北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2019,快晴にファントム機影眩しく大編隊(2019-11-10)

2019-11-30 20:12:31 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■令和元年岐阜基地航空祭
 天皇陛下祝賀御行列の儀が執り行われましたこの日は快晴とはこういうものだとの説明に用いられるほどの航空祭日和でした。

 F-15戦闘機にF-4戦闘機、そして退役が年度末に迫るRF-4戦術偵察機が並びます。PowershotG3Xの28-600mm光学ズーム性能を最大限活用し撮影しますと圧縮効果で情景を収める事が出来ました。実は此処、北側会場から南側会場へ向かうシャトルバス乗場だ。

 岐阜基地航空祭2019、伊吹山の広大な風景と共に遂に先端技術実証機X-2が格納庫というベールを脱ぎ白日の下に歩みを進めました。長年、角度を変えて防衛装備庁格納庫内に展示されていました先端技術実証機X-2の全周展示、今年の航空祭も、良い事がありそう。

 機動飛行へ離陸するF-15戦闘機、PowershotG3Xでの撮影です。最近のコンパクトデジタルカメラの性能は凄い、と言いたいところですがPowershotG3Xの発表は2015年6月、PowershotG3Xmark2のそろそろの発売をCANONにはお願いしたいところですね。。

 F-2戦闘機、EOS-7Dmark2に世界最高の望遠レンズ300mmF2.8ISを取り付けて撮影しつつ、そのEOS-7Dmark2にPowershotG3Xを連結して、EOS-7Dmark2のファインダーで戦闘機を追いつつPowershotG3Xmark2はレリーズでシャッターを操作し撮った写真です。

 F-15戦闘機とF-4戦闘機の編隊飛行を。この撮影位置は岐阜基地正門に近い滑走路から見ての南側地区です。航空祭のメイン会場は格納庫や管制塔に航空機が並ぶエプロン地区にあり、此処が北側会場と呼ばれているのですが、滑走路側の飛行展示が全て逆光となる。

 F-4戦闘機、戦闘機が青空を自由自在に機動する様子、南側会場では順光で撮影できるのです。逆光ですと航空機は影しか映りませんし快晴の日にも太陽にカメラを向けての逆光撮影では空は何もない灰色の空間しか浮かびません、全部の写真がそれでは流石に残念です。

 F-15戦闘機が旋回し逆光の方角から進入する、逆光ですと航空機は影しか映りませんと説明しましてもなかなか実感がわかない方が多いようですが、要するに全部こんな形で航空機機影が黒くなってしまう、ということ。黒いのは塗装では無く影になっている為ですね。

 F-15戦闘機とF-2戦闘機が飛来します。F-15戦闘機とF-2戦闘機にF-4戦闘機、航空自衛隊の戦闘機三機種全てが揃っているのは岐阜基地だけでして、これは岐阜基地に展開する飛行開発実験団が各種装備の開発と評価試験を行うべく全機種をそろえる必要があるため。

 F-4EJ改戦闘機が着陸し滑走路を進みます。飛行開発実験団には原型のF-4EJ戦闘機も永らく併用装備されていまして、胴体上部のアンテナ部分と垂直部分上端のセンサー有無がF-4EJ改戦闘機と原型のF-4EJ戦闘機の識別方法、これに気付くまで識別が大変でした。

 F-15戦闘機の着陸、管制塔と並ぶシャトルバスと共に構図を収めてみました。自衛隊基地にやってきたのだ、という構図です。そして岐阜基地は南側の敷地に丘陵地があり滑走路が見えない為、滑走路と航空機の構図は航空祭のみ自由に撮影できる貴重な機会なのです。

 F-2戦闘機の着陸、管制塔を背景に。この撮影位置ですが、見ての通り先ず北側会場にて地上展示航空機を撮影しての南側会場へ撮影位置を移動しました。そうした状況で最前列を確保できるのか、と思われるかもしれませんが、其処は望遠ズーム、前の人垣の隙間から。

 F-2B戦闘機とマンションの情景を。ここ、誤解される方も多いのですが自衛隊官舎ではなく民間マンションです。実はその昔、沖縄の基地問題について聞いていた時代で、普天間基地へ行ったことが無かった頃は、普天間はもっと近くに民家が並んでいると思っていました。

 エクストラ300L曲技飛行、エアレースの室屋義秀が航空祭に飛行展示として参加しました。現在エクストラ300Lのスポンサーはレクサス、機体にはレクサスカラーの塗装となっています。レッドブルエアレースは採算の関係から本年を以て終了となり、一寸残念でしたね。

 エクストラ300Lはドイツのエクストラ社製航空機、軍用では初等練習機の採用事例はありませんがマレーシアやチリ等で空軍が曲技飛行用に運用する事例はあるようです。確かにジェット練習機よりは安価にアクロバット飛行を実施できる器材といえるやもしれません。

 C-1輸送機の離陸、いよいよ岐阜基地航空祭最大の見どころである異機種大編隊へ航空機が続々と離陸を開始しました。今回はC-1FTBではなく一時的に管理替えとなっているC-1輸送機が異機種大編隊に参加します。ここまで雲一つない快晴、これを撮る為に南に来た。

 C-1輸送機、我が国独自の運用要求に基づき国産開発されました。それは有事の際に短距離離着陸能力により第一線の滑走路一部でも維持されていれば輸送を継続し、新幹線の様に搭載量よりも速度を高めて時間当たりの輸送力を高く維持する、という要求にもとづく。

 F-15戦闘機の編隊離陸、EOS-7Dmark2にPowershotG3Xを連結して撮影しているのですが、しっかりと固定していましても共に重量が大きい為に操作し続けていますと僅かに偏差が生じるのですね、これをゼロ点規正せねばなりません。調整しつつの、撮影継続だ。

 F-2戦闘機の編隊離陸、ゼロ点規正と少し広角に再設定して撮影です。ゼロ点規正の方法はEOS-7Dmark2のライブビューア撮影モードとして液晶に一点を映しPowershotG3Xの画像と重ねる様に調整します。EOS-7Dmark2は300mmF2.8ISを装着、要するに凄く重い。

 F-2戦闘機の編隊、EOS-7Dmark2のシャッターを圧す手は右手の人差し指ですが、PowershotG3Xにはレリーズが取り付けており、300mmF2.8ISを支える左手の小指と薬指で操作します、複雑ですが慣れると早い。そうして機影を追いつつ。ああ、これは来るな。

 F-2戦闘機、PowershotG3Xを片手間で動かしている最中にこれだけ撮影出来れば満点でしょう、単純に望遠ズームが凄いだけのカメラではないのですよ、という印象だ。EOS-7Dmark2とPowershotG3Xの連結は見た目で迫力があり、実際中学生に大人気だ。

 異機種大編隊飛来、岐阜基地上空に飛来。これが新時代、令和元年岐阜基地航空祭の異機種大編隊だ。令和元年岐阜基地航空祭の異機種大編隊、その編隊を構成する多機種の陣容は見ての通り、C-1輸送機にF-2戦闘機とF-15戦闘機とF-4戦闘機とが大編隊を組む。

