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立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

室山野用水が東福寺野を潤す・・・東福寺野を上る(滑川市)  つづく

2014年05月03日 | Zenblog
 高台の東福寺野に水路が縦横に走り、すみずみまで豊かな水で潤っています。(明日に続きます)

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八重桜の花びら一面に・・・東福寺野を上る(滑川市)

2014年05月03日 | Zenblog
 その公園の八重桜が花びらを散らし、花びらが一面に散り敷いていました。

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龍の口の導水管・・・東福寺野を上る(滑川市)

2014年05月03日 | Zenblog
 椎名道三が1839年十二貫野用水(黒部市)を作ったときの二本の導水管です。凝灰岩で水漏れを防ぐためつなぎ目には松ヤニと桧わたを練り合わせたものを詰め、当時としては珍しいサイフォンの原理を用いて管を谷の底を潜らせて対岸上に水が吹き出るように工夫しました。網で囲われているのがその導水管です。

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椎名道三事歴碑・・・東福寺野を上る(滑川市)

2014年05月03日 | Zenblog
 椎名道三の生涯の歩みが、比較的詳しく記されています。滑川の村役人の子として生まれ、魚津の椎名家に養子に出されたが、跡継ぎが生まれたので弟に譲りました。十代で新田開発をして周囲を驚かしたこと。実地の野山をよく知り、新しい技術(サイフォンの原理など)を進んで採用したこと。新田開発の褒美として加賀藩からもらった金や土地は貧農に分けたこと。・・・などなど

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椎名道三を顕彰する小さな公園・・・東福寺野を上る(滑川市)

2014年05月03日 | Zenblog
 さらに坂を上っていきます。今まで何回も前を通りながら気がつきませんでした。木に囲まれたごく小さな公園があり、八重桜が花びらを散らしているので入ってみました。椎名道三の名前は知っていたので、驚きました。

 まず目についたのは椎名道三翁之碑と椎名道三翁の銅像です。江戸時代後期に、椎名道三(1790-1858)はこの滑川出身で測量・土木の技術を身につけ、用水路を作り新田開発に大きな功績を残しました。富山県では黒部川から水を引く十二貫野用水、滑川では室山野用水(東福寺野も潤す)、そして加賀藩支配下の加賀・能登にも功績を残しました。生涯に開発した新田は1200haに及びます。

 晩年道三はこの公園の前あたりに住まいをかまえていたということです。ひっそりと顕彰されているのも悪くないと思いました。・・・・顕彰に値する人は概してそういう人です。

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遺址公園北門説明板の「南京皇城図」・・・JingShangの南京総統府周辺への旅(中山東路を東へ)

2014年05月03日 | JingShangレポート
 遺址公園北門の説明板にあった南京皇城図です。「洪武京城図志」から採ったものとのことです。洪武は明三代目の皇帝です。図の縮尺は正確ではないですが、 建築物の配置関係は示されています。

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北門前から北を向いて、明故宮路が北へ延びる・・・JingShangの南京総統府周辺への旅(中山東路を東へ)

2014年05月03日 | JingShangレポート
 遺址公園の北門前から北を向いて撮ったものです。明故宮路が一本になって北へ延びています。北側の濠を過ぎると名前が北安門街に変わります。

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遺址公園の北門、(説明板)南京明故宮の辿った道・・・JingShangの南京総統府周辺への旅(中山東路を東へ)

2014年05月03日 | JingShangレポート
 遺址公園の北門です。創建時はもっと大きな門であった筈です。

 この北門に南京明故宮の説明板があり、それを拾い読みすると以下のようです。南京は明洪武(朱元璋)、建文、永楽の三代皇帝が都を置いた。明朝は永楽の時代に北京に遷都し、南京の宮殿は落雷などで破損した。明末期1644年に李自成軍が北京を攻略した時に明朝は南京に難を逃れて南朝を一時置いたこともあった。清代に南京は江寧と改称された。太平天国により故宮は破壊された。1929年に中山東路が建設され、故宮址は南北に二分された。

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宮殿跡の礎石・・・JingShangの南京総統府周辺への旅(中山東路を東へ)

2014年05月03日 | JingShangレポート
 その宮殿跡の一つです。謹身殿の表示がありますが、その表示の下が本物の礎石です。

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遺址公園北側の中心線を北に向かう、左右に宮殿跡・・・JingShangの南京総統府周辺への旅(中山東路を東へ)

2014年05月03日 | JingShangレポート
 今日の上海の天気予報は曇が多目の晴れ、最高気温は22度、最低は16度です。

 今日も南京総統府周辺を続けます。南京明故宮遺址公園に来ています。写真(1枚目)は遺址公園の北側部分の中心線を北に向かっているところです。左右に宮殿跡の表示があります。

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