北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【16】次の小牧基地航空祭はきたる来年三月挙行(2019-11-09)

2023-12-24 20:00:30 | 航空自衛隊 装備名鑑
■航空祭は大団円
 クリスマスイヴということですが小牧航空祭2019は今回の掲載が最終回を迎える事となりました。

 ブルーインパルス、小牧基地航空祭の大団円となりまして、天候にも恵まれましたので良かったのですよね、と思いつつもう一つ、ブルーインパルスの集客力が凄いというのは全国の航空祭の一つの常識なのですが、その割には混雑していない航空祭となりました。

 鹿屋航空基地祭や那覇基地航空祭、ブルーインパルスが飛行展示を行う割には混雑はそれ程ではない、という経験は幾つかあるのですが、霞目駐屯地祭や千歳基地航空祭、さすがはブルーインパルス、という混雑に見舞われる事もありましたので、小牧は穴場なのだ。

 T-4練習機のブルーインパルス、ただ見てごらんのとおり、この小牧基地は午後から逆光となります。逆光になるならば滑走路の反対側まで移動してしまえばよいのですが、ここは県営名古屋空港、その前は名古屋空港と呼ばれていました空港と施設を供用しています。

 名古屋空港といえば、カンタス航空やブリティッシュエアウェイズなんかが乗入れた国際航空航路の空港で、今考えると中々実感持てないのですが、この滑走路にはボーイング747がびゅんびゅん乗入れていた、エアバスA340なんていう旅客機も乗入れていたのです。

 ボーイング747、乗入れていました通り、ここは滑走路が長いものですから、一周して反対の県営名古屋空港展望っ気へ移動するのは、ちょっと距離が有って時間がかかってしまうのです。徒歩だと、二時間半でた足りないのかもしれない。タクシーもつかまりにくい。

 2023年航空祭の直前から日曜特集ということで掲載を開始しまして、年末近くのクリスマスイヴに小牧基地航空祭特集の大団円を迎えることができたのですけれども、そう、小牧基地航空祭は2024年の3月にも予定されていますので、来年の航空祭の予習ともなるか。

 混雑しない航空祭であるとともに、航空祭と云えば最前列を確保して迫力の発着風景を撮影、という航空愛好家の方は多いですけれど、小牧基地に関してはそれほど執念で最前線物語なんていう気概を盛り上げずとも、ちょっと下がった場所からでもいい迫力の写真が。

 最前列で撮影する場合、もちろん、実任務に臨む航空機を描くような迫力の情景が撮影できるのですが、一旦確保した撮影位置からは動けないので、撮影できる角度が限定されますし、地上展示航空機を撮影するにはグループで位置を確保する必要があるのですよね。

 小牧基地のもう一つ特色は、この小牧基地はエプロン地区で格納庫周辺が若干丘陵地といいますか盛上っている、ということで格納庫のあたりから撮影した場合でも、滑走路を進む航空機が撮影できる、という事でしょうか。全ての基地がそうではないのですけれど。

 ブルーインパルス飛行展示、ただ、航空祭の一番盛り上がる時間帯となるのがブルーインパルスの飛行展示が行われる時間ですから、この着陸と同時に一気にみなさん帰路に就きます。最寄りの名鉄線駅などは確実に混雑しますから、ちょっと歩いてみるのも手やも。

 基地を出る前に、保存展示機がならんで居る様子をちょっと眺めつつ、もう一つ混雑している際には注意しなければならないのは、基地の目の前の交差点で赤信号の際にかなり滞留するということ。これは岐阜基地や浜松基地でも共通するのですが退場に時間が掛かる。

 小牧基地、輸送機と空中給油輸送機の基地であるとともに、国際任務や邦人救出任務では主力となる基地でもあります。航空祭ではその一端を観られる重要な機会、今年度の航空祭は三月に予定されていますので是非こちらも探訪をお勧めしたい自衛隊行事の一つです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【15】小牧のブルーインパルスと快晴の空(2019-11-09)

2023-11-26 20:00:33 | 航空自衛隊 装備名鑑
■本日ハ晴天ナリ
 今日は九州では築城基地航空祭という日でしたね。

 小牧基地航空祭、この日の航空祭は天候に恵まれていますが、意外と注意しなければならないのは雨天で、雨だと飛行機飛ばないね、というものよりも貴重な撮影機材をどのように防護するのか、というものは航空機撮影というより次の航空機撮影に備えるものです。

 COVID-19新型コロナウィルス感染症の世界的流行とともに、自衛隊行事は2020年と2021年に全面中止を余儀なくされ、2022年は恐る恐る再開、という状況であり、そして2023年からは、まあほぼほぼ、全面的な再開となったのですが、ここに経験の空白がある。

 自衛隊関連行事は実施する側にも経験の空白はありますが、なにより重要なのは撮影する側にも、なにしろ自衛隊関連行事がない時節には、雨でも撮影に行こう、という選択肢を採るにはなかなか覚悟といいますか、具体的な決断というものが必要になるものでした。

 本日この執筆の時点では雨天ですが、実は同時に同じ愛知県では春日井駐屯地祭が執り行われているものですが、好天予報、いや荒天予報であり、少々後ろ髪を引かれる思いがありつつも断念しました。実際かなりの悪天候で駐屯地は今朝、荒天行事へ変更した、と。

 防滴、この技術ももう一度習慣化しなければならないなあ、とは痛感するところです。自衛隊関連行事は雨天決行のものが多く、強い雨の場合には中止します、といわれましたので、どの程度の雨天が強いのか、と聞きますと、俺より強い、と冗談をおっしゃられた。

 俺より強い雨では中止する、聞けば普通科の方で精鋭をもって知られる京都の普通科連隊の中隊長を務めた、と。まあ、そういうことで、行事内容が変更となることは、航空科部隊や支援部隊などではあることなのでしょうけれども、野戦部隊では中々に稀有という。

 カメラ防滴、そして、防滴ならばジュラルミンケースでも使って一切外に出さなければよい、とカメラ密閉による選択肢を考えるのでしょうけれども、ある程度の撮影を行うというならば防滴機材の適度な運用が必要となります、わたしの場合、これは試行錯誤でした。

 第7師団創設51周年記念行事、もう20年近くむかしの行事ですが、この時の雨天は酷かった、わたしの真後ろでEOS-30D一眼レフで撮影されていた方、高性能で是非にと欲しかったカメラでしたが、わたしはEOS-KissN,やや最新鋭の格下機種で撮影していました。

 EOS-30Dは防滴機種であるという、だからその撮影していました名の知らぬ方も多少は自信があったのでしょう、わたしは、そんな空港ではいい天気だったのに、と天候確認を十分に行わなかったこと、当時まだスマホは発明されていない、少々悔やんだところです。

 EOS-KissNは防滴性能がありませんので、もう手持ちのビニールでカバーしながら傘とともに撮影しましたが、この日は雨天だけでなく防風、という状況でしたので、レンズが水滴でぬれて湿ってしっかり撮影できなくなり、観閲行進はともかく訓練展示の頃はもう。

 EOS-30Dには、異変があったのでしょうか、徐々に調子が悪くなって、そして壊れてしまい、なにか虎の子の機種だったのでしょうか、笑って、これは泣き笑いというか壊れてはならないところが壊れたのかとしか言えない、そんな状況になったことがありました。

