北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】近江神宮,ありがとう滋賀:初詣の皇紀二六〇〇年国家記念事業境内探訪記

2018-01-31 20:02:02 | 旅行記
■初詣二〇一八:大津京近江神宮
 初詣は昨年滋賀県の方に非常にお世話になりましたので、ありがとう滋賀、感謝の念を込め、比叡山を越えて滋賀県大津市へ行ってまいりました。

 近江神宮、大津市に所在していましてこの街は京都から比叡山を挟みお隣の琵琶湖畔に広がる美しい滋賀県の県都です。京阪電鉄が直接乗り入れている大津市、その琵琶湖岸を沿線とする京阪電鉄石山坂本線沿線に旧官幣大社である神宮の森が比叡へ広がっています。

 初詣に歩みを進め、石段を仰ぎ見て聳える二の鳥居、二の鳥居が深い木々の木洩れ陽に桜花が浮き、それは独特の風情を醸し出しており、神宮の山道の木々に囲まれた静寂を更に歩を進めた刹那の情景の転換には、新鮮な気概が湧く、不思議な錯覚を味わえるでしょう。

 ちはやふる、との小倉百人一首の競技かるたに挑む女子高生たちの姿を描いた漫画作品、アニメ化もされた作品の舞台となっていますこの近江神宮は、皇紀二六〇〇年国家記念事業にあわせ1940年に創建された、比較的新しい神社で、時の祖神、文化学問の神徳がある。

 天智天皇を祭神として祀り、天命開別大神の別名と共に滋賀に広がるこの神社は、西暦667年に天智天皇がこの地を近江大津宮として遷都した由来があり、ちはやふる舞台となったのは天智天皇が小倉百人一首第一首目を詠んだ所縁がありまして、かるた大会の会場です。

 かるた名人位クイーン位決定戦が一月高上中旬の土曜日に、高松宮記念杯歌かるた大会が一月上中旬の日曜日に執り行われていまして、ともに日本最大の競技かるた大会という位置づけです。ちはやふる、ではこのかるた名人位クイーン位決定戦が舞台である訳です。

 秋の田の刈穂の庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつゝ、天智天皇御製和歌の句碑が近江神宮に飾られていますが、この他にも神宮には実に一三もの句碑や歌碑が境内に並びまして、小倉百人一首第一首目を詠んだ天智天皇の時を超える一句等に浸れる空間が広がる。

 漏刻式水時計を我が国にて最初に設置した天智天皇の威光を伝えるべく、近江神宮には時計製造企業からの寄進も厚く、境内には機械式時計や電子時計に砂時計と各種時計を収めた時計館宝物館や、実務者の教育に当たる近江時計眼鏡宝飾専門学校等が並んでいます。

 近江造という、独特の建築様式が採用されていまして、これは我が国寺社建築の中で昭和初期に完成を視た他の寺社仏閣には無い様式です。昭和15年に創建された故ですが文化的にも貴重とされ国の登録有形文化財となりましたが、創建翌年太平洋戦争が始りました。

 時の祖神を祀る近江神宮創建翌年に太平洋戦争が開戦しまして、皮肉にも対米開戦の真珠湾攻撃が僅かに最後通牒より十数分先んじて開戦した事で騙し討ちの汚名を着る事となり、先に攻撃を加えたイギリスからは反論が無かったのに対し、緒戦優勢を穢してしまいます。

 太平洋戦争は皆様ご承知の通り、半年間で地球の一割を占領するに至りましたが、その後広げ過ぎた戦線を維持する国力を有さないわが国は徐々に連合軍へ圧倒され、工業生産力の多寡と戦略の稚拙さから本土が空襲、350万もの犠牲者を出し、敗戦へ追い込まれました。

 昭和天皇は1945年12月、敗戦を迎えたその年に、戦後復興を祭神天智天皇へ祈念するとして勅令を発し、神道指令による旧官幣大社の解消とともに勅祭社に治定されることとなりました。昭和天皇の勅令という勅祭社治定は極めて稀有で、復興への熱意が受取れます。

 近江造の社殿は、本殿、内拝殿、外拝殿、外拝殿と内院回廊、内院回廊、神楽殿、栖松遥拝殿、楼門、一の鳥居、二の鳥居と続いていまして、昭和の建築ながら、崇敬の厚さ、そして和歌の一句は時を超える事が出来る一種不思議なものだと風情を感じられるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陸上防衛作戦部隊論(第六九回):装甲機動旅団再検討日本版機甲支隊案,陸上自衛隊の中隊長

2018-01-30 20:08:03 | 防衛・安全保障
■富士学校が練成する中隊長
 装甲中隊戦闘群、小回りの利く編成ですが多種多様の装備で複雑、諸外国の初級将校が担う若い歩兵中隊長では指揮しきれないでしょう。

 陸上自衛隊だからこそ、装甲中隊戦闘群という編成はその能力を最大限発揮できるのかもしれません。こう言いますのも一つは、自衛隊には富士学校があるため、普通科と機甲科部隊の統合指揮に演練した指揮官を養成できる。もう一つは中隊長へ初級指揮官を経てAOCや進んでCGSやFOC等高等教育を受けた高い能力の指揮官が補職される為です。

 富士学校は、普通科学校と機甲科学校に特科学校を自衛隊草創期に統合創設した研究教育機関です、通常各国は歩兵学校と戦車学校を別々に置き、上級指揮官を養成していますが自衛隊は富士学校により各職種協同を重視し指揮官を養成してきました、故に戦車部隊と機械化普通科部隊に軽装甲部隊を包括指揮する要員は富士学校でなければ養成できません。

 富士教導団には機甲科と普通科や特科が装備するほぼすべての装備が揃い、このため、装甲中隊戦闘群を構成する戦車3両、装甲戦闘車7両、軽装甲機動車9両、96式装備車輪装甲車1両、重迫撃砲2門、迫撃砲3門、中距離多目的誘導弾2両、高機動車5両、1/2tトラック4両、3t半トラック2両, 3t半燃料車2両、重レッカー車1両、全ての種類が揃う。

