サリン事件から、もう20年経ったんですね。
今日の東京新聞朝刊です。
あの日、私はカルチャースクールへと急いでいました。
最寄りの駅で大騒ぎが起こっていて、地下鉄の改札は「ただいま過激派テロにより電車は止まっています」
の張り紙があり、ビックリしました。
過激派って?革マルや中核がいつのまに盛り返してきたの?
疑問に思いつつカルチャ-スクールに到着すると、みなさんその話でもちきり。
東京駅から地下鉄はノンストップで来た、という神奈川県の人。
「地下鉄が狙われた」とか、「死者が出てる」と言う人。
左翼過激派はそんなことするほど元気があるはずがない・・と思って
ふと考えついたのが「それって、アレしかないでしょう。オウム真理教の仕業よ」と
私が言うと、皆さんが「えーっ!そうなんですか?」。
事実が分かったのは帰宅してTVをつけてからです。
初めて聞くサリンという言葉でした。
私の家族は、誰も被害にあいませんでしたが、TVのモニターに映る光景は、まるで地獄絵です。
大手町あたりは道路にテントが建てられて緊急の医療所になり、
次々と死者の報告がでます。
夜になってイギリス留学中の娘がコレクトコールで電話をしてきました。
教師が「電話を入れたほうがいい」とアドバイスしてくれたそうです。
海外でも、地下鉄という公共の場で化学兵器がまかれたことに大きな反応をしていたようです。
私は今でもこのオウム真理教に破防法の適用がされなかったことを疑問とともに怒りを持っています。
この事件が年数がたつとともに風化しようとしているそうです。
このために、自分を失って信仰に救いを求める若い人が、過去の事件を知らずに
このオウム関連の団体に惹かれていっている事態も明るみに出ています。
忘れてはいけないのです。そして許してはいけないのです。