小川町企画から依頼があり、7.6「君が代」不起立減給処分取消不当判決について寄稿しました。
以下に掲載します。(辻谷博子)
「君が代」裁判の行方
「君が代」不起立減給処分取消訴訟原告 辻谷博子
2016年7月6日、「君が代」不起立減給処分取消裁判の判決が出た。原告の請求を棄却する、との裁判長の言葉にすぐさま控訴を決意した。納得がいかない。さらに判決文を読んでみると、信じられないような誤りさえあった。いったい「君が代」とは何なのだろう。なぜここまで強制されるのだろうか。
世の中の多くの人は、「日の丸」「君が代」は、たかがウタ・ハタの問題と思っているかもしれない。でも、このウタ・ハタには、歴史、平和、教育、人権、国家、憲法等々、あらゆる問題が詰まっている。
今さら私が言うまでもないことだが、戦時このウタ・ハタのもとで多くの人が殺し・殺されていった。私は教育のせいだと思っている。学校で儀式や行事のたびに、「日の丸」が掲げられ「君が代」が歌われ、国民としての一体感が作られる。もともと日本人は同調圧力に弱いと言われているが、そのことも影響したかもしれない。お国のために、の一言ですべてを犠牲にするような空気があの時代間違いなくあった。国といっても曖昧だ。その時にウタ・ハタは最も効果的なシンボルだったのだろう。シンボルがなければ「愛国心」は育たない、「愛国心」がなければ国家の戦争は成り立たない。
戦後、占領下において「日の丸」「君が代」は禁止された。そして、その後、このウタ・ハタを巡る二つの流れが対立しながら今日に至る。国家を何より重んじる勢力は、再び「日の丸」を掲げ「君が代」を歌うことを求めた。為政者は特にそうだ。国民をひとつに束ねることは何かと好都合なのだろう。また自分の拠りどころとして国家を重んじる人々も徐々に増えていった。一方、それに抗する人々もいた。戦時「日の丸」「君が代」の果たした役割からその危険性を認識した勢力だ。特に学校の教師たちにとっては切実な問題であった。「教え子を再び戦場に送るまい」という決意は、ずっと学校で受け継がれて来た。
2011年、大阪であり得ない条例が成立した。「君が代」条例。まるでこれまでの議論を一切封じ込めるかのように、教員へ「君が代」斉唱を義務付けたのだ。さらに2012年には、3度の「君が代」不起立で免職を規定する職員条例までできた。こんな条例のもとでは誰もが自由を語れなくなる。
私は2012年度の入学式で戒告処分、卒業式で減給処分を受けた。戒告に先んじて減給取消裁判を起こしたのは、東京地裁、高裁、最高裁で減給以上の不起立処分がことごとく取り消されていたからだ。ただ一人取り消されなかった根津公子さんも停職6月処分取消判決が確定している。不起立免職の条例は違法違憲であることが明らかになったも同然だ。ところが大阪地裁内藤裕之裁判長は条例の違憲性について検証しなかったばかりか、減給処分すら取り消さなかった。そもそも判決文には、現在審理中の人事委員会で「処分容認の裁決が出た」と、事実無根のことまで書かれていた。最初から結論ありきの裁判だったとしか思えない。
やはり、これが「君が代」、これが「君が代」裁判なのだ。国家より個人を優先させるわけにはいかない、個人の自由を認めれば国家は個人を縛れなくなるーーそんな強固な意思さえ感じる。本来国家を縛るはずの憲法が変えられようとしている今、国家のシンボルである「君が代」に抗するものは徹底的に裁けとばかりの権力を有するものの意思すら感じる。
「君が代」裁判は二つの勢力のたたかいかもしれない。端的に言えば、国家が先か個人が先かだ。国家を先んじれば、国民の一人ひとりは国家によって測られる存在となる。人ではなく人材として、国家に有益かどうかで測られる。ならば、「君が代」裁判は、すべての個人の自由をかけた闘いともいえる。私はどこまでも抗うつもりだ。自分自身の自由のために。そしてそれがすべての個々人の自由を擁護することにつながると確信している。
