北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ゆく年 くる年 大晦日にふりかえる美しい日本の春夏秋冬

2011-12-31 10:13:17 | 北大路機関特別企画

◆それでは、よいお年を

 原発事故、大震災、絶え間なく続いた地震の恐怖と稚拙な危機管理。地獄のような2011年は、間もなく終わります。期せずしてこの記事は2311号の記事でした。

Img_6706 多くの方が亡くなり涙を流しました。それでも、日本列島は美しい。火山性地形とプレート境界線は地震と津波を運びますが、温帯に或る日本列島は台風と共に豊かな漁場、代えがたい四季、美しい国土、というものを供してくれます。山河も水平線も、そして地震と津波さえも、日本列島の一部なのですね。

Img_7168 日本の国民性。倫理観や価値観で、今年の災害では世界に日本国民の在り方、ということを示すことになったと思います。単一民族、という言葉は過去に異なった政治的意味を持ってしまいましたが、共に自然と暮らす、という意味で日本の、日本列島の風土が培った、日本の民、という意味での民族という概念はあるのでしょう。

Img_7732_1 春には花々が咲き乱れそして青々と息づき、夏は暑くしかし夜には冷涼で、秋には木々が鮮やかに色づき、冬には白く覆われる。なにかしら、これが日本の人々の営みに影響を与えていないわけがありません。結果、勤勉でそして治安のよい、そんな日本を織りなしているのだと信じています。そしてだからこそ乗り越えられるのではないでしょうか。

Img_3638 春夏秋冬、季節はそれぞれに美しく、そして実り有れば滅びあり。美しく時には恐ろしく、そんな自然の中で、協力してまたは溶け込んで、生きてゆける人々のことが、実のところ先ほどの一つの答えなのだろうと思います。それでは、よいお年を、来年もよろしくお願いいたします。

北大路機関:はるな

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Weblog北大路機関の2011年 西方重視掲げ一路邁進したこの一年間

2011-12-30 23:39:36 | 北大路機関特別企画

◆未曽有の災厄東日本大震災と共に

 2011年は西方重視年間、と今年の元日に示しましたがこれを振り返ってみましょう。

Img_9094_1 今年は東日本大震災の一年間、ということは確かで、この一年ほど日本の危機管理が試された一年間は終戦のその年くらいでしょう。本来であれば南方西方からの脅威を注視し、危機管理の展望を探るはずでしたが3月11日が全てを吹き飛ばした、というところでしょうか。

Img_3870 こうしたなかで、今年の自衛隊行事において最も印象に残ったのは3月16日の護衛艦いせ自衛艦旗授与式でした。震災後、特に福島第一原発が予断を許さない中、粛々としかし威風堂々と行われた新しい船出は、間違いなく一生の記憶として残ること間違いありません。ご招待いただき、本当にありがとうございました。

Img_9039 東日本大震災以降、自衛隊関連行事は中止となり災害派遣のみが延々と展開されましたが、美唄駐屯地創設記念行事を筆頭に自衛隊関連行事が再開されています。第二地対艦ミサイル連隊も災害派遣を終えての式典参加とあり、展示全てには重いものがありました。

Img_1509 翌日には真駒内駐屯地にて第11旅団創設記念行事があり、式典は予定通り行われたことで、日常は戻ってきているのだ、という印象は偽らざるもので、原子力災害と巨大津波、特に後者については日本の自然の営みの一部だったのか、と再確認した次第です。

Img_8417 西方重視を掲げつつ、西方管区での自衛隊行事は災害派遣に忙殺されていることもあり、再開はなかなかかなわないものでした。ところが、佐世保基地の一般公開は行われており、四度に渡り長崎に展開、延べ八日間佐世保に足を運んでいまして、西方重視は達成できたのかな、と。

Img_7161 その一方で海上自衛隊の行事に多く参加することが出来たのは幸運でした。いせ就役は筆頭ではありますが。舞鶴展示訓練、大阪湾展示訓練を撮影する機会に恵まれ、多くの事柄を見せていただくと共に、このなかでも晴天に恵まれる日々が続いたことは幸いの限りです。

Img_1427 しかし、常に思ったことは、やはり装備定数や人員定数、というものは大丈夫なのか。現役の方々は立場上言えないことがある、ということと共に、しかし雰囲気として、また別の形で聞こえてくるものもありました。これは政治の問題でもあり、翻せば国民の問題でもあります。

Img_5101 これら夏期に多くの見聞を得ましたが、昨年は多忙に多忙を重ね行くことへの検討さえかなわなかった富士総合火力演習へ、お誘いを受け叶ったことは友人へ感謝です。また、発砲焔の撮影にも恵まれ、無論機材に助けられた背景ではありましたが、満足がいくものでした。

Img_3901 西方重視が実質佐世保重視、というかたちになっていたのですが、一方で北海道では美唄駐屯地、真駒内駐屯地、東千歳駐屯地と足を運び、北部方面隊の装甲部隊を細かに見ることが出来、やはり重装備というものは凄いものだ、とただただ感嘆したというほか表現はありません。

Img_1659 東北方面隊創設記念行事。この災厄の年に真っ向から向かい合った司令部が置かれた方面総監部の行事は、規模が大きく縮小されていましたが予定通り実施され、当方も大阪湾から急遽転進しました。この日この時、この行事を立ち会えた、ということは意味がありましたね。