 C-1輸送機にF-2戦闘機とF-15戦闘機とF-4戦闘機とが大編隊を組む。見ての通り、T-4練習機が大編隊に加わっていません。これはT-4練習機エンジン欠陥問題により航空教育集団のT-4を優先して改修している為で、飛行開発実験団のT-4は未だ完了していないため。

 EOS-7Dmark2とPowershotG3Xの撮影にも力がこもる。C-1輸送機にF-2戦闘機とF-15戦闘機とF-4戦闘機と青空に映える、岐阜基地航空祭の最大の見せ場が、こうして文字通り雲一つない快晴と共に展開され、幸先良いとはこの事、令和時代は良い時代になりそう。

 異機種大編隊は編隊を組みなおして再度飛来しました、C-1輸送機にF-2戦闘機とF-15戦闘機とF-4戦闘機とがT字で、これは航空自衛隊テストパイロット養成課程が岐阜基地にて開始されてより、今年が丁度50年を迎える為の記念編隊飛行です。今年だけの大編隊だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和元年度十一月期十二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.11.30-12.01)

2019-11-29 20:09:59 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 冬本番は突然に、というところですけれどもいよいよ師走となるなか皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の行事紹介です。

 百里基地航空祭2019、日曜日一日に挙行されます。茨城県の航空自衛隊百里基地には首都防空を担う第7航空団と偵察航空隊が展開しています。航空祭の目玉は何と言ってもファントム、冷戦時代に西側自由世界防衛の象徴となった戦闘機で開発当時は強力なレーダーを搭載した全天候戦闘機であり空母艦載機、実運用では戦闘爆撃機としても活躍しました。

 RF-4戦術偵察機、今年の主役は2020年3月に、つまりあと四カ月ほどで運用を終了するファントムの偵察型です。低空飛行し目標情報を強行偵察するべく対地迷彩が施されたRF-4は退役を前に特別塗装機も運用されており、航空祭開幕と同時に行われるF-4EJ改とRF-4の編隊飛行は正に今年が最後となる。前日30日土曜日には特別公開も行われます。

 海上自衛隊艦艇一般公開は護衛艦いせ唐津一般公開が佐賀県唐津市妙見第4号埠頭にて30日土曜日に、護衛艦すずなみ青森港一般公開が青森県青森市青森港新中央埠頭にてやはり30日土曜日に執り行われます。また行事ではありませんが沼津では片浜地区にてLCAC訓練が行われるとのこと。一般公開の時間などは各地地方協力本部HPなどをご覧ください。

 さて撮影の話題を。自衛隊関連行事、遠出しました際には帰路をどのように間に合わせるかが一つ重要なところとなります。乗換を上手くこなすのは、時間を有効に活用する要諦でして、なにしろ新快速で二時間半のところを特急で一時間という便利なダイヤを見つけても、途中駅で乗り換え一時間待ち、とか間がありますと、何のために特急を利用するのかわかりません。

 乗換、しかし注意を要するのは乗り換え時間に効率ばかりを考えますと、列車が遅延した際に大変な事になる、という。実は先日友人が、名鉄名古屋駅から近鉄名古屋駅のアーバンライナーまで猶予五分で特急券を予約し、その後電車が遅延し乗換に手間取り、名古屋乗換猶予が僅か三分、本当にぎりぎりで乗り換えた事例がありました。乗換えられて幸い。

 自衛隊関連行事に併せて電車を利用する際、実はかなりの確率で遅延が発生します、理由は乗客過多でホーム上の安全管理が必要となる為です。すると、乗り遅れとならないよう、例えば基地の正門付近の駅では混雑が凄く、遅延を見越した上で、計画が必要なのですね。尤も私は山手線から東海道新幹線まで東京駅で二分乗換に成功した事がありますが、ね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭


・護衛艦すずなみ青森港一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・百里基地航空祭2019…https://www.mod.go.jp/asdf/hyakuri/
・護衛艦いせ唐津一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】千本釈迦堂(瑞応山大報恩寺),橙彩色枝垂桜紅葉飾る国宝本堂の不思議な歴史

2019-11-28 20:05:06 | 写真
■幸運の御堂は鎌倉期より今に
 京都の街中散歩、今回は千本今出川近くの町家と路地を辿りますと至る橙色の枝垂れ桜の御堂を巡ってみましょう。

 千本釈迦堂、承久年間の西暦1221年に求法上人義空により建立された真言宗智山派の寺院です。寺院は毎年師走に執り行われます無病息災を願う大根焚き法要で知られ、不思議な御縁といいますか歴史の妙義とに巡り合いが重なりまして本堂が国宝に指定されています。

 枝垂れ桜で名高い御堂は桜花満開の季節に拝観しましたらば洛中では遅咲き桜に満開機運の散策が二分咲きに一段落という風情となりますがその分桜木は紅葉落葉も早い中で枝垂れ桜は紅葉落葉も一段落合間がありまして、紅葉散策の最中に美しい桜の橙色紅葉を愉しめる。

 木造釈迦如来坐像が秘仏の御本尊として奉じられ、またこのほか木造十大弟子立像十躯が霊宝殿に奉じられていますがこれは快慶一門により建保年間1218年から承久年間1220年にかけて像内納入となりましたもの。霊宝殿は本堂と共に拝観料を以て拝む事が出来ます。

 瑞応山大報恩寺が正号で、ここは上京区七本松通今出川上ル溝前町の、今出川通りから少し上った所処に位置します寺院で北野天満宮から七本松通りを十分ほど歩み進めますと至る御堂は大路に面していない故の静謐さを湛える風情が此処に在り、思慮と瞑想を嗜める。

 おかめの伝説としまして良妻賢母を顕彰する宝篋印塔おかめ塚が奉じられている。これは本堂造営に際し大工の棟梁高次が採寸を誤って代えの無い建材を両断してしまった事で途方に暮れていた際、妻おかめが斗栱組み物工法により本堂を支える提案を行ったという。

 国宝本堂はこうして落成に至ったのですが、おかめさんは女性の身でありながら差し出た助言をしたとして夫に恥をかかせまいと落成式前日に自害してしまいます。棟梁高次は悲しみに呉ながら求法上人義空にこの旨を伝えますと、宝篋印塔おかめ塚として本堂横に顕彰碑が建てられた、とそんな歴史があります。

 新西国三十三箇所第16番と京都十三仏霊場第8番、ぼけ封じ三十三観音第2番、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第2番、札所として数多御縁並ぶ伽藍は、格式と歴史を感じる本堂の存在感に圧倒されます。しかし、おかめさんの守護なのでしょうか、御堂は実に幸運で強運でした。

 本堂は檜皮葺入母屋造の五間桁行六間梁行であり安貞元年1227年の造営です。この意味するところは大きい、応仁の乱の前の建物なのです。この応仁の乱を生き延びた本堂は洛中最古の伽藍であり、実のところ造営250年余りの後に応仁の乱にて京都市中の千本釈迦堂よりも古い建物は全て戦災により失われている故の国宝指定という。

