大阪市教育委員会にとって、卒業式や入学式は、「君が代」斉唱時教職員全員起立が唯一絶対の至上命題であるかのようです。背景に政治があることは明らかです。
最後の教育活動とも言われる卒業式、そして最初の教育活動である入学式で、「君が代」全員起立の虚像を打ち立てる先にどのような教育があるのでしょうか?どのような社会が立ち現れるのでしょうか?
自民党憲法草案と共に、私たちは考えていかねばならない時を迎えています。
「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局の一員であり、大阪市中学校教員でもある松田さんからのメールを掲載します。
「不起立」だったが…、「不斉唱」はたくさんいたが…、
私は、今年の3月の卒業式、4月の入学式に参列し、卒業・入学を祝いましたが、どちらも「君が代」斉唱時不起立でした。式は滞りなく進行し、いい卒業式・入学式ができたと思います。生徒・保護者の中には、私の不起立を目にした人もいたと思いますが、問題にする人もなく、報告もされなかったため、処分はされていません。卒業式でも、入学式でも、それぞれ、他の学校にも不起立だったが報告されていない方がおられることを知っています。教職員で「斉唱」していない人は多数います。
しかし、大阪市教委は、3月21日、「市立学校460校と幼稚園59園の卒業式・卒園式で、教職員が全員起立して国歌斉唱をした」と発表しました。昨年、橋下市長は、「大人の知恵」ということばを使って、不起立の者がいる状況を隠せと指示しましたが、市教委は、その指示に従って、とにかく不起立ゼロを演出することに躍起となっているように思います。
昨年の卒業式では、3年生所属でしたが、証書を演壇に運ぶ係で、「君が代」斉唱時は幕の裏の参列者から見えない位置でした。いわゆる「配慮」です。しかし、その後、不起立者の学校名を市教委が公表し、当該の人に対して、保護者や卒業生に「ルール-を守らず、申しわけない」と謝罪することを迫っていることを聞き、許せないと思いました。また、ZAZAの人たちが処分撤回を求めて人事委員会に申し立てを行って闘っているのを見て、また、橋下市長の足元でも、大阪市職員が、「入れ墨調査」を拒否して闘いに立ち上がっているのを見て、式に参列して祝う権利を主張し、処分されれば、起立・斉唱条例と職員基本条例の不当性を訴えようと決めました。
4月21日には、「君が代」を起立・斉唱できない先生の思いを聞くつどいを開いてもらい、初めて、外に向かって、自分の気持ちを語ることができました。その内容は、「子どもたちと教育を守る大阪市民の会」ホームページにアップしています。
http://edu-miyakojima-asahi.jimdo.com/活動報告/
http://edu-miyakojima-asahi.jimdo.com/私たちの思い/
親家先生への卒業式排除職務命令の撤回・謝罪を求める「大阪市民の会」の要請に対して、大阪市教委から回答がありました。卒業式から排除する職務命令は、「式の円滑な運営・進行のため」で、問題ないというもので、教員が座っているのを子どもたちが目にすることが国旗・国歌尊重という教育目的を阻害するからという理由だと考えられます。国旗国歌条例と市教委の頭にある「教育」なるものが、「君が代」起立・斉唱しない人がいるという現実を子どもに見せないこと、子どもたちに一切考えさせることなく、「調教」することだということを暴く場(「協議」の場)を設定し、追及しようと話し合っています。注目ください。
http://edu-miyakojima-asahi.jimdo.com/ニュース/