北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

舞鶴基地クリスマスイヴ二〇二二-雪舞う"世紀の寒波"の日本列島日本海側の基地風景(2022-12-24)

2023-01-07 20:14:05 | 旅行
■北半球覆う世紀の寒波
 北大路機関らしいクリスマスイヴの過ごし方という事で。

 クリスマスイヴに雪景色を求めて舞鶴基地を探訪したのですが、まあ実態はこんな感じでした。クリスマスイヴ、実は2022年内に舞鶴にどうしても行かなければならない所用があったのですが、その前の週に土曜日と日曜日、"今冬いちばんの寒波"というものが来ました。

 今冬最強寒波で不要不急の外出を自粛するよう、気象庁や政府からも発表がありましたものですから、まあ一週間ならば延ばせるということで、不要不急にはあたるものの一週間は余裕があるから延期しよう、という判断を、こういうのをフラグというのでしょうか。

 先週よりも激しい今年最大の寒波という、まるでボジョレーヌーボーのような気象庁の説明です、岸田総理がなんといおうと行く、おもっていましたらばCNNを見ているとバイデン大統領までが、世紀の寒波、中学校二年生が考えそうなカッコイイ表現で自粛を促した。

 バイデン大統領御爺ちゃんだしなあ、とおもいつつも、しかし年内はもうこれ以上延ばせないということで、思い切って特急まいづる号に乗り込むまでは京都市内に雪はなく、しかし、これから凄くなるのだ、と過去の凄い大雪の舞鶴を思い出しつつ有る意味雪景色を期待しつつ。

 雪景色の舞鶴、いいものです、鶴が舞うような地形というものですけれども舞鶴航空基地などは日本でもっとも美しい飛行場とまでいわれる日本海の入り江にあります良港、ここは雪化粧しますとふるい有名な水墨画のような、あの雪の金閣寺と並ぶ情景となるのです。

 しかし、降っていない、いや27号線付近は降った後はある、朝一番ならばなんとかなったのだろうけれども、山は雪化粧どころか化粧落としでもここまでは緑とはならない、おかしい北陸地方では停電やJRの計画運休やら8号線の予防通行止めなどが行われている。

 クリスマスイヴですので戻ってきている護衛艦は多いのですよ、護衛艦は多いのだっけれども肝心の雪景色を撮影するには多少でよいから雪が必要なのだけれども、もう写真の通りです。防寒装備に積雪の中でも歩けるよう準備しましたが、ああ、雨が降ってきました。

 フロリダまで雪が降っている中で舞鶴が雨っていうのは、ちょっと驚いたものです。南の島に雪が降るなんて加東大介さん主演映画のような響き、北の舞鶴に雨が降る、なにか、サンチャゴに雨が降る、と映画のような響きの、しかし現実と言うから受け入れるしか。

 丹後半島、なんでも雪雲は丹後半島で遮られているので若狭湾の西端に位置する舞鶴には全く降らないのだ、ということでした。これが真北から雪雲が来ますと、ものすごい雪になるのですよ、お教えいただいたのですが、要するに雪景色は断念、列車も正常運行です。

 サンダーバードは八分遅れ、京都駅ではこんな感じでして、ほぼ同じ路線を走る名古屋市発の特急しらさぎ号などは計画運休もおこなっているのに、そしてなんと特急まいづる号は平常通りの運行でしたので、このあたりで日本海の雪は大したこと無いと気づくべきか。

 積雪があると舞鶴は大変、何しろ除雪をできる人が少なくなっていますので、歩道なんてものは雪が積もったまま新雪の平原が延々続いている、起伏が曇天ですと陰もできずに全く見えませんので、転んでしまう危険もある、靴の覆いの内側に深雪がしみこんできます。

 時雨というのでしょうかこういうのを、しかし雲の切れ目から陽光が差してきまして、妙にきれいな情景を醸していました。これだけでももうけものなのかなあと考えつつ、東舞鶴はランチタイムはずすと冗談抜きで食べる場所がない商店街へ歩みを進めてゆきました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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クリスマスイヴ二〇二二特集!思い出の横浜-国際観艦式フリートウィークヨコハマの大夜景と佇む護衛艦の情景

2022-12-24 20:08:26 | 旅行
■いずも-横浜大夜景
 夜景というものは撮影は寒く器材操作が難しく写真確認も大変なのですけれども、撮れました写真は中々な思い出になるものです。

 クリスマスイヴということでイルミネーション写真ではありませんが、国際観艦式フリートウィークの際に撮影しました護衛艦の夜景という情景をお送りしましょう。寒い中で舞鶴基地の夜景撮影という大冒険も少しは考えたのですが、ちょっと猛寒波が凄いのです。

 電燈艦飾、護衛艦による電燈艦飾が行われていない場合でも常夜灯だけで美しいものです、それは大都市の夜景が特別なイルミネーションを行わない場合でも100万ドルの夜景とか、最近は電気代高騰と急激円安で100億ドルの夜景とか、こうしたものを醸すのとおなじ。

 2022年は海上自衛隊創設70周年という節目の年となりました、よくぞできたものだと感心したのは2022年国際観艦式です。残念ながら一般公開はされなかったのですが、停泊式観艦式しか無理ではないのか、2002年の海上自衛隊50周年国際観艦式を思い出したもの。

 横浜港、日本で最初に開港しました、いわば世界への玄関口の一つです。その大桟橋に護衛艦いずも停泊、その昔に護衛艦ひゅうが観艦式フリートウィークに併せての大桟橋接岸が行われたのを反対側の新港埠頭から見ますと、大桟橋越しに護衛艦の艦橋がみえました。