Img_1772 秋ごろから、自衛隊関連行事は東北方面隊を除けば、かなりが例年通りの規模となり、本年で通算七年連続となる守山駐屯地創設記念行事にも立ち会うことが出来る機会に恵まれました。この管区は、今も東海地震東南海地震に立ち向かわねばならない、見守りたい部隊です。

Img_7026_1 同じく、今年で七年連続となる岐阜基地航空祭にも足を運ぶことが出来たのですが、しかし近年までの条件と異なる会場配置などに、こちらでお知らせした内容と随分異なることがあり、情報をご高覧頂き足を運ばれた方へは、その節はご迷惑をおかけしました。

Img_1025 とにかく行われている行事は、ということで入間基地航空祭へも足を運びました。他方、西部方面総監部創設記念行事へは展開を検討していたのですが、小松基地50周年航空祭が行われるとあり、そちらを優先、小松が中止となったことは記憶に新しいです。来年は健軍、福岡、鹿屋、新田原、幾つかに行きたいですね。

Img_8699_1 このように、西方重視は佐世保重視に終わるやもしれなかったのですが、新田原基地、那覇基地、嘉手納基地、普天間基地と年末、正確には今月に連続して足を運ぶことが出来ました。特に南九州と沖縄、西方重視が最も端的に示される地域、といえないでしょうか。

Img_1697 那覇基地航空祭は、那覇の置かれた厳しい現実をしっかりとみることが出来ました。難しいでしょうが第二滑走路の建設、可能ならば基地展開部隊の分散による脆弱性是正の施策は必要なのだろう、過密度と低い自由度とともにこればかりはこの目で見なければ言えなかったでしょう。

Img_0940 嘉手納基地。非常に騒音が大きい、と聞いており、やはり米空軍はエンジン出力を最大限としているのか、本島上空で超音速飛行を日常的に行っているのか、と印象があったのですが、F-15もKC-135もC-130も頻繁に飛行していたものの、言われているほど音は大きくない、面積を除けば普通の基地でした。

Img_1662 普天間基地、こちらも住宅地への接近が凄いと聞き誘導路付近の安全帯にまで軒先が並ぶ様子を想像していましたが、日本では普通の基地と住宅、という印象でした。百聞は一見に、と使い古された表現ですがその通りで、これらを以て一応の西方重視、は達成された、と言えるのかな、そう考えました次第です。

Img_1133 一方、今年は回数として舞鶴や横須賀へは、余りいけなかったなあ、とも。こうした中ではありますが、Weblog北大路機関はご覧いただいている皆様の様々なお支えにより、今年一年を、今までと同じように乗り越えることが出来ました。今後とも、誤字脱字が多く誤報誤解も見方によっては若干含まれるWeblog北大路機関ですが、よろしくお願いいたします。

北大路機関:はるな

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南スーダン自衛隊派遣(UNMISS)来年1月11日より派遣開始

2011-12-29 23:19:55 | 防衛・安全保障

◆主力330名・支援40名、車両160両を派遣

 防衛省によれば陸上自衛隊スーダン派遣の概要は人員330名と支援要員40名、車両160両という規模になるとのことです。

Img_3793 第一次派遣部隊は中央即応集団を基幹として編制され、続いて全国の部隊が持ち回りで任務に当たります。派遣部隊は来年2012年1月11日に先遣隊十数名の規模で日本を出発、その後の第一次派遣部隊が一月下旬に出発を開始し三月上旬までにすべてが移動、宿営地建設を実施し本隊による活動の準備とします。

Img_0608 部隊は民間旅客機によりまず隣国ウガンダのエンデべ空港へ向かい、エンデべ空港まで前進している航空自衛隊のC-130H輸送機に乗り換え、任務地に近い南スーダンのジュバに向かうという計画で、重装備などは海上自衛隊の輸送艦により輸送されることとなっています。重装備とは、軽装甲機動車、輸送車両、施設車両などで160両が派遣されることとなりました。

Img_5619 今回の任務へは輸送艦に加え、航空自衛隊よりC-130H輸送機四機、KC-767空中給油輸送機一機、B-747政府専用機一機が輸送支援へ派遣され、支援要員40名はウガンダのエンデべ、ケニアのナイロビに調整班を展開させ、現地支援調整所としての機能を行うとのこと。

Img_60_06 派遣部隊は四月中旬頃から道路復旧任務などにあたるとのことで、UNMISSは2012年7月9日までの任務が見込まれていますが、自衛隊派遣任務はUNMISS完了後の撤収期間を含め派遣期間を10月31日まで、ということとしたようです。今回、国連から強く要望されていたヘリコプターの派遣は行われません。

Img_6247 派遣期間は当初数年という話でゃありましたがUNMISS派遣、というかたちですので、一定の期間とすることが出来たようです。しかし、ハイチ復興人道支援任務やソマリア沖海賊対処任務という長期化している任務を見ますと、自衛隊の任務は復興ではなく復興支援としての復旧、というところを忘れないでほしいですね。

Img_7954 当初はかなりの懸案であった派遣部隊支援のための補給維持ですが、輸送機を主力として用いることで、道路状況が悪い区間を1000kmにわたり維持する、という難題は解決されるようです。加えて、車両の派遣は全て輸送機、というわけにはいきませんが、派遣までの期間に余裕がるため、対応は可能、ということでしょう。

