生さんご自身も自分の生き方をアウトローとしますし、作家という職業という面でもその中ではアウトローでしょう。「つれづれノート」にでてくる生活や人との関係においてもアウトローでしょう。やはりここでもトゥトゥさんとの関係と同じく「エイジくん」との関係でも「生き方」というものが伝わってきます。
この意味でのしんみりとしたお二人の会話はおもしろいと思います。夏生さんと「エイジくん」とは、約10歳ほどの年齢差がありますが、その中での、「エイジくん」の夏生さんへの心くばりと落ち着いた雰囲気・・・そして夏生さんの「エイジくん」への年上としてのそして女性としてのいたわり・・・お二人の暖かいふれあいを感じます。
僕は、「Go Go Heavenの勇気」の感想の中に、
「ツッパリといってもどこか偏差値の高いツッパリというのか、悪いことばかりをするグループというよりも、大人社会に反発をしたりいろいろなことを感じ考え生きているというものを感じます。ある意味では純粋に生きている若者たちという印象を強く受けます。
純粋だからこそその恋は傷つけあったりします。
そんな恋を感じます。
これといったはっきりとした未来が見えず、そのために今何をしたらいいのか、そんなことわかるはずもない青年たち。毎日すぎていく時間、その中に現れていく周りの事象。振り回されたり、逆らったり、不安を抱いたり、友達の中に現れるいろいろなこと。。。。そんな毎日の時間の中を必死に生きる青年たち。
大人たちが忘れた純粋さがありました。
こんなツッパリ。
夏生さんのその後の生き方は、この青春時代の純粋さ、先に書いたようなツッパリをそのままに生きているという感じがします。
若いころに突っ張るのは簡単です。でも社会に出ていろいろな不純物に対して純粋さを守る、こんなツッパリは難しいのです。
そんな生き方に共感をする僕です。」
と、書きましたが、今回「タトゥへの旅」を読んで、またこの感想を思い出しました。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
半日パソコンに向かい合っていました。
といってもブログの更新ではありません。9月に温泉にでもと思い宿やら観光地やらを調べていました。9月はすいているし宿も安いしいいですなぁ。
昔から旅行好きで、独身の頃は1年に30日ぐらいは出かけていました。休暇は風邪の時以外はすべて旅行でした。
今はこうしてパソコンに向かえば本屋においてあるガイドブックぐらいの情報はすぐに手に入れることができるので便利ですね。調べる時間は大変ですが。。。。
若い頃はもちろんインターネットというものはありませんでしたからガイドブックと時刻表のお世話になっていました。
昔からガイドブックはいろいろな出版社からさまざまな形で出されていましたが、僕が一番お世話になったガイドブックが「交通公社 新日本ガイド」でした。
手元にあるのは昭和49年発行の初版のものです。
昭和49年ですから、1974年ですかね?36年も昔の。。。。(笑)
今ネットで調べたら古本市場では全巻(21冊)そろっていれば発売当時の値段の倍で売れるようです。ほかのガイドブックはどうなのかはわかりませんが、たかがといっては失礼ですが、ガイドブックがこうして今でも市場に出回っているということにびっくりしまう。でも、このガイドブックが今でも買う人がいるということについてはわかるのです。このガイドブックはガイドブックの歴史に残る傑作ではないかと思います。
当時としてはかなり詳しく小さな観光地まで出ていましたし、特に京都や奈良はこの1冊があれば小さなお寺まで乗っていたので重宝しました。
ガイドブックも35年の間に進化した面もあります。それはおいしい店とかおしゃれな店といった情報が多くなったこと。「新日本ガイド」にはこのような情報がほとんどありませんでしたから。。。。こういっては語弊があるかと思いますが、「新日本ガイド」は旅自体が好きな大人のガイドブックといった感じがします。でも、今は僕もお店の情報などは助かっていますが。一面、やはりどこを回ろうか・・・という情報は少ないと思います。
どちらにしても懐かしいガイドブックです。

【2011年】ツイッターつぶやき
一人の人間は社会と常に向かい合って生きている。どんなに自由と感じていても社会と向き合わなければならない。
この一人の人間に主体はある。この人間に対する社会は客観的なものである。だから社会と向かい合うというのはこの主体が客観的なものと向き合うということになる。しかし人の社会は様々な人々の総体として出来上っているわけで、。人は社会を客観的なものとして個を主体と見るが、実は多くの個の主体と向かい合っているということです。社会というのは人と人との関係ということになります。
社会を人と人との関係としてみればあんがい社会は単純に動くように見えますが、昔から個の主体と客観的な社会や国家というの対立が言われます。社会や国家が単なる人の集まりではない作用をもって一人歩きをしていくからこそ個の主体はその一人歩きをする社会という客観性と対立をする。この中で個の主体は人との対立ではなくて社会というものと対立をするようになります。社会や国家は経済システムやそれに見合った法律など様々な仕組の中に動きます。個の主体は法や経済環境などの中に向かい合いながら存在する。ですから客観性を帯びた社会に対立をする。
社会や国家は人が作りだしたものですし、一人歩きをする社会や国家も日常の人の行動により進んでいく。社会や国家は人の主体にとっては客観的に存在すると同時に社会や国家は人の主体によって規定をされ動く。ここに一つの社会や国家の矛盾があります。この矛盾は一度システム的に出来上がった経済を土台とした法などのあらゆる上部構造が逆に人の行動を規定するようになるということです。人が人により作りだしたものに支配をされていく。ですから極悪人がどうのというのではなくて一度誤った方向に一人歩きをした社会や国家を人が制御できなくなるのです。ここに個の主体と客観性としての社会や国家の対立が見えるようになります。
社会や国家の構造が出来上がる中での社会や国家の一人歩きが人の行動を規定しはじめると、社会や国家内の利益の配分が偏ってきます。これがさらに人を社会や国家にひれ伏す作用として働きます。そしてそれが人の主体的な行動となってしまいます。このようにしてある種の階級制や階層が出来上がってしまう。自由や民主主義がやはり理念だけであることを知る。しかし自由や民主主義は目に見えたものとして発展段階の中にみることもできる。より個の主体と社会や国家の客観性との対立は社会や国が変わることにより薄められていくことを社会の歴史は実証している。
この視点をより一層確認し合わなければならないでしょう。今、客観的な情勢が原発事故も含めて経済の混迷をあらわにしています。これまで客観的に存在して社会や国家は新たな自由や民主主義の構築を要求しています。そうしないと発展ができなくなっています。矛盾を解決することです。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞社説に「争点がはっきりしてきた」と題されたアメリカの大統領選挙について書かれている。
大きな政府か小さな政府か、富裕層への増税か減税か。。。。など、その争点は今後のアメリカの経済や政治の方向性を決める選挙という意味で二大政党制の中での争点が国民の目にもはっきりとして選挙の意義も考えさせられる。
一方日本では、昨日も書いたが国民の声を無視した民主党の変質から二大政党間の争点はなくなり、国民は消費増税というものが決められた中での選挙を迫られている。ここには国民の信を問うものは何もない。日本の方向性は弱者切り捨てに決められたも同然の中の選挙となる。
二大政党制とは何か?もちろん保守層での二大政党制であるというのはアメリカも日本も同じだろう。しかしその保守層にもハト派とタカ派がおり、経済的方針は違いがある。この政策での国民に見えるものを争点と寿司、それを国民に選ばせるという民主主義の違いがアメリカと日本の違いだろう。
もちろんアメリカの議会を賛美するわけではない。
やはり保守の中の二大政党制であるわけで、経済はもちろん軍事面での世界戦略に大きな違いがあるわけでもないし、経済的基盤を失いつつ弱体化する中での政策の違いである。
しかし自由と民主主義という理念は捨てないしそれを国民は誇りに思っている。国益のためというものもあるが、常に自由と民主主義から修正する能力を議会や国民性は持っている。この点でも日本とは違いがあるだろう。日本は国益も言うが中身は政局で動く。国益は精神論を含めた国民統合が基礎となり、それが現在の民自公の独裁的な決める政治として現れる。口先だけでもいい、自由と民主主義を言う議員がいるか、国民がそれに誇りを持つというか。

【2013年】ツイッターつぶやき
まず、ツイッターから
量的緩和による金融政策と言えば聞こえはいいが、金貨ならば金の含有量を減らした悪貨の流通なわけで、たとえ円安で企業や銀行が儲けても金貨の枚数は増えるがその中に含まれる金そのものは減ることも。今は紙幣ですから金に代わり信用ですが、紙幣を多く儲けてもその中に含まれる信用は減ることも。
アベノミクスに厳しい指摘 #BLOGOS http://blogos.com/outline/68144/  中期的に見れば日本は経済を維持できない。。。。アベノミクスの矛盾をしっかり見ればこういった懸念は当然でしょう。
経済システム上のファシズム。。。。。
権力を持つ人々が自分の利益を多くしたいとき、それを支援する政府が貨幣量を多くしてその大部分をその権力を持つ人々に配る経済システムを作り上げる。
ここから悪性の物価上昇(本来の意味でのインフレではない)が生じますから、悪貨を受け取れない勤労国民の生活は低下をする。この低下をする生活水準を社会的システムとして納得させるのが国の統治の問題となる。
しかし悪貨(金の含有量を減らして量的に膨らんだ金貨)による儲けはむなしいものである。現実は儲けなどはないのでありそれは擬制経済を作り上げていく。それは実体経済の状態を擬制経済のメガネで見ることでしかない。
明治のころ、日本の小判の金の含有量はだいぶ高かったと聞いたことがありますが、外国からは悪貨が入ってきて日本はだいぶ損をする。同じように途上国は日本の悪貨に損をするか相対的に高くなる自国貨幣価値の高まりに競争力が低下をする。日本国民への矛盾だけではすまないのでしょう。

「中期的に見れば日本は経済を維持できない。。。。」
というのは、こういったところにあります。
ですから上のツイッターの記事にあるリンクページにかかれるものはたしかに「中期的に見れば日本は経済を維持できない。。。。」ところに日本を導くことを加速化させるものでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
こちらの東京新聞の記事の表を見ると、14年4-6期の名目GDPと実質GDPの落ち込みの差に特徴がある。
名目GDPはほぼゼロだが、実質GDPが-6.8となっている。
これは何を現しているのだろうか?
何に注目をすべきか?実質GDPの落ち込みと動にGDPデフレーター変化でしょう。分母である実質GDPが大きく落ち込み、分子である名目GDPがほぼゼロということは、消費増税後にGDPデフレーターが大きく変化したということである。こちらのBLOGOSの記事の表を見るとGDPデフレーターがこれまでのマイナスからプラス2.0に跳ね上がっている。
消費者物価指数はGDPデフレーターと乖離してその差は1%ほどといわれる。生活実感からすればこの1%はGDPデフレータ値の2.0にプラスされるとみたほうがよいでしょう。その上実質賃金は下がり続けているのですから、その意味での相対的な物価高を見ればそれ以上の値となるかもしれない。
すでにインフレ状態が現れておりバブルに近い状態なのかもしれない。
しかしこのインフレ状態というのは本来の経済成長の中でのインフレとは真逆のものである。
経済が成長して5%のインフレが起きた時の5%と、GDPがマイナスまで落ち込みさらに実質GDPが名目GDPよりも激しく落ち込んだ場合の5%の疑似インフレとは質的には全く違うものだろう。後者は、マイナス成長であるにもかかわらずに物価が上昇しているというインフレであり、マイナス成長は景気の後退ですからインフレと同時に景気後退(デフレ圧力)が同時に起きているという面からスタグフレーションではないか?
消費増税がスタグフレーションを起こした。。。。。
そのうえ、日銀が国債を買い入れなくてはならない状態とそこからの通貨安も起こり、景気の落ち込みが出ても更なる緩和もできないし出口も見えない状態という通貨を発行するコントロールを失いつつある。(ウィキーペディア)
マイナス成長下のスタグフレーションは大きく経済を落ち込ませるのではないか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「お盆休みはどう過ごしますか?」
昨日、「お盆」というものを書いたように、実家に行ってお墓に親父を迎えに行き仏壇にお供え物をしておはぎを食って帰ってきました。
あとは近場にでもドライブに行っておいしいものでも食べてこようかと思います。
しかし・・・・
渋滞がひどいですね。
実家に行くにも昨日はいつもの3倍近くかかってしまいました。ドライブも渋滞でのろのろでしょうか・・・・
そういえば、実家に行く途中に美味しそうなうどん屋さんあるのですが、いつもは昼飯を食うには早い時間に通り越してしまうのでいつかは行こうかといいながら行きそびれていました。昨日は渋滞のおかげ?で、ちょうど昼飯時。讃岐うどんですした。太めの腰のあるうどんで美味しかったです。

【2018年】ツイッターつぶやき
「金利は金持ちを富ませ、貧しい者をもっと貧しくする搾取の手段。私が生きている限り、金利のわなには陥らない。」トルコエルドアン大統領(朝日新聞8月14日朝刊4面「リラ急落世界の市場動揺」より引用
非常に的を射た痛烈な経済学批判です。昨日トルコリラの下落により日本でも400円ほどの株安となりました。
昨年アメリカで1%99%という言葉で反格差を呼びかけるデモが広がりました。それはヨーロッパにも広がり、格差拡大は日本でも問題とされました。
格差の広がりは、まさに富める者が富、貧しいものはさらに貧しくというものです。
これは日本だけではなくてヨーロッパやもちろんアメリカにも生じている問題です。昨日の株安も円買いによる円高が原因のようですしたが、為替や金利という経済法則が人的操作によって変化をしてしまう経済になってしまいました。
格差の拡大は為替や金利だけではなく、企業利益の最大化にもあります。
同じく朝日新聞4面に「”生産性がない”利益偏重?本当の意味は」という記事がありました。
「利益は付加価値のひとつ項目に過ぎない。日本の経営者がやっているのは、利益以外の項目をひたすら下げることだけ。人口が減る日本ではお金が回らず、たちまちデフレになる。経営者に求められるのは付加価値の全体を増やすことです。」(引用)
お金が回らないのは人口問題だけではなくて、「利益以外の項目をひたすら下げること」これ自体から発生をするのですが、大体において今の日本経済をうまく批判していると思います。
アベノミクス批判はアベノミクスの限界論にまで気はじめました。日銀もごまかしながら修正を行うようになりました。アメリカは保護主義に。。。。。
世界の経済は大きな曲がり角に来ていて、批判的に見ることによりエルドアン大統領のようなアメリカ批判が大きくなっていくでしょう。
以上のことはこのブログでも同じような中身で書いてきましたが、もう少し打ゴミを見てみたいと思います。
経済学批判が起きようとしています。

【2019年】ツイッターつぶやき
アメリカの国益に反するものは力によって潰される。その武器の一つが経済である。もちろん基本的には武力となる。この中で日本はアメリカに追随する中でアメリカの国益に寄生するように同盟関係を結びその中で日本自身もアメリカの国益と日本の国益を一体のものとして追及をして力によって相手国をつぶすような行動をとりはじめている。ここに日本の強権政治は正当化される。もちろん将来的には戦前日本の正当化に向かいアメリカとの国益と衝突する時期が来るでしょうが。
日本は表面上ではアメリカの保護主義を批判的な言葉を用いらざるを得なかったが、今では自由経済を否定し始めている。
日本の政治的立場からの韓国に対するホワイト国の解除という形で自由経済から一歩保護主義に移った。最悪なのは政治的なぶつかりで経済を利用してしまったことにある。
しかしチャイナ―ネットによると、
「日韓の半導体をめぐる貿易摩擦を受け、韓国の半導体メーカーが中国で代替サプライヤーを探し始めている。日本の原材料サプライヤーも中国で工場を設立し、韓国メーカーの需要を満たそうとしている。」(引用)
日本からの輸出は政治的な足かせがはめられるので、日本企業は中国に進出して中国市場と同時に韓国市場にも輸出を強めるということでしょう。経済は競争が原動力ですから、一つの企業が中国に工場を移転して韓国に売り込めば、他の日本企業もそうせざるを得ないでしょう。
この例一つ見ても、日本の強権的な政治は経済活動を政治の力によって動かそうとしていますが、現実は経済は自由を求めて日本の強権政治から離れていく。
強権政治が経済を自由に動かせるという錯覚は崩れ去るでしょう。
国内経済も矛盾を深めていますが、これもまた強権政治の結果であると見て間違いないでしょう。
政治が経済を動かせる。たしかに一時的には経済に力を及ぼしますが、基本は経済が社会と政治を動かしていくのです。
強権的な政治による間違った経済政策は、経済自体がこれを拒否して逆に経済が政治を動かすでしょう。
日本の政治は今こういう瀬戸際にある。
しかしそれをまた強権によって動かそうとするのが改憲です。

【2020年】ツイッターつぶやき
安倍総理が長い、なが~い夏休みをおくっていますが、帰省も別荘にも好きなゴルフにも行けず小池都知事に対して怒っているというニュースがありましたが、安倍総理も東京都から出ることを憚ったようです。尊なかなか小池都知事が会見して8日から10日の三連休に都外に出かけた都民が2%だったとして都民に協力の例をしました。2%と言っても人口が1400万人として28万人は出かけたことになります。東京都の10万人当たりの感染者数は直近で約15人弱ですから、45人程度は出かけたことになります。でも、出かけるのは若い人が中心でしょうから出かけた感染者は100人程度いたとしてもいいのかもしれません。また若い人だけではなくて政府の経済活動を積極的に支えるとして出かけた方もいるでしょうね。
3連休の数字ですが、10日から16日のお盆休みはどうでしょうか?
やはり数%ぐらいかもしれませんが、東京だけではなくて大都市圏の実態を含めてお盆休み明けの1週間から2週間の全国の感染者数が気になります。
もちろんお盆休みは会社が休みにもなりますからこの面で通勤電車や飲み会などを通じた人の接触は少なくなるでしょう。いろいろな面で総合的にどんな数値になるか。。。。。
しかし政府の緊急事態宣言の早すぎる解除の街がいや3連休中のGp Toという経済政策は誤りだったことに間違いはないでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
オリンピックが終わりお盆休みに入っています。
首都圏の感染者数がものすごい勢いです。
全国的にも緊急事態宣言やマンボウが適用されているところが多くなっています。その他の県も感染が大きいですね。
オリンピックのお祭りとそのオリンピックの心理的影響が国民を飲み込んで不要不急の外出の自粛というものも消えていました。オリンピックが終わりやっと不要不急の外出自粛とか帰省の自粛が言われるようになりましたが、その結果が首都圏をはじめ全国的にも焼け野原状態です。
医療崩壊は進み自宅療養者が多くなりました。デルタ株は若い人たちに感染を広げ、10歳以下の子供たちにも感染が広がっています。重症者が急上昇しています。
焼野原です。
関東では第三波の波が小さく見えるような感染の拡大です。第五波がどのくらいの勢いかはまだ天井が見えません。

【2022年】ツイッターつぶやき
全国的にも東京でもそろそろピークアウトとでしょうか。
しかしお盆休みで県をまたいだ人の移動が多かったならば地方の感染者数はしばらくは高い数維持で続くかもしれません。
国が放置コロナ政策でも新規感染者数などのデーターの公表が国民に自粛意識を持たせますからピークアウトも起こります。もちろんピークアウトすることはコロナウイルスの特性かもしれません。これはインフルエンザの季節性でのピークアウトとは違う性質なのでしょうか?
ピークアウト後に新規感染者数は減少傾向を示すでしょう。しかし第六波から第七波に至る下げ止まりでは、東京では2000人程度の高い数字での下げ止まりでした。
今回の下げ止まりはさらに高い数字になるかもしれません。
そこで下げ止まりになった時こそ検査を多く行うことが必要ではないでしょうか。
下げ止まり状態で新規感染者数が少ないのですから陽性者を多く見つけても医療崩壊の心配は薄らぎますし、中等症でも入院が可能でしょう。
この方法でしか下げ止まり状態をさらに下げていくことが可能になりますし、新たな変異株や第八波の準備にもつながります。
しかし政府はこの真逆なことをしていくでしょうね。
検査も自己負担で自己責任となるでしょう。自宅待機も自己責任。

【2023年】ツイッターつぶやき
台風7号は紀伊半島のほうへ行きましたが、高い山が切れる琵琶湖の上を通過しそうですね。
近畿、四国、東海の皆さん、お気をつけ下さい。
東京の僕も一応ベランダの飛ばされやすい物を片付たり、4日分の買い物をしました。
線状降水帯になるという情報もありますから買い物だけはしておこうと。。。。
ハリケーンから台風に返信した8号ははるか沖を通りそうですね。
災害が出ては困りますが、東京の干ばつもここ数日の雨や台風の影響で一安心です。
公園の葉が枯れてしまった気にも新しい目が出てきました。
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「8月13日という日」

2024年08月13日 07時51分17秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
(記事なし)

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
自民党の反対派に対する対抗馬の話題が多いですが、反対派と言われる議員も自民党だから、どちらが勝っても自民党の議席になるわけで、なんとなく争点がぼけ始めてます。
夜になっても蝉が盛んに鳴いてます。
あまり風はないのですが過ごしやすいです。
駅に向って大勢の浴衣美人が歩いていました。今夜は東京湾花火。何だか最近花火を見に行こうというものがなくなりました。どうも人手が多いと疲れてしまいます。
子供の頃は毎年の花火が楽しみだったのになぁ。。。
そういえば子供たちが成長してからは、スーパーで売っているような家庭用花火もしなくなってしまった。線香花火懐かしいです。。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
暑い日が続いています。
夏好きでもくじけそうになる暑さ(笑)
でも気持ちが良いです。。。。。
水分補給と塩分は、特に水分はまめに補給をしています。
お盆の帰省が始まり、東京はのんびりしています。渋滞はないし大きなトラックも少ない。気のせいか空気がうまく感じます。光化学スモッグ注意報もない。スーパーの駐車場もすいていて、スーパーの建物の入り口に近い場所に車が置けます。あちらこちらの駐車場の車もなくなっています。
でも、東京都心はこのようによいこと尽くめですが、いつもの東京の渋滞が郊外の高速道路などに出ているのですよね。どもども。。。。
ほんの2,30分ですが、珈琲ショップで涼をとっています。冷たいコーヒを飲み、一服し、さっと汗も引いていく。何も考えない頭で本のページをめくる。
至福の時です。
木の下に寝ている蝉のそばを通るとき、いきなり蝉が元気に飛び立つとびっくりしますなぁ。。。。今日も1匹の蝉に飛びつかれて涙目になりました。この僕の血を引いた息子も一人では寝ている蝉の横を通れない(笑)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
今日の朝日新聞9面に国立がん研究センターの金子さんという方の「喫煙者に公費負担はやめよ」という記事があった。
日本人の死亡原因の1位ががんであり、そのうち一番多いのが肺がんだとし、その数は年間7万人でその内7割が喫煙者だという。喫煙を促すよく聞く数字である。
このような数字を見ると「なるほど。。。」と思ってしまうが、煙草に関係なく肺がんで死ぬ人に注目すると7万人のうち3割ですから2万1千人が煙草以外の要因で肺がんで死んでいることになる。肺がんになる煙草以外の原因が何かは書かれていないが、喫煙者もこの煙草以外の原因にさらされていることは確かだろう。そうすると喫煙者の中にも2万1千人は煙草以外で肺がんになったとみることはなんら差し障りがないだろう。するとたばこ以外で肺がんで死亡した人の数は4万2千人となる。半分以上は煙草以外の原因で肺がんにより死亡していると見ることができる。
また、残りの2万8千人がどうも煙草と関連しそうだと見るのが妥当であるが、この2万8千人にしても煙草以外の肺がん原因物質にさらされているわけで、これをどう見るかは、煙草以外の原因物質に煙草が作用するときに肺がんの発生率はあがると見たほうがいいのではないか?その死亡率も煙草以外の原因の半分強である。煙草が何らかの形で作用しているのは、煙草以外の原因物質による肺がん死亡者数の50%の数でしかない。
こう見たときに喫煙者のがん検診には公費は負担しないといった意見はどうなんだろうか?もしかしたら、喫煙者の中にも煙草以外の原因物質で肺がんになっていることが濃厚だと見ることができるのに。
これは喫煙者に対する差別化であり、医者としては肺がん早期発見の機会を奪う要因ともなりかねないのではないか?高い金を払わないと喫煙者だというだけで高い金を支払うこと。。。。。ここに検診者は減るだろう。
また、気になる言葉がある。
「喫煙が本人の肺がんや心筋梗塞の原因になることは、日本たばこ産業(JT)が商品の包装に明記しているように、販売者も認める事実だ。」
とあるが、日本たばこは「吸い過ぎに注意しましょう」的なものではないか?
煙草のパッケージを読むと、
「喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。」
とある。しかしその下には、
「免疫学な推計によると」
として1.7倍と書いています。
少なくとも日本たばこは煙草だけが原因ではないとしているのではないか?あくまでも免疫学的な推計。。。。上の7万人という数字や7割という数字も免疫学的な推計?そうならその免疫学的推計に煙草が悪いという点ばかりに目が向き、煙草以外の原因が喫煙者にも及ぼされているという事実は忘れられた推計というものがどうなのだろうか?