 応仁の乱は応仁元年1467年から文明年間1478年まで続いた室町幕府管領家畠山氏と斯波氏家督争いに端を発する最大規模の内戦でした。何故京都が荒廃したのか、それは当時の寺院の構造にありました。この頃は宗派毎に寺社仏閣は出入り抗争も激しく、暴乱に備え多くの寺社仏閣が高い塀と深い掘割により守りを固めていた時代であったのです。

 細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展した応仁の乱では、堅固な守り誇る寺社仏閣が陣地に最適、と一つ一つを相互に陣営が城塞化し攻防戦を展開、落城すると至近にある別の寺社仏閣を城塞化し激戦を繰り返すという、いわば虱潰しに寺社仏閣に籠城し壊す生活が11年間続きました。そしてここは応仁の乱激戦地である西陣に近い。

 西陣からほど近い千本釈迦堂は幸運にも良くぞ生き残ったと感心する御堂ですが、なにしろ徹底して破壊された京都が復興の端緒を掴む前に京都周辺に守護大名家が牽制し合う状況が続き、結局京都復興は織田信長が上洛し周辺に睨みを利かせるまで実に200年を要した、という中でも荒廃を免れ、今日に至ります。

 山名宗全念持仏の不動明王が祀られている不動明王堂も大報恩寺にあるという、いやこれも考えればすごいことで、西陣から近く更に応仁の乱一陣営であった山名宗全との所縁があるとの歴史に触れますと、改めて歴史の奇跡か単なる奇遇か、今出川通りから遠いのが幸いか残った御堂には美しさと同じくらいに歴史の生き証人の現存に驚かされるものです。

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【京都幕間旅情】東福寺(慧日山東福寺),紅葉に極彩色の偃月橋と青々さ残し通天橋包む三葉楓

2019-11-27 20:14:49 | 写真
■初秋の紅葉が彩る洗玉澗
 紅葉の季節は彩の具合のどのあたりが最も美しいかは毎年考えさせられる命題です、特に東福寺の洗玉澗に関しては。

 東福寺。慧日山東福寺は釈迦如来を奉じ京都市東山区本町に在る臨済宗東福寺派の大本山であり京都五山四位に列せられる大伽藍です。その建立は嘉禎年間の西暦1236年まで遡り、巨大な三門や宝物の宋版太平御覧と絹本著色無準師範像は国宝に指定されています。

 円爾が開基となり鎌倉時代の武将九条道家が開山となった寺院は元々藤原忠平が平安朝中期の延長年間924年に不意藁家氏寺として造営した法性寺の大伽藍跡地に建立した寺院なのですが、五色極彩色に染まる紅葉季節には通天橋から望む偃月橋に声も出ない美しさが。

 洗玉澗という渓谷が紅葉に溢れる情景には毎年これが初見かという程に突き刺さる新鮮さと掴まれる情感の溢れを吐露するところですが、全くの真紅に染まる燃えるような紅葉も良ければこの写真に描いた色づく最中の初秋の情景も趣きがあり昨今は青椛も人気という。

 歌川広重が京都名所之内-通天橋紅楓としてこの情景をそのままに浮世絵に説く描いた事で優美光景は世界に示された情景の一つですが、この通天橋からの情景は実は一般道であり日々その季節が移ろう活ける絵葉書の情景を眺め暦の過ぎ去る景色を愉しむ事が出来ます。

 偃月橋は紅葉に浮く橋梁で東福寺本坊より塔頭の龍吟院と即宗両院とに至る三ノ橋渓谷に架けられた橋梁です。単層切妻造桟瓦葺きの木造橋廊で安土桃山時代に崩落しますが慶長年間1603年に再建、1967年に重要文化財に指定、こちらは拝観料以て歩み進めるところ。

 通天橋は撮影しました場所で、元々は仏殿と常楽庵を修行僧が日々を洗玉澗渓谷を谷渡りしていましたが天授年間1380年に春屋妙葩が架橋しました。ただ、1959年の伊勢湾台風の暴風で崩壊してしまい1961年に現在の頑丈な鉄筋コンクリートにより再建、今日に至る。

 三葉楓という葉先が三つ葉に分れる木々は通天モミジとして親しまれるもので、大陸は宋から伝来した木々です。実は鎌倉時代にこの地には壮大な桜林が広がる絶景が在ったというのですが、遊興の場が如くの修行の妨げとして伐採されこの三葉楓が植えられたという。

 三門は建立当時のものは火災により失われていますが応永時代の1425年に足利義持が再建しまして幸運にも応仁の乱戦火を免れ今日に現存します。即ち応仁の乱を免れた事で他の全ての禅寺山門は何かしら失われ、現存の禅寺三門としては日本最古のものとなりました。

 五間三戸二重門様式の三門は釈迦如来と十六羅漢を安置していまして、本堂は明治の1881年に焼失し昭和の1934年に昭和天皇大阪行幸に併せて再建、方丈も明治時代から昭和初期にかけて再建されたことから、この三門が東福寺で最も歴史を湛えた建築物となっている。

 東福寺は、京都五山の他の伽藍と同じく方丈庭園等を除けば自由にに拝観といますか、日々に神仏へ参る事が出来る立地なのですが、何よりも偃月橋を望む通天橋の木々の情景は圧巻です。しかし、その美しい三葉楓は先に桜だったというから想像も膨らむ次第でして。

 桜の木々は、春に爛漫の花見を愛でる情景が趣き深いものの、紅葉の季節には木々の中で最初に色づき早々に葉を落として冬支度を済ませてしまう、桜花同様に葉も散るのが早い事から、やはり三葉楓のように時間をかけて色づく情景の方が良いのか、と考えたりする。

 桜の木々を伐採し外来の木々を植えた一種無粋ではありますけれども、この三葉楓も一つ遊興とはなりませんが観光の情景となっているのは、花見に留まらない風情の普及か、はたまた見境なしか、開基円爾はどのように思われるだろうか、とふと考えたりもしますね。

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航空集団が必要だ!混迷の陸上自衛隊航空部隊再編案【4】米軍SP-MAGTF-CR方式の提案

2019-11-26 20:08:34 | 防衛・安全保障
■航空集団と数個の即応部隊
 陸上自衛隊航空機調達のサイクルは破綻状態にある、前回はこう厳しく表現しました。今回はその処方箋の提案を示しましょう。

 有事即応、とは全ての部隊がそうありたいものですが、無理に徹底しますと装備品を整備する時間がありません、重整備の最中に有事となった場合に、エンジンを取り外した車両や航空機では押して持って行くことしかできない。そこで応急出動という、部隊中で稼働体制にある装備と人員が休暇などで欠けていない要員を中心に出動する方式が基本です。

 航空集団が必要だ、この視点について深刻な陸上自衛隊のヘリコプター不足、OH-1観測ヘリコプター調達中止とOH-6D観測ヘリコプターの全廃、AH-64D戦闘ヘリコプターの調達中止とAH-1S対戦車ヘリコプターの老朽化による激減、UH-1J多用途ヘリコプターの減勢と進まないUH-2多用途ヘリコプター調達、現状から中央包括管理の試案を示しました。

 そして現在、北部方面隊、東北方面隊、東部方面隊、中部方面隊、西部方面隊と中央一括管理の運用が為されていますが、思い切った再編としてして、方面総監部は地域司令部としての重要な役割を担いつつ、方面航空部隊については中央ともう一つ程度、西日本と東日本に包括して航空即応部隊を置くという施策は有り得ないか、論点を進めてみましょう。