Img_4407ただ、現地情勢を判断してとの事でしょうが、武装勢力は存在するとのことですから写真の87式偵察警戒車のような火力装備を派遣せずして大丈夫なのでしょうか、軽装甲機動車と小銃に機関銃、と派遣装備は明示されていますので96式装輪装甲車や無反動砲まで持ち込んだイラク派遣と比べると、どうしても軽装備という印象が否めないのですが、どうなのですかね。

Img_2213_1 また、緊急時の離脱の能力模索は必要ないのか、と過去に記載したのですが、MCH-101であれば人員だけならば延べ11機で輸送できますから、沖合にヘリコプター搭載護衛艦などを常時遊弋、とまではいかずとも情勢が緊迫した状態には派遣できるような体制は欲しいものです。HSS-2を運用できる水上戦闘艦には搭載可能、というAW-101が原型ですから、海上自衛隊のジブチ航空拠点に展開させ、緊急時に海賊対処任務にあたる護衛艦に搭載させて急行させられれば、と思ったりはします。

Img_5018 こうして派遣される運びとなったのですが、返す返すも、もっと輸送艦があれば、とおもいますし、C-2輸送機が完成していれば、派遣はもう少し難易度が下がったのだろうなあ、と思います。もともと戦略展開能力を考えていない自衛隊に、日本からはるか離れたアフリカへの任務が命じられたのですから、ね。

北大路機関:はるな

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F-4戦闘機延命改修は不可能なのか? 次期戦闘機F-35開発遅延問題と共に考える

2011-12-28 23:54:14 | 先端軍事テクノロジー

◆2005年までF-104を第一線で運用した空軍も

F-35を制式採用した航空自衛隊にとり、F-4はいつごろまで運用されることになるのでしょうか。

Img_9352F-4EJ改、結局今年は主要航空誌等では大きく扱われることもありませんでしたが、今年はEJ型初飛行40周年、F-4米空母部隊配備50周年という節目の年にあたりました。臨時飛行隊が百里基地に新編されたのが1972年、来年は部隊配備40周年、ということになります。

Img_8042しかし、後継たるF-35は、航空自衛隊が要望している2016年引き渡しも、開発計画の遅延により難しい、とされている状況です。遅延の要因は機体各部でのクラックの発見、ということですから、複合素材は補強材を取り付けるとその部分からクラックが生じる、実用化されて間もない技術ですので、まだまだ予断は許しません。すると、初度作戦能力を獲得するまで、恐らく2020年代の半ばまではF-4を運用しなければならないことになるでしょう。

Img_5156実はF-35,2008年に実用型が生産開始となる計画でした。現時点で8年の遅れ、これが更に2年程度遅延する、ということです。笑わずに最後まで読んでいただきたいのですが、当初見積もりでは空軍仕様F-35Aはユニットコスト2800万ドルで2036機を導入予定、海兵隊仕様F-35Bのユニットコストは最大3500万ドルで642機取得を計画、空母艦載機仕様F-35Cは最大3800万ドルの見積もりで300機の導入予定でした。

Img_6947_1しかし結果としてF-35Aのユニットコストは米空軍取得費用で1億2000万ドルと四倍以上に膨れ上がり、英海軍は空母艦載機としてF-35Bの取得を計画していましたが一機当たり1億ポンドという見積もりが三年前に出され、空母整備計画そのものを再検討する状況に陥っています。米空軍はF-22の調達計画を見直し、その分F-35Aを下方修正されつつも1763機確保、F-35Bは340機、F-35Cも340機の生産は見込まれています。

Img_8049まあ、これだけの大風呂敷です。よもや、海空軍共用万能戦闘機をめざし機体が肥大化しすぎたF-111のように生産計画を劇的に大幅縮小、ということはないでしょう。というのも、開発費がかかりすぎていて、代替機を新規開発する選択肢がないため、アメリカはこの機体をどうにかするしかないのですから。

Img_8164すると、航空自衛隊はF-4の運用をF-35が導入されるまで続けられるのか、という問題になってきます。現実的には、F-35の生産メーカーであるロッキードから同社製F-16のリースを受ける、中継ぎの機体としてEF-2000やF/A-18Eなど偵察機などにも転用できる手ごろな戦闘機を探す、米空軍からF-4はもうないので航空自衛隊も運用するF-15のリースを探す、イギリスが早期退役させたトーネードF-3の取得を泣きつく等が考えられるかもしれません。

Img_8247_1ですが、ここはひとつ、F-4をライセンス生産した三菱重工と共に、ファントム2020計画として、F-4の延命計画を模索してはどうでしょうか。F-4は米軍では1996年に全機退役している過去の機体ですが、ドイツ空軍ではレーダーを新型に換装しAMRAAMの運用能力が付与され最後の運用が行われていますし、トルコ空軍ではF-4E-2020改修として2020年代までの運用を期した改修を実施、最近も実戦に投入されています。

Img_8331航空自衛隊は1984年にF-4EJをF-4EJ改へ改修する際に、レーダーを旧式化したAPQ-120からF-16Aと同程度のAPG-66Jとしているほか、空対艦誘導弾ASM-1/2を運用可能なセントラルコンピュータJ/AYK-1を搭載、このほか慣性航法装置や電子戦自衛装置等を新型に換装しています。しかし、これは80年代の技術ですから、2010年代の技術で改めて改修を行ってはどうでしょうか。