 カメラの防滴器具、一応昔からあるにはあったのですが、フィルム式の銀塩カメラとデジタルカメラでは雨滴に対する脆弱性が根本から違うのです、するとそれほど防滴器具は普及していなかったように思う。それを大急ぎで帰宅後揃えに電気街をさ迷ったのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【14】小牧のブルーインパルスはどこから撮るか(2019-11-09)

2023-11-05 20:00:44 | 航空自衛隊 装備名鑑
■見上げるブルーインパルス
 ブルーインパルスは広角レンズで撮影するか超望遠で撮影するかという毎回考える事なのですけれど同時に何処から撮影するかも重要だ。

 小牧基地航空祭、この日は快晴ですので、どういった構図の写真を撮影するかは太陽の位置と此処からの場所取り次第、この条件というのはブルーインパルスも同じなのですが、この写真をどのあたりから撮影するのか、というものも重要なのです。そして基地は広い。

 小牧基地、案外に広い基地です。いまでこそ輸送機部隊の基地となっていますが、かつては戦闘機部隊も配備されていまして、しかしこれから中国海軍航空母艦など、太平洋上から日本の防空識別圏に迫る脅威を考えれば将来検討しなければならない課題とも思うのだ。

 三沢基地の第3航空団、部隊がまだ第82航空隊という一個飛行隊を期間としていた当時はここ小牧基地に配備されていまして、小牧基地を離陸するF-86D戦闘機の映像などは怪獣映画にそのまま使われたこともある、微妙に当時と今と風景が重なるのは不思議に思った。

 F-86D戦闘機はレーダーを搭載した全天候戦闘機、これはいまでこそ戦闘機にレーダーを搭載しているのは当たり前の時代なのですが、航空自衛隊が創設された当時の主力は朝鮮戦争時代のF-86D、昼間戦闘機と呼ばれていてレーダーを搭載していない戦闘機です。

 F-86F戦闘機でも夜間飛行くらいは当然できました、けれどもそれは小牧基地から入間基地へ、という夜間に移動する場合というものでしてスクランブル発進などに当たるには相手の航空機を捕捉しなければなりません、近くまでレーダーサイトと指揮所は誘導する。

 夜間戦闘機ともいわれたものですが、F-86Dはレーダーを機首に装備していた、F-86Fもレーダーはあるにはあるのですが測距用レーダー、つまり搭載する12.7mm機銃6門を正確に命中させるための見越し角度を計算するためで索敵に使えるほどの性能がありません。

 小牧基地というのはそうした航空機が配備されていた時代のもの。いまは航空管制を教育する第五術科学校が小牧基地に配備されていて、2006年までは航空管制通りに誘導する教育訓練用にT-1B練習機が配備されていました、当時の富士重工が開発したジェット機だ。

 第五術科学校、考えてみればこの航空機を誘導する航空管制、なにしろ旅客機のように定点と定点の空港と空港を結ぶのではなく、動いている国籍不明機と緊急発進した戦闘機を結ぶ訓練です、草創期の時代に配備されたF-86D戦闘機は実任務と教育をやっていたのだ。

 T-1B練習機、いまのかたには、と書きますと大時代的といいますか世代認識というものを感じる頃合いになったものだと寂しくもある意味年代を感じるのですが、昔は航空祭でもT-1Bが飛行展示を行い、2005年は飛行展示をがんばりすぎて最中に白煙を曳いていたほど。

 富士重工、いまはスバルですが、日本で初めて量産したジェット機がT-1Bです、いや橘花が先だろうとおもわれるでしょうが、あれは量産したことになるのでしょうかねえ。橘花、開発されたジェット機としては日本初、任務は体当たり専用の特殊攻撃機でしたけれど。

 広い基地には過去の航空機も保存展示地区にならんでいるのですが、F-86DもT-1Bも配置されています、けれども航空祭の日にはどうしても先ず、撮影位置を確保しなければならない、すると保存展示機は日の傾いた時間帯に撮影する写真というものが私の場合おおい。

 エプロン地区、すると一風変わった場所から撮影して飛行展示終了後は素早く撤収する、ということも考えたのですけれども、結局は王道といいますか、広いエプロン地区にて撮影する事としました、帰りの事は、まあ帰りの際に群衆の中で考えよう、という訳ですね。

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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【13】小牧で!ブルーインパルスが大空に!(2019-11-09)

2023-10-22 20:22:22 | 航空自衛隊 装備名鑑
■アクロバット飛行凄いね
 皆さんお楽しみの浜松基地航空祭がいよいよ来週ですね。

 ブルーインパルス飛行展示、小牧基地航空祭にて見ることができるようになりましたのはなかなか驚きでした、こういいますのも小牧基地雄編住民は騒音問題、特に民間機ではなく自衛隊機の騒音やその他の問題にウルサイもとい敏感で、抗議が凄いのだという。

 アクロバット飛行は航空法違反だ、という主張まであるそうで、それならば防衛出動なんかも対応できなくなる、このあたりまで考えずに知った部分だけを主張されますと無知を晒すようで。自衛隊機の運用は防衛庁の航空機の運航に関する訓令に依拠し行われている。

 昭和 31 年防衛庁訓令第 34 号としてこの防衛庁の航空機の運航に関する訓令が示され、この枠内において実施されています。予定飛行空域の気象状況並びに着陸予定地飛行場等及びその航空保安施設の状況を確認し示された飛行計画に基づく、条件付けがあるのだ。

 着陸予定地の状況、航空保安施設の状況、航空機の状況、乗組員の技量等を考慮して安全な飛行計画の作成が行われ、その中には広報業務も任務飛行として含まれています。なにも趣味で勝手に飛ばせば問題なのでしょうが、飛行計画に基づく任務飛行、ということ。

 広報行事、そもそもわが国には防衛力への偏見というものが存在しますが、この偏見というものの価値観や背景というものを、ある程度防衛に関する関心と共に知識を有する、調べるという基本的姿勢だけでも時間という有限なリソースが必要ではある、努力が必要だ。

 防衛力そのものについては、理解するには、専守防衛と共にアメリカという同盟国は存在するものの片務的な同盟と揶揄されるとおり、相互の防衛力を理解するには当事者同士だけで良く、国民が知識としてさえ防衛に参画する機会は、ある程度の選択が必要でした。

 義務教育で教えてくれるわけではなく、また新聞などでそうした情報が無限に掲載されるわけではない、故に誤解と偏見が生じる、こうしたもの、これまでは、そんなものか、と理解できる側とできないものの境界線を考えさせられたのですが、この数年認識が変わる。

 COVID-19新型コロナウィルス感染症、まあ、このCOVID-19新型コロナウィルス感染症には航空祭が中止になるだけではなく日本だけで数万の死者がでるという緊張が走ったのですが、その前に、ただの風邪だとか感染者は嘘だとかワクチン陰謀論などがでた。

 コロナウィルス陰謀論というのは、これはまさに理解の不足と調べる努力の欠如、海外論文や公的研究情報を無視して、都合の良い情報だけを取捨選択し物語を組み立て、主義主張を重ねるという構図が、これは防衛への無理解による俗説の醸成と非常に共通点が。

 報道がすべて正しいという主張を重ねるのではないのですが、少なくともファクトチェックに相当の費用を投じているとともに、これまでファクトチェックを機能させたことにより一定程度の正統性を得ている、という簡単な事実への欠如があるのではないか、と。

 ブルーインパルスは、小牧基地周辺での飛行展示がこれまで反対運動などにより行えていなかったわけですが、国際航空宇宙展に関わる中部国際空港周辺での飛行展示へ小牧からリモートで実施した際に、同日が航空祭という事で曲がりなりにも参加実績を積む。