 中央即応連隊や即応機動連隊、即応を冠した部隊は多々ありますが、具体的に考えれば、中央即応連隊や即応機動連隊は完全に即応できる部隊と訓練中の部隊に装備整備中や後期教育受け入れの部隊と、少なくとも四個程度の部隊を編成し、その中で毎年数ヶ月間の即応待機態勢をとることが望ましい。そこで提示している航空集団を中央に配置したならば。

 SP-MAGTF-CR方式、結局困った際にはアメリカの方式を持ってくる舶来主義のようで少々恐縮ですが、アメリカ海兵隊には豊富な航空部隊を保有しつつ危機に対応する航空即応部隊という運用を実施しています。航空機総数は多くは無いのですけれども、危機管理が大規模紛争へ発展する前に素早くポテンシャルを行使する、この視点で有用と考えます。

 総隊に航空集団があれば少なくとも部隊には即応可能な航空機だけを集められるでしょう。SP-MAGTF-CR海兵危機対応陸空特別任務隊、アメリカ海兵隊が北アフリカ地域や中東地域での自国民救出や在外公館緊急保護を目的に欧州NATOの同盟国へローテーション配置する即応部隊です。SP-MAGTF-CRという呼称はMEU海兵遠征群よりも長々としている。

 SP-MAGTF-CRはMEUの様に多くなくSP-MAGTF-CR-AFの欧州とSP-MAGTF-CR-CCが中東にあるのみ。MV-22可動翼航空機の特性を最大限活かした編成、一個海兵中隊と通信部隊を6機のMV-22と2機のKC-130空中給油輸送機により機動展開させる、もしくは6機のMV-22とAV-8攻撃機を4機にEA-18電子戦機とKC-130空中給油輸送機より成る。

 AV-8とEA-18,脅威度の高い地域へは護衛に攻撃機と電子戦機が随伴し、自国民保護などの低烈度紛争対処を主眼とする場合にはMV-22が中心という編成です。MV-22は普天間飛行場へも前方展開する可動翼機で、フェリー航続距離は3590kmに達します、160m程度短距離滑走が可能なヘリポートや道路があれば4.5tを搭載した場合でも1758km飛べます。

 MV-22は巡航速度も大きく、空中給油により更に延伸する。武装などは外装式遠隔操作機銃システムなどが実験されていましたが、実用性に限界があったようで制式化には至っていません、純粋な輸送用航空機というもの。陸上自衛隊は17機のMV-22を取得中です。そこで、SP-MAGTF-CR方式は実は空挺団等の緊急展開任務を考えますと、模範解答に。

 こういいますのも、MV-22の行動半径は、千葉の木更津に配置した場合でも佐賀の目達原へ配置した場合でも日本全土へ緊急展開が可能です。緊急即応に適した部隊として、習志野の第1空挺団、相浦の水陸機動団があります。空挺団には3個空挺大隊の計12個中隊、水陸機動団は編成過渡期ですが最終的に3個水陸機動連隊の計12個中隊が揃うのですね。

 MV-22について、個人的見解として我が国専守防衛へ絶対に必要な航空機であるとは考えません、同じ予算があればCH-47JAを34機取得でき、これは九州に第二ヘリコプター団を新編できる規模です。しかし、MV-22は配備直前、周辺地域まで飛行できる性能上の強みを最大限活かす方法は、やらなければ納税者への責務を放棄したことになるでしょう。

 KC-130であればC-130からの改造機が既に航空自衛隊へ配備が開始されています。もちろんこれが唯一の選択肢であるとは考えないのですが、例えば周辺有事、例えば邦人保護、原子力重要施設防護任務や中隊規模の部隊を集中投入することで対処できる災害対処などであれば、SP-MAGTF-CRの方式は日本にも応用できる部分があるのではないでしょうか。

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安倍総理在任期間歴代最長と戦後レジーム脱却【2】共通防衛政策欠く同盟と憲法制定権力

2019-11-25 20:08:26 | 国際・政治
■日米の価値観は基本的に一致
 日米は民主主義と思想良心の自由に自由貿易や海洋自由原則等で価値観が一致しているのですが外交上連携できるような協力関係を防衛面では憲法が閉ざしている。

 憲法を火災に例える事は多いですが、要するに、隣家が火災となっても我が家に燃え移るまでは何もしないが、我が家の定義は垣根を含むか母屋が薫すぶるか、母屋から直接火の手があがるまでか、一発だけならば誤射かもしれないと言うのは炎上一室だけならば誤認かもしれないと言い換えられ、どこで消火を始めるかがこれまでの議論であったのですが。

 アメリカが求めているのは隣家が火災となっている時点で消火に協力し、また平時から火災の原因となるものを火災予防できるよう参画を求めている、そこに日本は現場の柔軟な対応は別としてシビリアンコントロールの観点からシビリアンが責任を負っていない、という状況があるのです。ここから、憲法を改正し同盟国と対等、不平等を是正しよう、と。

 トランプ大統領はGDP比率で2.5%前後は国防努力を行うべき、と大統領選の頃から発言しています。今回の米軍駐留経費四倍増額にかんする一連の報道は大統領補佐官の過去の発言であり、はトランプ大統領の直接発言ではないのですが、そもそも日本の防衛に直接影響ある事態であっても、基本として防衛力を海外では展開させない現状では無意味です。

 日本の防衛努力、仮に自衛隊が戦車を300両から1000両に戻そうとも、戦闘機定数を280機から350機に戻そうとも、台湾周辺や朝鮮半島と日本のシーレーン上での事態に現在の憲法下では最初に消耗を強いられるのは米軍であり、それならば必要な場所に入る自衛隊の戦車は0両であり戦闘機も0機なのだから、その分の費用を上乗せして請求する構図に。

 日米安全保障条約は同盟条約であり、アメリカ側の視点としてはアメリカによる日米庇護編入条約ではなく、対等であるべき、という視点がこの背後にはある云えます。そして日本本土防衛にアメリカが協力する分を日本もアメリカ本土が攻撃された場合に駆けつけるという様なものではなく、安全保障政策深層部分で協力が必要だ、という強調なのですね。

 日米地位協定などで日米は不平等という論調を行う方は居ますが、日米安保条約だけが憲法を維持した上で継続するには多分に日本が血を流さない、アメリカにとり不平等、という状態がある。これは戦後草創期や東西冷戦時代の、細部まで詰められない緊張下ではともかくとして、現在の情勢では永続的に維持できるものではありません。憲法も条約も。

 日本は真剣に自国を護る覚悟はあるのか、これはアメリカ国民がもつ世論をも含めて、そうした認識があるのでしょう。これは言い換えればアメリカ自身も、別に西海岸亜東海岸に置いて敵の着上陸を待つ政策をとってこなかった、故に自国が直接攻められるまで打つ手なし、とした防衛政策に対して理解できない、という部分も多分に在るのでしょう、が。