Img_8432特にF-4については、機体の経年劣化による老朽部分の問題を見落とすことはできません。補強材ではなく、機体そのものを分解し、老朽部分を新規製造した部品と入れ替える必要があるでしょう。レーダーをF-4に規模と重量の上では搭載可能とされるF/A-18EのAPG-73等に換装し、F-35と共に導入されるであろうAMRAAM空対空誘導弾の運用能力を付与させ、米空軍で配備が進む新鋭光学照準装置AAQ-33スナイパーポッドを搭載すれば、相当程度の脅威に対抗できる航空機となるでしょう。

Img_8689_1なにやら、季節がら、ぼくのかんがえたさいきょうのえふよんせんとうき、的な発想になってしまっていますが、これは承知の上で。F-15近代化改修に要する40億円程度に匹敵する費用を要する計画ですが、新規騎手を導入するよりは安価であり、AAQ-33はF-4完全退役後に別の航空機に搭載することも可能です。ほかの中継ぎやリースの機体を導入し、整備基盤を整え、教育を実施し、搭乗員と整備員を養成する、これらコストと比べて考えるべきだと考えます。

Img_8841_1最後になりましたが楽観的要素。イタリア空軍はF-104をなんと2005年まで運用しています。人気コミック”ガンスリンガーガール”の世界のイタリア軍は豪華絢爛ですが、地対空ミサイルはいまもナイキ、主力戦車アリエテ開発までは戦車は浮かず飛ばず、装甲戦闘車ダルドは開発後実戦配備まで予算不足から20年近く放置、海軍は大時代的な巡洋艦が最近まで維持され、そして戦闘機にF-104がありました。しかし、動態保存していたのではなく第一線で運用可能な性能を維持したのが重要です。

Img_8937イタリアのF-104は、機体が原型からエンジンやレーダーが徹底的に改修され、早い時期にレーダー誘導のスパロー空対空ミサイルが搭載され、最後にはAAM-4のような自律誘導型区謳いううミサイルの運用能力を獲得しました。さすがにF-104だけでは、とEF-2000戦闘機の導入と開発に参加しましたが、それまでの繋ぎとして1993年にイギリスからトーネードF-3の貸与を受け、続いて2000年代からアメリカからF-16の貸与を受けています。しかし並行してF-104の改修と運用を続けていたのです。2005年にF-104はその長い任務を終えましたが、この話を聞いたうえで、F-35引き渡しまでの期間、航空自衛隊も一つ、必死になってF-4を補強し改修し延命し運用してはどうか、と問われれば、また一つ違った答えが浮かんでくるのではないでしょうか。現場は大変でしょうけれどもね。

北大路機関:はるな

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防衛大綱はこのままでよいのか?東日本大震災災害派遣の戦訓から

2011-12-27 23:41:01 | 防災・災害派遣

◆次の災厄と有事に備えて

 東日本大震災への災害派遣任務完了が防衛省より正式に発表となりました。しかし、今回の災害派遣は課題も多く残していることは事実です。

Img_3076 陸上自衛隊に関して、ヘリコプターの不足は常々記載してきましたが、何よりもロジスティクスの面で大規模な部隊の集結と分散を実現できる体制が必要でしょう。部隊を集中することは重要ですが、これは同時に受け入れることを意味しているのです。この点、今回の震災では補給処の能力が簡単に限界を来してしまいました。

Img_2617 戦車などの機甲部隊は、一見災害派遣とは無関係に見えますが、膨大な燃料や整備支援を必要とする部隊ですから、平時からこれら装甲機動部隊を強化することはロジスティクスの充実を意味しますし、併せて戦車部隊と特科部隊はその輸送能力の大きさも無視できません。なにより、防衛大綱が特科と戦車の縮小を明記していることが陸上自衛隊の軽装備化を指向する要因となりえますから、改められるべきです。

Img_7913 潜水艦の増勢について。異論は特にないのですが、潜水艦には災害派遣や海賊対処任務には不適で、汎用性からは水上戦闘艦こそが増勢されるべきです。潜水艦6隻の増勢よりは、現在48隻が定数となっている水上戦闘艦勢力を6隻足して54隻と出来れば、少なくとも90年代の水準に戻すことが出来ます。艦船は大型化していますが、同時に任務も増大していますのでこれは致し方ないでしょう。

Img_0569 輸送艦も重要です、補給艦も大切ですが、護衛艦の位置づけが頂点ではないでしょうか。防衛計画の大綱に明記された潜水艦の増勢は反対こそしません。しかし、潜水艦だけを増勢すれば、という考え方に陥らないように、航空機の拠点として、情報の中枢として、治療と退避の手段として、戦闘システムとしての自己完結性が高い水上戦闘艦の重要性は、高く認識されるべきではないでしょうか。

Img_8455_1 戦闘機については、増勢されるべき。これは常々記載しています、特に日本列島は太平洋方面からの航空母艦脅威に対処できる体制がありませんから、東海道沿岸と小笠原諸島に各一個飛行隊が必要と考えます。しかし、現時点では偵察機です。今回の震災では情報の需要が供給能力を遙かに凌駕していました、偵察機がもっと必要と言わざるを得ません。