 中隊長の能力、装甲中隊戦闘群は戦車戦闘梯隊と機械化戦闘梯隊に戦闘群支援部隊、増強中隊というよりも小型大隊に近い部隊数を隷下に置く編成案です、しかし元々自衛隊の普通科中隊は諸外国の歩兵中隊よりも編成が大きく高度な指揮官が求められ養成してきた。幹部上級課程AOC,指揮幕僚課程CGSか幹部特修課程FOCを修了した中隊長、そしてAOCを修了した中隊幹部を幕僚とできるだけの、高度な人材が陸上自衛隊には揃っており、人材は活用すべきです。

 陸上自衛隊だからこそ装甲中隊戦闘群、という視点には戦車300両時代を迎えての機甲部隊運用の変化も起きく反映されます、装甲中隊戦闘群は普通科中隊長も戦車中隊長も補職される試案、装甲機動部隊が機甲部隊の略称であることを踏まえれば、装甲中隊戦闘群は一種の装甲機動部隊であり、普通科機甲科の中隊長は総員、装甲機動部隊の指揮官となる。

 戦車と装甲戦闘車で10両を指揮、普通科と機甲科の幹部が中隊長へ補職される事が同時に少なくとも航空機動旅団と装甲機動旅団に類別する前提である以上、半数の中隊長が装甲機動部隊の指揮官を任される前提で、運動戦や部隊運用を念頭とするならば、戦車300両への縮小で戦車削減と共に将来必ず顕在化する機動運用部隊指揮官の不足、経験不足の戦車部隊が能力を発揮出来ない、という厳しい問題点を払拭する事も可能となるでしょう。

 新しい脅威に対して装甲中隊戦闘群は有事即応の体制を執る事が可能です。島嶼部防衛や邦人救出任務、潜在的に重要影響事態に際しての海外派遣、緊急展開が必要な任務は多々ありますが、装甲中隊戦闘群は装甲機動旅団隷下に最大12個、各方面隊に編成すべきとしている広域師団、即ち5個広域師団で60個装甲中隊戦闘群を編成できることを意味します。

 緊急展開を考える場合、装甲戦闘車両及び支援装甲車両各種20両、砲迫ミサイル等搭載車両7両、支援車両14両、合計41両、輸送艦おおすみ型1隻に全て搭載可能ですし、C-2輸送機の配備が軌道に乗れば、理論上は車両と弾薬1基数をC-2輸送機1個航空隊の2往復と10式戦車に関してはC-17輸送機等友好国支援2機により空輸展開が可能となります。

 これは、広域師団として航空機動旅団の緊急展開を支える重装備部隊の増強派遣という方式、多国間訓練への参加など防衛協力強化、離島などへの重装備予防展開、新しい選択肢を切り開くものとなるでしょう。無論大前提として、この政策提案には防衛計画の大綱に盛り込まれた戦車縮小を補う、装甲戦闘車の増勢と、師団体制の再編が前提になります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮国連制裁監視支援新任務【後篇】陸海空自衛隊統合任務部隊設置の必要性と過大任務

2018-01-29 20:17:13 | 防衛・安全保障
■統合任務部隊司令部設置が必要
 北朝鮮国連制裁監視支援新任務、任務増大の海上自衛隊を支援するには航空自衛隊や陸上自衛隊を統合運用し、関係各省庁の航空機や船舶とも協力する必要がある。

 統合任務部隊を北朝鮮船監視任務へ編成する必要はないか。任務増大の海上自衛隊は手一杯の状態です。従って、P-3C哨戒機やP-1哨戒機は、この高性能機でしか達成できない任務に重点化し、海洋監視任務については航空自衛隊と陸上自衛隊が海上自衛隊へ最大限協力し、併せて情報伝送と共有の迅速化へ、陸海空自衛隊統合任務部隊を置く必要がある。

 U-125AにもLR-2にも本来の任務がある事を忘れてはなりませんが、現在の海上自衛隊任務は、特に終息の見通しがつかない状況下において、激務の限度を超えているとさえ言えます。しかし、任務の規模に見合う水準に防衛力増強が出来ない現状では、統合任務部隊を創設し、陸海空自衛隊の情報を包括化し、この危機へ対応してゆく必要があるでしょう。

 北朝鮮国連制裁違反の禁制物資密輸監視新任務、海上自衛隊の新任務として加わりましたが、南西諸島に弾道ミサイル警戒と海賊対処に並行、海上自衛隊の負担を考えた場合、これは陸海空自衛隊の統合任務部隊司令部を佐世保地方総監部か春日基地西部航空方面隊司令部に設置し、陸海空が有する全ての装備品を統合任務部隊へ一元運用すべきでしょう。

 P-3C哨戒機やP-1哨戒機の洋上哨戒機としての能力は高いのですが、高性能航空機には別の任務、特に高性能航空機でなければ達成できない任務がある、ならば、そちらの任務に集中すべきで、海上自衛隊は、これ以上の任務は事故増大などへ直結するリスクがあり、期間を区切り短期的に無理を通し事故リスクを呑むか、能力過大という事を政治へ示すか。

 P-3C哨戒機とP-1哨戒機は海上自衛隊が誇る哨戒機で、主たる任務は有事の際に、日本のシーレーンを脅かし、また本土へ巡航ミサイル攻撃の脅威を及ぼす潜水艦の索敵と制圧です。一方、長大な航続距離と滞空時間を持ち、海洋哨戒機としても活躍しており、ソマリア沖海賊対処任務や南西諸島哨戒外国公船監視任務ではその能力を最大限発揮しています。

 中国潜水艦の沖縄尖閣諸島接続水域侵入事案、P-1哨戒機は、11日に発生した中国潜水艦による沖縄県尖閣諸島接続水域潜航侵入を受け、更に中国政府がこの侵入事案を日常訓練の一環と発表した事で同様事案が続発する懸念があり、優れた対潜哨戒機としての性能を有するP-1、P-3C哨戒機には潜水艦を警戒する、という哨戒機にしか出来ない任務がある。

 一方、北朝鮮船舶や北朝鮮行船舶は基本的に商船ですので、潜水艦のように潜航し隠れる可能性もありませんし、水上戦闘艦のようにステルス性を以て自己位置を秘匿する能力もありません、その発見と追尾には海中の潜水艦を追う最先端の電子機器を備えるP-1哨戒機やP-3C哨戒機の能力はやや過剰で、それならば、ほかの機種を使い得る、ということ。

