今日は、ちびくんの命日。
あの、小雪ちらつく、寒い、旅立ちの日から......。
もう3年が経ちました。
ちびくんお気に入りのソファはボロボロになってきて......
そこにある、『彼』のカバーも、年中撫でまわされるせいで、
汚れてきちゃったけど.....
彼の姿が見えないさみしさは。
......彼に対する愛しさは。
何年経とうと変わらない。
ちびくんは、家族で......
私たちの分身だから。
ちびくん、そっちはどうかなぁ。
美味しいハムは、お空にあるかな?
......いや。
今日もまた、ゴンザがとびきりの、
ハムの塊を買ってきたから......
「ボクはやっぱり、ずっとお空なんかに行かないよ」って、
そう言ってるかも。
ゴンザのそばを、片時も離れなかったちびくんだから。
今も、いつだって、ゴンザのそばにいるんだね。
......私や、ちゃあこのそばにも。
そういえば......ちびくん、ゴンザね。
今週ちびくんの夢をいっぱい見たってさ。
「ちびくんが元気に駆け回ってた」って。
相変わらず、ちびくんの夢を見ると、泣いちゃうんだけどね。
ちびくん。
私たち家族は、いつだってちびくんが大好きだからね。
いつも、いつまでも、ちびくんのそばにいるからね。
だけど、このちびくんの愛らしい姿を見ることができて、うれしいです。
「うれしい」というのも変なのですが。愛されている猫の姿を見るととてもほっとするのです。
今は膝の上に、腕の中にいないかもしれませんが、一緒にいた記憶は絶対に消えないし、「大好き」と思う気持ちもなくならないですよね。
ちびくん、またerimaさんたちにご挨拶に来てあげてね。
夫の実家のちびも思い出します
ちびもさよならしてから3年になります
臆病で用心深くて我慢強くて
ちょっぴり
餌をねだる時の声が全然可愛くなくて…
夫の実家に行くとつい探してしまうのです
私も思い出すと泣きますよ
ちびくんもいい子だったんでしょうね
ちびちゃんはお空へ旅立ってしまたけれど、
こんな素敵なページにたどりつけたのはちびくんがいたから。
そして今もこうして遊びに来ている(^^)
みんなちびくんがつないでくれたんだわ。ありがとうね。
今頃はゴンザさんが買ってきてくれたとびっきりのハムにかぶりついているかしら!
昨日は本当に嵐のようなお天気で、もしちびくんがそこにいたら、「ぷしゅん!」とくしゃみを連発していたことでしょう。
花粉症の彼が、あまりの痒みに、人間のような手つきで、「ごしごし」と目をこすり続けていたのも思い出されます。
そのくせ、目薬が大嫌いで。
誰かと誰かが家族で、互いを必要としていること。
また、誰かの猫の、幸せそうな、ぬくぬくとした姿を見ること。
ちびくんとの別れがあったからこそ、私にも...
その姿がうれしく感じられます。
どうか、すべての猫が幸せでありますように。
ツマ様、ありがとうございます。
nyaopoo様のちびちゃんも、お別れしてから3年ですか...。
3年って、長いような短いような、不思議な感覚です。
でも、私がちびくんとともに暮らした17年と9か月の思い出はいつまでも鮮やかで...
ゴンザはまた、私より、共に暮らした期間としては少し短いのですけど、運命の相棒としては、言葉では語りつくせぬものがあるように思えます。
本当に。
家にいる間は、片時もそばを離れることがありませんでしたから。
トイレに行く時も一緒。
寝る時も、座る時もぴったり寄り添って。
ちびくんもね。
「な~う」「うぉん」と、変な鳴き方をする子だったんですよ。
鳴くというより、しゃべる、かな。
とても我慢強く、寡黙で、でも実は誰より甘えん坊の、素晴らしいいい子でした。
nyaopoo様のちびちゃんも、我が家のちびくんも、きっといつか、また会えますね。
朝起きたら、ちびくんにお供えしたハムはきれいになくなっていました。
「わ~、ちびくん、美味しかったねぇ。綺麗に食べたねぇ♪」と、二人でちゃあこの顔を見ながらわざとらしく言ったんですけど...
実際に食べた犯人は、毛づくろいしながら無視、でした(笑)
私がブログを始めたきっかけ。
それはちびくんの体調不良からでした。
そして、闘病を続ける中で、じゅりりん様と出会い、皆さんと出会い...
本当に、それが私たち家族を、どれだけ励ましてくれたことでしょう。
ちびくんは、多くの出会いをくれただけでなく、無限に広がる人の輪を遺してくれたのですね。
人と人、だけでなく、猫とわんこの出会いも...
私もべいびぃー君ことを、よく思い出します。
そして、ちびくんとの別れがあり、べいびぃー君とのお別れがあり、私たちの日々は少しずつ変わっていくけれど...
それでも、彼らがくれたたくさんの思い出と、たくさんの大切なものは、絶対にいつまでも変わらないのですよね。
じゅりりん様、ありがとうございます。
いつか会えるかもしれない、
お別れだとは考えず、
また明日といえる時が来るかもしれない…
すんごく人間にとって都合の良い考えかもしれないけど
もし、私がこの世とバイバイする時が来たら、
彼らにお迎えしてもらえると嬉しいな、などと
思ったりもするんです。
そしたら、ずーっと一緒にいられるんだもんねえ、
ずーっと昼寝できるんだもんねえ…
普段はそういう考え方に否定的なはずなのに、どうしても愛する猫を思うとき。
「また会える」と、そう思えてなりません。
確かに人間にとって、とても都合の良い考え方ですが、そうとしか思えないし、おそらく、そう思わねば、彼らの姿が見えないことに、私たちは耐えられないのかもしれないですね。
今は姿は見えないけれど、いつかきっと、また会えると。
そう思います。
トノ君とも、ちびくんとも、ぶっちゃんとも。
そしていずれは、ず~っとみんなで一緒に、お昼寝するんですね。