 最前線国家の懸念。こうした話題が今年初め頃、朝鮮半島情勢が安定し南北朝鮮の統一が完了したならば、在韓米軍は全面撤収し、西太平洋地域での米軍後方拠点としての在日米軍ポテンシャルも低下する事から、大幅に縮小し、日本は統一朝鮮が北朝鮮の戦略兵器継承やロシアや中国との協同へ進んだ場合、日本が最前線国家となる旨の論文がありました。

 同盟を壊すトランプ要塞、としましてトランプ政権が欧州防衛協力に於いて防衛努力が比較的薄いドイツの在独米軍基地維持に冷淡である一方、防衛努力が経済規模に対して著しいポーランドを重視する反面、実は東欧の在欧米軍はドイツの後方拠点としての米軍施設を欠いた場合は平坦面で干上がるという、防衛政策の近視眼的な施策を警告する話題も。

 在日米軍施設は西太平洋地域における戦略拠点であり、日本本土に着上陸した場合に備えるものではありません、だからこそ沖縄の第3海兵師団は戦車大隊を欠いていますし、事前集積船に搭載されたものを除いて米軍戦車部隊は第31海兵遠征群が定数上5輌を有しているのみです。三沢や嘉手納の戦闘機も日本の対領空侵犯任務措置には参加していません。

 ただ、憲法上で我が国はアメリカが西太平洋地域での地域安定を行うための必要な措置、航行の自由を維持し海洋秩序を一部の国が企図する閉塞化を拒否する施策や、台湾海峡に朝鮮半島と南シナ海での軍事力による国境線の変更への実力を以ての地域安定化拒否、北東アジア地域を中心に核開発に対する制裁措置へ防衛力を以て協力する事は制限がある。

 憲法を改正し、少なくとも自衛権を明記する事が出来れば、これで万事解決、という訳では、やはりありません。しかし、防衛政策の主体をどのように進めるかについて、主導権を持つのか、憲法上出来る事が無いか探しつつ協力という前提で進められるかは、これは大きな格差があるようにも思えます。ただ、憲法制定権力という視点からは現状も問題が。

 憲法制定権力という観点から、新憲法へ意見集約を行うには、例えば新しい元号を決める事や東京五輪開催の指針を定めるとは比較にならない程の民主的手続きが必要となります。この点で現在の世論が憲法制定へ意見集約への参画を行える程余裕が無く、労働運動や市民運動でも意見集約枠組が結論ありきの議論を越えられない、参政意識の薄さがあります。

 安倍総理の在任期間は歴代最長となりましたが、結局のところ参政意識の増進や意見集約の多様化を根回しした上で改憲準備まで進めるには、やはり歴代最長の在任期間でも対応出来なかったのでしょうか、それとも任期満了までに新憲法は難しくとも憲法九条二項を維持した上で、第三項に我が国は自然権としての自衛権を有する、一文を加憲できるのでしょうか、未知数です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】小牧基地航空祭2019.令和元年のKOMAKIオープンベース(2019-11-09)

2019-11-24 20:13:09 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■60年前伊勢湾台風と災害派遣
 小牧基地航空祭は午前中から徐々に太陽が傾き始める中に快晴が続き航空祭を盛り上げます。本年は伊勢湾台風発災60年という事で災害派遣展示が重視されていました。

 C-130H輸送機が2機編隊で被災地上空を飛行します、災害派遣展示での会場アナウンスにてこのC-130H輸送機は先日発生した台風15号災害や台風19号災害に置いても被災地への緊急輸送へ派遣されました、と解説されますと会場からは自然と拍手が沸き起こります。

 KC-767空中給油輸送機の着陸、高層ビル群が背景に移りますがこちらは名駅摩天楼、名古屋駅ビルと名古屋駅前の高層ビル群です。リニア中央新幹線開業へ工事が進む名古屋駅、名駅地区ですが、こうやって見ますと小牧基地と県営名古屋空港は名古屋中心部に近いという印象だ。

 県営名古屋空港は2005年の中部国際空港開港まで名古屋空港として国際線を有する名古屋と中京都市圏における空の玄関口でした。KC-767空中給油輸送機、しかし名古屋空港偉大にはこの旅客機型であるボーイング767はもちろんボーイング747も発着していました。

 伊吹山とC-130H輸送機、着陸したC-130H輸送機はそのままブルーインパルスなどが地上展示に並んでいます航空祭会場であるエプロン地区前に進出して参りますが、背景の伊吹山が美しい。伊吹、これは旧海軍の鞍馬型巡洋戦艦に冠せられた程に親しみある山です。

 C-130H輸送機が二機揃って誘導路を進む。小牧基地航空祭は滑走路最前列付近で撮影する場合、この輸送機が揃って誘導路を進む構図をできるだけ単縦陣で進む配置から撮影できる要したいものですが、今年の小牧航空祭は混雑が凄く、一寸撮影位置確保は無理でした。

 NAGOYA、県営名古屋空港ターミナルビルとKC-767空中給油輸送機、小牧基地は基地ターミナルや管制塔などが少し盛り土された構造となっていまして、航空祭の活況、という構図は最前列付近よりも、少し航空祭会場を後ろの方に引いた方が確保出来るのですね。

 OH-6D観測ヘリコプター、伊吹山を背景に災害派遣展示での情報収集を行う。川崎重工でライセンス生産されたOH-6D観測ヘリコプターは工場が岐阜基地に隣接、岐阜基地は日本最古の飛行場として伊吹山の気流を想定し滑走路が配置された、そんな縁が在る構図です。

 UH-60J救難ヘリコプターとOH-6D観測ヘリコプター、UH-60Jは航空自衛隊救難ヘリコプターとして40機が取得され後継機に改良型32機取得、海上自衛隊も救難型を15機取得し陸上自衛隊は多用途ヘリコプターとして50機近くを取得、三菱重工でライセンス生産が。

 災害派遣においてUH-60J救難ヘリコプターとUH-60JA多用途ヘリコプターは、ある意味でOH-6D観測ヘリコプターの後継機だ。県営名古屋空港ターミナルビルを背景にOH-6D観測ヘリコプター、良く見ますとターミナルビル展望デッキにも多くの方が来ていますね。

 U-125救難機による災害派遣展示の次の展開が始ります。小牧基地には救難教育隊が置かれていまして、全国の航空救難部隊へ厳しい訓練を通じて救難院を要請しています。FLIRを搭載していますので、災害時には被災地情報へ偵察機にも活用できるのかもしれません。

 救助を求める発煙筒が焚かれる。この2019年はかの伊勢湾台風、阪神段震災発災まで戦後最大の巨大災害であった台風被害から60年という事もあり、会場では伊勢湾台風と自衛隊災害派遣の歴史についても紹介されていました。あの頃は文字通り自衛隊の草創期に当る。

 UH-60J救難ヘリコプターが展開する、伊勢湾台風の頃には自衛隊航空救難部隊は創設前の準備隊でした。しかし、今派遣せねば何のための航空救難部隊であるか、との方針で、事前教育と隊員の訓練を信じ準備隊は世界初の災害へ投入されたヘリコプター部隊となった。