 アクロバット飛行、凄いね、というだけの話題なのかもしれませんが、ここに来るまでの長い時間というものを思い返しますと、ブルーインパルス飛行展示が小牧基地で見られるとはねえ、と周りの方々の感動の輪の中に自然と入ってゆく気分となるのですよね。

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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【12】小牧で!ブルーインパルス飛行展示開始(2019-11-09)

2023-09-17 20:17:42 | 航空自衛隊 装備名鑑
■ブルーインパルス!
 ブルーインパルス、小牧基地で飛行展示をみられるようになったのはこの2019年が久しぶりであったように記憶します、国際航空宇宙展に合わせた展示飛行など合間の飛行展示等を経て小牧で展示できるようになりました。

 小牧基地航空祭はブルーインパルス飛行展示という航空祭飛行展示大団円を迎える事となりました。ブルーインパルス、航空自衛隊の看板部隊です。このブルーインパルス、実は小牧基地航空祭と非常に相性が悪く、具体的には市民運動の目の敵にされていました。

 ブルーインパルスは過去、具体的な事故などは小牧基地では発生しておらず、航空機事故が問題というのであれば1994年の中華航空墜落事故などから民航機の乗入れに反対して自衛隊専用飛行場化を主張した方が理に叶うとも思うのですが当然そんな動きはありません。

 松島基地第4航空団のブルーインパルスは元々、浜松基地での戦技研究班として発足した経緯があり、当時運用されていましたのはF-86戦闘機、あの源田実空将が在任していた当時ですので、多分に戦技研究よりは広報というものに重点を置いてはいたものでしょう。

 戦技研究という視点は、ただしかし確かにF-86戦闘機という、索敵レーダーさえ搭載していない朝鮮戦争時代の亜音速航空機を戦闘機として、1960年代以降も運用するにあたって、果たして旧型機をどのように第一線で運用させるかは研究の余地があったところです。

 F-86は、もちろん鳴海章氏の小説“ファイナルゼロ”のような工夫次第でSu-27戦闘機がいてでもなんとかなる、という甘いものではないのですが、1973年の第四次中東戦争などではエジプト空軍がMiG-17を対地攻撃に活用、少なくない戦果を挙げている事も確か。

 F-1支援戦闘機が開発されるまでは航空自衛隊もF-86戦闘機を支援戦闘機に、近接航空支援に充てるという様な意味合いもあるのでしょうが、文字通りF-86はF-104戦闘機の時代には支援任務にしか使えないという意味合いを含めて、第二線ではなく第一線で使った。

 ASM-1空対艦ミサイルなんてものは搭載出来ませんので、500ポンド爆弾を反跳爆撃という、アメリカ陸軍航空隊が1943年のダンピール海峡海戦において用いた方式を航空自衛隊は踏襲していました。驚くべき事ですが、1970年代までこれでソ連太平洋艦隊に備えた。

 支援戦闘機を十全に活用するには戦技研究が必要だ、理解できる。しかしそこまでやるのならばアメリカからA-4攻撃機でも買えよお、攻撃機は憲法違反と反論があるかもしれないがズーニーロケットでMiG-17を叩き落とした事もある正真正銘の戦闘機だぜ、と思う。

 T-2練習機にブルーインパルス運用機は後に代わりますが、T-2練習機は文字通り有事の際には補助戦闘機的に運用される計画があり、96機量産された機体の内後期型はサイドワインダー空対空ミサイルを搭載可能、レーダーと20mm機関砲も搭載はしていましたほど。

 アグレッサー部隊にもT-2練習機は配備されていましたから、いや戦技研究とはいえ航空戦闘は防空管制と連携し視程外空対空ミサイルの投射と戦闘機稼働率や補給体系が勝負を左右する時代、戦技研究と言い張るのは無理があるのではないの、と反論は成り立つ時代に。

 広報重視であったのは否めないなあ、と思いつつ、しかし広報の重要性は理解できるのです。具体的には、国産航空機の水準を世界に示すとともに操縦技術という、いわば目に見える形の練度を誇示する事は義務教育に軍事学を置かない日本としては先ず重要といえる。

 レッドアローズ、西武鉄道の特急電車ではなくイギリスのアクロバットチームの名前です。識者、いや揚げ足取りが多い場合はシキシャか軍事ヒョーロン家というべきか、中にはイギリスのレッドアローズを比較対象として、自衛隊の運用は無駄が有ると指摘する方も。

 ホーク練習機を用いるレッドアローズはホーク練習機が元々軽攻撃機として転用可能であり、レッドアローズも有事の際には48時間以内の爆装した軽攻撃機部隊として転換可能であることを条件に平時にアクロバット飛行部隊として運用しているのだ、というところ。

 トーネード攻撃機など、しかしホークは攻撃機に転用可能であるし実戦部隊に転換できるようにという条件が有ることは理解するのだけれども、イギリスにはもう少し高性能の攻撃機が配備されている訳で、有事の際に練習機を爆装する事は有得るのか、と逆に思う。

 ジャギュア攻撃機も2000年代まで配備されていましたが、トーネードやジャギュアが歯が立たない目標に対してホークを投入する状況が現実に在り得たのかと考えれば、これはイギリスにおいても“建前と本音”というものでレッドアローズを説明したのではないか。

 T-4練習機、ブルーインパルスをじつはわたしは一度だけ、家族に聞けば二度見ている筈なのですが、T-2練習機時代のブルーインパルスを知っています。ただ、超音速のT-2から亜音速のT-4練習機となり、T-4は練習専用機であるとともにアグレッサー任務にも就かない。

 広報専任部隊、という位置づけは確たるものになったのだと思う。一昔、北大路機関草創期にはT-4練習機の軽攻撃機型を開発するべき、と記載したことはありました。無論思われる方もいるでしょう、イギリスのホーク練習機の攻撃機への視点とどこが違うのか、と。

 欧州地域での戦闘が国家の防衛戦略の中心にあったイギリスと、専守防衛により国土での本土決戦主義を2022年まで堅持してきた日本とは条件が異なり、イギリスのホーク練習機行動半径では戦闘は起きないが、日本の場合は相手がT-4行動半径内まで来る点が、異なる。

 亜音速機ですので、近接航空支援を行うには超音速性能は必ずしも必要ではなく、しかも戦闘機よりも軽量で短い滑走路から運用出来る点は本土決戦しか選択肢の無い憲法を国民世論が支持する状況では有用と云い得た。もっとも軽攻撃機型は開発されなかったが。

 JDAM精密誘導爆弾はじめ誘導爆弾全盛となった2010年代以降では、しかしこの軽攻撃機という視点は過去のものとなりました、特に日本有事と成ればSu-27戦闘機水準の機体が確実に待ち受ける戦場へT-4練習機を爆装させ投入したとしても任務遂行は出来ません。

 ウクライナでさえ、アメリカや欧州にF-16戦闘機やJAS-39戦闘機などの供与を求めているのですが、より簡単に操縦でき爆弾を搭載出来るホーク100攻撃機やアルファジェット軽攻撃機、スーパーツカノ対地攻撃機などの供与を求めていない事が全てを物語ります。

 しかし、広報という視点では重要なのですね。そしてなによりT-4練習機そのものの重要性を示している。日本の場合、戦闘機はあるが操縦士がいないので飛ばせない、というNATOでも散見される問題は生じていません、充分な操縦士を航空自衛隊が確保出来ているのだ。

