strong>【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2004年】
ぶらっと出かけてきました。
日差しがきつかったですが気持ちよかったです。
ねむい。。。。
【2005年】
今年の桃は美味い!
子供の頃は、皮をペロンと手でむいて食べていたものですが、ここしばらくそんな桃を食べた覚えがなかったです。いつも包丁で皮をむいていました。でも、今年の桃は案外ペロンと向けます。
毎晩のように食べています。少し高いのですが、桃はりんごなど他の果物と違って保存がきかないのですぐ店先からなくなりますからね。。。
そういえばアンデスメロンなど、メロンも美味かった。。。
今年は果物の当たり年なのかもしれない。
【2006年】
今朝の新聞に、昨日の日記に書いた「偽装請負」の続き記事が。。。。ううう
朝、すごく腹が痛くて起きてしまった。
一瞬、昨夜飲んだ酒が悪かったのかなと思ったけど、どうも寝冷えをしてしまったのかも?すごく涼しい朝でした。おやじのヘソ出しの寝姿は。。。ハハハ、よくないですなぁ。。。
今日「ぶらり旅」で書いた蕎麦屋さんで買った「生姜のハチミツ・黒酢漬」の汁をお湯で割って飲んでみました。すごい臭いです。。。
飲み終わってからラベルをよく読んだら、「じんわり暖かい」と。。。そういえば体がぽかぽかする。夏に飲むべきものではないですなぁ。。。ううう
冬に風邪を引いたときなどは良いかもしれません。
【2007年】
梅雨明け。
梅干も今日一日しっかりと干して土用干しも終わりとしました。梅酢も一日太陽に当ててから梅を戻し、タッパーに入れて冷蔵庫に保管。
明日からしばらくの間楽しめそうです。
こう言ってはこの前の台風で被害の出た九州の方には申し訳ないのですが、東京はほとんど影響がなさそうです。一時は関東に来るかと思ったのですが、関東上陸ではもう秋の台風になってしまいます。やっと梅雨明けだというのに秋の気配では寂しすぎる。でも、今夜は秋の味覚の新秋刀魚(笑)
【2008年】
「八日目の蝉」
中央公論新社
角田 光代 著
2005年11月から2006年7月までに読売新聞夕刊に連載された新聞小説です。
角田さんは、新聞小説は初めてかな?
というのもどうも焦点が合わないような作品ではないかと感じたのです。もちろん角田さんの文章力は発揮されていますし、ひきつけられて読み進む事ができるのですが、このひきこまれて読み続けられるという意味において新聞小説としては成功しているのですが、一つの作品として完成された本という形での作品としては、何を主張されているのかの焦点が合わなくなるということです。
この作品は、赤ん坊を連れ去るという犯罪にはじまります。そしてその逃走と結末の中の主人公希和子と、連れ去られ希和子に薫と名づけられた女性が語るという構成になっています。このような犯罪という中において人間を描くという意味においてはサスペンス調です。これが新聞小説としては読者をひきつけるものとなるでしょう。赤ん坊の連れ去り事件というのは、もう20年以上昔だったか?実際に社会を騒がした事件がありますし、逃走先の半宗教団体も「娘を返して!」と叫ぶ親が実際にテレビにも出ていた事件?も記憶にあります。このような実際に記憶に残る題材にもかかわらず、その社会的な意味を掘り下げて問うものもありません。単なる題材としてあるだけのような印象をぬぐえません。この意味において優れたサスペンス(サスペンスのおもしろさはいろいろとあると思いますが)ではない。
では、角田さんの常に追い求め書き続けてきた「擬似家族」といったものの表現としてはどうか?
希和子は、実の子の様に薫を愛し育てる。愛した男の子供ということも当然あるが、その愛情に偽りはない。薫の両親はどうか?そこに薫を愛する両親がいるのかといえばいないというほかはない。その意味では血はつながらなくても希和子と薫は親子らしい家族なのである。また、宗教団体には母子が集まりその団体生活の中に共同生活がある。いろいろと社会の中でひどい仕打ちを受けた母親が逃げ込むように団体生活をしている。この集団の中に擬似家族的なものが見えるのかもしれない。また、希和子は逃走中にたくさんの人々に助けられる。子供というのは両親が家族として育てることが基本だが、実は多くの人々のいる中での家族なのである。時にはその周りの人々の愛情は家族にも負けないようにも見えるときがある。
これらの表現されたものがこの作品の主題となるのだろうか?
しかし、これらの「擬似家族」的なものは、サスペンス長という作品の流れに色が薄くなっているのではないだろうか?
先に焦点が合わないと書いたが、サスペンス調ではありながらもサスペンスとしては物足りなく、同時に角田さん独特な主題がこのサスペンス調という中に色が薄くなってしまっているという事である。
角田さんの作品には、社会の片隅にひっそりと暮らす人々が出てくる。時には小さな犯罪もあるが、その人々がその社会の片隅でうごめくように時には人間の本能をむき出しにして「生きる」姿が描かれます。そして家族の愛情というものをある意味題材としてその中に「擬似家族」の人間のふれあいや時にはその破綻を描きます。その意味において角田さんの文章力は生きていました。他にサスペンス調の作品があるかどうかはわかりませんが、今回の作品のように社会を騒がせるような犯罪を題材としたところに作品の焦点が合わなくなってしまったのではと僕は感じました。
でも、ラストは素敵ですね。。。。。
蝉は地中に何年も住み成虫として地上に出て来たら7日で死んでしまうという。
夏も終り残暑も緩む頃、夜の公園に1匹の蝉の鳴き声が聞こえる事がある。もう息の絶え絶えのように生き残った蝉、八日目の蝉は鳴きます。その蝉は他の蝉より長く生きてしまった。八日目の蝉は悲しみと寂しさの中にただ1匹生きているのだろうか?それとも長く生きて他の蝉には見ることのできなかった世界を見ることができたうれしさがあるのだろうか?どちらにしても八日目の蝉ははかない。。。。
希和子と薫は。。。。はかない中にも八日目の蝉の幸せを互いに気づかないままに感じ取ったであろう。
このラストのすばらしさ。。。。
この作品を短編として大きな犯罪から切り離して描いたならと思う。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
民意や世論というのは実際はつかみ所のないものかもしれない。イケメン二世議員におばちゃんが集まればタレント・有名人に話題が集まる。
原子の中では陽子の周りを電子が回転しているが、電子を見ることは出来ないで雲のように陽子をとりまいている。おばちゃんの人気を得たいと思ってその雲を触ればそこに電子が存在をする。菅総理が消費税を言って触ればそこにも電子は存在をする。どの議員がその意識において触ればそこにも電子は存在をする。民意・世論はそこにあると見ることができる。どこにでも電子のような民意・世論は存在をする。
しかし総体としての民意・世論は見ることができないので選挙という箱のふたを開けてはじめて電子があるかないかを見ることができる。
民意・世論というものは必ず総体として存在をするわけだが、まるで雲をつかむようなものなのである。
もちろんどこにも電子は存在するのだから政治家なり評論家や専門家が「こうだ!」と決めれば世論を作ることもできるが、それが間違いなら世論は離れて結局はその世論は他のところにあったことになる。
民意・世論はどこにあるのか。。。。。
結局唯物論的に社会全体の流れの中でどのような生活に追い込まれているか、それはなぜなのか、それを改善するには何が必要なのかを把握するしかないのではないか?そこには国民意識をこういう方向に作らねばならないといった観念論ではだめということである。逆立ちをしたら必ず間違える。
民意・世論は、総体としては長い歴史の流れの中に眺めれば正しい方向にある。その方向に右往左往しながら流れていく中に今の少なくとも封建制よりはよい社会になっている。こういう先見性のある政治家やそれを素直に口にできる政治家が歴史に名を残すわけである。もちろん政治力が伴わなければならないのだが。
なんだか日本の政治は軽く見える。総理大臣をはじめ大臣が順番に次から次に変わっていく。政治は三流でも経済は一流とは昔のことになってしまっているようだ。経済が落ち込んで政治が三流のままでは。。。。。。中国に負けるわけです。
民主党内も選挙結果を見てこの民意・世論を見つめなおすようなことを総括の中にもあるようだ。マニフェスト。。。。現実の流れ。。。。。。矛盾の中からどう新たなものを作っていくのか。
民意・世論のひとりとして見つめていかなければならないでしょうね。見つめる人が多くなれば必ずこの世の中少しはよくなります。長い目で見れば子供たちの未来に残すものができます。
観もしないテレビの音
ぼうっと新聞のページをめくる
淹れたコーヒーに氷を入れる
静かな町中に蝉の声
煙草を吸ったあとの換気扇の音
ぼうっと霞む空を眺める
(Am8:53)
「蜂蜜バター」
お気に入りの蜂蜜バターです。。。。
群馬県沼田市にある小野養蜂場が経営する
「花*みつばち館」で購入しています
朝食のトーストはこれがなくては。。。。
ドライブが好きなので時々買い出しに
娘が蜂蜜ミルクを頼んだら
一緒の僕にも梅蜂蜜ジュースを出していただきました
(Am10:30)
昼飯は持ち帰り寿司の千〇田寿司
鯖寿司がうまいです
時々ビニールの手袋をしてお釣りを渡される
あのまままた寿司作り?