 ブルーインパルスの列線上を飛行するUH-60J救難ヘリコプター、そういえば一昔の小牧基地航空祭では救難教育隊の編隊飛行が名物でした、最盛期はUH-60J救難ヘリコプター5機編隊にU-125救難機が2機という7機編隊を見上げたのを思い出しまして、懐かしい。

 UH-60J救難ヘリコプターより救難員が降下します、PowershotG3Xと共にEOS-7Dを連結して撮影したPowershotG3Xでの写真なのですが、意外と焦点が合っている事がなかなか良いですね。PowershotG3Xはレリーズで撮影し当方はEOS-7Dのファインダーで狙う。

 UH-1J多用途ヘリコプターの地上展示背景を災害派遣展示での情報収集を終えたOH-6D観測ヘリコプターが会場をすすむ。今年度いっぱいで自衛隊での運用を終了するOH-6D観測ヘリコプターは数多の大災害に際し、こうして情報収集にあたってきました。

 CH-47J輸送ヘリコプターの飛行展示に。入間ヘリコプター空輸隊に所属するCH-47J輸送ヘリコプターですが、入間ヘリコプター空輸隊そのものがUH-60J救難ヘリコプターと同じ航空救難団に所属している。今回行うのは3tの水を搭載しての災害派遣放水展示です。

 CH-47J輸送ヘリコプターは5.5tの放水が、緊急時には短距離ならば8tの放水が可能です。今回は山林火災を想定した展示ですが、東日本大震災では陸上自衛隊のCH-47JA輸送ヘリコプターがメルトダウンをおこした福島第一原発の緊急冷却へ空中放水を実施しています。

 KC-767空中給油輸送機の列線、そして盛況の小牧基地の様子を。実はこの頃に遂に空腹が限界となりまして朝食兼ねて昼食を。東松島産の焼き牡蠣に香ばしいスペアリブの骨付き肉炙り焼きにボリューム満点の明らかに九州行ったこと無さそうな方の焼く佐世保バーガーを頂く。

 RF-4戦術偵察機飛行展示、こちらも今年度で廃止される航空自衛隊唯一の偵察機です、PowershotG3Xでは厳しいか、EOS-7Dではしっかりと撮影できているのですがね。そして小牧基地の東西に延びる滑走路は、太陽の傾きで順光の恩恵が終幕しつつある事を悟る。

 ブルーインパルス飛行展示へ。小牧基地航空祭の大団円はブルーインパルスが飾ります。ブルーインパルス飛行展示は航空祭が一番活況に包まれる瞬間です、何しろ航空自衛隊看板部隊ですので知名度が高くこの飛行の時間帯に併せて基地へ到着する方が居る程でして。

 ブルーインパルス、T-4練習機の曲技飛行ですが小牧基地では周辺住民への配慮と官民両用空港という事から一定以上の曲技飛行は自粛しています。昔、四国から岐阜航空祭へ行くツアーが朝出発昼到着の割切り、ブルーインパルス限定ツアーがあると聞いて驚きました。

 太陽のブルーインパルス、PowershotG3Xは28-600mm光学ズーム性能がありますので、こういう飛行展示には強い。一眼レフのEOS-7Dも100-400mm望遠ズームから18-200mm広角ズームレンズに切り替えて撮影します。広角の方が撮れる情景はこう、雄大でしょう。

 青空にブルーインパルスが映える。ブルーインパルスは今年早春のT-4練習機エンジン欠陥問題に関連して中々に飛行展示が再開できず、当初は二機編隊のみの飛行展示再開となっていましたが、なんとかT-4練習機改修と航空教育再開も軌道に乗っているようで幸いです。

 曲技飛行を終え着陸するブルーインパルス、名古屋空港ターミナルビルの展望デッキも満員ですね。こうして航空祭は大団円を迎え帰路に就きました。最寄り牛山駅が入場制限であり時間が掛かりましたが、それも航空祭の余韻、久々に一杯やりに名駅へ向かいました。

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【G3X撮影速報】小牧基地航空祭2019,令和元年のKOMAKIオープンベース(2019-11-09)

2019-11-23 20:01:25 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■大空を往くKC-767&C-130H
 平成最後の航空祭が行われました小牧基地では年度が明けて今年度に改めて令和元年航空祭が挙行されました。

 小牧基地航空祭2019、開幕を知らせるオープニングフライトが開門前に並ぶ我々大群衆の前を航過飛行します。牛山駅から開門の0830時まで徐々にエプロン地区へ開放が進み、航空祭会場が開門と同時に頭上をオープニングフライトの四機編隊が開幕を告げました。

 C-130H輸送機とKC-767空中給油輸送機、編隊飛行は一回限りの航過飛行でした、いやはや開門と同時に最前列を目指して前の方に並びますと見えない仕組み、当方はすぐ隣のオランダからのカメラマン一行と隊舎の土手に撮影位置を選んだことで幸い撮影出来ました。

 C-130H輸送機とKC-767空中給油輸送機、小牧基地には戦闘機は配備されていません、いや三沢基地に展開する第三項件はこの小牧基地で創設されたので大昔には配備されていたのですが、実は当方の行きつけ居酒屋にその時にF-86Dを整備していた方がたまに来ます。

 KC-767空中給油輸送機の旋回、巨大な航空機の力強い旋回には独特の迫力がありますが、その迫力と際立たせるのは何よりもこの青空、快晴の青空と順光の太陽が指し示す鮮やかな機能美でしょう。晴れて良かった、快晴で何より、これこそ航空祭日和といえましょう。

 C-130H輸送機の航過飛行、小牧基地は順光の理知です、午前中に限ってですが。小牧基地の滑走路は南北に延びていまして、航空祭会場は東側に在り滑走路西側は名古屋空港があります。知人に電話しますと、事情が在って今西側に居る、と。冷戦時代のような会話が。

 C-130H輸送機は航空自衛隊の輸送能力強化へ、C-1輸送機に続いて導入されました。実はC-1輸送機を増強調達する計画があったのですが、政府の輸送機増強決定を待つ間にか川崎重工での製造ラインが閉鎖解体されてしまいまして、結果的にC-130Hを導入することに。

 C-1輸送機については川崎重工が当初、胴体延長の改良型製造を防衛省に持ちかけていました。既存機の胴体延長再設計はアメリカ空軍のC-141輸送機で実例がありまして、これに併せて航続距離も延伸する計画でしたが、何しろ輸送機増強の決定が遅く時機を逸した。

 KC-767空中給油輸送機と岐阜基地飛行開発実験団所属のF-2B戦闘機による空中給油飛行展示、この情景は小牧基地か岐阜基地でしか見る事は出来ません。しかし翌日が岐阜基地航空祭の予定でしたので、もしかして明日の予行なのでは、という声も周りから湧きます。

 KC-767空中給油輸送機もC-130H輸送機も自衛隊海外派遣に必須の装備ですが、今日では信じられない事ですけれどもかつては海外の侵略に使われるという事で日本社会党や日本共産党が反対、長く実現しませんでした。しかしこれがもし今無ければ、いろいろ大変だ。

 C-130H輸送機とKC-767空中給油輸送機の給油展示、結局のところ日本の平和主義は世界に平和を維持させるのではなく、自分さえ平和ならば周辺は全滅しても結構で、その為に国連はじめ世界での確たる地位を築く、という矛盾したものでした。孤立主義でしたね。