 ウイングマークを有する操縦士は年次技量維持飛行時間を飛行しなければウイングマークを維持できません、そして航空自衛隊は旧陸海軍の反省から操縦士を司令部業務や幕僚業務に充てる事で現場の意見を反映させており、ウイングマーク維持という問題を有します。

 充分な数の戦闘機が有れば良い、と反論されるかもしれませんが定数外の戦闘機をあまり多数持つ事は逆に即応体制を低くします。こうした意味で重要性があるとともに、そしてやはり、広報効果というものの大きさが率直に評価されているのだろうなあ、と思うのだ。

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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【11】基地を巡るブルーインパルス飛行への幕間(2019-11-09)

2023-09-10 20:21:14 | 航空自衛隊 装備名鑑
■快晴の小牧航空祭
 小牧基地航空祭特集は今年の小牧基地航空祭その直前に掲載開始したのですが延々掲載し続けいよいよ1文字違いの小松基地航空祭もみえてきました。

 小牧基地航空祭は主要な基地航空機による飛行展示を完了し、いよいよブルーインパルス飛行展示が航空祭のフィナーレを飾るべく準備が開始されている段階なのですが、こういう時間帯を利用して地上展示航空機を撮影するべく基地エプロン地区を一周しよう。

 晴天だ。悪天候と航空祭、取り合わせとしてはものすごく相性がだめな感じです。この小牧航空祭は快晴という幸運に恵まれましたが、曇天というだけでまず撮影位置を考え直さなければなりませんし、雨天となると飛行するかどうかわかりません。台風でも来たら。

 飛行さえしてくれるならば、撮影はできるのですが、雨天とともに曇天が視界不良という状態になってしまいますと、降っていないのに飛べない、なんてことがあるのですね。しかし、近場の航空祭ならばともかく、遠方の航空祭となると別の問題が生じる構図が有る。

 ホテルをどうするか、という問題です。更に遠方の航空祭となりますと旅客機を使う場合がありますので、安価な航空券ほどキャンセル料金の問題が生じますし、ホテルについてもじつのところ当日正午までキャンセル無料のホテルというのはこの頃めっきりすくない。

 天気予報、航空祭が近くなりますと仕事中も食事中も就寝中さえ天気には敏感になります、毎日布団を干したまま仕事にいく感覚に近いのか、ちょっと違うか。それはキャンセルが当日に近づくほどキャンセル料金がたかくなりますし、行って撮れなければ意味が無い。

 防滴装備、雨天の可能性が出てきますともう一つ、カメラはじめ撮影機材を雨天から守らなければなりません、これをあまくみていると大変なことになる。それは実は2006年の東千歳駐屯地祭で痛い経験がありまして、余り考えずに行き当然の様に当日豪雨を迎えた。

 カメラに雨滴がついても拭けばいい、という今考えれば吹いてしまいそうな楽観でして、ズームレンズの内側に結露するともう撮影できませんし、なによりレンズを吹く布そのものが湿ってしまうと拭いてもふいても曇りが増すだけでどうともならないということ。

 新千歳空港で壊れたかと思って撮影を中断した後もかなり右往左往していましたが、なんとか機能を回復しまして、しかしまともな撮影ができなかった。レインコート、カメラ用レインコートという専用の防滴機材があることを、この2006年に痛みと共に気づきます。

 第7師団の式典参加部隊の方が大変だったのですよ、と、これはマニア雑誌にWeblogの投稿を意識したような掲載が載せられてしまいましたが、苦労自慢と言うよりもあの日は東千歳駐屯地に官民一致で、居ました全員大変だった、というのが正直なところだと思う。

 岐阜基地航空祭2005、実はこの雨天への警鐘は前年の岐阜基地航空祭、T-1練習機のラストフライトがちかいことで重要な航空祭だったのですが、ここで雨天に見回れまして、ありあわせのビニール袋で凌いだ経験があった、あのときを教訓とすべきだったと思い返す。

 T-1練習機が飛行できなかった航空祭ですが、同時に雨天の場合は十分な準備が必要と身を持って痛感する前に、青の時点でもう少し強い雨だったらどうなったか、ということを教訓とすべきだったのかもしれません。今考えれば痛い目を見ずに済んだ教訓だったという。

 カメラレインコート、これもいろいろな種類があって、完全に覆ってしまってレンズのフードの先端だけ辛うじて出すものや、ズームの操作が簡単なようにカメラの上面と側面だけを覆うもの、カメラに載せる傘のようなモノから水中撮影用のものまで色々あります。

 2015年の富士総合火力演習において、しかし、防滴が必要なのはカメラ機材だけではなかったということを知ります。低体温症一歩手前だった、そう自分も防滴しなければならないのですね。多少の準備はしていましたが、そんなものは不十分で早い話、体調を崩した。

 東富士演習場では夏でも低体温症がおこるんだぞ、とは中の人の友人が教えてくれたこと、警告といっていい。セパレーツというのですか、登山用のゴアテックスのヤッケとズボンが分かれている防滴のものがあれば、あとはゴム製の靴カバーの装着でほぼ濡れない。

 しかし、防滴機材というのはどうしてもかさばる、いや登山洋品店で少々のお値段を覚悟しますと、これがここまでコンパクトになるのか、と驚かされる防滴機材もあるのですが、カメラとカメラバックに自分用の防滴機材を含めると収容には鞄がもう一つ必要となる。

 最低限の防滴機材を準備するのか、万一に備えた小さな折りたたみ傘だけ、京都殺人案内の音川刑事みたく準備するのか、フル装備か。ここも天気予報と相談して考えなければなりません。そしてもう一つ、悪天候の場合は撮影場所を考える必要があるのですよね。

 通り雨、飛行展示はできるのだけれども急激な天候変化を想定する場合には、撮影位置を考えておく必要もある。飛ぶのだから撮影に行くのだけれども雨降るかもしれないなあ、という場合です、2022年岐阜基地航空祭なんかは飛行展示終了直後に豪雨だ。どうするか。

 小松基地航空祭2014、コマツマジックという、悪天候予報でもなんとかなるのが小松基地ということで、大雨洪水警報がでていましたが撮影へ展開しました。途中の北陸自動車道がえらいことになっていましたが、まあ何とかなるだろう、防滴フル装備で臨みました。

 飛行教導群の新田原から小松移駐後最初の航空祭だったので、もうあの遠い新田原にいかずともアグレッサーがみれるのだ、というテンションも背景にあったと思う、ただ、豪雨の予報といいますか、夜間0300時頃の豪雨はすごかった、六時間でやむか懸念したけど。

 雨あがる。夫婦旅-さらば浪人の第一話タイトルではないのですが、航空祭は天候が回復し、ものすごいヴェイパーを引きながらアグレッサーの飛行展示が行われまして、わたしたちはこれを敢えて基地内ではなく、小松空港展望デッキから撮影した選択肢をとりましたね。

 空港展望デッキ、要するにいきなり豪雨に見舞われればターミナルビルに退避してしまえば雨宿りできますし、ハンバーガーでもかじりながら天候回復を待つことができる。この日はみんな諦め気味だったのか、不思議と展望デッキは混雑していないのは僥倖でした。

 小牧基地も県営名古屋空港、百里基地は茨城空港、千歳基地は展望デッキが新千歳空港側だけれども南千歳駅連絡通路、那覇空港と那覇基地、まあ以外と展望デッキと基地が隣接していて撮影できる場所というのは意外とあり、天候次第では、十分選択肢に入ります。

