※2013年、卒業式、入学式のシーズンを迎え、巳年にもかかわらず、走り続ける1年になりそうです。辻谷博子
年のはじめに
目出度さも ちう位也 おらが春 一茶
※「ちう位」は信州方言で、「いい加減・どっちつかず・あやふや」の意。
正月を迎えるめでたさも、まぁいいかげんなものだ。それはそれで私らしい新春であるよ。
本年もよろしくお願いいたします。
中国から伝わった老荘思想は、時折、私にとってビタミン剤のような効果をもたらします。
いや、「ビタミン剤」という比喩はもっとも老荘思想をたとえるにふさわしくないかもしれません。
ならば、何でたとえるか、「深い呼吸」を取り戻すというあたりでしょうか。
一昨年の、君が代強制条例制定以来、教育支配が進む状況を憂えるなかまと共に走りに走った1年でした。
そのなかでの様々な方との新たな出会いは私にとっては刺激的であり、楽しくもありました。
その反面、私たちが進めている運動が独りよがりのものになってやしないか、についても、おおいに考えさせられ、
「伝えること」の難しさを痛感した1年でもありました。
「国語」の教員としてコミュニケーションの問題は、私にとって大きな課題ですが、
「伝わらないこと」のもどかしさと、「伝えるには」どうすればいいか、というところで一喜一憂した1年であったと言えます。
新春にあたって、人口に膾炙した一茶の句を冒頭に据えたのは、いい意味での「諦観」を取り戻したいと思ったからです。
これは、なにも対話を諦めるということでもなければ、運動を諦めるということでもありません。
むしろその逆かもしれません。
諦観を据えた闘いこそが、多様な生を肯定する、しなやかな闘いであり、
だからこそ、最も強い闘いと言えるのではないでしょうか。
もともと、「儒教的」な心根傾向が強く、直球しか投げることができない人間ですので、
よけいに、それとは真逆の道教的な世界にひかれるのかもしれません。
「ちう位」でいいじゃないか。いいかげんでいいじゃないか。
「おらが春」が激動の嵐になることがわかっているだけに、
今は、その嵐の前に、「ちう位」のところで、この1年をやってみるかと淡々と思う正月元旦です。
寒さ増しつつ穏やかな正月元旦に
辻谷博子