それともお金をいじるときのための手袋?
梅干を食べたくてしようがいくて食べました
大きな梅干にかじりついても
すっぱさやしょっぱさをそれほど感じない
それだけ体が梅干を必要にしていたのでしょう。。。
(Pm1:38)
「ONRY PLACE WE CAN CRY」銀色夏生
1991(平成3)年角川書店より初版発行(単行本)
写真、エッセイ、詩の本
恋人ではなくて結婚相手として彼を見つめる
そんな真剣なものが伝わってきそうです
もう一度、今までもそしてこれからを見つめてみよう
以上、少しの感想コピーです
もう一度、今までもそしてこれからを見つめよう
そう、こういうものが伝わります
素敵な本ですよ。。。。
今は古本屋さんでもあまり見かけません
でも見つけて読んでみてください
若い方はきっとぐっと来ますよ
もちろん僕のようなおじさんも
ぐっときます
(夏生さんの公式ホームページでページの一部が紹介をされています)
【2011年】ツイッターつぶやき
ネット上で実名を公開している方と匿名(ハンドルネーム)とがいます。
まずは、匿名とハンドルネームとは違うことは押さえておかなければならないでしょう。よく新聞などで「匿名希望」というものがありましたが、この匿名希望とハンドルネームを出すということは実名ではないということでは変わりがありませんが、しかしこの両者には微妙な違いがあります。ここではネット上という一つの世界の話ですから、匿名として書き込みをしたりするのと、ネット上どこでも一つのハンドルネームで書き込みやコメントをすることは違いがあります。ネット上なら「夕螺」という名でブログなどのURLを残す。これでネット上ではある責任を持って一人の人間として通るわけです。
ですから実名擁護匿名性批判をする場合はこの違いをまずは見るべきでしょう。ネット上の特殊性として現実にある世界です。匿名批判とハンドルネーム批判は微妙とはいえ中身が違ってきます。
ここでは匿名とハンドルネームを一緒のものとしてみる見方に百歩譲ってそれを匿名性とします。
匿名性批判をよく見ると、ハンドルネームをころころ変えたりしながらある人への誹謗中傷や汚い言葉の羅列とその恫喝的な言葉という「匿名性を利用した悪意あるもの」批判であることが見えます。しかしこの批判を匿名性一般に用いて批判をしてしまうという間違い犯してしまっていることがある。匿名性の悪用と匿名性一般の混同があります。この混同を批判すると実名の責任やら匿名への卑怯論が一般化されもする。あるいは以前よく言われていたような匿名のブログなどはゴミのようなものだというようなうぬぼれも出る。
このように見ていくと、匿名一般の世界でのネットを楽しみお話をしている大多数の「匿名者」を抜きにした「匿名性を悪用する人 対 教条的な匿名批判と実名信仰の人」との対立がネット上を混乱させていると見ることができないでしょうか?
こういったものはほうっておけばいいことですが、教条的な匿名批判は危うい方向にネットを持って行くことが出るかもしれません。もちろん匿名性の悪用の言葉は「言論の自由だ!」などと語ってもらっては困ることで、言論に値しないものは言論の自由とは言わないことも同時に見なくてはならないでしょう。ここを抑えないと実名信仰者から嫌な思いをさせられる。だからある程度どのように考えたらよいのかを整理する必要があるわけです。
あとは、実名を使っている方は社会的に名の通った方が多く、一般人は知らなくてもその業界的な中では有名だったりもするわけでたしかに実名を出しては悪いというものではないことはもちろんです。本などの紹介やテレビなどのマスコミでは見れないかを見ることができるわけですから有意義でもあります。逆にそういう方は匿名性を利用した悪意に悩まされてもいらっしゃると思います。その中で実名の積極的な理由がおありかと思います。
そしてこのような実名を出している方々の多くはその専門分野での知識等も豊富ですから実名に効果は読む側にも有意義です。このような方々に対して匿名者は確かに一般人が多くて実名者の方のその専門知識には及ぶものがないわけですが、ここから書き込みの優劣を引き出しての匿名批判は間違いでしょう。専門知識の豊富な実名者は匿名の中に何を学ぶかがないと何のためのネットなのかがわからなくなるのではないでしょうか?ただ本の売れ行きや人気だけのネットでは。。。。
ネットではその書き込みの優劣は仕方ありませんが、プロでもアマチュアでもその能力に応じて心の中や考えたことを多くの方に伝えられることが平等にネットという世界は作りました。ここではプロもアマチュアもないわけです。平等なんです。
多くの匿名者ではないハンドルネームを使う人々。。。。ここを大切にしないとネット世界を狭めることになるでしょう。あとはネットをプロもアマチュアも文化にひきあがることを考えるべきでしょう。悪意ある匿名主義者と教条的実名優越主義者を排しながら。
【2012年】ツイッターつぶやき
2030年時点での原発依存率を決めようとしている聴取会では、0%が一番多く、さらに即時0%ともいえる意見も出始めている。
今の日常的に入ってくる報道を見れば、15%あるいは段階的に0%という考え方が多くならざるを得ないだろう。現状は脱原発状態なのだが、再稼働を前提に考えているから現状は高い依存度となっている。50数基もあるのだから。
しかし、30年までに段階的にできればなるべく早い時期に0%にするという意見を即時0%論者(ここにはある意味僕も現状が脱原発状態であり0%なのだからこれを維持するという意味では即時0%である)は、脱原発に向けて排除してはならないだろう。もちろん段階的0%を言う人の中にはとりあえずこれで原発を動かせると考えての人もいるだろうが、僕は、0%を真に望んでいる声が大きいことを信じる。
段階的に0%は、即時0%もその脱原発の実現での一つのスピードの現れです。30年までにのんびりとという人も一つのスピードの現れです。この認識の違いはあるが、0%では一致しているわけですから、あとは様々な障害を取り除くことの議論からどのくらいの時期に脱原発は可能かの議論はできるでしょう。
議論というものはこのようなものでしょう。排除前提の議論などはありえないわけです。即時0%と段階的0%を数の力で決めようなんてできないでしょう。大前提は、今の二大政党と財界は脱原発を批判して原発依存をこのまま続けることにある。即時0%や段階的な0%は脱原発として政府や財界に対立している。この対立が根本なわけです。原発依存か脱原発しかないのです。
そうならば脱原発派は連帯をしなければならないでしょう。あとは脱原発の時期をどのくらいはやめられるか(そこには「即時」も含まれる)を発電事情や経済、環境問題から発展的な議論ができるだろう。
【2013年】ツイッターつぶやき
ケーキのスポンジは市販のものを使いました。
ボールに生クリームと適量のオリゴ糖そしてすごく濃いめに溶かしたインスタントコーヒーを入れてホイップします。間に挟むクリームですからすごく硬めに。
そこにミキサーで歯ごたえが残るぐらいの砕いたナッツ(我が家はこのナッツがファンです)をいてれよくかき回します。
スポンジの下のものにブルーベーリージャムを塗ってから上のナッツクリームを乗せます。
その上の今日はキーウィフルーツを小さく切ったものを敷き詰めました。ナッツ・コーヒーそしてフルーツの酸味が案外マッチします。