 冷戦時代に海上自衛隊護衛艦は約60隻、哨戒機も100機装備されていました。冷戦後に脅威が減少したとの判断を受け順次縮小しているのですが、脅威が増大した現状では増強に転換したものの微増に留まり、財政難という問題が防衛上の問題と重複し、財政再建が優先されている状況で、部隊負担だけが増大しています。現状では事故に繋がりかねない。

 E-767早期警戒管制機や将来的に配備されるE-2D早期警戒機も船舶監視任務には有用です、実際に海洋監視能力をレーダー処理能力に織り込んでいます。また、船舶監視だけならばF-15DJ戦闘機やF-4EJ改戦闘機、F-2B戦闘機等の複座戦闘機も有用でしょう、速力が大きく即座に進出できます。しかし現実問題、対領空侵犯措置任務が大きすぎ、余裕が無い。

 南西諸島防空を考えた場合、航空自衛隊の負担も無視してはなりません。実のところ緊急発進の件数は航空自衛隊が350機の戦闘機を運用していた当時よりも、戦闘機数が280機となっている現状の方が回数が増大しており、これでは有事の際の航空優勢維持への訓練体制破綻も時間の問題です。引き抜く部隊がありません、この認識を忘れてはなりません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年【4】基地散策(2011-09-11)

2018-01-28 20:03:57 | 在日米軍
■厚木基地一般公開の活況
 厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年、第四回は列線展示から保存展示機地区等を巡る。

 第五空母航空団は、原子力空母ロナルドレーガンの艦載機部隊です。空母ミッドウェー、空母インディペンデンス、空母キティーホーク、原子力空母ジョージワシントン、原子力空母ロナルドレーガン、と空母は除籍や整備で交代しても空母航空団はそのままでした。

 第五空母航空団の編成は、2018年の時点では第102戦闘攻撃飛行隊、第27戦闘攻撃飛行隊、第115戦闘攻撃飛行隊、第195戦闘攻撃飛行隊、第141電子攻撃飛行隊、第125早期警戒飛行隊、第12洋上戦闘飛行隊、第77洋上攻撃飛行隊、以上から編成されています。

 第102戦闘攻撃飛行隊、愛称は“ダイヤモンドバックス”、F/A-18F戦闘攻撃機を運用しています。機体番号100番台を冠したF/A-18Fを運用しており、この100番台の機体番号はモデックスナンバーで、空母甲板で一見して所属飛行隊が分かるように付与されています。

 第27戦闘攻撃飛行隊、愛称は“ロイヤルメイセス”、F/A-18E戦闘攻撃機を運用する部隊です。モデックスナンバーは200番台を付与されており、海軍空母航空団は稼動戦闘機12機を定数としており、予備機等も含めF/A-18E/F 戦闘攻撃機が13機が配備されている。

 第115戦闘攻撃飛行隊、愛称は“イーグルス”、モデックスナンバーは300番台です。F/A-18E戦闘攻撃機を運用している。空母航空団飛行隊定数は空軍や航空自衛隊飛行隊より少ない。しかし航空団隷下の飛行隊数全体が多く航空団を構成する戦闘機数は同等かそれ以上だ。

 第195戦闘攻撃飛行隊、愛称は“ダムバスターズ”、モデックスナンバー400でF/A-18E戦闘攻撃機を運用する。今回掲載の写真は改編前で、当時はF/A-18C/D等も残っていました、海軍は実に年間50機以上ものF/A-18E/Fを調達し、空母航空団の近代化を進めています。

 第141電子攻撃飛行隊、愛称は“シャドウホークス”、モデックスナンバーは500番台で、EA-18G電子戦攻撃機を運用する飛行隊です。今回の掲載写真を撮影しました2011年当時はEA-6電子戦機を装備していました、しかし現在はF/A-18E/F派生型へ統合されている。

 第125早期警戒飛行隊、飛行隊愛称は“タイガーテイルズ”、自衛隊も採用、最新鋭のE-2D早期警戒機を装備するモデックスナンバー600番台の飛行隊です、2017年に第5空母航空団へ編入されていまして、この2011年当時は機種もE-2C早期警戒機を運用しています。

 第12洋上戦闘飛行隊、モデックスナンバーは610番台で愛称は“ゴールデンファルコンズ”、MH-60S多用途補給支援ヘリコプターを装備しています。攻撃の名を冠したヘリコプター部隊ですが、対潜哨戒等は主任務ではなく戦闘捜索救難任務や艦隊輸送任務に用いるもの。

 第77洋上攻撃飛行隊、モデックスナンバーは700番台で愛称は“セイバーホークス”、MH-60R統合多用途艦載ヘリコプターを運用、LAMPS軽量空中多目的システムの運用を担う対潜ヘリコプターでありミサイル誘導や対水上攻撃等を担うヘリコプター部隊です。

 飛行隊ごとに厚木基地一般公開では飛行隊パッチや飛行隊識別帽等、各種グッズが発売されています、パッチは1000円から2000円程度、識別帽は2500円から高くとも4000円程度となっています。一般公開でしか入手できず、これが航空機愛好家の一部を惹きつける。

 毎年確実に販売されているのではなく、運用する機種が新型となればパッチも当然新型に置き換わる、また、ローテーションで航空団から飛行隊が別の航空団へ移管され米本土へ帰国する事もありますので、日本国内で欲しい人は飛行隊が交替で帰国する前に揃えたい。

 ミッドウェー艦載の第五空母航空本国内で、というよりもアメリカ本土以外で唯一常時観る事が出来る飛行場という事で首都圏航空機愛好家は時間を見つけ自慢の撮影機材を基地周辺に並べました。米海軍公式、と非公式の艦載機応援団体が写真集を多く出しています。

 京都から厚木基地、といいますとあまりなじみがありません。山口県の岩国基地よりは厚木基地の方が距離では近いのですが、京都からは航空自衛隊小松基地や岐阜基地、小牧基地、陸上自衛隊の八尾駐屯地や明野駐屯地、海上自衛隊小松島航空基地の方が馴染み深い。

