北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【映画講評】アルキメデスの大戦(2019)【1】戦艦大和,大艦巨砲主義時代の虚構と現実

2019-07-31 20:09:20 | 映画
■大和型戦艦と第二次世界大戦
 令和初の終戦記念日が近い今日この頃にまた戦争を振り返る様々な特集がメディアにて組まれる昨今、今回は戦艦大和に関する映画、ネタバレなしで予備知識の話題を。

 戦艦は航空機に勝てない、という定説と云いますか俗説といいますか。“アルキメデスの大戦”という漫画原作の映画作品が公開されました、原作未読故に少々恐縮なのですけれども、大和型戦艦に否定的な映画という。具体的には大艦巨砲主義そものもに対しての懐疑的な内容と伝え聞くのですが、少々誤解を招く内容への危惧の印象が無いでもありません。

 CMの影響というものでしょうか、映画の宣伝では戦艦大和に反対する内容が強調されていましたので、こうした点について少し。付け加えておきますと、原作を知る方からは以前に単純な内容ではないと共に、映画化に際しては既にかなりの巻数を単行本が刊行されている為、原作の内容と世界観が伝えられるのか、というお話しが在った事を付け加えます。

 アルキメデスの大戦、映画は東京帝大から海軍へ志願した主人公で架空の人物櫂直を菅田将暉、その同期田中正二郎を柄本佑、大角岑生海軍大将を小林克也、後の軍令部総長永野修身海軍大将を國村隼、海軍大臣と軍令部総長を歴任する嶋田繁太郎海軍大将を橋爪功、海軍航空本部長や連合艦隊司令長官を歴任した山本五十六海軍大将を舘ひろし、が演じる。

 戦艦は本当に無力なのか。この理解に虚構があるのではと思う。日本海軍が第二次大戦に投入した戦艦は、金剛、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥、大和、武蔵。しかし、当時の主要国は勿論、中堅国でも海防戦艦を始め戦艦を運用していましたので世界中が無力という事になる、大勢に対し一人だけ異論を唱える事は逆に異質にしか過ぎません。実際、どうであったのか。

 金剛は潜水艦攻撃で撃沈、比叡は第三次ソロモン海海戦で巡洋艦多数の攻撃で撃沈、榛名は大破状態終戦、霧島は第三次ソロモン海戦で米戦艦三隻の攻撃受け撃沈、扶桑はレイテ沖海戦にて戦艦を相手に撃沈、山城もレイテ沖海戦にて戦艦を相手に撃沈、伊勢は大破状態で終戦、日向も大破状態で終戦、長門は終戦時に健在、陸奥は事故で爆沈、となります。

 戦艦は思いのほかに頑丈である、これが現実です。日本海軍は真珠湾攻撃でアメリカの戦艦アリゾナなどを空母六隻からの艦載機で撃沈し多数を大破、二日後のマレー沖海戦では航行中の戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを航空攻撃で撃沈しました。しかしその後は多数のアメリカ戦艦に大破始め損傷を与えていますが、戦艦を撃沈までに至った事例は無いのですね。

 大和は九州沖で航空攻撃にて撃沈、武蔵はレイテ沖海戦にて航空攻撃にて撃沈。実のところ日本海軍の戦艦は12隻が第二次大戦に投入されましたが、航空攻撃で撃沈されたのは2隻のみ、戦艦に撃沈されたのは3隻、巡洋艦に撃沈されたものが1隻、潜水艦に撃沈されたものが1隻、です。冷静に考えますと、驚くほどに戦艦の防御力は頑丈といえましょう。巨大戦艦の虚構と現実はここ。

 航空兵力無用論、という極端な視点を対案に示すものではありません、榛名、伊勢、日向、三隻を大破に追い込んだのは航空機であり、これらの戦艦が充分に行動できなかったのはシーレーンを防衛する海軍力が無く、必要な燃料を確保する事が出来なかった為です。故に航空機は無用ではないが、航空機が有能であれば戦艦は不要、との論点でもないのです。

 航空兵力が戦艦を始めとした海軍作戦体系へ大きな影響を及ぼした事は事実です。1942年4月に真珠湾攻撃を成功させた南雲艦隊のインド洋進出を受けたイギリス海軍は、東洋艦隊の戦艦ウォースパイト、レゾリューション、ラミリーズ、ロイヤル-サブリン、リヴェンジの有力な艦隊を1200km先へ緊急退避させており、これは航空戦力への警戒故の行動の制約といえる。

 戦艦大和と武蔵、日本海軍の戦艦で航空攻撃により撃沈されたものはこの二隻です。戦艦大和は第二艦隊として、戦艦大和、軽巡矢矧、駆逐艦八隻を以て沖縄方面へ展開を試みました。対してアメリカ海軍が投入したのは第58機動部隊全部の航空母艦11隻を発進した艦載機です。現在、アメリカ海軍が保有する空母が全てあわせて10隻ですので11隻とは凄い。

 空母ホーネット、空母ベニントン、空母エセックス、空母バンカーヒル、空母ハンコック、空母イントレピッド、空母ヨークタウン、軽空母ベローウッド、軽空母サンジャシント、軽空母バターン、軽空母ラングレー、という陣容です。参考までに真珠湾攻撃に参加の空母は、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴でした。アメリカはそれ以上の規模で攻撃を加えた事に。

 戦艦武蔵は、第38任務部隊第1群空母 ホーネット,ワスプ,ハンコック,軽空母 カウペンス,モンテレーと第2群空母 イントレピッド,バンカー-ヒル,軽空母インディペンデンス,カボット、第3群空母レキシントン,エセックス,軽空母プリンストン,ラングレー,第4群空母フランクリン,エンタープライズ,軽空母ベロー-ウッド,サン-ジャシントに叩かれ沈みました。

 これは戦艦を確実に撃沈するには、戦艦を遥かに上回る航空母艦を集中させればよい、戦艦一隻に対して空母5隻6隻を集中すればよい、という事になります。航空母艦の優位性は、戦艦よりも速力が大きいものが多く、戦力の集中と分散が容易、という点でしょうか。しかし、では戦艦大和型2隻の建造を取りやめ、代わりに例えば翔鶴型空母の12隻を建造する事は出来たのでしょうか、実際には大和型は翔鶴型の二倍ですので、費用面で無理です。

 戦力構成の均衡が重要である、戦艦と航空機が必要であるならば、巡洋艦や駆逐艦は不要なのか、当然否です。戦艦が主砲の他に副砲を備えているのは駆逐艦の魚雷攻撃から自衛する為ですし、巡洋艦が無ければ駆逐艦部隊の指揮は勿論空母の直衛に遠隔地での抑止力が不能です、潜水艦も護衛駆逐艦も全てが相応の任務がある、一種類の万能兵器は無い、というものが一つの答えですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ホルムズ海峡海上護衛戦の検討【3】中東最大の親日国を失う!?米提唱有志連合の日本参加論

2019-07-30 20:01:34 | 国際・政治
■普天間問題でイラン切った日本
 アメリカ提唱有志連合参加という選択肢の他にイギリス方式で自衛隊が独自にタンカー護衛を派遣するという選択肢もあるのですが、日本とイランの関係について。

 ホルムズ海峡タンカー護衛有志連合へのアメリカの提唱に、日本が参加した場合は中東最大の親日国であるイランとの友好関係が破綻する、という意見がある様ですが、正直困惑しています、何故ならばイランの親日政策は九年前に破綻しており、その後も再構築できていません。安倍総理イラン訪問は一つの機会でしたが、その間にタンカー攻撃が起きた。この背景は。

