さらに坂を上っていきます。今まで何回も前を通りながら気がつきませんでした。木に囲まれたごく小さな公園があり、八重桜が花びらを散らしているので入ってみました。椎名道三の名前は知っていたので、驚きました。
まず目についたのは椎名道三翁之碑と椎名道三翁の銅像です。江戸時代後期に、椎名道三(1790-1858)はこの滑川出身で測量・土木の技術を身につけ、用水路を作り新田開発に大きな功績を残しました。富山県では黒部川から水を引く十二貫野用水、滑川では室山野用水(東福寺野も潤す)、そして加賀藩支配下の加賀・能登にも功績を残しました。生涯に開発した新田は1200haに及びます。
晩年道三はこの公園の前あたりに住まいをかまえていたということです。ひっそりと顕彰されているのも悪くないと思いました。・・・・顕彰に値する人は概してそういう人です。
標題をクリックするとページが開き、画像をクリックすると画像が大きくなります。また、ページを開くと下にコメント欄があります。一言書いていただくと幸せです。ぜひ
にクリックを!
まず目についたのは椎名道三翁之碑と椎名道三翁の銅像です。江戸時代後期に、椎名道三(1790-1858)はこの滑川出身で測量・土木の技術を身につけ、用水路を作り新田開発に大きな功績を残しました。富山県では黒部川から水を引く十二貫野用水、滑川では室山野用水(東福寺野も潤す)、そして加賀藩支配下の加賀・能登にも功績を残しました。生涯に開発した新田は1200haに及びます。
晩年道三はこの公園の前あたりに住まいをかまえていたということです。ひっそりと顕彰されているのも悪くないと思いました。・・・・顕彰に値する人は概してそういう人です。
標題をクリックするとページが開き、画像をクリックすると画像が大きくなります。また、ページを開くと下にコメント欄があります。一言書いていただくと幸せです。ぜひ

遺址公園の北門です。創建時はもっと大きな門であった筈です。
この北門に南京明故宮の説明板があり、それを拾い読みすると以下のようです。南京は明洪武(朱元璋)、建文、永楽の三代皇帝が都を置いた。明朝は永楽の時代に北京に遷都し、南京の宮殿は落雷などで破損した。明末期1644年に李自成軍が北京を攻略した時に明朝は南京に難を逃れて南朝を一時置いたこともあった。清代に南京は江寧と改称された。太平天国により故宮は破壊された。1929年に中山東路が建設され、故宮址は南北に二分された。
標題をクリックするとページが開き、画像をクリックすると画像が大きくなります。また、ページを開くと下にコメント欄があります。一言書いていただくと幸せです。ぜひ
にクリックを!
この北門に南京明故宮の説明板があり、それを拾い読みすると以下のようです。南京は明洪武(朱元璋)、建文、永楽の三代皇帝が都を置いた。明朝は永楽の時代に北京に遷都し、南京の宮殿は落雷などで破損した。明末期1644年に李自成軍が北京を攻略した時に明朝は南京に難を逃れて南朝を一時置いたこともあった。清代に南京は江寧と改称された。太平天国により故宮は破壊された。1929年に中山東路が建設され、故宮址は南北に二分された。
標題をクリックするとページが開き、画像をクリックすると画像が大きくなります。また、ページを開くと下にコメント欄があります。一言書いていただくと幸せです。ぜひ