 この厚木基地ですが、2011年当時はそれ程、保安検査が厳しいという印象は無く、アメリカ大阪神戸総領事館や防衛省本省と比べれば、という印象です。しかし、昨今では本籍地記載運転免許証や住民基本台帳、旅券等により確実に国籍を証明しなければなりません。

 横田基地や横須賀基地では抽出検査となるのですが,運転免許証ICカード式への移行に伴い本籍地確認には所轄警察署が管理する暗証番号が必要となり、また住基ネットカードを置き換えるマイナンバーカードが国籍を証明できず、国籍確認用に用いる事が出来ません。

 横須賀よりも保安検査が厳重、というのは入場者全員が国籍証明を行う点にありまして、しかもエアバンドレシーバー持ち込み禁止等の制限もあります。この事を非難する訳ではないのですが、日本の身分証制度が一枚で確実に身分証明できるシステムの不備が寂しい。

 普天間飛行場と比べれば厚木基地の入場はまだ、厳しすぎない、という声もあります。沖縄の普天間飛行場は、移設問題に揺れる最中ですが、年度によっては一般公開の際に一眼レフが禁止、一定以上の望遠レンズが禁止、という年度があります。コンパクト機種のみ。

 嘉手納基地ではそれほどの制限がありませんし、同じ海兵航空部隊の岩国基地でも制限は無し。しかし、一眼レフを愛用するユーザーにはコンパクト機種を必ずしも携行はせず、望遠ズームならば下手なズームレンズよりも超望遠を想定したコンパクト機種もある。

 自衛隊の基地では、一般公開に限れば基本的に撮影機材は脚立使用制限や三脚制限というものはありますが、機材に関しては規制がありません。入口で駄目です、と云われる可能性を考えますと、ちょっと縁遠くなる印象、それならば事前応募制にしては、とさえ思う。

 まあ、いろいろあるのですが、厚木基地は活況です。近年では周辺自治体からの騒音苦情から一機たりとも編隊飛行や機動飛行等飛行展示を行う事は出来ないものの、実任務飛行を一般公開の時間帯に併せて離陸する、一種の展示飛行代替のような工夫を行っています。

 厚木基地の難しい位置づけは首都圏近郊で、周辺には横浜市と川崎市に相模原市という政令指定都市が並ぶ中で、空母航空団を配置している点です。飛行場は通常1800mの滑走路を有しますが、空母の全長は330mに過ぎず、頻繁な陸上空母発着訓練が必要となります。

 墜落事故の懸念は常にありますし、実際過去には海軍航空隊のファントムが市街地へ墜落する事故が発生しており、万一再発したならば、周辺人口の増大から死傷者数が一桁多くなる懸念がありまして、一回でも事故が起これば。日米同盟そのものを揺るがしかねない。

 岩国航空基地への第五空母航空団移転事業は2005年の米軍再編日米政府間合意により決定しました。同時に決定した普天間飛行場移転事業は地元住民反対で頓挫していますが厚木からの岩国移転は岩国拡張工事完了と共に開始されており、厚木基地は現在転換期にあります、こうした中、敢えて2011年の活況を掲載しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【くらま】日本DDH物語 《第三四回》はるな誕生、殊勲の名艦戦艦榛名継ぐ護衛艦2401号

2018-01-27 20:07:26 | 先端軍事テクノロジー
■強運殊勲の戦艦榛名を継ぐ
 ヘリコプター搭載護衛艦はるな、この建造は海上自衛隊を大きく転換させることとなりました。

 はるな、は三菱重工長崎造船所において建造、旧海軍戦艦武蔵や高速戦艦として活躍した巡洋戦艦霧島を建造の三菱長崎での建造です。第三次防衛力整備計画にもとづき1968年に護衛艦2401号として建造決定、1970年3月19日に起工式を迎えました。進水式は1972年2月1日、公試を経て1973年2月22日に自衛艦旗を受領、護衛艦として竣工しました。

 はるな、という艦名は旧海軍の戦艦榛名を継承する二代目の艦名となりますが、戦艦榛名含む金剛型戦艦は巡洋戦艦として建造された。同時に海上自衛隊の護衛艦が初めて山岳名を冠名した瞬間でもあり、はるな、ひえい、しらね、くらま、こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい、あたご、あしがら、と連綿と続く山岳名のはじまりでもあるのです。

 榛名、旧海軍の戦艦榛名は第二次大戦終戦時に呉軍港にて大破状態ではありますが戦没を免れており、緒戦の南方作戦、ミッドウェー海戦での空母護衛、ガダルカナル島米軍飛行場艦砲射撃、レイテ沖海戦主力部隊参加、巡洋戦艦として設計された為、空母部隊直衛等で太平洋戦争全般で第一線にて活躍しつつも、まれにみる強運艦として生き延びました。

 海上自衛隊が山岳名を護衛艦はるな型に冠した背景には、その大型艦としての設計が従来の護衛艦とは異なる点、また強運を誇る戦艦榛名の艦名について、機体を背負い、新生海軍を期す海上自衛隊が継承した構図にほかなりません。基準排水量は4700t、当時は旧海軍を知る海上自衛官も多く在職していましたが、久々の大型艦として羨望視されたようです。

 また、はるな最初の母港である横須賀は横須賀鎮守府庁舎がアメリカ海軍により接収されたままではありましたが、竣工の1973年はヴェトナム戦争中、艦艇稼働率が異常に増大しつつ整備が低下していた時機であり、ここに全長153m、全幅17.5m、新しい設計思想のもと美しい塗装と最新の航空機材を備えた護衛艦の到着は、新時代の到来を印象付けました。

 基準排水量は予算面から当初の5000tを4700tに抑えられました。ただ、将来発展性を残しており、後の近代化改修により基準排水量は4950tまで増大します。満載排水量は6800t、第二次大戦中の軽巡洋艦に匹敵する大型艦となりました。船体は遮浪甲板構造を採用し、そのうえで後部甲板は全通構造となり、文字通り、航空機の運用を最重要視した設計です。

