もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

阿蘇タウン ~ 阿蘇山と名水

2014年08月31日 | 旅行

8/23 九州旅行もいよいよ最後の行程となりました。

岡城を後にして、大汗をかいて疲れ気味の私。

続いて向かったのは、阿蘇神社。

参拝の前に門前町を散策します。

ここは、水基(水が出る基)めぐりと言って、それぞれに名前がついた湧水スポットが33あります。

ちなみにここは、妙音の泉。

お昼ご飯を食べた「なかまち」さんの前にあります。

お昼ご飯は、名物の高菜めし・だご汁、厚揚げなど。

酒杜の水。

菓恋水。

欣命水。

と言うことで、御神水おみくじ成るものがありましたので、やってみました。

水につけると・・・。

結果は、こちら。なるほどです。

やすらぎの泉。

それでは、阿蘇神社へ。

神の泉。手水ですが、なんと不老長寿の水です。

とても立派な楼門。

そして、社殿。国の重要文化財で、ご利益がありそうです。

しっかりお参り。

願掛けの石。

はじめに心の中で願い事を念じ、石を3回なでます。

奥さんは、何を願ったのやら・・・。

恋に効く、高砂の松。

お守りは、今回は、心と体のお守りにしました。

そして、駐車場の前で惹きつけられたのが、このソフトクリーム。

濃厚生クリーム25%。やはり実に濃厚でした。

それから、いよいよ阿蘇山へ。

阿蘇パノラマラインは、素晴らしい。

途中、米塚を眺めるため駐車。CB1300のライダーも一緒です。

イイ景色。

しかし、ここまで。これからは、ガスにかかり見えません。

草千里もこのように・・・。

中岳火口も無理かなと思いつつ、進みますと、視界が開けてきました。

ただ、この日は、有毒ガスが黄色のランプ点灯。

要注意です。

それでは、火口へ。

もくもく噴煙が上がっています。

監視員さんの行動に注視。

とにかくここは、日本語より韓国、中国語が行き交っていました。

雲行きがすぐに怪しくなるため、早々に退散。

次は、南阿蘇村へ。

ここもとてもきれいな湧水。

白川水源に立ち寄りました。

とにかくきれいな水がコンコンと湧いています。

皆さん、汲んで帰られていました。

私は、しばし休憩。

よく冷えた名水まんじゅうを頂きながら、水遊びの子供たちを眺めています。

それでは、ぼちぼち帰る方向へ。

途中で、駅舎に立ち寄り。

とにかく駅名が長い。もう文章です。

それでは、阿蘇にお別れ。

熊本空港近くで、お世話になったレンタカーを返却。

さすがハイブリット、燃費は抜群でした。

定刻に大阪へ向けて離陸。

途中、天候が悪くよく揺れましたが、無事大阪空港着。

帰りに吹田のSAの大阪王将で晩御飯。

酢豚がうまかった。

と言うことで、2泊3日の九州の旅レポートは、これで終了。

お付き合いありがとうございました。

 

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日本100名城に行こう! NO.95 岡城(別名 臥牛城)

2014年08月30日 | 日本100名城

8/23 大分県竹田市あります、岡城に行きました。

大変蒸し暑い日でしたので、山城は大変であります。

と言うことで、奥さんはエアコンが効いた車中で待っております。

そうなると、余計に焦って回らねばならず、大汗。

まず、観覧券を購入。300円也。

早速ここで、スタンプです。またまた、うれしい。

案内図をサラッと見てから、出発。

岡城は、築城は12世紀初めととても古い。

標高325mの天神山の断崖絶壁を生かした古城です。

1595年、中川秀成は本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸をおき、高石垣を多用して建てました。

こうして、総石垣の壮大な山城となりましたが、明治に建物は解体されその荒廃したイメージから滝廉太郎の「荒城の月」が生まれました。

早速石段が現れました。

イイ石垣です。

大手門です。

上に登ってみると、門の跡の石が分かります。

新屋敷門跡。

西の丸御殿跡。

武具方跡。

家老(覚左ェ門)屋敷方向。

家老(但見)屋敷跡。

中休所跡。

城代屋敷跡。

籾倉跡。

それでは、いよいよ、クライマックスの石垣です。

三の丸北側の高石垣。

天に向かってそそり立っています。

鐘楼跡。

本丸下の石垣。

三の丸。

そして、下を見ると・・・。

二の丸跡。

そこには、滝廉太郎の像。

いよいよ本丸へ。

荒城の月の歌詞です。

本丸跡。

金蔵跡。

神社がありました。

ここで引き返しましたが、もう一度三の丸の高石垣へ。

と言うことで大好きな石垣ばかりで、とても良かったです。

それにしても、高石垣の上でも自由に行け、柵は無し。

イイ感じです。

 

