空間、瞬間、人の手によって作られる何か。
『禁酒法』の是非については面倒なので触れないが。
確かにこれは、
酒を『酔うための手段』として捉えたがために、
決められたことのように思う。
酒を飲む=集団で騒ぐ、だと。
食事との組み合わせで、
じっくり、その妙なる味の調べを愉しむ、
とか、
一人、仕事や家庭を離れて、
良い音楽や空間に浸り、リラックスする、等とは、
まったく違う、酒への解釈。
(いや、実際集団で騒ぐヤツもいるし、
お国や自治体も仕事で、
個別のケースなど考えて対応している暇はないゆえに、
一律の措置、だというコトは重々承知はしているんですよ。
ホントはね)
素晴らしいチーズを前にワインなしとか、
旨い刺身を前に日本酒なしとか、
揚げたてあつあつフライにビールやレモンサワーなしとか...
我々酒飲みにとって、
それはまさに身悶えする不幸であるが(笑)
酒を飲まない人からすれば、
まったく理解不能だろう。
だけど...
茶では無理。
あの、料理に対する相乗効果は、
酒以外では...。
あんこやおにぎりには日本茶がベストであるように、
焼き鳥にはビールが欠かせない。
焼きたての餃子にも。
(まあ、この場合炊き立て白飯でも良いのだが)
「あら、そんなに酒が好きなら家で飲めばいいじゃない!?」
という声があるのもわかってはいるが。
これまた、美味いものを供してくれる人、
および、自分とは違う空間を用意してくれる人あっての、
『旨い酒』なのも間違いがない。
『問題』となっている、
人との会話を含めて。
そもそも何より、
酒に酔う=大騒ぎする、
は、コロナ禍でなくとも、
あまり良いモノではないと思うので、
少しずつ、そこが変わっていけば、と。
『無礼講』はタテマエであって、
そこで見せた姿は、ずっと相手の記憶に残る。
酒とそれに合う食事を提供する側として、
また、一人の美味いものと酒を愛する人間として、
切に願う。
早く自由に飲める日が来ればいいなぁ!
ベランダで飲むのも美味いんだけどね、たまには。
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