 航空機重視の設計は船体動揺を最小限とするべく搭載したフィンスタビライザーにもあらわれており、海上自衛隊の護衛艦としては初の採用となりました。ヘリコプター搭載護衛艦として、航空機の運用能力が突出する護衛艦はるな、ですが海上自衛隊が初めて満載排水量5000tを越える護衛艦を建造したもので、機関部の面でも特筆すべきものがあります。

 機関には蒸気タービン方式を採用した護衛艦はるな、蒸気タービン方式は当時でも世界で主流の方式ですが、戦後初の国産護衛艦となった護衛艦はるかぜ以来の技術が応用されるとともに70000hpという強力な推力が採用されています。これは蒸気圧と機関蒸気温度に如実に反映されており、当時の護衛艦機関部の蒸気温度は400度程度となっていました。

 はるな、は機関部蒸気480度という高温の高圧蒸気を機関部に備え、速力は31ノット、先代となる戦艦榛名よりも優速です。この高圧蒸気構造の機関部開発実績は、第二次大戦中の技術水準を継承した事を示すと共に二番艦ひえい、1976年より竣工のミサイル護衛艦たちかぜ型、ヘリコプター搭載護衛艦しらね型と艦艇大型化を支える原動力ともなりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成二十九年度一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.01.27/01.28)

2018-01-26 20:11:18 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 今冬最強寒波の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末に自衛隊関連行事は予定されていません。

 今週末の自衛隊行事無し、という週末にはたんたんと書架の書籍が分野別著者別に総覧出来るよう整理整頓に努めたいところですが、お近くに官民両用空港として航空自衛隊と民間空港が併用されている空港へ航空機見物にお出かけになってみてはどうでしょうか。空港の多くは展望デッキが設置されており、自衛隊機と旅客機等を撮影する事ができます。

 政府専用機の千歳、新千歳空港国際線と千歳基地、茨城空港と百里基地、県営名古屋空港と小牧基地、小松空港と小松基地、那覇空港と那覇基地、等が有名です。勿論、戦闘機部隊以外は対領空侵犯措置任務以外に休日に離着陸は基本的にありません、しかし旅客機と基地施設を展望デッキ越しに眺めると何か非日常を感じます。勿論防衛上視られて困るものは見えず安心です。

 岩国基地や三沢基地等は民間空港が併設されましたが、特に岩国基地などは展望デッキが無く全体を見られないよう配置され、こちらは民間空港新設上の配慮がありました。他方、展望デッキのある空港に関しては、見てもらうための施設ですので気兼ねなく楽しめる。レストランや空港によっては入浴施設もあり、観光地としても、空港は楽しめる場所です。

 さて撮影の話題、ジュラルミン製カメラバック、豪雨下で頑張っている様子を側聞しますと、なるほど当然すべての雨滴をはじき返している心強い様子、当方の軽量撮影機材の時のBillinghamカメラバック、重装備の際のDOMKEカメラバック、CANONカメラバック、ともにコットン製やナイロン製で多少は雨滴を弾くとはいえ、次第に沁み、ジュラルミン製が羨ましい。

 撮影機材をどのようにして雨滴から防護するかで、ジュラルミンなどの金属製は確実性があります。ただ、利点と共に収容可能な撮影機材が定まってしまい、例えばレンズを買い替えた際に新しいレンズが大きければ無理をして押し込むことができません。このレンズとカメラの組み合わせにはこの大きさ、一本増やす際にはもう一回り大型、となります。

 実は雨天の度にジュラルミン製カメラバックの検討を考えるのですが、この難点が大きく、調達を思いとどまるのですよね。そして収容力に比して大型となり、それゆえの頑丈性なのですが、例えば旅客機での移動や高速バスでの移動などに制限が加わり、今年も幾度か、いいなあ防水頑丈なジュラルミン製カメラバック、と思いつつ、しかし重いのだよなあ、と過ごしています次第です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭


・今週末の自衛隊行事はありません

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国連が日本へ支援要請,マリMINUSMA/南スーダンUNMISS/コンゴMONUSCO情勢悪化

2018-01-25 20:08:05 | 国際・政治
■PKOはこのままでよいのか?
 PKO,地域安定化と文民保護へ任務拡大の国連PKOですが、トランプ政権との対立により予算が払底し日本へ異例の支援要請が行われました。

 国連平和維持活動PKOが危機的状況にあるとして国連政治局のラクロワPKO局長は日本に対してPKO要員の訓練費用負担などを国連分担金以外に要請したい異例の会見を行いました。アメリカのトランプ政権が国連PKOを非効率で問題山積だ、としてPKO関連の予算削減を行った為、現在も世界15カ国において実施しているPKO要員の訓練が課題です。

 日本のような国からの支援が必要だ。24日に日本政府の高官と会談したが支援を得られることを期待している。ラクロワPKO局長はこう述べています。日本は1992年のカンボジアPKO任務UNTACから永らく自衛隊をPKO部隊として派遣しており、2002年の東ティモールPKO以降の国連軍としての性格を有するPKOへも派遣を継続してきました。

 しかし、2017年に南スーダンUNMISS派遣に際し、南スーダン国内が事実上の内戦状態となり、国連がUNMISS任務を当初の新国家南スーダン建国支援という任務に加え、地域安定化と文民保護という、南スーダンにおける非戦闘員への戦闘員からの被害をPKO部隊が実力で阻止するとの新任務へ対応する事が憲法上難しく、自衛隊を撤収させています。

 国連PKO報告書が22日に発表され、これによれば国連PKO任務にとり、昨年2017は実に56名ものPKO要員が戦死する、極めて過酷な年となりました。特にPKO部隊任務を平和維持とした2002年以前のPKOと異なり、現在のPKO任務は平和執行として平和創造を任務としている為、PKO部隊そのものが攻撃目標となる事例が増大しているとのこと。

 南スーダン合同監視評価委員会のモゲ委員長によれば、自衛隊PKO撤収後の南スーダンでは、内戦状態に停戦合意が締約され一応の停戦は構築されているものの、PKO地域安定部隊の増援展開後にも戦闘が散発的に発生しているほか、国連人道援助費用が現地勢力により正しく用いられず、人道危機に拍車を掛けているという厳しい状況が報告されました。