 航空祭の活況が撮影できないではないか、日常撮影とおなじでしかない、とおもわれるかもしれませんが、地上展示機と満員のエプロン地区を地上滑走の戦闘機と一緒に借景として撮影しますと、結果論でいうならばこれはけっこう航空祭らしい構図となるのですよね。

 天候も多少の曇天ならば機動飛行のさいにショックコーンやヴェイパーを曳いて迫力ある展示の様子を撮影できるのですが、万一、いや十分の一の確率に備えて十分な準備をしておく必要があります、だからこそ天気予報をいつも注目してしまうのだ。これからもです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【10】懐かしの戦術偵察機RF-4は百里へ帰る(2019-11-09)

2023-08-27 20:00:41 | 航空自衛隊 装備名鑑
■迫力の帰投フライト
 小牧基地航空祭この年度の外来機で一番の注目は退役を控えたRF-4なのですが帰投前に派手なローパスを繰り返してくれました。

 RF-4戦術偵察機、時代遅れの偵察装置を搭載していたといわれるものですが、しかし災害派遣では日本全体がお世話になりました。このRF-4もCOVID-19新型コロナウィルス感染症の最中に退役、疾病ではなく耐用年数の関係でしたが、過去の装備です。

 HIAC-1-LROOP長距離側方写真機という特殊な超望遠レンズ搭載カメラを機首部分に備えていまして、これは気象条件さえよければ160㎞先を撮影できるという写真機です。100㎞以上先のものが見えるのか、といわれますと、そこが航空機の利点というべきか。

 旅客機で移動していますと、それこそ気象条件に左右されるものですが肉眼でも50㎞先はかなり鮮明に見えます、HIAC-1-LROOPについては、かなり重量がありますがもともとF-4戦闘機は戦闘爆撃機として運用されたほど搭載能力が大きく、問題にはならない。

 前方フレームカメラ、低高度パノラミックカメラ、高高度パノラミックカメラ、前方フレームカメラにHIAC-1-LROOPが搭載されていますが、更に飛行場や港湾施設などの点目標を撮影する以外に全般の情報を撮影するために広角カメラも搭載されているのです。

 RF-4が、ではなぜ時代遅れになったのかといいますと、このカメラはフィルム式で、家庭用ネガフィルムとは比較にならないほど大型のフィルムを内蔵しています。しかし、RQ-4のような現用偵察機はそのままデジタル画像を常時持続的に伝送することが可能に。

 3.11東日本大震災の災害派遣においてもまさにそうでしたが、RF-4戦術偵察機が配備されている茨城県の百里基地を離陸したRF-4は被災地上空から詳細な写真を撮影し、飛んで百里基地に帰る、航空機ですから飛んで帰るというのは比喩でも何でもありません。

 津波被害に見舞われた現地の詳細な写真を政府中央対策本部は一秒でも早く欲しいのですが、フィルムをそのまま東京に伝送する、前にまず百里基地で現像しなければなりません。専門現像部隊は偵察航空隊本部に置かれている、先ずこの時間がフィルムは惜しい。

 政府中央対策本部は首相官邸に置かれていますので、現像された写真はヘリコプターよりも航空機で運んだ方が早いのですが、F-4EJ改の爆撃照準器を使って首相官邸中庭に正確に投下、なんてことはできませんからT-4練習機で先ず首都圏の入間基地へと運ぶ。

 総理大臣が待ち焦がれている写真は入間基地から航空自衛隊ヘリコプターに載せ替えられ、そのまま渋滞を飛び越して官邸に運ばれるという。さすが自衛隊迅速だ、と思われる方は1990年代の方、変な話、伝送できないというのはどうしても時間が隔靴掻痒という。

 電送できないのか、と問われますとスキャンして電送することは、多少漏洩の懸念があっても被災地情報なのですから不可能ではありません、しかし、広角レンズにより撮影した画像は、写真に現像して引き延ばすと、基地を撮影した場合は地上の個人が判別できる。

 高精度の写真ゆえなのですが、広角レンズで数km四方を撮影して個人が判別できる精度なのですから、非常にデータ量が重くなる、スマートフォンで撮影して電送することも可能ですが、それでは高精度画像の意味がなくなってしまうのです。そしてその高精度は。

 橋梁の損傷度合は何tまでの車両が通行可能か、土砂崩れは10㎞中何カ所あり一番交通量を多く通せる道路はどこか、孤立地域で空輸が必要な地域を10カ所選定する場合はどの孤立地域が最も迅速に救命できるか、原発の損傷度は、など分かるのは高精度写真ゆえ。

 RQ-4無人偵察機、防衛省は2010年頃に高高度滞空型無人機として、国産機とアメリカ製RQ-4を比較検討していました。実際には2000年頃にアメリカが100㎞以遠からRQ-4により護衛艦むらさめ空撮を行い、非常に高精細な画像を防衛庁関係者に見せたことが。

 防衛庁の時代ですか2000年ですと。つまり防衛庁の時代にこうした情報に接しまして検討は進めた、無人偵察機そのものは冷戦時代に陸上自衛隊が第101無人偵察機隊を北海道に配置し、とても観測ヘリコプターでは行えない有事の際のソ連軍偵察を検討していた。

 グローバルホーク、ただ、この費用は機体そのものよりも地上管制設備が高すぎた。しかし、必要性を認識していたならば日本の経済力では調達できないものではないかった、それが実現しなかったのは、防衛予算を抑制する行政改革時代、ミサイル防衛の時代ゆえ。

 来年度予算概算要求では航空機等維持部品調達費が一挙に2兆円要求され、現状の稼働率不足にようやく終止符を打つという。弾薬調達費も9000億円ていど要求するといい、これまでどんなに無理を重ねていたのかを如実に示すような予算要求となるという報道が。

 200億円をとうじてちょうたつしたとしても、予備部品の予算を削って飛行できない状態としてしまっては何ともなりません、ただ、予算不足と、予算を抑制するよう政治に求めているのは世論であり選挙の結果ですので、この状況を容認せざるを得なかった構図です。

 RQ-4については、今年度偵察航空隊がようやく発足する、導入に関心を抱いてから実現するまでは20年以上を要した訳ですが、結局、無理をして予算を削った場合は、抜いてはいけない部分を抜いてしまい全体を瓦解させてしまう、という悪い見本のようになった。

 RF-4からRQ-4へ、本来ならば機種転換のように入れ替えるべきであったのでしょうが、2020年から2023年まで、偵察機が無ければ状況を確認できないような広域災害が起こらなかったのは僥倖だったというべきか、いやあの災害時に在れば、と思うのか。

 偵察機について、一方でもう一つ不安、今だからこその不安な要素としてなのですが、RQ-4で撮影した画像は、被災地自治体などで共有できるものなのでしょうか。簡単に思われるかもしれませんが、偵察能力は特定防衛秘密に含まれ得る、簡単には公開できない。

 新潟中越地震、2004年10月23日に発生しました地震に際して、この問題が表面化しました。山間部で大規模な山岳崩壊が生じ、河川などをせき止め複数の土砂ダムが発生、新潟県や山古志村と三条市などの自治体は土砂ダム決壊による下流への鉄砲水を警戒した。

 UH-60JA多用途ヘリコプターのFLIR画像により、陸上自衛隊は土砂ダムの情報を常に監視していましたが、これは下流で災害派遣に当たる隊員の安全確保用に、決壊の危険の可否のみが伝えられたのみで写真は新潟県庁にも被災地自治体にも提供されていません。