Img_8810_1 偵察航空隊が置かれていますが、なによりも通常の戦闘機に偵察ポッドを搭載することで戦術偵察機として対応が可能です。航空総隊直轄として偵察航空隊が置かれていますが、例えば二個飛行隊基幹の偵察航空団として拡大改編し、必要に応じて偵察任務以外の制空戦闘への投入能力を付与し戦略予備部隊としても運用できるよう改編を行えば、災害時の情報収集、有事の予備部隊とを両立可能です。こうした観点からも、防衛計画の大綱を再討議する機会が訪れているのではないでしょうか。

北大路機関:はるな

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東日本大震災災害派遣任務終了 史上空前1066万の動員

2011-12-26 23:20:36 | 防災・災害派遣

◆次の大震災に備え、賞賛に留まらず検証措置を

 一川防衛大臣は本日26日、東日本大震災に伴う自衛隊災害派遣について、そのすべての任務が完了し終了したことを発表しました。

Img_9861 奇しくも25万の犠牲者を出したインド洋大津波から七年目の本日ですが、東日本大震災では2万近い方が犠牲となられました。一方で空前の被害を前に空前の災害派遣が行われ、東日本大震災災害派遣任務における自衛官の災害派遣規模は延べ1066万名と、文字通り史上最大の規模の派遣となりました。派遣人員規模は自衛隊が突出しています。

Img_6908 消防吏員と警察官、自衛官は概ね同規模なのですが、消防の緊急消防援助隊が述べ10万4093名ですのでもちろん地元消防を含めるべきなのですが数字としては消防の100倍、警察の広域緊急援助隊も最大派遣規模で4900名、延べ人員では消防よりも少ないという実情でした。

Img_7587 最盛期には全自衛官の半数にあたる10万4000名の派遣が行われ、アフリカ沖での海賊対処任務やハイチ大震災復興人道支援任務といった海外での任務に加え、南西諸島の防衛警備を固め、加えて周辺国の航空機への対領空侵犯措置任務、領域警戒とほかの地域での災害へ備えつつの災害派遣であったことは特筆されるべきでしょう。

Img_1641 当初は10万規模の災害派遣が半年程度維持される、という話もあり、加えて首都直下型地震への災害派遣が5万名規模を想定し派遣計画を作成したのだけれども、それを政府が動員計画や必要な展開能力の裏付けもなくして派遣規模を突如10万とした点等に疑問が寄せられたのも事実です。このことから、単純に自衛隊は頑張った、自衛隊は凄い、と賞賛に終わるだけではなく、次の災害においてより円滑な派遣と救難体制を構築する方法は模索されるべきではないでしょうか。

Img_9383 本来ならば、今回の災害派遣を契機に、米軍や豪州軍の支援無くして実現しなかった機動に果たして現在の自衛隊が有しているヘリコプターや輸送艦、輸送機といった緊急展開能力を支える装備は充分であるのか、予備の装備事前備蓄や即応予備自衛官制度は現在のままで次の震災を待たねばならないのかは議論されていなければなりません。

Img_7088 しかし、有識者会議が招集されるでもなく、来年度予算では増員が求められていた陸上自衛官の規模についてはそのままで、発表された予算についても概算要求の時点ですでに必要な部隊の機動力を支えられるものではなくなっており、これで大丈夫なのか、と真剣に、しかし解決策に繋がらない空虚な孤独感に苛まされてしまいます。それならば、一つ改訂したばかりではあるのですが防衛計画の大綱における自衛隊に求める能力を洗い直し、次の震災に備える体制は立てられないものなのか。

Img_5984 災害時に、しかし機動力が工面できなくとも、自衛官は現在の定数、装備、法律面を超えることはできません。文字通りこれは政治の決定すべき命題であり、これは文民統制として武力の運用と規模の画定を文民が決定し命令するという大前提で進められた以上、政治に責任があるのですが、果たせる政治家を養成し選別し支持する事を怠った問題も忘れてはならないでしょう。

Img_1550 財政難は現実問題として、これも忘れてはならないのですが、財政の根本は税収であり、税収を支えるのは経済活動としての生産と社会的相互行為にあり、背景の流通と投資にあります。次の災害への防災がままならなければ、一種の棄民政策に繋がり、これは直接経済活動の停滞と国外流出に繋がります。敢えてこの道を選ぶ政府であれば政権から滑り落ちてもらわねばなりません。

Img_7374 少なくとも情報収集の面で限界があり首相自ら情報過疎に追い込まれ、隔靴掻痒の感から自ら対策本部を開けヘリコプターによる被災地視察を行った点は、偵察機や観測機の充実という施策で応えられるべき即座の課題でしたが放置されたままです。無論、首相官邸地下の危機管理室ではなく官邸上層階に対策本部を置いたため、自ら情報から遠ざかっていた印象もあるのですが。

Img_0534 こうしたなかで、政府による無理を通した動員による全体の救難救助計画への影響への事業評価、こうしたうえで、想定される最大規模の災害へ備える動員体制があってしかるべきではないでしょうか、なによりも動員能力と緊急展開能力の整備は自衛隊最大の任務である防衛出動においても発揮されるべき能力ですからね。

