北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ありがとう! おかげさまでWEBLOG北大路機関創設二周年

2007-07-31 22:24:58 | 北大路機関 広報

■二周年記念特別企画:北大路砲焔祭

 7月31日、WEBLOG北大路機関は創設二周年を迎えました。おかげさまで昨年末より開始したアクセス解析は、145000を越え、より零細時間の有効活用(ひまつぶし)に最適なブログを目指し、今後も努力していきます。

Img_2507  二周年記念特別企画は、砲焔特集である。訓練展示で放たれる空包の迫力を写真で伝えるには、砲焔の写真に限る。今年度は、駐屯地祭において砲焔撮影に恵まれた。特に念願であった、74式戦車の空包発射を、砲焔とともに、大久保、大津にて撮影に成功したのは、個人的に望外の喜びであった。

Img_6751_1  昨年度、富士総合火力演習において、90式戦車の主砲同時発射を撮影した。スコラの“JGSDF写真集”によれば、砲焔が出ているのは、2000分の1秒とのことで、実質もう少し出ているのではないかと思うものの、小生愛用のCANON EOS Kiss Digital Nの秒間3コマは無論、聞くところでは秒間5コマの30Dカメラでも撮影は困難とのこと。

Img_2431  FH-70榴弾砲。大久保での訓練展示に際して撮影した。牽引式榴弾砲に関しては射撃までの動作を見ることが出来、撮影のタイミングを掴みやすいが、実質、5~6秒間、シャッターを押しっ放しにして、射撃まで連写で機会を窺う。フィルム式カメラでは中々出来ない撮影方法だ。

Img_1436  大津駐屯地祭での様子。74式戦車砲焔撮影初成功の瞬間である。砲焔が閃光を放つ瞬間、シャッターが閉じていれば写る可能性があるが、フレーム越に閃光が見えれば、残念ながら撮影に失敗しているということになる。なお、戦車は砲手の動作が見えないため、撮影にはエアバンドで無線を拾うのが望ましいといわれるが、小生はエアバンド無しでも連写で対応できた。

Img_1489_1  少し消えかけであるが、大津駐屯地祭で撮影。かつて、1/20や1/30で定点撮影した方が良好であるとしたが、フィルターなどを用いない限り露光過剰になって砲焔が消えてしまうし、フィルターを使えば通常の撮影に支障を来す。結果、1/300~1/500で連写するのが、経験上有効である。

Img_0386_3  砲焔の撮影に初成功したのは、一眼デジカメ導入直後の2005年度富士総合火力演習である。あれから砲焔撮影に成功したのは、一枚上の大津で撮影したFH-70のようなものを含めれば撮影に成功したのは、19枚。今後も技量を向上させ、砲焔の写真をお伝えできれば、と思う次第だ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載が厳に禁じる)

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海上自衛隊舞鶴地方総監部 舞鶴展示訓練 参加艦艇

2007-07-30 21:44:08 | 海上自衛隊 催事

■日本海のまもり

 28日、29日と、若狭湾において行われた海上自衛隊舞鶴展示訓練であるが、撮影した写真は膨大な数にのぼる。本日は特に展示訓練に参加した艦艇を紹介したい。

Img_6450_1  ヘリコプター護衛艦“はるな”。第三護衛隊群旗艦を務める。満載排水量6800㌧。全長153㍍、蒸気タービン二基を搭載し出力は70000馬力。背負い式に搭載した二門の5インチ砲と、三機の哨戒ヘリコプターを運用する長大な飛行甲板や格納庫が特徴。

Img_6435  敬礼に応える舞鶴地方総監、加藤海将。乗艦しているのは第三護衛隊群第63護衛隊の“みょうこう”。舞鶴地方隊には護衛艦、掃海艇、輸送艦など29隻、総トン数にして14000㌧の艦船と、これを支える約2000名の隊員が日々任務にあたっている。

Img_6298_1  旗艦“はるな”艦上より、第三護衛隊群の鍛冶司令が、舞鶴地方総監へ敬礼する。舞鶴を母港とする護衛艦隊の艦は6隻、総トン数は42000㌧に達する。第三護衛隊群には、この他、大湊基地に護衛艦三隻から成る第七護衛隊が編成に組まれている。