 国連マリ多次元統合安定化派遣団MINUSMA任務では、2013年にフランス軍サーバル作戦による地域安定化作戦完了後最大の危機が発生し、昨年11月にはマリ北東部メナカにてPKO部隊の車列が襲撃されPKO要員など死傷者21名が発生、同日に中部ドゥエンツァでもPKO部隊車列が襲撃され死傷者4名、この日だけでPKOは4名の戦死者を出した。

 国連コンゴ民主共和国安定化任務MONUSCOでも昨年12月、北キブ州においてPKO部隊への武装勢力民主勢力同盟ADFによる大規模な襲撃事案が発生、戦闘は三時間に及び14名のPKO要員が戦死しました。MONUSCOはコンゴ政府が2010年に国内の無政府状態安定化へ国連の関与を求めたもので、2万2000名の地域安定化部隊が派遣されています。

 訓練費用などの日本への支援を求める背景にはPKO部隊への訓練不足が露呈している為と考えられます。国連報告書は2017年の多数のPKO戦死者の背景に、必要な状況での適切な反撃を行わなかった事での損害増大や、IED簡易爆発物等による待伏せ攻撃等への適切な回避訓練を欠いた部隊が損害を受けた等、訓練強化への切迫し切実な実情を記しました。

 自衛隊は国際活動教育隊を有し、高度なPKO要員教育能力が整備されています。ただ、自衛隊の国際活動教育は国家再建などの支援を念頭としたもので、戦闘は基本的に回避が前提です。現在のPKOは戦闘地域へ地域安定化を目的として介入する地域安定化と平和創造が任務に加わり、戦闘回避前提の日本へは資金支援以外求められぬ事情があるのでしょう。

 ただ、現在のPKO訓練予算払底は喫緊の課題ではありますが、仮に日本が費用面での緊急支援を行う場合には、PKOの在り方についてもう少し踏み込んだ発言と関与が求められます。現在、自衛隊が平和主義の観点から参加出来ない国連による平和創造、平和執行のPKO任務には人道危機への国連の一歩踏み込んだ積極関与の姿勢が明確に反映されたものです。

 国連が冷戦時代に超大国間にあって調整を念頭に本来の任務である“国際の平和と安全”へ寄与しようとした中での限界を反省しての施策が、平和維持から平和創造平和執行への転換ですが、これは手段としての平和から目的としての平和へ実力行使を伴うものです。無論人道危機放置は忌避したいところでしょうが、その中で敢えて、従来型のPKOへの回帰、停戦監視と報告によりPKO要員の安全を考えた施策への転換を促す必要はないか、と考えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

AH-1Z沖縄県渡名喜村村営ヘリポート予防着陸,今月三度目の高頻度異常事態と原因検証

2018-01-24 20:18:51 | 国際・政治
■日米共同検証共同対処の必要性
 AH-1Z攻撃ヘリコプター、予防着陸事案が発生しました。今月だけで三度目、この頻度は異常事態です。影響を考えれば単なる抗議声明で終わらせてはならないでしょう。

 アメリカ海兵隊のAH-1Z攻撃ヘリコプターが昨夜、沖縄県渡名喜村村営ヘリポートに緊急着陸しました。AH-1Zは陸上自衛隊が運用するAH-1S対戦車ヘリコプターと同系統の機体で、UH-1多用途ヘリコプターから発展した航空機です。AH-1ZはAH-1の最新型で運用開始は2010年と最新鋭機で陸上自衛隊次期戦闘ヘリコプターの候補機ともなっています。

 予防着陸、という用語がありますが、アメリカ軍では異常通知を示す計器表示と共に一旦緊急着陸する事で墜落事故を予防する、という運用があります。厳密には事故ではなく、旅客機が機体異常により着陸地を変更する状況に似ているものです。ただ、発生頻度は通常では考えられず、AH-1Sを60機運用する陸上自衛隊でもこの頻度では発生していません。

 UH-1Y汎用ヘリコプターの沖縄県うるま市における緊急着陸事案が1月6日に発生しており、UH-1Yについては砂浜に予防着陸後、自力飛行不能となりCH-53重輸送ヘリコプターによる吊下輸送にて撤去されました。続いて1月8日には沖縄県読谷村におけるAH-1Zの予防着陸事案発生し、河野外務大臣がアメリカのハディ大使へ抗議を申し入れています。しかし、日米同盟の重要性を考える場合、抗議だけではなく協同解決として関与する必要性は無いのでしょうか。

 影響は大きい、日米ども同系統の機体を運用し、日本は米軍並に航空機延命を進め、同系統の作戦運用基盤も構築に向かっているのだから、アメリカだけの門d内ではなく日本の防衛力にも直結し得る。AH-1Z攻撃ヘリコプターにUH-1Y汎用ヘリコプター、沖縄県への米軍ヘリコプター緊急着陸は今月だけで三回目となり、予防着陸の頻度としては異常事態であり、整備補給体系や航空機基本設計と回転翼機航空部隊運用体系の何れかに何らかの問題があるのではないか、住民不安は勿論、海兵航空部隊の運用能力全般に不安定要素を考えねばなりません。

 老朽機ではありません、新型です。UH-1Y汎用ヘリコプターは2009年に海兵隊において運用開始となった最新型で陸上自衛隊も同系列のUH-1J多用途ヘリコプターを運用しているほか、改良型のUH-Xが富士重工において開発中です。UH-1系統の航空機は原型初飛行が1957年、陸上自衛隊も1961年よりHU-1Bを運用し、機体由来事故が皆無という高い信頼を航空要員から勝ちえています。

 整備補給体系や航空機基本設計と回転翼機航空部隊運用体系とある可能性の中で原因は何か、整備補給体系の可能性を考える場合、アメリカ海兵隊の航空機整備間隔や平均故障間隔等の点検面、そして定期整備を行う日本飛行機や大韓航空の整備体制等に大きな変更は無かったのか、点検項目変更や維持部品の品質管理等の視点から精査してゆく必要がある。

 航空機基本設計に問題がある可能性、AH-1Z,UH-1Y共に最新鋭機ですが、AH-1ZはAH-1W攻撃ヘリコプターを近代化改修した機体であり、UH-1YもUH-1N汎用ヘリコプターを近代化改修した機体です。ただ、機体フレームの一部など5%が原型のままであり、95%の部品は新造という事実上の新造機といえます。それでも老朽部分問題は理論上皆無ではない。