 大桟橋越しに護衛艦ひゅうが艦橋が見えますと、これは他の方が撮影された写真を見返してふと気づかされたのですが、大桟橋そのものが一種の航空母艦のように見えたもので、長崎の軍艦島ではないのですが、いつかあの海へ、大きいのが浮かんだなら、と思った。

 いずも、いつかあの海へ、なんていうアニメのタイトルのような事を思い浮かべたのは2009年と2012年の観艦式なのですが、意外な事に早くも実現したものだ、というのはヘリコプター搭載護衛艦いずも竣工の際です。ひゅうが一般初公開のこの場所で行われたのだが。

 駆逐艦ですよいや空母だ、と、まあ一般公開反対のオジサンに絡まれている方を傍目に友人知人たちと、DDHなのだから駆逐艦だとか、空母型の駆逐艦だとか、そんなことを護衛艦ひゅうが、見上げつつ思っていたものです。しかし、もう少し想像力が必要でしたね。

 いずも。これは、もう。友人の一人が護衛艦ひゅうが全長を50mほど大きくした護衛艦いずも目の前に呟いたというか本音が漏れた瞬間です。いや、50mといえば掃海艇1隻、掃海艇と護衛艦が並ぶのは舞鶴基地の北吸岸壁でも時折見ているのですが、されど50mです。

 空母か駆逐艦かという前に護衛艦なのですが、海上自衛隊の護衛艦は防衛政策と周辺情勢を反映して整備されるものなのですから、要するにそれだけ周辺情勢が緊迫しているということなのですね。もっとも、現実を直視した装備が間に合った事は僥倖なのでしょうか。

 くらま、美しい護衛艦でした。はるな、良い雰囲気の護衛艦でした。そして第一世代型ヘリコプター搭載護衛艦は所謂ところヘリコプター巡洋艦型の護衛艦でしたが、第二世代型ヘリコプター搭載護衛艦は全通飛行甲板型護衛艦、これが必要になった時代の要請という。

 あたご、もがみ、横浜港。もっと単純にイージス艦カッコィイ、という悟りの精神で防衛装備品を見る余裕も必要なのかもしれませんが、どういった用途に用いるべく政治が巨額の防衛費を投じているか、ということを考えると、少し厳しい気持ちになってしまうのだ。

 抑止力というものを考えれば、軍事的な現状変更の試みに対しての充分な防衛力を整備する事で、相手に耐えがたい代償を強いる事を想定させるという論理はあるのですが、その損耗を度外視して侵攻するという事例を歴史上今年二月を含め知っている故に、重い。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜特集】榛名から鹿島へ(7)練習艦隊停泊地巡る天保山遊覧船からの情景(2008.03.22)

2021-11-20 20:19:32 | 旅行
■天保山の練習艦隊
 舞鶴から大阪へ、第3護衛隊群護衛艦はるな撮影から練習艦隊旗艦かしま撮影へ巡りました撮影紀行もいよいよ完結です。

 大阪港天保山埠頭には遊覧船が運行されていまして、練習艦隊の埠頭真横を航行します。やはりフネは海上から撮影するに限るということで乗船します。青空はいつの間にか曇天となっていまして、しかし三月に撮影したのですから春の冬景色という情感を醸します。

 天保山は日本が明治維新の先に初の観艦式を明治天皇天覧のもとで挙行した歴史的史跡でもあります。明治元年、参加艦艇は6隻とフランス海軍艦、旗艦は佐賀藩から新生海軍に参加した電流丸で排水量800t、参加艦艇全部合わせて今の練習艦一隻程度という規模だ。

 サンタマリア号。遊覧船の名前はこういう粋なもの、もっとも歴史上有名なものを再現した帆船型の観光船でして、湾内を45分ほどかけて一周します。航路は入港船有無によっては奥のほうまで行く事もありますが、航路が混雑している時は出入港線優先となります。

 日本海から太平洋に、文字通り日本の本州を縦断する形で舞鶴から撮影に移動しているのですけれども、同やら運を使い果たしたようで、曳船が曳航作業をしている様子、艦隊の停泊の様子をしっかりと撮影するには少々時間のかかる作業が続いているようで残念です。

 渡船、天保山には市道扱いの渡船があります、こちらは大阪市が無料で運行しているものでして、全国に渡船は幾つも、呉市音戸渡船は廃止されるとの残念なお話を聞きましたが、渡船はありますが無料で乗船できる渡船となりますと、浅学にしてここしか知りません。

 入港する艦艇が内陸部へ艦首を向けて停泊してくれていますと、この渡船で桜島へ、桜島と云っても鹿児島ではなく大阪の桜島でユニバーサルスタジオジャパンなどがありますが、移動の際に眺めてみるのも一興です、もっとも折角運行してくれている渡船、何かしたい。

 桜島に渡りますとユニバーサルスタジオジャパンを愉しむのも一興かもしれませんが、此処は短時間で回れるようなところではありません、しかしお好み焼き屋さんが桜島にありまして、大阪の味を堪能してみるというのも良いでしょう、ホテルとカフェなんかもある。

 大観覧車。天保山入港鑑定撮影にはもう一つ、大阪を一望する大観覧車に乗ってみるという選択肢もあります、ちょっと気恥ずかしい、と思われる方もいるようですけれども、艦艇だけでなく大阪市を一望できる眺望と云うのは中々絶景です、15分掛け一周くるり廻る。

 摩耶山六甲山に生駒山や金剛山も眺められ、絶景と云うのもそのはず直径実に100mもありますし、1997年の開業当時は世界最大の観覧車でした。その姉妹機種に横浜のコスモクロック21がみなとみらい地区にありまして、支柱なども同型となっています、港の象徴だ。