その上の上の段のスポンジを乗せていつものようなホイップした生クリームを乗せて周りにも塗ってケーキらしく整えます。その上に少し残しておいてキーウィとモモを小さく切ったもの(色が変わらないように薄い食塩水でさっと洗っておきました)を混ぜたものを敷き詰めます。飾りに生のブルーベリーをさっと載せます。赤い。。。。何と言いましたっけ。。。。〇〇ベリー。この方が見た目はよくなるかも。
以前にもイチゴの季節に作ったことがあるのですが、家族には好評でした。
今日、ツイッターを読んでいたらやはり企業の業績がアップしているという記事が多く目に入った。やはり円安と株高です。
ある程度日銀の量的緩和で企業が潤うことが示されているのでしょう。
しかし一方では、今日から生活保護の支給が減らされました。もちろん生活保護だけではなくて社会保障全体が減らされていくのでしょう。公助から自助へと国家の役割が軽減される中での財政政策です。
こちらに「アベノミクス“不況”? 増える低所得/貯蓄ゼロ家庭、スーパー/コンビニ売上減」という記事があります。
記事の中のグラフを見ると、百貨店の美術・宝飾・貴金属の売り上げの伸びが急激にアップしている一方で、百貨店全体では売り上げはマイナスになっている。そしてスーパーやコンビニの売り上げもマイナスになっている。これが今の消費が拡大しているとされるアベノミクスの中身でしょう。
現実の庶民の消費は、「アベノミクス景気、どこ吹く風」というのが実態なわけです。円安・株高での利益は一部輸出産業や銀行などの利益を押し上げているが、一般庶民は逆に円安が資源・エネルギーなどを中心とした輸入材の騰貴でデメリットとなっている。物価が上がり始めているというアベノミクスでのデフレからの脱却の中身である。
安倍総理や日銀も賃上げの必要性は言うが、実際は笛吹けど企業は踊らず状態。というか、政府も賃上げについては具体的な政策を示さないで呼びかけだけなのだからやる気もないということでしょう。ですから賃上げはそうとうな時間がかかると。逆に賃金は下がり続ける傾向を示し、低所得層の増加となっており、「貯蓄ゼロ勝て」が増えていると。
賃下げ傾向はこれまで中流層と言われた世帯にまで広がりを見せて「1億総中流意識」は消滅をする。今後はホワイトカラー層も安心できないでしょう。中間層の減少と低収入層の増加、この中に完全失業率の低下のからくりもあるわけで、同時に限定正社員というものが入れば雇用そのものが不安定化するわけです。解雇規制が緩くなり低賃金化が進めば雇用は増えるといった論理が経済学の中にもありましたが、しかしこのような実体で経済はよくならないでしょう。消費は落ち込みそれはデフレ圧力となる。
【2014年】ツイッターつぶやき
産経ニュースに「2つの異なる「ガザ」を混同している日本の主要紙社説」という記事がある。
この記事は最後に
「バランスを欠いた論調は結果的に日本国民の中東理解を曇らせるだけだろう。ある社説は「今は双方が武器を置いて頭を冷やすときだ」と説いたが、双方の行動は冷徹な計算に基づいている。こんなけんか両成敗論で事態は解決しないのだ。」(引用)
と、結ばれている。
イスラエルによるガザ地区への爆撃で多数の市民の犠牲が出ている。これだけを大きく取り上げる報道が目立つが、ハマスの行っているイスラエルへの攻撃やハマスによる人間の盾なども平等に日本のマスコミは報道すべきだというのがこの記事の主張でしょう。そしてガザ地区というのは、市民が生活するガザ地区とハマスが支配するガザとの両面があり、イスラエルはハマスが支配するガザという面を攻撃しているのだというのが主張かもしれない。
この視点に立って中立的な報道も大切だが「こんなけんか両成敗論で事態は解決しないのだ。」としてハマスの支配をなくす必要性を訴えているものと受け止められる。
続く
結局こういった記事は「テロとの戦い・テロへの正義の戦争」を正しいとする論理の中にあるのではないか。
この考え方はアメリカのアフガンでの失敗や大量破壊兵器でイラクへ侵攻してしまったアメリカの間違いへの世界中からの批判や疑念を巻き起こし、結局は大量の市民の命を奪ってしまったことへの人道性にも批判が出ている。9・11テロのアメリカ人の犠牲者。しかしアメリカはやはり100倍返しをしてしまった。この中でアメリカは中東でも動きづらくなっているのではないか?
そこでイスラエルを使っているとすればそれは代理戦争でしょう。
イスラエルも独自の国家観を抱えながら。
もちろんテロを聖戦と呼ぶわけにはいかない。
テロもまた一般国民を犠牲にするしかない戦闘である。ハマスの戦闘はテロと呼べるものではないと思いますが、一般国民を殺すことには違いはない。
テロ(聖戦)と正義の戦争の終結を呼びかける報道や国民の声は間違えとは言えないだろうし、100倍返しのような殺戮には反対をするのが当たり前だろう。
そこで問題なのは、この報道がなぜ初めに社民党ポスター批判から始まったかである。
「隊員の任務は命を懸けて国土国民を守ること。当然家族も最悪の事態を覚悟する。だからこそ国家は彼らに最大限の敬意と名誉を与えるべきなのだ。」(引用)
国はアメリカの若い兵士が血を流しているのに日本だけが血を流さなくてよいのかといった論理でも集団的自衛権を強引に閣議決定をした。上の引用はこれに合致をする中身だろう。
そこでイスラエルの戦闘をアメリカの代理戦争ではないかという疑念と重ね合わせるならば、なぜ初めに社民党ポスターの批判から始めたかの理由もわかるような気がする。集団的自衛権は日本もイスラエルのような役割をアジアで果たせるかにあるということではないか?
官房長官はなぜ安倍内閣の支持率が下がっているかについて、国民が集団的自衛権に臆病だからだというような答えをしたという。
国民の平和主義への深い信頼感を変えていこうとするものには反対をせざるを得ない。
(ツイッターから)
結局戦争は市民の犠牲が大きいということです。兵士も死ねば国民も死ぬ。そして子供も死ぬ。パパもママも愛する子も返って帰ってこない。
兵士が返って帰ってきたときに妻や子がいなくなることもある。その反対に妻や子が待っていた時パパが返ってこない場合がある。戦争とはこういうものです。
社民党のポスター批判は、日本の自衛隊が戦闘に行くことを前提にしている。それは政府も同じでしょう。それを過ちと表現するなら社民党ポスターも正当性がある。日本も攻められることを想定すれば、パパが返ってきてもママや子がいなかったということも。
そして忘れてはいけないことは、相手国にもパパやママや子がいるということです。その中にパパが返ってこなかったそして帰ってきたらママも子もいなかったことが起きる。こういうものを美化した言葉で表してはならないでしょう。
「4─6月期実質GDPは年率-7.1%の見通し、消費・設備の反動減大きく」
「消化不良のバブル論争、「2017年危機」はあるか」
「6月の実質賃金大幅減 米紙、アベノミクスの先行きを不安視 格差拡大にも懸念」
「生姜焼き定食はゼータク品…凄まじい物価上昇 品目別一覧」
今夜、少しの時間のうちにこれだけニュースが飛び込んできた。4月から6月のGDPが発表された。
GDPは年率マイナス7.1%という数字はすごい数字でしょう。2%成長を目的とする経済目標ですから。
GDPの落ち込みは、個人消費と設備投資が伸びない中に現れたという。
設備投資という面では、最近企業の業績が上がっているというニュースが頻繁に目についていたが、この企業の業績アップも設備投資を通じた生産の拡大や生産性には結びついていない中でのものということになる。それは貿易収支の赤字が続いているということにも当てはまる。実質的な企業活動による業績はどのくらいのものかは隠れて見えないのではないか?