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17年前は、お世話になりました。~ 福祉農場 コロニー久住

2014年08月29日 | 旅行

8/23 大分県竹田市久住へと向かいました。

以前は、久住町でしたが、町村合併により竹田市になっていました。

ここは、くじゅう高原、久住山などの大自然に囲まれた、とてもとても素敵でのどかなところです。

今回訪ねたところは、「福祉農場 コロニー久住」さんです。

実は、今から17年前の平成9年11月から一ヵ月半ほど、私はこの地に研修に来ておりました。

そのため、せっかく立ち寄れるところまで来たのだからと、訪ねさせて頂いた次第です。

ただ、アポなしのため、ご迷惑だったかも知れませんが・・・。

とにかく、事務所へ行きましたが、移転されていて、隣のパルクラブへ。

こちらの事務所で名刺を出し、自己紹介と以前からの経緯を説明。

すると当時おられた先生方で、特に一番お世話になったK先生は大分市内へ転勤されたようでした。

それならばと、突然ですし仕方が無いとあきらめて、ちょっと散策をさせていただきました。

レストラン棟。

ハウスで水耕栽培のネギ。

当時、私も出荷作業などをがんばりました。

今回驚いたのは、温泉施設も開設されていました。

ここパルクラブは、宿泊もコテージなどがあり出来ます。

宿泊、温泉、食事、OKですので、くじゅうの大自然の中、どうでしょう。

 

ウロウロとしていると、先ほどの事務員さんが私を探しておられました。

どうやら、私がお世話になった先生方の名前を言っていたので、おひとり来ておられるとのことです。

その方は、畜産を担当されていたA先生。

いつも笑顔が印象的で、そして熱心さがあふれたA先生です。

体型も見た目もそんなに変わっておられなく、すぐに分かりました。

その時は、イベントを控えておられて、そのため地鶏を炭火焼きにしておられるところでした。

U字溝に炭を入れ、網の鍋で豪快です。

ちょっと試食をしましたが、塩コショウだけで実にウマい。

そして、当時の思い出話を懐かしく語り合いました。

牛では、牛の去勢、子牛の角切り、放牧場、牛フン処理など。

鶏では、卵回収、鶏を捌いて処理など。

豚では、子豚の去勢、逃げ出した豚の捕獲など。

ポニーでは、エサ・水やり、運動、蹄の手入れ、馬房の掃除など。

畜産関係のことに多く関わっていたので、話が弾みました。

今では、豚やポニーはいないらしいですが、牛舎はそのままでした。

実に楽しく、人生の中でものすごく印象に残った研修だったので、当時お世話になった方にお会いできて、とてもうれしかったです。

ただ、研修した畜産等のことは、今の業務にはまったく無関係ですが・・・。

と言うことで、また、来ます、とお伝えして、お別れしました。

突然の来訪でしたが、快くお会いして頂きありがとうごさいました。

感謝。

それでは、続いて竹田の岡城へと向かいます。

続く・・・。

 

 

 

 

