新紅門です。ここに来たときにはもう雨は治まっていました。門も一部開いています。顕陵は明の恭エイ(叡から又を取ったもの)献帝の墓とされていますが、彼は正式な皇帝ではなく、息子の嘉靖帝が即位後、先代の弟で地方に封じられて鍾祥に葬られた父親に孝順を示す為に贈った称号です。嘉靖帝は父親の陵墓を鍾祥から北京北郊にある明の陵墓群に改葬したかったようですが、それは臣民に反対されたようです。
入り口の門が新紅門と旧紅門と二つ有るのも、最初は地方の王としての陵墓を皇帝陵にした為に出来たものです。通常皇帝の陵墓は左右対称一直線に色々並んでいますが、ここではそうではない箇所もあります。
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入り口の門が新紅門と旧紅門と二つ有るのも、最初は地方の王としての陵墓を皇帝陵にした為に出来たものです。通常皇帝の陵墓は左右対称一直線に色々並んでいますが、ここではそうではない箇所もあります。
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