 経済大国として相応の責任を果たすべき、この世界からの要求があり、日本の国際貢献が始まったのは1992年、そこでの経験を蓄積すると共に、これら装備は現在、南西諸島へ大陸からの軍事圧力が強まる中、重要な国土防衛の為の装備として位置付けられています。

 OH-6D観測ヘリコプター、こちらはC-130H輸送機とKC-767空中給油輸送機の飛行展示に続きまして災害派遣展示へ離陸を開始しました。三菱重工の工場が背景に見えますが、ちなみにOH-6D観測ヘリコプターは川崎重工でライセンス生産されている航空機です。

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令和元年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.11.23-11.24)

2019-11-22 20:08:27 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 幕張のDSEIが思った程外国車輌が無く残念だったという今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の行事紹介です。

 第15旅団創設記念那覇駐屯地祭、沖縄県全域を防衛警備管区とする第15旅団の創設記念行事です。旅団は中国軍事圧力の高まる中、第1混成団を拡大改編し創設され、隷下に第15ヘリコプター隊や第15高射特科連隊等、独特の優秀装備が揃う。駐屯地は那覇空港に隣接した丘陵地に在りまして、丘の上に旅団司令部と一段低い式典会場という立地です。

 第13旅団創設記念海田市駐屯地祭、広島県海田市に司令部を置く旅団は山陽山陰地区全域を防衛警備管区とする全国最大の陸地面積を警備管区とする旅団です。特に日本海側に北朝鮮武装工作船浸透の脅威があり警備管区には韓国が占領中の島根県竹島等が含まれる中、自衛隊初の旅団として第13師団を縮小改編し誕生しました。駐屯地は旧軍飛行場跡で広い。

 中部方面航空隊創設記念八尾駐屯地祭、大阪府八尾市に所在する旧大阪第一空港、八尾空港に所在する陸上自衛隊駐屯地で中部方面隊直轄の方面航空隊本部と方面ヘリコプター隊や第3師団隷下の第3飛行隊が駐屯しています。大編隊と共に飛行場地区を利用し実施される訓練展示模擬戦が名物で、一般公開区画が若干狭いですが空地一体の展示が有名です。

 国分駐屯地創設記念行事、第8師団隷下の第12普通科連隊が駐屯する駐屯地で、国分は鹿児島空港に近く薩摩半島と大隅半島の分岐点に位置しています。鹿児島県全域を防衛警備管区としており、全域には離島の奄美大島や屋久島等の広大な鹿児島県島嶼部も含まれるため、在沖米海兵隊への研修など水陸機動作戦教育を重ねて実施している普通科連隊です。

 小倉駐屯地創設記念行事、第4師団隷下の第40普通科連隊が駐屯する福岡県の駐屯地です。冷戦後に重装備の沿岸配備師団から即応近代化師団を経て重装備を排した地域配備師団となった第4師団ですが、元々第40普通科連隊は壱岐対馬の島嶼部防備を任務に含めた精鋭普通科連隊で、対馬警備隊創設までは一個中隊を輪番制にて、対馬へ分駐させていました。

 宇治駐屯地創設記念行事、京都府宇治市の関西補給処一般公開です。自治はそれ程大きくは無い駐屯地でして、駅から人の流れに沿って移動しますと万福寺や平等院の紅葉の方が活気あるかもしれませんが赤煉瓦建築物に各種装備品展示、また重要な兵站支援における支援装備等を視る事が出来まして、秋の紅葉と共に散策してみるのも良いかもしれません。

 春日基地開庁60周年記念行事、西日本と九州の防空を担う航空自衛隊西部航空方面隊司令部が置かれている福岡県春日市の自衛隊基地で土曜日に挙行です。春日基地は西部航空方面隊司令部庁舎地区と防空指令所である春日DCが置かれるオペレーション地区に飛行部隊の所在する板付地区より成り司令部飛行隊や春日ヘリコプター空輸隊が展開しています。

 海上自衛隊艦艇広報は舞鶴基地や呉基地に佐世保基地での週末艦艇広報のほか、ミサイル艇はやぶさ-とよおか津居山港かにまつり一般公開が兵庫県豊岡市小島の津居山港小島岸壁にて土曜日に予定されています。日本海の防衛を担う松葉ガニ、いやミサイル艇はやぶさ型の優美な艦容と共に日本海を守る重要性を海産物と共に考える良い機会かもしれません。

 さて撮影の話題を。自衛隊関連行事に撮影展開しました際に、旅先故に一杯やるのも一興と風情を紹介しているところですが、先日友人が急行電車で隣の酔っ払いに大変な目に合いまして車中から悲報のメール。泥酔は文明人としてしてはならないものだなあ、と。お酒は適度に、というものですが、成程羽目を外して迷惑をかけても気付かない、という方はいるものだ、と。

 急行電車にて友人が行儀よくロングシートに着席していますと途中駅にて行事関係なく泥酔した方が乗ってきましてロングシート数人分で荷物と胡坐で占拠、ウィスキー小瓶をちびりちびり呑みつつ携帯電話で大声電話、周りが混雑し始めても続き、とうとう車掌さんが注意に来ますと、ウィスキー瓶を床にたたきつけて逆切れ、ということがあったのだとか。大変だ。

 お友達は、特急料金をケチって急行に乗ったのが失敗であった、ということでしたが、いやそれは泥酔のおっさんが悪いぞ、と。お酒、当方はそれ程嗜むものではないのですが、度を外すほどに呑む方には、旅先ではそういうことよりも香高い珈琲や心落ち着く紅茶の喫茶を薦めます。お酒は嗜むものですから、周りの方に迷惑を掛けてはいけませんよね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭


・宇治駐屯地創設記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/mae/
・中部方面航空隊創設記念八尾駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/mae/
・ミサイル艇はやぶさ-とよおか津居山港かにまつり一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・第13旅団創設記念海田市駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/
・小倉駐屯地創設記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/wae/
・春日基地開庁60周年記念行事…https://www.mod.go.jp/asdf/kasuga/index.html
・国分駐屯地創設記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/wae/
・第15旅団創設記念那覇駐屯地祭…https://www.mod.go.jp/gsdf/wae/15b/15b/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【映画講評】最貧前線(2019)【第二回】特設監視艇の任務とドーリットル東京初空襲の歴史

2019-11-21 20:03:13 | 映画
■空母に立ち向かった改造漁船
 映画講評を掲げた演劇講評“最貧前線”は今回が後篇です。終戦から余りにも長い平安の温もりに凄惨な歴史を忘れがちとなる現代に鳴らす警鐘といえましょう。

 最貧前線、月刊モデルグラフィックス誌に宮崎駿氏が掲載したものは5ページ読み切りものでして、舞台最貧前線は、流石に5ページだけを忠実に舞台化したものでは少々間合いが持たないでしょう。すると、昭和のどのあたりで何処の海域での任務を再現しているのかは残念ながら舞台再演やDVD化が為されない限り、ちょっと分らないものがある。