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湯ったり ~ 黒川温泉

2014年08月29日 | 旅行

熊本市街を抜け、次に向かうは南小国町にある黒川温泉です。

どんどんと町から離れていき、牧場の中を走るミルクロードへ。

爽快に走ります。

右手を見れば阿蘇山。

ちょっと雲がかかっていました。

阿蘇山を眺めるスポットと言えば大観峰、しかし、今回時間が無いため、道路から行きやすい「かぶと岩展望所」に立ち寄りました。

ここから、外輪山の対岸の出っ張りが、大観峰。

どちらも阿蘇谷を眺める景勝地です。

そして、阿蘇山方面。

ここで、ソフトクリームを食べて、黒川温泉へ向かいます。

そして、午後5時半頃にやっと到着。

本来ならば、黒川温泉は露天風呂巡り。

キホンとして、温泉街を一軒の宿に見立てた「通りは廊下、宿は客室」と言う街づくりのコンセプトがあり、周囲約2キロに旅館が立ち並んでいます。

露天風呂巡りは、入湯手形を使って温泉のはしごをする趣向です。

しかし、もう時間が遅い。

夜でも入れる所がありますが、暗くなると邪魔臭いので、温泉巡りはあきらめました。

ちなみに奥さんは、カラスの行水のため、温泉巡りに興味なし。

仕方が無いので、お宿でゆっくりします。

今回お世話になるのは、黒川荘さん。

実は、数年前にま~とん、べっち、さとっちゃん達、おっさんばかりで来たお宿です。

ここは、屏風岩露天風呂が名物で、とても広いお風呂があります。

お湯加減も私好みで、とてもゆったりできました。

客室も、静かでとてもイイ雰囲気の中にあります。

お風呂にゆっくりつかり、ちょっとまったりして待っていますと、夕食の時刻となりました。

今回のメニューは、こちら。

とにかく頂きます。

とにかく美味しいこと。すべて食べました。

食いしん坊の私のお腹も大満足。ご馳走様でした。

そして、翌朝の6:00、温泉街を散歩します。

もちろん私一人。

温泉巡りがしやすいように、看板があちこちに立っています。

それでも、案内地図を片手に周りました。

こちらは、温泉街のほぼ中央に位置する風の舎。

観光情報の発信基地です。

そっとのぞいて見てごらん。

どうやらヤマメがいるらしいですが、確認できず・・・。

早朝の温泉街は静かです。

細い小道を進むと、温泉が・・・。

そして、こんな建物を発見しました。

穴場と思ったら、穴湯と書かれた共同浴場。

100円を箱に入れて入ります。

もちろん混浴であります。

私も入って見たかったのですが、タオルを持っていなくて断念。

ちょっと中を覗いてみたところ・・・、誰もおられませんでした。

それにしても、風情があります。

まだお店はどこも開いていない通りを進みます。

足湯です。

ここのお宿には、穴風呂、洞窟風呂などがあるとのことで、興味津々。

本当ならば温泉巡りで行って見たかった。

突然ですが、黒川温泉の由来が書かれた看板がありました。

そして黒川地蔵にお参り。

顔湯なるものがありました。

顔への温泉効果を期待して試してみましたが、熱かった。

そうこうして、一時間ちょっと歩きました。

それから、お宿に戻り、朝ッ風呂であります。

これが実に気持ちがイイ。

朝食は、8時から9時の間で、お好きなタイミングでどうぞ、とてもゆったりします。

そして、朝食も抜群に美味しいこと。

堪能です。

と言うことで、のんびり過ごすこと、日常の時間の流れと黒川温泉の時間の流れとは少し違うことを感じました。

とてもイイ気分。

宿泊の皆さんは、朝食を食べてからも、まだまだのんびり過ごされるようです。

私は、どうしても立ち寄りたいところがあるため、9時ころに出発。

次は、くじゅうへと向かいました。

続く・・・。

 

 

 

 

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日本100名城に行こう! NO.92 熊本城(別名 銀杏城)

2014年08月28日 | 日本100名城

8/22 さて、ついに憧れの熊本城です。

とにかく加藤清正が築いた鉄壁の名城。

まずは、清正公に御挨拶。う~ん、さすが立派な風格。

そして、行幸橋を渡ります。

備前堀です。

そして、頬当御門に到着。お城のメインゲートです。

ここで入場券を購入。500円也。

門をくぐってすぐに、スタンプ押印。うれしい!

それでは、熊本城探訪です。

まずは、地図石。

城下町の地図や日本地図に見えるらしい石畳。

私は、日本地図かなぁ? 程度が分かったような???

数寄屋丸。

こちらは、首掛け石。

父のかたきである加藤清正を狙い、人夫として潜入していた力自慢の若者、横手五郎が築城の際に首にかけて運んだと言う伝説の石。重さは、何と1.8トン。

こんなものを運ぶと、余計に目立つと思うのだが・・・。

続いて、宇土櫓。

3層5階の勇壮な姿で、第3の天守閣と呼ばれています。

西南戦争の戦火を免れ、400年に渡り変わらぬ姿で国の重要文化財です。

再建された建物と違い、形・色・臭いなど、歴史が感じられて、たまりません。

最上階からの眺め。

天守、小天守も同じ目線。

とにかく感動している私ですが、まったく興味が無い奥さんは、外の木影のベンチで休憩。

宇土櫓を出て、天守を眺めます。

そして、小天守にあるのが鉄串。

石垣との境にあり、別名 忍び返し。

天守の方には、大きな梁。

梁をつなぐ床板を外して隙間から石を落とすと言う仕掛けです。

近くにある井戸は、加藤清正が朝鮮出兵の際、籠城経験からたくさん井戸を掘った内の一つで、水面までの深さが36mもあります。

続いて、本丸御殿の方へと進みます。

そこにある石垣に注目。これは、西南戦争の時の大砲の跡です。

そして、本丸広場。

う~ん、素晴らしい。

この日は、熊本城おもてなし武将隊がイベントをされていました。

それでは、天守内へ。

天守閣は、昭和35年に再建。高さ30m。

中には、たくさんの資料が展示されています。

そして、最上階。

こちらから宇土櫓を見降ろします。

天守台の石垣は、やはり立派。

続いてが、石段。

敵の侵入を遅らせるための工夫で、意図的に段の高さや奥行きが変えてあり、確かに下りにくい。

本丸御殿の石垣も立派。

それでは、熊本城の有名な石垣、二様の石垣です。

上部に行くに従って反りが険しくなり、滑り落ちるようになっています。別名 武者返し。

手前が、清正公時代の石垣。奥が細川家時代の石垣。

造られた時代により、勾配が違います。

五階櫓方面へと向かい、熊本城探訪は終了です。

やはり熊本城はスゴイお城です。

日本3名城の一つとして言われるほどあります。

堪能しました。

 