Img_6403  DE232“せんだい”。出港できない“あまぎり”(小生乗艦予定)に代わり急遽佐世保から駆けつけた佐世保地方隊の護衛艦。その後方には、ミサイル艇“はやぶさ”“わかたか”、そして掃海艇の“とびしま”“ながしま”が続く。地方隊の編成を印象付ける写真だ。

Img_6425  前から護衛艦“みねゆき”、ミサイル護衛艦“みょうこう”、護衛艦“あぶくま”。“みねゆき”は、満載排水量4000㌧、整備中の同型艦“はまゆき”、2900㌧の“あぶくま”とともに舞鶴地方隊第24護衛隊を編成する。

Img_6743 二隻の“あぶくま”型と“みねゆき”、そしてミサイル艇が続く。ちなみに“あぶくま”は、観艦式でお世話になった艦である。今年度末の組織改編で、地方隊の護衛艦は護衛艦隊へ配置が換わるため、“あぶくま”型も護衛艦隊隷下の護衛隊として改編される予定だ。

Img_6475  横須賀から参加した第二潜水隊群の潜水艦“わかしお”。浮上する瞬間を撮影した。本艦は“はるしお”型潜水艦の一隻で、水中排水量3200㌧、533㍉魚雷発射管六門を有する。ハープーンミサイルや曳航式ソーナーTASSを装備している。

Img_6350_1  海上保安庁より参加した巡視船“ほたか”。能登半島沖不審船事案の教訓から導入された高性能船で、性能の詳細は公開されていないが、速力は40ノット以上、一説には50ノット以上と書かれたものも多い。ダメージコントロールなどにも留意されており、展示訓練では素晴しい機動性能を展示した。

Img_6657  警戒船として参加した舞鶴地方隊の輸送艦“のと”。“ゆら”型の二番艦で、現在、海上自衛隊には輸送艦は満載排水量14000㌧の“おおすみ”型三隻と、710㌧の“ゆら”型2隻だけであるが、本型のような従来型輸送艦への需要は災害派遣などを中心に依然として高く、再整備を計画中と伝えられる。

Img_6768_2  満載排水量9500㌧の“みょうこう”が展示訓練を終えて舞鶴へ戻る。その向こうには10000㌧の“あたご”が望見できる。充実した内容の展示訓練であったが、残念ながら“あたご”は参加しなかった。また、“すずなみ”“ましゅう”は、別の任務に参加している為、展示訓練には姿を見せなかったのが、少し残念であった。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海上自衛隊舞鶴地方総監部 舞鶴展示訓練 夜間電飾

2007-07-29 00:53:58 | 海上自衛隊 催事

■艦隊夜間電飾

 自衛艦隊集合訓練、観艦式に引き続き、夜間電飾撮影に展開した。護衛艦のイルミネーションは、戦闘艦としての普段の姿からは想像できないほど、荘厳で優美という言葉が相応しい。

Img_6196  舞鶴展示訓練終了後、参加艦艇による夜間電飾が行われ、合流したKM氏とともに前島埠頭から撮影した写真を掲載したい。前島埠頭はフェリーターミナルとして用いられており、舞鶴基地の艦艇桟橋を望見できる場所として有名である。

Img_6186  第三護衛隊群旗艦、ヘリコプター護衛艦“はるな”と、後方に並ぶのは舞鶴地方隊の護衛艦。また、展示訓練に参加するべく展開した潜水艦が、“あぶくま”型護衛艦の隣に停泊しているのが確認できる。長時間露光では、船体の動揺から生じるブレの可能性があり、撮影シャッター速度には特に気を使う。

Img_6189  イージス護衛艦“みょうこう”。第三護衛隊群第63護衛隊の所属艦であるが、展示訓練では、舞鶴地方総監が座乗した。角ばった船体フォルムが電飾により際立たされている。後述する“あたご”とともに、強力な防空能力を付与している。

Img_6221  夜間電飾をしているわけでは無いが、イージス護衛艦“あたご”の長時間露光撮影を実施。シャッターの開いている時間を出来るだけ長くし、多くの失敗と共に一枚、それらしい写真を選出して掲載している。よくみると、177という艦番号も辛うじて読み取ることが出来る。