 航空機基本設計は陸上自衛隊でもUH-1系統を1961年から、AH-1Sを1981年から今日まで長期運用していますが設計上の欠陥は見つかっていません。しかし、改良型として米軍のAH-1ZやUH-1Yは別物の高性能で、特にAH-1Zは陸上自衛隊の最新型AH-64D戦闘ヘリコプターとエンジンが同型という程、改良幅が大きすぎるという視点は必要でしょう。これは今後自衛隊の航空機延命改修が続けられるのならば、検証し解決策の共有が必要となる問題です。

 回転翼機航空部隊運用体系の変更に原因を考える場合について。JASBC統合エア-シー-バトル構想としてアメリカ軍は2010年のQDR2010四年ごとの国防見直し報告書に新運用体制を盛り込み、特に中国軍の第一第二列島線太平洋上画定に基づく接近領域拒否戦略へを将来の脅威と位置づけ、海空軍海兵隊へ戦力投射へ遠距離打撃戦力の向上を求めています。

 JASBC統合エア-シー-バトル構想は文字通り両用作戦能力強化を当然必要とするものであり、海兵航空部隊は両用作戦における不可分の航空支援を担う。重要なのはこのJASBC統合エア-シー-バトル構想を実現する上で、現在のAH-1ZやUH-1Yの能力以上、若しくは部隊数の運用を求めている可能性で、運用上の限界を超えた可能性を考える事も出来得る。この視点については日米共同対処の必要性があります、日米同盟の根幹に関わる運用なのですから。

 同型機の飛行停止求めるべき、自民党の二階幹事長と公明党の井上幹事長は23日夜の会談でこう一致しました。この頻度で今後も予防着陸が継続したならば、墜落事故の懸念も払拭できません。海兵隊の抑止力は重要ですが、墜落事故が生じれば抑止力の根底が同盟関係にあり、同盟関係は日米両国民の信頼が担っている基盤そのものを破綻させかねません。

 日米は同盟国ですので自衛隊のAH-1SやAH-64Dが訓練支援を行う選択肢がある。実際オーストラリアのレオパルド1戦車やM-1A1D戦車が米海兵隊訓練支援を行った事例があります、在沖米軍は第3海兵師団や第31海兵遠征隊等陸上戦闘部隊を有しますが編成上戦車部隊を欠いている為、両用訓練を行う場合に豪州にて戦車と共同訓練を実施していました。日米両国民が納得できるよう検証を徹底する選択肢は当然あるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草津白根山噴火!草津国際スキー場に噴石と雪崩被害,スキー客と冬季訓練中の自衛隊に被害

2018-01-23 20:15:26 | 防災・災害派遣
■草津白根山噴火!噴火警戒3
 首都圏豪雪被害と北海道竜巻被等災害が続いています、先ほどアラスカ沖でマグニチュード8の地震発生の一報が入りましたが、白根で噴火です。

 群馬県の草津白根山が今日午前中に噴火しました。草津白根山は有名な草津温泉に熱源を供給する火山系の一つで、定期的に水蒸気爆発などを発生させています。今回の噴火は湯釜火口付近で発生しており、規模や噴煙から火口付近の池が地中に浸透し地下水となり、地中の高熱のマグマと接触、蒸気圧が高まり地表へ吹き出す水蒸気爆発の可能性が高い。

 草津白根山は群馬県北西部の活火山で、護衛艦しらね艦名の一つ、白根山-逢ノ峰-本白根山の白根三山の総称で標高2170m、湯釜火口湖と涸釜火口湖に水釜火口湖があります。草津国際スキー場が隣接しており、日本で初めてリフトが設置されたスキー場であると共に白根火山ロープウェイにより山頂から8000mのスキー滑降が可能という素晴らしい立地です。

 草津国際スキー場に近い本白根山鏡池付近からの噴火はスキー場内へ噴石被害と、噴火に伴う火山性地震や衝撃波により雪崩が発生、スキー客や冬季訓練中の陸上自衛隊員を襲いました。群馬県の大沢知事は、今回の火山災害を受け第12旅団長の岩松陸将補へ災害派遣要請を出し、旅団よりヘリコプター部隊や偵察隊と特科隊等からなる陸上部隊が派遣されました。

 雪崩と噴石により草津白根山では1名が死亡し11名が負傷しました。噴石は大きな噴石は1km近く吹き飛ぶ映像が監視カメラに記録されており、この噴石によりスキー場ロッジやスキー場ゴンドラが破損、ロッジを臨時救護所として消防と自衛隊が救助に当たっていますが、負傷者のうち3名は負傷の度合が大きく、山頂には80名が取り残されていたという。

 第12旅団は群馬県相馬原駐屯地に旅団司令部を置き、北関東信越地方を旅団管区とし、空中機動と山岳作戦を得意としています、草津白根山において旅団冬季訓練中で、1名が噴石に当り殉職、6名が負傷しました。小野寺防衛大臣によれば、3名の容体が深刻と発表されている。第12旅団は2014年の御嶽山火山災害においても災害派遣を担当した旅団です。

 陸上自衛隊災害派遣部隊はスキー場運営会社からスキー客66名とスタッフ12名が取り残され、当初は自家発電により下山を試みたものの噴石被害の危険から航空機や車両による救助を要請されました。第12旅団は山頂のゴンドラ駅にヘリコプターや雪上車、スノーモービル型の軽雪上車を展開、1730時頃に全員救助完了、知事からの撤収要請を受けました。

 気象庁は火口周辺情報をレベル1からレベル2へ、続いてレベル3の入山規制へと上げ、注意を促しています。草津白根山は2014年に火山性微動等の噴火兆候が見られたため、気象庁は噴火警戒レベルをレベル2として火口付近へ立ち入らないよう注意を促していましたが、その後の火口温度観測を経て2017年6月3日にレベル1へと引き下げています。

 本白根火砕丘列噴火として3000年ほど前に火山爆発指数VEI4規模の噴火が発生しています、VEI4規模の噴火は2010年に欧州の航空交通網を成層圏滞留火山灰により大きく妨害したアイスランドのエイヤフイヤヨークトル火山噴火と同規模をしめします。ただ、ここ2000年間はVEI3以上の噴火記録はありません。VEI2は2000年有珠山噴火の規模です。