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
自民党が早期の解散総選挙を要求している。野田総理は「近いうちに」とその要求を受け入れた。
この早期の総選挙の意義は「国民の信を問う」という言葉に現れている。
しかしこの国民に信を問うと言っても何の信を問うのだろうか。
朝日新聞朝刊「声」欄に読者の声が載せられていた。消費増税後に何の信を国民に問うのかと。
野田総理が命や政治生命をかけて「決める政治」を貫くと言っていたが、先日も書いたがこれは真の意味で国民の理解を得た政策を決めるのではなくて自公との権力闘争の中においての決める政治であった。自民党も同じで消費増税を国民がどのように考えているかを抜きにした政局の中(解散総選挙を急ぐこと)に野田総理との闘争があっただけである。自公民の合意は何も国民に信を問うものではなかったのである。
なぜ、消費増税を決める前に解散総選挙をやらなかったのだろう。これこそが国民に信を問うことだろう。
民主党が先の選挙で政権に付いた国民の信を裏切って消費増税を行うというならそこを国民に理解させるような説明と具体的な社会保障の未来像を示すべきであり、自公も消費増税をはっきり言う中に自民党の社会保障の未来を国民に問いかける。その中に国民の信を問えばよいわけである。もちろん消費増税反対の政党もあるわけですが。
消費増税に反対か賛成かは、民自公のそれぞれの未来像によっても決まるわけです。それを国民が受け入れて二大政党制のどちらの党に未来を託すかを決めればいいし、同時に国民はどちらの政党にも信を置かないことも選べる。
これでこそ直接民主主義としての総選挙が生かされるわけです。
消費増税だけではない。2030年の原発依存度を決めるものもすでに脱原発というものを抜きにした国民への問いかけである。消費増税を決めてから信を問うという非民主主義と同じやり方なわけです。原発はとりあえず動かしてと。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
GDPから見たアべノミクスの評価は駆け込み需要に助けられたとみるべきでしょう。
実質GDPはアベノミクスへの期待から2013年1-3期に高くなったが、その後下り坂である。反面悪性の物価上昇により素体的に名目GDPは維持される傾向に。そして2014年GDPの落ち込み具合を別としても名目GDPよりも実質GDPは落ちていくことに。GDPデフレーターからインフレーターへ。
実質GDPはマイナスになっていく要因はやはり実質賃金の低下や輸出の不振そして設備投資不振にある。消費増税がなければ1-3期のGDPの伸びもなかったわけで、4-6期の落ち込みも今回ほどではなくても落ち込む要因はあった。その意味では消費増税でアベノミクスは一服したのでしょう。駆け込み需要が思ったより多かったので助かっているのです。
しかし消費増税もまた実質賃金の相対的な切り下げですから個人消費を減らして実質GDPを押し下げたでしょう。悪性の物価高による名目GDPは維持しながら。
また10%への増税時に駆け込みを狙うのでしょうか?
「2014年4-6月期四半期別GDP速報(1次QE)公表に際しての甘利経済財政政策担当大臣談話」というのが出たようですが、そこで経済の状態の分析は「現時点において、これまで示してきた景気認識に変わりはない。」(引用)とする。しかし上にも書いたように消費増税を行わずに消費増税による駆け込みがなかったとしてそして4-6期の急激な落ち込みも緩やかだったとして、その平均はやはりマイナスのほうへ傾いた平均値をとって経済の下降を見ることになっていたでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
お盆・・・・
亡くなった先祖が帰ってくるという事しかわかりませんが、「お盆」という言葉に何か独特な意味合いを感じますね。
子供の頃、毎年お盆の時期に(というよりも夏休み中)お袋の実家に長く行っていました。
山深い里のお盆の思い出というと、陽が沈むころに村人は墓参りをします。お墓に紙を敷いて少しづつお菓子を置いて提灯に灯を灯して帰っていきます。お参りが済むと子供たちといっても家族の子供だけではなくて村の子供誰でもがそのお菓子をとって帰ってもよいという風習がありました。お参りが済まないうちに勇み足でもしようものなら怒鳴られました。でもその後大人たちは子供たちがお菓子を奪い合う様子に笑顔を浮かべていました。
お盆は迎え火をしますが、近くに墓がある場合は墓までお迎えに行くというのが普通かもしれません。故郷から遠くに住んでいて帰省できない時に迎え火をたくのでしょうか?
帰省・・・・そういえばこの言葉はお盆には必ずつきものですね。帰って先祖も含めて近況を報告する。子供たちの成長を報告する。。。。。
同時に亡くなった方を思い出して語り合いますね。
精霊流し・・・・・
事故や病気で亡くなった方、そして早く親より先にあの世へ逝ってしまった子供。そして戦争の記憶はまだ深く刻まれています。。。。
時価や病気などは防ぎようがないものと思います。しかし戦争は人が人を殺すのですから必ず防げるものです。お盆で思い出すような悲しみはなくせるはずです。
今日は実家に行きお墓にお参りをして仏壇に手を合わせてきました。
さて、帰ろうかと思ったら、お袋がどうも二階が気になるようで、あれこれを二階において来てくれとか頼まれました。そして昨日の夜二階でドスンという大きな音がしたが押入れあたりから何か大きなものが落ちていないか見てきてくれと。もちろんなにも落ちていませんでした。その二階の部屋というのがなくなった亡くなった親父の部屋・・・・・

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「お盆休みはどうすごす?」
どこもいかずに家でおこもり。とはいえ実家にはいかずにはすまないので今日行ってきました。
それでも幹線道路は渋滞していて帰ってきたら疲れ切ってしまいました。
9月に入って世間が静かになったら立ち寄りの湯でもいいからのんびりと行きたいです。
家でおこもりといって何もすることがないわけではありません。
昨日は押し入れの中などを大掃除。ゴミ袋がたくさん出て大汗をかきながら出しました。粗大ゴミも・・・・
結局お盆休みと言っても日常生活の線上で動いています。

【2019年】ツイッターつぶやき
テレビニュースで何回も高速道路上でのあおり運転と暴力の事件を取り上げていた。
なぜあおり運転と暴力となってしまったかのもともとは、被害を受けた車が追い越し車線を左車線の車と並行して走行していたようです。
追い抜き車線ですから追い抜くなら追い抜くでさっと運転操作をしなければいけませんね。いつまでも左車線の車と並行してのんびりしてはいけません。これを続けていればあおり運転を誘発するでしょう。僕も何度もイライラしたことがあります。進路妨害とか道交法ではどうなのかはわかりませんが、こうした運転もまた逆あおり運転とでもいえるかもしれません。
もちろんあおり運転と暴力を擁護するわけではありません。しかし後続の車のドライバーをイライラさせることもやめなければいけませんね。車の運転にはドライブレコーダーもいいですが、後ろにも目を持たなくてはいけません。後続のドライバーにイライラさせてしまったなというときハザードを1、2回行って「ごめん、ごめん」と。
三車線で右側と中央の車線を並んでのんびりと走っているとか、上り坂車線に入らずにのんびり走っているとか、1車線道路で追い抜きのために時々2車線になる道路もありますが、その時も右側車線をのんびりととか。。。。。この時追い抜いていく車は事故につながるような追い抜き方をしなければならない。一番左側の走行車線から追い抜くとか、上り坂車線から追い抜くとか、、、、、、危ないです。しかしこうでもしなければ追い抜けない。イライラも誘発しますなぁ。。。。。
こうした行為もなくさないとあおり運転を誘発する原因の一つもなくならないでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
今の日本は重症者や死亡者が少ないし、若い人はほとんど無症状で終わるから検査など必要ないという人も出ている。その中で経済をまわせばいいということでしょう。
こういったことを言う方は案外声が大きい人がいたりして日本人は声の大きさで判断してしまうことがある。
政府の対応も同じ方向に向いています。
かといって感染が見つかれば対処しなければならないし濃厚接触者も検査しなくてはいけない。学校もクラスターが発生し子供たちも感染している。この中で高齢者や持病を持つ人の重症化や死亡が増えるでしょう。
結局この感染の広がりは経済を停滞させるでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
このまま秋らしくなっていくのかと思ってしまうような涼しさです。
東京は秋の長雨のような雨が降っています。
停滞して大雨を降らしている低気圧がなくなるまでこのままでしょう。
この後真夏日や猛暑日が来たらきついでしょうなぁ。
傘をさしながら墓に行ってきました。コロナですから食事もせずにとんぼ返り。
親父を家まで連れてきたかな。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
東海から関東南部を小さな台風が通過していきました。
小さい台風とはいえ心配だったのでベランダの片付などしたのですが、雨も風も大したことがなく助かりました。
時々強い雨が降りましたが、災害が起きるような雨でもなくいいお湿り程度かな?
すでに茨木沖の太平洋に抜けたようで夜中過ぎには月も出るかもしれません。
明日の天気予報では東京は晴れて気温も35度近く上がりそうです。
台風一過。。。。。。
風はだいぶ涼しくなりました。台風が来るたびに秋らしくなっていくのでしょう。
夜蝉が消えました。
あしたは蒸し暑いだろうなぁ。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
台風7号は紀伊半島に行くようですが、東京は台風の東側になりますから雨が強いかもしれません。
風は大丈夫かと思いますが一応明日の午前中にはベランダを片付けようと思います。
東京も大きな河川が氾濫する危険が出ています。一度氾濫すると水は地下に入りこみますから都心まで水浸しにも。
毎年台風の災害がどこかで起きますが、相手が自然とはいえ何らかの対策を急ぐのが政府の仕事でしょうが、税金は絵画へのバラマキと防衛費など国民の生活の直結しない使い方が多くなっています。
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「8月12日という日」

2024年08月12日 08時02分22秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
買い物
途中モスバーガーでオニオンリング揚げとコーヒー。モスバーガーは高いけどおいしいです。たしか夏生さんも。。。?
8月ももう半ば。遅い夏を待ちわびて蝉たちは必死で鳴いています。

【2004年】
掲示板で流星群が来ていると教えていただいたので夜空を見上げてみました。
しかし残念ながら東京は星ひとつ見えない夜空。。。。残念
今夜は手作り餃子。40個ほど作りました。
どうもスーパーで売っている蒸してある餃子は苦手です。なるべく生餃子を買うようにしているのですが、なんか独特な癖がありますね。我が家の手作り餃子はシンプルな味です。
夕螺特製ダレの冷奴も久しぶりに作りました。
ニンニクと瓶詰めのザーサイを使います。
しかし今夜はニンニクばかりの味付け。。。。明日は匂うだろう。。。ハハハ
牛乳でも飲んで出かけなければ。

【2005年】
田口ランディさんの「ハーモニーの幸せ」を読みはじめました。
独特な体験をもとに人生を見つめますが、オカルト的な要素が強く、それを信じる信じないは人それぞれでしょうが、少々違和感があります。
。。。。遠くで雷。怖いのでパソコンを消そう。。。

【2006年】
東京は、雷雨が一時すごくて、電車も止まったようです。台風が行ったと思ったら今度は雷雨。ちょうど午後2時か3時ごろだったか。。。。
そういえば、昨日でなくてよかったです。
昨日はちょっとした親戚への贈り物を買いに電車で出かけていたところです。昼食を食べてから妻と待ち合わせて買い物を済ませたのですが。。。。
いつものように妻の買い物はなかなか買う品が決まらない。。。ううう
そうは混雑はしていないですが、立っているのが辛い。やっと買い物も済んで電車に乗ったらぐったり(笑)その上今日のように雷雨で電車が止まってはがっくりですからね。
今夜はステーキ。。。
アメリカの牛ではありません(笑)
珍しく和牛の肉が安売り!やはりアメリカの肉が解禁となると和牛も安くなるのでしょうか?

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
「光の子」  角田 光代  著
yom yom前号「浮き草」の続きです。
続きといっても「浮き草」に出てくる久信が主人公となっている。希麻子と別れてからの久信、希麻子とは直接かかわりのないところにいる久信である。
ここでは久信の生い立ちも書かれ文太という親友との関係が描かれる。
グレていた久信と文太。矯正施設のような夏休みの教室で出会う二人だが、家庭料理など食った覚えのないような久信は、文太が作る料理に感動をする。文太との出会いが久信を救いいつしか二人は親友となる。二人はそれぞれに違う道を進み、文太は有名な料理人となり、久信はイラストの道に進み苦しみながら自分の世界を作っていく。
互いにその成功を心から自分のことのように祝福しながら。
角田さんのyom yomでの連載は、この「成功」という言葉が主題であるが、希麻子の純朴ともいえる、有名になる金持ちになるといったような成功の捉え方と久信のような「成功」した者との捉えかたの違いが浮き彫りになる。それは、成功はひとつの結果から導かれるものであり、その前提には成功したいという気持ちと同時に今の道にどれだけ感動しながら進めるかという心の問題が大きく、この心の動きがあるときには成功となる。希麻子にはわからない世界がここにある。
しかし、自分の進みたい道がすべて成功につながるわけではない。
文太は段々と「落ちぶれて」くる。最後は熱海の温泉街で働く女性たちの賄いさんになる。そんな文太の姿に久信は、同棲する女が文太の生き方を変えてしまったと憤る。成功する久信から見た文太の才能を惜しむかのように。
しかし、この結果としての成功と、文太のうまい料理を食わしてあげたいという心は結局は同質なものかもしれない。若いころ、あの教室で久信が感動したようなうまいものを作る。そのうまいものは、久信を救った。そして今も久信は分太の料理に救われているのだろう。文太は温泉街に働く女性たちにうまいものを心を込めて作るだろう。きっとそれはその女性たちを救うだろう。
それがまた文太の成功の道へと?
文太は自分の子を久信に見せる。
光り輝く子。。。。
まさにそれは文太の心の光でもある。さえない女が隣にいる。
久信ははっと気づいただろう。
成功とは。。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
台風4号の影響で

東京も朝から風が強かった

今、さっと大粒の雨が通り過ぎていった

雨雲が流れていきます

もうすぐ秋田あたりに上陸でしょうか?

台風が過ぎるごとに

秋めいていきますなぁ。。。。。。

帰宅して急いで洗濯物を入れたら

雨はやみまた蝉が鳴きはじめました

洗濯物はもう出すのやめた。。。

「乙女の密告」を読んでいます

複雑な仕掛けがある作品かな。。。。。
        (Pm4:06)

車で買い物

片側2車線の国道を走る

追い越し車線を走っていたら

向かいから黄色い中央車線をまたぎベンツが

びっくりして少しよける

ハンドルを握る手にでかい指輪

でんと動じないばあ様。。。。。。。

300メートルほど先の右折車線まで

あのまま突き進んだのだろう

右折車線はもう車がいっぱい並んでいたよ
        (Pm4:33)

【2011年】ツイッターつぶやき
知識は完全な知識や無知というものはない。
ある事柄に対する知識は、ある意味発展途上にある知識である。その知識の量や質は、例えば専門家と一般人とは差が出る。この人が営む複雑な分業化が進んだ社会はすべてこのような地智の所有状況に違いがある。しかしこのことを前提として人は社会を考え社会をより良くするために動き何かしらの形を作りだして社会をある程度安定化をさせて規律あるものにしていく。同時にこの社会自体も知識が発展途上にあるのと同じく発展途上にあり、知識も社会も変化をして長いスタンスで見れば発展をしていく。
社会はその分業が複雑になったからといってその専門家にすべてを任せているわけではない。政治が典型的でその専門家である政治家だけが政治を規定しているわけではないことはたしかです。政治家以外の知識や議論がむしろ政治を動かしている。そこに民主主義が存在をするわけです。もちろん国会内において多数決で手をあげるのは政治家の仕事なわけですが、それが専門家である政治家として規定するものではない。
このように専門家がその専門の社会的な責任を果たしていくわけですが、そこには絶えず一般人の考え方必ず入ってくるわけです。もちろん数学の政界とか一般人の生活にほとんど直接的な影響が出ないような専門的知識は、そこにおいてはほとんど一般人の考えは出てきません。しかしこの数学がいったん経済などに取り入れられてくるとその数学は一般人と接点を持ってきて一般人の考え方が働いてくるでしょう。
一般人はその専門的分野において専門的な知識というものは口出しはできません。しかし一般人もまた他の分野では専門家である場合があるでしょうしその他の分野での知識から口出しをすることができるかもしれません。または生活者としてからの知識があり口出しをすることができるかもしれません。こう見る方が一般人はその専門家に口出しはできないとするよりも口出しはできると考えた方が合理的ですし、実際の社会もこのような一般人が参加しながら様々な分野がといつ的な規律を持ってきます。民主主義です。
この一般人が専門家に口出しをするというものがある意味議論の保障であり、議論ならばどこかに正しいといった自分があるわけです。この一般人同士の議論がその専門家の説を変えていく。個人的知識や考え方が議論によって一般化されていきます。議論には賛成もあれば批判もある。昔から弁証法といわれるものがありましたが、専門家同士の議論、それを受けたその専門的な中身での一般人同士視点での議論、そして今のようにインターネットがあれば、専門家と一般人との議論も発生をしてきます。その中により発展した知識が生まれるでしょう。議論は矛盾を作りだす(というよりも矛盾を発見したり掘り出したりする)ことです。そして議論はその矛盾を少しでも解決した新たなものを生み出して発展をさせる原動力です。
ですから知識と議論は対をなしている。このあたりまえなことを忘れてはならないし、今やその議論は一般人でも参加ができるようになっているというある意味民主主義からの発展の速度を高める条件を作っています。そう、あくまでも「条件」です。この条件を生かすも殺すもまた社会や専門家の知識であります。そこにまた一般人が参加をして「条件」を現実なものに変えねばならないということです。

【2012年】2ツイッターつぶやき
遅い昼飯を食べようとファミレスに入った。
店内はがらんとすいてのんびりと。
そこへ息を切らせてバタバタと太った爺様が入ってきて僕の隣にドカッと座った。
サンドイッチとアイスコーヒーが来たので食べはじめる。
するとその爺様が腹を出した。
ぎょっとして何をするのかと見ていたらインスリンの注射。
なんだかサンドイッチを食べ始めたのだが食欲が失せる。
爺様が注文した料理が続々と運び込まれる。
スープに始まってサラダそしてメインディッシュ。
昼飯のフルコース
サラダには油が光るドレッシングがたっぷりとかかっていた。
早食いである。
あっという間にフルコースは口の中へ運ばれた。
それにしてもなぜがらがらの店内なのに僕の隣などに座ったんだろう。
食欲もなくなりそそくさと店を出た。
そういえば、このファミレス。。。。。
先日も端っこに座って朝飯を食っていたら
やはりがらがらの店内なのにオヤジが僕の隣にくっつくように座った。
食べ終わって立ちレジに向かう。
ふと後ろを振り向くとそのオヤジがかたずけも済まない僕がすわっれいた席に移動している。
もしかしてこのファミレス。。。。
指定席制度があり僕がそのオヤジや今日の爺様の席に座ってしまったのだろうか。

社会保障制度改革推進法が可決されると国民皆保険の制度の改悪により命も経済的格差にさらされそうです。リンクしたページのシナリオは考えうるものですが、野田政権の決める政治の一つでしょう。
国民健康保険で医療を受けにくくなるということは、大人だけの問題ではなく、子供の医療の受診にもかかわってきます。例えば1回の受診で5000円以下は保険が適応されないというものが出てきたら、それだけ受信できる機会が失われることになります。ただの風邪ならそれで済みますが、ただの風邪だろうと思ったら大変な病気だったという例もあるようですから、子供の命にもかかわる場合が出るでしょう。格差が命にまで忍び寄ることが大きくなります。保険料を支払うことも大変になっている社会なのに。
今後消費増税もありますからね。
生活保護の需給は自助が強調され始めていますから受けづらくなるでしょう。
じわじわと格差社会は命にも忍び寄ってきました。
命までにはならないまでも、消費増税で生活がどうなるかという質問に子供の教育費が大変になるという答えがあります。教育の平等も例え高校や大学が義務教育ではないとはいえ経済的な理由で行けなくなるならこれ自体が平等ではありません。この不平等さは子供の能力を押し殺すとともに将来の経済的な核さにもさらされる条件にもなるでしょう。
自公民政治がこのまま続くと日本はどん底まで落ちていくでしょう。国民生活がどん底までというだけではありません。政治や経済も民主主義もどん底まで落ちるでしょう。民主主義もどん底まで落ちる?そう、格差の拡大と経済的不平等さによる国民や子供の将来を切り捨てるようなことを正当化されればそれは棄民政策です。民主主義の最大の危機の一つでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
すみません。眠くなってしまったのでツイッターのまとめです。

消費増税はすべて社会保障に使うといった政策から今は消費増税は国家財政の健全化や経済回復のための政策となった。ですから10%では足りない25%だといった論理が。どこかで騙されていませんか?国民は。財政や経済政策のための増税(税制全般)がなぜ消費税だけなのか?
アベノミクスで利益を得ているのはどこでしょうか?輸出産業や銀行や証券直などの巨大機企業と投資家でしょう。もちろん法人税を払える企業が増えたことと思います。これを見ても財政や景気政策に必要という増税ならばどこから増税を求めるかが見えるはずです。
先ほど書いた企業のアベノミクスによる利益は、報道の中身では利益の中身はこれまでの株価の上昇と円安効果です。しかしこのまさにアベノミクスによる利益は国民には還元されない。しかしその国民に対して所得が少ない層に重くのしかかる大衆課税を強化するという。それを財政再建と経済政策にと。
税制全般の議論がどこかに消えて、国家財政の健全化には消費増税は待ったなしだといった論理が何の疑問も持たれないで大きな声で叫ばれること自体そうとう国民はバカにされているのではないでしょうか?社会保障がどうなってもいいのかと?しかし社会保障は消費増税があっても後退する面も。
企業の設備投資や生産拠点が中国やベトナムからミャンマーへ。中国やベトナムから離れるわけにもいかないのですが。アベノミクスによる企業利益は海外に流れるだけではないでしょうか?設備投資などという実体経済だけではなくて投資などに。その中で日本国民は「強い日本」のために消費増税に喘ぐ。
「今は賃上げとか時短とかよりも、むしろそのためにも、国際競争力のために企業利益は使わなければならない」といった論理が企業や国の常套句です。ですから労働者の懐には金は増えずに合理化です。そして国際競争力のために法人税減税。それでも競争力が弱くなればこの間見てきたような賃下げ。
昔の企業による設備投資は国内で行われましたから国内の雇用が増えてそれが賃上げの条件にもなりました。しかしグローバル化が進めば進むほど生産拠点は海外に。そのための資本輸出が進みます。はじめは現地生産と言われてアメリカにも工場が。しかし今のグローバル化は低賃金に。基本は市場の確保です
企業の無国籍化・他国正規化は、企業利益が本国に還元されないように動いていく。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
また「公共投資を主軸としたデフレ脱却策」が重要という主張が出始めた。(アベノミクス「第二の矢」でデフレ不況を打ち抜け)
筆者は内閣官房参与といわれる方なので政府内には一定の影響力のある方でしょう。
しかしなぜまた公共事業中心の経済政策が言われはじめたのでしょうか?
公共投資の中の行政投資という部分でしょうから公共事業が中心となる。
アベノミクスにおいても消費増税分を一部回す中で公共事業がふやされていますが、現在は第三の矢という成長戦略に入っておりその中でアベノミクスの限界とも言われる経済状況が出始めている。一方は日銀の更なる緩和を求めている勢力もあるが、これもこれ以上の緩和はすべきではないといった勢力とぶつかっている。そこで出てきたのが公共事業の更なる増加なのでしょう。
結局はアベノミクスをどう支えるかの議論ですからそうはアベノミクスが思ったようには進んでいない(デフレからの脱却も経済の成長も)現状を写しているのでしょう。
こういったアベノミクスの矛盾からの公共事業の拡大ですが、なぜ強調されるようになったのでしょうか?
公共事業を増やせば当然国家財政の支出は増える。その財源をどうするか?これ以上の国家財政の赤字は国際社会からの懸念を招きますし、国家財政の改善は国際公約にもなっている部分がある。そうすると増税や支出の縮小しかありませんから、増税では企業には法人減税を約束してしまっていますから当然来春からの10%への消費増税でしょうし、支出の削減はやはり社会保障や国民の生活に直接影響する予算でしょう。10%へは今の経済状況からは国民に説明できる材料がない。
そこに公共事業を行えば経済は発展しますよという国民への「期待感」を新たに植え付ける中での増税の実施でしょう。
政府は順調に経済の発展の方向性の中に日本はあるといっているわけですが、その中でなぜ公共事業の必要性が出てくるのでしょうか?やはり日本は物価が上がっているにしてもそれは悪性の物価高でありかえって経済の悪影響が出ているとみるのが正しいでしょう。その中で不況時には公共事業という自民党のお家芸が復活をする。しかし公共事業というのは不況時に国家財政で経済を安定化するが、好況時には税として回収しなければならない。しかし自民党政権の歴史から見ればばらまきはやるが回収はしないで企業利益を守るというものでそこから国家財政の赤字も増えてきたわけです。この意味では上に書いたように企業には法人減税を行いながら財政赤字を増やさないためには消費増税しかないと考えていると見たほうがよいのでしょう。
社会資本の整備は、今の日本では高度成長期に一気に作り上げてきた社会資本の老朽化の補修が必要になっています。地方でも新しい橋よりも古くて危ない橋の改修が言われている。しかし公共事業は東京オリンピックに向け首都圏整備に向かうでしょうし、地方にはまた1億円のばらまき程度でしょう。リニアモーターカーや計画にある高速道路の整備。
そして箱モノ行政の復活か?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
アメリカの北朝鮮への軍事介入が起きようとしている。そして今度はベネズエラへの軍事介入を勧めようとしている。
アメリカは昔から政権の危機があると他国を攻撃してアメリカの正義に国民を統制しようとした。
トランプ大統領は就任当初からこの国民の統制と自国第一を掲げていた。車の両輪のように。
経済と政治においてアメリカ ファーストという自国主義を行うのですが、それは経済的には自国保護主義であり、政治はアメリカを中心とした同盟の強化になる。そしてこの政治は軍事行動となる。
案外このアメリカ ファーストの危険性の最も高い状態に置かれたのは日本かもしれない。ヨーロッパにおいては反トランプ的主張が高まったが、日本においてはトランプ追従が明らかになりつつある。
日本は多額の投資をアメリカに行う。アメリカの経済(株価)を支える役割を行うでしょう。そして軍事面では集団的自衛権の中に置かれて、日本は「自発的」に北朝鮮からのグアム周辺へのミサイル攻撃があった場合、それを撃ち落とすと。もちろんこのようなことが法的に許されるのかの疑問は深まっているし、実施した場合には北朝鮮への宣戦布告のようなものになるでしょう。アメリカと北朝鮮との軍事行動ではなくて日本と北朝鮮との軍事行動になるかもしれない。の本国内は「積極的平和主義」(軍事的解決の一種)で拉致問題解決をという機運は強いでしょう。そして日本人も血を流すべきという論理も。
結局アメリカの利益のために日本は働くことになる。
○○ファーストが日本でも流行りそうである。