Img_6167_1  遠く山頂に輝く光点は、五老タワー。

 前島埠頭では、KM氏とともに撮影を行っていたが、トラックバックを頂いているブログの方とも偶然お会いすることが出来た。その後、自動車に便乗させていただき、お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海上自衛隊舞鶴地方総監部 舞鶴展示訓練7月28日 速報

2007-07-28 23:13:40 | 海上自衛隊 催事

■日本海のまもり

 本日、海上自衛隊舞鶴地方総監部により行われた舞鶴展示訓練の様子を見学した。今回は、その様子を速報というかたちで掲載したい。

Img_5830  舞鶴展示訓練は、舞鶴地方総監である加藤耕司海将を訓練指揮官として行われる後悔訓練で、体験航海と訓練展示を併せた行事である。沿岸警備にあたる地方隊は、舞鶴の他、横須賀、呉、佐世保、大湊にもそれぞれおかれている。

Img_5922  展示訓練参加艦艇は、艦艇12隻、航空機7機により行われ、舞鶴地方隊、第三護衛隊群に加え、佐世保地方隊や海上保安庁からも艦艇が参加、航空機も、舞鶴の他、厚木、小松より哨戒機、戦闘機が参加し、祝賀飛行、機動飛行の展示を行った。

Img_5739  最新鋭護衛艦“あたご”は、今回、別の訓練にあたるということで展示訓練には参加せず、この他、新潟中越沖地震に伴う災害派遣などで、参加艦艇に変更があったようで、予定されていた“あまぎり”“のと”は、別の艦により代行というかたちを採っていた。詳報は後日、本日はとりあえず速報ということでお伝えした。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海上自衛隊舞鶴基地 舞鶴地方隊展示訓練に備える艦艇

2007-07-27 21:10:22 | 海上自衛隊 催事

■最新鋭護衛艦あたご撮影

 本日、週末に行われる舞鶴展示訓練を見学するべく、参院選の期日前投票を終わらせ、山陰線で長躯舞鶴へ展開した。山陰線の運転本数は少なく、早朝展開では京都市内からでも0830時東舞鶴到達は難しい為である。

Img_5660_1  最新鋭ミサイル護衛艦“あたご”の雄姿。いきなり舞鶴に到着して海岸を散歩していると海上自衛隊最強の護衛艦が出現である。本艦は今年就役したばかりの文字通り最新鋭艦であり、二番艦“あしがら”が公試を開始したと報じられている。

Img_5609 撮影位置を変更してもう一枚(実はこの写真の方が先に撮られたもの)。後部にヘリコプター格納庫を収めている為、従来29セルであった艦橋前部のVLSを大型化した。これにより、上部構造物が船体の中央に置かれることとなり、外見上はすっきりとしたようにみえる。

Img_5611  イージスシステムを搭載したミサイル護衛艦“みょうこう”。言わずと知れた“こんごう”型ミサイル護衛艦の三番艦で、“みょうこう”“あたご”とともに第63護衛隊を編成している。イージス艦二隻を有する第63護衛隊は、目下海上自衛隊最強の護衛隊といっても過言ではない。

Img_5639  第三護衛隊群旗艦“はるな”。1973年に就役した艦で、今日の海上自衛隊にあって最古参の護衛艦である。しかし、その艦歴は第一回リムパック派遣や、記憶に新しい事例では、日本海工作船侵入事案対処など、常に海上自衛隊の第一線にあり、栄光そのものといえる。

Img_5587_2  “はるな”“みょうこう”。この他、護衛艦やミサイル艇、潜水艦、更に各種支援船などが停泊していた。後方に望見出来る山頂の建築物は五老タワー。時間が時間だけに逆光状態での撮影となったのは唯一残念であった。

Img_5663_1  明日、明後日は舞鶴地方隊展示訓練。艦隊行動など、ポスターによれば、護衛艦五隻他、計十二隻が参加するという。体験航海には引換券が必要である。ただ、引換券が無くとも過去の経験上複数の艦艇による出港入港の様子を見るだけでもかなり壮観である。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都祇園祭 ドキュメント山鉾解体 来年の祇園祭まで

2007-07-26 20:20:36 | 写真

■山鉾解体

 京都祇園祭特集、山鉾巡行と宵山の詳報に先んじてお伝えするのが、今回の山鉾解体である。小生も稀に勇壮な山鉾巡行の様子をテレビで見て急いで駆けつけたが、山鉾はどこ?という質問を受けることがある。