 

 

 

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熊本タウン ~ くまモン

2014年08月27日 | 旅行

8/22 島原からフェリーで30分、熊本に着きました。

熊本での目的は、熊本城。

熊本城は、お城巡りで報告します。

熊本市内の駐車場に停めたのが、すでに午後1時を回っています。

元々の予定より1時間遅れてしまいました。

と言うことで、お昼ご飯は簡単に・・・。

馬肉を予定していましたが、熊本ラーメンです。

こちらのお店は、実のところたまたまた立ち寄りました。

ガイドブックに載っているような有名繁盛店は、すでに売り切れ閉店。

さて、こちらのラーメンは・・・。

醤油とんこつにしました。

濃厚過ぎず、臭みやクセもなく、実に食べやすく美味しかったです。

ラーメンの後は、ものすごく蒸し暑い中、散策です。

とにかく熊本は、くまモンだらけ。

あっち見ても、こっちを見てもくまモン。

これは、熊本市内に限らず県内全域でした。

それと、いきなり団子と言うものがあります。

テレビで見たことがありました。

今では、馬刺しや辛しレンコンと並び、熊本名物となっております。

サツマイモをあんこと一緒に生地で包んだもので、イイ感じの食感と甘さで美味しいです。

さて、それでは奥さんのリクエストでもあったくまモンスクエアへと向かいます。

蒸し暑い中、やはり移動は市電の路面電車。

運賃は、150円。

信号や交差点など、スイスイとは行きませんが、のんびりスピードがイイ味です。

それでは、くまモンスクエアに到着。

しか~し・・・。

ものスゴイ人で、実は入場制限中。

なんと偶然ですが、くまモンが登場しているところでした。

何とかくまモンを見たい。

そんなおっさん根性で、必死でガラス越しに探しますと・・・。

いたぁ~~~。

たまたまのタイミングで、こちらを見て手を振ってくれています。

実にうれしい~。

と言うことで、くまモンに会えてニコニコ。

ただ、お土産やくまモン営業部長室などを見たかったのですが、あまりの人の多さで断念。

とにかくくまモンは、スゴイ人気でした。

 

確かに今では全国区の知名度。

 

 

 

 

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日本100名城に行こう! NO.91 島原城(別名 森岳城)

2014年08月26日 | 日本100名城

8/22 長崎県島原市にある島原城へ行ってきました。

この城は、奈良から入封した松倉重政が1618年に着工し、4~7年の歳月を経て完成させました。

五層の天守閣がとても立派です。

ちなみに4万石の大名だったとのことですが、その割には立派すぎる城のように思えます。

儲かっていたのか???

それでは、まずは受付。540円です。

そして、早速ですが、スタンプです。

う~ん、遠く九州でのスタンプは、実にうれしいこと。

そして、入城。

天守閣内は、展示会場になっています。

ここ島原は、キリシタン弾圧の地。

あの有名な天草四郎率いる島原の乱。

キリシタン関係の資料や郷土資料が展示されています。

ちなみに展示には興味が薄い私。

一応天守に登り、周囲を一望。

普賢岳の方は雨雲がかかり、平成新山は見えません。残念。

それから、お楽しみの石垣探訪のため、外へ。

天守の石垣。

巽三重櫓。

天草四郎の像。

西の櫓。

 

今の時期は、ハスがいっぱい。

本丸の西側の高石垣。

見事な屏風折れの高石垣です。

と言うことで、本丸の広さは名古屋城に匹敵するほどであり、石垣の延長は4キロにも及ぶ巨城です。

島原の乱の一揆や火山、津波に堪えて来た立派なお城でした。

 

 

 