Img_6275 加えて、原子力災害派遣という想定外の重大任務へも派遣の可能性が生じた以上、大規模な災原子力災害への対処能力を整備するべきです。東海大に原発と百里基地、大飯原発に高浜原発と舞鶴基地、島根原発と美保基地、浜岡原発と静浜基地はそれぞれ30km圏内の関係にあり、玄海原発から30km圏内に佐世保市が入ります。必然として核汚染への対処能力は、防衛計画の大綱を改め堅固なものが必要です。

Img_0296 このように史上最大の災害派遣には多くの問題が存在したのですが、現時点だけでは自衛隊の活動と活躍を称賛する声こそあれ、問題点の洗い出しと規模や編成の強化を示唆する声は僅かです。次の災害は地球が生きている限り地殻はマントルとともに動き大震災は必ず生じます。それまでに、防衛計画の大綱を洗い直し、国民が経済活動にまい進できる体制を政府が構築出来るよう方法を官民一致で考えてゆくことが必要なのではないでしょうか。

北大路機関:はるな

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メリークリスマス2011 洋上のイルミネーション、海上自衛隊自衛艦夜景特集

2011-12-25 22:32:39 | 北大路機関特別企画

◆日常風景でもある艦船の光

本日はクリスマス。そこで本日は海上自衛隊の夜景特集。今年はルミナリエはじめ、陸上のイルミネーションは期間短縮が多かったのですが、それでも夜景は健在です。

Img_0693 夜景、京都の夜道はもちろん神戸、大阪、横浜、東京、名古屋と偉大ですが、こんな日常の夜景も。NHK坂の上の雲も本日大団円を迎えましたので、先代が活躍した日露戦争の巡洋艦ワリャーグに敬意を表し、舞鶴寄港のミサイル巡洋艦ワリャーグ、その夜景。護衛艦と共に電燈艦飾が行われずとも、艦船の常夜灯は仄かに夜闇を、しかししっかりと照らしてくれていました。

Img_3393 佐世保の夜景。本年は西方強化年間、として九州沖縄に注視する予定でしたが、東日本大震災により異なった、しかし急迫した日本の問題点と危機、というものを見せつけられました。しかし、佐世保に並ぶ艦艇の堂々とした姿は、最後の頼りに応えるちから強さを感じるようにも。特別の電燈艦飾でなくとも、こうした風景が日々広がっている。

Img_8848 神戸港の護衛艦きりしま。イージス艦はミサイル防衛の切り札。この一隻と共に大阪湾展示訓練が行われました。先んじて舞鶴展示訓練も実施され一般に公開、日常の維持というか、平時を維持してこその復興への一歩、ということでしょうか。併せて乗艦の観覧者へ練度の高さを見せつけました。こちらは電燈艦飾ですけれども、他の写真は、忘れられているようで、しかし日常として今も存在しているものです。

Img_7427_1 呉基地の黎明。今年は、毎年ならば舞鶴と横須賀に足を運ぶ機会が多いのですが、佐世保が一番、そして呉基地に足を運ぶことも続いて多かったです。洋上を往く姿とはまた違った一面が意外やら嬉しいやら、そんな印象です。これも日常ですが、日常は突如絶たれてしまうことも、それが今年。それならば、もちろんこうした写真だけでなくとも、大事にしてゆきたい、平凡でもかけがえのないもの、それが日常なのですよね。

北大路機関:はるな

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クリスマスツリー大空に描くブルーインパルス、入間・岐阜・新田原・那覇基地航空祭

2011-12-24 23:39:59 | 北大路機関特別企画

◆クリスマスツリー2011

 メリークリスマス!、本日は少しクリスマスらしい企画としました。まあ、小ネタになるのかもしれませんが。

Img_9019 ブルーインパルスの新しい飛行展示、クリスマスツリー。クリスマスは舟盛に温泉、という予定でしたがみんなで鍋に銭湯、と予定を若干変更し、先ほど終了、ハイボールとともにノートPCで北米防空司令部発表サンタクロース追尾を注意深く分析している中の記事です。

Img_0875 何の変哲もないブルーインパルスの新うぇあざですが撮るまでが大変だった。入間基地航空祭で行われることは分かっていたのだけれども、ブルーインパルスまで入間基地で撮影していては翌日の予定に差し支えるほど帰宅時間に影響するので、離れた西武線の駅で撮影、成りませんでした。

Img_6612 次の航空祭は岐阜基地航空祭だったのですけれども、岐阜基地航空祭は若干見通しが誤り、南側会場が縮小されていて、しかも曇天となってしまったのはご承知の通り。加えて飛行展示もブルーインパルスが午前中でメインの多機種による異機種大編隊が午後、撮影は難渋します。

Img_6052 その結果、ブルーインパルスの新技、クリスマスツリーは南側会場から撮影した結果、飛行展示はメインの北側会場での観覧を念頭に行われますから、写真のとおり真横から撮影するという、クリスマスツリーには見えない、という残念な結果になってしまったという運び。

Img_8190_1 捲土重来を期して臨んだのは新田原基地航空祭。同行の方の情報を鵜呑みにして確認を怠り、風邪をひき散々な航空祭と反省点は多かったのですが、写真だけは晴天という撮影条件の良さに助けられ、悪化する体調と共になんとか撮影本能、というような反射神経だけで撮影を続行できました。

Img_9596 満場の観衆に見せ付けるブルーインパルスの妙技。こうして、冒頭の写真を撮影できたわけですね。ブルーインパルスのクリスマスツリー。メイン会場に移動すれば逆光という撮影環境になったのですけれども、写真のとおり今年ならではの情景に仕上がったわけですね。