 2010年4月12日に実施された世界核安全保障サミットの席上において当時の鳩山総理が日本歴代総理として初めて、アメリカのイラン経済制裁支持を表明しました。当時のオバマ政権は現在のイラン核合意に至るイラン核開発阻止の枠組構築を目指していましたが、大平政権時代から麻生政権に至るまでの日本のイラン宥和案が一つの障壁となっていますが、これが一転へ。

 鳩山政権のアメリカイラン制裁支持はイランのアフマディネジャッド政権に衝撃を与えると共に現在のイラン核合意へ妥協する事となりました。2010年にイランから考えれば日本はイランではなくアメリカ側からイラン経済制裁を行う国となり、そしてイラン核合意枠組構築後は、日本独自でのイラン宥和政策も執れなくなりました、国際関係が定着したということ。

 オバマ大統領に鳩山政権は大平内閣以来のイラン支持、手のひらを返した背景は、単なる政権交代だけではありません、普天間問題がある。既に小泉内閣時代に決定した日米合意を突如反故とした普天間飛行場国外移設の鳩山政権在日米軍政策、そもそも国外は何処なのか、グアムかフィリピンか韓国かを明示せず海兵隊飛行場機能のみを遠隔地に移設する、当時日米関係は険悪な状態にあった。

 イラン制裁支持の代償に普天間問題のアメリカ譲歩を願う、日本のイラン制裁はこんな構図でした。一方で当時の鳩山政権は2010年3月9日に当時の岡田外務大臣による日米密約公開の方針表明があり、要するにいったん決まった二国間合意であっても政権交代を理由に反故とする、現在の日韓関係の慰安婦問題や徴用工問題の蒸返しによる二国間不信に似た構図が当時の日米関係です。

 オバマ政権からは鳩山政権の意図が意味不明で苦慮したでしょう、普天間とイランは無関係ですがそれ以前に、アメリカ海兵隊は水陸機動作戦を念頭に空中機動部隊との連携を念頭としており、日米合同演習でも繰り返しヘリコプターを参加させています、その中で海兵地上戦闘部隊を沖縄に残すが航空部隊を国外移転するのでは、工場と搬入口、駅と改札が遥か離れた状態であり、意味がありません。

 ゲーツ国防長官は普天間問題の日本政府二転三転を前に鳩山政権イラン制裁参加の前年2009年10月21日に訪日したさい、日本政府の指針が定まらない中での協議に意味は無いとして当時の北澤防衛大臣との会食会を拒否しています。鳩山首相は2009年内普天間移設先画定を確約、関西国際空港やグアム移転検証と更にオバマ政権の神経を逆なでしました。

 アメリカの不信感を払拭したい、その一連の流れにあって鳩山政権はしかし2009年内の普天間移設先画定には至らず、後方拠点としての普天間空白化は朝鮮半島有事における韓国安全保障問題へも影響するとして、今度は日韓関係にも悪影響を及ぼし始めます。そこで、アメリカ支持政策を以て移設先画定猶予を求める、その生贄にイランが差し出されました、日本が唐突にイラン制裁支持へ。

 辺野古移設再決定は2010年5月28日に鳩山内閣が閣議決定、閣僚として反対した社会民主党党首を罷免した事で民主党社民党連立政権は瓦解しますが、6月2日に民主党両院議員総会において鳩山首相は辞意を表明しました。しかし、日本のイラン制裁アメリカ支持は続く民主党菅内閣でも継承され、オバマ政権は2010年7月1日、制裁強化を強化します。

 オバマ政権の2010年7月1日イラン制裁は、金融及びエネルギー産業への制裁は革命防衛隊との取引企業への制裁や産油国でありながら石油精製施設の乏しいイランへのガソリン輸出禁止など、1979年イラン革命以降最も厳しい経済制裁となっています。これまでなかった分野の制裁着手という意味では、現在のトランプ政権によるイラン制裁よりも厳しい。

 菅内閣はイラン制裁路線を鳩山内閣から継承した、というよりも鳩山内閣末期の外国員献金問題や元秘書汚職問題と唐突な温室効果ガス25%削減や静観を続け過ぎ外国為替の混乱に失業率上昇や東アジア共同体構想と友愛ボートに子ども手当財源や出ない埋蔵金問題と社会保険庁改革の停滞に文科大臣政治資金キャバクラ問題等火消しで忙殺されていました、イラン制裁支持を忘れていたのかもしれません。

 オバマ政権のイラン経済制裁はそのまま日本の支持を以て、他の中東諸国や西欧諸国と中東欧諸国の参加を促し、イラン経済は大打撃を受けます。続く野田内閣時代もイラン制裁は続き、政権を奪還した自民党連立政権は、民主党政権時代の日米合意を政権交代を理由に反故とする非常識は採りません、そして世界規模の制裁枠組は既に軌道に乗っている。その枠内でイランとの関係再構築を期しているのが現状だ。

 イランは中東最大の親日国家である為にタンカー護衛のような摩擦は避けるべき、この意見が2010年に示されたのであれば、同意したでしょう。普天間とイランを軽々しくはかりにかけるべきではないと当時も。しかしイラン経済制裁が始って9年以上を経た現在は2019年です。9年、1941年の日米開戦時の日米関係と1950年の日米安全保障条約締結時の日米関係、喩えは変ですが九年とはこれくらいの長さ、日本とイランの関係は動いたといえますね。

 コクカ-カレイジャス号襲撃事件、安倍総理がイラン歴訪の最中にホルムズ海峡のイラン革命防衛隊基地から15kmという近距離で日本タンカーが襲撃される事件が発生しました。非常に厳しい視点ですが、これが現在の日本イラン関係の縮図とも言えまして、31年のイラン支持政策を突如、普天間問題の人身御供に引き摺り出された影響は続いているのです。

 ただ、タンカー襲撃事件にイランが関与していないのであれば、タンカー護衛枠組にイラン参加を、即ち賛同するかは別として、アメリカ第五艦隊隷下に日本と共にイランを誘致する選択肢はありました。ただ、イラン革命防衛隊はイギリスタンカーを救助するという名目で拿捕、漁船当て逃げ事件を事後に主張し瓦解した。状況は刻々悪化、日本タンカーの安全も保障はありません。

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Weblog北大路機関創設14周年-御愛読感謝!榛名-鞍馬研究室&日向-伊勢共研室の十四年

2019-07-29 20:19:09 | 北大路機関特別企画
■阪急十三駅乗換から14年
 十四年前のこの日に阪急十三駅にて乗り換える列車に最初に6300系が来たならば、何かが変わったのかもしれません。

 本日Weblog北大路機関は創設14周年を迎えました。2005年7月29日、阪急十三駅にて神戸本線から京都本線に乗り換える際に、神戸での大学関連打ち上げにて紹興酒を浴びるほど頂き、酩酊状態には6300系特急の乗り心地が恋しいと8300系等を見送りつつ膝の上に立上げたノートPCにPHSを差し込み作成、2005年はまだF-2戦闘機量産が続く頃だ。

 北大路機関とは元々大学での安全保障関係研究自主ゼミとして先行し創設されていまして、命名者は何故か別の大学の友人で云わば、高雄愛宕学派と比叡鞍馬学派、分かれていまして、この中で安全保障と防衛分野だけが突出してWeblogへ反映され、中でも自衛隊関連の特集が一番関心を集め、あれから16年、こちらに特化している、という構図が在ります。

 十年一昔という言葉がありますが、この十年間で自衛隊関連だけでも大きく変容しました。なにしろ戦車定数が当時の600両から半減し300両となった一方で10式戦車と16式機動戦闘車が制式化、対して製造終了の89式装甲戦闘車を置き換える装備は現れず、AH-64D戦闘ヘリコプターの配備が実現しました。云わば装備の種類のみ豊富となっている状況が。