問題なのは個人消費である。
この間この個人消費の落ち込みそして駆け込み需要の反動はそうは大きなものではないといわれてきた。しかし消費の落ち込みは数字で表れており、それと連動したようにGDPも落ち込んでいる。
たしかに消費増税での価格への転嫁はうまくいき物価引き上げを担った。しかし物価が一定で落ち着いている場合は消費増税分の値上げで済まされるのだが、この価格がアベノミクスによって政策インフレ気味に上がっている中での消費増税分の価格転嫁ですからその破壊力は大きいでしょう。
円安による輸入品目の値上がりそして政府による物価上昇はよいことだとお墨付きを得た商品市場ですから物価はすさまじい形で上がっていく。その物価が上がった中での消費増税分の価格転嫁ですからそれは個人消費に相当な打撃を与えるのが当たりまです。その上実質賃金は官製春闘の賃上げはあったもののこの物価上昇には追い付かず、賃上げの恩恵もほんの少数の大企業労働者や人事院核を受ける公務員でしかなく、ほとんどの労働者には波及しなかった。最低賃金も16円の値上げで終わり、年金生活者や子育てへなどは1万円を1回きり。
この実質賃金がやはり上に書いた物価高と消費増税の影響を受けている。
この中で生姜焼き定食を昼飯に食うことも贅沢となってしまう実態。
貨幣は回転をしなければその運動価値はなくなる。
どこかに吹きだまってしまうのである。
それが企業の内部留保となる。
回転しない貨幣はいくら量を増やしても経済には反映されない。だぶつく資金はバブルとなるでしょう。株や金融バブル、不動産バブルに。銀行は国債を日銀が引き取っているので資金は豊富にある。しかし企業の設備投資や個人消費が減ればその貸出先は激減をして利益は下がる。莫大な資金を抱えていくでしょう。それもまたバブルの要因となり下手をすれば金融恐慌を引き起こす条件ともなる。
もちろんアベノミクスは、景気回復からのインフレ傾向という経済法則を逆立ちをさせて、インフレが起こればデフレからの脱却であり景気回復だというばかげた経済政策を行ってきた。そして企業利益優先国民生活低下という政策も行い貨幣の回転を抑えてきたわけですから初めからバブル経済目的だったともいえます。
悪性の物価上昇は続くでしょう。意地でも経済統計をごまかして消費税10%を行うでしょう。それをやらねばアベノミクスの敗退ですから。しかし政治的な力はあります。
それが日本の崩壊に向かう条件ともなる危険性が増してきた。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
2015年に「熱いバブルと冷たいバブル」というのを書いた。
2015年のこのころ、中国経済のバブル崩壊が懸念されていた。結果としては中国経済の過熱はこの2年間を見ればどうにか成長は継続されてバブルであったとしてもソフトランディングをしていると見たほうが良いかもしれない。
この中国の経済過熱がバブルであったとしたらこれは80年代の日本が経験した熱いアブルだったでしょう。
しかしバブルというのは経済の過熱がなくても発生をすることを証明したのが日本だったのかもしれない。もしかしたら先進国の経済政策がバブル的な様相を示していたのかもしれない。
このバブルは経済成長がゼロ成長あるいはマイナス成長の中でのものであり、実感なき経済の好循環ともいわれる。これは冷たいバブルといってもよいでしょう。
そもそも経済の好循環がない中で物価をあげるというのですからその物価は初めからバブルの様相を示します。騰がったのは株価と企業利益でした。ここにバブルが生じたわけです。一方では国民生活は相対的に低下をしました。円安誘導の中での輸入品目やエネルギー価格の上昇が生活苦を増大させ、経済の好循環は賃金を上げるという経済学の嘘に翻弄されて管制賃上げでもままならない状態です。
バブルというのは貨幣量が増大をしてその貨幣が吹き溜まって経済自体が成長しない状態といってもよいでしょう。貨幣の回転が鈍くなるという事でもあります。しかし吹き溜まった貨幣をどうにか資本にしなければならないのですが、企業本来の活動には限界があり、貨幣資本は土地や株など本来価値のないもの(労働価値説からして人の労働力によりつくられたものではない)に向かう。もともと価値のないものですからいくらでもカネが集まれば高騰していく。ここにギャンブル性あるいは無尽講のような状態となる。
今の日本経済はまさにこの状態にあり冷たいバブルが崩壊寸前です。
すでに日銀も出口を検討せざる得ない状態にあるでしょう。しかしアメリカの試みを見ても冷たいバブルは経済成長のなかった中でのバブルですから出口に向かうにしてもソフトランディングが困難となります。
日本はハイパーインフレの危機に陥る。
結局中国などの発展が著しい途上国頼らざるを得ないでしょう。吹き溜まった金をその途上国にまわすしかない。ここに先進国の覇権が激しくなる。日米の戦争有りきが台頭する。
先の戦争は植民地戦争でしたが、今は吹き溜まった金の投資先戦争になるかもしれません。ドルの基軸通貨の安定は崩れ始めて元が台頭する。中国が世界平和に果たす経済的力が問われるようになるでしょう。
日本はその中国と敵対する。しかし政治経済はその前に自戒するでしょう。このままでは・・・・・
【2018年】ツイッターつぶやき
奈良県生駒市市役所では喫煙後45分エレベーターに乗れないらしい。
総揮発性有機化合物(TVOC)濃度が喫煙者がすぐに入室すると増加するからだという事のようです。
実験が行われて喫煙者3人が入室したときなどの実験をしたそうです。
上記リンクページにグラフがあります。
しかし。。。。。
たしかに喫煙後の人が入室すると多少濃度は上がるのですが、締め切った室内の濃度自体が高すぎないでしょうか?
測定機器を入れるために扉が開いており、実験開始で締め切ると濃度が濃度はぐんぐん上がり350を越えます。喫煙前に3人が入室してそして退室するまで350を超えています。そして喫煙者3人が喫煙を終えて再度入室すると濃度は400ほどに。そして喫煙者が退室して扉があきっぱなしになると能動はぐんぐん下がります。
たしかに喫煙後の人が入ると濃度は50ほど上がるのですが、そもそも初めから350もあった中でです。
締め切った室内はしばらくすると暫定目標値の400に近づいてしまう。快適な室内濃度は200以下だそうです(13ページ)。たしかに喫煙後入室すればあがるのですが、その前の350という濃度はどこから来るのでしょうか?TVOCの危険性が言われるなら、まずは350の対策からではないかと思います。350は目標値いかだ、喫煙者が入るから400を超えるんだといった論理があるかもしれませんが、なんか違うでしょう。初めから濃度が200ぐらいなら喫煙者が入っても400を超えることはないのですから。
3次喫煙が言われていますが、喫煙者3人が入ってもいる衣類などからの煙草臭さではTVOCは変化がそうはいようです。
それにしても僕が生駒市民なら、老体に鞭打って階段を登らされることになりますなぁ。。。。。奈良観光は好きですが、観光課が上階にあったらどうしよう。
老体に鞭打って階段を登らされるほどの有害物質の増加なのでしょうか?
【2019年】ツイッターつぶやき
今日は夜遅くまで忙しくなりそうです。
今日は東京も猛暑日だそうですが、水分補給をしながら気を付けたいと思います。
空き時間も多いので喫煙ルームのあるコーヒーショップを探そう。。。。。。
【2020年】ツイッターつぶやき
今日は夜遅くまで忙しくなりそうです。
今日は東京も猛暑日だそうですが、水分補給をしながら気を付けたいと思います。
空き時間も多いので喫煙ルームのあるコーヒーショップを探そう。。。。。。
新規感染者数が増加をしている。この中で重症者と死亡者が4月5月に比べて少ない。もちろん現在の感染者数の大きな波に遅れて重症者や死亡者も多くなることは考えられる。
もちろん現在ももう少し重症者が出てもおかしくないのですが、4月5月に比べて現在の特徴は若い人の感染拡大から始ったということでしょう。夜の街関連などから始り若い方の感染拡大が表面化しました。以前から若い方の重症や死亡者数は少なかったのですが、やはり若い方には体力もありますし、免疫力も高いと思います。そうだとすれば現在大切なのは体力と免疫力を維持することではないかと思っています。
コロナウィルスが入ってもあるいは罹患しても無症状や重症化しない状態を維持できます。
免疫力という場合、何かしらの抗体ができるということだと思いますが、この抗体も一度抗体を得れば二度とコロナ感染はしないということではないようです。韓国の調査でも約3500人のうち抗体を得たのは1だそうです。日本の調査でも数%だったと記憶しています。
日本の専門家の中にはこの免疫力や抗体を重要視して感染予防などは必要なく自由の社会生活を送って経済活動を重視すべきという考え方があるように思います。今の日本政府は実質上この専門家の意見に従っていると思われます。しかし、これでは基礎疾患のある方や高齢者あるいは一時的にも他の病気をした時は死亡していき生き残った人が幸いだったということでしかありません。もちろん体力維持や免疫力をつける努力を日常生活の中で努力をしたという結果ではありますが、その人も無症状で罹患していれば体力の弱い人に感染させてしまう結果をもたらします。
このような考え方による弱肉強食的な生き残り競争は危険な考え方でもあり、社会(経済)は維持できなくなり、コロナ終息には長い年月を必要とするでしょう。
感染予防だけを行っていればよいということでもありませんし、免疫力アップだけを行っていればいいという問題ではないでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
ツイッターより
このまま五輪続けるのか…小池知事「はい、そうです」
東京はすでに医療崩壊に近い。自宅療養も爆発的拡大。オリンピック医療関連の解放が必要。
アスリートの皆さんはコロナ禍においても最高のパフォーマンスを日本国民に見せてくれています。
しかし日本の医療体制は脆弱で崩壊しそうです。感染者は入院できず家庭内に閉じ込められ家庭内感染も心配されています。幼い子供たちの感染が増えています。この中で五輪は開催され続けているのです。
【2022年】ツイッターつぶやき
最低賃金が30円上がるそうで、これは過去最高の上げだそうです。
世界的な最低賃金額には桁が違う額です。
最近の物価上昇によるとされていますが、日銀の2%目標を基準にしているのでしょうか。
しかし今の物価高は円安による値上げが大きく生活実感からすれば10%程度の物価高になっています。
しかし、年金は下がる一方ですね。
社会保障費の負担は上がり給付も自己負担が多くなります。
今後さらに国民生活は苦しくなっていくでしょう。
一方では軍事費が上がっていきます。改憲の発議は時間の問題でしょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
ふぅ・・・・
雨が降りました!
夜中も降ったようですが、昼過ぎにまた雷雨。
雷が近くで落ちたようです。そして恵みの雨が。。。。。
まとまった雨は何日ぶりだろ?まとまった雨どころか雨自体降らなかった。
公園の木々も元気を取り戻したようです。
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2004年】
ぶらっと出かけてきました。
日差しがきつかったですが気持ちよかったです。
ねむい。。。。
【2005年】
今年の桃は美味い!