Img_2856 そして仕上げの那覇基地航空祭。椰子の木とブルーインパルスという写真を期したのだけれども、距離が滑走路上で飛行展示できないという制約上遠く、結果的にクリスマスツリーは展示されませんでした。とはいえ、新しい飛行展示を、こうやって長期間撮影しようと試行錯誤したのは、なかなか興味深かったですね。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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警鐘を超えて・・・東日本大震災からの反省と次への震災への備え

2011-12-23 23:11:04 | 北大路機関特別企画

◆自主防災には限度がある

 本日は天皇誕生日ですが、東日本大震災では政府の落ち度が目立ち、一方陛下の落ち着いた対応と真心に救われた印象。報道特集番組などでは東日本大震災に続く次の大規模災害への警鐘を鳴らすものが少しづつ増えています。

Img_0092 このあたり、非常に疑問なのですが、何故そうした報道で国や自治体の防災能力を高めるべき、という論調に持っていかず、あなたは生き残れるのか的な災害パニック映画のような論調に終始してしまうのでしょうか。警鐘を鳴らしてそれで終わり、というのでは非常に無責任に思えてなりません。

Img_0415 東日本大震災の津波被害を総括しますと、迅速な避難以外に打つ手なし、という究極の防災対策を示してくれましたが、結局のところ続いて生じる道路や山岳崩壊による地域孤立は、続く捜索救難活動などについて道路が復旧するまでの期間は洋上と空からの捜索救難活動、孤立地域からの救出と物資輸送に尽きると思うのですがどうでしょうか。

Img_0784 なるほど、警鐘される災害の規模は大きなものです。東海東南海南海地震が連続発生すれば京浜地区から九州太平洋岸にかけての広範囲が大津波に襲われます。首都直下地震では首都圏は交通途絶に火災被害と浸水被害が連動し、非常に重大な局面となるでしょう。しかし、個々人での防災には限度がある。

Img_9034 もちろん打つ手なしとは言えません。防災袋の常備もいいでしょう、しかし防災袋毎津波に襲われればどうなるか。消火器を一つ余分に準備し火災報知器の準備も必要でしょう、だが火災旋風を伴う大火災に太刀打ちできるのか。家族と落ち合う避難所を確認することは不可欠です、しかし避難所が完全に孤立してしまった場合何日間生き延びれるのか。

Img_0608 地域防災を目指しても、自治体は静岡県などは独自の防災船を準備していますが稼働率には限度があります。防災ヘリコプターを準備する自治体は多いですが、防災ヘリコプターが展開し整備し稼働する拠点の機動展開能力等皆無で無事な空港を探さねばなりません。消防や機動隊には野外自活能力がほとんどなく東京消防庁全体での野外自活能力は陸上自衛隊の一個普通科連隊の本部管理中隊を下回ります。

Img_4806 それに防災ヘリコプターは夜間飛行、特に全天候飛行能力があるものが限られますし、民間土木会社の建設能力はいったん稼働すればものすごいものがあるのですけれども、インフラが破壊され基盤が破綻している状況では着手するまでにどうしても時間を要します。すると、選択肢は自己完結能力を備えた軍事機構である自衛隊、ということにならないのでしょうか。

Img_33_68 不足するものは大きく、もっと展開能力や空中機動能力の増強を考えるべきだった、と言いうことは既に幾度か記載しているのですが、それにしてもこの財政難の状況において実現するには政治決断とその背景の国民理解がどうしても必要になります。もちろん、何かほかに防災の決め手があるのならば、そちらを推してくれてもいいのですが。

Img_6918_1 問題が明確であるにもかかわらず、対処法が出てこないというのは日本の病巣なのかもしれません。例えば情報収集と統制能力、地震発生では首相が情報を接することが出来ず、危急存亡のときにもかかわらず自ら対策本部を空き部屋にしてまで自ら状況視察に向かっています。

Img_6663_1 本来ならば、首相さえも必要な情報を十分に得られないならば、航空偵察能力を近代化し、陸上からの監視能力の強化をも実施、同時に情報共有能力の強化を図り、同時に広域の情報管理と伝送能力を強化する、という選択肢が取られるべきなのでしょうけれども、そうした判断は為されていません。

Img_2071 もちろん、自衛隊は災害救助組織ではなく、そしてそうではないからこそ能力を発揮できる、軍隊という自己完結型の組織と、軍事行動という最大の補給を必要とする任務にあたる組織だからこそ許容されている能力を発揮できている、というところを説明しなければなりません。

Img_0718 例えば海上保安庁のヘリコプター巡視船と護衛艦の航空機運用力には一見類似点があるように見えますが、情報収集能力と管理能力、共有能力と支援能力で、艦船のセンサーの一部として発展した哨戒ヘリコプターと艦船に搭載されている救難ヘリコプターとは違う部分があります。

Img_0024 究極的には防災へ警鐘を鳴らす行為は、被害を局限化することにあるのでしょう。それならば、自主防災能力をはるかに超える巨大災害へは、どういう被害が出るのか、ということではなく如何にして被害を最小限とするか、そうした視点にこそ重点を置くべきだ、そう考えます。