【2018年】ツイッターつぶやき
LNGの巨大プロジェクトが世界的に進むらしい。中国やインドの発展もありLNGの不足が懸念されはじめたという。日本も原発に頼らない電力が模索されはじめており将来的には再稼働もなくなるでしょう。その場合再生可能エネルギーの不安定さを補うためにLNG火力発電は不可欠でしょう。
しかしこのLNGの開発を邪魔しているのがイランLNGを世界に輸入させないようにするアメリカのイラン合意からの離脱です。
ドイツでは脱原発が進められて再生可能エネルギーの不安定さを補うために火力は不可欠です。そこでロシアからのパイプラインを引くことを進めていますが、このパイプラインがウクライナやポーランドを迂回するルートであり、ヨーロッパの安全保障上から懸念されるという。
シベリアの天然ガスをパイプラインで日本へという構想もあるがこれも日米同盟から簡単には進まない。
日本にしてもヨーロッパにしても安全保障上はアメリカが主導権を握っている。アメリカのエネルギ輸出というアメリカの利益はアメリカ経済でも重要でしょう。
結局世界はアメリカの保護主義による利益優先がエネルギ問題をも複雑化させているのでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
川上さんが住む東京は6月ごろは長い雨続きで日照時間は短くて気温が上がりませんでしたね。わが家の花たちもどんよりとしていました。
池もどんよりと。。。。。。ボートを漕ぐにもどんよりと。。。。。
タヌキもどんよりと庭を横切る。。。。。
産後の体もどんよりと。。。。。。
6月はどんよりの一カ月でした。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
デカダン
この言葉は相当幅広く使われているようです。
退廃、荒廃、猜疑心と悲観、反権威。。。。。。
そしてこのようなものを生活や思考の中に取り入れて生きようとするデカダンス
これは思想や芸術面として現れてくるようですが、その背景には政治の退廃や後輩そして経済を含めた没落と衰退の中に現れてきます。
デカダンの対義語とはなにかはわかりませんが、一つにここ数年多く見られるようになった「ニッポンすごい」という大衆的国家観があると思いますが、政治に白経済にしろ没落と衰退が隠せなくなった時にその延長線上としても反動としても退廃や後輩につながるという面ではデカダンの逸出思われます。
このデカダンが大衆の中に現れてしまうのはある面社会から疎外されている中で仕方ない面もs利ますが、実は政治や官僚組織あるいは企業組織の中にも広がり、マスコミや知識人がこれを大衆の中にデカダンスをさらに煽るようになります。
政治に理念や理想がなくなり何でもありになります。その政治を支える官僚も何でもありになります。そこに忖度するマスコミなどの人々が何でもありとなります。理念や理想がないですからそれは荒廃であり退廃につながっていく。
時には平和を脅かす言動にもつながっていきます。排外主義というデカダンス。
残念なことですが、現在のコロナ騒動の中にも政治経済はアベノミクスと出口放棄の日銀緩和が続いて現れ、国民不在の政治と経済がコロナ対策にも現れてしまい、政治は官僚の人事権を奪って政治主導になったかと言えばそれは表面的であり、実は安倍内閣に乗っかった官僚の独裁が生まれて無能な政治を支配しはじめている。数の力を持つ政治が腐敗をしていますが力だけを持つのですから、コロナの専門家をはじめ専門家や知識人そしてマスコミが忖度を始める。
結果コロナ対策についても国民を納得させる政策にも示せず、責任を地方自治体と国民一人ひとりへの自己責任という無政府的な状態となっている。
政治や国家組織自体がデカダンス状態。
その国家組織に置かれている国民もお盆休みにしても東京から規制する人に露骨に帰れという人も現れ、逆にマスク拒否者やコロナなど怖くないとして観念的な自由(間違った反権威)を社会に広める人も現れる。
もちろん冷静な国民そして専門家や知識人が多いですし、まじめなマスコミや政治家官僚も多いでしょう。しかしここに組織性がなくなっている。
野党の仕事はこの組織性を作ることにある。
組織性は団結です。そして団結は思想(理念)です。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京都のモニタリング会議で、専門家は「かつてないほどの速度で感染拡大が進み、制御不能な状況で、災害レベルで感染が猛威を振るう非常事態だ」と指摘したうえで「医療提供体制が深刻な機能不全に陥っている」として、極めて強い危機感を示しました。
(以上NHK)
感染急拡大に対して制御不能だとするが、制御らしきものを行ってきたのだろうか。
この1年半ずっと標語のようなものを都民に示し、カタカナ英語を羅列してレインボーブリッジを赤く染めたことぐらいしか思い出せない。そして都民に対しては自粛という自己責任を負わせただけである。自己責任を都民が果たさなかったから制御不能になったという責任転嫁である。
今になってもPCR検査を多く行い臨時病棟など医療従事者の省力化をし陽性者を隔離できる体制を否定している。その結果が自宅療養という過酷な自己隔離を強制する。
自己隔離としての自宅療養も医療的な処置も行ってもらえず食料さえ家族や知人に運んでもらえとなった。
都民が生きていくことを支える公助は基本的なところでさえなくなった。
コロナ対策という公助部分を否定するということは、たんにコロナ感染急拡大に対して制御不能となっただけではなく政治が制御不能となってしまったのです。

【2022年】ツイッターつぶやき
テレビを見ていたら、ライン川が渇水状態だそうで、ドイツでは貨物の運送が困難になりつつあるそうです。ライン川というヨーロッパの太河が渇水というのはスイスのアルプスの方での異変があったのでしょうか。
火力発電所の石炭の輸送ができなくなれば発電所も機能しない。一方ウクライナ問題では天然ガスなどの供給が不安定になっています。
どいつでは今年の冬は暖房設定が19度になりそうです(公共施設)。
しかしたしか去年はライン川の氾濫がありましたよね。
自然の帳尻合わせというのか。。。。。。
世界的な熱波の影響らしいです。
ということは自然の帳尻合わせは冬の大寒波にもつながるかもしれません。するとドイツは相当苦しいですね。
それは日本も同じで円安誘導でのエネルギーの値上げと対ロシアの関係で日本のエネルギー事情も同じでしょう。
自然の帳尻合わせに対応できなくなる社会体制。

【2023年】ツイッターつぶやき
昨日、買い物に行くので近くにおいしいお店がないか検索していたら、住宅街の中にポツンと1軒のお店が。
最近こう言うお店が増えているそうですね。
休日でもあり昼時はほとんど席が埋まっていました。
定食を中心に一品料理の品数も多く和から洋まで。
家族連れが多くて酒も飲みながら品数の多い料理をつまみ楽しそうでした。
残念がら車でしたので我慢。
レストランというのか飲み屋というのか。夜は夜で込み合うのかもしれません。
今度はすいている平日に行ってみたい。
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「8月11日という日」

2024年08月11日 09時44分02秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
夏生さんの「とにかくあてもなくこのドアをあけよう」(幻冬社文庫)と吉本花なの「ハードボイルド」を買いました。

【2004年】
南房総にドライブにいってきました。
夏休み中は平日でも渋滞が激しいので早朝に出発。
釣り糸を少したらしたのですが、うんともすんともウキは動かない。。。。1時間ほどであきらめました。ここは鰺や鰯の小さいのがいるのですが、今日はお留守でした。
花のきれいな温室に行ったのですが、夏の温室は二度と行かない・・・
南房総は早い花で有名なので、温室も冬にきれいな花を咲かせることになっているようです。夏は何の花もない。
海岸沿いのきれいな風景の中を走っていたのですが、もうトンボがたくさん飛んでいました。秋は早いかもしれません。

【2005年】
水槽の掃除をしました。
そうしたら、いつの間にか死んでしまった魚が何匹か沈んでいました。約2年ぐらいしか生きない小さな魚ばかりなので仕方ありません。でも夏は水温管理が難しく、そのせいかも?冬はヒーターで調節できますが、夏は冷やすことができないです。一応フィルターのふたを開けて風で冷やすようにしました。
魚の数がさみしいので少し買ってきたのですが、よくよく思い出したら、その魚は7センチぐらいまで大きくなる魚でした。ううう。。。
車に乗るとき、安室浪江のアルバムを聞いています。
CMとかで流れているあのヒップポップ系というのか?少し暗いような歌です。誕生日に娘と妻が買ってくれました。妻は「えぇ~、あのヒップポップのようなのよぉ。。。?」と。でも歌は上手いと思うんだが。。。。
離婚して小さな子を育てながら頑張ってるし。。。松田聖子と比べる人もあるようだけど、どこかちがうような気がする。「ママドル」ではないですよね。。。。
スーパーなどに買い物に行くと10代後半から20歳前半のママさんを最近よく見ます。案外若いときに結婚する女性が増えているのかもしれない。安室浪江はそんなままさんの手本みたいなものかな?ルックスが案外似ている様な。。。

「ファースト・プライオリティー」
                       角川文庫
               山本 文緒  著
ある女子高あるいは女子大を卒業した女性たち。これまでは学生として自分自身の基礎を築く場所におり、親や学校の中に保護をされた環境の中にいた。もちろん個性のある女性たちではあるが、社会的に見れば学生という集団の中の一人であり、社会的個性はまだできていない。
そんな彼女たちは、社会の中に羽ばたき出る。
一人で食うために社会に出る。巣立ちというのは、社会の中ではじめてその女性の個性が出される場である。男社会の中での女性軽視など社会には様々な矛盾があるが、その矛盾する社会に無条件に入らなければならない。その巣立ちには、これまでの学生という立場で築かれた基礎において出発点も違うし、人生観の違いの中でのものである。もちろん育った環境もある。だから、その巣立ちにも様々な形態としてその後の彼女たちの未来を規定し、出発点からしてその違いは出てくる。
彼女たちが巣立ちをして10年前後の月日が流れ、彼女たちは31歳になった。
上に書いたことは僕の空想であるが、このようなことを想像することができるように「ファースト・プライオリティー」という作品は、その31歳の女性たちが主人公となった短編集である。
「冒険」「ボランティア」をのぞき、すべての短編はちょうど10ページとなっている(とは言っても「冒険」も「ボランティア」も12ページ)。31人の女性の物語である。ちょうど10ページづつ割り振られた31歳になった31人の女性たち、ここにこの作品の意図するものもあるのかもしれない。
女性というのは、男に比べると社会的の中において精神的に10歳はその精神年齢を高めるのかもしれない。男は大体40歳になる頃に、今までの人生を振り返ることがある。私生活においても社会生活においても、「こういう大人が一人出来上がった」という結論が人生の中間点として見えてくる。そしてその後の後半の人生を思い描くのである。女性はこの男が40才頃に思う気持ちを30歳を越えた頃に思うのか?結婚の適齢期(体的に子供を持つことができる)の限界も見えてくる。そして男社会の中では、仕事の先も見えてくるのかもしれない。そういう中で31歳は女性にとっての区切りを感じる年齢なのかな?
この区切りを迎えた女性たちは、作品中では幸福な生活を送っているわけではない。恋・結婚・子育て・仕事・家族などと何かしら今までを振り返りながら今を悩んでいるようである。そしてこれからに不安を持ちながら生きていこうとしている。
「31歳」という短編には次のような言葉が出てくる。
「30歳を出たくらいの女っていいじゃないか。そろそろ迷いが吹っ切れて、腹がくくれてて、でもやり直しもスタートもできる歳だろ」
                              (305ページ)
これまでの人生を振り返ればひとつの大人の女が出来上がっている。その自分を見たときには、いろいろな不満もあるが、同時にその不満な部分からまだ抜け出せる年齢でもある。
作品中の女性は、今を憂うがそこから1歩出ようとするし、同時に今ある生活に生きようと腹をくくる。
弱さもたくさん抱えている女性たちだが、そこには強い部分もある。
「今のままではいけない」「今のままに何を求めるか」その中に女性たちは動くのである。もちろんその動き方はいろいろである。しかし何か吹っ切れたものを持って生きようとしていく。
今の生活に疲れるだけではなく、ただたんに笑い飛ばすだけでもなく、これからに一筋の光を求める姿に強さを見るのである。
雑誌に出てくるようなセレブな生活をする女性は出てこない。出てくる女性はその辺どこにでもいる等身大の女性たちである。だからこそ、そのような女性たちの力強さに暖かいものを感じるのだろう。
その強さの中心となるものは、これからの人生の中においてのプライオリティーすなわち優先すべきもの、あるいは今大切にすべきものというのか、それの存在に気付くことなのかもしれない。
それは、人並み以上の優れたものでもなく、人並み以上に目立つようなものでもない。恋であり結婚であり、仕事でありそれはすべて日常にある。もちろん優先すべきものの反面には切り捨てるものあきらめるもの置き去りにするものも出てくるだろう。それもまた恋であり結婚であり仕事である日常のものなのだろう。
最後の短編は、「小説」である。
30人のいろいろな女性たちを描いてきて、山本さん自身をご自身が見つめたような短編である。離婚の経過も書かれ、小説家といえば華やかな生活を思い描くが実際はそうではないこと、読者に認められないことなどなど。。。
離婚後の自分。。。
恋や結婚、小説にももどかしさは残るが、その中に吹っ切れたある心や腹をくくろうとする小説家の姿がある。
このたぶん山本さんご自身の姿であろうが、そこに見るのはそれまで描いてきた等身大の女性たちとなんら変わるものはないのであり、同じ31歳の女として生きていこうとするものを思い起こされる作品である。
「小説」の主人公は、結婚生活を失う。しかし小説を書くことに一筋の光を見るのである。山本さんのプライオリティーは小説なのである。
ここに迷いが吹っ切れ、腹をくくる一人の31歳の女性がいるのである。
偶然にも群ようこさんの「姉の結婚」の後に続けて読んだが、題材としては同じものだろう。作家の個性が見えておもしろいと思った。

【2006年】
今夜は柔らかジューシートンカツ。
「おまけ日記」では時々紹介しましたが、薄切りの豚ロース肉を重ねてトンカツにします。よ~っく重ね合わせないと、あげているときに肉と肉とがはがれてしまうのでお気をつけください。
この前、妻とスーパーの家庭用品売り場に行ったら、安売りのカーテンがありました。我が家のカーテンもだいぶ疲れてきているので買って来ました。いちおう遮光効果のあるカーテンなのですが、やはり安いだけあって薄くてあまり光を遮りません。。。。安くてあまり遮光効果のないカーテン。。。。たしか川上さんの「夜の公園」に出てきたと思います。暁のアパートのカーテンもこんな感じだったのか。。。

【2007年】
8月10日は、僕にとってけして忘れられない一日となりました。
そう。。。。
銀色夏生さんのサイン会でお会いし、一言お話をし、そして握手(感涙)
当日ははやる心を抑えきれずに早く着きすぎてしまいました。しばらく渡辺諄一さんのインタビューを聞いていたのですが、サイン会が始まるのが7時半ということで腹ごしらいを。
しかし。。。。
飯を食うとき酒がほしくなる。緊張のうえになおさら。
ビール1杯が2杯に。。。ううう
サイン会が始まりました!!
ズボン姿にハンチング帽?少し緊張気味に司会の方に「恥ずかしい。。。」
今回のサイン会を開いた思いや同席した幻冬舎の菊池さんとの「へなちょこ2」のエピソードも少し。
お声はやさしかったです。。。。。笑顔も素敵でした。
ショート風の髪は、寝癖のつきやすい髪でした。。。。(笑)
。。。「つれづれ」のイラストを思い出します。
やはり印象的なのは、夏生さんの目。。。。
僕の番になったのですが、その目で見つめられたときは。。。。もうだめ。頭の中が真っ白になってしまいました。「しげちゃん」のご様態など聞きたいことはたくさんあったのですが、「へなちょこ2」の感想文をお渡しするだけで精一杯でした。ただ一言サインの上に押していただいた「クロちゃん」スタンプを見て「これクロちゃんですか?」と質問。。。。ううう・・・こんな質問、情けない。
でも、夏生さんや菊池さんが「もうお読みになったのですか?」と。
「はい!」
ホームページに書いた感想を印刷したもの(時間がなくてこのような形のものは失礼かと思ったのですが。。。)を受け取っていただけました。
120人もの方が集まるので、こんなにお話ができるなんて思っても見なかったのでもっと落ち着いてお話がしたかった。インタビューのことなども。
最後に握手。。。。
柔らかくて温かい感触は一生忘れないと思います。
あの手が素敵な言葉を紡いでいらっしゃるのですねぇ。。。
清水の舞台から飛び降りるような気持ちで参加。。。。(笑)
こうやって書くのも冷や汗。。。ううう
でも、夏生さんも僕たちファンの前に一歩出ていただいたのですからね♪
僕も一歩。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
       道の駅 たくみの里
群馬県水上(みなかみ)にあります。
こちらの道の駅に立ち寄るのは今回で3回目となりますが、何しろ広すぎてすべてを見るということができません。何といったらよいのか。。。。一つの里がそのまま道の駅になっているという感じです。もちろん道の駅としてだけではなくて水上の町の観光名所といったように整備された地区です。
中心には水上の物産や新鮮な野菜を売るところがどこの道の駅とも同じくあるのですが、そこを中心にして整備された道を歩きながら職人さんが作るいろいろな民芸品や食品を売る店があり、食事をするための蕎麦屋さんや喫茶店の並びます。一つの里ですから10分ほど歩いてある職人さんの工房とか。。。。。
半日ほど時間を作って廻るのも楽しいかもしれません。
でも、このような感じですから店や工房なども休みということも?
あまり時間がなかったので中心にある物産店と近くの喫茶で食事をしてお豆腐やさんで饅頭やら揚げたてガンモを。
ABCの評価としては。。。。。やはりAですなぁ。
でも、子供たちが小さい頃はじめていったときはもっと混雑していたように記憶しているのですが。。。。道の駅自体が過渡期なのでしょうか?
好きだけどなぁ。。。。道の駅

お盆休み。。。。。

この時期、毎年東京は静かになるはず

周辺道路もすいて空気も澄むはず。。。。

しかし今年は道路の渋滞も多い

平日の渋滞に比べてもひどい

どこかに出かける人が少なく

ショッピングモールあたりで家族で過ごす?

国会もお休みで議員の皆さんは外遊?

外遊といえば毎年何百万の人が海外へ

何百万とすごい人だが人口全体の比率では

数%ですからなぁ。。。。。
         (Am8:30)

朝飯を食いました

だいぶ前のテレビ番組での

健康訓的な言葉に

減塩多酢

というようなものがあった

まぁ、この暑い時期減塩といっても

塩分は必要なわけでして。。。。

酢は。。。。我が家では米酢・黒酢

そして沖縄の泡盛の麹モロミで作ったモロミ酢

紫蘇ジュースにも酢はだいぶ入っています

効果は?

夏に強い僕ですが更にだるさがなくなったような

この夏は無事乗り越えられるでしょう。。。。。
        (Am9:43)

昨日の朝日新聞11面「歴史つくれるか 民主党政権」と、今朝の「夏の基礎講座 生命」を読んでいろいろと思うことが。。。。。
東大名誉教授篠原一さんと分子生物学者福岡伸一さんのお話です。
篠原さんは、今の菅民主党内閣を「なお体制以降移行の途上」とした見方をお話されています。
55年体制当時のお話も出てきますが、僕の記憶では55年体制下での自民党社会党のある意味二大政党の中で市民運動というものが台頭してきて「脱イデオロギー」「既存政党ではだめ」といったようなさまざま市民運動の中心になる政治家が出てきました。その中に若き菅首相もいらしたのでしょう。
日本の55年体制は、アメリカソ・ビエトの冷戦体制とも似た階級闘争の要素を強くした「体制」でした。ですから市民運動は、この55年体制という「体制」に反対をした一つの運動と見ても間違いはないでしょう。
歴史は動いてソビエト東欧社会主義が崩れました。しかし資本主義の勝利を謳った資本主義は新自由主義に移行をしてその後の新自由主義の誤りから「資本主義も勝利したわけではない」という言葉が出ました。一方では、資本主義経済を利用した社会主義政権ともいえる中国が台頭します。ソビエトもロシアとなってから共産党を残しながら資本主義化が進みます。
冷戦体制、日本でいえば55年体制が崩壊をした中身は、社会主義あるいは日本の社会党総評ブロックはある意味「自壊」しました。一方資本主義は新自由主義の業病であるバブルの崩壊(恐慌・デフレ・スタグフレーション)が恒久化するというやはり「次回」に進みます。
社会主義は資本主義に負けたとか、資本主義の政策上の失敗とかいう段階のものではなくて、経済としてみるならば教条的な計画経済の自壊と市場万能主義ともいえる資本主義の自壊なわけです。
ここで「体制」の移行とはどういうことになるか。社会主義でも資本主義でもない体制への移行しかないということです。
ここに篠原さんのような論理も出てくるわけです。それはやはり市民社会なのかもしれません。しかしこの冷戦体制55年体制を否定をし、社会主義と資本主義が自壊したあとの市民社会というものはものすごく曖昧なものになります。結果は民主主義という御旗を立てて空想的な話し合いで決められる社会というものになり、その目指す社会構造は霧に包まれることになります。その表れが今の間内閣の右往左往する政権として見えるわけです。
なぜ市民運動がこのようなジレンマに陥るかといえば、やはりイデオロギーがないわけです。社会主義や新自由主義に変わるイデオロギーがないわけです。民主主義はある目標が決まっているからそれに向かって民主主義が機能するわけです。ビジョンがない中に民主主義は現れません。また、階級闘争という闘争事態は今はなくなりました。しかしこの階級間矛盾がなくなったわけではないのですから、今必要なのは階級間矛盾を闘争という形ではなくてどう解消できるかというビジョンやイデオロギが必要なのです。それがよりよい国家となるわけです。
福岡さんが「脳は偉くない」として、脳が指令を出して心臓は動いているわけではなく心臓は自分で動いているといったことを書いていますが、今の社会を動かしているのは偉い人といったいわば立派な脳があるから国民は動くと勘違いをされますが、そうではないということです。臓器が動かなければ脳も死ぬ。脳を移植すると臓器がその脳を攻撃するそうです。臓器が健康に動くからこそ脳の存在理由が生まれ、脳はいろいろな指令を出せる。そこに人間動物は健全な生命を維持できる。階級間矛盾はなくさねばなりません。同時に立派な脳が機能しなければならない。それがビジョンでありイデオロギーなわけです。これをどう民主的に討議されるか。。。それが篠原さんの主張でもあるのでしょう。
今存在するビジョンやイデオロギーでは、社会民主主義がその一つの有力なものでしょう。中国やロシアは社会主義の経験から移行しやすいかもしれない。日本も日本型社会主義ともいわれた55年体制化で自民党社会党の互いの妥協の中に生まれた日本型の社会があったわけでそれは大きな力になるでしょう。社会保健や年金、健康保険制度などが崩壊する前に。。。。そして雇用関係の経験や賃金体系も。

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞「耕論」に「今こそ解散、なのか」という記事があった。
お三方の意見は、今すぐに解散すべきかという上っ面内見ではなくて二大政党制に矛盾の表れや民主主義の問題そして政局よりも政策を作り上げるべきなどといったこれまでの民主・自民のある意味最悪なスキャンダル国会による政局作りからの脱皮としてのマニフェスト重視とその破綻による政権交代を踏まえたこの間の民主とう政権と絡めた二大政党制を語っているのではないかと思います。
政策的議論が見えない中において自民党が強引に内閣不信任案を提出し、民主党内も菅おろしが露骨になった時点においては解散というものが一つの選択であったと今も思っていますし、今後も政策抜きの特に原発に頼らない社会を目指すという方向性を反故にするようなものが出てくるなら解散も必要でしょう。しかしこの解散がどうのというのは政局次第でもありますので、いま議論しなくてはいけないのは国会内の政策論争と速やかな被災地の速やかな復興と原発処理(原発のない社会も含めて)を行わなければならないということです。もちろんここには大連立がまた持ち上がってくるかもしれませんが、それは二大政党制の崩壊を意味すると同時に国会の民主主義にもかかわってくる問題ですので注意は必要でしょう。二大政党制批判は大連立を答えとしてはなりません。
ねじれ国会の矛盾は、政策のぶつかりではなくて、菅おろしもそうですがすぐに内閣の辞職や選挙に結び付けるだけの民主主義の欠落からの数合わせの矛盾でしかないはずです。
原発事故の処理や核汚染をどう食い止めるか、ここにも国民の命や健康そして生活を見つめる民主主義の目が必要なはずです。福島では草の根の住民による除染作業が進んでいるそうですし、お母さん方の個人的努力で子供が疎開をしている。こういう中で菅総理が辞任を言わざるを得ない政局が作られ、すでに次の代表がどうのというやはりよく見れば政策抜きの首相の座争いとしてしか見えないごたごたが起きている。菅総理が辞めないと法案の中身はともかく通さないと野党(少しは変化しましたが)。この国民意識と国会の意識のずれ。。。。。これがまだ今の状態においても変わりなく続く日本の悲惨さです。あらゆるものは民主主義から見つめなければなりません。
その意味では改憲をどうするというものの視点を僕たちは見つめねばならないでしょう。。。。
脱原発とか増税反対とか、いろいろ国民のためを考えた政策は評価はしなければなりません。しかし最後に改憲では民主主義や平和は守れないでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
消費増税案が参議院で可決された。
野田総理は消費増税に命だか政治生命だかをかけるとして決める政治を貫くと言っていた。
しかしこの決める政治の中身はなんだったのだろうか?
本来なら決める政治とは国民の理解を得ることである。民主党は国民の信を得た政策を捨て去り菅前総理は消費増税を言い出した。その後の野田内閣は消費増税路線を突っ走った。消費増税は社会保障の充実に使うというがその充実にはわずかな税しか使われないようである。いつの間にか国家財政を立て直すことが消費増税の目的となり、10%では足りないと言っていた。ここにはすべてにわたって国民の理解を得るということでの決める政治の努力もないしむしろ国民無視という形こそが決める政治なった。
野田内閣は真の決める政治などはやっていないのである。
それでは野田内閣の決める政治とはなんだったか。
消費増税自体は自らの変質で政策の最重要課題にもした。ここに自民党との政策上の違いはほとんどなくなったわけで、二大政党という圧倒的な数で消費増税は決まったも同然であった。しかしなぜそこで命や政治生命をかけた決める政治をことさらに強調したのか。公明党は自民党を何とかすればどうにでもなる。自民党との政局をあらわにした権力闘争なのである。この権力闘争の中でボタンのかけ違いが一番怖いわけで、これを避けることそして権力闘争を有利に運ぶことに命や政治生命をかけて決める政治を行うといったのである。一方自民党も消費税や流行りたい。法案には自民党色を出して成立させて総選挙を行い又権力を握ることが目的だった。
結局は政局に始まり政局に政治生命をかけた決める政治が行われたということである。
今後の原発の在り方も中身のないままに原発の再稼働が行われ、ここでも国民の意見を虫をした決める政治が内閣のそれも少数の関係閣僚だけで決められた。消費増税と同じ手法で行われた決める政治だった。
国会の権力は数の力である。選挙に勝てば何でもありの世界で国民への約束や国民の意思は無視されるべきものであると。これは国のためとか国民のためという言葉で自己正当化されていく。
しかし国民といっても影形の見えないものである。一般の勤労国民もいれば財界人も国民である。野田総理は幅広い国民の声を聞いて判断すると、たしか再稼働時に言っていたと記憶するが、この国民こそが財界人なわけである。勤労国民の声は音がするという程度のものでしかないわけです。
決める政治で安定的な政治が行われるとマスコミまでは称賛しているが、以上書いてきた中身として決める政治があるならば、それを称賛してどうするのでしょう。
朝日新聞の社説ではこの決める政治をある程度評価している。一方では国民生活の悪化や公共事業というコンクリートの政治の財源となることを危惧している。まずは消費増税ありきであるから今回の決める政治を評価するだろう。あとの国民生活の不安はここでも先送りされた課題となり、今の先送り政治の典型をマスコミも示しているのではないだろうか。
この後の選挙が重大であることは間違いない。消費増税が適当かどうかの判断はこれからもできるわけだから選挙で民主的な勢力を伸ばすことは重要である。しかし選挙だけに期待をしてはだめだろう。消費増税ストップの運動はできるだろう。再稼働反対もこれからが本番でしょう。決められる政治や決める政治に対抗する民主主義擁護の運動も。だんだんと今の政治と社会の仕組みが明らかになってきています。ここをしっかりと見つめていきましょう。自らの生活を見ながら。。。。
このような不平や不満を言うことに非難をする人々もいます。内部矛盾ですね。。。。勤労国民間の中の。