 土砂ダムの画像があるならば欲しかった、と新潟県災害対策本部は写真の存在さえ知らされず不満を述べることとなりましたが、陸上自衛隊はFLIRの性能そのものが防衛秘密にあたり、有事の際の偵察能力を暴露する懸念があるため、提供や開示は出来なかった、と。

 FMS有償軍事供与によりアメリカから導入した装備は特に、昨年の観艦式におけるF-35戦闘機のように、動画をリアルタイムで提供する際にも制約が生じることがあります。この点は純粋なアメリカ製のRQ-4、RF-4のように写真を出せるのかな、不安でもあります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【9】台風日本接近とハリケーンハンター(2019-11-09)

2023-08-13 20:22:18 | 航空自衛隊 装備名鑑
■台風7号紀伊半島へ
 CH-47とRF-4の写真を掲載しつつ話題は時事的となりますことをいつものことながら日曜日という事でお許しください。

 台風7号は太平洋上を北上し12時間以内に紀伊半島が暴風圏に入る、気象庁予報園によれば終戦記念日からその翌日にかけ近江八幡付近を通り日本海に抜ける模様です。小牧基地の航空祭話題とともに、こうした台風の話題を記しますと、またか、と思われるか。

 C-130H輸送機が配備されています小牧基地ですから、思い切って台風観測のためにC-130H輸送機を充ててはどうか、もちろん現在のC-130Hは老朽化がすすんでいますので実際にやるとなれば無人機を用いるか、C-130Jを新たに導入するか、となりますが。

 アメリカ軍にはハリケーンハンター、第53天候偵察飛行隊という部隊が存在します。いや天候偵察ならば自衛隊も上げている、航空祭でも最初に富んでいるだろう、と思われるかもしれません。しかしこの天候偵察飛行隊はハリケーンに飛びこむのが任務なのです。

 ハリケーンハンターの重要性、日本の場合はタイフーンハンターとなるのでしょうか、日本版ハリケーンハンターが必要だ、という視点です。アメリカではハリケーンに対してC-130輸送機改造の気象観測機を実際に突入させその内部から気象観測任務に充てている。

 気象庁は本日1400時から臨時の記者会見を開き、太平洋上をゆっくりと北上する台風7号について15日には紀伊半島など近畿から東海に上陸するとしており、東海地方と近畿地方について総雨量は平年8月1か月分を超えるおそれがあるとの見通しを示しました。

 西日本と東日本では土砂災害や低い土地の浸水や川の氾濫のほかに暴風にも厳重に警戒するとともに、また高波にも警戒するよう呼びかけています。南西諸島に滞留し大きな影響をもたらした台風6号、これが北上できなかったのは太平洋高気圧の影響が大きい。

 太平洋高気圧は、最新の観測によれば北太平洋上に移動している状況で、この影響を受けない事から台風がそのまま日本本土に接近している、という気象状況です。つまり太平洋高気圧もお盆なので日本本土上空から太平洋上へ帰省した、というところでしょうか。

 台風6号についても、あそこまで長期間沖縄上空に滞留するとは予報の限界であり、長期間沖縄上空に滞留し那覇空港が閉鎖されるという可能性をもう少し早く予報できていたならば、沖縄の主力産業である観光業も影響をある程度局限できたのではないか、と。

 軍事的に自衛隊がやらなければならないのか、と問われますと寧ろ、運休で大変だねえ、とだけでは済まない安全保障上のリスクとして巨大台風は警戒しなければなりません。安全保障リスクは特急料金のように払い戻しだけで済むというものではないのですから。

 日伊合同訓練、台風6号を思い出しますと、8月2日に予定していたイタリア空軍との共同訓練の開始が台風に滞留により遅延したという事例を思い出すところです。これは純粋な訓練でしたけれども、航空部隊の展開能力を気象状況は左右してしまうということ。

 ハリケーンハンター、その始まりは1944年にそもそも第53天候偵察飛行隊は創設され、大西洋上の気象観測を任務としていました。当時は第二次世界大戦の只中、アメリカ本土から欧州戦線までの海上輸送は連合軍の命運を左右する重要任務地なっていました。

 Uボートの脅威もありましたが、それ以上に防空やハリケーンにより海上輸送が停滞する可能性があり、ハリケーンの進路を正確に予測することは船団に安全な航路を選定させる、というものになっています。気象情報というものはそうした意味で機密情報でした。

 気象予報、歴史を紐解けば第二次世界大戦中に日本でも明らかにきしょう観測により巨大台風が接近しているものの、この情報を平文で流した場合には日本周辺気象情報が漏洩するという事で被害を前に発表できない苦渋の決断もあったと記録されています。

 気象衛星の時代、宇宙空間から雲の動きを写真情報として見ることができる気象衛星は気象予報に大きな進歩をもたらした、といわれているところですが、しかし同時に気象衛星の映像は画像情報に限るもので、実際に気象観測は大気に触れなければできません。

 ゾンデなどの気象観測装置打ち上げを継続している背景には、気象衛星の情報とともに合わせて総合的に観測する必要性が今なお高いことをしめしているのですが、これは同時に、触れられるものならば触れる必要がある、航空機気象観測の重要性にもつながるもの。

 ハリケーンハンター、台風よりも高い高度から一気に台風の目の中に航空機で突っ込んでゆく、何年か前にCNNがハリケーンハンターの観測任務を取材した様子が放映されていましたが、南シナ海の中国人工島を観測する任務よりもCNNクルーは緊張していた。

 C-130輸送機でもかなり揺れるとともに、過去には数回しか空中分解の事故はない、とハリケーンハンターの広報の方が安心させようとしていましたが、これは考えようによっては、と逆効果になるような印象でして、まあ、日本が行うには相応のリスクもあります。

 巨大台風、しかし現代の気候変動時代、台風の巨大化が顕著な時代には日本版ハリケーンハンターというものの必要性をかなり高いものとして考えてしまうのです。狩野川台風に第二室戸台風や伊勢湾台風などの規模を彷彿させる台風が再来しているということ。

 台風災害史を紐解けば、1950年代前後というものは巨大台風災害が大きかった、それも伊勢湾台風では5900名もの人命が失われ、1995年の阪神大震災までは戦後最大の災害といわれ続けていました、2011年東日本大震災はこれを上回ってしまいましたが。

 巨大台風の小康期間が1960年代から2010年代にかけての半世紀であったのではないか、これを公共事業による防災インフラの整備が防災基盤強化に繋がり被害を抑制していた、こうした視点から見直すべきではないかと考えるのです。いわばそれは慢心、と。

 公共事業については、1990年代の橋本内閣時代以降、歳出削減を美徳とする視点から抑制的となり、脱ダム宣言など実は高い生産性を有する地域を防災インフラにより防護している、という重要な視点を単に歳出という視点から忌避させる結果となったのではないか。

 生産性の高い地域、日本の場合は都市部が河川に沿って発達し、実はその河川は活断層上の脆い地層に沿って形成されているものが多い故に日本の都市部ほど活断層上に広がっていることが多いのですが、同時に河川沿いの都市部は水害リスクというものが常に。

 ハリケーンハンターを日本が仮に一定の予算を投じて実施した場合でも、考えてみれば正確に進路を予想したとしてその台風の進路を変えることまでは出来ません。けれども正確に予報を組み立てられるからこそ、防災インフラと被害の欠缺を補う事ができる。