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島原タウン ~ 湧水

2014年08月26日 | 旅行

8/22(金) 旅行二日目です。

朝、ホテルの部屋から長崎市街を眺めると、「長崎~は~、今日も~、雨だったぁ~。」とガックリ。

またまたお天気が悪い。

ホテルの朝食を食べて、次の目的地へと出発。

まずは、諫早を目指します。

お天気は、時折降る程度で、まぁまぁと言ったところ。

さて、諫早と言えば干拓。

そこで、諫早湾を分断する干拓道路を走ってみました。

全長7キロ。

まっすぐで立派な道路です。

生活道路としては、対岸までものすごくショートカット。

便利ですが、色々と問題等が報じられています。

こちらが外海側。

こちらが干拓側。

まぁ、水門を開けろ!などの運動もありましたが、私は解りません。

とにかく物珍しさだけで、堤防道路を渡ってきました。

そして、雲仙普賢岳がある島原半島です。

次の目的は、島原城。

お城の報告は、城巡りの項でします。

それで、訪れたのは、鯉の泳ぐまち。

至る所で湧水があり、きれいな水路には鯉が泳いでいます。

どこを見てもきれいな水。

そして、街中を散策していたところ、目についたお屋敷。

普通なら敷居が高そうな雰囲気ですが、無料とのことで、思い切って入らせていただきました。

こちらは、四明荘。

明治後期に建てられて、一日1000トンの湧水が池に流れ込んでいます。

透き通った池には、鯉が悠々と泳いでいました。

池の反対側には、別の水源。

きれいだなぁ~、と見とれていると、管理をされている女性が、「お茶を一杯。」

暑い時に冷えたお茶は、ごちそうです。

無料で見せて頂き、お茶まで頂戴しました。

のんびり、ホッとできる空間でした。

ありがとうございました。

それから、島原外港へと向かいました。

そこから熊本行きのフェリーに乗ります。

切符は、車と運転手、そして、奥さんで4100円。

フェリーなんてめったに乗らないので、ちょっとワクワク。

約30分の船旅ですが、イイものです。

フェリーが着くと、熊本です。

続きますが、まずはお城の報告を先に・・・。

 

 

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長崎タウン ~ 極上焼肉

2014年08月25日 | 食べ物

8/21 夜です。

長崎での晩御飯は、奥さんからのリクエストもありお肉となりました。

向かった先は、繁華街 浜町にあります、大阪屋さん。

事前に食べログで調査をし、予約を入れておきました。

今回は、舌鼓(たんご)コースで一人6480円。

しかし、ネットから印刷した食べログクーポンを提示すると、お肉がランクアップ。

上や特上が、極上になりました。

実に楽しみです。

まずはキムチと焼き野菜。

サラダとユッケ風のレアステーキ。

上タン塩。自家製のネギの薬味が抜群。

それと生ビール。

もう、ここまでで、「ウマいなぁ~。」を連発。

続いてが、シャトーブリアンの厚切りステーキ。

もう、たまりません、ウマすぎる~。

続いて登場したのが、極上サーロインの焼きすき。

さらっと焼いて、とき卵でまさにすき焼き風。

こちらも、とけるほどでウマすぎる~。

そして、ご飯もので石焼きピピンバ。

もちろん期待を裏切りません。

それから、極上赤身ロースと極上カルビ。

どちらも脂のサシがスゴイ。

そして、お待ちかねでした、ホルモンの登場です。

普通の開いたホルモンと丸ホルモン。

ホルモン大好きの私にはたまりません。

しか~し、困ったことが発生。

あまりにもすべて美味しいのですが、脂が・・・。

庶民の私には、極上のお肉はぼちぼち閉口気味。

あぐんできました。(奥さんは、もっと早くにダメ。)

ロースやカルビから私がほとんど食べています。

もう終わりかと思ったところで、黒豚トントロと地鶏セセリ。

何とか食べ切りました。

デザートは、アイスクリーム。

と言うことで、実に美味しいお肉の数々。

堪能しました。

お店の店員さんのおもてなしもバッチリ。

絶えず食事の進行具合をチェックし、イイタイミングで次が出てきます。

大変良いお店でした。

ただ、良すぎるお肉は、たくさん食べらず、値打ちを下げてしまいました。

やはり庶民には、普通ランクのほどほどがよろしいかと・・・。

これから後、ホテルへ帰り、胃がもたれて、大変。

胃腸薬を飲んで休みました。

とにかく、ごちそうさまでした。

 

 

 

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長崎タウン ~ 軍艦島

2014年08月25日 | 旅行

8/21 お昼ご飯を食べてからの予定は、軍艦島クルーズです。

港までの移動は、路面電車に乗りました。

市内の主要な観光スポットをカバーしており、とても便利。

料金も全線均一の一回120円。(乗り放題切符は、500円)

そして、今回軍艦島クルーズで乗船するのは、シーマン商会のさるく号。

14:00の出港ですが、上の写真を見て頂いた通り、黒い雲が近づいてきています。

そして、出港。

しばらく行くと、やはり大雨になってきました。

やばいなぁ~、と感じながらも、スタッフの説明を聞きながら事前学習。

 

