渡部秀清さんからも、このゆゆしき大阪の事態についてメールが届きました。
本日(1月14日)、大阪府教委・教育振興室長名で、
①「平成25年度卒業式及び平成26年度入学式の実施について(通知)」
が出されました。(府立学校 校長・准校長あて)
同時に(府立学校 教職員あて)に、
②「入学式及び卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について(通達)」
も出されました。
①には、<別添>として、
「入学式及び卒業式における国歌斉唱時の対応について」が付いており、
そこには次のようなことが書かれています。
1、根拠法令・通知
(略)
2、校長・准校長の職務
(1)入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う際は起立により
斉唱するよう教職員に対して通達(②のこと)を行っており、
この趣旨を徹底するよう職務命令を行う。
(2)入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う際、
教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。現認については、
目視により、教頭・事務(部)長が行う
(現認の補助的な役割を、首席等にあたえることはできるが、
校内での最終的な起立・斉唱の判断は管理職が行うものとする)。
(3)校長・准校長は、実施状況について報告する。
3、不起立・不斉唱の判断基準
入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う場合に起立・斉唱を求める
職務命令の趣旨は、厳粛な公式行事である入学式及び卒業式等において、
公務員として誠意ある姿勢・態度を客観的に生徒・保護者を含む府民に示し、
公務の信頼性を維持する点にあると理解する。
この趣旨に鑑みれば、起立行為または斉唱行為の一部だけを取り上げ、
形式的に判断するのではなく、各職員の起立行為または斉唱行為を
総合的に現認し、公務の信頼性を維持するに十分な誠意ある姿勢・
態度を各職員がとっているか否かという観点で判断すべきである。
不起立または不斉唱の判断が困難であると考えられる場合には、
事案の詳細を付して、府教委事務局に相談されたい(最終的な責任と
権限が府教委にあるため)。
4、報告について
(略)しますが、別紙の報告用紙には、
「不起立・不斉唱」の教職員に対しては、
<起立も斉唱もしていない>とか<起立していたが不斉唱>というように
記述することまで書かれています。
②には、
(府条例によって)
「教職員は起立により斉唱を行うことが定められている。
ついては、入学式及び卒業式等国旗を掲揚し、
国歌斉唱が行われる学校行事において、式場内のすべての教職員は、
国歌斉唱にあたっては、起立して斉唱すること。」
と述べてあります。
まさに国家主義教育そのものであり、
ここには自由も民主主義も、基本的人権も何もありません。
しかも天皇主権の「君が代」を強制しているわけですから、
国民主権を公然と蹂躙していると言わざるをえません。
とりわけ、
「2、校長・准校長の職務」の
(2)入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う際、
教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。現認については、
目視により、教頭・事務(部)長が行う
(現認の補助的な役割を、首席等にあたえることはできるが、
校内での最終的な起立・斉唱の判断は管理職が行うものとする)。
については、いわゆる「口元チェック」をしろということです。
このような卑屈・卑劣な行為を命ずることは、
まったく人間の尊厳を踏みにじるものであり、
教育現場にあってはならないことです。
まるで戦前の絶対主義天皇制下か、ナチス支配下の教育です。
いまや、人間の大切さや教育の豊かさを知らない連中が、
府政や府教委を支配しているのです。
また、このような非人間的な命令に管理職の多くが従うようでは、
大阪の教育はもはや死に絶えたといってもいいでしょう。
このような人を人とも思わないような教育体制は、
私たちの「自由の鉄槌」でたたきつぶさねばなりません。
また、こうした「非人間的な資料」は、「裁きの日」のために、
証拠としてしっかりとっておきましょう。
本日(1月14日)、大阪府教委・教育振興室長名で、
①「平成25年度卒業式及び平成26年度入学式の実施について(通知)」
が出されました。(府立学校 校長・准校長あて)
同時に(府立学校 教職員あて)に、
②「入学式及び卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について(通達)」
も出されました。
①には、<別添>として、
「入学式及び卒業式における国歌斉唱時の対応について」が付いており、
そこには次のようなことが書かれています。
1、根拠法令・通知
(略)
2、校長・准校長の職務
(1)入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う際は起立により
斉唱するよう教職員に対して通達(②のこと)を行っており、
この趣旨を徹底するよう職務命令を行う。
(2)入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う際、
教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。現認については、
目視により、教頭・事務(部)長が行う
(現認の補助的な役割を、首席等にあたえることはできるが、
校内での最終的な起立・斉唱の判断は管理職が行うものとする)。
(3)校長・准校長は、実施状況について報告する。
3、不起立・不斉唱の判断基準
入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う場合に起立・斉唱を求める
職務命令の趣旨は、厳粛な公式行事である入学式及び卒業式等において、
公務員として誠意ある姿勢・態度を客観的に生徒・保護者を含む府民に示し、
公務の信頼性を維持する点にあると理解する。
この趣旨に鑑みれば、起立行為または斉唱行為の一部だけを取り上げ、
形式的に判断するのではなく、各職員の起立行為または斉唱行為を
総合的に現認し、公務の信頼性を維持するに十分な誠意ある姿勢・
態度を各職員がとっているか否かという観点で判断すべきである。
不起立または不斉唱の判断が困難であると考えられる場合には、
事案の詳細を付して、府教委事務局に相談されたい(最終的な責任と
権限が府教委にあるため)。
4、報告について
(略)しますが、別紙の報告用紙には、
「不起立・不斉唱」の教職員に対しては、
<起立も斉唱もしていない>とか<起立していたが不斉唱>というように
記述することまで書かれています。
②には、
(府条例によって)
「教職員は起立により斉唱を行うことが定められている。
ついては、入学式及び卒業式等国旗を掲揚し、
国歌斉唱が行われる学校行事において、式場内のすべての教職員は、
国歌斉唱にあたっては、起立して斉唱すること。」
と述べてあります。
まさに国家主義教育そのものであり、
ここには自由も民主主義も、基本的人権も何もありません。
しかも天皇主権の「君が代」を強制しているわけですから、
国民主権を公然と蹂躙していると言わざるをえません。
とりわけ、
「2、校長・准校長の職務」の
(2)入学式及び卒業式等において国歌斉唱を行う際、
教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。現認については、
目視により、教頭・事務(部)長が行う
(現認の補助的な役割を、首席等にあたえることはできるが、
校内での最終的な起立・斉唱の判断は管理職が行うものとする)。
については、いわゆる「口元チェック」をしろということです。
このような卑屈・卑劣な行為を命ずることは、
まったく人間の尊厳を踏みにじるものであり、
教育現場にあってはならないことです。
まるで戦前の絶対主義天皇制下か、ナチス支配下の教育です。
いまや、人間の大切さや教育の豊かさを知らない連中が、
府政や府教委を支配しているのです。
また、このような非人間的な命令に管理職の多くが従うようでは、
大阪の教育はもはや死に絶えたといってもいいでしょう。
このような人を人とも思わないような教育体制は、
私たちの「自由の鉄槌」でたたきつぶさねばなりません。
また、こうした「非人間的な資料」は、「裁きの日」のために、
証拠としてしっかりとっておきましょう。