 こんごう。巡視船に海上自衛隊イージス艦と同じ名前のものがあるのですね、これは考えてみますと通信などで混乱するのかもしれません、もっとも海上保安庁も同じように認識しているようで、最近は重複しない様に命名されているのは幸いです。でもいい名前です。

 海遊館を筆頭に練習艦隊入港の他にも、この天保山は日々日常から楽しめる場所となっています、観覧者の在りますコスモスクウェアには食事できるレストラン街もありますので、ちょっと散策してみるだけでも、この一帯の散策というものは、中々に楽しいものです。

 練習艦隊入港、2019年までは近海練習航海部隊の入港は一般公開もありましてちょっとしたお祭りでした、そして前半で紹介しました通り、舞鶴基地も毎週末に一般公開が行われ、公開艦艇は上甲板見学も出来ました。COVID-19感染拡大前は、こうした日常なのでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜特集】榛名から鹿島へ(6)練習艦隊かしま旗艦,大阪港天保山岸壁寄港(2008.03.22)

2021-09-25 20:10:50 | 旅行
■大阪港の練習艦隊一般公開
 COVID-19感染拡大と共に艦艇一般公開というものは懐かしくすら感じるようになりましたこの頃ではある。

 練習艦隊の入港、さてうそろそろ時間も推してきたところですが、もう少し撮影出来そうですので護衛艦あさぎり、この頃は練習艦あさぎり、でしたが、その艦上をもう一周散策します、この頃は護衛艦見学で1km2kmも並ばない時代でしたので余裕がありました。

 練習航海、しかし平成20年度は平和な時代でしたね、文字通り世界を一周している、いまはCOVID-19で太平洋の隣国をかすめるだけ、しかもこの頃は練習艦となっていた旧護衛艦あさぎり、を再度護衛艦へ戻しているほどに護衛艦不足という時代です、平和だった。

 旧式護衛艦の練習艦転用、昨今はミサイル護衛艦はたかぜ型の二隻が転籍となりまして、護衛艦はたかぜ、護衛艦しまかぜ、改め練習艦はたかぜ、練習艦しまかぜ、となりました。しかし、はたかぜ型はヘリコプター格納庫がありませんのでどう教室を確保するのだろう。

 はたかぜ型練習艦、というところでしょうか。しかし遠くない将来に後継艦が必要となります。思うのは、時代は今やインターンシップの時代でオンザジョブトレーニングで習うより慣れろの時代といいます、すると海上自衛隊もこの流れに乗ってみるのも、ありかも。

 もがみ型護衛艦が建造されていますが、例えばVLSを搭載しない比較的軽武装の護衛艦もがみ型を、はたかぜ型の老朽化と練習艦かしま老朽化に併せて、思い切って早々と練習艦に3隻転籍させる、そして艦上でオンザジョブトレーニング方式で教育を行う、無理かな。

 かしま後継艦は、おそらく先代練習艦が練習艦かとり、でしたので順番としては練習艦かしい、として香取型練習巡洋艦の3隻を継承させるのかもしれませんが、もう一つ、もがみ型を3隻、もがみ、くまの、建造中の三番艦、と艦を転籍させ、練習艦隊所属とする。

 練習艦とはいえ、もがみ型護衛艦は多目的区画がありますし、VLSを搭載しない分、ミサイル操作要員も不要ですので比較的少人数で運用できます、多目的区画を転用する事で新任幹部を受け入れる事も出来るでしょう、そして一応は最新鋭艦の末席といえる設計です。

 はつゆき型護衛艦転用艦や、あさぎり型護衛艦転用艦よりも、実習と任務を兼ねて周辺海域の警戒監視任務に充てる事も可能でしょう。考えてみればその昔は日本を一周する近海練習航海も長い期間、その一その二、と別れて実施されていました。これが短縮している。

 もがみ型であれば、オンザジョブトレーニング方式で練習航海を行いつつ、同時に哨戒任務に充てた場合でも、なにしろ艦砲は強力ですし、ミサイルも搭載しています、周辺国海軍に甘くみられる事もありません、実任務を兼ねるならば警戒用の護衛艦を割く事も無い。

 フランス海軍では専用練習艦としてヘリコプター巡洋艦ジャンヌダルクを充てていましたが、ジャンヌダルク退役後は専用練習艦を置かず、ミストラル級強襲揚陸艦をその任務に充てています。専用練習艦、アメリカ海軍やイギリス海軍なども実は保有していません。

 日本の周辺情勢は非常に懸念すべき状況となっていまして、この写真を撮影しました、護衛艦はるな現役時代よりは逼迫したものとなっています、すると専用練習艦に代えて有事の際には第一線でも運用し得る護衛艦の転用、検討すべき時代なのかな、と残念におもう。

 巡視船。自衛隊が導入する哨戒艦はどうなるのだろう、という素朴な疑問と共に帰路に就きました、という訳ではありません、ここは大阪港、護衛艦や練習艦を撮影するにはもう一つ、穴場的な場所が在るのですね。そこへ、今回最後の撮影地変更と向かうわけです。

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【土曜特集】榛名から鹿島へ(5)練習艦隊かしま旗艦,大阪港天保山岸壁入港(2008.03.22)

2021-06-26 20:18:25 | 旅行
■日本海側を太平洋側へ転進
 舞鶴基地から一路転進した先は大阪港、日本海側から太平洋側へ同じ日に二つの自衛隊一般公開を撮影してみたかった。

 練習艦かしま。ここは大阪港天保山埠頭です。さて。この日の目的は練習艦隊近海練習航海部隊が大阪港へ入港するとの事でしたが、一般公開が午後からという事でしたので、一つ午前中に日本海の舞鶴基地へ展開し取って返して午後から太平洋側へ行こう、という。