軍艦島とは・・・。

長崎港の南西19キロに浮かぶ端島(はしま)は、三菱が明治23年に経営権を握ってから海底炭鉱として、繁栄しました。

最盛期の昭和34年の人口は5300人。人口密度は、東京の9倍。

日本最古(大正5年)の高層アパートや学校などがあり、1000mを越える海底深くで危険な作業をしていた炭鉱マンは高給取りで、どの家庭にも最先端の電化製品がありました。

ただ、エネルギーの中心が石炭から石油に変わって行き衰退し、昭和49年閉山しました。

コンクリートを塗り固めたいびつな島影が異様な雰囲気の端島は、大正10年に長崎で造られた戦艦土佐に似ていたことから、軍艦島と呼ばれるようになりました。

 

と言っている間に、湾外へ出ると、ますますヤバいなぁ~、の荒れ模様。

そして、軍艦島へ上陸するための桟橋付近は、猛烈な波。

さすがに危険と判断され、上陸は中止となりました。

ガックリ・・・。

まぁ、命には変えられませんから、と周囲を回ります。

窓には、雨と波しぶき。

船の後部へと移動しました。

そうすると、荒れ狂った波に翻弄され、しっかりつかまっていないと大変なことに・・・。

必至で写真を撮りました。

お客さんの中には、ずぶ濡れの方、船酔いでグロッキーの方、あまりの波による恐怖で固まっている方、など大変でした。

とにかく軍艦島をあとにして、高島へ。

高島市の高島町と同じですが、炭鉱で有名な高島です。

こちらも三菱が経営され、岩崎弥太郎さんの像がありました。

ここでは、とても地味な石炭資料館を見学。

軍艦島の模型で説明を聞きます。

小さくて地味すぎる資料館の中には、炭鉱に関する歴史と展示があります。

時間調整の高島をあとにしてやっと帰路へ。

船中では、上陸していないのに上陸証明書をもらいました。

それと、どこに片付けておこうかな?と悩む、石炭も頂きました。

と言うことで、船上から猛烈な波に揺られながら眺めた軍艦島。

世界遺産になってからでも再上陸してみたいと思います。

下船してからは、近くの散策。

実は、有名な大浦天主堂やグラバー邸もすぐ近く。

以前に何度か行っているのと、疲れと雨で今回は止めです。

とにかくホテルへとチェックイン。

ルークプラザホテルは稲佐山の中腹で、とっても景色がイイです。

窓からこんな感じ。

もちろん夜は、1000万ドルの夜景がバッチリ。

 これから、長崎市内の繁華街へ食事へと出かけます。

この食事が美味しかったこと。

続きます・・・。

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長崎タウン ~ 眼鏡橋 ・茶碗蒸し

2014年08月24日 | 旅行

坂本龍馬のゆかりの地を巡り、感動した私、しかし、奥さんは、「坂道ばかりで疲れたぁ~。」と言うことで、平地を歩きます。

それでは、眼鏡橋へとやってまいりました。

1634年の築造で、日本初のアーチ型石橋であります。

全長22m、幅3.65m、高さ5.46mで、皇居の二重橋のモデルです。

川沿いの遊歩道には、恋心をかなえるハートストーンが埋め込まれています。

私も見つけちゃいました。  ちょっとうれしい。

そして、橋のたもとで売られているのが、チリンチリンアイス。

150円と言うお手頃な価格でお手頃なサイズ。

作り方は、削り取りながら花弁のように重ねていきます。

お見事。

そして、こちらのお店でお買いもの。

長崎菓寮 匠寛堂さんで、カステラです。

伝統の技法で焼き上げられる五三焼は、ちとお高いですが、黄身の割合が高いのでとても美味しい。

試食をして、お土産に買いました。

それでは、ぼちぼちお昼ご飯です。

長崎と言えば長崎ちゃんぽん・皿うどん、トルコライス、そして中華料理。

しかし、私はあえて茶碗蒸しです。

吉宗 本店。(よっそう ほんてん)と読みます。

1866年の創業以来、変わらぬ伝統の味です。

下足札を「カ~ン」と鳴らしてお客さんを迎えて頂き、席へ案内されました。

メニューを眺めます。

こちらが、名物の茶碗蒸しと蒸し寿司のセットで「御一人前」と言います。

私は、もちろんこのセットも入っている「吉宗定食」にしました。

お店は、お昼時と言うこともあり、賑わっています。

それでも、比較的早く料理が運ばれてきました。

フタを開けると、デカイ茶碗蒸しが・・・。

この大きさは、腹が膨れます。

ふくよかなうま味で、長崎のソールフードを美味しく頂きました。

続いては、軍艦島へと向かいます。

 

 

 

 