【2013年】ツイッターつぶやき
ツイッターやそれを通じてのブログなど、様々な課題やその視点での意見がかかれている。
今の日本はどっと矛盾が噴き出てきてその矛盾はさらに拡大されていく様子を見せています。ですから課題が大きく多くなっていきます。
経済や教育、原発問題、TPPそして改憲などなど。。。。
その一つ一つの問題点が出されるのですが、それがどうもつながっていかないですね。一人ひとりが問題視する事柄の根底には何があるのでしょうか?
ここを見つめないとつながりは出てこないでしょう。たとえば一人の人が原発について関心は持つがその他のこととなるとあまり考えない。するとその人から見ると原発問題で一致しないと批判対象になる。それは政党の動きにも敏感となって批判的になる。ここでは原発問題を例にしましたが多くの課題一つひとつの中に同じようなものを感じているのではないでしょうか。
脱原発はあらゆる層の人が不安を持ち語るが、しかし社会保障となるとその脱原発の方の中にも社会保障の切り下げには無関心だったり賛成する。そこにはこの二つの課題をつなげる基軸がないわけです。脱原発を考えたり具体的な運動をしている方は脱原発も経済的なものの中にあることにぶつかるでしょう。たとえば経済的なものが解決されないと原発のある地元の方々もそうはすんなり脱原発とならない。もちろん社会保障は経済的問題です。両方ともに経済的な課題にぶつかってそこに壁ができる。そしてその壁があることで国民の犠牲が拡大する。そうすると、原発問題も社会保障も今の経済の流れの中において共に国民の生活や命が犠牲にさせられているという共通項が見えてそれは両課題の問題点を結ぶ基軸が見える。
そのほかの多くの課題もどこかで必ず経済問題とそこからの国民生活の犠牲が見えてくるはずです。
様々な課題を政党も羅列しますが、そういった課題の羅列では力にならない。なぜ民主党が政権を奪うことができたのか?それは「国民生活の視点」という基軸を設けることができたからです。今は経済的な問題からの国民犠牲が高まり、その国民犠牲は民主主義の欠如にもあると言えます。これを基軸とするには間違いや足りないものがあることは十分承知ですが、こういった一つの基軸の下にその視点で様々な課題を結び付けていけばある一定のまとまりができるでしょう。
政党もこの国民の意見を聞けるのは我が党だけであるといったところにとどまらず、党の基本は持ちつつ広さを持った運動による結集が必要でしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターに「労働生産性革命で株価1万8000円へ」という記事がる。
たしかに労働の生産性と株価については因果関係はあるでしょう。しかし株価上昇のための労働の生産性とは何か?たしかに「すき家に見る日本的サービスの無理」(引用)というブラック企業と呼ばれる企業体質は否定をされているが、労働力不足からの労働の生産性を言う場合どうしてもコスト扱いされる賃金や雇用切り下げによって企業利益を維持するという政策や企業論理は根強くあるわけでして、これを本来の労働の生産性に結びつける方向性は新しいというのは本来の形に戻すためにはこの記事はどう理解したらよいのか?労働の生産性を上げて労働力不足を解消する?
しかしこの記事から離れて労働の生産性とはどのような結果をもたらすかを見ると、一つは商品価値の低下であり、雇用の減少とその中での低賃金化である。ブラック企業は許さないにしても企業論理は継続をされる。
企業利益の増大に株価上昇がリンクするわけですから、その中間には労働の生産性の向上による企業利益の拡大が見える。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「今、頑張れ!を言いたい人は?」
高度成長を支えた人、バブルにまでなるほど働いた人、不況期にも窓際族ともいわれた人。これが高齢者ですね。
常に結婚をとるか仕事をとるか、そして子育ても仕事もと突きつけられて低賃金に抑えられてきた女性。輝く女性はとん挫してしまいましたね。
一生懸命に働けば結婚して家を持ててどうにか退職金や年金で老後を過ごすという当たり前の条件のはしごを外されそうで、時にはブラックな働き方をさせられる若い人たち。
不信だらけの政治に小バカにでもさせられていると思う瞬間がありますね。
また戦争の道を危惧せざるを得なくなったすべての国民。。。。。。
頑張れ!といいたいです。
いや、頑張りましょう!!
国は国民が作るもので作ってきました。
これからも作り上げていくと思います。歴史の物差しは長いですが、頑張りましょう。
その中でたくさんの優れた政治家がさらに生まれるでしょう。
政治家だけではなくて知識人や専門家そして報道陣も。
もちろん国民全体が頑張れるわけではありません。
お調子者や邪魔をする人もいますが、総体において国民ですから・・・・・

【2018年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「禁忌と欲望。」が更新されました。
韓信の股くぐり。。。。。
飛び跳ねる(欲望)ことと、回転すること(忍耐)。。。
禁忌が欲望を生む。。。。
飛び跳ねないようにすることが禁忌ですが、回転しないようにするのも禁忌。
どうしようもない欲望に飛び跳ねることは禁忌を破る。欲望を忍耐で抑えることも禁忌を破ること。
結局人は自然そのものとして生きることしかできませんなぁ。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
1年ぶりに冷や汁を作りました。
わが家の冷や汁の作り方は邪道かもと思いつつもおいしいので夏は作ります。
なぜ邪道かというと、茄子を入れたいのでまずは茄子の味噌汁作りから。本来はすり鉢に味噌を入れて作るようですが、、、、、、
今夜は小松菜も入れて茄子の味噌汁を作ります。味は濃いめです。
これを洗い桶などに水を入れて冷まします。
冷めたら冷蔵庫の中へ。
具材はさっと塩茹でしたオクラ、ミョウガの千切り、さっと塩もみした胡瓜、千切り大葉、ほぐした豆腐、アジの干物を焼いてほぐしたものです。
冷蔵庫で冷たくなった那須の味噌汁に上の具材を入れて盛り付けたら分葱のみじん切りと胡麻を乗せたら出来上がりです。
豆腐とアジの干物のたんぱく質もありますし案外栄養たっぷりかもしれません。
〆はご飯を入れてさらさらっと。。。。。。
オクラのとろみがどうかなと思いましたがそうでもなくておいしかったです。

【2020年】ツイッターつぶやき
かなりやばいです。
夜10時、この時間でも室内の気温が33.7度あります。
完全に壁が熱を吸収してしまったようです。
このまま寝たらやばいですなぁ。。。。。。。
子供の頃、窓を開けて蚊帳をつって扇風機をつけて寝てましたが、その当時はその扇風機の風でも涼しく感じました。今ではエアコンの風がないとだめです。温暖化で気温が上がっているのかもしれませんが、人間の体自体が暑さ寒さに弱くなっているのかもしれません。そういえば、子供の頃炎天下で遊んでいると日射病になると注意されましたが、夜はそんなことは言われたことがなかったです。今で熱中症を夜も心配しなければならない。
10年後20年後ぐらいには夏は40度が当たり前になるのかもしれませんね。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京の重症者数が急上場しています。
確保病床392床に対して重症者数は197名です。
中等症以下の病床も確保病床5967床に対して3667人となっています。
まだ入院できるだけましで
宿泊療養 1,765 人 自宅療養 19,396 人 入院・療養等調整中 10,861 人
入院できない人が圧倒的に多くなっています。今問題になっている自宅療養者数はすぐに2万人に達するでしょう。
新規感染者数が急上昇すれば重症者数も急上昇することは自明です。政府は高齢者のワクチン接種により重症者はそうは多くならないと見ていたのでしょうが、若い人でも重症化するということがはっきりしてきました。
死亡者数はそうは増加していませんが、重症者が増加し、自宅量余が増加すれば今後増加をするのではないかと思われます。また警視庁の変死でのコロナ感染者も多く報告され数字に表れない死亡者が増加している懸念があります。厚労相自体この死亡者数の把握が困難になっています。
この東京の実態は全国に広がるでしょう。すでに沖縄県は東京以上の医療崩壊となっています。

【2022年】ツイッターつぶやき
夕方から少し風が強くなってきました。
熱帯低気圧が接近してくるそうで、接近にともない台風になるかもしれないとのことです。
日本近海で台風に発達するということはあまり聞いたことがないですが、日本近海の気温も海水温も高いのかな。
数年前、今回の台風と同じコースの台風が上陸前に西に向かったということがありました。昔からフィリピン沖で発生した台風と同じものが日本近海で起きているのかもしれません。
伊豆半島あたりに上陸でしょうか?そして東京湾上空を通過しそうです。
雨風の警戒情報が出ていないのでそうは大きな台風ではないのかもしれませんが、雨が降らないうちに3日分の買い物をしてベランダを片付けたいと思います。
何となく秋台風のコースのようですが、台風が過ぎても残暑は厳しそうです。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカのインフレの結果がどのように現れているか、賃上げもあったがインフレには追い付かず、賃上げがあれば企業は値上げをする。
インフレで物価が上昇すれば、その物価に対して格差が生じる。インフレになればなるほど格差は拡大する。
格差の拡大は、中間層を低所得層にし、低所得層は貧困層となる。
アメリカの賃金が円換算にするとすごいと思うだろうが、消費を見れば、そのすごい賃金額で何が買えるかとなる。
これは日本も無関係ではなく、悪性の物価高による消費の縮小は貧困化に結びつく。
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同じ一日 2024年秋

2024年08月10日 21時27分31秒 | 「同じ一日」
     2024年 秋

★同じ一日(8月10日)
忘れている間に立秋を過ぎてしまいました。
夜の涼しい風を求めてベランダに出ています。
秋といえば虫。
蝉、カメムシ、コガネムシそして。。。。。カマキリ。
色々な虫に頭や背中に飛びつかれています。
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「8月10日という日」

2024年08月10日 07時59分43秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
仕事
銀色夏生さんの「黄昏国」「無辺世界」「サリサリ君」が届きました。
もう17年も前に出された本ですので在庫もないかと思っていたのですがありました!これらの本は、夏生さん自身も思い出深い本のようですので是非読んでみたかったのですがあってよかったです。さっそく読みはじめました。

「話を聞かない男、地図を読めない女」
                        (主婦の友社)
     アラン・ビーズ&バーバラ・ピーズ著(藤井留美訳)
だいぶ以前に出版をされていたことは知っていたのですが、最近になってベストセラー本だと聞きそして文庫版が出たので買ってみました。
正直言っておもしろい本ではあるが最後まで読み続けたい本ではありませんでした。半分読んでやめにしました。たしかにベストセラーになりそうな本ではありますが、なんか話の種本を無理矢理に科学性を持たせたような本でそこに嫌気が出ました。
たしかにものの見方や考え方、感情の表し方等々男女間にはその違いがあると思いますし脳の働き方にも違いがあるのかもしれません。しかしそれが遺伝子に組み込まれている先天的なものか、生まれてからの社会関係からできあがるるものかとなると、著者は混乱をしています。
著者は、社会的な影響は否定しませんが、男女の違いは遺伝子的な先天的なものとみます。
動物に雄と雌という違いがあるしその先天的に持った違いはあります。ですから人間動物も同じでしょう。ですからこの性の違いは遺伝子的なものだと思います。しかしこの性の違いから社会という後天的なものも発達をしていきます。社会というと人間の国家などという高度なものを連想しますが、動物の群これも社会でしょう。細胞分裂や両性具有の原始的に子孫を残す生物、少し発展をして子孫を守るあいだだけのツガイ、ある程度まで子孫を守りつづけるためにあるいは一生をツガイとして過ごすもの。弱肉強食だけでまったく社会性のない生物からある程度の社会性を帯びる生物へと、その生物的な進化とともに脳の発達とともに社会も進化しているのではないかと思います。
本能的(遺伝子敵)に持っている先天的なものと同時に人間自らが作った社会(動物などの無意識な社会性ではなく、目的意識的に作った社会)という後天的なものから男女間の意識は生まれるのではないかと思います。

【2004年】
また関東の有名温泉街の温泉の一部に水道水だったという報道がありました。温泉ブームや集客のために掘りすぎているのでしょう。そういえば、埼玉県など、マンションに温泉付というものが増えています。以前地下水のくみ上げすぎで地盤沈下というものが問題になりましたが、大丈夫だろうか?関東平野部の温泉は1000メートルほど掘るそうです。こげ茶色の温泉です。立ち寄りの湯も増えていますがそのうち問題になるのではないかな?
昨日は長崎の原爆の日でした。あらためて犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。そんな日。。。。また原発事故で亡くなった方が出ました。
放射能の影響はなかったのは不幸中の幸いですが、平和利用にしろ、核で汚染された廃棄物を地下に埋めるなど計画されているようですが、あらためて脱原発、そして何よりも核兵器の全廃を願います。ましてやアメリカのブッシュ大統領のように核兵器の先制使用など危険がいっぱいな世の中です。今北朝鮮の核開発が問題になっていますが、核保有国の各兵器削減がないのは説得力に欠けます。また、日本のようにアメリカの核兵器があるのかないのかの玉虫色の核の抑止力も同罪です。日本国民が北朝鮮の核兵器開発を驚異と感じていると同時に、北朝鮮やアジアの国々は玉虫色の日本の基地にあるかもしれないアメリカの核に脅威を覚えるでしょう。
日本という国は、だんだんと何を信用したらよいのかわからない国になってきました。弱肉強食。。。。国の政策にも現れています。温泉のお湯にしても、安全100%の原発にしろ。。。。。弱肉強食がウソの世界を作り出している。国民の一部は殺伐とした金儲けに進んでいる。先生や警察の不祥事(公務員)。政治への不信(投票率低下)、諦め。自由主義経済の競争を否定する巨大銀行や企業の過保護(自由主義といっても銀行の国有化)。
企業の末端管理職をはじめとした今の社会で甘い汁をすすってきた人々のさまざまな面でのいいかげんさは、なんとなくソビエトや東欧の崩壊前の状態に似ているのでは?それはまず、経済の混乱として見えてくると思います。

【2005年】
暇なのでドライブ方々車で遠くのスーパーに買い物に行ってきました。
そしたら一時的に大雨。。。。
雨が通り過ぎて涼しくなりました。

衆議院解散に思うこと。。。
自民党内をまとめ切れなかった小泉さん、郵政法案が否決された小泉さん。
これは解散によって内閣の国民による審判を必要とするが、その解散と選挙の方法には条件があるのではないかと思う。
1、否決されたのは、自民党内の問題が表面化したことが原因であり、これは自民党総裁としての小泉さんの責任でもある。
2、そうならば、法案に反対した議員だけに責任をかぶさせることには矛盾があり、衆議院選挙は、自民党支持者の意思をも見ることになるので、法案に反対した議員をも公認して平等に選挙は行われるべきでは?
3、小泉さんは、郵政問題を選挙の争点にするようだが、小泉さんが郵政法案を自民党内で意思統一できれば解散などなかったのであり、ある意味では自民党の塀の中の争いが国政選挙にまで巻き込まれたものである。
4、国政選挙は、自民党内の郵政法案への乱れを問う選挙ではなく、解散理由はどうであれ、郵政問題に集約されるこれまでの小泉内閣の行ってきた「改革」の中身全体を問う選挙でなければならない。
5、だから野党や郵政法案に反対したからには造反議員といわれる議員は、争点を郵政問題だけとしてはならないと思う。同時に国民生活のこれまでの変化やこれから国民生活をどうするのかを争点にしなくてはならない。この国民民生活については、小泉内閣にとっても、これまでの改革とこれからの選挙後に何を約束するかは重要だと思う。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
梅雨の晴れ間に
                 新潮社「yom yom」2008年7月号
                  乃南 アサ  著
小品です。
それぞれに暗い過去を背負い、刑務所の中で出会った芭子(はこ)と綾香の二人の女性。
前科という過去におびえながら二人で世間から隠れるように生きる二人。
一度犯罪を犯してその罪を償ったとしても、世間という世界に生きる限りその償い、というよりも刑罰自体は続く。
ある日綾香が町内の福引で大阪旅行を当てた。
質素な生活をしていた二人にとっては出所後の初めての旅行となった。夜行バスに乗り込む二人。大阪のテーマパークで遊ぶ二人。芭子は久しぶりにはしゃぐように遊ぶ。こうして世間の中で生きていることの喜び。自分たちに前科がることをしばし忘れるような、梅雨の晴れ間のような時間。
しかし。。。
一度も来たこともない街である大阪においても。。。。世間は狭いのである。
綾香の高校時代の友人である男にばったりと会う。
梅雨の晴れ間はそうは長く続かない。
男は綾香に、故郷には帰るなと忠告をする。
しかし、人は前科というような過去を持たなくとも何かしらの過去を引きずって今の時間を生きている。男も故郷に帰りにくい事情を持つ。そして客に突き飛ばされるような今を生きている。
人はすべてさまざまな形で過去を引きずり今を生きているが、そうは毎日を生き生きと楽しく生きていることはない。
しばしの梅雨の晴れ間の空を見上げて、一瞬頭の中を真っ白にしてニコッとするのかもしれない。それが人生なのかもしれない。
綾香は翌朝元気に芭子を起こす。そんな元気な綾香も昨晩はうなされていた。。。。。
梅雨の晴れ間の光と空は美しい。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
文藝春秋9月特別号に赤染晶子さんの芥川賞受賞作「乙女の密告」が全文掲載されます。また、選考委員の方々の選評も掲載されると思うのですがこれも楽しみです。
文藝春秋の新聞広告によると、「乙女の密告」はアンネフランクリンの「アンネの日記」を題材にした作品のようですが、どうも軽いタッチで書かれているようです。
このような作品はその題材の扱いが難しいと思うのですが、その扱い方にまた著者の全人間的な重みも現れるわけです。特に「アンネの日記」という深いものがあるものですから。。。。。
さっそく買ってこようと思います。

網戸を忘れ出窓を開けておいたら

大きなスズメバチが入っていた

スズメバチも夏バテかな?(笑)

弱っていたので。。。。。。

止まったところで熱湯をかけて退治した

蜂は怖い。。。。。

子供の殺さされているので抗体ができている

刺されたら命取り。。。。。

必死の熱湯かけ。。。。

昨夜「ネプリーグ」を見た

シスカンパニーの高橋克実、八嶋智人らが主演

劇団出身の俳優は面白い

お笑い芸人のネタを聞くような笑いではなく

有名俳優の「お笑い」に合わせる笑いでもない

頭がいいというのではなくて

考えることをしている人の言葉の面白さ
       (Am9:56)

うん。。。。
人生を謳歌することはいいことです。
しかし。。。。。その程度が問題ですなぁ。。。。
程度というのはその人間の発達程度でありまして、頭がいいとかといったものではありません。
このブログにも時々現れますが、変な書き込みをしていく人がいます。
スケベ物・・・・・・
英文スパムのようなものも以前はありました。
きっとこういう人たちはこういうことで人生を謳歌しているのでしょうなぁ。
現実の社会の中にもいます。人が嫌がることをやってそれが注目を集めていると勘違いをし、それを楽しみにしている人。
たしかに人を貶めたり弱いものいじめは楽しいのであります。楽しいということでもありませんが、自己満足としてや鬱憤晴らしのために秋葉原のような無差別殺人をする日とも。こういう人たちの決まって言う言葉は「誰でもよかった」。。。。
でも、ほんとは誰でもよいわけではなくて、自分より弱くて自分は危害を受けないような相手という限定された中での「誰でもよかった」なわけです。ネットでの先に書いたような人も同じで、自分には危害が及ばないというネットの性質を利用しての一方的な自己満足、弱いものいじめの楽しみの中にいる。
だからいろいろとお話しをしても「問答無用」と、自分の楽しみ方で人生を謳歌している。
人生を謳歌する。。。。。ううう
こういう人生を謳歌する人たちへの反発が強まっていますね。
だんだんと生活が苦しくなってくると、余裕もなくなるわけですからこういう人生を謳歌する人たちを飼っては置けなくなる。天下り官僚やおいしい政府法人企業などが許せなくなる。政治家自体の給料に目が向く。。。。政治に目が向く。。。。いいことですなぁ。
でも目が向いても、またそのどうすることもできない社会を憂さ晴らしで自分より弱い人たちをいじめることでそれを楽しみにする人も増える。
役員や上級管理職に頭を殴られた中間管理職が自分の部下の頭を殴るといったようなものです。(わかりやすくした例え話です。)
自分より弱い立場にある人間を犠牲にしながら人生を謳歌する。その犠牲になった人もまた味分よりも弱い人間を見つけて人生を謳歌する。この悪循環の底辺程度が、「誰でもよかった」であり、変な書き込みをする人たちであるのでしょう。。。。
勘違いをされては困りますが、最近よく話題となる「だから実名でのブログ」などといったことを言っているわけではありません。これでは弱いものイジメはさらに加速します。
最近民主主義について時々聴いたり読んだりしますが、この民主主義がどうなっているかが問題でしょう。

【2011年】ツイッターつぶやき
新聞でも管総理の辞任表明が近いと報道している。気が早いものでは今月内に。
しかしもし辞任をするならば「これまでの自分が言ってきたことに責任を持つ」という言葉からして常識的には9月下旬の国連原子力首脳級会合に出席をして今国会で決まったことを報告をし、原発に依存しないエネルギー政策の中身を表明し提起をしてからということになるでしょう。
また、今の国会の会期末は今月いっぱいですから、解散でもしない限り今国会は自らが閉会させるのが筋ですし、民主党の代表選も間に合わないことから民主党の責任も問われるでしょう。そうすると原子力首脳級会合に出席をしてから臨時国会冒頭に解散あるいは辞職ということになるのではないでしょうか?
これを自民党は相当強く批判するでしょうが、菅おろしもあることはあるが、法案成立に向けて動かざるを得ないのは公明党とのずれから出ていることで、自民党自体も法案をこのまま不成立にもできないでしょう。
民主党内も今の時期に代表選一色というわけにはいかない。
やはり辞任があるとすれば9月下旬以降が望ましいでしょう。
しかし続投もゼロではない情勢です。今の国会内の政策的なぶつかりはほとんどない状態で、増税を制作の議論の中心にというものがあるようですが、それがどのような中身かもはっきりしません。やはり菅後の政策論争が不十分な状態です。原発問題は先送りとはできないでしょう。この問題での政策的な表明がないように思われる。
つぶすのは簡単だが新たな形を作って政策を継続するというのは難しいのではないか?
自民党も民主党も混迷することは避けられないと思います。その中で菅総理が「生き延びる」ことも。。。。。