 2005年当時は北朝鮮核開発は進んでいましたが各事件と核武装宣言や大陸間弾道弾と水爆実験を行う程まで悪化するとは想像しておらず危機を回避出来る期待が在りました。一方、ロシアとアメリカの対立が2007年の欧州ミサイル防衛計画と共に顕在化、日本は北を再度警戒する必要に見舞われ、続いて中国のミサイル爆撃機が紀伊半島沖まで飛来する時代に。

 全面核戦争という悪夢の懸念は20世紀と共に大半で払拭されたように考えるのですが、戦域核による日本への恫喝という意味では緊張度が増しており、一方で我が国には高度経済成長時代の様な年率10%、つまり七年間でGDPが倍増した頃の勢い、それを支えた若年労働力と教育面の優位性はありません。その意味するところはどういった事なのでしょうか。

 平和の実現を圧倒的経済力に支えられた平和憲法により実現する、という選択肢は難しくなった、経済大国としての多極化はこうした問題があるように思います。即ち、多少無駄を強いてでも輸出しない国産主義や保有する装備と日米同盟による堅実な地域安定の確保、という選択肢が多極化の波に呑込まれており、選択を強いられる、現実があるということ。

 イージスアショアはTHAADのような移動式よりも確実な設計なのか、核攻撃脅威を公共シェルターと戸建シェルター建設義務化という受動的な方法で受け入れる選択肢は無かったのか。30FFM等の大量建造という選択肢の他にヘリコプター搭載護衛艦を雪的に活用する方法は無かったのか。在日米軍基地に代えて日本そのものが地域安定に寄与出来ないか。

 経済大国の突出した地域大国としての地位が多極化時代により変容すると共に、周辺国の核開発や海洋進出が再度我が国に苦い体験の伝承、飢えや戦火と病根、これら過去を思い出させる事となれば、極端な防衛政策、核武装や徴兵制を含め、展開しかねません。その為には、防衛について、誤解を解き主権者が知る事が必要と思う。その一助となれば幸い。

 一方、世界を見渡せばポピュリズム政党と極右政党、部分的には同義ですが、その台頭が目立ちます。ポピュリズム政党の難点は、結局のところ朝三暮四と短期視野に基づくものが多く結局のところ長期化しません。しかし課題は大衆迎合的政策は同時に防衛政策へも朝三暮四的な施策を迫るものが多いのです。我々はそれを民主党政権時代に経験しました。

 ポピュリズムの台頭、これは大衆動員型の選挙として民主主義が構造的に内包しやすい構造を有しています。しかし、中道右派と中道左派の伝統的な政党政治に在って、情報伝達の相互通信の迅速化は泡沫型の巨大政党が、特に分り易いポピュリズム的政策への賛同を原動力として突然敵に支持を集めやすい、現代型の劇場型政治を醸成する事となりました。

 これらは大量の情報が氾濫する中で、しかし大量の情報が存在したとしても人ひとりの情報処理能力の多寡は必ずしも情報量の増大に追い付いていない現実を覆い、一種方向性を持つ事で民主主義のプロセスに視野の狭い政策が内部化される一方、短文化された政策はその欠点と問題点を矮小化し無視させてしまいます。そこまで考えさせないからですね。

 北大路機関は、防衛問題を中心ではありますが、時事の話題について、もう少し視野を広める事が出来るよう、毎日視点を提供できれば、幸いです。今後とも主たる長文記事で論点を示すWeblog北大路機関、掲載しきれない多様な論点と日常話題を紹介する第二北大路機関、速報と情景を紹介する第52北大路機関を、今後ともよろしくお願いいたします。

 十五年目に向けての北大路機関は、先ず時事情報の連載化による堅実な検証を通じての話題の提供と共に、日曜特集での詳報掲載を通じての自衛隊防衛力現勢に関する理解の増幅を通じると共に、毎週中間の京都幕間旅情掲載により様々な風景と関心分野への対応を図ると共に、今後とも正確な内容を心がけると共に誤字脱字の一掃を重点化してゆきます。

 第二北大路機関については、北大路機関での連載記事の中に十分に掲載できない分野の話題を、特に2010年代に主流となっていた防衛備忘録的な内容を紹介し、云わば新聞でいうところの一面と特集記事を北大路機関が担い、社会欄や国際欄に当る分野の記事を順次充実させる試みを展開中で、毎日数回に分けて掲載する方式を維持して往ければ、とおもう。

 第二北大路機関では既報の第52北大路機関という新しい試みを併せて先月から展開中です。様々な試行錯誤が進む中ではありますが、当面はこのWeblog北大路機関の安定掲載を第一として、これからも話題提供へ尽力して参ります。幸い多くの閲覧を頂き、280万のGOOブログ中の高い順位を維持する事となっています。今後とも読者の皆様にはよろしく御笑覧のほど、よろしくお願いいたします。

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【日曜特集】第14旅団創設6周年-善通寺駐屯地祭【9】想い出の赤鷲戦車隊(2012-04-29)

2019-07-28 20:07:34 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■思い出の即応近代化旅団
 今回の第九回が第14旅団創設6周年-善通寺駐屯地祭特集の完結編となります。

 第14旅団、今回写真にて行事を紹介しています2012年と2020年代を目の前とした今日では第14旅団の編制は同じ善通寺駐屯地にあって大きく変容しています。ある意味で回顧録というよりは懐古趣味的、といえる写真としてご覧になる方も居るかもしれませんね。

 即応機動旅団への2018年改編により全国へ機動展開する能力を整備された、という説明が為されますが2012年の行事が行われる事を遡る二年前、あの東日本大震災においても第14旅団は全力で出動しており、第2混成団時代には、阪神大震災へも派遣されています。

 即応機動旅団となった第14旅団の現在は、旅団司令部、同付隊、第15即応機動連隊、第50普通科連隊、中部方面特科隊、第14偵察隊、第14高射特科隊、第14施設隊、第14通信隊、第14飛行隊、第14特殊武器防護隊、第14後方支援隊、第14音楽隊、というもの。

 善通寺市での行事一つをとっても実は大きく変容しています、2018年の行事へと撮影に赴きましたが、2018年の善通寺駐屯地祭では市街パレードとしまして今回の特集で紹介した観閲行進は市内の公道において善通寺五重塔を背景に広く強く勇壮に実施されていました。

 第14旅団は2012年時点で、第15普通科連隊、第50普通科連隊、第14特科隊、第14戦車中隊、第14偵察隊、第14高射特科中隊、第14施設隊、第14通信隊、第14特殊武器防護隊、第14後方支援隊、第14飛行隊、第14音楽隊等、という、今日とは大分に違う。

 市街パレードは2017年の即応機動旅団改編前年から実施されていまして、2017年の市街パレードでは第14戦車中隊の74式戦車が観閲行進を行っています。思えばこの行事で活躍した第14戦車中隊は既にもう無くなっているのですね、部隊マークも廃止されています。

 74式戦車を駆っていた第14戦車中隊は第15普通科連隊の第15即応機動連隊へ改編された際に第15即応機動連隊機動戦闘車隊として統合されていまして、装備品は74式戦車から16式機動戦闘車へと転換しています。もっとも、いろいろと云われる装備ではあります。

 第8師団、南九州を防衛警備管区とする西部方面隊隷下の師団ですが、実は何気にこの第14旅団と張り合っている、思い込みだと思うのですが率直な印象として思ったところがあります。なんといいますか、第8師団祭と第14旅団祭は、四月の同日に行われる事が多い。