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長崎タウン ~ 坂本龍馬の足跡

2014年08月24日 | 旅行

8/21(木)  奥さんと旅行へ行ってきました。

とにかくお天気が心配。

今年は、8月に入り荒れ模様。

今回も数日前から天気予報を気にしていましたが、見るたびに変わるので、なるようになれです。

朝の4時に自宅を車で出発し、大阪空港へ。

7:20発の長崎行きの飛行機に乗り込みます。

実に早いですが、ぼたもち観光のスケジュールが詰まっているため、朝一の便であります。

長崎空港に着くと、「アァ~、長崎は~、今日も雨だったぁ~。」。

小雨が降ったりやんだり、時折、ザァーと降ったりと、変な天気です。

ガックリ・・・。

まずはレンタカーを借りて、長崎市内へ。

そして、長崎市内を巡るわけですが、車は駐車場に停めて、タクシーを使います。

慣れない道、細い道、坂の道など、効率を考えて、現地の交通手段を使いました。

と言うことで、坂本龍馬ファンの運転手さんと話が大変盛り上がりながら、まずは風頭公園へ。

タクシーを降りて、小雨の中まずは、上野彦馬さんの墓。

彦馬さんは、日本の写真界の先駆者。

有名な龍馬さんの写真など、多くの写真を撮られており、西南戦争にも参加され、戦場カメラマンの始まりの人でもあります。

続いて、坂本龍馬像。

司馬遼太郎さんの「龍馬がゆく」の龍馬がイメージらしく、全国にある龍馬像の中で、一番若く見える像です。

 

長崎港が見えるぜよ~。

しばし、龍馬像に見とれていた私、先を急ぎます。

とにかくこの辺りは、坂ばっかりで、移動には疲れます。

そのため、一気に頂上の風頭公園までタクシーで行き、あとは下りていく方法をとりました。

それでは、若宮稲荷神社です。

ここは、幕末の志士が多く参拝したことで知られ、勤皇稲荷ともよばれています。

もちろん、坂本さんも・・・。

お参りをしてから、お守りを買いました。

坂本龍馬のお守り「龍馬御守」で、裏にはイラストが刺しゅうされています。

続いては、龍馬のぶーつ像です。

袴にブーツを履いた姿が有名ですが、そのブーツをモチーフにした像です。

このブーツは、履けます。(靴のままで。)

龍馬気分で、港を眺めました。

そして、すぐ近くにある亀山社中記念館。

ここに、あの海援隊の人たちがいたのかと思うと、もうワクワクです。

1865年、坂本龍馬が結成した日本最初の商社「亀山社中」跡に当時の間取りで復元されています。

坂本家の家紋が入った紋服。

復元ブーツ。

愛用したスミス&ウエッソン社製のピストル。

龍馬の愛用した陸奥守吉行。

この絵を寄贈されたのは、名誉館長の武田鉄也さん。

中2階の隠し部屋。

社中のメンバー。

 

この床の間の柱(現存)は、リーダーの龍馬がもたれかかっていたと想像され、触っておきました。

感動の亀山社中を出てから、石段を下って行きます。

途中にメンバーの紹介があり、立ち止まります。

と言うことで、龍馬ゆかりの地を巡りました。

あと長崎奉行所や花街の丸山、出島などにも足を伸ばしたかったのですが、時間の都合で断念。

またの機会にします。

おまけですが、こちらへちょっと入ったところには、龍馬伝で龍馬役をされた福山雅治さんの実家があります。

それでは、続いて眼鏡橋とお昼ご飯です。

 

 

 

 

 

 

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今度は、暑い、暑い・・・。

2014年08月20日 | 日記

まだまだ大気が不安定なところがあり、大雨で被害も出ております。

今朝も、広島で土砂崩れとのニュース。

局地的な豪雨は、本当に恐ろしい。

天気図で見ると、前線と言うものと今年の夏は弱めの高気圧があり、その影響を説明されていて、なるほどと頷いていますが、現実には前線などは肉眼で確認できません。

本当に長い線が通っていれば解りやすいのですが・・・。

昨日も高島は暑かった。

今朝も暑そうな感じです。

関東の方は猛暑らしいですが、暑いと暑いでブヅブツ文句が出てきます。

先日まで雨や曇天ばかりで夏の暑さはどこへ行ったんやぁ~、と暑さを求めていたのに、いざ暑くなると、「なんちゅう暑さや。」と不満が・・・。

まぁ、勝手なものであります。

びわ湖もプラスの水位ですし、さすがに全国的にも水不足のニュースは聞こえてきません。

天気が悪く出かける人が減った影響からか、お盆期間中の交通事故の死亡数もものすごく少なかったようです。

その分、消費も減ったかもしれませんが・・・。

天候不良の良い影響、悪い影響は様々ありますが、自分にだけに置きかえると、やはり出かける時は晴れが良い。

猛暑になっても晴れが良い。

来週からは、天気も持ち直すとの予報が出ていますが、今週はダメな感じ。

そんな中、実のところ、明日からちょっと出かけます。

行くところは、今朝も大雨警報や土砂災害の警報が出ています。

大丈夫かいな??

私の趣味の一つ、お城巡りも行程に入れていますし、もちろん他にも色々と立ち寄りたいところがいっぱい。

しかし、雨では・・・。

と言うことで、最近やたらと天気予報を気にしている私。

最後は、テルテル坊主さんにでも祈願しなくては・・・。

そんなことで、明日からしばらく(3日間)、ぼたもちはお休み。

また、報告はします。

 

 

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来月の予定

2014年08月19日 | 海上釣掘

お盆も過ぎ、いよいよ夏も終わりか・・・。

と言うよりも今年の夏は、暑い梅雨と言った感じでした。

ただ、まだその梅雨のような天気が続いています。

ちなみに昨日は久しぶりの夏の日差し、暑さを感じる天気でした。

空には、大きな入道雲があり、青空も見えていました。

さて、子供たちの夏休みもあと少し、イヤ~な終盤戦に突入です。

40年前の自分も、当然のように宿題はできておらず、どうしようか?と頭だけで思いながら手は動いていなかったことを思い出します。

結局、どうやって帳尻を合わそうか、しか頭になかったような感じ・・・。

そんな夏の後半ですが、釣りの話が出てきました。

暑い時には、釣りはたまに小アユ釣り程度の私。

暑いと根気も続きませんし、魚も煮魚になってしまいます。

と言うことで、夏は釣りはお休み。

オッとイカ釣りに行こうと思っていましたが、どうも機会を失ってしまいました。

そんなこんなのこの時期に、「来月はいつ行くんやぁ~。」とある人から連絡が・・・。

せわしないなぁ~と思いましたが、ぼちぼち8月も終盤、来月の勤務の都合ありますので、早くはありません。

早速、予定を立てます。

この日とこの日は・・・。

ここはダメだし・・・。

と、候補日を打ち合わせ。

一旦電話を切りまして、数分後・・・。

「この日に決めました。」

「誰と誰が参加・・・。」

アッと言う間に、レインボー釣行の予定が決まりです。

仕事はともかく(これは失礼)、遊ぶことの決定力・調整力の早いこと。

恐れ入ります。

と言うことで、秋の釣りシーズンに向けて、気持ちを高めていく時期となりました。

 

 

 

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写真で見る変化・・・。

2014年08月18日 | 日記

ちょっと調べ物がありまして、ガサガサと部屋内を物色。

そこで、アルバムと写真の束を発見しました。

そうなると、いつの頃の写真かな?となり、手が止まります。

まずは、5年ほど前の写真。

バイクや旅行であちこち出かけていた時のものでした。

あぁ~、あの時のことか・・・。まだそんなに前でないのでこの程度。

そして、10年くらい前の写真。

この辺りでは、40歳過ぎと言うこともあり、違いは髪の毛。

今より、量があります。

ただ、他の人から見れば、大した違いではないかもしれませんが・・・。

しかし、体型はそんなに変わりません。

どんどん遡り、34歳。

さすがにたっぷりと髪の毛はありました。

ただ、前兆は大いにあります。

この頃に何とかしようと気持ちを強く持っていれば、食い止められたかもしれない、そんな後悔の念もちらほら。

それと、体型が違います。

間違いなく今より細い。

まぁ、細いと言っても75キロくらいはあったかも。

それから、20歳代。

髪の毛については、心配なんてする必要が無い時代。

暑苦しいくらいです。

子供もちっちゃくてカワイイし、楽しい時代でした。

そして、20歳くらい。

髪の毛の話題なんて関係なし。

体型も70キロくらいで、標準体重。

独身で、ワクワク、ウキウキしていた時代だったかも。

と言うことで、ひょんなことで私の30年前までを振り返って懐かしんでいました。

それにしても、こんなにも自分が変わるのか、と感じました。

さて、これから先、30年は生きていられない可能性が高いかもしれませんが、どれだけの変遷があるのか・・・。

自分の姿を予想すると、微妙に怖いものがあります。

そこで、最後に思ったことは、写真がデジカメになり、極端に減りました。

撮影することは、逆に増えているのですが、プリントをしません。

SDカードなどデータ的には増えていますが、整理もできていないし・・・。

それよりも、ここ10年ほどの写真の整理できておらず、どれがいつのどこでだか分からなくなってきています。

写真の効率的な整理方法はどうしたらよいのやら???

コメント (5)
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