Img_2242 もちろん、マスコミの中には自衛隊の増強に対しを異を唱えている面もあることは認識しています。だからこそ、防災に自衛隊が中枢として挙げられることに難色を示す方もいるのでしょう。スイスの民間防衛隊のような組織を立ち上げ国民負担を促す形でもいいですが、とにかく対策を立てる必要は大ありでしょう。

Img_1263 ただ、民間防衛としても民間規模で何十億もする全天候ヘリコプターを揃え、輸送艦を整備することは出来ませんし、国民負担ということで民間の参加、労働力を供してもらう、ということも現在の日本の社会構造ではできるのか、という問題にもなるでしょう。一億総防災要員、という可能性は、まあ、マスコミの方に検討していただいてもいいのですがね。

Img_8274 みんな逃げるんだ!、来年になれば春は来るだろう、しかし夏は分からんぞ、そしてその次はもっとわからない、これは日本沈没で小野寺さんの台詞として叫ばれていました。せめて脅すだけ脅すのではなく、都市から離れるべき、とかそういう選択肢を提示するくらいしてもらわなければ、余りにも無責任といわざるを得ません。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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F-15戦闘機那覇空港滑走路逸脱事案、管制官の判断ミスが原因?

2011-12-22 21:18:07 | 防衛・安全保障

◆一機は離陸、逸脱機もAB点火中に中止命令

 F-15戦闘機那覇空港滑走路逸脱事案について、管制官のミスがあるのではないか、という視点です。これは既に報道されているのでしょうか。

Img_9026 事実関係を最初に整理します。12月19日1230頃、那覇基地より対領空侵犯措置へ向け緊急発進するF-15が管制官の指示を受けて離陸を中止した際に滑走路わきの緑地帯に逸脱し、滑走路は一時間半にわたり閉鎖され民間旅客機35機が欠航となったほか、二機が米空軍嘉手納基地へ着陸し待機するという事案でした。この要因は那覇空港事務所によれば着陸しようとしていた民間機との安全距離を保つために離陸中止を命令し、その結果滑走路を逸脱したとのことです。報道では、これも当然ではあるのですが管制官に要員があるとも操縦士に要因があるとも言及していませんでした。

Img_9040 しかし、この緊急発進の様子は滑走路エンド付近から民間の方に動画として撮影されており、この様子がテレビにも報道されていました。緊急発進は二機の航空機により行われますが、映像を見る限り一機目は既に離陸しており、滑走路を逸脱した二機目もアフターバーナー(AB)を吹かし離陸途中であり、ここで急制動を掛けたところで逸脱、という様子です。航空祭や基地の日常などで緊急発進展示や緊急発進をご覧になった方はご理解頂けるでしょうが、F-15はアフターバーナーを焚いた場合比較的短距離で離陸しますので、離陸中止を完成案が命じた時点で中止は難しかった可能性があります。

Img_9047 ここで疑問なのは那覇空港事務所が見解として出している”民間機との距離を保つため離陸中止を命令”、というものなのですが、対領空侵犯措置に緊急発進する戦闘機よりも、やはり民間機は優先されるものなのでしょうか、危険性を避ける観点からは上空待機を命じるべきだと思うのですが。特に一機が離陸し更に一機が滑走中、この時点で割り込ませるように二機の間に旅客機を着陸させるという航空管制そのものに無理があるようにも考えてしまうのです。一方で、航空管制官の権限は飛行場においては大きく、これを戦闘機が一方的に自らの判断を優先するということはできません。

Img_9227 F-15が緊急発進する、という動作は航空管制官も確認していることであり、管制塔からは誘導路を離陸に向かう二機の戦闘機の姿は確認できるのですし、離陸した一機についても管制官の許可があって初めて離陸したのであり、勿論逸脱した戦闘機についても管制官の許可があったのだからABを点火し緊急発進に臨んだのです。どう考えても判断ミスがあったのはどちらかは明白で、このあたり、航空管制官には着陸航空機と離陸航空機の相関関係を当然のことですが配慮して航空管制を行ってほしいところです。航空管制官は空を往く全ての人命を司る重責があるのですから、判断ミスは困ります。

Img_9104 それにしても、不幸中の幸いでした。万一戦闘機ではなく離陸直前の速度に或る旅客機に同様の命令を発して、緊急停止していたならば、これは重大な事故につながった可能性があります。また、擱座機救難の訓練を行っており、これに関連する機材を準備している航空自衛隊だからこそ一時間半での滑走路復旧となりましたが、これが那覇空港に多くが発着するワイドボディの大型旅客機であれば、重量が大きいわけですし、乗客を緊急だ出させなければなりません。復旧まで下手をすれば一日程度滑走路が完全封鎖となてしまうところでした。

Img_9194 他方、結果的に滑走路は閉鎖されましたので、もちろん有事の際であれば安全確認よりも作戦稼働率を重視しますので同様の事態が発生した場合でも運用可能な滑走路部分を利用して発着を続けるのでしょうが、やはり過密空港である那覇空港に滑走路が一本であり、ここを航空自衛隊、海上自衛隊と共に民間旅客機と、そして海上保安庁も滑走路を共有している、というところには少なくない脆弱性があるようにも見て取れます。このあたり、もちろん有事の際には米軍の普天間基地や嘉手納基地へ分散展開するという選択肢もあるのでしょうが、那覇空港の拡張の必要性も垣間見えるようですね。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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