 特設監視艇、しかし無駄であったかを問われますと、漁船転用とはいえ侮れない戦果を残しています。いや、木造船で100t前後のものは特設監視艇、300t前後のものは特設掃海艇、300t台の鋼製船は特設駆潜艇とされ、海軍自身も重要性を認め掃海特務艇第1号型や哨戒特務艇第1型や敷設特務艇第1号型として小規模造船所に発注し損耗を補填し、運用している程です。

 第二十三日東丸、そもそも特設監視艇とは何か、という事を考える際にはこの一隻が象徴的といえるでしょう。実は私が特設監視艇というものを知ったのは二十年と少し前の月刊丸誌に描かれた第二十三日東丸の奮戦と生存者の写真、米軍側が撮影の写真をモノクロ特集にて知った際でした。通称黒潮部隊第二十二戦隊第二監視艇隊所属の歴史に残る一隻だ。

 ドーリットル東京初空襲、第二十三日東丸は1942年4月18日に実施されたアメリカ軍による初の日本本土空襲を前にB-25爆撃機を改造搭載したハルゼー提督の空母ホーネット、空母エンタープライズによる日本本土接近を本土600浬東方警戒監視中に発見し、警報発令、これを受け連合艦隊は即座に対米国艦隊作戦第三号に基づく迎撃命令を発令しました。

 パールハーバーが描いていた特設監視艇、古鷹型重巡のようなシルエットが描かれていましたが、実際には第二十三日東丸は木造総トン数90tの漁船だ。記録によれば25mm単装機銃か13mm機銃を少なくとも一門、そして陸戦隊が装備する7.7mm機銃を数丁搭載していましたが、ドーリットル空襲には空母2隻と巡洋艦5隻、駆逐艦8隻が参加していた。

 ハルゼー提督は予期しなかった日本本土周辺における警戒監視網に遭遇し、幕僚も混乱したと記録されていますが、即座に第二十三日東丸の撃沈を下令し軽巡洋艦ナッシュヴィルが152mm艦砲で攻撃、第二十三日東丸からは敵空母部隊本土接近の通信を継続しつつ機銃により応戦していたとの記録も残っています。ただ機銃では巡洋艦に傷もつけられません。

 黒潮部隊、アメリカ海軍は想定外であった日本本土防衛への警戒網を前にハルゼー提督は爆撃機搭載で艦載機を運用できない空母ホーネットに代わり護衛展開していた空母エンタープライズよりF4F戦闘機を発進させ機銃掃射を実施、粟田丸、海神丸、第一岩手丸、第二旭丸、長久丸、第一福久丸、興和丸、第二十六南進丸、栄吉丸、第三千代丸等が被害に。

 特設巡洋艦赤城丸、軽巡洋艦木曾、潜水艦伊七四が救助へ急行しますが、2隻が艦砲により撃沈され1隻が火災延焼を止められず乗員が救助の後放棄され沈没、戦死者も33名出ています。ただ、命を懸けた情報の価値は大きく、ドーリットル空襲は半日早く、即ち本土から遠い海域で発艦となり、軍事施設への被害は改装中の空母龍鳳中破等に限られました。

 特設監視艇は少なくともアメリカ軍の東京初空襲に対して警報発令を実施出来た事は戦果といえました。しかし、アメリカ軍は以後形勢が変わり1944年以降、空母による日本本土攻撃を前に、特設監視艇に対して積極的な攻撃を加えるようになり、特設監視艇として重用された漁船は400以上、少なくない漁民が空母艦載機の攻撃を前に海に散っています。

 ヨット、日本は漁船を用いたので悲惨だった、と言われるところですが世界を見渡しますとイギリスはヨットを徴用し特設監視任務に充てています、ドイツ海軍のUボートによる通商破壊に悩まされたイギリスは充分な燃料が無い為、民間ヨットを徴用し帆走により燃料を用いず、通信機も手回発電式として釣りで自給自足し洋上監視任務に充てていました。

 イギリスのヨットによる特設洋上監視任務は、イギリス本土防空戦に際してUボートの監視とノルウェー方面からイギリス北部を狙うドイツ爆撃機の監視に活躍しています。ただ、ドイツ海軍には空母は無く、爆撃機も中型双発機が大半、ヨットを襲撃へ低空に降りて機銃掃射する余裕は無かったようで、幸か不幸かヨットにそれ程悲惨な歴史はないのですね。

 アメリカは特設監視艇のような艦がありませんでした、やはり日本だけの悲惨な運用なのか、と問われますと、そうではなく、アメリカ西海岸は幾度か日本潜水艦による艦砲射撃や航空攻撃に見舞われているのですね。アメリカは警戒していなかっただけに潜水艦から奇襲された構図です。すると悲惨な運用を回避したのではなく、単に警戒不充分といえる。

 巡潜乙型潜水艦、日本海軍の泉水案は大型で航続距離が長く一部は航空機を搭載していました、この為、アメリカ西海岸へも充分に往復攻撃が可能で日本軍西海岸上陸近し、と恐慌状態に。ドーリットル空襲は潜水艦による西海岸攻撃、その反撃の為の多分に戦意高揚目的のものでしたが、日本が特設監視艇警戒網に驚いたのはアメリカの無防備故の驚きだ。

 赤城丸。ただNHKの論調と過去にNHKスペシャルとして放映されたものに海軍徴用船という特集がありましたが、変に混同しないようにする必要はあるでしょう。“NHK【ETV特集】戦時徴用船 ~知られざる民間商船の悲劇”という5年ほど前の番組ですが、海軍に徴用された無防備の民間船が戦火に沈んだ、として特設巡洋艦赤城丸が紹介されています。

 特設巡洋艦は戦間期にイギリスが準備したコーフー級特設巡洋艦を視察した造船士官が参考としたもので、コーフー級は補助金を出した高速貨物船を徴用し、8000tの船体に152mm砲や魚雷と機関砲多数、更に航空機を搭載したものでイギリス海軍は実際、Uボートとの大西洋の戦いや地中海シーレーン防衛に第一線に投じ活躍したもの、これの日本版でした。

 南の島は戦場になった トラック空襲75年目の真実、赤城丸が出たのは、録画していなかった事が悔やまれますが、気になったのは特設巡洋艦を非武装商船として説明していた点で、実際は14cm砲4門と25mm連装対空機銃2基4門に13mm機銃16門及び53cm連装水上発射管や零式水上偵察機で武装していたのですね。混同しないよう注意が必要です。

 閑話休題。NHKによれば舞台“最貧前線”に際し宮崎駿氏の“「“なんとか犬死にをしないで、また魚をとるんだ!”っていうね、そういう人たちが出てきてそれを全うする話をね、僕はやってみたいと前から思っていたんです」”という部分が舞台化原動力となったようでして。実際、戦後70年75年と云われ続ける中、実感わかない世代が大半となりこの流れは貴重だ。

 特設監視艇は知っていましたが、“最貧前線”は実は当方未読でした。月刊モデルグラフィックス誌に掲載されていたものでして、実は当方、軍事雑誌は和洋共に色々と拝読しているのですが、月刊モデルグラフィックス誌は基本として高校生以降模型を造りませんので、宮崎駿御大の名著だぞ、知人友人変人に冷やかされながらの舞台“最貧前線”話題でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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