 即応機動師団へ第8師団が改編されたのは2018年3月、第14旅団と第8師団は同じ年度末に即応機動師団と即応機動旅団へ改編されているという。実は第14旅団は諸般の事情で改編行事が一日遅れて四月一日、新年度初日に行われています。まあ、ほぼ同日ですね。

 2017年に74式戦車が善通寺市内を市街パレードで勇壮に轟音を響かせた、というその日に当方は何をやっていたのか、と言いますと、はい。その日北熊本駐屯地に居ました。10式戦車が轟音を響かせていました、第8戦車大隊と第8特科連隊の最後の行事参加と聞き。

 2018年に善通寺駐屯地祭へ進出された方々の中には、第8師団に行くか第14旅団へ行くか、迷われた方が多いという。実は新編行事を行脚したという方が居まして、知り合いの知り合いには、なんと自家用車で北熊本と善通寺を一日で移動したという猛者までいます。

 北熊本駐屯地へ前年いったからこそ2018年に善通寺に行った当方は74式戦車善通寺の最初で最後の市街パレードを2012年に善通寺で第14戦車中隊撮ったからいいよね、という。しかし、これには面白い話がありまして、此処まではいうなればまあ主観的な要素が多い。

 16式機動戦闘車が善通寺駐屯地祭2018において空包射撃を行う、とは旅団広報の方が強調していたという事ですが、その話を第8師団広報の方に話したお方から聞いたお話し、第8師団は16式機動戦闘車の他に10式戦車も同時に射撃します、と張り合っていたとも。

 考えれば、これから即応機動師団と即応機動旅団は次々に改編され誕生してゆきます。もちろん、三個普通科中隊の装甲車という者は世界規模で視ればそれ程大層なものではなく、96式装輪装甲車も世界的に視れば安価に量産できていますのでもっと改編は多くてもいい。

 その上で2012年の時点では分らなかった、と言いますか現時点でもわからない部分があります、第15即応機動連隊が創設されたものの第50普通科連隊はどうするのか。第15即応機動連隊は硬度に装甲化されていまして16式機動戦闘車も二個中隊ある。では50連隊は。

 第50普通科連隊は2012年時点では第14特科隊のFH-70榴弾砲と第14戦車中隊の74式戦車によりささやかながら連隊戦闘団を編成する事が出来ましたが、第14戦車中隊は前述の通り第15即応機動連隊へ統合、第14特科隊は中部方面特科隊で運用が難しいといえる。

 第14飛行隊が増強改編でもされていましたらば、第50普通科連隊は第15即応機動連隊の機動打撃力を空中機動と共に速力で協同する、といえるのかもしれませんが、第14飛行隊は当初計画ではヘリコプター合計10機程度を考えていたというも実際は4機に過ぎません。

 即応機動旅団と云いますが地域配備部隊としての第14旅団の中から選抜部隊として、非常に失礼な言い方ですが恰もスポーツ全国大会に行く様な代表部隊として優秀な装備を充てられているような錯覚も感じまして、実際防衛出動に第50普通連隊はどう臨むのでしょう。

 高機動車主体の普通科部隊ですが、もちろん警備任務を筆頭に重迫撃砲も対戦車ミサイルも装備していますし、錯綜地形であれば彼我混交の状態に持ち込むことで戦車さえも敵ではありません。市街地戦闘では普通科部隊の独断場といえる、次いで施設科部隊の、と。

 輸送防護車のような耐爆車両が高機動車に代えて大量装備されたならば、また様々な運用が可能となのるのかもしれませんが、この豪州製装甲車両は通称ブッシュマスター、しかし宇都宮の中央即応連隊が導入した際に取得費用を見ますと96式装輪装甲車より若干高い。

 ブッシュマスターは車内容積が十分確保されていまして、長距離機動に最適といえるものではあるのですが96式装輪装甲車と車高が高く、取得費用も一割五分ほど高い。世界的に視れば96式装輪装甲車が完成度まあまあ、取得費用手頃、という優れた車両なのですね。

 さて即応機動旅団となった第14旅団ですが、改編前の第14旅団は東日本大震災に1500名もの隊員を派遣しています、第15即応機動連隊が900名規模といいますので、防衛出動を考えた場合、当然留守部隊を残し第50普通科連隊も派遣される事は間違いありません。

 第14偵察戦闘大隊のような部隊へ第14偵察隊を増強改編する必要、その上で第50普通科連隊と協同するなどの施策は、検討されてしかるべきでしょう。もっとも、偵察戦闘大隊には機動戦闘車よりも打撃力と防御力に情報収集能力に長けた戦車中隊が必要とも思うが。

 さてさて、今回が最終回です。第14旅団はこの後に即応近代化旅団から即応機動旅団へと改編され、ここまで紹介しました第14戦車中隊、通称赤鷲戦車隊は廃止され歴史ある第15普通科連隊は第15即応機動連隊へ改編されました。今見返しますと、懐かしい情景ですね。

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【G3X撮影速報】かが/DDH-184KAGA,祝日海の日三連休敦賀港一般公開(2019-07-15)

2019-07-27 20:04:38 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■自衛隊最大護衛艦かが全景
 前回のG7撮影速報、日時を間違えていました、7月15日です、今年の。ヘリコプター搭載護衛艦かが敦賀港艦艇広報のコンパクトデジカメによる速報記事の後篇です。

 かが、敦賀港一般公開。大阪港ほどの混雑はありませんでしたが、大阪港を思い出したのは護衛艦かが、その巨大さです。要するに敦賀港の岸壁からは艦首を含めた全体を撮影出来ないほど、岸壁一杯に停泊していたのですね。するとなんとかして、全景を撮りたい。

 金ヶ崎城址、織田信長危機一髪、となりました歴史をもつ城址、京都アニメーションの“氷菓”でもちょっとだげ話題になりました金ヶ崎城、高台に在ります。そして敦賀の港を見下ろす好立地に在ったといいますので、早い話が見えるだろう、と登ってみたわけですね。

 日本海を一望、といいますか、何故か私は自衛隊関連写真を撮影する際に高台に、予定外で、のぼる事が多いような気がする。その途上、同好の方と山道でお話しし、櫓跡の方が天守跡よりも護衛艦を一望できる、と聞き、それ程体力消耗せず済みました。感謝です。

 SEA-RAM個艦防空ミサイルシステム。G3Xは金ヶ崎城からここまで撮れた、というのは冗談で、もう一回敦賀港へ。実はもう一人合流しましたので、改めて敦賀港護衛艦かが見学へ、という。流石に当方は二度乗艦するのも乗艦締切間近故に断念し、岸壁から望む。

 かが上部構造物を見上げる。聞けば敦賀港かが一般公開の来場者は9000名程度だったといい、成程一日当たりにしたらば人数は多そうに聞こえますが、大阪港かが混雑や伊丹駐屯地祭が二万近い来場者を一日で集める事を考えますと、それ程の混雑は無かった、と思う。

 12.7mm重機関銃、飛行甲板からも眺められましたが岸壁から見上げる事も出来ました。自爆艇攻撃や不審航空機警告用に用いるとの事ですが、海上自衛隊に適当な装備が他にないとはいえ、米艦のような25mm単装機関砲というような射程のある装備も必要だとおもう。

 CIWS,バルカンファランクスの愛称で知られるミサイル迎撃用近接防護装備です。ただ、光学式照準器により管制射撃が可能で、12.7mm機銃と任務が重なる。やはり近接防護用には25mm機関砲か、もう少し重いですがイタリア艦のような76mm単装砲も必要では。