 日曜特集というよりはなにか時事的な防災話題の紹介となってしまいましたが、台風6号が接近していることだけは確かです。東海道新幹線は15日、名古屋と新大阪間の終日計画運休を決定したと先ほど報道もあり、先ず備えられる備えをしておきたいですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【8】過去十年間航空救難成功一件(2019-11-09)

2023-07-30 20:21:39 | 航空自衛隊 装備名鑑
■困難に挑む航空救難
 海上での飛行訓練が基本となっている自衛隊にとって航空救難は万一の際に一刻を争い、しかし過去十年間で一回航空救難に成功しています。これを多いと考えるか考えないか。

 航空救難団の技術を疑う訳ではないのですが日本の自衛隊機事故では過去10年の救命率が低いのです。そんな中でU-125救難機を廃止しようとしている。その分、UH-60Jを増強するとかMV-22のような高速の救難機を入れるでもなく、純減させるという話です。

 U-125廃止反対にこだわるのは、自衛隊の航空機事故救命率が顕著に下がっている為なのです、過去十年、墜落による航空機事故で救命された事例が九州沖でのF-2戦闘機墜落事故一件だけ、これ以外は基本的に殉職しているという現実があるためです。

 海上での墜落事故が多いため。日本がもし、ヨーロッパの一部であったり中国大陸上空での訓練が可能であるほど日中関係がよかったり、もしくは日本列島がオーストラリアやアメリカくらい国土が広ければ、陸上で飛行訓練ができるのでしょうけれども。

 2012年4月15日陸奥湾SH-60J哨戒ヘリコプター墜落事故では死者1名、練習艦隊見送り中の護衛艦へ接触して墜落した事故です。2015年2月12日えびの市OH-6DA練習ヘリコプター墜落事故、山に激突し死者4名、墜落は1107時で機体発見は翌日0918時だ。

 救命が成功した事故は、一応防衛省は不時着に区分していますが2015年2月17日の和歌山沖OH-1観測ヘリコプター不時着事故で、海上に不時着したので機体は水没しています。もっとも、航空救難ではなく脱出した乗員2名は自力で海岸まで泳ぎ着いたという。

 US-2救難飛行艇も不時着事故を起こしているが、乗員は無事でした。2015年4月28日に足摺岬沖40kmでフロート破損により海面に機体がたたきつけられ破損、これは救難に成功している。しかし救助したのは救難ヘリコプターでなく近くを航行していたタンカーだ。

 飛行点検隊U-125鹿屋市墜落事故、乗員全員が死亡した痛ましい2016年4月6日の事故ですが、機体がレーダー上から消えたのは1435時、おおまかな墜落位置がわかっていたのですが機体発見は翌日0630時とやはり時間を要しています。全員死亡の事故は続く。

 北海道LR-2連絡偵察機墜落事故、2017年5月15日に発生した救急搬送任務中の陸上自衛隊機墜落事故も機体発見は事故翌日となり登場した4名全員が死亡しました。同年8月26日には護衛艦せとぎり艦載機SH-60Jが竜飛岬沖で墜落し乗員4名の内3名が死亡した。

 2017年は事故の多い年でして、10月17日には浜松救難隊のUH-60Jが遠州灘で墜落し乗員2名が死亡するとともに1名は未だ見つかっていません。もう一つ、2018年2月5日には佐賀県の住宅地にAH-64D戦闘ヘリコプターが墜落、乗員は脱出ができませんでした。

 ブルーインパルスが2014年1月29日に松島湾上空で接触事故を起こしていますが、このときは墜落していないので死者はでていません、救命率の観点に立つならば航空機事故でも落ちなければ死者は出ないのですが、これはまあ、当たり前と言えば当たり前か。

 ファントムが2017年10月17日に百里基地の誘導路で脚が折れて火災事故に見舞われていますが離陸前であったために乗員は脱出し無事でした、UH-1横転やCH-101横転など、これも飛行場での離陸前の事故ですと救命率は高くなるのですが、これも当たり前やも。

 F-2B山口沖墜落事故、航空救難が成功したのは過去10年間でこれくらいしか思い浮かびません、事故は2019年2月19日に発生、築城基地を離陸したF-2Bが山口沖で墜落し、レーダーから機影が消えたことを受け航空救難を発動、洋上で乗員2名を無事救難した。

 F-35戦闘機墜落事故、F-2は救難に成功して一方で航空機事故は一件発生すると続く故に懸念していましたが二ヶ月と経ない2019年4月9日に三沢基地のF-35戦闘機が青森県135km沖合の太平洋に墜落し乗員が死亡、F-35戦闘機では世界初の墜落死亡事故に。

 飛行教導群F-15DJ墜落事故、わたしがU-125が絶対必要だと主張する背景には、もちろん上記の事故すべてを挙げるのですが、筆頭にあげたいのは2022年1月31日の小松基地沖墜落事故で、これは絶対に救命されるものだと思っていたから。しかし現実は厳しく。

 小松沖の事故では群司令が搭乗したF-15DJが離陸し基地から5kmの近距離で墜落、小松救難隊が直ぐ救助するだろうと思いましたが、事故から2時間後に海上で浮遊物を発見するも、肝心のラジオビーコンが水没し機体発見が事故から12日後だった、遅くはないか。

 U-125救難機の廃止理由は墜落事故が発生してもラジオビーコンロケータにより機体の位置は把握できるために必要ない、という説明でしたので、いや作動しなかったじゃないか、司令が殉職しているんだぞ、と大声で反論するのです、嘘いうんじゃない、と。

 ラジオビーコンで、たとえば海中100m程度ならば衛星に発信できるようなものを開発すべきとは思うのですが海中は電波が通りません、ニュートリノ発信器のようなものは理論としてはあるようですが現実的に今の技術ではまだSF世界の理論だという。

 第8師団長遭難事故、もう一つラジオビーコンへの不信感があるのは今年4月6日に発生した宮古島UH-60JA墜落事故で、搭乗者10名全員が死亡、遭難した師団長は中将にあたる陸将ですので、沖縄戦の牛島第32軍司令官や在日米軍司令官の同格だ。

 航空救難が早ければ救命できた事例はないのか、御巣鷹山の日航ジャンボ墜落事故での生存者救出というものを知っている世代ですので、山の尾根に激突したり、また海上で発見された遺体という状況であてもいち早く発見していれば救命できたのではないか。

 御巣鷹山のジャンボ墜落事故では生存者4名、夜間の墜落事故でしたが機体の発見がもう少しは焼ければ生存者がもう少し多かった、と証言がある。いや、当時のV-107救難ヘリコプターやMU-2捜索救難機は夜間山間部での飛行能力がなかった事情があります。

 日航ジャンボ機墜落事故があったからこそV-107救難ヘリコプターの後継機に夜間での山間部飛行能力を持つUH-60J救難ヘリコプターが採用されたという実状もありますので、日本は1980年代には教訓を活かしていた。しかし今はどうなのか。人命は軽量化したか。

 ゲルショッカーではないのです、自衛隊は。失敗したものは生きている価値がないとゲルショッカーは掟を書いていましたが、自衛隊はショッカーじゃないのですから、航空救難は重視されるべきですし、実際MU-2が多数合った時代は海上救命率も高かった。

 救命率の観点から言うのは、とにかく墜落事故で過去十年間、2019年のF-2墜落事故以外は、基地で離陸前とかヘリコプターのホバーリングや不時着でなければ殉職事故となっている、救命できていないという事例とラジオビーコンの不作動ばかり。現実をみよう。