あとは管総理の最後の踏ん張りですなぁ。。。。。ここをきちんとしないと。

【2012年】ツイッターつぶやき
たとえば、社会保障費の予算がこれまで1万円だったとする。そして税と社会保障の一体改革での消費増税が200円になったとする。国民は社会保障の充実のために消費増税は使われると理解しているわけだから、増税後の社会保障予算は、10200円になると思っている。こうなれば確かに社会保障は充実されるわけだが、どうもそうはならないようである。
5%の増税分の1%分が社会保障充実に使われ、4%はこれまで赤字国債で賄われてきた分に使われる。社会保障の充実は上の例で言えば40円は充実に当てられるが160円は赤字国債が賄ってきた分に使われるということらしい。ではこの4%160円は国の借金の返済に回されるかというとそうでもないようで、自民党が言う「国家強靭化法」関連の公共事業に回される可能性が強いということです。これが増税法案成立の先行であり、使われ方は今後の議論となるということです。
結局は少子化対策もありますから、そうは社会保障の充実にはならないのではないかと思います。また公共事業が始まる。たしかに公共事業は景気対策にはなる面がありますが、消費増税は景気対策費関連予算案としては含まれていなかった。そして公共事業は企業を富ませますがそれが雇用や派遣の緩和など国民の生活に回るとは限りません。この間景気回復と言われた時期も改ざんされていないわけで、さらに格差社会は拡大されてきたわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
機能昨日も書きましたが、消費増税も「社会保障のためにすべて使う」といったものがいつの間にか国家財政の健全化や景気回復のために使うとその位置づけがすり替えられたり気付かないうちに修正される。この中で国民は消費増税化社会保障かというものに騙されながらさらに社会保障から離れた消費増税を考えさせられるようになる。
このような論理のすり替えや知らぬ間の修正というのが今の政治となっている。
国民の政治離れも期待を持たされては裏切られたり、いつのまにか話が違うではないかという実態にあるでしょう。
高齢者の雇用や賃金を減らせば若い人たちの雇用が増えて賃金も上がるといった論理も今では高齢者は我慢して若い人のためにという方向に。しかしこの期待も最後は高齢者の貧困化と若い人の貧困(低賃金化)の継続でしかない。ここにも論理のすり替えと知らぬ間の修正そして期待と裏切りがある。
原発事故への復旧や支援も「食べて応援」的なものに論理はすり替えられる。
集団的自衛権が問題になっているが、それを解釈改憲で行うか改憲で行うかが、議論になり集団的自衛権自体についての賛否の議論がなくなる。
こういった政治の流れが今の日本の実態ですね。

【2014年】ツイッターつぶやき
「朝日新聞はいかに放射能デマを拡散してきたか」と「田上長崎市長は集団的自衛権を言うなら国会議員になったほうが良い」という二つの記事を読んだ。
今の社会はデジタル化が進んでアナログ人間などというと古い人間のように見られかねない。
白か黒か、1か0かを瞬時に結論付けるにはデジタルのほうがよいが、1か0かでは決められないで1か0のどちらに可能性があるかなどといった判断にはアナログ的な結論付けが必要である。階段を登るか坂道を上るかの違いといわれるが。
こういったデジタル的かアナログ的かを見るときに思考方法もまたこの両者に分かれてくる。
ネット(ツイッター)などを見ているとどうもやはりデジタル的です。テレビというのも同じかもしれない。書物や新聞などはやはり思考的にもアナログ的です。
もちろん1か0かの結論はデジタル的思考でもアナログ的思考でも出します。しかしその結論は一つの今現在の帰結点であり、その先には修正された形での結論が連鎖していきます。これは人間の科学をはじめとした学問というものすべてが過去からの修正を含めた連鎖の中で形作られて現在があります。この歴史はやはりアナろう的思考から生まれるものでしょう。デジタル式に1か0かかといった結論付けをした場合、0(間違い)と判断した場合はそれが最終的な結論とされてしまう危険がはらんでいます。アナログ的思考ならば、現段階としては0(間違い)に近いから一応0と判断されますが、しかし完全な0ではないことを見ますので現段階の結論を修正する思考方法が残ります。その中で1に近いものが出てくれば修正がききます。
この思考方法の違いが上の二つのリンクした記事にみられるのではないでしょうか?
原発事故での健康への影響はデジタル思考ではあるかないかという1か0で結論付けされてしまう。朝日新聞の記事のように健康への影響が1か0かの間におかれている場合それは批判対象になってしまう。このあいまいさを批判する中でデマだという結論付けもされてしまう。朝日新聞の慰安婦問題の一部撤回というものを1か0かで判断してしまい0という結論に導く。
長崎市長の集団的自衛権に関する発言も核兵器根絶の趣旨から外れるから批判する中で0(否定)にしてしまう。しかし今現在も核の先制使用を放棄していないし核の傘で同盟国を守り、イラクでは劣化ウラン弾という核兵器を使用したのではないかといわれるアメリカとの同盟をさらに深くして日本も参戦してしまう可能性のあるものですから長崎市長としても発言できる中身なわけで、それは1か0かではなくて1に近い発言ということになります。
この両記事は、朝日新聞の0という全面否定でもあり、市長が集団的自衛権に言及してはならないとという面での0を求めるものでしかない。
しかし問題なのは朝日新聞なり市長発言を0にしたうえで自己の考えを完ぺきな1にしてしまうことである。これもまた0か1か脳(デジタル脳)の陥りやすい論理の組み方となってしまうことにある。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
集団的自衛権により日本が戦争に巻き込まれないかという危惧があったと思う。しかしそのような危機はないだオルトいう軽い解釈ではじまってしまったように思う。
しかし北朝鮮によるグアム周辺へのミサイル発射に対して集団的自衛権によって撃ち落とすことができるという防衛相の見解があったらしい。そしてこの撃ち落とすことによる核の日本への影響や、サリン等の化学兵器の影響もないという事を示した。
パトリオットの性能が高まっているらしいが実践となるとどうなのかという危惧は残っている。撃ち落とせなくてミサイルがグアムに向かうなら日本への影響はいでしょうが、撃ち落としたにしょ失敗したにせよ、日本は北朝鮮に対して戦闘行為を起こしたことにならないだろうか?予想される最悪の事態は、ミサイルを撃ち落としたことによる北朝鮮の標的がまずは日本となりかねないという事です。
やはり集団的自衛権は戦闘行為に入らざるを得ない状況を作り出してしまうことになると思います。

【2018年】ツイッターつぶやき
ロイターに気になるニュースが3つありました。
日銀の枠組み強化でアベノミクスは風前の灯火
『アベノミクスは瓦解の危機にあるのではないかと考えている。それは安倍政権が続いた場合でも、先行きには大きな不安があるということだ。 』(引用)副作用と円安の悪性の物価高は経済を混乱させる。
市場は混乱の秋か、ボラティリティー記録的低水準
個人消費は預金の引き落としと借金で。これも輪ゴムは伸び切っている。
国債発行増を察知か、日銀政策修正の本音
日銀は財政ファイナンス化か。
アベノミクスの成果は株高と企業利益増。しかしこの成果が経済の好転を産むはずもなく、結局は株価下落と企業収益減につながっていくでしょう。しかしこれがソフトならまだよいほうで、ハードなら大きな混乱が。

【2019年】ツイッターつぶやき
毎日猛暑が続いています。
残暑厳しい初秋。。。。
最近西日が強くなり火であぶられたような暑さ、いや、熱さです。
6月から7月初めまではずっと雨が続いて日照時間が少なかったのですが、今は雨が降らない。
根の浅い低木の葉っぱが茶色くなってきました。
厳しい西日に照らされて雨も降らないのですから大変です。
台風が来れば災害が心配ですが、台風10号も西の方へ行くようです。
しばらくは東京もまとまった雨がないかもしれません。
ご近所に救急車が多く来るようになりました。お年寄りの世帯が多いですからこの旱は人間にも厳しいですね。
今までエアコンはあまり使わなかったのですが、毎晩エアコンを28度から29度に設定して点けっぱなしで寝ています。

【2020年】ツイッターつぶやき
全国的な感染拡大の中、お盆休みがはじまり三連休が終わりました。
国と自治体の対応にばらつきが出ましたし、都道府県単位でもその中で対応のばらつきが出ました。そして政府内においても対応が二転三転することも。
政治がこの状態ですから、国民はどう判断したらよいのかわからなくなっていました。
日本社会全体が右往左往しながらばらばらに行動が起きていたのではないかと思います。
全国的な感染拡大と都道府県別に出された自粛の中、やはり多くの国民は感染品様に行動を自粛していた人が多いと思います。その反面コロナなんて風邪のようなものだ、それより経済が大切だろうと積極的に動き回っていた人もある程度いたようです。
この中で三連休が終わったのですが、混沌とした社会全体の動きが感染拡大の縮小に向かったかさらなる拡大に向かったか、この判断はすぐには出ません。また、16日の日曜日までは五月雨式に盆休みが入りますから9月に入ってからどうかですね。
感染拡大防止に動いた国民が相当多いなら感染は縮小しますし、積極的に動く方が少数でもその動きによっては(三密を避けるなどの感染拡大防止をあまり気にしないなど)また9月に波が来るかもしれません。
結局はGo Toや帰省を個人に任せることが危険だったことは確かです。

【2021年】ツイッターつぶやき
新型コロナ対策本部と厚生労働部会の合同会議が開かれた。
自宅療養での死者数について「把握できていないケースがたくさんあり、網羅的には把握していない」と述べた。
「肺炎症状のある人は、原則入院」と答弁した点について、方針通りに患者が入院できているのかと問われると、厚労省は「『そうだ』と答えられる材料を持ち合わせていない」とも述べた。
以上引用(朝日新聞)
もう、国家の体をなしていない。
というのは民主的な国民主権の国家の体をなしていないという言うことです。
しかしもちろん日本国家というのは存在をしている。
その国家像というものが国民主権の国家ではないということである。
オリンピックという国家の威厳を示すものに国民は動員をされ、その裏では上記引用したような国家となっている。
安倍政権時から日本は自己責任国家となっていました。国民は国家のためにそして国家は国民のためにあるのではなく国民は自己責任で生きていかなければならないという国家像は出来上がってきた。そしてコロナの感染急拡大の中、国民は自己責任で自分の命は自分で守れとなった。
不要不急の外出(県をまたいだ)の自粛を緊急事態宣言と絡めて発動されている。これも自己責任の論理であるし、医療の逼迫も医療従事者の責任とされている。今の国家は検査の拡大とコロナ病床の増加を行うことはない。新型コロナ対策本部と厚生労働部会の合同会議で立憲民主党からは「東京五輪のメディア関係者向けに借りられた150棟の民間ホテルについて、「空室になる可能性があるホテルを療養施設に転用してほしい」と要望した」(上記朝日新聞)しかし検討がどこまで進むかははっきりしない。
国民への自己責任にという自助あるいは共助は言うが、公助は行わない。

【2022年】ツイッターつぶやき
7日が立秋で七十二候では「涼風至」
東京は今日も最高気温が35度を超えました
夜になっても部屋の中は31度です
でも、風呂上がりにベランダに出たら涼しい風が
たぶん気温は25度以上あるのでしょうが風は涼しい
少しづつ朝夕の風が気持ちよくなっていくのでしょう

【2023年】ツイッターつぶやき
内閣支持率が26.6%まで下がったようです。
不支持が47.4%
マイナカードの個人情報が問題になっていますが、全数を再調査するとはいえまだマイナ保険証でトラブルが。これでもごり押し。
数の力のおごりが出ているのでしょう。国民に向き合うそぶりも示さない。
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2024年 8月 9日(金)「地震」

2024年08月09日 21時53分38秒 | 「思うこと」
昨日は宮崎県で震度6弱の地震がありましたが、今日は神奈川県で5弱の地震がありました。
宮崎は南海トラフで神奈川はフィリピンプレート?で関東大震災関連ですから関連性はないと思うのですが、南海トラフは静岡県の東部まで伸びていますからなぁ。
岸田さんが会見して外出はどんどんしてお盆休みに経済活動を止めないよう必死でした。
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「8月 9日という日」

2024年08月09日 07時55分08秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
昨日は宮崎県で震度6弱の地震がありましたが、今日は神奈川県で5弱の地震がありました。
宮崎は南海トラフで神奈川はフィリピンプレート?で関東大震災関連ですから関連性はないと思うのですが、南海トラフは静岡県の東部まで伸びていますからなぁ。
岸田さんが会見して外出はどんどんしてお盆休みに経済活動を止めないよう必死でした。

≪過去の記事≫

【2003年】
仕事

【2004年】
ハハハ・・・呑んできました。。。。

【2005年】
妻と芝居を見てきました。北鎌倉以来のおデートでしたぁ。
帰りに焼き鳥屋で1杯。。。ビールのあとにウーロンハイをたのんだのですが、それがいくら待っても出てこない。もういいやと思いお勘定にしてもらったら、まだウーロンハイ出てませんでしたよね。。。?と。どんよりして「もういいよ」と言って出ました。
飲み物ぐらい早く出てこないとね。。。
飲み足りずにストレスを感じてしまった。。。。ストレス発散の場の飲み屋のはずなのに。。。出てから思わずレシートにウーロンハイが入っていないか確認してしまった。後味の悪い飲み屋って案外あるもんです。

【2006年】
早朝、何時ぐらいだったろ?
強い雨の音で目が覚めてしまいました。
台風は房総半島をかすめて行きました。太平洋沖から小笠原諸島経由で関東に向ってきて房総半島をかすめる台風は、そうは東京には影響ないのですが、今回の7号は、紀伊半島沖合いから伊豆半島を通ってくるような珍しいコースでやってきました。このような時は、やはり台風の東側が暴風となるということから東京も大雨が降ったようです。
それにしてもすごい右旋回の台風でしたなぁ。。。。
駅からの帰り道、歩道のない商店街の道を足の不住なお年寄りを連れた多分娘さんかと思いますが(それでも40代ぐらいか)道のほとんど真ん中をどこまでもゆっくりと歩いていた。もちろん車はクラクションを鳴らしながらよけて追い抜いていく。意地悪でクラクションではなくて危ないからだと思う。僕は歩いて追い越していったけど、その娘さんらしき人は、優しいまなざしでお年寄りと歩いていた。車のクラクションなんてまるで気にしない。。。。
なんだかなぁ。。。。
お年寄りがゆっくりと歩けないような道路事情もあるけど、もう少し端を歩けばいいのに。。。。そうすれば車もクラクションなどは鳴らさないはず。
車は、歩行者や自転車、体の不自由な人や子供などを保護しなければないのだが、保護されるべき人も意のままに行動しても良いということではないだろう。自転車のマナーの悪さが問題になっているけど、相当ひどい奴もいる。赤信号を悠然と無視をして走って来る車をにらみつけている中学生。。。。ううう

「レクイエム」
                           文春文庫
                篠田 節子  著
人の死をテーマにした短編集です。
辞書によれば、
レクイエム=鎮魂=死者の魂を鎮める
と、ある。
正確な引用ではないが、漱石の言葉に「人は喜劇を演じる。死だけが悲劇である」というのがある。映画や芝居の中にも笑いの中に涙があるというものがあるが、喜劇があるからこそその裏には悲劇があり、人の人生も様々なことに右往左往して生きていくのだが、その最後はやはり死という悲劇である。
「レクイエムは、こんな人の人生と死を描く。
篠田さんは、「文庫版あとがき」の中で次のように書いている。
「作品を1作ごとに気分を変えつつ読まれ、全体のテーマを感じとっていただければ、たいへんにうれしい。」
この人の死というもののとらえ方は、様々あると思うし、死に方にも様々な死に方がある。天命を成就してあの世にも行けば、病気や事故での死もある。自殺もある。そして戦争やテロ、公害や薬害などでの死もあれば、経済的な理由での死もああり、それは社会的なものからの死もあるわけである。篠田さんの「あとがき」にある「全体のテーマ」は死であると思うが、その人の死は、社会的な理由からの人の死であろう。
「鎮魂」という言葉には難しさがある。
聖徳太子一族と法隆寺、菅原道真と太宰府天満宮と、説によっては無念のうちに滅びた(死に至った)魂を鎮める行為が昔からあったようだが、鎮魂という言葉からは、安らかな死は見えてこない。何かしら誰かしらからの、または意識できない力やどうすることもできない力によっての死。。。そのような中での死者を悼み、安らかに眠ってくれというような今を生きる人々の複雑な気持ちが鎮魂なのだろう。
どろどろと流れる社会の流れ。その社会の流れの中で犠牲となった人々がいる。社会自体がその人を殺したということでなくても、経済関係の中での貧困や会社の倒産や借金などの中での死などのシステム上の間接的な死もある。そして戦争があるだろう。このような人々の死に対しての鎮魂が「レクイエム」という作品である。
その特徴的な短編が、「帰還兵の休日」と、表題作でもある「レクイエム」だろう。
「帰還兵の休日」は、住宅販売会社に務める菅本と、菅本が通勤時に通る河川敷の中州に住み着いた3人の老女の物語である。
3人の老女は、菅本の会社で建てた免震マンションの敷地に住んでいたが追い出されて河川敷に住むようになった。そして一人の老女の死。
「レクイエム」は、第二次世界大戦中にパプアニューギニアの戦地で九死に一生を得て帰還した叔父一蔵とその姪洋子との物語である。
洋子は、死の近づいた一蔵から死んだら片手をパプアニューギニアの土に埋めてくれと頼まれる。戦争中の誰にも言えないような状況。。。
そして一蔵は死んでいく。
どちらもが、社会的な状況からある意味犠牲となった人たちの死を扱う。
この他の「彼岸の風景」「ニカイカナイ」「コヨーテは月に落ちる」「コンクリートの巣」も、それぞれに古い家制度、偶然性の中にある必然に支配される経済、核?社会の中の孤独?、家庭内の虐待と、それぞれの社会的なものを背景として人の死を見る。
この意味では、この短編集は社会性のある目で見た人の死を表現したものといえるだろう。
しかし、そこで表現される人の死は、社会の影に隠れてひっそりとした死であり、やるせなさが残る死である。社会派小説のように、直接に社会の矛盾を訴え、そこで死んでいく人々の死の悲しみを単純に表現した作品ではない。この作品においては、社会の動きは厳然と存在している(していた)ものであり、個人はその社会の中に翻弄されやるせない中に死んでいく。社会的な喜劇の中にひっそりとした人の死と言う悲劇がある。死という悲劇は、死にゆくときは一人であるという意味においてまったくの個人的なものであり、今を生きる人々はやはり喜劇である社会の中に生きざるを得ない。
悲劇の中に死にゆく人の心はその人が墓場に持ち込む。だから鎮魂というのは、今の社会の中に生きる人々が持つ心であり、今の社会に生きる人々によってとらえ方も違い、そのとらえ方によって意味づけも違ってくる。ここに時にはやはり喜劇が生じるのである。
「帰還兵の休日」では、菅本は自分が勤める住宅販売会社のマンション建設によって追い出された老女の死をどのようにとらえたか?作品では、老女の河川敷の生活をどこか美しいものに表現され、その死はひっそりとした作り上げたウソの過去の中に自分をおいた安らかささえ感じる。その中において、菅本にとってはどこか自然災害で死んでしまったというような感覚を表現をし、菅本は、またバブルを夢見て何もなかったかのごとく働き出す。ここに喜劇が無いだろうか?
「彼岸の風景」での泰浩の父が、息子の死に際しても古い家制度にこだわる中に喜劇は無いだろうか?
鎮魂というのは重い心の働きである。しかしときにはここにも喜劇は生じるのである。
篠田さんは、この喜劇をまず描いたのではないか。
作品は、大見出しとして『時の迷路』『都市に棲む闇』として作品をわけ、最後の「レクイエム」を『そして、光へ』として独立した作品とする。『時の迷路』 『都市に棲む闇』は、先に書いたような意味で喜劇である。「レクイエム」において『そして、光の中へ』と、ある種の「救い」としての篠田さんの思いが表現されているのかもしれない。
最後の短編「レクイエム」においてのこの「救い」とはなんだろうか。
一蔵が戦地で九死に一生を得たのは、観音様の腕を食べたからだと。。。。
この観音様に救われたことが復員後の宗教活動として受け入れられもする。しかし死期の近づいた一蔵は、宗教団体からはなれて自分の片上出をパプアニューギニアの土に返して芋の肥料にしてくれと。ここには深い心の傷がある。
現実を直視すること。美化をしないこと。心をごまかさないこと。
死期に近づいた一蔵の心の中に去来したのではないか。
一蔵の心を知った洋子は、、、、
ラストは、形が変わったとはいえ、一蔵の思いへの「救い」となり、洋子の一蔵への鎮魂だったろう。
死んでしまった人は帰ってこないのだから様々な形としてしか鎮魂の心は表現できない。でも、この形だけで済まそうとすればどこかに自己満足的な淋しさが残る。現実を直視すること。美化をしないこと。心をごまかさないこと。残された人々が心を見つめること。ここが大切なのだろう。様々な社会現象の中での人の死。これを繰り返していく中に喜劇が生じる。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊3面に日本国債の保有者割合が出ていました。
今までも時々調べたりしていたのですが、やはり銀行や証券会社そして生命保険や損保会社が圧倒的に多いですね。
日本はデフレと言われていますが国債を買う金は豊富だったということでしょう。この豊富さは銀行などが投資先を見つけられない中に国債を必要とした面もあるのではないでしょうか?
日本はデフレではなないのでは?デフレとして現れているのは、国民生活(個人消費)に現れているのでしょう。もちろんこの個人消費の落ち込みは、商業に不況を引き起こしそれは製造業に移りそして投資先の少なくなった金融に反映する。
この悪循環が一方には金があまり一方には金が少なくなるという摩訶不思議な現象として現れるのが現在のデフレではないでしょうか?国の財政政策は、ゼロ金利のようにまず銀行を通して企業に回される。その企業が生産拡大をして賃上げや雇用増などの景気が上向くことを目的とするのでしょうが、最終的な消費段階としての個人消費がままならないのですから結局は金が銀行や企業に吹きだまってしまう。
国債購入という余った資金の投資先がアメリカの株安やドル安そして国債の問題からも日本国債にも不安が出てくる。
今や国債が金融恐慌の引き金にも?もしそのような金融恐慌が発生をしたら国家がまず前面に出て財政政策ができなくなるでしょう。国家地震が破たんをする。アメリカでこれが起きたら世界経済は破滅する。
今、とんでもない危機が起こりつつあるのでしょう。
ここでいろいろな財政政策が必要になるわけですが、もう小手先のものでは通じないのかもしれません。そこで上にも書いたようにどのように個人消費を伸ばすかがまず考えねばならないこととなります。これはある意味国民生活の向上となるわけですから、国債の信用を維持するにも財政再建のためと大衆課税を強化したら更なる矛盾が広がるでしょう。国家は衰退をしていきます。歳出の削減も求められてきますが、これも福祉関連や労働関係などの予算を減らしたらやはり同じことになります。
先進国が抱える矛盾は、これまでは考えもつかなかった国民生活に重点を充てた財政策とならざるを得ません。子のためにまた「財源は?」として増税をすることは許されないでしょう。日本は被災地の復興や原発事故処理のための財源という特殊性を持ってしまいました。これもまた増税としてやられようとしています。そうではなくて放射能問題の解決としても予算の10%程度は有無を言わさずに予算配分しなければならないでしょう。その他雇用問題や高齢化社会などの問題が山積みです。これも率先して予算化をしなければならないということです。
このような個人消費あるいは国民生活維持のための予算編成から国内の景気回復を考えるべきです。それは国内消費型経済を浮かび上がらせるでしょう。ここに企業が生き延びるひとまずのステップとすべきです。幸いに日本国債はほぼ国内だけで引き受けられているし、いろいろな黒字部分があり貯金もあるはずです。それをうまく利用すべきでしょう。
今や企業を守ることが国家(国民)の責任だという論理は通じなくなってきました。企業は国家の中でどのような役割を果たして国民生活を向上させるシステム的な物を持つ米価が議論されなければなりません。それが資本主義を維持して企業活動も維持されることになるのではないでしょうか?今までの経済政策や市場原理や金融政策などは通じなくなっています。新しい資本主義らしくない資本主義が求められるでしょう。そこには強欲やギャンブルは邪魔になります。意識改革も必要になるでしょう。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
消費増税が民自公により明日にでも可決されそうである。
国会内の勢力関係は、菅前総理への消費増税路線の転換から急速に増税路線という意味では民主党の変質が強まった。右傾化の流れが強まったということでもあるといってよいでしょう。
消費増税は自民党はもちろん進めたい政策だったわけですから、民主党が変われば消費増税は決まったも同然なわけです。
しかし、消費増税を進める二大政党ですが、政権を握るという意味では激しく対立をします。ですから野田総理の「決められる政治」は、この政権争いを乗り切るということ以外には意味は存在しないでしょう。消費増税法案の中身はそうは違いはないわけですし、多少の違いは民主党が自民党案を丸呑みにすればいい。
消費増税案のへの批判はもちろん数の力で抑え込めます。
民主自民の最大の政局のぶつかりは、民主党はなるべく人気まで解散はしないとするが、自民党は早期に政権を取り戻したいのですから民主党の混乱と民意が離れた今を絶好のチャンスとする。それで手打ちをしたのが、野田総理が行っていた「近い将来」の解散から「近いうちに」の解散というどことなく言葉遊びのようなもので決められた。
民主党の野田代表と自民党の谷垣総裁にどのような働きかけがあったのでしょうか。この働きかけをした人がいたとすれば、消費増税案をとりあえず成立させることを強く希望する人でしょう。あとは政党間の政争に任せればいいのであり、どっちに転んでも保守勢力が政権を握る。邪魔な小沢は出て行ったし。働きかけというものがなかったにしても得する人はいるはずです。財界のように。。。。
消費増税が可決されたのちは「決められる政治」がまた政権目的で崩れ去ってさらにひどい混迷した国会となるのか、野田総理がが言う消費増税後も「決められる政治」を維持するのか。前者の場合は政党の再編成というある意味活気ある政治が生まれる可能性はありますが、後者の場合は二大政党制の崩壊に近い二大政党のなれ合いの中での一党制に近い政治が動き出すでしょう。そして国民生活は「決められる政治」で今以上に疲弊を深めるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
民主党政権時、消費増税が言われはじめたときには、消費増税はすべて社会保障費に回すと言っていたと思います。僕の記憶では、もし記憶違いなら後程訂正しますが、安倍政権が発足したときも同じような意味合いの言葉があったと思います。しかしこの安倍政権は、野田政権から引き継がれたものですが、野田政権でこの消費増税の使い道が修正されて安倍政権の位置づけと当初はなったように思います。野田政権の消費増税の使い道は社会保障費とともに国家財政の健全化を言うようになったところにあり、これが消費増税の使い道の修正です。修正と言ってもはっきり説明された修正ではない。安倍政権は同時に経済の成長とデフレ脱却をその政策の柱としてアベノミクスを掲げましたが、その政策の一つが公共事業であり消費増税は様々な使い道も検討され始める。日銀の量的緩和が入りアベノミクスが本格化していく過程に、政府は量的緩和を日銀にせまりそれは日銀法の改正をちらつかせながらだったでしょう。日銀は政府に国家財政の健全化を約束させる。
国際的にも日本の財政再建がIMFやアジア諸国からも言われ、見方によってはアベノミクスへの一定の理解(円安誘導への懸念はあるが)を示したのでしょう。ですから財政再建は国際公約のような形になった。
財政再建には何が必要か?それは法人税の減税をやる一方での消費増税である。
ここに消費増税は財政の健全化と経済の立て直しぬ使うというものが定着をしてしまった。もちろん社会保障は捨てると露骨には言えないので、野田政権と同じように子育て支援的なものを追加したのみである。それも高齢者への社会保障を若い人にも回すといった論理での政策ですし生活保護費の削減でもあります。
マスコミもこの社会保障に使うといったものから国家財政や経済の安定に使うという変化を大きく取り上げていないのではないでしょうか?
ですから消費増税はすでに10%では足りないと言われ、25%だとも言われる。こうしないと国家財政の悪化は防げないと。
消費増税の使い道がこれほど変化して社会保障には回らないことが見えてきていますから、増税への国民の理解は得られないでしょう。
同時に経済面では、日銀は消費増税は「デフレ脱却と両立する」という見通しを出した。
消費増税は国家財政の健全化と経済の立て直しに使い道を修正したが、アベノミクスでの経済への波及効果が国民生活には反映されず逆に格差と貧困化が進むのですからその上消費増税が行われれば大衆消費財の消費は悪くなる。そこに経済の立て直しへの危惧が出ている。これに対して日銀は「デフレ脱却と両立する」と消費増税を促したわけです。日銀にしてみればこれ以上の量的緩和をやれというなら消費増税も政府はやれということでしょう。
ここでもすでに消費増税の使い道の修正をしたものの新たな自己矛盾が政府にも出てきたということでしょう。
日銀の主張には無理がある。デフレ脱却と両立すると言っても物価が上がるのは経済の健全化の中でではなくて自ら行った円安誘導のマイナス面での輸入品目の値上がりによる悪性の物価上昇を脱デフレと位置付けているだけである。逆にこんな財政政策では後にもっとひどいデフレ傾向を産むだけでしょう。
消費増税を社会保障費にすべて使うといったものにも反対すべきですが、さらにひどい政府や日銀の政策からの増税にはさらに大きく反対せざるを得ないでしょう。
消費増税にこだわるなら、この間何度か書いてきましたが、労働力を買ったときにも消費税を入れるべきなのです。賃金消費税です。賃金に5%の消費税をかける。労働者にはこの受け取った消費税分をある程度益税にする。苦しい零細企業などには還付する。今、一番アベノミクスで利益を得ているのが企業や銀行や証券です。その利益を国民(労働者)還元すべきなのであって、それには賃金消費税しかないのです。それが消費にもつながり将来は設備投資を促すでしょう。それは本来の意味においての経済の立て直しですし企業の実態的な利益を生むでしょう。そこに国は適切に法人税をとれば財政再建になる。

【2014年】ツイッターつぶやき
黒田日銀総裁は記者会見で「物価に重大な影響を与える要因に動きがあり、目標達成にリスクが生じれば、「当然金融政策の調整は行う」と述べ、成長率が今後大幅に下振れた場合などに追加緩和を行う可能性を示唆した。 」そして「何か、円の為替レートが円高になっていかなければならない理由はないと思っている。それがまた、日本経済にとってマイナスになるということもない」と語ったという。(以上ブルームバーグ『日銀総裁:目標達成にリスク生じれば当然、金融政策の調整行う』より引用)
日銀の金融政策の目標と責任は物価の安定(物価上昇)であり、その金融政策は量的緩和の継続と円安である。政府は本来自分の仕事である経済の成長に必要な経済政策を日銀をも動かして行ってきたのだが、経済成長の鈍化に日銀が責任を持てるのは物価と円安だけである。その点では日銀と政府の経済政策に「ずれ」が生じても不思議ではない。
このずれが大きくなってきて経済全体のジレンマを生み出してきているのかもしれない。
政府の成長戦略は円安による物価上昇と消費増税による個人消費を減らしている。そしてそれは企業の設備投資への足かせともなり、思うように輸出は増えずに貿易赤字や経常収支の赤字を生み出している。
『「(リポートの)『自己負担の限界』という見出しにも表れるように、海外収益が円安でかさ上げされるという効果を踏まえても、もはやこれ以上の円安は企業にとってコスト増大要因であり、損益分岐点を超える話になるという事情も透けて見える」(唐鎌氏)という。』(ロイター「一段の円安警戒する日本企業、迫ってきた「損益分岐点」」より引用)
日銀は物価上昇そしてそのための量的緩和を追加するともいう。一方では企業はこれ以上の円安(105年まで)は「企業にとってコスト増大要因であり、損益分岐点を超える話になる」という。GDPは落ち込んできているしその経済成長の鈍化は本来の意味においての物価上昇は起こらない。もちろん円安と消費増税の価格転嫁による悪性の物価上昇は続くのでその悪性の物価上昇も企業をもむしばむ。ここに経済全体のジレンマが生じる。
この矛盾は経済が落ち込んで来れば日銀と政府の対立ともなるかもしれない。日銀の量的緩和の政策変更が行われればそれは出口論となるでしょう。また日銀が悪いで総括されるのだろうか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターでのある方との対話での僕が書いたものを集めてみました。

円安誘導による食品や原油の値上がりが「悪性の物価高になり、この物価高がデフレ圧力になっています。」という事で、これでは経済の好循環は生まれずにそこからの日銀や政府が目標とする2%の本来のインフレという物価上昇もないという事です。常に物価を下げようとする力が作用するでしょう。
経済の好循環もなく、円安誘導による食品や原油の値上がりという「悪性の物価高になり、この物価高がデフレ圧力になっています。」という事です。本来の経済の好循環そして経済の過熱によるインフレとは違うという事です。
あなたはデフレとは物価が下がり続けるという現象面の一面だけを見ているのでは?するとデフレからの脱却は短絡的に物価をことと。だから自国通貨である円の価値を下げて輸入品が値上がりして商品価格が騰がればそれもインフレと。この悪性の物価高と経済の過熱からの本来のインフレと混同してしまう。
社会全体の生産性が高くなることにより商品は安く生産される。ですから物価は下がるのが当たり前です。これでは企業の利益が下がるわけですから不況となる。問題は物価が下がることではなくて企業利益が下がるという「不況」が問題なのです。実は「デフレ不況」からの脱却が問題なのです。
僕には経済学の講義はできませんが、一つ言えるのは、企業は利益拡大のために生産性を向上させる競争を行います。その生産性の向上はより少ない労働力でより多くの商品を生産します。必然的に商品の価格を下げる方向に向かいますね。こうした生産性の向上が社会全体に起きると全体的に物価は下がります
(続き)商品の価格が下がると生産する商品量が変わらない場合は企業の利益が減りますね。そこで生産量を増やすわけですが、同じ商品を生産する競争相手の企業も生産量を増やします。すると商品市場においての商品量が多すぎるようになります。企業はひどいときにはたたき売りを行って売ろうとします。
(続き)こうなるとさらに物価は下がっていきますね。一方、物価が下がれば勤労者の購買力は上がるのですが、企業は生産性の向上により労働力の節約を行います。失業や賃金の引き下げを行います。せっかく安い商品が販売されても消費意欲は減退をしていきます。ですからさらに企業はたたき売りを。
(続き)ここにきてデフレが問題となります。一口にデフレといいますが、以上見てきたように単に物価が下がるだけではなくてそれに必ず付随して不況が伴います。これが今問題になっている「デフレ」なのです。
物価は下がる傾向を示すが物は売れない状態。個人消費の減退はさらに物価を下げる圧力となりますね。そこでアベノミクスが行ったことは、物価を上げることと商品の消費を拡大するために市場においての貨幣量を増加させることでした。物価は先に書いたように通貨安からの悪性の物価高。
(続き)そして貨幣量は当座預金と企業の内部留保と株式市場など市民生活に直結しないで、逆に庶民生活は苦しくなり、結果は富の再配分が低いところから高いところへと移動してしまった。1%と99%の格差社会です。貨幣は生産のための資本に転嫁しないで吹き溜まっているのです。
(続き)アベノミクスは逆立ちをしていたのです。デフレ不況時には、貨幣量は不足していたのではなくて吹き溜まっているのですからいくら貨幣量を増やしても駄目なのです。貨幣量を増加させるのではなくて一定の貨幣量を同市場の中でより早く回転をさせるかを見なくてはいけなかったのです。
小麦の価格は円高と円安とでは関係しますか?答えは「はい」ですね。この円安を円安誘導として行ったとすれば、小麦の値上がりをどのように感じますか?その小麦を消費する一般庶民にとって良いことですか?
安倍内閣でも管制の賃上げを行いましたし、新しい内閣でも賃上げを呼びかけています。内需が安定しなければ経済の好循環も生まれないという事です。その中での悪性の物価高は矛盾するでしょう。農家の方は関税が問題ですね。工業生産物を輸出するための関税の軽減とオレンジの関税軽減もありました。
牛丼1杯の価格が社会のデフレ状態を表すことがあります。
物価を決めるのは最終的には商品の価値です。価値低下をすれば必ず商品の赤くも低下していきます。
昔デフレといえばカネ余りだと言われていました。貨幣が退蔵されて動かないと貨幣量が足りないと勘違いをしてしまいますね。

【2018年】ツイッターつぶやき
糸こんにゃくでタヌキ麺をつくりました。
ご飯の横にお汁代わりの一品として。
糸こんにゃくは良く茹でて荒熱をとったら冷蔵庫で冷やしておきます。絶対氷や水で冷やさないこと。。。。。。
トッピングはタヌキそばと同じです。
ワカメ、きゅうりの千切り、ハム(今夜は残り物の蟹蒲鉾)、揚げ玉、長ネギでした。
紅ショウガなども合うと思います。
ご飯の量をひかえることができますからヘルシーです。

【2019年】ツイッターつぶやき
8月6日は広島の原爆の日でした。そして今日9日は長崎の原爆の日です。
二度と核兵器が使用されないよう祈ると同時に、原爆の使用も戦争も多くの国民が平和を守らなければまた戦争が起きて核兵器も使われる危険性が出ます。
今の日本は一部に戦争賛美あるいは戦争も仕方がないという動きが大きくなっています。そして政治では改憲に必要な議席数がかいけんが三分の二以上になりそうです。もちろん改憲の中心は9条です。
平和は空気のように当たり前にあるような錯覚をしますが、戦後70年以上戦争をしなかったのは平和主義があったからです。
アメリカに人気ドラマで日本でも放映されているドラマがあるそうです。その中の一つにセリフに「nagasaki」があり、翻訳をすれば「破壊」だそうです。「ナガサキする」といえば「破壊する」という意味になるようです。
原爆のような強烈な破壊。。。。。
アメリカはイラク攻撃の中で大量破壊兵器の存在(実は嘘でしたが)を問題にしました。
しかしアメリカ自身が過去に原爆の投下を行い、まさに大量の日本国民を殺しました。そして今でも核の削減には向かわずに核の先制使用も放棄していません。核兵器の廃絶の条約には反対をしています。信じられないことですが日本もこの条約を批准しません。
世界の人々は原爆の悲惨さを来日して多くの人たちが広島や長崎を訪れています。世界中の市民が核の悲惨さを知っていきます。この中で日本は先頭になって核兵器の廃絶を呼び掛けるべきなんです。

【2020年】ツイッターつぶやき
残暑お見舞い申し上げます。
熱い一日でした。
猛暑日と言えば35度以上ですが東京は35度には届かなかったようですが日中は風もなくモワっとした暑さが続きました。
今週はしばらくこの暑さが続くようです。
しばらく外に出て帰宅すると汗がびっしょり。顔を洗って着替えて水を飲んでアイスクリーム。
掃除を始めたら汗びっしょり。今日は換気扇掃除もありましたから汗が流れました。
また冷たい水を飲んで。。。。
午後には暑さもピークでじっとしていても汗が吹き出しました。
なんだかぼーっとしてきてやばいと思い一番狭い部屋を”避難所”にしました。
クーラーを利かせて暑さでやばいと思ったらしばらく避難していました。
梅干をかじりながら水を飲みました。
7月があまりにも涼しかったので急なこの暑さはやばいです。
皆さんもお気を付けください。

【2021年】ツイッターつぶやき
武漢のPCR検査の実態(サイエンスポータルChhina
全市民を検査。「動態清零〔問題を芽のうちに迅速につみとる、つまり、日常生活を送りながら感染を抑制していくという意味〕」がワンセットの対策になっている」
検査が生活の一部になり 陰性である証明のために。
日本とは真逆のコロナ対策の考え方の中で北京冬季オリンピックはどのような形で行われるのか。
日本は感染拡大を抑えきれずワクチンに頼った死亡人数で判断をした。しかしそのワクチンも間に合わない中での開催だった。
コロナに打ち勝った証として中国ではまた違った面を見せてくれるかもしれない。
日本でも選手村内での検査は毎日行われていたようですが、一方では東京都をはじめとして全国で感染拡大を引き起こしてしまった。医療の崩壊がはじまっている。国民の命を蔑ろにしながらの国家行事であった。
さて中国は?
この国の姿勢が民主国家のリトマス試験紙である。
日本のウィズコロナと中国の動態清零とは全く違ったものであることは確かでしょう。
日本はほとんど国民に自己責任を負わせた野放し状態の対策ですが、検査体制の確立と隔離政策の確立という具体的なものを進める政策とは違う。
オリンピックが終わった東京が焼け野原にならないか心配です。
以上ツイッターから

【2022年】ツイッターつぶやき
中国はゼロコロナにより経済の停滞があったようですが、上半期の貿易収支は黒字になっているようです。
G7は中国の経済の落ち込みをゼロコロナ批判とともに批判をし、同時に心配しているようです。
アメリカもリセッションの危機。イギリスもリセッションの危機。どいつもウクライナ問題で大変なようです。
日本は利上げもできる状況ではなく日銀は国債を買い続けるしかなくなっている。
これで中国経済が落ち込めばG7も大変なことになる。
一方ではロシアや中国への政治的批判を強めているが、保守政治の内政への引き締めでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
断続的に強い雨が降りました。とはいえ20分ほど降ってやんで数時間してまた降るの繰り返し。
公園の木々も少しイキイキと。
でも、恵みの雨も必要ですが、台風7号が近づいてきます。
日照りの次は大雨ではなぁ。。。。
自然は帳尻合わせをします。でも、過激な帳尻合わせはやめてほしい。
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「8月 8日という日」

2024年08月08日 07時37分21秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
用事があり車で出かけました。お盆休みの前ということもあり連休前の仕事を片づけるためなのか、道路はどこも大渋滞でした。トラックが信号待ちで並ぶ景色は異様です。

【2004年】
ちょこっと自転車で買い物に行ってきました。
何だか今日は夏の暑さと光の中に引きずり込まれたようになってしまった。自転車をこぐ足も空中を蹴っているようで、光の中にふらふらしているようでした。
ふと前を見ると、おばあちゃんが交差点で信号を待っていた。しかし、青信号なのに渡らない。赤信号に変わったのをよく確認してよろよろと渡りはじめた。。。。。
夏の暑さと光の中に引きずり込まれていたのは僕だけではなかった。
ハハハ・・・気をつけねば。

「偶然の祝福」 小川 洋子  著
7つの短編からなる短編集です。しかし一つひとつの短編が独立したものかというとそうではなく、主人公「私」は同じ人物であり、登場人物の中にも共通した人間が出てきます。
この短編が小川さん自身の体験を書いているのかどうかはわかりませんが、「偶然の祝福」というそのままの主題に沿ったエッセイのようにも読めます。
この文庫版のあとがきは、朝日新聞の「書評」に書かれた川上弘美さんの文が載っています。本が出されると必ず買う作家として紹介されていますし、小川作品の中では(2001年当時としては)、短編としては一番好きな作品だと書いています。
どこか不思議というのか、現実離れをしているというのか、その作風にはどことなく似ているところがあると思いますし、自分に降りかかる事柄に動じることもなくひょうひょうとした主人公も似ているのではないかと思います。とは言っても、小川さんには小川さん独特の世界があることは確かです。
まだこの1冊しか読んでいませんからこの1冊に限ってみたとき、この小川さん自身の世界がどこにあるのかと考えると、キリスト教的な奇跡・祝福を感じます。
作品自体には神が出てくるわけではありませんから作品自体に宗教的なものはありません。しかしこの世の中に生きている中での「偶然」の出来事の不思議。追い詰められた「私」にその偶然が助けてくれる(祝福される)不思議さ。これをなんとなく「この世には神がいるもんだ。奇跡が私を助けてくれた」というような時々僕たちも聞いたことのあるような話しとして読後感に残ります。
「キリコさんの失敗」に、「私」の母親として厳格なキリスト教者の母親が出てきますが、これもどことなくこの作品にキリスト教を感じてしまうのかもしれません。
また、「私」に起こる出来事はけして幸福な出来事ではありません。どちらかといえば不幸でさえあります。これもまた「試練」として感じ、その試練に対しての祝福を感じます。
この中に「私」が持つひょうひょうさがあるのではないかと感じました。
しかし逆に、小川さんの中にはこのキリスト教的な世界観から逃げるようなものも感じます。それは妻子ある男との不倫を描きますし、父親のいない子供とおもわれる子が出てきます。この男と子供はいくつかの短編の中に出てきます。男との出会いもひとつの短編として表現されます。これも偶然からの出来事として。
厳格なキリスト教者としての母親の冷たさと子供としての「私」を「キリコさんの失敗」では見ることができますし、キリスト教的な世界観に囲まれつつもどこかそこから自分という個人を切り離すようなものを感じるのです。葛藤といえば葛藤だと思います。
この自分自身を見つめることの唯一のものが小説家という「私」です。最後の短編「蘇生」には、父親のいないこと犬に囲まれ、小説家として生きていくことしかできない自分を見つめる一人の女性の精神状態と衝撃的とも言えるラストがあります。
ここにこの世の中に起きる偶然から降りかかると思われるものを受け止めざるを得ないというものがあります。そして小説家という自分が、これまでの人生の時間の流れからやはり「偶然」として出来上がってきたものであることを感じます。
「偶然」は「必然」の中にある。
一つひとつが偶然のように見えるがそこには必然性がある。
「必然」は「偶然」を通して貫徹される。
必然的であるようだが、それは今までの偶然を通して必然となる。
人と人との織り成す綾である。


【2005年】
衆議院解散ですかぁ。。。
自民党は、衆議院の中で郵政法案に反対した議員も平等に公認してその上で国民の審判を受けるべきでは?
涼しい風が吹いています。

【2006年】
立秋
台風7号は、静岡から関東にやってきそうです。明日の早朝ごろが一番すごいかな。
6時半頃、台所で食事を作っていたら、ベランダから外を眺めていた娘が「キモイほどすげぇ!」と叫んだので、行ってみるとすごい夕焼けでした。街がオレンジ色に染まっていました。
立秋。。。やはり少し日が短くなったように感じます。
秋が顔を出し始めるという今日に台風とは。。。

【2007年】
立秋
あと半月もすれば日が短くなったと感じるようになりますねぇ。。。ううう
そうはいえ東京は今日もすごい暑さでした。
残暑お見舞い申し上げます。
まだしばらく暑さが続きます。体調を崩さずのお過ごしくださいね♪

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
昨日は奥志賀のほうへ

娘とドライブ。。。。。。

故障車渋滞、自己事故渋滞。。。。そして自然渋滞

自然渋滞というのがよくわからん

地獄谷のお猿さん。。。。。

ハハハ・・・・温泉に入っていました

今や地獄谷も国際観光名所

外人の方がたくさんいらっしゃいました

それにしても細い山道。。。。怖かった
         (Am10:48)

電話があった。。。。。

「夕螺様のお住まいの近辺で

物件をお探しの方がいらっしゃいます」

不動産屋である。。。。。ううう

いきなり「売るつもりはないか」は

失礼だろう・・・・・
         (Am10:58)

今朝の朝日新聞朝刊に「紫煙から飲食店員を守れ」という記事が出ており、厚生労働省は1立方メートルあたりの濃度を0.15ミリグラム以下に抑えるという基準をさだめようとしているらしい。
この基準値も高すぎるととしてもっと下げるという声もあるそうだが、喫煙者の僕としても賛成である。
しかしいくつかの条件がある。
まず、分煙などの設備を整えられない中小の飲食店などには分煙促進のための補助を国が出すべきだろう。また、自動車には空気清浄機の設置を義務化させるべきだろう。そのほかにもいろいろな分煙をはじめとした設備が必要だろう。
まずはこのような分煙などにかかる費用の一部を補助するために煙草税についてもすべて分煙などの補助に使うべきだろう。
また、煙草税の引き上げが出てくると思う。菅総理の失言?により消費税論議はしばらくタブーとされるだろうが、その中で煙草税の引き上げが検討されるだろう。その引き上げの論点がいつも受動喫煙者も含めた煙草の害がいわれ、そのためには禁煙を促す煙草税の引き上げが言われ、同時に煙草により疾病にかかる医療費がかさむので煙草税を上げろというのもある。
このような論理からすれば、煙草が合法的に販売をされ税収を見込んだ国や自治体があるわけだから、その中で非喫煙者を守るには、分煙などに煙草税を使うしかないだろう。
同時に健康に悪いものには健康増進税的なものをかけるべきだろう。もちろんこんな法律ができたら大変なわけで絶対許してはいけないのだが、煙草に関してはこの論理で差別的に行われているわけです。工場の煙突から出る煙は煙草何本分に換算をして煙草税程度の税金をかける。。。。車の排気ガスもガソリン税や車関連の税を廃止して新たに煙草に換算して税をかける。。。こんなことがあったら大変なわけです。酒も健康に悪いから無理やり飲ませたら罰金刑、肝臓に悪いのだからあるいはアルコール中毒もあるし、医療費がかさむので節酒するために酒税を上げる。メタボは病気の元、メタボになるようなカロリーや血液の病気になるようなものが多く入った食品には税をかけて摂取量を減らす。。。。。
こんな世の中嫌ですなぁ。。。。。嫌なことを喫煙者は突きつけられるのです。
飲食店の店員さんについては、分煙が進む中での時間的な規制なども。。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞に世論調査があった。
菅内閣の支持率が1%落ちて14%(支持しないは67%)となった。
この支持しない67%の中身となると何が理由なのかは世論調査からはわからない。今国会内やマスコミで、一度辞めるといったのだから早く辞めるべきというものがまだ根強くあるし国民に浸透しているわけですからこのそうは政策の中身に触れないものがやはり世論という形になっているのでしょうか?または復興作業が遅いとか指導力がないというものも菅政権批判として目立ちますがこれも影響しているのでしょうか?しかし世論調査では、辞める時期は9月以降でもよいというものが40%で8月末までに辞めるべきの45%とそうは変わりのない数字となっている。指導力は、民主党内までもが野党化している中で脱原発の方向性を進めている中にそうは指導力の欠如はないはずですし、復興作業の遅れもその原因が原発事故にあることを見ればそうは批判できないでしょう。
原発の処理や放射能の拡散そして食品などへの影響は、菅総理自身というよりも大臣や官僚の菅に批判の目もむくはずです。増税については賛成が50%で反対よりも多いし、マニフェストの反故もそうは批判されていない。
一方で菅総理の打ち出す脱原発の方向性については支持をするものが多いし、次期内閣にも引き継ぐべきが引き継いだ方がよいが68%(引き継がない方が良い16%)にもなっている。
支持率の低下と脱原発の方向性の評価のギャップ。。。。。
やはりここから見えるのは、原発に対する国民意識が今の国会は受け取っていないという全体的な評価からの内閣支持率なのではないでしょうか?支持政党なしが50%に。。。。
なんだか、民主党が内閣不信任案を出すとか、新党で不信任案を出すとか、大臣や党役員が辞任して菅おろしをするとか…・いろいろな噂的なものも目にしますし、自民党の非協力も何か判然としない。こういう中で菅おろしは滑稽味を帯びてきているような気がします。その分菅内閣は続くのかもしれません。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
アングル:「デフレ原因は需要減」の声、極端な緩和が事態悪化させると懸念 | Reuters http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE97602E20130807 …「デフレ原因は需要減」という視点は正しいが、しかし若い人の労働人口問題だけではない。なぜなら働けない若い人や低賃金にあえぐ人がたくさんいるから。
昔から失業問題を人口問題にすり替える論理があった。今は経済成長に若い人の人口という人口問題を言う。しかし少なくなった若い世代の人口減でも若い人の失業や正社員割合が減っている。人口問題ではないのである。年寄りは早く若い人に役職や高賃金を譲れと80年代に云われ窓際族へ。嘘だったのだ。
日刊ゲンダイ 【話題】 大卒ニート3万人超 若者には厳しい現実… 「博士」4割が就職できず
         (以上今日のツイートとリツイート)
昔から高齢者は邪魔にされる者です。もちろん国民自身が高齢者を邪魔にしているわけではなくて一部の国民が邪魔だといった論理にはまっていく。もちろん国自体も国家財政と社会保障そして雇用問題と賃金コストの削減という企業論理優先などという形で邪魔だとは言わないが政策の中身や実行の中に「邪魔だ」が入っているわけです。
団塊の世代が定年退職をしている。若いころ金の卵と言われて集団就職で東京などの大都市に来た人たちそしてその後の団塊の世代は日本の高度成長を支えたわけです。そして自分たちが高齢化したときを考えて当時の高齢者の年金を支えながらも積立に協力してきた。
このような世代が高齢化してくると高い賃金で働かない(働きが悪い)として窓際族と呼ばれ始める。年金を受け取るころになってくると積立方式が廃止されて賦課方式になりここでも邪魔扱いをされていく。一時200兆円とも言われた積立金は何に使われているかわからない(今は100兆円をきる?)。
この高齢者と若い方々の対立をあおる意見がたくさん出てくる。
しかし、高齢者がいなくなれば若い人の賃金や雇用が改善されると若い人は期待をもたせられたのですが、年功序列型賃金が崩れて能力給になっても団塊の世代が定年になっても若い方の実態は改善されたのでしょうか?そうではなくて若い人たちの賃金は低下していき、その若い人たちが邪魔だと考えた高齢者の賃金も下がり、全体的に賃下げに向かってしまった。現実はこうでしょ?
雇用差別や賃下げの中でそして若い人たちが減っていく社会の中に年金問題が出てきて若い人たちの負担が大きくなると強調された。積立方式が賦課方式になりだから若い人たちの負担が大きくなったわけです。これが100年は大丈夫と言われた年金「改革」だったわけです。しかし自体はさらに悪化して、今ではもう公助ではなくて自助でやっていこうそして年金支給年齢を引き上げておいて高齢者も働けという自己責任論が正当化される社会になりました。
公的年金を支える若い人たちの負担を少なくすると言えば聞こえはいいですが、中身は若い人たちに対して親の面倒は君たちが見るべきだと言っているに等しい。親の世代も60になってもその親がまだ存命ですから老老介護。年金生活者がその親の面倒見る。しかし年金はその支給年齢が上がっていき働くしかない。老老介護をだれがやるか。それも自助である。
こうしてみてくると、若い人たちも高齢者と対立していても何もよくならないことが見えてきませんか?
若い人たちの雇用や賃金高も競争社会の中での個人責任としてのある意味自助です。そして高麗者は自分の両親であり祖父母でその親族関係において自助が求められる。
高齢者が働かないから、若い人が少なくなったから。。。。労働力不足が言われる。しかしよく見れば若い人は失業もあれば安定した職にもつけなくなっている。昔は失業者が多いのは就労人口が多いからだと言われていましたが、今ではw回若い労働力が減っているにもかかわらず失業問題は解決しない。失業問題は人口問題ではないのです。逆に失業を残しておかないと損をする人たちがいて(失業者がいなくなれば賃上げが起きるなど)若い人の失業や不安定雇用をそのままに、労働力不足を年金をもらえなくなった高齢者を低賃金で補うとします。どう見ても矛盾だらけなのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
眠くなったのでツイッターから
生産が拡大する中での生産性の向上は利潤率を下げる。経済が落ち込んだとき、利潤率を維持するには不変資本を縮小するという生産性の低下が有効となる。供給を減らすということ。生産を拡大しようと意気込むと、この供給の不足が目につくのだが、現実には生産の拡大は起きていないのだから供給は減る。
不況。。。。。
物価は上がってもデフレ不況は続く。。。。。。
金貨を考えれば、100円の価値の金貨が悪貨を作り名目上102円としても、100円という価値は不変である。100円という価値の悪貨自体がデフレにさらされているだけ。
成長戦略どころは縮小経済を招く。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
理想と現実との論理は、改憲にも通じるものがありますね。改憲は現実に理想を合わせるという形をとります。日本政府は核兵器禁止条約でも同じ方法をとってしまいました。理想とは夢物語ではなくて、ゴールに向かって現実を積み重ねることですから理想は現実でもあります。ここから条約には賛成すべき。
理想に向かって現実を変えていこうとしない政治は、真の現実主義ではなくて理想をないがしろにする偽の現実主義である。あるいは理想を理想としない歴史の後退を望む政治である。
(以上ツイッターから)
理想と現実を切り離してとらえてしまう間違いはたくさんあると思いますし、実際「現実的になれよ」と何度も聞かされた。
理想とは現実を進化させながら積み上げるという事を忘れているのです。
現実主義者とは何か?現実に追従する人が大多数でしょうが、その現実を作り上げていく退化する釈迦をつくる政治家などですね。そして何の根拠もなしに理想主義より現実主義が当たり前と思い込んでしまう人。