以下に掲載します。(辻谷博子)
「君が代」裁判の行方
「君が代」不起立減給処分取消訴訟原告 辻谷博子
2016年7月6日、「君が代」不起立減給処分取消裁判の判決が出た。原告の請求を棄却する、との裁判長の言葉にすぐさま控訴を決意した。納得がいかない。さらに判決文を読んでみると、信じられないような誤りさえあった。いったい「君が代」とは何なのだろう。なぜここまで強制されるのだろうか。
世の中の多くの人は、「日の丸」「君が代」は、たかがウタ・ハタの問題と思っているかもしれない。でも、このウタ・ハタには、歴史、平和、教育、人権、国家、憲法等々、あらゆる問題が詰まっている。
今さら私が言うまでもないことだが、戦時このウタ・ハタのもとで多くの人が殺し・殺されていった。私は教育のせいだと思っている。学校で儀式や行事のたびに、「日の丸」が掲げられ「君が代」が歌われ、国民としての一体感が作られる。もともと日本人は同調圧力に弱いと言われているが、そのことも影響したかもしれない。お国のために、の一言ですべてを犠牲にするような空気があの時代間違いなくあった。国といっても曖昧だ。その時にウタ・ハタは最も効果的なシンボルだったのだろう。シンボルがなければ「愛国心」は育たない、「愛国心」がなければ国家の戦争は成り立たない。
戦後、占領下において「日の丸」「君が代」は禁止された。そして、その後、このウタ・ハタを巡る二つの流れが対立しながら今日に至る。国家を何より重んじる勢力は、再び「日の丸」を掲げ「君が代」を歌うことを求めた。為政者は特にそうだ。国民をひとつに束ねることは何かと好都合なのだろう。また自分の拠りどころとして国家を重んじる人々も徐々に増えていった。一方、それに抗する人々もいた。戦時「日の丸」「君が代」の果たした役割からその危険性を認識した勢力だ。特に学校の教師たちにとっては切実な問題であった。「教え子を再び戦場に送るまい」という決意は、ずっと学校で受け継がれて来た。
2011年、大阪であり得ない条例が成立した。「君が代」条例。まるでこれまでの議論を一切封じ込めるかのように、教員へ「君が代」斉唱を義務付けたのだ。さらに2012年には、3度の「君が代」不起立で免職を規定する職員条例までできた。こんな条例のもとでは誰もが自由を語れなくなる。
私は2012年度の入学式で戒告処分、卒業式で減給処分を受けた。戒告に先んじて減給取消裁判を起こしたのは、東京地裁、高裁、最高裁で減給以上の不起立処分がことごとく取り消されていたからだ。ただ一人取り消されなかった根津公子さんも停職6月処分取消判決が確定している。不起立免職の条例は違法違憲であることが明らかになったも同然だ。ところが大阪地裁内藤裕之裁判長は条例の違憲性について検証しなかったばかりか、減給処分すら取り消さなかった。そもそも判決文には、現在審理中の人事委員会で「処分容認の裁決が出た」と、事実無根のことまで書かれていた。最初から結論ありきの裁判だったとしか思えない。
やはり、これが「君が代」、これが「君が代」裁判なのだ。国家より個人を優先させるわけにはいかない、個人の自由を認めれば国家は個人を縛れなくなるーーそんな強固な意思さえ感じる。本来国家を縛るはずの憲法が変えられようとしている今、国家のシンボルである「君が代」に抗するものは徹底的に裁けとばかりの権力を有するものの意思すら感じる。
「君が代」裁判は二つの勢力のたたかいかもしれない。端的に言えば、国家が先か個人が先かだ。国家を先んじれば、国民の一人ひとりは国家によって測られる存在となる。人ではなく人材として、国家に有益かどうかで測られる。ならば、「君が代」裁判は、すべての個人の自由をかけた闘いともいえる。私はどこまでも抗うつもりだ。自分自身の自由のために。そしてそれがすべての個々人の自由を擁護することにつながると確信している。