昨日(1/18)の「君が代」不起立処分取消裁判集会に参加し、発言もしてくださった合田さんが、FBで投稿されていらしたのを、ご本人の了承のもとに掲載します。なお、雑誌『ともにまなぶ ともにいきる』創刊号の表紙の画像を最後に紹介します。
以下、FBの合田享史さん投稿記事です。
昨日は、お昼にぷくぷくの会新年会、夜に「君が代」不起立処分取消裁判1・18集会で、雑誌『ともにまなぶ ともにいきる』創刊号を販売させていただきました。
夜の集会は、「君が代」不起立で減給処分を受けた元高校教師の方が、大阪府の「君が代条例」は憲法違反だとして、これから処分取消を求めて裁判で闘っていかれるのを支援する集会。
そこで発言させていただいたのが、下記の内容です。時間が押していて、かなりはしょったのですが、私が話したかった全文はこれ。
大阪では、40年以上前から、どんなに“重い”といわれる障害のある子どもも地域の学校に受け入れ、地域の子どもたちといっしょに学ぶ「ともに学ぶ」教育が取り組まれてきた。ことばを話さない子も、字を書かない子も、じっとしていない子も、車いすを使っている子も、人工呼吸器をつけている子も、みんなと同じ教室で学んでいる。
よく世界ではインクルーシブ教育が進んでいると言われるが、実際には“重度”といわれる子どもは特別な学校に分けられている国が多いなか、どんなに“重い”障害があっても、ひとりの子どもとして分け隔てなく受けとめてきた大阪の教育は、世界のなかでも非常に先進的だ。
この「ともに学ぶ」教育から生まれてくるものを見て思うのは、大人が上から一方的に押しつける教育は、くだらないものだということ。
「ともに学ぶ」教育の教室では、子どもたちは、誰に教えられなくても、障害があるとかないとかに関わらず、仲間として自然につきあうようになる。ことばをしゃべらない子や、身体がほとんど動かない子や、ちょっと変わった行動をとる子とも、どうしたら通じ合えるか、どうしたらいっしょにできるかと考えて、工夫し、おたがいの壁を乗り越えていく。そのすがたに、教える立場であるはずの教師のほうが学ばされ、意識を変えられる。
「ともに学ぶ」関係のなかで育まれる、おたがいのちがいを認めあい、つながりあい、支えあえる感性。それが広がっていけば、この世界は、もっと誰もが生きやすい、本当の意味で豊かな社会に変わるにちがいない。それは、テストで点数をとるとか、人を競争で打ち負かすとかよりも、ずっと豊かな価値だと思う。
こうした子どもたちの育ちあいのダイナミズムは、いろんな個性、いろんな価値観をもつ子どもたちがぶつかりあう、多様性のある教室でこそ生まれる。大阪が育んできたこのすばらしい教育を、私は大切に守っていきたい。だから、学校現場に画一化した価値観を押しつけようとする動きには絶対に反対。そこに抵抗して闘っている先生方を応援していきたい。