Img_5255  山鉾巡行や宵山に用いられる32基の山鉾は、地元の保存会の手により祇園祭の期間を除き、解体され、保存されている。犬山の山鉾なんかはそのまま格納庫に収納されているようだが、祇園祭の山鉾は解体される、これは特に面積などの限界から起因するものであろう。

Img_5263  宵山の際にカメラを手に歩いていると、立体駐車場などで、“祇園祭の山鉾が置かれている期間は営業を休止します”と書かれた説明をよく見かける。動く美術館と称されるこの山鉾、保守管理などの観点からも、あまり長い期間、路上に置かれているのは望ましくない。

Img_5189_1  しかしながら繰り返すように、最も高いもので高さ25㍍前後、重量は12㌧にも達するこの山鉾を解体するのも一仕事である。人のいる高さでも8㍍、40~50名も乗っているのだ。

Img_5214_1  祇園囃子を奏でる楽器、これを下ろすことから山鉾の解体は始まる。同時に、長い山鉾巡行の時間に必要な糧秣飲料水の廃棄物を山鉾からも下ろさねばならない。なお、曳き手には学生の有志による参加があるが、特殊な技術を必要とする解体となれば、話は別である。

Img_5212_1 特殊な技能が必要とされる解体作業は、地元の山鉾保存会の手により行われる。これも40~50名の力を合わせて行う作業である。写真は、ゴミ出しの様子。

Img_5249  山鉾に向かうトラック。

 5インチロケット砲のようなものは、解体に必要な足場や梃子として用いる角材である。また、車輪などは一部別の保管場所に置かれることもあり、規制道路の中を縫うように各種車輌が集結を始める。

Img_5257_1  まずは車輪を外す。こればかりはクレーンを使うわけには絶対いかないので、人力である。しかし、中々持ち上がらないと、角材にぶら下がったりする様子も各所で見られる。掛け声とともに山鉾が持ち上がる様子に、周囲からは拍手が送られることもある。

Img_5265_1  写真は全部で四。持ち上げる班と車輪を外す班が必要となり、双方共に気の緩みが大事故を起こす危険がある。また、見学者が周りに居るということもあり、不測の事故を避ける為に、見学者や作業を行う保存会の人たちとの阿吽の呼吸が形成されてゆく。

Img_5234_1  取り外された車輪。見ての通り身の丈よりも大きなものだ。こうして山鉾は台座の上に置かれる。ここまでの工程も、やはり工具の類は用いず、人力に頼る。

Img_5232_1  当然ゴムタイヤなどではなく、木製のものである。更に当たり前ながらサスペンションもついていない。他方、曳く速度が遅いので乗り心地は悪くないとか。

Img_5268_1  山鉾解体に使用されるクレーン車が到着した。主に車輪などを格納するもので、取り外した車輪がどこに保管されるかは、浅学ながら不明である。

Img_5275  車輪を吊り上げた瞬間。やはり重いのだろう。特にクレーンを大きく旋回するわけにも行かず、狭い路地である為に慎重な作業が求められる訳だ。

Img_5231_1  トラックに車載された状態ではやや小さく見える角材もこうしてみると大きい、そして恐らく重量も相当なものだろう。こうして車輪を外し、周りを囲む構造物を分解していき、最後には骨組みを組み接がして山鉾は解体されるのである。

Img_5243_1  これは大切なものなので絶対に落とさないように、保存会の人が青年に声を掛ける。動く美術館といわれる山鉾は、全てにおいて間違いは許されないものである。そして伝統として再び来年、疾病退散を期して、祇園祭に姿を現すのだろう。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都祇園祭 宵山・山鉾巡行・神幸祭警備に活躍する京都府警

2007-07-25 23:24:14 | 写真

■京都のまもり

 一ヶ月間にわたる祇園祭。この他、観光客が年間5000万にも達するという国際観光都市であり、同時に100万都市として京阪神経済圏の一翼を担う大都市でもある。

Img_5115_1  祇園祭宵山を訪れた観光客は、一日で36万人。しかもラッシュ時と重なる時間帯であり、山鉾巡行も朝のラッシュ時と重なる。こうした時間帯に京都市中心部に大規模な交通規制をひき、且つ都市機能を維持することは並ならぬ苦労を伴う。