子供の頃は、皮をペロンと手でむいて食べていたものですが、ここしばらくそんな桃を食べた覚えがなかったです。いつも包丁で皮をむいていました。でも、今年の桃は案外ペロンと向けます。
毎晩のように食べています。少し高いのですが、桃はりんごなど他の果物と違って保存がきかないのですぐ店先からなくなりますからね。。。
そういえばアンデスメロンなど、メロンも美味かった。。。
今年は果物の当たり年なのかもしれない。
【2006年】
今朝の新聞に、昨日の日記に書いた「偽装請負」の続き記事が。。。。ううう
朝、すごく腹が痛くて起きてしまった。
一瞬、昨夜飲んだ酒が悪かったのかなと思ったけど、どうも寝冷えをしてしまったのかも?すごく涼しい朝でした。おやじのヘソ出しの寝姿は。。。ハハハ、よくないですなぁ。。。
今日「ぶらり旅」で書いた蕎麦屋さんで買った「生姜のハチミツ・黒酢漬」の汁をお湯で割って飲んでみました。すごい臭いです。。。
飲み終わってからラベルをよく読んだら、「じんわり暖かい」と。。。そういえば体がぽかぽかする。夏に飲むべきものではないですなぁ。。。ううう
冬に風邪を引いたときなどは良いかもしれません。
【2007年】
梅雨明け。
梅干も今日一日しっかりと干して土用干しも終わりとしました。梅酢も一日太陽に当ててから梅を戻し、タッパーに入れて冷蔵庫に保管。
明日からしばらくの間楽しめそうです。
こう言ってはこの前の台風で被害の出た九州の方には申し訳ないのですが、東京はほとんど影響がなさそうです。一時は関東に来るかと思ったのですが、関東上陸ではもう秋の台風になってしまいます。やっと梅雨明けだというのに秋の気配では寂しすぎる。でも、今夜は秋の味覚の新秋刀魚(笑)
【2008年】
「八日目の蝉」
中央公論新社
角田 光代 著
2005年11月から2006年7月までに読売新聞夕刊に連載された新聞小説です。
角田さんは、新聞小説は初めてかな?
というのもどうも焦点が合わないような作品ではないかと感じたのです。もちろん角田さんの文章力は発揮されていますし、ひきつけられて読み進む事ができるのですが、このひきこまれて読み続けられるという意味において新聞小説としては成功しているのですが、一つの作品として完成された本という形での作品としては、何を主張されているのかの焦点が合わなくなるということです。
この作品は、赤ん坊を連れ去るという犯罪にはじまります。そしてその逃走と結末の中の主人公希和子と、連れ去られ希和子に薫と名づけられた女性が語るという構成になっています。このような犯罪という中において人間を描くという意味においてはサスペンス調です。これが新聞小説としては読者をひきつけるものとなるでしょう。赤ん坊の連れ去り事件というのは、もう20年以上昔だったか?実際に社会を騒がした事件がありますし、逃走先の半宗教団体も「娘を返して!」と叫ぶ親が実際にテレビにも出ていた事件?も記憶にあります。このような実際に記憶に残る題材にもかかわらず、その社会的な意味を掘り下げて問うものもありません。単なる題材としてあるだけのような印象をぬぐえません。この意味において優れたサスペンス(サスペンスのおもしろさはいろいろとあると思いますが)ではない。
では、角田さんの常に追い求め書き続けてきた「擬似家族」といったものの表現としてはどうか?
希和子は、実の子の様に薫を愛し育てる。愛した男の子供ということも当然あるが、その愛情に偽りはない。薫の両親はどうか?そこに薫を愛する両親がいるのかといえばいないというほかはない。その意味では血はつながらなくても希和子と薫は親子らしい家族なのである。また、宗教団体には母子が集まりその団体生活の中に共同生活がある。いろいろと社会の中でひどい仕打ちを受けた母親が逃げ込むように団体生活をしている。この集団の中に擬似家族的なものが見えるのかもしれない。また、希和子は逃走中にたくさんの人々に助けられる。子供というのは両親が家族として育てることが基本だが、実は多くの人々のいる中での家族なのである。時にはその周りの人々の愛情は家族にも負けないようにも見えるときがある。
これらの表現されたものがこの作品の主題となるのだろうか?
しかし、これらの「擬似家族」的なものは、サスペンス長という作品の流れに色が薄くなっているのではないだろうか?
先に焦点が合わないと書いたが、サスペンス調ではありながらもサスペンスとしては物足りなく、同時に角田さん独特な主題がこのサスペンス調という中に色が薄くなってしまっているという事である。
角田さんの作品には、社会の片隅にひっそりと暮らす人々が出てくる。時には小さな犯罪もあるが、その人々がその社会の片隅でうごめくように時には人間の本能をむき出しにして「生きる」姿が描かれます。そして家族の愛情というものをある意味題材としてその中に「擬似家族」の人間のふれあいや時にはその破綻を描きます。その意味において角田さんの文章力は生きていました。他にサスペンス調の作品があるかどうかはわかりませんが、今回の作品のように社会を騒がせるような犯罪を題材としたところに作品の焦点が合わなくなってしまったのではと僕は感じました。
でも、ラストは素敵ですね。。。。。
蝉は地中に何年も住み成虫として地上に出て来たら7日で死んでしまうという。
夏も終り残暑も緩む頃、夜の公園に1匹の蝉の鳴き声が聞こえる事がある。もう息の絶え絶えのように生き残った蝉、八日目の蝉は鳴きます。その蝉は他の蝉より長く生きてしまった。八日目の蝉は悲しみと寂しさの中にただ1匹生きているのだろうか?それとも長く生きて他の蝉には見ることのできなかった世界を見ることができたうれしさがあるのだろうか?どちらにしても八日目の蝉ははかない。。。。
希和子と薫は。。。。はかない中にも八日目の蝉の幸せを互いに気づかないままに感じ取ったであろう。
このラストのすばらしさ。。。。
この作品を短編として大きな犯罪から切り離して描いたならと思う。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
民意や世論というのは実際はつかみ所のないものかもしれない。イケメン二世議員におばちゃんが集まればタレント・有名人に話題が集まる。
原子の中では陽子の周りを電子が回転しているが、電子を見ることは出来ないで雲のように陽子をとりまいている。おばちゃんの人気を得たいと思ってその雲を触ればそこに電子が存在をする。菅総理が消費税を言って触ればそこにも電子は存在をする。どの議員がその意識において触ればそこにも電子は存在をする。民意・世論はそこにあると見ることができる。どこにでも電子のような民意・世論は存在をする。
しかし総体としての民意・世論は見ることができないので選挙という箱のふたを開けてはじめて電子があるかないかを見ることができる。
民意・世論というものは必ず総体として存在をするわけだが、まるで雲をつかむようなものなのである。
もちろんどこにも電子は存在するのだから政治家なり評論家や専門家が「こうだ!」と決めれば世論を作ることもできるが、それが間違いなら世論は離れて結局はその世論は他のところにあったことになる。
民意・世論はどこにあるのか。。。。。
結局唯物論的に社会全体の流れの中でどのような生活に追い込まれているか、それはなぜなのか、それを改善するには何が必要なのかを把握するしかないのではないか?そこには国民意識をこういう方向に作らねばならないといった観念論ではだめということである。逆立ちをしたら必ず間違える。
民意・世論は、総体としては長い歴史の流れの中に眺めれば正しい方向にある。その方向に右往左往しながら流れていく中に今の少なくとも封建制よりはよい社会になっている。こういう先見性のある政治家やそれを素直に口にできる政治家が歴史に名を残すわけである。もちろん政治力が伴わなければならないのだが。
なんだか日本の政治は軽く見える。総理大臣をはじめ大臣が順番に次から次に変わっていく。政治は三流でも経済は一流とは昔のことになってしまっているようだ。経済が落ち込んで政治が三流のままでは。。。。。。中国に負けるわけです。
民主党内も選挙結果を見てこの民意・世論を見つめなおすようなことを総括の中にもあるようだ。マニフェスト。。。。現実の流れ。。。。。。矛盾の中からどう新たなものを作っていくのか。
民意・世論のひとりとして見つめていかなければならないでしょうね。見つめる人が多くなれば必ずこの世の中少しはよくなります。長い目で見れば子供たちの未来に残すものができます。
観もしないテレビの音
ぼうっと新聞のページをめくる
淹れたコーヒーに氷を入れる
静かな町中に蝉の声
煙草を吸ったあとの換気扇の音
ぼうっと霞む空を眺める
(Am8:53)
「蜂蜜バター」
お気に入りの蜂蜜バターです。。。。
群馬県沼田市にある小野養蜂場が経営する
「花*みつばち館」で購入しています
朝食のトーストはこれがなくては。。。。
ドライブが好きなので時々買い出しに
娘が蜂蜜ミルクを頼んだら
一緒の僕にも梅蜂蜜ジュースを出していただきました
(Am10:30)
昼飯は持ち帰り寿司の千〇田寿司
鯖寿司がうまいです
時々ビニールの手袋をしてお釣りを渡される
あのまままた寿司作り?