【2018年】ツイッターつぶやき
米英仏独中露とイランとの核合意からアメリカは抜けた。
アメリカとイラン及びイラン核合意各国との対立関係をアメリカが作り出してしまった。イランの核開発の制限が手ぬるいという理由があるのだろうが結局は経済問題でありアメリカの保護主義=アメリカの利益の問題なんだろう。アメリカは北朝鮮との核問題についてテーブルについた矢先であるが、国益からのイラン核合意からの離脱のようなものがあれば北朝鮮も疑心暗鬼となり何を信じたらよいのかわからなくなるだろう。
ある学校に金の力も腕力もあるガキ大将がいてその力で学校を支配し、学校自体そしてPTAも教育委員会も口を出せずに従うしかないという状態となっているのがたとえとしてはアメリカの利益を求める態度なのかもしれない。昨日書いた「日本社会は腐りはじめている」でも書いた日本の状態と同じでしょう。
イラン核合意から離脱をしてイランへの経済制裁を厳しくする一方で、アメリカの利益に反するイランとの経済的関係を保とうとする国々にも制裁を行う。もう、国際的な話し合いなどは無視をされる「アメリカ第一」の本質が現れている。イランと良好な関係にあった日本もアメリカとの同盟関係強化に走ったが経済的な面でも厳しくなり日米経済協議もさらに厳しくなりそうです。
このガキ大将あるいは駄々っ子をどうするか。。。。表面的にはトランプ大統領をどうするかが各国の悩みとなり、トランプさんは中間選挙もあり強いアメリカを国民に見せねばならない。
中国はイランからの原油輸入禁止を拒否をしたようである。
中国は元建ての原油市場をすでに始めている。
その中国はアメリカが仕掛けた経済戦争の危機に。
しかしロイターに中国がトランプ貿易戦争に勝利する理由という記事があったが、アメリカが買ったとしてもアメリカの体力は相当落ちるだろう。
経済関係は中国とイギリスを除くヨーロッパの経済連携に加えて中国・ロシアとの軍事面の安定が望みえるようになればアメリカも変化するでしょう。トランプさんはすでにいつも言い出したことについて修正を加えている。

【2019年】ツイッターつぶやき
自転車で買い物に行って帰る途中、細い道から80代のご婦人が自転車で走ってきた。そうは広い道路でもないし交通量もそんなにない道路に自転車のベルをチリンチリンと鳴らしながらその道路を横断していった。ちょうど車が来なかったからいいもの間が悪くて車が来ていたらぶつかっていたでしょう。
そういえば、昔、若いお母さんが子供をおんぶして自転車でチリンチリンとベルを鳴らすだけで広い道に飛び出していた。
チリンチリンは車には聞こえませんなぁ。。。。。
以前も書いたのですが、人は死ぬことを死ぬほど怖がって生きています。しかし人の日常を見ると案外命を落とすような危険なことを行っているのではないかと思います。チリンチリン程度は気を付けながらも笑いながら危険なことをしているのでしょう。
死につながらないことでも、最近の不適切動画をテレビで見ていると、動画を公開すれば警察沙汰になることぐらいは普通わかるのでしょうが、やはりチリンチリン程度しか考えないでウケ狙いで行ってしまう。
今の政治家もそうですね。国民の命や一生の問題にかかわるものを簡単に扱っている。その中で国民もアハハハ・・・・と。
チリンチリン社会ですなぁ。

【2020年】ツイッターつぶやき
沖縄で感染が広がり医療の崩壊が心配されるようになった。その中で菅官房長官が沖縄を批判する。しかし狭い島である沖縄の特殊性を見ないでGo Toがはじまり観光客が多く始まる時期に人を送り込んでしまった。本来ならば支援すべき国がその責任を果たすことを忘れている。
何も沖縄だけではなくてGo Toは他の都道府県でも県や自治体そして国民を戸惑いの中で右往左往させているのが国です。
経済対策であるGo Toが社会を混乱させている。
若い人は感染しても重症化も死亡もごくわずかだから自粛なので規制は必要ないという意見が飛び交っている。しかし現実はその若い人から中高年以上の高齢者に職場内感染や家庭内感染などという形で感染を拡大している。このような分断も目に見えるようになっている。
若い人が行楽などで移動をすれば、そこで働いているのが高齢者でそこから感染が拡大する懸念も多いと思う。
経済優先はかないわけで足元の国民生活は混乱から経済をも混乱させている。

【2021年】ツイッターつぶやき
やっとオリンピックも終わりました。
開会式から2週間。海外からの関係者やアスリートが来日してからは3,4週間でしょうか。
感染者の爆発はちょうどこの2週間に合致します。
さて今後の感染拡大は。。。。。
東京が焼け野原にならないよう祈るばかりです。

【2022年】ツイッターつぶやき
7月の街角景気が前月に比べて9%以上下がったそうです。
コロナの影響もある中で外出をひかえたり飲食店へも行かなくなったりという影響もあるそうですが、出かけるにしても円安による物価上昇がありますから控える人も多くなっている。
コロナ第七波もそろそろピークかと言われはじめていますが、東京などのピークがあったのしてもお盆休みで人が地方に向かえば地方の方で感染が広がるかもしれませんん。ピークを過ぎても第六波のように高い感染者数で下げ止まりが続くかもしれません。出かければコロナも心配だし金も出ていくとなればピーク後も同じような状況ではないでしょうか。
経済全体も貿易収支がマイナスになっていますし、今後の賃上げもないだろうし、賃上げどころか値上げと社会保障の負担が。
よい条件が見当たらないですね。
コロナと経済を同時にと言っても政府はコロナの実態を隠すことばかりに集中している。
政府を信用できなければ国民は安心して暮らせませんから消費も鈍ります。

【2023年】ツイッターつぶやき
麻生さんが台湾に行き、台湾での中国を想定した軍事行動には日本は戦う覚悟を示して抑止力にしなければならないと講演したらしい。
一部合同では、「台湾防衛に防衛力使う」と発言したとも。
どちらにしても憲法を無視した発言です。防衛ではなく国外に自衛隊を派遣して戦争をやると。台湾としてもちろん軍事同盟化することはできません。その台湾に自衛隊を派遣するということは中国の主権への宣戦布告ともなります。
アメリカとの安保条約は安倍総理時代に軍事同盟化されました。その安保条約に従うにしても台湾に自衛隊を送ることはできないでしょう。もちろん日本が自衛隊を派遣することはアメリカの意志ですが、その意味では麻生発言はアメリカとの安保条約のさらなる拡大解釈となるかもしれません。
安保の軍事同盟化は戦争をできる国に日本を変えました。憲法無視で。
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「8月 7日という日」

2024年08月07日 07時54分22秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
釣り。
千葉県の内房に行って来ました。キスと小アジを釣って天ぷらにする予定だったのですが、どういうわけかフグばかりが釣れました。さすがの料理上手もフグでは・・・・・
第1投目から針の周りの餌だけを食われていたのでいやな予感がしたのですが、やはりいやな予感が的中でした。
そういえば、この前他の堤防に行ったときもフグばかりでした。今年はフグの異常繁殖かな?。。。。。。

【2004年】
朝、公園の横を歩いていたら酔っ払いがごろんと横になっていびきをかいていました。冬ならば凍え死んでいたでしょうが。早朝からこの暑さの中ですからほんと気持ちよさそうに寝ていました。蝉の声を聞きながら僕も横で寝てみたくなりました。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
風呂上がり。。。
クーラーがギンギンと効いた部屋に飛び込むのも気持ちが良いかも知れませんが、クーラーをかけて窓を開けて風を通すと、自然な涼しさに近い気持ちよさがあります。クーラーの冷気が風に混ざり合ってすうっと流れてくるあの涼しさ。どことなく高原のような。。。ハハハ・・・東京の空気は汚いですが。
我が子への虐待事件がまたありました。お子さんは小学生なのに体重は3歳児ほどだったそうですが、逮捕されたおやじは肥え太っていた。「ひどいっ!」と、誰もが思うかもしれませんが、これも社会の縮図です。今の社会は肥え太る者と痩せ細る者とが社会システム上当たり前となっている。自分を「ご主人様」と呼ばせた監禁男の事件も同じで、様々な「社会的な力」によって人の人格は左右される。
また、プールの給水口で少女が亡くなった「事故」も、金という予算面あるいは儲けという社会性の強いものだと思う。
貧困と犯罪、貧困とテロの関係性はよく聞く話だが、一見個人的な資質による犯罪や事故というものも社会的なものとまったく無関係ではありえない。
競争のため、生き残りのためには何でもありというものが当たり前な意識とされるようになれば、犯罪やテロも当たり前となる。庶民の犯罪やテロが当たり前と書くと過激的だが、企業や官庁のモラル低下や犯罪、不祥事は、やはり当たり前に起きているのである。庶民行動も、この社会的システムの中の一行動パターンなのである。

【2007年】
7月27日の日記に、忘れていた鉢植えからミステリアスな何の花かわからない芽が出てきたと書いたのですが、だいぶ大きくなってきてカラーだと判明しました。季節的にはどうなんだろ?元気に育っていますから近いうちに花も咲くと思います。
東京は猛暑です。
昼ごろ少し歩いただけで汗が噴出しました。でも、夏らしい暑さ!いいですねぇ。。。。
でも、水分補給は必要。あるところの自販機はお茶など甘くないものが売り切れになっていました。塩分も必ず摂らなければならないし、梅干は重宝しています。
車の中は地獄でした。日が射しているうちはクーラーも効かない。
明日はもう立秋です。この間やっと梅雨が明けたと思ったらもう暦では秋。暑中見舞いと言う暇もないうちに残暑お見舞いになってしまった。まぁ、暑さは今からが本番。夏を楽しみたいと思います。
夏生さんの「流氷にのりました へなちょこ探検隊2」が出ました。
一気に3分の2ほど読みましたが、なんだろ?この読後感は?
「つれづれノート」では、娘さんの「かんちゃん」が小さい頃には長期の海外旅行にも出かけていましたが、その後の旅は質素です。ある意味僕たち一般人が家族旅行にでも出かけたと同じような旅で、今回の「へなちょこ2」もこれといった大きな出来事もなく、どんよりとそうは豪華ではない?ホテルの食事をして、テレビの旅番組のような特別な観光も経験もない。普通の人の普通のたび。。。。なぜこれを探検というのか?日常の延長のような旅、その日常がある意味探検なのです。「日常の中の奇妙な異空間」(菊池さん)これでしょうなぁ。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
菅政権と野党はもちろん与党民主党も対立関係に見える。そして閣内にも反菅がいるところに今の国会のわかりづらさがある。
この中で菅政権が維持されていること自体が不思議である。菅総理の「居座り」といわれるが辞任もしないでいられる背景には何があるのだろう。
閣内においてはもちろんだが、菅総理が提起する脱原発の方向性が国民世論としてもあり、菅内閣の支持率は減ってはいるものの脱原発の方向性については支持をされている。この中で内閣の支持率低下に依拠するような国会内や民主党内の菅おろしと脱原発の方向性を無視できない原発維持の勢力という構図が菅総理を辞任へ持って行くことができない圧倒的勢力ということになり、その勢力と菅総理という少数派の力の対立と見ることができる。だから菅批判には脱原発で政権に居座りともいわれるわけです。しかし先にも書いたようにこの脱原発の方向性自体が世論であり結果としては管総理の「居座り」を維持しているもの自体が世論となるのである。世論がある間はいくら多数の勢力といってもそうは少数派を切り捨てるわけにはいかない。かといって菅総理に辞任を求める勢力もばらばらなものがあり、国民世論の脱原発の方向性を見た政策を出すこともできない。あるいは感情的にも強い東電や経済産業省解体というものにどのように向き合うかも。
要するに多数は管総理をどうにかおろさないと脱原発の方向性を方向修正できないということだろう。もちろんそれは反国民意識となる。しかし国会は数の力だと。。。。。
今は我慢比べ政局ともいえるような実態ですね。しかしその我慢比べによって被災地の方や被害者の方が一番犠牲になる。しかし菅総理には国民世論があるわけですから我慢比べを仕掛けているのは野党や民主党となるのではないかと思います。今の時点でやはり菅総理は辞める必要はないと思います。

【2012年】ツイッターつぶやき
自民とは野田政府が解散の確約をしなければ内閣不信任案・問責提案をするという。
しかし国民は野田政権批判を強めているが総選挙やましてや自民党政権を望んでいるわけではないでしょう。
国民が望んでいるのは民主党の野田路線からの脱却です。野田政権が自民党の案を受け入れての「決められる政治」からの民主主義の回復です。
不信任案は小さな政党が集まり共同で出せるかというところに来ています。そこに自民党からも。不信任案なりは成立させるべきでしょう。しかし自民党政治に戻ることではなくて総辞職による野田路線の転換です。そのためには民主党内の力が必要です。極めて難しく狭い選択肢の中でのより良い方向性を見ないとだめですね。すぐには国民の手に政治は戻りませんが、民主主義の形骸化に歯止めをかけねばなりません。

【2013年】ツイッターつぶやき
朝からはじめた洗濯がやっと終わりました。
エラーが出て脱水ができないために。。。。。
マイコン部分が壊れたのかふたをしないと脱水機能が動作しないような安全センサーの故障か?
どちらにしても、洗う・すすぐ・脱水するの基本はモーターの故障ではないので機能するはずですが、この基本機能がちょっとしたこしょうでだめになり買い替えなければならない。
どうせ5年か7年ぐらいでだめになるならもう高機能はなくてもいいから単純なものにしよう。。。。高いものを買っても5年、安いものを買っても5年なら。どうせ便利な高機能は使っていないし。
そういえば我が家の洗濯機は風呂の残り湯を使えるための便利な機能のポンプがついています。しかしこのポンプも数年前にだめになり市販のものをどうにかくっつけて使っています。高機能とはこんなものだ。。。
電化製品はシンプル機能で安いもの!!
国民生活は厳しくなりますからなぁ。。。。。この精神で行こう!

【2014年】ツイッターつぶやき
「日本銀行内で消費税率引き上げ後の景気の先行きに一抹の不安を指摘する声が出始めている。」(引用)(ブルームバーグ)らしい。
また、経産省も含めてエコノミストの中にも一抹の不安を感じ始めているという分析もある。(現代ビジネス)
ツイッターなどを読んでいると同もアベノミクスを推し進める2面性であるリフレ派と構造改革派での互いの批判も以前からあったが、こういった内部対立がもし大きくなるならばそれもまたアベノミクスへの一抹の不安が出てきたことなのかもしれない。
政府や日銀そしてその政策を好意的に受け止める経済学者などもそうは大きなアベノミクスへの不安は言わないだろう。一抹の不安というものが出ているという表現の中に経済矛盾の大きさを見ることができるのかもしれない。
安倍総理はこの間経済問題にはあまり口を開かなかったが、「経済成長こそが安倍政権の最優先課題であることを明言する」「アベノミクスと名付けられたこの道を突き進む強い決意を固めている」(引用)(時事ドットコム)と、寄稿したそうだがどうも決意表明とそこからの「期待」の持ち込み以外のものではないだろう。
昨夜書いた2つの障壁は、「円相場の下落にもかかわらず輸出が減少し、消費者物価上昇の勢いが再び弱まる」(昨夜の引用)というアベノミクスの基本政策にかかわる部分での矛盾である。上野ブルームバーグの記事では「在庫指数が前月比1.9%上昇と2カ月連続で上昇したことも懸念材料だ。 」(引用)と、設備投資の見通しもそうは甘いものではないことを示している。アベノミクスは消費税を社会保障にすべて回すという公約を破ってまでも設備通しに回したわけですから、この企業の在庫問題も政策の基本部分の矛盾といえるだろう。「輸出停滞が続けば、増税後に急速に積み上がった在庫の調整に時間がかかることも予想される」(同引用)
アベノミクスはその成功のためには賃上げが必要と強く訴えて官製春闘での賃上げを行ったが、賃上げは一部の大企業であり(今は公務員の)労働者の実質賃金は低下する一方である。それは個人消費を低下させる。
このように見てくると、「一抹の不安」の中身の深刻さがわかるのではないか?
そもそもデフレからの脱却で物価が上昇すれば輸出には不利なのです。価格競争に負けますから。それを海外には安く売るではダンピングでしょう。円安効果も減少します。もちろん日本企業の競争力はある産業では落ちていますからそうは高い価格では輸出もできない。
こういった中で株価への一抹の不安も出ているのか?年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用改革(ロイター)で株価維持を行おうとしている。一時的な株価への期待は膨らむだろうがすぐに海外投資家の売り越しに行き着くでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
国民をごまかしたりひどい場合は嘘をついて統治する政治はいつかメッキが剥がれるでしょう。それは経済にも言える。
そこでメッキが剥がれそうになるとめっきの上塗りをする。
メッキはただの言葉であり期待や安心などでしかない。期待や安心は政治や経済のいては国民が肌身で感じる者でなければならない。まだ現状維持ならばよいが落胆や不安を持つようなものであれば、そのメッキという言葉は国民への裏切りでしょう。
政治や権力であり、経済もまた社会を支配するものである。ここの言葉でのメッキを塗りたくっていくが国民の落胆や不安を塗り隠すことができなくなったとき、あるいは隠し切れなくなったとき政治国民は統治するための政治になる。社会全体でメッキへの落胆や不安を覆い隠そうとしはじめる。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
残暑お見舞い申し上げます。
立秋は台風とともにやってきた。
東京も少し風が出はじめました。気温も高くてものすごい湿度です。
この時期の台風といえば、子供の頃からずっと南の海を北上して紀伊半島あたりから東に上陸するものと決まっていました。でも最近の台風はとんでもないコースを描きますね。
すごい蝉時雨です。
蝉時雨の中で昼寝を少ししましたがこの暑さとともに、これが日本の残暑だなぁと。。。。昼寝の心地よさ。
今日からしりとり俳句も秋となります。これから秋のページをつくります。
なかなか俳句も浮かばない・・・・・

細野豪志さんが民進党を離党して地元に帰り「(民進党は)いずれ解党か再編」と語ったらしい。
解党か再編されたときの受け皿をつくるという事も言っていたと思いますが、結局は生き残り策になるのではというゲスの勘繰りになります。
この細野さんのことを見たとき、昔煙草を吸っていて人がいきなり禁煙して、僕が煙草を吸っていると近づいてきて「まだ、煙草なんか吸っているのかぁ・・・・くせえなぁ~」笑いながら言ってきたのを思い出した。
体でも壊したなら別だが、だいたい禁煙は何かしらの強制作用があってはじめるのだが、案外会社の中での禁煙運動も大きい。
そのときいつも「なんで、煙草やめたの?・・・・まったく、意志が弱いんだからっ」と返した。
そう。。。。意志が弱いんです。
政治家もサラリーマンのようになっていますからね・・・・・稼ぎのいい。
生き残りを考えるのは当たり前かと思いますが、自分が病めるからといって人の悪口や世話になった投の悪口を言うというのは良くないですね。
大臣や要職に就くことは政治家の誇りですね。
しかしその誇りというのは政治家個人としての考えを出せるからなんです。
自分を殺して出世したサラリーマンはどこか弱弱しいし、意志がないから失言などもする。
今流行の言葉や社会の動きを見て得票数の勘定にだけ長けた政治家も同じですね。
そこでの手腕はあるのでしょうが。
やっぱり・・・・まったく、意志が弱いんだからぁ。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
細野豪志さんが民進党を離党して地元に帰り「(民進党は)いずれ解党か再編」と語ったらしい。
解党か再編されたときの受け皿をつくるという事も言っていたと思いますが、結局は生き残り策になるのではというゲスの勘繰りになります。
この細野さんのことを見たとき、昔煙草を吸っていて人がいきなり禁煙して、僕が煙草を吸っていると近づいてきて「まだ、煙草なんか吸っているのかぁ・・・・くせえなぁ~」笑いながら言ってきたのを思い出した。
体でも壊したなら別だが、だいたい禁煙は何かしらの強制作用があってはじめるのだが、案外会社の中での禁煙運動も大きい。
そのときいつも「なんで、煙草やめたの?・・・・まったく、意志が弱いんだからっ」と返した。
そう。。。。意志が弱いんです。
政治家もサラリーマンのようになっていますからね・・・・・稼ぎのいい。
生き残りを考えるのは当たり前かと思いますが、自分が病めるからといって人の悪口や世話になった投の悪口を言うというのは良くないですね。
大臣や要職に就くことは政治家の誇りですね。
しかしその誇りというのは政治家個人としての考えを出せるからなんです。
自分を殺して出世したサラリーマンはどこか弱弱しいし、意志がないから失言などもする。
今流行の言葉や社会の動きを見て得票数の勘定にだけ長けた政治家も同じですね。
そこでの手腕はあるのでしょうが。
やっぱり・・・・まったく、意志が弱いんだからぁ。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
米中の経済戦争が激化しそうである。
世界の株価は大幅な下げとなっている。
アメリカに経済面でも依存する日本ですからもろに日本経済を揺さぶっている。そのうえ日本は政治問題の解決(徴用工問題)のために経済制裁だと思われても仕方のない韓国たたきを始めた。日本は表面的にはアメリカの保護主義を批判しつつ自らが保護主義に移ろうとしている。
株価の下落と円高の中で日銀はさらなる金融緩和ができるのだろうか?以前から経済が混迷したときには「躊躇なく」さらなる金融緩和を行うと宣言していた。
しかし本当に「躊躇なく」金融緩和をさらに進められる状態でしょうか?
すでに去年から金融緩和の副作用が大きくなり、日銀内でもこの副作用を無視できなくなっている。量的緩和が限界となった時にマイナス金利を導入したが、すでにマイナス0.2%に限りなく近づき、0.25あるいは03も視野に入れなくてはならなくなっている。
マイナス金利が銀行にとっては利ザヤが小さくなり、利潤も減少する。この副作用の中でさらなるマイナス金利を強めることができるのだろうか?
まさか。。。。。MMTなどという気が狂ったようなことを始めるのだろうか?
すでに輸入品目の値上げによる悪政の物価高が隠れインフレが進行もしている。
デフレと同時に株価バブルと悪性の隠れインフレが進行をしてスタグフレーションを起こしている。
政治的にも経済的にも、右派的精神論政治が日本を衰弱させている。
国民生活に

【2020年】ツイッターつぶやき
明日8日からお盆休みに入る。
お盆休みですから帰省が多くなると思いますが、行楽の季節でもあります。
帰省の新幹線や飛行機あるいは規制のついでに観光というのもあるかと思いますが、行楽としてGo Toを利用する方が多いかと思います。
しかし感染拡大が東京だけではなくて全国に広がる中で一定の規制ともなる指針が自治体から出ています。都道府県をまたいだ人の移動をひかえるようにというものが出ています。
するとある程度帰省する方も減少するでしょう。交通機関も例年のお盆休みに比べるとだいぶ予約率は下がっているようです。
それでもGo Toで出かける人もある程度いることは確かですが、感染拡大より優先させている経済対策としてのGO Toがどのくらいの経済効果を生むでしょうか?
もともと経済効果というよりも業界へのバラマキでしかなかったのですが、それでも恩恵を受ける人は多いのですが、これだけ自粛の雰囲気が広がる中でどのくらいの効果があるでしょうか。観光地のホテルや土産物屋にどのくらいの金がまわるか。
ある意味Go Toは失敗なのかもしれません。
その中で最近、ネット上でもコロナウィルスと言っても風邪を引いたようなものだというお気楽な意見が出ています。死亡率も低いし若い人は無症状が圧倒的に多くて死ぬのは持病がある人や高齢者だからその人たちが気をつけれないぐらいといった雰囲気作りがされています。こういったキャンペーンが広がれば若い人たちは動くでしょう。それはいわゆる夜の街感染でも見られたものです。
経済優先はいろいろな形で作られていく。

【2021年】ツイッターつぶやき
警視庁の発表によるとこの1年半の間の「変死」体の内536人がコロナでなくなっていることが判明し、そのうち443人が自宅療養者であったという。
最近では8月5日現在でも8月の自宅両社の死亡が8人いたそうです。
今後入院できない中等症の方が増加していきますから急な様態悪化なども起きることがあるでしょう。
東京都の自宅療養者数はつい最近1万人を超えたと思ったら現在は1万8千人を超えました。

【2022年】ツイッターつぶやき
最近ラーメン屋さんにも行っていませんが、テレビのグルメ番組を見ているとラーメンも1000円時代なんですね。どうにか980円とかぎりぎりで頑張っているように見えます。まぁ、これはテレビに出てくるお店ですから和田性話題性のあるラーメンだからの値段かもしれませんが。でも、街の普通のラーメン屋さんでも800円以上ですよね。金がないから昼はラーメンでいいやなどと言えない時代です。小麦や輸入肉も値上がりしていますから仕方ないのかもしれませんが。
ラーメンばかりではなくて外食産業全体が値上げされているのかもしれない。
でも、コンビニやスーパーで弁当を買うと案外高くなったのかなと感じます。時々300円弁当を買いますが、しょぼいなどと感じる前に頑張ってるなぁと思います。
エンゲル係数が上がっているというニュースはだいぶ前から言われていますが、さらに現在は上がっていると思います。節約する中でもエンゲル係数が上昇するというのは貧困化の現れです。他のものの消費も減っているでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
円安株高という神話が崩壊したと言われています。
少し前には株価が過去最高とも言われていましたが、最近では下げ続けています。
円安もここ半年で131年から142円と円安が続いています。
債権は、日銀が緩和の出口に向かわないために低金利が続いていますが、少し緩和を緩めるそぶりをすれば金利は上がり債権も安くなります。債券安の圧力が常にあるということでしょう。
アベノミクスと日銀緩和により円安傾向となりそれが雪崩のように円安が進んだ。
しかしこの円安が輸出産業に有利とされて株価も急上昇したが、最近は円安が直接的に輸出産業に有利には働かず、国内産業の企業物価が上がり悪性の物価高もすすんでいる。株価は下がりしかし円安はさらに進むという矛盾となる。この状態では日銀は出口に向かえないでしょうし、出口に向かえば金利が上がり株価への影響が出る。
トリプル安は、互いにけん制しながら下がり続けるしかない。
政府はここに信金を投入しようとし、預金を投資にと呼びかけている。
政府が国民にネズミ講を呼び掛けるまでになっている。
コメント
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「8月 6日という日」

2024年08月06日 08時07分25秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
やっと梅雨も明けて本格的な夏になったかと思ったら今週はまた曇り空が続きそう。昨夜は夕方から大雨。夕立なら涼しくなっていいが蒸し暑い雨でした。
ホームページを作りはじめたのですが悩んでいます。PCもそろそろ壊れそうな気配なので、このまま作っていきPCがだめになったらどうしようか?外部記憶装置がフロッピーしかなく新しいPCにした場合また新しく作り直さなければならないのか。。。。。
我が家にもやっとADSLが導入されそう。でも、我が家のPCはブロードバンドなどというものには追いつけないものだから役にたつのか?
うううう・・・・・・新しいPCがほしい!
「銀色夏生ページ」作成中。だいぶやっかいな作業になりそうです。

【2004年】
新車がやっと昨日届きましたので試験走行を兼ねて実家に行って来ました。
親父もお袋ももう年ですしいろいろ病気もあり心配をしていたのですが、顔色もいいし元気そうでした。もしかしたら僕よりも元気かも?
「オマエはいくつになった?」と聞くので年を言ったら、笑いながらもうそんな年かぁ。。。と。ハハハ・・・息子の年も忘れ、自分たちがいくつになったのかも忘れているらしい。長生きしそうです・・・・
このまま行くと、東京の連続真夏日が更新されそうです。
小川さんの短編集「偶然の祝福」を読み終わりましたので近いうちに感想を入れます。明日からは久しぶりに角田光代さんの「みどりの月」です。やはりわくわくします!

【2005年】
連日の35度。。。。
ちょっとした用事があり、妻と娘を乗せ車で出かけました。
12,3年前まで社宅に住んでいたのですが、用事がある場所がこの社宅に近いのでよってみました。狭いこ汚い社宅がそのままありました。
結婚当初から住んでいましたし、ここで息子も娘も生まれ育ちました。子供たちにとってはふるさと。。。。僕たち夫婦にとっては結婚後の思い出の場所です。
買い物によく言った店にも行ってみました。
でも、もう店じまいをした店があり、看板だけがちんまりと残ってました。なんか寂しかったです。
参議院がすったもんだしてます。
賛成派は解散したら自民党が大変になると騒ぎ、反対派も解散が怖い。結局は自民党内のすったもんだであり、ニュースを見ていてどんよりしてしまいます。郵政民営化は、自民党内でも反対派がある程度いるし、衆議院では僅差での可決でした。小泉さんの支持率も五分五分ぐらいか?参議院でどちらに転ぶにしてもこれまた僅差でしょうし、衆議院を解散して、自民党と小泉内閣への審判を受けたほうがいいのでは?あまりにも矛盾が吹き出すぎです。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
朝青龍問題。
外国人力士がどのような意識で日本の相撲協会に入ってくるのか?
もしかしたら、日本のスモウ・レスリングのチャンピオンになれば名誉であると同時に金にもなる。チャンピオンは実力で強ければいい。
日本のスポーツではあるが、自分はモンゴル人であり、モンゴル(相撲)の伝統と誇りがある。
相撲協会が日本の伝統を大切にするのと同じにモンゴル人にはモンゴル人の伝統と誇りがある。逆に、日本の相撲の横綱になったということは、モンゴルでも英雄となる。英雄としてかえったとき、大事にしなければならないからだのこしょうでも、人々に対しての優しさからちょっと無理をしてしまうかもしれない。仮病説もあるかもしれませんが、日本の相撲も忙しすぎます。モンゴルにゆっくり帰る時間も必要でしょう。
外国人であっても日本の相撲界に入ったらその伝統に従うべきでその心を持たなければならない。それはそれで大切なのだが、それがどうも建前になってきて、現実はさまざまな伝統なども崩れてきているのではないか?
冷汁を作りました。
大体入っている具は覚えていたのですが、肝心なアジの開きを入れませんでした。その代わりに鶏肉。アジの開きだと生臭さも出ますから、さっぱりと食べたときは鶏肉もいいかもしれません。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
203〇年怪しい寺のような神社のような教会のような建物が作られた。
時々お年寄りが入っていく。小さなバッグ一つで。。。。。
坊さんのような神主のような牧師のような人物集団がお布施を集めて大量のお供えを作っていた。お布施は貧しい人たちのせめてもの供養の心だった。
奥の院には巨大な洞窟があり、そこにはさらに第4(し)の洞窟と呼ばれる深い洞窟もあった。
ある日90歳になるお年寄りが「じゃぁ、そろそろ・・・・」と身支度をはじめた。息子もやっと70歳になり、自分がもう長くはないと悟ったお年よりは旅たつ決意をしたのだった。「お前もやっと70になったね。年金をもらえるね。これで安心だ」
「行ってしまうか・・・・・・」
「ああ・・・じいちゃんのところへ」
「俺もあとそうは長くないか」
「・・・・・・・・」
「じいちゃんの年金と来年からのお前の年金でどうにか暮らせるだろ・・・・」(年金支給は70歳からになっていた)
「じいちゃん生きてれば100歳かぁ。。。。。」
「これ、変なことは言わないこと。。。。生きてるんだから。」
また一人寺のような神社のような教会のような社に入っていった。
政府の統計が出て首相がニコニコしながら談話を発表した。
「日本も100歳以上のお年寄りが1万人を越えました。安心して暮らせる豊かな日本の象徴ではありませんか!しかしこの超高齢化社会を支えるには国民の協力が必要です。。。。」
(つづき)
大学卒業の就職率はすでに50%を切っていた。政府は雇用促進のための雇用確保のために企業負担を考えながら「正社員雇用禁止法」を作り平等の原則からすべての雇用を日給月給制のアルバイト・パートに限った。
国民年金納付率がついに20%台に入り政府は年金法抜本的改正としてすべての年金を消費税として徴収することを発表した。
国民健康保険制度の破綻が見えはじめ、平均寿命は10年前から徐々に下がり始めた。それでも超高齢化社会は変わらずに統計では現れ、毎年政府は日本の豊かさと長生き日本を世界に誇った。
「ジャぁ。。。。俺もそろそろ・・・・・」
「行くか・・・・」
「お前も年金需給か。。。。いくらだ」
「月6万弱」
「えっ?消費税をこの前上げたからもっともらえるのでは?」
「そんなわけないだろう!」
「俺の年金は昔の制度だから18万ぐらいある。。。これがあれば・・・」
「150まで生きてくれ」
「孫の〇男は?」
「40になるがまだ職が見つからない」
「・・・・・・・」
「あそこに行って150まで生きてくれ」
(つづき)
204〇年新聞の一面を使った広告が出た。
「ご好評にこたえて!!
皆様にご安心をお届けして参りました第一施設に引き続き広大な富士の裾野に発見されました大洞窟を当社が開発をいたしまして第二施設を皆様にお届けいたします!!
当社では医師を常駐させその設備も万全にサービスを提供いたします。ご本人またはご家族のご要望があれば実費にて即座にサービスを提供いたします。また、プライバシーの完全保護を最重要と考え、死亡時の行政への届けなどはご家族の暖かいお気持ちで行っていただくために当社では一切プライバシーに立ち入ることはいたしません。
また以上のことにより皆様には格安なご契約を保障させていただきます。
ご家族を愛するご高齢のあなた!!
ぜひ現地見学会にお越しください。
      株式会社 〇〇     」
富士のきれいな裾野の写真があった。。。。
次の新聞のページには、あるホテルの広告があった。
「従業員募集!!
当ホテルでは最低賃金法に基づく賃金を保証いたします。
前年改正された最低賃金法では、雇用促進に積極である企業において、その賃金支払能力に満たないと企業が判断した場合にはこの法は適用されないとありますが、我がホテルは優良ホテルと自負しておりますので最低賃金は保証いたします。
またお客様は海外の方が100%となっており、その将来性も保障されるところです。
      要 日常会話程度の中国語
          ホテル〇〇        」
政府閣議で決定
「公務員および大企業における雇用時の混乱を避けるべく、またその資質の継承と責任を考慮し世襲制および縁故制度を認める」

(以上夢で見た。。。。。架空のお話しです)

【2011年】ツイッターつぶやき
アメリカの経済はその実態から離れて神殿化されているのではないか。
特に日本はその神殿にドルや国債を買うというお供えものをしてそのおこぼれを輸出産業が受け取る。それには日本の国民の生活を生贄にしなければならない。
もうこのような繁栄は実体経済からも離れてまさに神性の領域に入っているのではないか。実態は中国や発展著しい国が台頭している。
とはいえアメリカの実体経済も世界での中心の位置を維持し続けるでしょう。いつアメリカがこの神殿化された者から自らが抜け出るか。それは戻るの力の低下や先進国の成長の鈍化の中に気づいていることであり、アメリカのもつ合理性はそこから抜け出すだろう。その時に呆然と日本は神殿の喪失を眺めるだけなのだろうか。

【2012年】ツイッターつぶやき
野田総理が2030年の原発依存率を0にする場合どのような課題があるかを関係閣僚にまとめるよう指示をしたそうです。
だいたいの報道記事では、ゼロにするための課題を明らかにしてゼロに向けての姿勢を見せたとしています。本当にそうでしょうか?
たしかに世論はゼロが一番多いわけですから首相にとっては最悪の状態を仮定しなければならないというものもあると思いますが、原発ゼロにする課題はイコールゼロにできない理由を探すことにもつながります。総理にとっての最悪な場合でも30年までにより多くの原発再稼働を行うことを考えていると思います。
これまでの大飯原発の再稼働のやり方等を見ればそうはゼロに向けて課題克服を考えてのことではないと思います。
もし、原発ゼロへの課題をゼロにははできないという理由にさせないには、どのような理由を出してくるかはわかりませんが一つひとつとらえて脱原発側も考えて行かないとなりませんね。
また、ゼロにした場合の問題点を出しての検討ならば、原発依存をつづけた中で福島のような事故が発生したときにどのくらいの損失が生まれるかも検討されるべきでしょう。ここからゼロへの課題も見えるはずです。

【2013年】ツイッターつぶやき
こちらの記事にアメリカの雇用改善の表面的な数字と雇用の質について書かれていました。
アメリカにおいても雇用の増大はあるにしてもそれは安定的なある程度の額の賃金を受け取る労働者層が拡大したのではなくてパートなどの不安定な低賃金層が増えたという中身が質を現しているということでしょう。
この質が高まらないなら景気回復も進まない。
日本でも同じ現象が出ていて、安倍内閣は雇用が拡大したとアベノミクスの成果を言うが賃下げ傾向は止まらない。
経済学者の中では、雇用を伸ばすには解雇規制の撤廃が必要だといった論理を言う人がいますが、不安定紅葉の中でいつ解雇されるかわからない状態そしてもちろんその労働環境は低賃金化をさらに進める。その中で企業が労働者をたくさん雇えば雇用は拡大されると。この論理も雇用統計の数字だけを見て質を見ない論理でしょう。ですから経済全体を見ない経済学となる。
日本でも正社員数が減って派遣をはじめパートやアルバイトが増えている。その中で最低賃金が14円アップされると(平均760円を越える)。しかし週40時間働けたとしてもどの程度の生活の向上となるでしょうか?もちろんあがらないよりは上がった方がましですが。本来ならば最低でも若い正社員の賃金(20万とする)を基にした時間給は必要でしょう。20万円÷4週÷40時間=1250円。最低賃金は1時間1000円から1500円は必要ということになります。これを最低条件としていかないならば景気回復にはつながらないでしょう。そしてその上での厚生年金の導入や健康保険の加入が国民生活を安定させる第一歩となります。労働者の中にも働き方を問題にする方もいますから、あとは週何時間働くか(働けるか)の自由ですね。政府は社会保障を若い世代にも恩恵があるようにと子育て支援を考えているようですが、若い世代を本気に支えることを考えるならばこうした最低賃金の増加をしなければならないでしょう。
こういった最低賃金も向上しないならば雇用の拡大といっても質を伴わないものとなります。
また、政府は高齢者や女性労働の活用を言っています。
今の低賃金化の中では共働きをしなければ生活ができない状況になっています。そのような実態をつくっておきながら女性の労働を促進しようとする。
年金支給開始年齢の引き上げが検討されて下手をすれば68か70歳になると。今でも65歳までは厚生年金を受け取ってもそれだけでは生活ができずに働くほかはない。この働くほかはない状態をさらに引き上げようという実態の中に高齢者の労働力の活用を言う。
ここでもやはり女性労働力や高齢者労働力の活用を言うならば最低賃金1000円から1500円程度の最低保証がなければならないでしょう。もちろん年金で言えば引き上げに賛成するというのではありません。引き上げを検討するにも高齢者が生きていけう賃金保障がないということに怒りを感じるわけです。女性労働もそうでしょう。子育て支援でいくらかの支援が出ても零歳児や1歳児ならば保育所(今は民間が増えている)でほとんど給与はなくなってしまう現状を改善しない。ましてやシングルマザーやシングルファザーは。。。。
雇用が女性も高齢者も正社員で働ける条件はほとんどなくなっていくでしょう。そして働けと言われても高齢者で言えば健康上の問題や女性で言えば働ける家庭の条件も。
雇用の拡大と賃金との関係における質を問うならば今の政府では質は向上しないでしょう

【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターの記事に「アベノミクスの立ちはだかる2つの障壁」という記事がある。
その障壁とは?
どこかあいまいな書かれ方だが「円相場の下落にもかかわらず輸出が減少し、消費者物価上昇の勢いが再び弱まる」(引用)
ということか?
しかし「日本がデフレと景気低迷から脱却するチャンスは失われつつある。 」とは衝撃的です。しかしアベノミクスの評価の現れでしょうし、期待が大きかったのですからその反動としての失望も大きいということです。
「円相場の下落にもかかわらず輸出が減少」その規模は「2014年上半期の貿易赤字は前年同期比で57%増えた。」(引用)
輸出が大幅に減れば国内の設備投資は事業拡大としては増えずに老朽化した設備の更新などという消極的な設備投資への評価となる。それがまた期待的な意味合いで設備投資大幅増!などといわれる。スクラップとビルドも確かに設備投資増の現象を起こしますが、やはり事業拡大の設備投資とでは質の違うものです。
「消費者物価上昇の勢いが再び弱まる」これは今現在の悪性の物価上昇ではなくて経済成長からのインフレという意味においての物価でしょう。消費増税での悪性物価上昇にプラスしてのインフレですから国民生活には相当大きな影響を与えるのは当たり前です。そして国民の所得は実質賃金を見ても低下し続ける。当然消費を控えれば企業の値上げは消費の減少となるでしょう。そうすると商品やサービスなどの相対的な供給過剰という現象を起こす。それはいつか安売り競争につながりますし、設備投資も企業のコストとして残る。
この実態に対してロイターの記事では、構造改革(もちろん国民の生活ら同同条件の悪化など)と日銀の新たな量的緩和である。
アベノミクスは突き進むしかないという結論に日本の悲惨な状況があるということでしょう。
牛丼チェーンのすき家が赤字見通しになったという。人手不足から休業店舗が増えたからという理由らしいが、過酷な労働(深夜の一人営業など)を強いる中でしか店舗数を増加できなかったという現れでしょうし、利益はこの過酷な労働に依拠していたということでもあります。出店は設備投資ですが、設備投資自体に矛盾がはらんできた。赤字解消のために値上げをせざるを得ない。しかしそれは競争力を下げますし消費の減少にもなりかねない。ブラック企業といわれて社会的な問題ともなりましたが、しかし今の日本企業の縮図ではないでしょうか?成長戦略どころか縮小経済になりかねない危険性をはらむ。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
お題「タクシーでイライラしたことは?」に参加中!
当たり前のことですが、タクシーを運転しているのは人ですね。
ですから客である僕も人ですから、タクシーに乗れば必ず人と人との関係が生まれる。
必然的に感謝して降りる時に「ありがとう」という言葉も出れば、イライラしながら降りることもある。
でも、よく考えると、イライラする原因をつくっているのはタクシーの運転手さんではなくて、運転手さんの裏にある社会なのかもしれないと思うんです。
先に人と人との触れ合いと書きましたが、その関係はタクシーの運転手と客との関係においての触れ合いです。もちろんこの関係は社会的関係ですね。何もタクシー運転手と客だけではなくて、日常生活においてこの社会的関係の中で人は触れ合っていると言えます。
この前急ぎの用事でタクシーに乗りました。その地域では有名な場所。しかし運転手さんは知らないで「お客さん、道知ってますか?」と。少しイライラしますね。。。。。でも、なんとなく感じるのがまだ初心者なのかという事。途中まで行ったらうれしそうに「はい、このさきはわかります」と、うれしそうでした。
客とすればイライラするのですが、その客がキレて運転手さんをなじったら運転手さんもイライラしてしまうでしょう。一期一会も互いにイライラで終わる。「はい、このさきはわかります」と笑顔にチャラにしておけばこれまた面白い体験で終わります。
ただし政治に対しては国民はイライラする必要はありませんが、逆にまぁいいかで終わらせてはなりませんね。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
昨夜テレビのバラエティーを見ていたら、冷やし汁でそ温麵素麺を食べているところが映っていました。おいしそうなので今日の昼飯につくりました。
朝のうちに茄子の薄切りと大根の千切りで出汁も味噌も濃い味の味噌汁をつくり、粗熱が取れたら冷蔵庫へ。
ギンギンに冷えた味噌汁状の中へ胡瓜スライス、みょうがの千切り、白髪ねぎ、ワカメ、蟹蒲鉾などの具を入れます。そこにすりごま、おろし生姜、鰹節を入れてかき混ぜれば出来上がり。
本来の冷やし汁はアジかサバの干物を入れるようですが、なかったので蟹蒲鉾と鰹節で・・・・・・
麺は冷や麦にしてみました。
ソーメンほど細くないし、うどんほど太くない。。。。ちょうどよい太さかと思います。
もちろん冷や麦も氷で冷やして。

【2019年】ツイッターつぶやき
日本経済新聞によると
「同一事業所のみを比較した2018年の実質賃金は17年と比べ0.4%のマイナスだった。厚労省は全事業所を対象とした実質賃金を0.2%増と公表していた。」(引用)
参議院選前にも実質賃金は上がっているとされていたが、現実はマイナスとなっている。
アベノミクスの成果!!
同じく日本経済新聞によると
「消費者心理を示す消費者態度指数(2人以上の世帯、季節調整済み)は前月より0.9ポイント低下して37.8となった。前月を下回るのは10カ月連続。2014年4月以来5年3カ月ぶりの低水準だった」(引用)
消費者は景気の好転を実感していないとずっと言われていたが、消費者動態指数を見てもそれは現れている。
実質賃金は下がり、輸入品である食品は円安誘導により5%から10%は値上がりをして日常生活に悪政の物価高を肌で感じている。アベノミクスの成果を賃金にというのはうそであって、物価目標2%は達成されなかった。しかし日常生活での支出は増加をしている。
これは経済の好転などなかったということです。
2014年の消費増税時と小名jレベルの消費者動態指数は落ちているにもかかわらず10月の消費増税10%は実施をされる。
政治も経済もめちゃくちゃです。
国民は大本営発表から離れて真実を知ってくるでしょう。
そこに現れてくるのが日本の危機や日本の誇りという精神論に国民を巻き込む。
すでにマスコミも片足ここに突っ込んでいるでしょう。。。。。
貧困の増大は、真実を見つめることよりも精神論を支持する。
しかし真実を見つめることを広める必要がありますね。

【2020年】ツイッターつぶやき
暦のうえとは言え夏も終わりです。
今年の夏は短かったですね。
ずっと梅雨空でしたから。。。。
同時のコロナ騒ぎで右往左往している間に5月、6月7月があっという間に過ぎてしまいました。
コロナ騒ぎの中心である東京に住んでいると、毎日の感染者数におどおどするとともに買い物や外食するにも笑顔でいけません。
今日は広島原爆の日。
昨日までは蝉の声もそうは多くなかったのですが、今日は夕暮れ時に蝉しぐれとなりました。夜になっても代ゼミが泣いています。毎年同じように蝉しぐれの中で原爆の日を迎えますが、核兵器の廃止には相変わらず向かわずにそんな世界の中で蝉は鳴き続けます。
蝉の声が悲しいです。

【2021年】ツイッターつぶやき
福井県がコロナ対策と医療の逼迫に対して
Go Toイートの中止
対区間体育館に100人程度の臨時病床を作る
という具体的な対策を当てました。
イクラ口先で国民を動かそうとしても政治に具体的なものが無ければ国民は動きません。
福井県の例を東京で当てはめるならなにができるか。
オリンピックをすぐに中止にすること。できないならば協議を終えた選手を帰国させて閉会式は中止にすること。
オリンピック村の一部を臨時病床にすること
これぐらいのことを行わないと感染の拡大を防止できないし、自宅療養を阻止つけるような医療崩壊を防げないでしょう。
オリンピック村には医療従事者が待機しているそうです。
給食センターをつくる設備もあるでしょう。
財政的にはオリンピック予算がある。

【2022年】ツイッターつぶやき
広島での平和式典で岸田総理が
平和記念式典で首相は「77年前の惨禍を決して繰り返してはならない。唯一の戦争被爆国であるわが国の責務であり、被爆地広島出身の首相としての私の誓いだ」と強調したが、核禁条約は素通りした。
(東京新聞)
核廃絶ではなくアメリカの核戦略の一員として核の傘の中から離れられない。
むしろ安倍内閣における安保条約の軍事同盟化により日本はアメリカの核戦略に積極的に参加せざるを得ない。

【2023年】ツイッターつぶやき
広島の平和式典に岸田さんも出席したようですが、毎年被爆国であることは言うが核兵器廃絶に向けては禁止条約には触れなかったようです。
日本はアメリカの占領からまだ抜け出せないところにあります。
特に経済もそうですが、軍事関係はほぼアメリカの戦略に組み込まれています。
台湾有事が言われ対中国ロシアとの対立の最前線が日本です。
中曽根さんの時に日本は不沈空母だと言っていましたが、国民1億人が乗船するアメリカの空母です。
コメント
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