 あさぎり。練習艦やまぎり、が練習艦かしま隣に入港しています。この年度の練習艦隊編成は練習艦隊旗艦に練習艦かしま、そして隷下に練習艦しまゆき、練習艦やまぎり、練習艦あさぎり、と四隻を以て編成されていました。練習艦やまぎり型、と呼ばれていました。

 かしま、あさぎり。あさぎり型護衛艦はこの2008年、日本周辺海域はまだ平和でしたので一部が護衛艦から練習艦へ種別変更されていました。これが南西方面の中国軍事圧力増大を背景に護衛艦へ戻され、艦番号も護衛艦時代のものにもどされましたのはご承知の通り。

 自衛艦旗と練習艦隊。上空を往くのは飛行船で前回掲載したもの。近海練習航海部隊大阪入港、実は入港を真面目に大阪港で撮影する事も考えたのですが、どうぜならば午前中と午後に日本海側と太平洋側を梯子してみるのも良いだろうと思ったもので、いい思い出だ。

 はるな、かしま。日本海と太平洋、やろうと思えば東舞鶴駅と大阪港駅ですのでそれ程むずかしくは無い距離ではあるのですけれども、そういえば何度もやるような行程ではないのですよね。新田原と佐世保とか、三連休を観艦式駐屯地祭航空祭というのはやったけど。

 やまぎり艦上よりSH-60J哨戒ヘリコプターを眺めます。2008年は護衛艦はつゆき型が未だ護衛艦隊の護衛隊群に残っている時代で、一番艦はつゆき、二番艦しらゆき、が護衛艦さわゆき、と共に横須賀地方隊へ配備されている時代でした。三隻並ぶと凄い迫力でした。

 天保山の大観覧車とSH-60J哨戒ヘリコプター。この時代は平和でしたので、実は護衛艦むらさめ練習艦転籍も検討されていたといいます、同型艦9隻でしたので1隻転籍すれば8隻を2隻づつ4個護衛隊群に配置できる、という配慮もあったとのことでしたけれども。

 はつゆき型護衛艦は佐世保地方隊の第23護衛隊に護衛艦いそゆき、はるゆき、あさゆき、と配備されていまして佐世保地方隊には更に第26護衛隊へ護衛艦あぶくま型おおよど、せんだい、とね、6隻があったのですが南西方面の緊張はこの規模でさえ不足になったのです。

 格納庫から練習艦隊を眺めます。2008年は近海練習航海がその1とその2、と二回立て続けに行われていまして、遠洋航海までに幹部候補生として日本を一周した上で新任幹部として幹部候補学校卒業後に日本を一周する、教育を重視できる余裕と平和が在りました。

 艦橋と観覧車。2008年はどのくらい余裕が在ったかといいますと、この時代には毎年全国の地方隊で展示訓練、小規模な観艦式というべき行事が執り行われていまして、後方を重視するだけの艦隊の余裕と艦艇の余裕がありました。最後に展示訓練が行われたのは昔だ。

 76mm艦砲と桜島の倉庫群。地方隊展示訓練が行われたのは2014年でした、2016年にも実施予定でしたが、同年の熊本地震災害派遣により艦隊訓練計画と実任務の余裕が泣くなあり、自衛艦隊司令官の“艦隊を休ませよ”により中止、その後今まで行われていません。

 やまぎり見学を終えて練習艦かしま、あさぎり撮影へと歩みを進めます。もう少し練習艦やまぎり撮影を続けたいところですが時計を見ますと既に1532時となっていまして、急がなければ見学時間が終了してしまうのですね。舞鶴はるな撮影に時間を使いすぎたのかも。

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【土曜特集】榛名から鹿島へ(4)護衛艦はるな停泊の北吸岸壁と掃海艇岸壁(2008.03.22)

2021-05-01 20:17:28 | 旅行
■青空と護衛艦と掃海艇の舞鶴
 舞鶴基地一般公開はCOVID-19により長らく中止となったままですがいつ再開となるのかは未定という。

 はるな。さて、ここは舞鶴基地で舞鶴警備管区の一丁目一番地というところですが、今回の特集は、はるな、かしま。かしま撮影を考えますと、ヘリコプター搭載護衛艦の隣にてあまりゆっくりする時間の余裕もないのは残念ですが、移動を考え急がねばなりません。

 すずなみ、そして護衛艦はるな艦首。実はこの写真を撮影している最中にも横浜市のIHIでは最新鋭の画期的な全通飛行甲板を備えたヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが建造が進んでおり、この一年後には竣工、はるな除籍も同日というところで、時間も迫っていました。

 ヘリコプター搭載護衛艦の世代交代。はるな型はヘリコプター巡洋艦型であり、ひゅうが型護衛艦は全通飛行甲板型、満載排水量で6800tと19000tという、1973年に最大の護衛艦と2009年に最大の護衛艦というものではここまで違うのか、という印象で進んでゆく。

 イージス艦も、みょうこう、の護衛艦こんごう型は満載排水量で9500tといよいよ護衛艦もこの大きさに至ったか、とは今から考えますと遥か昔ながらおぼろげに思い出すのですが、ひゅうが竣工前では基準排水量で最大の艦は砕氷艦しらせ、補給艦ましゅう、という。

 すずなみ。護衛艦も大きくなったものだ、という認識はこの汎用護衛艦が満載排水量で6300tと、はるな満載排水量に迫ってきた為でして、続く護衛艦あきづき型からはヘリコプター搭載護衛艦と並ぶ大きさとなりました。これこそ、時代の変化というものなのですね。

 護衛艦の大型化は、元々海上自衛隊が冷戦時代に想定していたのは日本沿岸部と太平洋を結ぶシーレーンを防衛し産業を維持すると共に北海道正面においてソ連軍の着上陸を阻止するというものでした。しかし、ポスト冷戦では中国の台頭を念頭としていた転換へ、と。

 むらさめ型護衛艦から始まる第二世代汎用護衛艦、第一世代の護衛艦はつゆき型よりも大型化したものは基本的な船体配置を護衛艦はるな型に範を採り設計に余裕を持たせたためでもあります。すると汎用護衛艦の大型化にも何か納得できる設計を不思議に思うのです。

 はるな型とは汎用護衛艦は蒸気タービンかガスタービンか等根本から異なりますが船体上に上部構造物と更に一体化した格納庫に大きな飛行甲板、という設計で共通します。2020年代に回顧しますと2000年代の護衛艦の転換期は、懐かしく、しかし興味深く思い出す。

 あわしま、とびしま、ながしま。舞鶴地方隊第44掃海隊の掃海艇です、この頃は掃海艇の数が多く、舞鶴地方隊は一個掃海隊のみですが二個掃海隊を隷下に置く地方隊もありました。この頃、掃海艇は文字通り掃海艇の時代、現在の機雷掃討艇というべきものは少ない。

 とびしま、艦番号678。あわしま、艦番号670。あわしま、は掃海艇うわじま型で、とびしま、は掃海艇うわじま型です。文字通り掃海器具を曳航し掃海する用途です。後継の掃海艇すがしま型とはまったく形状が異なりますが、これは機雷掃討を重視した為というもの。

 ながしま、一番奥に停泊する。あわしま、うわじま型22番艇です。機雷掃討ではなく掃海を重視する掃海艇は建造費が安価で数を揃えられましたが、湾岸戦争後の掃海任務を経て機雷掃討能力の重要度が認識、転換したのですが建造費が高過ぎ、数を揃えられなくなる。

 艦首旗と飛行船。そう、飛行船です。さて。舞鶴にこんな飛行船が居るのでしょうか、そして微妙に青空の色彩が違うよう、そうです。舞鶴基地から練習艦かしま撮影へと撮影位置を転換したのですね。撮影の舞台は舞鶴警備管区から、そう、呉警備管区へと進みます。

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【土曜特集】榛名から鹿島へ(3)懐かしの舞鶴ヘリコプター搭載護衛艦はるな(2008.03.22)

2021-04-03 20:20:32 | 旅行
■DDH-141 HARUNA
 舞鶴基地北吸岸壁の日曜日一般公開はCOVID-19感染拡大前までは日常風景でした故に今思い返しますと懐かしいですね。

 はるな艦橋。この護衛艦はるな舞鶴停泊の2008年は、海上自衛隊の護衛艦隊が最大規模の改編を目前としており、護衛隊群はそれまでの直轄艦隷下の2隻乃至3隻から構成される3個護衛隊編成という陣容から、4隻を基本とする2個護衛隊体制へ転換してゆきます。

 はるな竣工は1973年2月、はるな型護衛艦1番艦であると同時に海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦として竣工し、第2護衛隊群第52護衛隊、そして第3護衛隊群の旗艦に当る直轄艦として重責を担ってきましたが、改編をへて、第3護衛隊に配属されています。

 第3護衛隊群は2008年の時点で、第3護衛隊、第7護衛隊、第63護衛隊、こうした陣容となっていまして、60番台の護衛隊にはミサイル護衛艦が配備、艦隊防空に当っていましたが、改編により60番台護衛隊は解体され、各護衛隊にミサイル護衛艦が配備されました。

 あまぎり。1989年に竣工した護衛艦あさぎり型の4番艦です。第3護衛隊は、ヘリコプター搭載護衛艦はるな、護衛艦あまぎり、護衛艦すずなみ、という陣容となっていまして、ここに改編により、第63護衛隊に所属するイージス艦が配属されることとなるのですね。

 あぶくま。舞鶴地方隊第24護衛隊の護衛艦です。地方隊にも護衛隊が配属されていた、こう説明しますと最近の方は首を傾げられるのでしょうか、現在は二桁台の護衛隊は自衛艦隊直轄部隊となっていますが、護衛艦隊改編前までは地方隊にも護衛艦が配備されていた。

 みょうこう、はるな、艦尾から。2008年時点での舞鶴地方隊には第24護衛隊が配属されていまして、第24護衛隊には、はつゆき型護衛艦の護衛艦みねゆき、護衛艦はまゆき、護衛艦あぶくま、の3隻が配属されていました。その前には護衛艦たかつき型が配備された。

 舞鶴基地といえば、日本海のまもり、重責を担う地方隊であり、北朝鮮弾道ミサイルの脅威にイージス艦を以て直面すると共に武装工作船浸透事案等緊張が絶えず、対岸の勧告ではカンヌン潜水艦浸透事件という北朝鮮軍特殊部隊による攻撃も実際に起こっています。

 はやぶさ、わかたか、うみたか。舞鶴地方隊には舞鶴警備隊第2ミサイル艇隊としてミサイル艇はやぶさ型3隻が配備されていました、一撃離脱を旨とするミサイル艇は攻撃された場合に脆弱性が大き過ぎ、運用の難しさがありますが、当初は30隻が整備される計画で。

 ミサイル艇は本来、地対艦ミサイルや地対空ミサイルを運用する沿岸砲兵の一部として運用するのが必須で、敵航空攻撃を受けた際には沿岸の友軍ミサイル圏内に対比し、我ここに在り、のショウザフラッグがミサイル艇の任務、陸上自衛隊と統合運用すべきでした。

 あぶくま、上部構造物が良く分かる構図です。もともとこの護衛艦あぶくま型も24隻程が建造される計画であり、これが冷戦終結による護衛艦隊余剰の護衛艦はつゆき型が延命され地方隊へ移管される事となり、生産計画が6隻へ縮小された、そんな歴史があります。

 はるな、みょうこう、を護衛艦あぶくま艦首側から望む。あぶくま、DEという護衛駆逐艦を示す区分で整備され、DDという艦隊駆逐艦を示す区分とは一回り小型の区分です。しかし、あぶくま型を最後にDEの整備は25年以上経た今日も中断、FFMが後継となります。

 みょうこう、はるな。さて、ヘリコプター搭載護衛艦とイージス艦は正面から見ますと1973年と1995年の護衛艦の大きさの違いが顕著でしたが、艦尾から見ますと、はるな、長大な飛行甲板が大きな護衛艦である、という事を強く印象させる形状が興味深いところですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜特集】榛名から鹿島へ(2)"はるな"と"みょうこう"と朝晴れの舞鶴基地(2008.03.22)

2020-12-26 20:04:10 | 旅行
■懐かしい護衛艦はるな
 ヘリコプター搭載護衛艦はるな、今その艦容の写真を観返しましても一時代を築いた歴史とともに趣き深いですね。

 はるな。海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦で、これ以前にも無人ヘリコプターの搭載や護衛艦意外に南極観測支援に充てる砕氷艦に艦載機を搭載した事例、飛行甲板だけは練習艦かとり、などにもありましたが、対潜ヘリコプター搭載は護衛艦はるな、が初めて。

 はるな、みょうこう、停泊の様子。はるな満載排水量は6800tに対して、みょうこう満載排水量は9500tで、満載排水量の差が如実に感じさせる情景です、が1973年竣工の護衛艦はるな、基準排水量4700tは当時最大の護衛艦が3050tでしたので突き抜けた巨艦です。

 はるな、みょうこう、停泊の様子。みょうこう基準排水量は7200t、これも基準排水量19500tの護衛艦が出てきました今日では普通に大きめの規模ですが、建造当時は巨大でした。なお、はるな建造当時の最大の護衛艦はミサイル護衛艦あまつかぜ、3050tというもの。

 はるな、みょうこう、停泊の様子。みょうこう竣工は1996年です、みょうこう、ミサイル護衛艦こんごう型三番艦で一番艦こんごう竣工は1993年、はるな竣工20年後に護衛艦はここまで大きくなりましたが、その16年後の2009年に護衛艦ひゅうが竣工、13500tです。

 すずなみ、順光の位置にて。たかなみ型護衛艦5番艦、第二世代汎用護衛艦むらさめ型の拡大改良型で、汎用護衛艦というものはワークホースとしてそれほど大きな護衛艦が当てられなかったのですが、基準排水量4600t、満載排水量6300t、はるな型並という。

 すずなみ、全体の艦容。喫水線を中心に構図を決めてみました。当時は第三護衛隊群第3護衛隊の所属で、第3護衛隊は護衛艦すずなみ、護衛艦あまぎり、の2隻から編成、第三護衛隊群は直轄艦はるな、第3護衛隊、第7護衛隊、第63護衛隊、三個護衛隊基幹でした。

 はるな、一歩近づき。HSS-2を筆頭にこの2008年の時点では艦載機はSH-60Jとなっていましたが、海上自衛隊は独自の運用研究から外洋対潜哨戒でのヘリコプターの有用性に着目、一時は対潜空母建造や中古空母貸与を模索しつつ、ヘリコプター搭載護衛艦に画定へ。

 はるな、目一杯に。8隻6機体制として、3機を搭載可能とするヘリコプター搭載護衛艦を護衛隊群に2隻配備する運用を構想、続いて1980年代から汎用護衛艦にヘリコプター1機を搭載する8隻8機体制へと護衛艦隊の能力近代化を進める一歩目となったのが、はるな。

 みょうこう、手前に護衛艦はるな艦砲。はるな建造後、当時の冷戦時代にあってソ連太平洋艦隊の脅威が潜水艦から巡洋艦部隊とミサイル爆撃機に移行し始めますと、日本のシーレーン防衛に対潜に加え防空の要素が求められるようになり、イージス艦が導入されます。

 みょうこう、手前に艦砲。はるな建造の延長線上に洋上防空を担えるハリアー攻撃機を搭載した全通飛行甲板型艦の建造も検討されましたが、洋上防空ではハリアーとサイドワインダーミサイルよりもイージス艦、海上自衛隊が漸く意見をまとめ、早い時期から構想へ。

 はるな艦砲と艦橋みょうこう。イージス艦は昭和68年頃の導入を見込み、当時最新鋭技術故にアメリカ議会が輸出に難色を示すも、アメリカ海軍との間でターターD防空システム以来の海上自衛隊艦隊防空への熱意を伝えていたことが結果的にイージス艦実現へ繋がる。

 はるな艦砲と艦橋みょうこう。護衛艦は、はるな、みょうこう、この22年で大型化したのですけれども、更に20年をへた2015年には満載排水量27000tの護衛艦いずも、が竣工し、この流れでゆきますと2040年代にはどんな護衛艦が、となかなか想像力が働きますね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜特集】榛名から鹿島へ(1)はるな現役時代,舞鶴基地に停泊する護衛艦(2008.03.22)

2020-12-12 20:20:01 | 旅行
■早春の京都-舞鶴基地は快晴
 はるな。護衛艦はるな、です。Weblog北大路機関草創期は回線制限や容量上限が厳しく中々にお伝えできなかった懐かしい基地や艦艇の日常風景を紹介しましょう。

 はるな、みょうこう、はるな艦砲の背負い式配置の奥に、みょうこう艦橋という構図から。昨今、戦艦榛名が人気を集めていまして、金剛型戦艦にあって太平洋戦争を最後まで戦い抜いた事が注目されているようですが、北大路機関にとり、はるな、とはこの護衛艦です。

 自衛艦旗がマストに翻る。旅行、北大路機関のカテゴリでは旅行記と重複するものの、旅行カテゴリはOCNからGOOブログへ移行した際の標準仕様でしたので活用できていませんでした、しかし、旅行、軍隊用語では基地や軍艦や艦艇の中を案内する事を示します。

 はるな自衛艦旗を目一杯拡大して。旅行ということで少々古い写真ではありますが、護衛艦はるな、練習艦かしま、をおなじ日に撮影しました際の思い出はなしなどを。旅行と言うことですので、案内する基地はここ舞鶴基地、京都の日本海側にあります基地という。

 はるな、みょうこう、はるな艦砲の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。第一世代ヘリコプター搭載護衛艦の鏑矢となりました護衛艦は2009年に除籍されまして、文字通り歴史の中に去っていきました故にこの在りし日の舞鶴の情景を今日から想像するには想像力が要る。

 はるな艦首旗の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。舞鶴基地といえば帝国海軍の時代には舞鶴軍港、日本でもっとも駆逐艦を量産した軍港として知られる要衝で戦後も長らく駆逐艦の名を冠した護衛艦と軽巡洋艦名でも駆逐艦なみの大きさの小型護衛艦の基地でした。

 5インチ単装砲の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。転機となりましたのは1996年のイージス艦みょうこう舞鶴配備、そして1998年、長崎県佐世保基地から第三護衛隊群直轄艦はるな、舞鶴へ転籍することとなったもので凄く大きな護衛艦が舞鶴へ、と地元では話題に。

 はるなマストに第三護衛隊群司令旗が。はるな、第一世代ヘリコプター搭載護衛艦はヘリコプター巡洋艦型船体を採用しており、なるほど群司令旗が掲げられているのは、艦容に重なるものと今でも懐かしく思うところです。かしま、までもう少し散策を続けましょう。

 BEST GUNNURY TEAM OF ESCORT FLEET,はるな艦砲に記されている。5インチ単装砲は有人砲塔で、展示訓練などで空包射撃を実施するさいには小宴とともに砲手が出入りし、その後の砲塔内見学などでこれこそ艦砲、という強い印象をもたされたものでした。

 すずなみ、その奥に補給艦ましゅう。舞鶴基地はよほどのことがなければ毎週土曜日日曜日に一般公開を行っていまして、この長い岸壁いっぱいに多数の護衛艦が停泊しています、今では巨大な護衛艦ひゅうが、が接岸していますが昔は小型で、しかし数が多かったです。

 あぶくま、はるな、すずなみ、ましゅう。舞鶴の長い岸壁、自衛隊基地としてはもっとも長大な岸壁となっていまして、行き来しますとその長さを実感します、護衛艦が多いという印象の背景には一つの岸壁に護衛艦とミサイル艇などが固まっているため、でしょうか。

 あぶくま、はるな、すずなみ、ましゅう。舞鶴基地の長大な岸壁に多数が停泊している様子を重ねて印象づけるのはもう一つ、2000年代前半は平和であり、今のようにミサイル防衛や南西諸島警備に護衛艦を多数出航させ基地が空く、状況が無かったためともいえる。

 司令旗が護衛艦あぶくまマストに。あぶくま、現在は呉へ転籍していますが、この撮影の9年前、日本海工作船浸透事案に際しては、はるな、みょうこう、あぶくま、とともに自衛隊史上初の海上警備行動命令発令を受け、北朝鮮近くまで追い回した事もありましたね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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百里基地航空祭2019撮影ガイド,RF-4戦術偵察機ラストステージと日の丸ファントム大集合

2019-11-18 20:01:07 | 旅行
■首都防空担うファントム王国
 首都防空の重責担う百里基地は三個飛行隊のファントムが集ったのも少し前まで、来年度からはF-2戦闘機の配備が開始されます。

 ファントムの航空祭。百里基地航空祭は12月1日に本番、前日11月30日には周辺住民関係者対象の特別公開が本番同一プログラムにて実施されます。RF-4戦術偵察機最後の年であり年々最新鋭F-35ライトニングに置き換えられるF-4ファントムの航空祭です。ファントムは古い、F-4Eを日本でライセンス生産したEJ改ですが、原型は1959年初飛行だ。

 現役の日の丸ファントム、だからこそ自衛隊ファントムは世界の航空機愛好家からも注目されている。航空祭プログラム、注目の航空祭なのですが、しかし今年の航空祭飛行計画は、鬼門だ。F-4戦闘機、ファントムが主役の航空祭ですが、オープニングフライトが0830時におこなわれ、ここでRF-4偵察機とF-4戦闘機が6機編隊での航過飛行を行います。

 6機編隊、これが航空祭で最大規模の編隊飛行でして、要するに0830時には撮影位置に到達しておく必要がある、これはシャトルバス利用の場合は0500時に石岡駅前に並んでおきたい、という。0915時からRF-4偵察機による写真撮影があり、これは百里航空祭ならではの名物です。そののちに0945時よりUH-60とU-125の救難飛行展示が実施されます。

 F-15戦闘機が1035時より一機飛来し機動飛行を行い、1100時よりブルーインパルス飛行展示が行われるのですが、最大のメインであるファントム機動飛行は1330時からF-4戦闘機三機による模擬緊急発進と対地攻撃展示、1415時からRF-4偵察機二機による戦術偵察展示が行われます。ファントムの航空祭、これがどういうことかといいますと、混むのだ。

 ブルーインパルスの飛行展示にあわせて会場が満員となったまま、メインの飛行展示をファントムが行う構図ですので、全体に混雑は凄いことになるのですね。RF-4偵察飛行まで見ていますと、石岡駅到着は1800時を過ぎるかもしれません、そうとう時間に余裕を持って、それこそもう一泊か最終の特急指定席を確保する等の、余裕も必要かもしれません。