それともお金をいじるときのための手袋?
梅干を食べたくてしようがいくて食べました
大きな梅干にかじりついても
すっぱさやしょっぱさをそれほど感じない
それだけ体が梅干を必要にしていたのでしょう。。。
(Pm1:38)
「ONRY PLACE WE CAN CRY」銀色夏生
1991(平成3)年角川書店より初版発行(単行本)
写真、エッセイ、詩の本
恋人ではなくて結婚相手として彼を見つめる
そんな真剣なものが伝わってきそうです
もう一度、今までもそしてこれからを見つめてみよう
以上、少しの感想コピーです
もう一度、今までもそしてこれからを見つめよう
そう、こういうものが伝わります
素敵な本ですよ。。。。
今は古本屋さんでもあまり見かけません
でも見つけて読んでみてください
若い方はきっとぐっと来ますよ
もちろん僕のようなおじさんも
ぐっときます
(夏生さんの公式ホームページでページの一部が紹介をされています)
【2011年】ツイッターつぶやき
ネット上で実名を公開している方と匿名(ハンドルネーム)とがいます。
まずは、匿名とハンドルネームとは違うことは押さえておかなければならないでしょう。よく新聞などで「匿名希望」というものがありましたが、この匿名希望とハンドルネームを出すということは実名ではないということでは変わりがありませんが、しかしこの両者には微妙な違いがあります。ここではネット上という一つの世界の話ですから、匿名として書き込みをしたりするのと、ネット上どこでも一つのハンドルネームで書き込みやコメントをすることは違いがあります。ネット上なら「夕螺」という名でブログなどのURLを残す。これでネット上ではある責任を持って一人の人間として通るわけです。
ですから実名擁護匿名性批判をする場合はこの違いをまずは見るべきでしょう。ネット上の特殊性として現実にある世界です。匿名批判とハンドルネーム批判は微妙とはいえ中身が違ってきます。
ここでは匿名とハンドルネームを一緒のものとしてみる見方に百歩譲ってそれを匿名性とします。
匿名性批判をよく見ると、ハンドルネームをころころ変えたりしながらある人への誹謗中傷や汚い言葉の羅列とその恫喝的な言葉という「匿名性を利用した悪意あるもの」批判であることが見えます。しかしこの批判を匿名性一般に用いて批判をしてしまうという間違い犯してしまっていることがある。匿名性の悪用と匿名性一般の混同があります。この混同を批判すると実名の責任やら匿名への卑怯論が一般化されもする。あるいは以前よく言われていたような匿名のブログなどはゴミのようなものだというようなうぬぼれも出る。
このように見ていくと、匿名一般の世界でのネットを楽しみお話をしている大多数の「匿名者」を抜きにした「匿名性を悪用する人 対 教条的な匿名批判と実名信仰の人」との対立がネット上を混乱させていると見ることができないでしょうか?
こういったものはほうっておけばいいことですが、教条的な匿名批判は危うい方向にネットを持って行くことが出るかもしれません。もちろん匿名性の悪用の言葉は「言論の自由だ!」などと語ってもらっては困ることで、言論に値しないものは言論の自由とは言わないことも同時に見なくてはならないでしょう。ここを抑えないと実名信仰者から嫌な思いをさせられる。だからある程度どのように考えたらよいのかを整理する必要があるわけです。
あとは、実名を使っている方は社会的に名の通った方が多く、一般人は知らなくてもその業界的な中では有名だったりもするわけでたしかに実名を出しては悪いというものではないことはもちろんです。本などの紹介やテレビなどのマスコミでは見れないかを見ることができるわけですから有意義でもあります。逆にそういう方は匿名性を利用した悪意に悩まされてもいらっしゃると思います。その中で実名の積極的な理由がおありかと思います。
そしてこのような実名を出している方々の多くはその専門分野での知識等も豊富ですから実名に効果は読む側にも有意義です。このような方々に対して匿名者は確かに一般人が多くて実名者の方のその専門知識には及ぶものがないわけですが、ここから書き込みの優劣を引き出しての匿名批判は間違いでしょう。専門知識の豊富な実名者は匿名の中に何を学ぶかがないと何のためのネットなのかがわからなくなるのではないでしょうか?ただ本の売れ行きや人気だけのネットでは。。。。
ネットではその書き込みの優劣は仕方ありませんが、プロでもアマチュアでもその能力に応じて心の中や考えたことを多くの方に伝えられることが平等にネットという世界は作りました。ここではプロもアマチュアもないわけです。平等なんです。
多くの匿名者ではないハンドルネームを使う人々。。。。ここを大切にしないとネット世界を狭めることになるでしょう。あとはネットをプロもアマチュアも文化にひきあがることを考えるべきでしょう。悪意ある匿名主義者と教条的実名優越主義者を排しながら。
【2012年】ツイッターつぶやき
2030年時点での原発依存率を決めようとしている聴取会では、0%が一番多く、さらに即時0%ともいえる意見も出始めている。
今の日常的に入ってくる報道を見れば、15%あるいは段階的に0%という考え方が多くならざるを得ないだろう。現状は脱原発状態なのだが、再稼働を前提に考えているから現状は高い依存度となっている。50数基もあるのだから。
しかし、30年までに段階的にできればなるべく早い時期に0%にするという意見を即時0%論者(ここにはある意味僕も現状が脱原発状態であり0%なのだからこれを維持するという意味では即時0%である)は、脱原発に向けて排除してはならないだろう。もちろん段階的0%を言う人の中にはとりあえずこれで原発を動かせると考えての人もいるだろうが、僕は、0%を真に望んでいる声が大きいことを信じる。
段階的に0%は、即時0%もその脱原発の実現での一つのスピードの現れです。30年までにのんびりとという人も一つのスピードの現れです。この認識の違いはあるが、0%では一致しているわけですから、あとは様々な障害を取り除くことの議論からどのくらいの時期に脱原発は可能かの議論はできるでしょう。
議論というものはこのようなものでしょう。排除前提の議論などはありえないわけです。即時0%と段階的0%を数の力で決めようなんてできないでしょう。大前提は、今の二大政党と財界は脱原発を批判して原発依存をこのまま続けることにある。即時0%や段階的な0%は脱原発として政府や財界に対立している。この対立が根本なわけです。原発依存か脱原発しかないのです。
そうならば脱原発派は連帯をしなければならないでしょう。あとは脱原発の時期をどのくらいはやめられるか(そこには「即時」も含まれる)を発電事情や経済、環境問題から発展的な議論ができるだろう。
【2013年】ツイッターつぶやき
ケーキのスポンジは市販のものを使いました。
ボールに生クリームと適量のオリゴ糖そしてすごく濃いめに溶かしたインスタントコーヒーを入れてホイップします。間に挟むクリームですからすごく硬めに。
そこにミキサーで歯ごたえが残るぐらいの砕いたナッツ(我が家はこのナッツがファンです)をいてれよくかき回します。
スポンジの下のものにブルーベーリージャムを塗ってから上のナッツクリームを乗せます。
その上の今日はキーウィフルーツを小さく切ったものを敷き詰めました。ナッツ・コーヒーそしてフルーツの酸味が案外マッチします。
その上の上の段のスポンジを乗せていつものようなホイップした生クリームを乗せて周りにも塗ってケーキらしく整えます。その上に少し残しておいてキーウィとモモを小さく切ったもの(色が変わらないように薄い食塩水でさっと洗っておきました)を混ぜたものを敷き詰めます。飾りに生のブルーベリーをさっと載せます。赤い。。。。何と言いましたっけ。。。。〇〇ベリー。この方が見た目はよくなるかも。
以前にもイチゴの季節に作ったことがあるのですが、家族には好評でした。
今日、ツイッターを読んでいたらやはり企業の業績がアップしているという記事が多く目に入った。やはり円安と株高です。
ある程度日銀の量的緩和で企業が潤うことが示されているのでしょう。
しかし一方では、今日から生活保護の支給が減らされました。もちろん生活保護だけではなくて社会保障全体が減らされていくのでしょう。公助から自助へと国家の役割が軽減される中での財政政策です。
こちらに「アベノミクス“不況”? 増える低所得/貯蓄ゼロ家庭、スーパー/コンビニ売上減」という記事があります。
記事の中のグラフを見ると、百貨店の美術・宝飾・貴金属の売り上げの伸びが急激にアップしている一方で、百貨店全体では売り上げはマイナスになっている。そしてスーパーやコンビニの売り上げもマイナスになっている。これが今の消費が拡大しているとされるアベノミクスの中身でしょう。
現実の庶民の消費は、「アベノミクス景気、どこ吹く風」というのが実態なわけです。円安・株高での利益は一部輸出産業や銀行などの利益を押し上げているが、一般庶民は逆に円安が資源・エネルギーなどを中心とした輸入材の騰貴でデメリットとなっている。物価が上がり始めているというアベノミクスでのデフレからの脱却の中身である。
安倍総理や日銀も賃上げの必要性は言うが、実際は笛吹けど企業は踊らず状態。というか、政府も賃上げについては具体的な政策を示さないで呼びかけだけなのだからやる気もないということでしょう。ですから賃上げはそうとうな時間がかかると。逆に賃金は下がり続ける傾向を示し、低所得層の増加となっており、「貯蓄ゼロ勝て」が増えていると。
賃下げ傾向はこれまで中流層と言われた世帯にまで広がりを見せて「1億総中流意識」は消滅をする。今後はホワイトカラー層も安心できないでしょう。中間層の減少と低収入層の増加、この中に完全失業率の低下のからくりもあるわけで、同時に限定正社員というものが入れば雇用そのものが不安定化するわけです。解雇規制が緩くなり低賃金化が進めば雇用は増えるといった論理が経済学の中にもありましたが、しかしこのような実体で経済はよくならないでしょう。消費は落ち込みそれはデフレ圧力となる。
【2014年】ツイッターつぶやき
産経ニュースに「2つの異なる「ガザ」を混同している日本の主要紙社説」という記事がある。
この記事は最後に
「バランスを欠いた論調は結果的に日本国民の中東理解を曇らせるだけだろう。ある社説は「今は双方が武器を置いて頭を冷やすときだ」と説いたが、双方の行動は冷徹な計算に基づいている。こんなけんか両成敗論で事態は解決しないのだ。」(引用)
と、結ばれている。
イスラエルによるガザ地区への爆撃で多数の市民の犠牲が出ている。これだけを大きく取り上げる報道が目立つが、ハマスの行っているイスラエルへの攻撃やハマスによる人間の盾なども平等に日本のマスコミは報道すべきだというのがこの記事の主張でしょう。そしてガザ地区というのは、市民が生活するガザ地区とハマスが支配するガザとの両面があり、イスラエルはハマスが支配するガザという面を攻撃しているのだというのが主張かもしれない。
この視点に立って中立的な報道も大切だが「こんなけんか両成敗論で事態は解決しないのだ。」としてハマスの支配をなくす必要性を訴えているものと受け止められる。
続く
結局こういった記事は「テロとの戦い・テロへの正義の戦争」を正しいとする論理の中にあるのではないか。
この考え方はアメリカのアフガンでの失敗や大量破壊兵器でイラクへ侵攻してしまったアメリカの間違いへの世界中からの批判や疑念を巻き起こし、結局は大量の市民の命を奪ってしまったことへの人道性にも批判が出ている。9・11テロのアメリカ人の犠牲者。しかしアメリカはやはり100倍返しをしてしまった。この中でアメリカは中東でも動きづらくなっているのではないか?
そこでイスラエルを使っているとすればそれは代理戦争でしょう。
イスラエルも独自の国家観を抱えながら。
もちろんテロを聖戦と呼ぶわけにはいかない。
テロもまた一般国民を犠牲にするしかない戦闘である。ハマスの戦闘はテロと呼べるものではないと思いますが、一般国民を殺すことには違いはない。
テロ(聖戦)と正義の戦争の終結を呼びかける報道や国民の声は間違えとは言えないだろうし、100倍返しのような殺戮には反対をするのが当たり前だろう。
そこで問題なのは、この報道がなぜ初めに社民党ポスター批判から始まったかである。
「隊員の任務は命を懸けて国土国民を守ること。当然家族も最悪の事態を覚悟する。だからこそ国家は彼らに最大限の敬意と名誉を与えるべきなのだ。」(引用)
国はアメリカの若い兵士が血を流しているのに日本だけが血を流さなくてよいのかといった論理でも集団的自衛権を強引に閣議決定をした。上の引用はこれに合致をする中身だろう。
そこでイスラエルの戦闘をアメリカの代理戦争ではないかという疑念と重ね合わせるならば、なぜ初めに社民党ポスターの批判から始めたかの理由もわかるような気がする。集団的自衛権は日本もイスラエルのような役割をアジアで果たせるかにあるということではないか?
官房長官はなぜ安倍内閣の支持率が下がっているかについて、国民が集団的自衛権に臆病だからだというような答えをしたという。
国民の平和主義への深い信頼感を変えていこうとするものには反対をせざるを得ない。
(ツイッターから)
結局戦争は市民の犠牲が大きいということです。兵士も死ねば国民も死ぬ。そして子供も死ぬ。パパもママも愛する子も返って帰ってこない。
兵士が返って帰ってきたときに妻や子がいなくなることもある。その反対に妻や子が待っていた時パパが返ってこない場合がある。戦争とはこういうものです。
社民党のポスター批判は、日本の自衛隊が戦闘に行くことを前提にしている。それは政府も同じでしょう。それを過ちと表現するなら社民党ポスターも正当性がある。日本も攻められることを想定すれば、パパが返ってきてもママや子がいなかったということも。
そして忘れてはいけないことは、相手国にもパパやママや子がいるということです。その中にパパが返ってこなかったそして帰ってきたらママも子もいなかったことが起きる。こういうものを美化した言葉で表してはならないでしょう。
「4─6月期実質GDPは年率-7.1%の見通し、消費・設備の反動減大きく」
「消化不良のバブル論争、「2017年危機」はあるか」
「6月の実質賃金大幅減 米紙、アベノミクスの先行きを不安視 格差拡大にも懸念」
「生姜焼き定食はゼータク品…凄まじい物価上昇 品目別一覧」
今夜、少しの時間のうちにこれだけニュースが飛び込んできた。4月から6月のGDPが発表された。
GDPは年率マイナス7.1%という数字はすごい数字でしょう。2%成長を目的とする経済目標ですから。
GDPの落ち込みは、個人消費と設備投資が伸びない中に現れたという。
設備投資という面では、最近企業の業績が上がっているというニュースが頻繁に目についていたが、この企業の業績アップも設備投資を通じた生産の拡大や生産性には結びついていない中でのものということになる。それは貿易収支の赤字が続いているということにも当てはまる。実質的な企業活動による業績はどのくらいのものかは隠れて見えないのではないか?
問題なのは個人消費である。
この間この個人消費の落ち込みそして駆け込み需要の反動はそうは大きなものではないといわれてきた。しかし消費の落ち込みは数字で表れており、それと連動したようにGDPも落ち込んでいる。
たしかに消費増税での価格への転嫁はうまくいき物価引き上げを担った。しかし物価が一定で落ち着いている場合は消費増税分の値上げで済まされるのだが、この価格がアベノミクスによって政策インフレ気味に上がっている中での消費増税分の価格転嫁ですからその破壊力は大きいでしょう。
円安による輸入品目の値上がりそして政府による物価上昇はよいことだとお墨付きを得た商品市場ですから物価はすさまじい形で上がっていく。その物価が上がった中での消費増税分の価格転嫁ですからそれは個人消費に相当な打撃を与えるのが当たりまです。その上実質賃金は官製春闘の賃上げはあったもののこの物価上昇には追い付かず、賃上げの恩恵もほんの少数の大企業労働者や人事院核を受ける公務員でしかなく、ほとんどの労働者には波及しなかった。最低賃金も16円の値上げで終わり、年金生活者や子育てへなどは1万円を1回きり。
この実質賃金がやはり上に書いた物価高と消費増税の影響を受けている。
この中で生姜焼き定食を昼飯に食うことも贅沢となってしまう実態。
貨幣は回転をしなければその運動価値はなくなる。
どこかに吹きだまってしまうのである。
それが企業の内部留保となる。
回転しない貨幣はいくら量を増やしても経済には反映されない。だぶつく資金はバブルとなるでしょう。株や金融バブル、不動産バブルに。銀行は国債を日銀が引き取っているので資金は豊富にある。しかし企業の設備投資や個人消費が減ればその貸出先は激減をして利益は下がる。莫大な資金を抱えていくでしょう。それもまたバブルの要因となり下手をすれば金融恐慌を引き起こす条件ともなる。
もちろんアベノミクスは、景気回復からのインフレ傾向という経済法則を逆立ちをさせて、インフレが起こればデフレからの脱却であり景気回復だというばかげた経済政策を行ってきた。そして企業利益優先国民生活低下という政策も行い貨幣の回転を抑えてきたわけですから初めからバブル経済目的だったともいえます。
悪性の物価上昇は続くでしょう。意地でも経済統計をごまかして消費税10%を行うでしょう。それをやらねばアベノミクスの敗退ですから。しかし政治的な力はあります。
それが日本の崩壊に向かう条件ともなる危険性が増してきた。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
2015年に「熱いバブルと冷たいバブル」というのを書いた。
2015年のこのころ、中国経済のバブル崩壊が懸念されていた。結果としては中国経済の過熱はこの2年間を見ればどうにか成長は継続されてバブルであったとしてもソフトランディングをしていると見たほうが良いかもしれない。
この中国の経済過熱がバブルであったとしたらこれは80年代の日本が経験した熱いアブルだったでしょう。
しかしバブルというのは経済の過熱がなくても発生をすることを証明したのが日本だったのかもしれない。もしかしたら先進国の経済政策がバブル的な様相を示していたのかもしれない。
このバブルは経済成長がゼロ成長あるいはマイナス成長の中でのものであり、実感なき経済の好循環ともいわれる。これは冷たいバブルといってもよいでしょう。
そもそも経済の好循環がない中で物価をあげるというのですからその物価は初めからバブルの様相を示します。騰がったのは株価と企業利益でした。ここにバブルが生じたわけです。一方では国民生活は相対的に低下をしました。円安誘導の中での輸入品目やエネルギー価格の上昇が生活苦を増大させ、経済の好循環は賃金を上げるという経済学の嘘に翻弄されて管制賃上げでもままならない状態です。
バブルというのは貨幣量が増大をしてその貨幣が吹き溜まって経済自体が成長しない状態といってもよいでしょう。貨幣の回転が鈍くなるという事でもあります。しかし吹き溜まった貨幣をどうにか資本にしなければならないのですが、企業本来の活動には限界があり、貨幣資本は土地や株など本来価値のないもの(労働価値説からして人の労働力によりつくられたものではない)に向かう。もともと価値のないものですからいくらでもカネが集まれば高騰していく。ここにギャンブル性あるいは無尽講のような状態となる。
今の日本経済はまさにこの状態にあり冷たいバブルが崩壊寸前です。
すでに日銀も出口を検討せざる得ない状態にあるでしょう。しかしアメリカの試みを見ても冷たいバブルは経済成長のなかった中でのバブルですから出口に向かうにしてもソフトランディングが困難となります。
日本はハイパーインフレの危機に陥る。
結局中国などの発展が著しい途上国頼らざるを得ないでしょう。吹き溜まった金をその途上国にまわすしかない。ここに先進国の覇権が激しくなる。日米の戦争有りきが台頭する。
先の戦争は植民地戦争でしたが、今は吹き溜まった金の投資先戦争になるかもしれません。ドルの基軸通貨の安定は崩れ始めて元が台頭する。中国が世界平和に果たす経済的力が問われるようになるでしょう。
日本はその中国と敵対する。しかし政治経済はその前に自戒するでしょう。このままでは・・・・・
【2018年】ツイッターつぶやき
奈良県生駒市市役所では喫煙後45分エレベーターに乗れないらしい。
総揮発性有機化合物(TVOC)濃度が喫煙者がすぐに入室すると増加するからだという事のようです。
実験が行われて喫煙者3人が入室したときなどの実験をしたそうです。
上記リンクページにグラフがあります。
しかし。。。。。
たしかに喫煙後の人が入室すると多少濃度は上がるのですが、締め切った室内の濃度自体が高すぎないでしょうか?
測定機器を入れるために扉が開いており、実験開始で締め切ると濃度が濃度はぐんぐん上がり350を越えます。喫煙前に3人が入室してそして退室するまで350を超えています。そして喫煙者3人が喫煙を終えて再度入室すると濃度は400ほどに。そして喫煙者が退室して扉があきっぱなしになると能動はぐんぐん下がります。
たしかに喫煙後の人が入ると濃度は50ほど上がるのですが、そもそも初めから350もあった中でです。
締め切った室内はしばらくすると暫定目標値の400に近づいてしまう。快適な室内濃度は200以下だそうです(13ページ)。たしかに喫煙後入室すればあがるのですが、その前の350という濃度はどこから来るのでしょうか?TVOCの危険性が言われるなら、まずは350の対策からではないかと思います。350は目標値いかだ、喫煙者が入るから400を超えるんだといった論理があるかもしれませんが、なんか違うでしょう。初めから濃度が200ぐらいなら喫煙者が入っても400を超えることはないのですから。
3次喫煙が言われていますが、喫煙者3人が入ってもいる衣類などからの煙草臭さではTVOCは変化がそうはいようです。
それにしても僕が生駒市民なら、老体に鞭打って階段を登らされることになりますなぁ。。。。。奈良観光は好きですが、観光課が上階にあったらどうしよう。
老体に鞭打って階段を登らされるほどの有害物質の増加なのでしょうか?
【2019年】ツイッターつぶやき
今日は夜遅くまで忙しくなりそうです。
今日は東京も猛暑日だそうですが、水分補給をしながら気を付けたいと思います。
空き時間も多いので喫煙ルームのあるコーヒーショップを探そう。。。。。。
【2020年】ツイッターつぶやき
今日は夜遅くまで忙しくなりそうです。
今日は東京も猛暑日だそうですが、水分補給をしながら気を付けたいと思います。
空き時間も多いので喫煙ルームのあるコーヒーショップを探そう。。。。。。
新規感染者数が増加をしている。この中で重症者と死亡者が4月5月に比べて少ない。もちろん現在の感染者数の大きな波に遅れて重症者や死亡者も多くなることは考えられる。
もちろん現在ももう少し重症者が出てもおかしくないのですが、4月5月に比べて現在の特徴は若い人の感染拡大から始ったということでしょう。夜の街関連などから始り若い方の感染拡大が表面化しました。以前から若い方の重症や死亡者数は少なかったのですが、やはり若い方には体力もありますし、免疫力も高いと思います。そうだとすれば現在大切なのは体力と免疫力を維持することではないかと思っています。
コロナウィルスが入ってもあるいは罹患しても無症状や重症化しない状態を維持できます。
免疫力という場合、何かしらの抗体ができるということだと思いますが、この抗体も一度抗体を得れば二度とコロナ感染はしないということではないようです。韓国の調査でも約3500人のうち抗体を得たのは1だそうです。日本の調査でも数%だったと記憶しています。
日本の専門家の中にはこの免疫力や抗体を重要視して感染予防などは必要なく自由の社会生活を送って経済活動を重視すべきという考え方があるように思います。今の日本政府は実質上この専門家の意見に従っていると思われます。しかし、これでは基礎疾患のある方や高齢者あるいは一時的にも他の病気をした時は死亡していき生き残った人が幸いだったということでしかありません。もちろん体力維持や免疫力をつける努力を日常生活の中で努力をしたという結果ではありますが、その人も無症状で罹患していれば体力の弱い人に感染させてしまう結果をもたらします。
このような考え方による弱肉強食的な生き残り競争は危険な考え方でもあり、社会(経済)は維持できなくなり、コロナ終息には長い年月を必要とするでしょう。
感染予防だけを行っていればよいということでもありませんし、免疫力アップだけを行っていればいいという問題ではないでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
ツイッターより
このまま五輪続けるのか…小池知事「はい、そうです」
東京はすでに医療崩壊に近い。自宅療養も爆発的拡大。オリンピック医療関連の解放が必要。
アスリートの皆さんはコロナ禍においても最高のパフォーマンスを日本国民に見せてくれています。
しかし日本の医療体制は脆弱で崩壊しそうです。感染者は入院できず家庭内に閉じ込められ家庭内感染も心配されています。幼い子供たちの感染が増えています。この中で五輪は開催され続けているのです。
【2022年】ツイッターつぶやき
最低賃金が30円上がるそうで、これは過去最高の上げだそうです。
世界的な最低賃金額には桁が違う額です。
最近の物価上昇によるとされていますが、日銀の2%目標を基準にしているのでしょうか。
しかし今の物価高は円安による値上げが大きく生活実感からすれば10%程度の物価高になっています。
しかし、年金は下がる一方ですね。
社会保障費の負担は上がり給付も自己負担が多くなります。
今後さらに国民生活は苦しくなっていくでしょう。
一方では軍事費が上がっていきます。改憲の発議は時間の問題でしょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
ふぅ・・・・
雨が降りました!
夜中も降ったようですが、昼過ぎにまた雷雨。
雷が近くで落ちたようです。そして恵みの雨が。。。。。
まとまった雨は何日ぶりだろ?まとまった雨どころか雨自体降らなかった。
公園の木々も元気を取り戻したようです。