 一般公開時間が終了した頃の敦賀港、ここは改正ソーラス条約により平日には特別な許可が無ければ立ち入れない埠頭地区です。ちょっと前まではここに長蛇の列があった。荷役用クレーンがその語源たる鶴のような形状を見せると共に、やはり、その大きさが際立つ。

 OPS-50対空レーダーのアクティヴフューズドアレイレーダーアンテナが強調され、これは僚艦防空能力を持つ、ひゅうが型、あきづき型のFSC-3からミサイル管制能力を省いたものですが、相応に高い航空管制能力を持つとされ、将来F-35B等の航空管制に寄与しよう。

 184,艦番号。かが竣工のその日に自衛艦旗を返納し退役した護衛艦くらま艦番号が144ですので、144,184は第四のヘリコプター搭載護衛艦くらま任務を引き継いだのが第四の全通飛行甲板型護衛艦で第二世代ヘリコプター搭載護衛艦四隻目を示す艦番号、といえますね。

 艦首を望む。いや、此処を撮ると全景が見えないからこそ金ヶ崎城へ上ったのですね。全員思いは同じだったようで、中には金ヶ崎城以外にも敦賀港で全体を撮影できる場所を探して長時間歩き回った方々も居たのだとか。敦賀港埠頭に収まらない護衛艦の時代なのだ。

 10mm広角でも準備しておけば敦賀港埠頭から全体を撮影できたのでしょうか、そんなことを想いつつ撮影を完了しました。かが艦艇広報は続き、翌週は小樽へ、今週末は伏木富山港へと。母港は呉基地ですので、かが。お座敷の多い人気の護衛艦だと改めて感じます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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令和元年度七月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.07.27-07.28)

2019-07-26 20:08:27 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 台風六号が発生し明日にも本州上陸の予報が出ている中ではありますが、今週末の行事紹介です。

 陸上自衛隊宮古島駐屯地夏まつり、28日日曜日に行われます。陸上自衛隊宮古島駐屯地開庁から初の一般公開となりまして、宮古警備隊の装備品展示やレンジャー展示に体験試乗も行われる一種駐屯地祭に近い行事となります。宮古警備隊は第15旅団隷下部隊ですが、近く地対艦ミサイル部隊増強等、南西諸島防衛空白地域への防衛力強化の取り組みが進む。

 呉サマーフェスタ2019が日本遺産呉鎮守府開庁130周年記念行事として呉地方総監部城山グランドにて執り行われます。昨年は西日本豪雨災害により中止となったサマーフェスタ、会場は2100時まで一般開放されていまして、27日当日は呉港湾内海上花火大会も行われるとのこと。港内クルーズや旧海軍地下司令部一般公開、呉音楽隊音楽演奏が行われる。

 呉サマーフェスタはカレーフェスタでもあり、居酒屋利根本店の護衛艦とねカレー、割烹多幸膳の呉基地業務隊カレー、呉ハイカラ食堂の潜水艦そうりゅうカレー、呉カントリークラブの潜水艦まきしおカレー、café-TOMOTASU掃海艇あいしまカレー、それぞれが海上自衛隊定番極秘情報の再現カレーを供するとのこと。このほか、海軍復刻アイスも並ぶ。

 ヘリコプターフェスティバル in 館山2019が土曜日に挙行されます。千葉の東日本海上自衛隊ヘリコプター部隊総元締め第21航空群の航空基地です。事前抽選体験搭乗に航空機飛行展示と航空機地上展示や管制塔見学及び救難消防車放水展示が予定されています。ただ、本日発生した台風六号の本州接近による影響が懸念され、部隊発表等を御留意ください。

 稚内分屯基地開庁65周年記念行事、日曜日に執り行われます。第18警戒隊のレーダーサイトであると共に陸海空統合施設でもあり、記念行事では装輪装甲車&戦車体験搭乗も行われます。分屯基地は稚内港を見下ろす台地上にあり、また基地スタンプラリーとして景品先着500名に貰えるとのこと。更にCH-47Jチヌーク体験搭乗も土曜日に行われるという。

 背振山分屯基地開設63周年記念行事が28日の日曜日に行われます。佐賀県神埼市に所在する第43警戒のレーダーサイトで装備品展示及び試着に西空音楽隊コンサートや春日基地太鼓部演奏とVRゴーグル擬似フライト体験に自衛隊カレーの無料配布と露店販売が行われます。最寄駅は博多南駅と神埼駅から車で50分、なんとシャトルバスが運行される。

 福江島分屯基地一般開放、28日日曜日に行われます。ここは第15警戒隊のレーダーサイトであり西部防衛区域の西の要衝という位置づけ。福江島は人口43000名という長崎県五島列島最大の島で分屯基地の南側に900mの滑走路を有する代替飛行場でもある。行事は戦闘機展示飛行、VR体験や軽装甲機動車試乗体験、また餅まきなんかも行われるとのこと。

 海上自衛隊艦艇広報について。紋別港ミサイル艇わかたか一般公開が27北海道紋別市にて。釧路港耐震岸壁ミサイル艇くまたか一般公開が北海道釧路市にて行われまして27日と28日に見学が可能です。野辺地港掃海艇ひらしま&はつしま一般公開、28日に青森県野辺地町野辺地港公共岸壁にて実施で野辺地常夜燈フェスタのへじ花火大会に併せ実施されます。

 艦艇広報は更に秋田港護衛艦すずつき一般公開は27日と28日に秋田県秋田市の秋田港中島埠頭2-3号岸壁で執り行われる。伏木富山港護衛艦かが一般公開27日と28日には富山県高岡市の伏木富山港伏木地区万葉3号岸壁にて実施される。松阪港護衛艦じんつう一般公開は28日三重県松阪市にて行われ軽装甲機動車やペトリオット等装備品展示も行われる。

 イージス艦の展示は蒲郡護衛艦きりしま-あさゆき-輸送艇2号一般公開が27日と28日にありまして愛知県蒲郡市蒲郡ふ頭11号岸壁と蒲郡竹島ふ頭が会場です。満艦飾に陸上自衛隊車両展示と航空自衛隊戦闘機飛行展示もおこなわれます。ただ、現在台風六号が本州に接近しており、気象状況によっては大幅な変更もあります。地本HP等で必ず御確認下さい。

 さて撮影の話題を。一眼レフとコンパクト機種、一眼レフはEOS-7Dmark2が瞬発性能や焦点合致と携帯性で最良のカメラ、と信じていまして、将来的にEOS-5Dmark4あたりを風景撮影用などに考えているのですが、支援機種として導入のG3Xがコンパクト機ですが凄い。ズーム性能が600mmと凄く、一眼レフが望遠ズーム以上の大型単焦点を携行できぬ場合の保険になる。

 デジタルズームの性能を甘く見ていたのですが、三月の江田島練習艦隊出航にて2400mmのデジタルズームを試してみますと、江田島基地桟橋から3.5kmほど離れた高台より、候補生の交通船乗船をしっかり識別できる水準まで高い解像度を示しまして、これは例えば一眼レフに18-200mmのレンズを一本しか装着していない場合でも保険になる、と思った。

 美保基地航空祭、六月の航空祭にて遠距離ならば、F-2戦闘機の機動飛行、航空祭の醍醐味と呼ばれる普段地上からは見られない戦闘機の背中の部分をしっかり撮影する事が出来ました。もちろん、これ一台で、という訳には行きませんし、なによりモニター越しに超長距離の被写体を識別追尾するのは相当な慣れが必要ですが、凄い実力を秘めている機種だ。

■駐屯地祭・基地祭・航空

・稚内分屯基地開庁65周年記念行事…https://www.mod.go.jp/asdf/wakkanai/
・紋別港ミサイル艇わかたか一般公開北海道紋別…https://www.mod.go.jp/msdf/
・釧路港耐震岸壁ミサイル艇くまたか一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・野辺地港掃海艇ひらしま&はつしま一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・秋田港護衛艦すずつき一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・伏木富山港護衛艦かが一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・蒲郡護衛艦きりしま-あさゆき-輸送艇2号一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・松阪港護衛艦じんつう一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・呉サマーフェスタ2019…https://www.mod.go.jp/msdf/kure/index.html
・背振山分屯基地開設63周年記念行事…https://www.mod.go.jp/asdf/seburiyama/
・福江島分屯基地一般開放…https://www.mod.go.jp/asdf/wacw/index.html
・宮古島駐屯地夏まつり…https://www.mod.go.jp/gsdf/wae/15b/15b/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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南シナ海は第二のオホーツク海となる【8】中国は何故弾道弾をヴェトナム沖に撃ち込んだか

2019-07-25 20:10:54 | 国際・政治
■対艦弾道弾vs航空母艦
 南シナ海情勢、現状のまま緊張が高まるならば我が国としてもシーレーン維持へ必要な措置を求められる事でしょう。

 中国軍が南シナ海へ六発発射した弾道弾は対艦弾道弾、NHKやロイターとCNNといった報道に示されたアメリカ国防総省関係者の見解です。気付かないままに自国の鼻先に着弾し数日後に報道を通じ知らされたヴェトナム国民やマレーシア国民とフィリピン国民は驚いた事でしょう、なにしろこれまでになかった南シナ海への中国弾道弾着弾ですから、ね。

 戦略ミサイル原潜の聖域を南シナ海に構築しようとしている仮説、南沙諸島と西沙諸島のヴェトナムやフィリピン環礁を武力奪取し南シナ海全域に人工島を造成する中国軍はこれまで有していなかった海中からの核戦力運用を期しているのでは、と仮説に基づき視点を供してきましたが、第三国艦船を実力で拒否する狙いの対艦弾道弾は緊張で次の一歩です。

 しかし懸念する点は東南アジア諸国の反応です。自国に近い地域へ弾道ミサイルを撃ち込まれた構図であり、今後この弾道ミサイル脅威の顕在化を周辺国が認識した場合には、将来的にこの周辺地域への中国弾道ミサイルへの抑止力、弾道ミサイル拡散や長距離打撃能力等が、中距離核戦力全廃条約レジーム失効後に輸出市場へ展開する可能性もあります。

 対艦弾道弾とはなにか。旧ソ連も強力なアメリカ海軍航空母艦へ対抗する為に開発を試みましたが、幾つかの理由から断念しています。難点の筆頭は、本土から弾道ミサイルを大量に発射した場合、アメリカは自国本土への全面核攻撃と誤認し、ソ連本土への大量核による報復攻撃を誘発する可能性がありました。更に対艦弾道弾は弾道ミサイル利点を削ぐ。

 弾道ミサイル最大の威力は速度で、ロケットブースターで成層圏以上まで上昇し弾道を描いて目標へ落下します。これにより長射程を実現していますが、誘導は発射から落下開始までに限られてきました、大気圏再突入時の摩擦熱に照準装置が機能不随となるほか、安定翼等で誘導する場合、抵抗が増大し一番重要な落下速度が失われる難点がありました。

 しかし、中国は対艦弾道弾を重視してきています、理由はアメリカ海軍の航空母艦へ対抗する唯一の手段である為です。001A型航空母艦や元級潜水艦、H-6爆撃機への巡航ミサイル搭載による飽和攻撃などという選択肢がありますが、現実的にアメリカ海軍のニミッツ級航空母艦や最新のジェラルド-F-フォード級航空母艦へ対抗できるものではありません。

 中国海軍や中国空軍の実力では、特に対艦弾道弾の開発が本格化した2010年代初頭には現実問題としてアメリカ海軍の航空母艦へ対抗する事は難しかった点があります、中国軍にはロシア製Su-27戦闘機とそのコピー機や改良型が400機以上ありますし、H-6爆撃機という1950年代設計の手堅いジェット爆撃機が120機あります。しかし、対抗は難しい。

 ニミッツ級原子力空母、先ず随伴艦が全てイージス艦です。200発や300発程度の同時ミサイル攻撃では飽和できません。そしてE-2C/E-2D早期警戒機が進出し空中警戒管制を実施している為、空からの攻撃は規模が大きければ大きい程察知され易く、F/A-18E戦闘攻撃機はその策源地を制圧可能、間もなくステルス機のF-35C戦闘機がこの打撃力へ加わる。

 ヴァージニア級攻撃型原潜が海中から掩護、E-2D早期警戒機により航空母艦の1000km圏内に脅威が接近した場合、捕捉されます。冷戦時代にソ連軍は超音速爆撃機からの超音速対艦ミサイル飽和攻撃を巡航ミサイル原潜やミサイル巡洋艦と組み合わせ対抗する手段を構想しましたが、中国の技術力や海軍力はソ連に及ばず、しかも現在はイージス艦が居る。

 中国軍に残された選択肢は宇宙です。宇宙空間へのアメリカ空母部隊の備えは現在のところ、一部にイージス艦にイージスミサイル防衛システムが搭載されていますが、迎撃用のスタンダードSM-3は弾道弾を高高度の中間段階で迎撃する能力しか有さず、将来的にはスタンダードSM-6が着弾直前の終末段階を迎撃する様になりますが、まだ実験中なのです。

 しかし、冒頭に示した通り、弾道ミサイルが南シナ海の人工島を防衛する名目で有るとはいえ、東南アジア諸国には時刻が中国の弾道ミサイル射程内に収められている事をミサイル着弾を以て突き付けられた構図であり、主要都市が射程内にあり、自国へのシーレーンが物理的に遮断される可能性を喉元に突き付けられたのですから、好い気持ちはしません。

 中国政府は東南アジア諸国の反発を、東南アジア諸国を標的としたものではない、と反論するでしょう。しかし、東南アジア諸国が中国を標的としたものではないとしつつ、例えば向きを変えれば中国沿岸部の主要都市を射程に収める長射程の巡航ミサイルを保有したならば、中国はどの国にも自衛権はあるとして認めるのでしょうか。緊張激化の火種です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】祇園祭二〇一九,山鉾巡行は令和元年に梅雨明け重なる京都市役所前から望む

2019-07-24 20:00:29 | 写真
■優美!河原町御池の山鉾巡行
 京都三大祭であり日本三大祭りである祇園祭は本日後半の最高潮を迎えています。

 祇園祭後祭山鉾巡行が本日挙行されました。懸念された突然の豪雨などの悪天候はしかし疾病祓いの伝統行事が1150年を迎え加えて令和元年祇園祭という神威か気迫か、何と本日に梅雨明けを迎えました。今日梅雨明けたのですか、もう雨が降らないのですね、やった。

 橋弁慶山、北観音山、鯉山、八幡山、黒主山、南観音山、役行者山、浄妙山、鈴鹿山、鷹山、大船鉾、くじ取らずと籤順にて本年の祇園祭後祭山鉾巡行は、この順番で執り行われました。前祭は23の山鉾が進み、規模としては半分以下ですが花傘巡行と合流します。

 橋弁慶山、後祭のくじ取らず先頭を往く。橋弁慶山はその名の通り京都で知られた弁慶と牛若丸五条大橋の決闘と出会いを再現した山、蛸薬師通烏丸西入ル橋弁慶町のもの。北観音山は2014年の後祭再興以来に籤取らずの二番、としてこの位置が定位置となっています。

 山鉾巡行、前祭山鉾巡行は八坂神社からの神依の御輿が巡る神幸祭に先立つ先祓いの神事という位置づけに在り、後祭山鉾巡行は四条御旅所に鎮座する御輿が八坂神社へ戻る還幸祭に先立つ露払いの神事です。何が違うかというと山鉾巡行の方向が前後真逆となります。

 北観音山、楊柳観音像と韋駄天像を奉じる山鉾です。文和年間の1353年に創建されたといい、新町通六角下ル六角町に保存会があります。六角町内に後の財閥三井家や松坂屋の伊藤家が邸宅を広げていた事から装飾品等は年と共に華美を極め、幕末の兵火からも逃れる。

 北観音山はしかし天明年間の1788年に都焼けとして知られる天明の大火では装飾品の一部が焼け焦げ、ただ御所に二条城と京都所司代が焼け落ちた事と比すれば僥倖、ただ、山鉾は華美で壮大且つ多くの人手を得て組み且つ曳く為、第二次大戦中は出されませんでした。

 八坂神社の伝統行事、当方はフィルム式の銀塩カメラ時代から撮影を続けていますが、前祭と後祭に分かれた後は中々に山鉾巡行の撮影位置を見極められずにいます、御池通の噴水の中に脚立という方法も考えた、御池通という位だし。まあ、これは冗談としまして。

 京都市役所前、河原町御池のこの立地は山鉾巡行の一つの定番撮影位置です。山鉾巡行の見どころは数多の山鉾、後祭では僅か10基ではあるのですが、一つの構図に収める機会です。すると正面から撮影する他ないのですが、道路上で正面を撮影できる場所は限られる。

 烏丸御池から始まる山鉾巡行、前祭では四条烏丸から始まり高島屋の方へ即ち四条河原町へ向かう山鉾巡行は後祭では最初に京都市役所へと向かいます。そして大回し、河原町御池で山鉾は廻る。なんのことはない、この経路と子の撮影位置は時代祭の撮影位置と同じ。

 御池通は祇園祭山鉾巡行では車線が一番広い道路です。そしてアーケード等もありませんので、その支柱等の撮影に支障となるものも少ない。しかし広い道路ですと何か郊外で撮影したような印象となりまして中途半端に沿道の建物も高く、何か京都らしくありません。

 撮影場所としては、しかし御池通りの情景が無ければ山鉾巡行らしくありません、ただ、時代祭よりも流石は日本三大祭りの祇園祭は混雑しています、即ち撮影位置を陣地変換しようとしましたらば、御回しの背景に市役所を収める構図は満員、他は通路で停止禁止と。

 橋弁慶山、今年の京都市役所は何か弁慶に似ている、と思いませんでしょうか。本庁舎耐震改修が進む中の情景が弁慶の袈裟を纏った構図に似ていると思ったのですが、この二つの弁慶、という構図を収めようにも一寸撮影位置の選定に錯誤したのは反省点でもある。

 山鉾巡行、このまま大回しを眺め続けたいものなのですけれども、撮影位置は縦横無尽に切り替える事が出来ます。そしてこの時分には花傘巡行が優美な傘鉾十余基と馬長稚児に勇壮弱冠の児武者と共に八坂神社を発った後の少し、撮影位置陣地変換を開始しました。

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ホルムズ海峡海上護衛戦の検討【2】機雷テロ!1984年スエズ運河機雷テロ事件の教訓

2019-07-23 20:11:07 | 国際・政治
■海峡幅33km脅かす機雷脅威
 アメリカが離脱しつつも現時点で欧州諸国とイランが留まるイラン核合意、ここからイランが離脱しないよう緊張緩和を願うのですが、イランの動向は難しい。

 海上自衛隊の掃海部隊、万一のホルムズ海峡閉鎖という危機が現実のものとなった際には海上自衛隊掃海部隊が世界各国の有志連合への参加を求められる可能性があります。海上自衛隊には、すがしま型、ひらしま型、えのしま型、各種掃海艇と深深度機雷を掃討する掃海艦あわじ型、そしてMCH-101掃海輸送ヘリコプターがあり機雷戦能力は高い為です。

 ホルムズ海峡封鎖の懸念、アメリカとイランの対立が続く限り懸念は継続します。そしてこの危機は1980年のイランイラク戦争勃発以来多寡はあっても続いてきました。ホルムズ海峡は世界最大の産油地帯ペルシャ湾と外洋を結ぶ幅33kmの海峡、タンカーなど大型船が航行できるのは中央の3kmのみ、その北岸のイランとアメリカが対立している構図だ。

 ホルムズ海峡周辺で続いたタンカー襲撃事件は、イランが関与したとの映像証拠等がアメリカ海軍により撮影されています。無論、イランと外交的に対立する国は多く、その国が関与した可能性は払拭できませんが過去にイランはタンカー無差別攻撃を行った歴史があり、イラン軍や革命防衛隊がアメリカとの対立を背景に海峡封鎖を再開する可能性はある。

 想定される脅威は、機雷や小型艦艇など。勿論、タンカー攻撃がイランによるものではない、というイランの主張を完全に捨てる訳ではありません、しかしタンカーが六件も攻撃された事も事実です。ホルムズ海峡の監視を通じて襲撃者を確実に追尾する事で、襲撃犯を確実に明白なものとする事が、イラン政府の主張と矛盾する事でもないように思います。

 機雷、ホルムズ海峡封鎖の懸念で最も高いものは機雷であり、元も脅威度の高いものも機雷です。触発式や音響感知式や磁気感知式があり、海中に係留されるものや海底に横たわるものに浮遊するもの、浮流機雷という国際法で禁じられていますが相手が国際法を順守しない場合に用いられ得る、浮いて潮流により延々と漂い無差別に攻撃する物等がある。

 機雷敷設、機雷は一連のタンカー襲撃で用いられたとみられるリンペット機雷とは比較になりません。DEKAリンペット機雷を一例に挙げますと重量は6kgのFRP製本体に内蔵されている爆薬はRDXの1kgです。対してM-08/39触発機雷は200kgの本体に爆薬80kgが内蔵、破壊力は文字通り桁違いですが費用は1000ドルと大きめのテレビと同じ程度でしかない。

 テロ的な方法で海峡封鎖を試みる、これは1984年にスエズ運河機雷テロ事件という実例があります。1984年7月9日にスエズ湾を航行していたソ連貨物船ヌード-ジェスパーソン号が突如機雷の爆発により損傷しました。この日を境に日本船を含め商船やタンカー等が次々と機雷被害を受け、二ヶ月間で実に15か国、19隻もの商船が機雷被害を受けました。

 スエズ運河機雷テロ事件の実行犯は今を以て判明していません。しかし、スエズ運河に経済の大半を依存するエジプト政府とサウジアラビア政府は対応を迫られ、掃海部隊を派遣します。機雷被害はスエズ湾から紅海に至る広大な海域に及び、エジプトとサウジアラビアだけでは対応が難しい事から両国政府は世界へ救援を要請し有志連合が派遣されます。

 スエズ運河と紅海へは、アメリカ海軍、ソ連海軍、イギリス海軍、フランス海軍、イタリア海軍、オランダ海軍、六カ国が派遣され東西冷戦下の東西両陣営が共に掃海に当りました。スエズ運河は1956年のスエズ危機や1973年の第四次中東戦争では戦場となり不発弾も多数が回収されましたが、中には1981年以降に製造されたソ連製機雷も発見されている。

 スエズ運河はソ連経済にも影響する為、ソ連製機雷を以てソ連の関与とは考えにくく、テロ事件との見方が強まりました。疑惑を持たれたのは当時ロッカビー事件ジャンボ機爆破事件等世界中でテロ事件を引き起こしていたリビアの関与でした。疑惑をもたれていたのがリビア船ガート号で7月6日から21日まで異様に長期間を掛け紅海を航行していました。

 リビアの関与は確定したものでは無く推測ではありましたが、ガート号紅海の入り口からスエズ運河までを15日間掛けゆっくり航行し、その後スエズ運河からリビアのトリポリまでは2日間で戻っています。は同船は後部にランプを持つRORO船で、ここから機雷を敷設したのではないか、と。これはテロ的な海峡封鎖であれば商船でも可能という事を示す。

 ホルムズ海峡が機雷封鎖、現実となった場合には特にタンカーが被害に遭った場合、流出原油により湾口全域が汚染され、大規模原油火災の懸念もあります。中東からの石油に電力や工業生産等の多くを依存する我が国にも対岸の火事では全くなく、掃海部隊の派遣や、海峡封鎖を監視する哨戒機部隊の派遣等、必要性は今後起きくなる可能性は、あるのです。

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参院選2019:連立与党141-野党104,自民公明連立与党圧勝に奮わぬ即席野党連合と投票率

2019-07-22 20:00:26 | 国際・政治
■第25回参議院議員通常選挙
 第25回参議院議員通常選挙は今月4日に公示され昨日が投票日、即日開票となりました。

 令和元年参院選は自民公営連立与党の圧勝に終わりました。巨大与党への対抗を旗印に一人区を中心に野党は候補者一本化を図るものの、実績強調の与党に対し、与党議席数は71議席、野党連合と他の野党は53議席であり、参院選非改選組は与党70議席と野党51議席、参院議席の勢力は連立与党141議席に対し野党は104議席、過半数を維持しています。

 参議院の勢力は、しかし選挙前の147議席から141議席となりました。与党議席数減の背景は、今回の改選組は2012年参院選挙の改選、当時は民主党政権時代末期であり経済政策と金融政策の静観による停滞と進まぬ震災復旧復興に二転三転の外交政策と頻出する内部問題、ここに変革と回帰を求めた自民公明、2012年あの頃ほどの勢いは現在、在りません。

 与党圧勝と云い得る背景には、どうあっても141議席と104議席の間には安定多数と云い得る数字ですし、三年前の参院選改選組では70議席を確保し、併せて野党連合という従来以上に踏み込んだ選挙協力の下でも改めて71議席を確保出来た事は、有権者からの引き続いての政権運営を付託されたといい得る為です。臨時国会は来月一日に招集されるという。

 憲法改正を一つの政策論点として自民党は掲げました。これは安倍自民党総裁の任期である事を考えるならば、大きな政策論点となり得るものでしたが奮わず、参院選は二院制にあって政権選択の選挙となる衆院選への中間選挙という解釈も重なり、討議の冴えなかたのは残念です。しかし、与党は改憲発議に必要な三分の二議席数確保には至っていません。

 憲法問題については、しかし、安全保障関連法制等は現実の問題に対処する為に制定されたものです。憲法上問題があるならば、現実上の問題が国民に弊害を看過できない影響を及ぼすまで棚上げし放置するか、合憲となるように憲法を現実の問題へ即し改正か、実定法では無い憲法下で現行法を運用上合憲と解釈する。ここが無視されているのは残念だ。

 野党連合は今後六年間に自衛隊への違憲を主張しないとして一致しました。そして安保法制廃止でも一致しました。不思議に思ったのは、安保法制には自衛隊法改正部分も含まれており、自衛隊は合憲だが自衛隊法は違憲、という立場は少々理解しがたいものでした。言い換えるならば、野党連合には大同小異と云いつつ連立を組める程には一致が無かった。

 共通政策公約、というものが必要ではないか。野党連合については今回、連立与党を参院議席数三分の二以下に抑える事が出来たとして成果を強調しています。ただ、与党に対抗する、という部分だけで一致しており個々に別個の政策領域から主義主張を提案しているのでは、少なくとも与党に反対するだけの野党、という領域を出るものではありません。

 インスタント連合、即席連合というべき野党連合の弊害は、核開発転用可能な対韓先端工業原料輸出優遇措置停止、ホルムズ海峡連続タンカー襲撃事件、徴用工対日民間賠償問題、選挙期間にも問題は相次ぎ、仮に野党連合が将来の衆院選に政権交代を迫る場合における諸問題の合議が出来ておらず、政党指針明示さえ出来ませんでした、野党討議が無かった為です。

 野党連合は巨大与党に対抗するが諸政策の分野での合議を行わない、というものでは、巨大ではない与党ならば許容する、つまり自分たちが反対以外具体的政策を立案する側の与党とはなり得ない、という云わば政権を目指さない万年野党宣言と云わざるを得ない事が、次の選挙となる衆院選へも影響を及ぼすでしょう。公開政策討論を行うべきではないか。

 安全保障政策、どうしても北大路機関は経済政策や年金政策について、防衛安全保障政策ほどの諸外国事例や周辺知識集約の基盤が無い為にこの部分に特化してゆくのですが、どうしても安全保障政策で野党連合が次の総選挙に置いて現実的な意見集約を出来るとは考えられないのです。具体的には野党連合が合意の安保政策は安保法廃止、のみでしたから。

 連立与党の優位性は政策立案と実行能力です。野党連合は政策立案を強調していますが、具体性に欠けるといえる、その背景には意見集約と政策反映という政治システムの機能不随があります、実行への弊害を勘案した利益と支持の相関関係を省いた政策は大衆迎合主義的になる事は如何とも避けがたく、これは前政権政権交代時の反省が活かせていません。

 二大政党制と云われる自民党社会党時代には、村山政権時代まで自民党優位こそ揺るがなかったものの、社会党右派にはリアリズムに基づいた防衛政策、弾道ミサイル防衛や空母保有論に徴兵制も含めた踏み込んだ論客が激論を通じ、この中で部分的合意と妥協に政策修正を与党に迫る構図が機能していました。ここが一種ポピュリズムに堕した印象はある。

 与党に対する選択肢を示すのであれば、完全に野党間では無かった事となっているタンカー襲撃事件や日韓関係、これから考えるという名の棚上げ、日本の説明を重ねるという名の無策、話し合いで解決を目指すという問題解決の遅延、ここを合議し妥協と修正を加えてでも一本化が必要だ。リアリズムかポピュリズムだけしか選挙で選択肢がありません。

 一方、低い投票率は毎回の問題となっていますが、単に政治関心の薄れは問題なのでしょうか、地域過疎化により山間部や交通難所等の過疎地域において投票所の集約が進み、三円間で投票所は858カ所減りました。徒歩圏内に投票所無し、という地域は増えています。若者の政治離れというよりは、投票所の有権者離れが進んでいるのではないでしょうか。

 858箇所減少した投票所、更に有権者の高齢化も進んでいます。投票に行きたくとも、要介助であり投票所まで期日前を含め行く事が出来ない有権者も増えている実情があります。要介助者投票支援制度、投票日翌日の祝日化による移動支援、投票呼びかけ待っていれば投票率が上昇する期待は出来ません。有権者政治参加機会を再興する必要があるでしょう。

 投票所の減少背景には、投票所運営者の人手不足があると説明されるのですが、運営関係の人件費を増大させ、選挙への選挙資金以外の選挙運営費用をもっと多くの費用と投じてでも投票所を維持し、介助制度を整備し、投票率を高める制度が必要です。民主主義は費用を要しますが、正統性と正当性を確保するには、その為の覚悟と負担が必要と考えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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