 ファントム、それは世界中で5000機が量産され運用されたもので、自衛隊もEJ型を141機取得、偵察機にはEJからの改造を含め40機を運用してきましたが、そろそろ限界を迎えています。ファントム、しかし日本防衛へ貢献は計り知れないものがあり、だからこそ現役の間にしっかりと撮影しておきたい。本年の百里は自衛隊ファントム王国の転換点だ。

 戦術偵察機時代の終焉を告げる分岐点ともいえます、が、百里基地は行くのが難しい。茨城県の自衛隊基地ということで首都圏の飛行場ではあるのですが、同じ首都圏の航空自衛隊基地である入間基地が基地内に駅があるのに対して百里基地は2007年まで基地の目の前に鹿島鉄道線が運行されていたものの廃線となり、交通が非常に不便となっています。

 百里基地最寄り駅は15km離れたJR常磐線石岡駅となっています。この15kmというのは言葉に直せば簡単ですが京都駅から叡電の鞍馬駅までの距離に匹敵しまして、直線ではなく道路沿いに行くならば徒歩でも三時間半から四時間は要します。常磐線石岡駅、ここからは航空祭当日に有料シャトルバスが運行されています。航空祭に行くにはバスが一番だ。

 JR石岡駅からのシャトルバス、ただ基地周辺の交通は航空祭当日に爆発的に増大するとともに、航空祭以外の通年で石岡市内国道六号線周辺が渋滞する事が多く、航空祭当日は相当時間に余裕を持った行動が必要でしょう。特にブルーインパルス飛行の後にシャトルバスを利用しますと、バスに乗るまで一時間半、駅まで二時間半、ということもあります。

 大洗。大竹。航空祭臨時駐車場は大洗、ガールズ&パンツァーの聖地として有名な大洗に大量に確保され、此処からシャトルバスが運行されます。大洗から百里基地までは20km離れていまして、ここからバスで移動するのは所要時間でバス会社によれば昨年実績値で45分から80分とのこと。大洗から長時間で大変です、が、完全事前予約制で問題を解決した。

 基地へ。駐車場は時間帯ごとに事前抽選予約制となっていまして、夜明け前から指定時間ごとに駐車場へ入場し、そこから入場時間に応じてシャトルバスが振り分けられています。一見面倒そうにみえるこの方式ですが、大洗と言えばガールズ&パンツァーだけではありません、関東屈指の海水浴場があるのですね。大洗サンビーチと大竹海水浴場があります。

 大洗海水浴場には当然関東屈指の駐車場適地がありまして、ここに航空祭の膨大なマイカー利用者を収容する、という狙いがあるのです。実は後の時間帯ほど駐車場券は空きがあるのですが、直線距離20kmの移動はやはり時間を要しますので、あまりゆったりと移動していますと大編隊を撮影できない、ということもあり得ます。事前の計画がものを言う。

 ただ、駐車場は事前予約、シャトルバスについても事前決済制となっていますので、駐車場券を確保していない場合は、始発電車を利用することとなりますね。基地周辺に駐車場は皆無ですし茨城空港は空港利用者以外駐車場を利用できません。無理を通すとなりますと、周辺の農家の方へ個別交渉するか、いっそ空路で往復して駐車場を利用するか、と。

 航空祭事前予行、航空祭を満喫するには全てを当日にかけるのではなく前日に実施される事前予行を茨城空港から撮影する、という選択肢もあるでしょう。茨城空港、百里基地は海軍百里飛行場跡地を活用し創設されて以来長らく自衛隊飛行場となっていましたが、2010年に茨城空港が開業し官民両用飛行場となりました。基地から筑波山の方角に空港だ。

 茨城空港。実はこの茨城空港開業により、百里基地周辺に公共交通機関が残るところとなっていまして、かしてつバス石岡ルートとしまして茨城空港と石岡駅を結ぶ直通路線が整備されることとなりました。かしてつバス、これは廃止となりました鹿島鉄道線を利用した路線で、もちろん鉄道ではなくバスではあるのですが専用道を通行し渋滞を回避します。

 かしてつバス石岡ルート、7kmの区間を線路跡地に敷設したバス専用道が整備されています。このバス専用道を利用しますと在る程度は渋滞を回避し航空祭を眺められるのですね。茨城空港は緑地広場の中央部に小高い丘陵地がありまして、もちろん高低差は徒歩十秒というくらいなのですが、ここからが眺望良好、航空祭予行や本番を此処から撮影する方も。

 もっとも茨城空港は難点がありまして、午前中逆光なのですね。航空祭予行を逆光でも一応撮影しまして、しかし、本番の日にはある程度緩やかな気持ちで基地に入場し散策する、こうした選択肢もありえるかもしれません。もっとも予行撮影に際しては駐車場がほぼありませんので、空港までの公共交通機関か、周辺農家の方と個別交渉する事になりますが。

 ファントム、世界中で人気です。世界中で使われたこともありますし、ヴェトナムでもアメリカ軍が活躍させた。世界中で退役が進むなかで日本ではアメリカマクダネルダグラス社より三菱重工がライセンス生産を実施、国内部品予備供給基盤が構築されている為に稼働率が維持でき、レーダーや装備の改良と改造も続け第一線での能力を維持できました。

 基地からの撮影ですが、基地には滑走路沿道も開放されていますので、地上展示を決まった時間帯に撮影する事として、滑走路を観える区域から撮影するか、早い時間帯に基地開門前に並び、若しくは人垣越しに航空機発進の情景を撮影する、という選択肢があるでしょう。混雑はしますが交通難所故に、あの入間基地とは比較にならない程余裕があります。

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