Img_5040_1  写真は宵山。後ろの標識から、ここが四条通であることがわかる。警察官が誘導を行うのは堀川通、いよいよ宵山の交通規制が開始されるときである。京都府警には26の警察署と、約6000名の警察官が日々職務に就いているが、特に京都市は前述した特性から、より高い能力を責務が重なっている。

Img_5036_1  写真は二条城に待機する機動隊車輌。二条城から、宵山の交通規制区間までは車輌では五分と掛からない。2300時の交通規制解除時などに、必要に応じて応援に展開する。ここいがいにも幾つかの場所に車輌が待機している。

Img_5064_1  長刀鉾前に立つ。長刀鉾は、山鉾巡行の先頭をいくということもあり、知名度が高く、また月鉾に次いで高く、その勇壮な姿を見ようと多くの観光客が詰め掛ける。特に、月鉾など、山鉾の多くは、四条烏丸の西側にあるため分散するが、四条烏丸の東側にある数少ない山鉾である長刀鉾には、それだけ人が集中するのである。

Img_5067_1  阪急河原町駅のあたりから、四条烏丸を望む。ご覧のように車線ごとに上り線下り線が分けられている。ここを西へ前進すると長刀鉾に至る。寺町や新京極に面しており、何よりも京阪線や阪急河原町駅を利用する人が集まる。この写真撮影後、急病人が出たが、警察官の誘導ととともに救急隊員が駆けつけた。貧血で大事は無かったようである。

Img_5164  山鉾巡行当日。自動車が見えるが実は、四条通と交差する烏丸通は車輌通行が可能である。この為、信号と共に巨大な山鉾と自動車をさばかねばならない。絶対に事故が起きないという前提であり、課せられた期待と共に交通誘導に声を枯らす。

Img_5134_1  12㌧もの山鉾が置かれ、それが曳かれ動くとなると、狭い通りでは当然車輌通行禁止となる。山鉾よりも自動車の方が後から来た新参者であるので当然といえば当然だが、迷った自動車を的確に誘導する必要があり、警察官には複雑な通りの交通規制を把握しておくことが求められる。

Img_5244_1  山鉾巡行後の様子。山鉾の解体が始まり、同時に四条通の交通規制解除の時間が迫る。撮影位置は阪急烏丸駅の地上、向こうでは菊水鉾がみえる。

Img_5248  道を尋ねられた様子。国際観光都市ならではの光景であるが、英語以外に様々な言語で道を聞かれる場合がある。片言英語とジェスチャーで的確に答えねばならない。内容は、京都駅に行くにはどうしたらいいかという質問だったようだ。

Img_5283  神幸祭の様子。山鉾巡行と同じ日に行われる。写真には四条東大路の奥に八坂神社がみえる。神幸祭は、三つの神輿がそれぞれの町を通り、先日掲載した四条寺町の御旅所に向かう為、木目細かな誘導などが必要になる。また、自動車を利用しての遠方からの観光客は地理に疎く、わかりやすい説明が求められる。

Img_5333_1  100万都市京都では、祇園祭、葵祭、時代祭の他、様々な祭事があり、京都御所と迎賓館に訪れる国賓来京に際しての警備、そしてテロ対策、交通安全から防犯と多くの果たすべき役割が多く、24時間“頼りがいのある警察”()を目指し、職務にあたっている。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都祇園祭 神幸祭から還幸祭まで祀られる御旅所の神輿

2007-07-24 14:04:18 | 写真

■四条寺町

 神幸祭()の記事は既報だが、本日は、神幸祭から還幸祭まで、神輿が祀られる四条寺町の御旅所の様子を掲載したい。なお、本日夕刻より還幸祭が行われる為、興味をもたれた方は足を運ばれてみてはどうだろうか。

Img_5366  寺町界隈の賑わいは、“寺町 古都京都の電気街”()や“錦小路 京都の伝統を伝える味覚の小路()”として既報であるが、京都中心部を縦貫する四条通と、新京極に並行する寺町通が十字に交わる位置にある。