 火山活動は、しかし小規模噴火に限れば多く、明治以降も1882年、1897年、1900年、1902年、1905年、1925年、1927年、1928年、1932年、1937年、1939年、1940年、1942年、1958年、1976年、1982年、1983年、と噴火が観測されており、1982年の噴火は10月26日の水蒸気爆発に続いて12月29日に水蒸気噴火となり、降灰が確認されました。今回はこの1982年以来の水蒸気爆発で、気象庁は今後の火山活動に注意を促しています。

 冒頭に示しましたアラスカ沖マグニチュード8の巨大地震について。この地震は日本時間本日1832時頃に発生、ハワイの太平洋津波警報センターは環太平洋地域に津波の危険があるとして、気象庁は現在情報を解析中です。アラスカ津波センターではカナダ西部ブリティッシュコロンビア州、アメリカアラスカ州に津波警戒を、アメリカのカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州に注意を促しています。気象庁の解析を待ちましょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス徴兵制再開と日本徴兵制再論【1】国防費削減のマクロン大統領ツーロン軍港で演説

2018-01-22 20:06:18 | 国際・政治
■軍事的合理性と政治的要求
 民主党が分裂前に“いつかは徴兵制?”という冊子を50万部作成し、この点“安保法制への最大の誤解、徴兵制”との特集を組み軍事的合理性の観点から否定しました。

 フランスのマクロン大統領は19日、フランス海軍のツーロン軍港で陸海軍高級幹部を前に演説、2002年に休止された全国民への徴兵制度について、テロ対策等新たな脅威へ対応する観点から再開する方針を示しました。18歳から21歳までの男女に対し、一か月間の徴兵を念頭に軍事訓練を行う方針です。徴兵制再開は大統領選公約にも明示されていました。軍事的合理性から否定しつつ、しかし政治的要求と有権者の支持があれば覆るという。

 国防費削減を行ったフランス、マクロン大統領は自身が実施した8億5000万ユーロ国防費削減に反対した全軍トップのピエール-ド-ビリエ統合参謀総長を更迭しています。参謀総長は予算削減では国軍が脅威増大下に任務を全うできないとして再考を促した結果、更迭となりました。徴兵再開、相応の受入費用が発生し、軍がどのように臨むか関心事となる。

 しかし、フランス軍は血の滲む軍改革を経て少数精鋭へ転換したばかりであり、徴兵制に基づくアマチュア兵士の増大に否定的意見があります。現在、フランス陸軍は2個機甲師団のみ、各師団は機甲旅団に軽機甲旅団と機械化歩兵旅団と落下傘旅団や山岳旅団、いずれも専門集団であり、落下傘兵にしろ山岳兵にしろ要員の養成は簡単ではありません、戦車戦にサハラ砂漠踏破やアルプス踏破に空挺強襲から上陸作戦まで成し遂げるプロ軍団です。

 徴兵制再開には意外な印象を受けました。フランス陸軍は冷戦時代の数頼りの編成から専門集団へ転換した分、VBCI装輪装甲戦闘車の650両一括取得やEC-665攻撃ヘリコプター等の少数精鋭にふさわしい装備を揃え、小銃も評判多寡あるFA-MASから世界最高性能最高級のHK-416へ置換の一大事業を開始したばかり、いずれも量より質を重視したもので、そして装備の総数も冷戦時代より少なくなっており、徴兵を行う余裕があったのか、と。

 国内世論としては、徴兵制再開を受け入れる余地があったのでしょう。フランス軍は冷戦終結同時の42万名から2002年徴兵制休止後に陸軍は11万7000名まで削減されました。NATO集団安全保障機構の一員で人口6700万のフランスでは適正規模ですが、徴兵世代の中高年は原隊の多くが廃止され、駐屯地を地域経済の主軸としていた街には閑古鳥が鳴く。

 国歌に謡われるようにフランスは国民皆兵の徴兵制発祥の国です、フランス革命を契機として成立した国家が周辺国からの干渉戦争として侵略を受け、絶対王政廃止への確たる決意の前に周辺国の軍事介入、最早国防の重責を一部の特権階級に任せてくことは出来ず、国民が国防に参加し守り抜くのだ、という決意で始まった制度、良好的な受入れがあった、勿論フランス大統領選は極右のマリーヌルペンか新進気鋭マクロンかという選択肢の幅もありましたが、公約に徴兵制が盛り込まれても、受け入れる社会的余地があったということ。

 パリ同時テロが発生し、ロシアの軍事脅威へ対抗するという意味からも徴兵制再開を指示する声は理解できます。問題は、フランス軍がかなりの装備を削減していますので、国防費縮減下で冷戦型の巨大な陸軍を再建するには費用が大きすぎ、また一か月の期間で出来る訓練は限られます。一方、徴兵制再開という厳然たる事実、日本への影響はどうなのか。

 日本での徴兵制復活の可能性はどの程度あるのでしょうか。軍事的合理性の観点から徴兵制は有り得ない、としてきましたが、社会的要求とフランスの様に社会の団結という家庭や義務教育の道徳の授業で教える範疇の責務を国軍に転嫁させる事は想定外でした。実際のところ、最大の可能性は有権者である国民が選挙民として、“徴兵制復活”掲げる政党へ支持が集中した場合にはあり得ます。そして周辺情勢を中心に選挙時に提示される“徴兵制復活の政権公約への説得力”というものが支持を集める状況が条件となります、現在はその状況下にありません。

 しかし、我が国野党には“現在の安全保障協力法制下では戦時に徴兵制が再開する”とし徴兵制の可能性をといた冊子を50万部も印刷し、“専守防衛特化した安全保障協力法の代案はある”と主張が安全保障協力法制定の際に国会で提示した事例があります。有権者は軍事についての最低限の理解と知識を持たなければなりません、言い換えれば徴兵制の選択肢を持った野党が存在し、専守防衛という本土決戦重視の施策を強調しました。日本は国民主権です、その野党へ支持が集まれば、有事の際に可能性はあるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする