たとえば幼児において、
『うそをつく』のが、成長の証であるなら。
『三歳児』であるゴンザのウソを、
私は喜ぶべきなのだろうか?
冷凍庫を開けたら、あるはずのアイスがなくなっていたので、
「知らない?」と尋ねれば、
「傷んでいたから捨てておいたよ」と。
果たして、この下手なウソが成長の証と言えるかどうかは知らないが…
あまりに、強引であるのだけは確かで。
私は無駄を承知で静かに諭す。
「冷凍庫のアイスは腐らないし、お口に入れるのは、『捨てる』とは言わないのよ」
…と。
耳を塞いだ幼児は、そのお説教が何も聞こえなくなるように、
「知らない!知らない!知らない!聞きたくない!あ~、あ~」とジタバタする。
…嗚呼。
たとえば『ウソ』が成長の証であるなら、
ではこの『ジタバタ』は、何歳児程度の行動にあたるのだろうか?
ただ、私としては、『むしろ後退』と言われないよう、
そればかりを祈るのみである。
ま、そんな三歳児も、
ときにそっとアイスを買い足しておく、なんて悪知恵だけは持ってるんだけどね。
『うそをつく』のが、成長の証であるなら。
『三歳児』であるゴンザのウソを、
私は喜ぶべきなのだろうか?
冷凍庫を開けたら、あるはずのアイスがなくなっていたので、
「知らない?」と尋ねれば、
「傷んでいたから捨てておいたよ」と。
果たして、この下手なウソが成長の証と言えるかどうかは知らないが…
あまりに、強引であるのだけは確かで。
私は無駄を承知で静かに諭す。
「冷凍庫のアイスは腐らないし、お口に入れるのは、『捨てる』とは言わないのよ」
…と。
耳を塞いだ幼児は、そのお説教が何も聞こえなくなるように、
「知らない!知らない!知らない!聞きたくない!あ~、あ~」とジタバタする。
…嗚呼。
たとえば『ウソ』が成長の証であるなら、
ではこの『ジタバタ』は、何歳児程度の行動にあたるのだろうか?
ただ、私としては、『むしろ後退』と言われないよう、
そればかりを祈るのみである。
ま、そんな三歳児も、
ときにそっとアイスを買い足しておく、なんて悪知恵だけは持ってるんだけどね。