Img_5349_1  下京区四条通寺町東上ルに所在する御旅所は、祇園祭の機関以外は土産物店として活用されており、この土産物店に行かれたなら、壁に山鉾巡行の素晴しい写真が飾られていることに気づくであろう。山鉾が重なった理想的な写真は、一度小生もカメラに収めたいものである。

Img_5353_1  本日夕刻から行われる還幸祭は、八坂神社より神霊とともに納められたこの神輿を、再び八坂神社へ戻すという行事であり、清涼で勇壮な白い法被姿の担ぎ手が、三つの神輿をそれぞれの町内を経て八坂神社へ至るという行事である。

Img_5358  ちなみに、この御旅所を出るのは1700時頃、八坂神社へは2200時頃から順次到着するというもので、疫病祓を期した祇園祭の神輿を見るだけでも、何かご利益がありそうな祭事である。三条通、大宮通、寺町通を行く神輿は、普段の繁華街に一段を活気を与える。

Img_5360  八坂神社に到着した神輿は舞殿を参周し、最後に舞殿に上げられる。この神輿は28日の夜に清流鴨川の水で清められ、JR京都駅などは、祇園祭の提灯を既に仕舞っているようだが、31日に祇園祭は幕を閉じる。 ちなみに本日の京都は快晴をそのまま空に描いたような青空である。

Img_5363 さてさて、祇園祭、葵祭、時代祭を京都三大祭というが、八月十六日には五山送り火が行われる。詳しくは昨年の記事()を参照していただくとして、これを加えて京都四大祭という場合もある。もしよろしければ、こちらも足を運ばれてみては如何だろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪急電鉄祇園祭超特急 祭事を祝うヘッドマークの特急

2007-07-23 20:42:04 | コラム

■祇園祭山鉾巡行を深く静かに潜行せよ

 本日は祇園祭の際に撮影した列車の数々である。祇園祭超特急と題したが、メインは通勤特急。最後の方には急行とか準急とかも写っている。

Img_5149_1  山鉾巡行は0900時から1330まで、京都の四条烏丸より出発し河原町通を通り御池どおりに至る。

 この四条通は、その下を阪急京都線が走り、また烏丸通の下は地下鉄烏丸線と、乗り入れている近鉄電車が走っている。

Img_5144_1  そもそも、山鉾巡行の行われる時間は0900~1330時までであるが、この日は平日。頑張って時間を捻出しても0930~1300時は山鉾巡行の見学は出来ない。しかも、交通規制により市営バス網は大きくダイヤを変更している為、地下を走る鉄道網を駆使し、移動することとした。

Img_5146_1  移動する際に鉄道車両を利用するので当然撮影する。写真は阪急9300系電車。クロスシート方式の片側三扉車である。特急ではいきなり桂駅まで行ってしまうので撮影のみとした。運転本数が多く、車内の座席に余裕があるのが嬉しい。

Img_5148_1  そこに、6300系電車の通勤特急がホームへ滑り込んでくる。冒頭に挙げた写真と同じ列車である。1975年より導入が開始された車輌で、1976年にはその年に最も人気のあった車両に贈られる鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞している。

Img_5151_1  片側二扉の特急用車輌で、70年代の車輌ということもあり老朽化が指摘されているが、9300系により置き換わるのだろうか、もしくは新型が導入されるのだろうか、河原町~梅田間の所要時間では京都~大阪間のJR新快速に対抗出来ない為、停車駅を増加させ対応している。このため、片側二扉車輌の今後の動向は気になる。

Img_5152_1_1  貫通扉の部分に“祇園祭”のヘッドマークを取り付けている。ところで、名鉄7000形や5700形急行車両は、片側二扉ながら車体の端ではなく、やや中ほどに間隔を開けて二扉を配置している。6300系は、確かに梅田駅から乗車し、満員時中央部分の乗客は乗り降りが大変そうにもみえる。

Img_5167  祇園祭での阪急電鉄の旅客需要増加について詳細な情報は手元に無いが、山鉾巡行や宵山の会場へは、京阪電鉄やJRよりも便利であるといえる。

Img_5160_1  そうこうしている内に、6300系は終点河原町駅へ向け発車し、小生も乗る予定であった準急が到着した。ちなみに写真から見て判るように、山鉾巡行であるといっても、その真下を走る特別混雑しているわけではないということがわかる。次回は、もし一日中撮影出来るならば、烏丸~河原町間は徒歩ではなく阪急で移動したい。