 CH-47輸送ヘリコプターは航空救難団所属ですので、例えばU-125と同じ数だけこれを増強して、アメリカ軍のMH-47Gのように救難任務に充てるとかも考えず、しかもUH-60Jは新造機で置換え当面改良型は来ない、これでは人命軽視というほかありません。

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【日曜特集】小牧基地オープンベース2019【7】救難飛行展示とU-125とそしてC-130H(2019-11-09)

2023-07-16 20:22:01 | 航空自衛隊 装備名鑑
■U-125救難機去就
 この航空祭が行われた時代にはなかなか信じる事が出来なかった話題なのですが敢えて航空祭の話題とともに。

 航空自衛隊はU-125救難機を廃止するものの、実質的にC-130H輸送機をU-125救難機の任務に充てるのではないか。こうした推測の背景にはC-130輸送機への空中給油装置装備とともにUH-60J救難ヘリコプターへの空中給油受け油装置の標準装備化です。

 政府は国家防衛戦略とともにいわゆる安保三文書として示された防衛力整備計画においてU-125救難機の廃止を明示しました。政府の説明では航空機にはビーコンが搭載されているため、航空機遭難では墜落現場が分るため、U-125は最早必要ないのだという。

 F-15J小松基地墜落事故では発見まで一週間、UH-60JA多用途ヘリコプター沖縄県墜落事故では発見まで三週間を要していますので、数時間が声明を左右する状況で数日の誤差では、まったくビーコンは役立たずじゃないか、とちょっと現実を無視しているよう思う。

 航空救難を考える限り、U-125廃止は反対です、しかし適切な後継機を充当するならば、U-125を延命もせず延々と飛ばし続けることは別の航空機事故を誘発しかねませんので必要であるとは考えるのですが、そこで、C-130Hが使われるのでは、という仮説を。

 U-125救難機は航空救難事案に際し迅速に現場へ進出し救難ヘリコプターを誘導するとともに空中からの救難物資投下やマーカー投下による救難ヘリコプター支援などが任務として含まれる。一方で滞空時間という問題がその能力に限界を突き付けていました。

 UH-60J救難ヘリコプターは滞空時間が5.5時間とされているのですがU-125救難機の滞空時間は4.5時間であり、しかもU-125救難機は空中給油を受けられませんので滞空時間が尽きる前にほかのU-125を交代に派遣し捜索救難を実施継続する必要がある。

 航空救難に際しては迅速な発見が必要で、これが日本の場合顕著であるのは日本の航空訓練は基本的に海上で行われ、陸上で落下傘降下した場合と海上に着水した場合では季節、つまり海水温度にもよりますが救命率は長時間であるほど時間とともに低下へ。

 海上での航空救難は時間の問題であるという事は言うまでもないことは、海難事故などにおける生還率を見ればわかるでしょう、列車停車事故では衝突や横転でもしない限り死者は出ません、低温の海水では簡単に低体温症が起こり生命を左右する懸念がある。

 C-130H輸送機、もちろん現在のように全国すべての救難隊へU-125のように配備することは出来ませんし、何より数が足りません。けれどもUH-60J救難ヘリコプターを発進させた後で小牧基地からC-130Hを派遣した場合でもC-130Hの巡航速度は速い。

 空中給油支援という事で事故現場へ急行するのであれば、結果的にUH-60J救難ヘリコプターとともに遭難現場を捜索することに加わっるでしょうし、なによりC-130H輸送機地震がKC-767空中給油輸送機の空中給油を受けることで飛行時間を延伸できる。

 KC-767空中給油輸送機からの支援については、恐らく今年行われたスーダン邦人輸送任務においてこれまで数日間を要していたアフリカまでの移動を一日強でC-130H輸送機が実現した背景には経由地に加えKC-767空中給油輸送機の支援があったと考えます。

 ヘリコプターの場合は連続飛行はなにしろ操縦士は副操縦士に交代してもらうことができるとはいえ、現在の飛行時間である5.5時間は限界近いところでしょう。なにしろヘリコプターの操縦席は移動できず手洗いに行けないしUH-60Jには手洗い設備がない。

 C-130H輸送機では、一応緊急用の手洗い設備があります。なんでも使った場合はあとで自己責任で洗浄するというこの時間帯に記すには少々厳しい現実があるようですが、操縦士の交代も不可能ではありません。機内容積には十分以上の容積があるのですから。

 U-125の後継になり得る、と明記するには一つ、相殺救難設備をどうするのか、という問題はあります。C-130H輸送機にはセンサー類として救難センサーは現在装備されていませんから、今のままでは給油以外は肉眼や双眼鏡で捜索するほか手段はありません。

 旅客機などの遭難事案では、C-130H輸送機を含むC-130シリーズは航空救難に駆り出されています、後部のカーゴハッチを開いてガラス越しではない上空からの捜索が過去、マレーシア航空遭難事件に参加したオーストラリア軍広報写真に公開されています。

 遭難事案は夜間に発生することもある、こうしたことを考えますとやはり、給油できる、というだけでは航空救難任務に参加することは出来ません。すると、もちろん航空救難支援に充てるには何らかのセンサー類の追加などが必要となるのですけれども。

 輸送機の強みは追加配備された機材のコンソールパネルを搭載する容積には困らないことで、また輸送機として運用する際には撤去することも容易です。そして何よりC-130H輸送機については、任務上の後継機が決まり始めている一方で改修も行われる点が重要だ。

 C-2輸送機、これまで海外派遣といえばC-130H輸送機でしたが、自衛隊の海外派遣任務へはC-2輸送機の対応が始まっています。時間がかかった、というなかれ、ブラジルが開発したエンブラエルKC-390も完全な初度作戦能力獲得は2023年後半という。

 C-17輸送機も時間がかかりましたし、稼働率の問題が指摘されるC-2輸送機ですが、それは予算難の際に部隊へ整備予算がC-1輸送機の時代と同程度しか確保されておらず、その上で飛行隊定数がC-1輸送機よりも減らされた為に数の問題へ響いたため。

 C-2輸送機の稼働率は今後防衛予算の拡充とともに、部隊に配備されている機体に十分な稼働率を付与できる程度の予算措置も、なにしろ高い予算を組んで調達した航空機が部品不足で飛べない事こそ税金の無駄ということでしょう、配慮は為され改善する。

 C-130H輸送機についても、一方で全部C-2でよいのかといわれれば末端輸送や不整地輸送に特殊部隊支援などの任務は残るのでしょう、それはフランスを見てもあれだけA-400M輸送機が揃いながら小型のC-295輸送機の調達も続けている点と正に同じ。

 ただ、可能性としてあるのは、責任者のメンツのためにU-125は冬といったのだからビーコンに全て信頼しビーコンが動かなかった場合は運が悪いので受け入れるように第一線に突きつけること。既にF-15とUH-60が墜落し飛行隊長と師団長が殉職しているが。

 飛行隊長と師団長は運が悪かった、こう切り捨てるような防衛行政であれば自衛隊はもうだめなのかもしれません。個人的にはU-125を延命してもう少し結論を待つか、U-125のセンサーをC-130Hに搭載し夜間の空中給油や捜索救難に充てられるようにすべき。

 Weblog北大路機関は2005年7月29日に創設し、北大路機関独自の撮影写真で何とか自己完結したいと思うからこそ自衛隊を撮影し続けてきましたが、近年は残念な話題の方が多くなっている。救難機もそれに続くのか、悲観論を傍らに置き見守っています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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