Img_5162_1  1245時、再び山鉾巡行を撮影するべくバスで展開するか、鉄道を利用するかを考えていた。有効な手段は会場から離れた駅までバスで移動し、烏丸御池駅に進出することである。阪急と地下鉄を乗り継ぐか、小生は地下鉄のみでの利用を決意した。

Img_5165_1  こうして、烏丸線で、乗り入れている近鉄3200系、急行奈良行きへ乗り込んだ。写真は烏丸御池駅。山鉾巡行を観覧し、京都駅でJRに乗り換え、もしくは近鉄電車で帰路につく人たちで溢れていた。小生は、この様子を撮影して後、山鉾巡行を撮影するべく地上へ向かった。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名古屋鉄道 新ダイヤ施行後の名古屋本線通勤旅客輸送体系

2007-07-22 17:56:11 | コラム

■2007年7月1日 ダイヤ改正

 名古屋鉄道ではダイヤ改正で幾つかの変化があった、こうした情報を名古屋在住の友人S氏より受け、小生は丁度あった愛知展開の所用を機会とし、岐阜で名鉄に乗り換えた。

Img_5380  名鉄3200形通勤電車。VVVFインバータ制御や電気指令式ブレーキを搭載し加速減速性能を向上させた3500形の改良型。シングルアーム式パンタグラフを装備し、四両編成の3500形に対し、二両編成の3200形と、四両編成の3700形電車というファミリーで、各線の輸送に活躍している。

Img_5409  5700形電車。5500形(全車用途廃止)と7000形の後継と補完を目的として1986年より導入が進められた。セミクロスシート型急行車両で、運転席横の前面ガラスが大きく開かれており、展望車に準じる前面展望を客席に提供している。7000形の台車を用いた5300形については、2009年までに全車用途廃止となる見込みだ。

Img_5407  2004年から導入された3150形電車。片側三扉車で、車体の中央部分がロングシート、前後の端がクロスシートとなっている。二両編成の3150形、とともに四両編成の3300形も導入が進められている。3500形、3700形、3200形とも連結が可能である。

Img_5379  ところで、冒頭に掲げた写真。行き先表示板をみてふと違和感を覚えた。急行や快速急行は青色の表示であるが、赤っぽい色がみえる。小生は単純に、旧快速急行(ラッシュ時にロングシートの3500形を用いて特急停車駅と同じ駅に停車した)のオレンジ表示に戻されたものと思った。

Img_5382_1  しかし、よく見てみると、特急岐阜行き、車体番号は3200形であることを示す3222。これはどういうことであろうか、まれに行き先表示板を間違えて運行することもあるが、運転指令所から無線で指摘され、数駅と進まないうちに正しい表示となるはずである。

Img_5394  そして今度は快速特急。ここでようやく全てを理解した。写真をよくみると、編成の後ろの方には2200形が連結されている。つまり、特急増結用にロングシート方式の3200形が用いられているのである。ダイヤ改正で代わった点とは、このことであったか(中部国際空港開港直後にも暫定的に行われていたようだが)。

Img_5423  空港特急2000形、μスカイがこちらに向かってくる。全車特別車の特急で、中部国際空港と名鉄主要駅を結ぶ車輌だ。個人的には7000形を近代化した車輌や、南海電鉄のラピート、京成電鉄のスカイライナーのようなシャープな車輌を期待していた。

Img_5421  1999年より、7000形特急車の後継として導入され、8800形特急電車の用途廃止後も置き換わるように活躍する車輌である。なんとなく、1200形電車に貫通扉をつけたような前面である。ちなみに、名鉄車輌として最初に御手洗を洋式にした車輌とのこと。

Img_5425  1000形特急電車。四両の全車特別車編成。一時代を築いた名鉄の主力特急である。どうでもいいが一部車輌では、扉が閉まるときにアスラン(石田彰)の声が聞こえる、とか。一部特別車編成は維持されるが、全車特別車編成の1000形は2009年度までに全廃されるとのことで、7000形電車とともに、名鉄から展望車が消える日も近いということか。

HARUNA

(本ブログに掲載された写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする