北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

MISSILE CRUISER USS CG-62 CHANCELLORSVILL

2008-07-31 08:59:47 | 在日米軍

■今日の横須賀

 本日、多忙につきコネタ記事。コネタだが、侮ってはいけないイージス艦の記事だ。早起きは三文のなんとやら、そういう期待はないのだが、所用にて東京に行く際、時間に余裕があった為、横須賀に立ち寄る。

Img_6824  横須賀駅を出てウェルニー公園を歩いてゆくとアメリカ海軍施設より、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦が丁度出港してゆくところだった。時刻は0730時を過ぎたところ。大急ぎでカメラを構える。高雄型重巡洋艦を思わせる重厚な艦橋構造物の巡洋艦。このタイプの巡洋艦が出港するのを撮影したのは、今回が初めてだったかもしれない。

Img_6838  艦首の艦番号には62と記載がある。62ということは、チャンセラーズビルか。27隻が建造されたタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦は、アメリカ海軍最初のイージス艦であり、その主武装はイージスシステムにより管制される122発のミサイル。一見するとそこまで重武装な印象は与えないがVLSに垂直にミサイルが収められている。

Img_6861  タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦は、建造期によって若干の差異はあるが満載排水量9400㌧。もともとスプルーアンス級駆逐艦の設計を流用したことで建造費の低減を目指すも、イージスシステムの搭載によりトップヘビーとなってしまい、重心低下措置がとられている。ここらへんも、旧海軍の高雄型の面影と重なるようにも思えたりする。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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京阪テレビカー 3000系から8000系30番台に形式変更

2008-07-30 16:12:18 | コラム

■中ノ島線用新3000系完成に伴い

 京阪電鉄では10月19日の中ノ島新線開業に伴い、新型車両として3000系を導入する。これに伴い、京阪電鉄では半世紀ぶりという車両塗装の変更を実施中である。

Img_0587  京阪電鉄のテレビカーとして親しまれた3000系特急電車は、新型の8000系により大多数が代替されつつも、予備車両として3505F編成が維持されていたが、今回の新3000系電車の導入にともない、類別上8000系に編入する変更を実施した。6月28日から営業運転が再開されている旧3000系であるが、このほど大和田駅にてその様子を撮影したので、掲載したい。

Img_0591  3000系から8000系に編入されたことに伴う、新しい車番は、8531F,つまり8000系30番台の車両というかたちとなっている。なお、8000系特急の新塗装も、この旧3000系、つまり現8000系30番台の営業運転が再開された6月28日より試運転を実施している。

Img_0594  基本的にカラーリングの大きな変更はないものの、車番号は8081と改められている。また、京阪特急を示す“K”マークのロゴも、従来の金属プレート方式から、近年の各車両に行われている改造と同じく塗装で表現されている。金属プレート方式を改めた背景には、8000系のような新塗装への移行が目的としてあるのかもしれないが、現段階では8000系30番台の塗装変更が行われるかについて、不詳だ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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Weblog北大路機関創立三周年・50万アクセス突破記念特別企画

2008-07-29 23:32:16 | 北大路機関特別企画

■名鉄7000形パノラマカー総力特集

 Weblog北大路機関も本日をもって創立三周年を迎えることが出来ました。50万アクセス突破記念記事と併せて、本日は名鉄7000形パノラマカー特集を掲載。

Img_6880  2008年6月29日のダイヤ改正をもって、その勢力を大きく減らした名鉄7000形は、1962年にブルーリボン賞を受賞していらい名鉄の象徴として活躍した。運転席を二階に上げたことで180°の完全な展望を提供しつつ、指定席料金(現μチケット)などが導入される前の開発であったことから乗車券だけで、その眺望を楽しむことが出来た車両として、永く語り継がれるであろう車両である。

Img_7309  名鉄7000形「パノラマカー」は、日本最初の前面展望車を備えた電車として9次に渡り整備計画が進められた。1961年のデビュー以来1975年まで116両が生産された。その後、新特急「パノラマDX」の整備などにより台車や電気機器の流用などが行われたものの、108両の一大勢力を誇っていた。

Img_7139  名鉄といえば、スカーレットという車体カラーが挙げられるが、この新塗装への道を切り開いたのがこの7000形である。その後、高性能化を計った7500形「パノラマカー」が登場、惜しくも高性能が仇と成り、他の形式電車との連結が出来ないという運用の限界から既に全車引退したが、定速度制御装置など高性能機器を備え、低重心化を希求した形状となっており、乗り込むときにホームとの段差の有無が7500形と7000形を区別させていた。

Img_4329  パノラマカーが登場した背景には、幾つかの点が挙げられる。まず、1950年代に入ると名古屋本線と併走する東海道本線の電化がある。電化とともに、新鋭の80系電車が投入され、特急151系の導入も始まった。これに対して、名鉄は5000形電車を導入、更に通勤用車両として初の全冷房車である5500形の導入が行われた。

Img_7364  5500形新型電車の導入により活気付く名古屋都市圏であるが、転機が訪れた。伊勢湾台風である。テレビ塔、名古屋城再建というような第二次大戦の戦災から復興し、繊維産業、自動車産業、石油化学工業などにより高度経済成長への準備段階に入ったこの都市圏を1959年9月に伊勢湾台風が襲った。その被害は阪神大震災まで自然災害としては戦後最大の災厄であり、近鉄とともに沿線や路線に大きな被害を受けた名鉄としても復興のシンボルを必要としていた。

Img_3738  ダブルデッカー車として鮮烈なデビューを飾った近鉄の初代ビスタカー、豪華な内装の東武鉄道DRC1700形、更に東京オリンピックが近付く中開業を目指す新幹線特急電車。これに対抗するにはどういった電車が挙げられるか。5500形は片側二扉のクロスシート車であるが、この運転台を二階に上げ、前面展望を提供しようという構想が考えられていた。

Img_4282  名鉄がシンボルとしての新特急電車を必要とした背景には、東海道本線という競合先に加えて、自動車産業の底力、つまりモータリゼーションという背景もあった。名古屋を中心として、犬山や南知多などの観光地を結ぶ名鉄にあって、マイカーに対抗できる快適な車内環境とともに、マイカーの助手席に座っているような楽しい車窓の風景を提供したい、そういう構想があった。

Img_3936  名鉄車両部の目に留まったのは、1953年にイタリア国鉄にデビューしたETR300系SETTEBELLOである。ローマとミラノを結ぶイタリアの新型特急は、最高速度180km/hという快速を誇りつつも運転席を二階に上げ、最前部まで客席を設置するという前面展望車構造を採用していた。

Img_2920  展望車を採用するという点が決定し、実際、初期の計画概念図などをみるとETR300形の影響を大きく受けた形状が採用されているのだが、同時に冷房機器の搭載という問題が生じた。運転台を二階に上げる以上、冷房機器を車体上面に設置するという方法には無理がある。そうした関係上、第一に考えられたのが、車体前部に冷房機器を搭載するボンネット方式の採用である。

Img_2925  今日では考えられないことといえるが、車体形状やデザインには、鉄道友の会の会員ら名鉄ファンによる助言や参加があったという。ボンネット形状の採用には、設計上合理的な面もあったのだが、同時に前面展望を妨げるという点もあり、車体前部にかけて冷房装置を搭載する現在の方式に落ち着いた。こうして1960年、基本的なデザインが決定し報道陣に公開された。

Img_2952 さて、ここで思うのだがパノラマカーは何故6000形ではなく、7000形なのか。6000形は傑作通勤車として後に誕生しているが、5000形、5500形となっていることから順番を考えれば6000形、ということになっても良かったはずだ。ここで一つ考えるのは、イタリアのSETTEBELLOが、七人の美人、という意味がある。この“七”という数字が関係しているのでは、と考えるのだが、真相をご存知の方がいたらお教えいただければ幸いだ。

Img_2945  名鉄パノラマカーは、今日までその活躍を続ける長寿車両となったが、背景には技術的な面も挙げられる。当時、日本の電車は、逆転機、界磁制御、制動装置を別々の機械にて車体に組み込んでいたのだが、これら装置をMCMコントローラという一つの機器に統合したものを搭載していた。これがGE社が開発に成功したもので、5500形以来、名鉄の基本形となっていた。こういった機器面での先進性が今日までの長寿に繋がっているといえるかもしれない。

Img_3078 他方で、見送られた技術もある。制動時のエネルギーを電気エネルギーに変換して発電し、架線に戻す回生ブレーキの採用は見送られた。当時としてはこの技術は画期的であるとともに、まだまだ途上の技術であり、この採用は7500形の導入を待たねばならなかった。制動装置がMCMに盛り込まれている為、複雑化を避けるという面もあったのだろうが、他方でパノラマカーは多くの電力を必要とする、という印象を与える結果になったのかもしれない。

Img_3006  さて、当時、鉄道車両では流線型を重視した、いわゆる湘南形のデザインが一つの潮流であった。名鉄では5000形が挙げられるようにこの潮流に乗っていたのだが、名鉄では展望席や窓の形状を考え、極力直線的な部分を直線デザインと併せて採用した。車体側面は丸みを帯びており、これは近年の3500形まで続く名鉄の基本デザインとなった。

Img_3015  こうして、デザインが完成し、機器面などでの設計調整が行われて後、実物大車体モックアップを製造し、実際の車体製造に展開した。試験走行に加え鉄道友の会の会員を交えて試乗なども実施したが、空気バネなど乗り心地は上々であり、1961年4月22日にマスコミ関係者への公開、そしていよいよ6月1日より営業運転が行われた。

Img_3116  パノラマカーが名鉄にデビューした日、まだ名鉄は貨物輸送を行っており、5500形が最新鋭、HL車の3700形も新型車両。いもむし、として愛された3400形が1937年以来頑張っており、戦後初の新製車3800形が大活躍していた時代である。支線ではHL車や釣り掛けモーター車が活躍し、車体は木造、という時代の話である。

Img_3631  名鉄では、1930年の神宮前~豊橋(吉田駅)の特急「あさひ」を筆頭に名称特急を運行してきた。これが定期ダイヤ化されたのが1961年夏に運行が始まった海水浴特急「内海」で、当時は冷房車という点が売りの5500形が用いられていたが、この5500形を座席指定席仕様として運行、1961年から臨時列車扱いではあったが座席指定席特急の運用が名鉄に誕生した。

Img_3641  7000形パノラマカーを用いた座席指定席特急は1967年に新岐阜(現名鉄岐阜)~河和口駅間に運航された「内海」「小野浦」号が7月22日から8月13日までの期間運行され、同じ期間の土日、栄生~河和駅間に特急「篠島」号が運行されていた。こうしてパノラマカーは特急運行であっても全車料金不要にて利用できる一方で、座席指定席を有する観光特急としての地位を固めていった。

Img_3643  1968年には「鬼岩」「蘇水湖」号が常滑~八百津間に、「フラワー」号が新岐阜~豊橋間で運行。1969年には新岐阜~河和駅間に「しおさい」号、豊橋~新鵜沼間に「日本ライン」号、というように毎年、臨時特急扱いという座席指定特急が運行されていた。5500形とともに座席指定特急が運行されていたのだが、特別料金が必要なこの特急は、車両アコモでも、それに見合う内装を有していた。

Img_3644  パノラマカーの最大の特色は何と言っても展望席である。遅れること数年で小田急電鉄にも非常に良く似た前面展望車を有する3100形が登場、その後も多くの展望車を有する特急が誕生したが、特急料金が不要である前面展望車というのは、おそらく名鉄7000形だけなのではないか、と考える。

Img_3646  特急料金などを必要としないパノラマカーであるが、シートピッチ900㍉(860㍉)の転換式クロスシートを採用しており、これは当時の国鉄急行に匹敵、もしくはその上を行く座席内容を有していた。現在、クロスシート仕様の急行車としては5700/5300形が運行されているが、3500形の導入以後VVVFインバータ制御車両が導入されてのち、クロスシート方式の車両は新造されておらず、車両アコモでは昔の方が上であったともいえる。

Img_3651  5500形では窓が可動式であったが、7000形ではその部分は改められた。加えて、窓枠に連続窓を採用し視界を広くした。窓が完全閉鎖方式を前提としたことで連続窓が採用され、この方式はのちの通勤車などにも影響を与えた。さらに閉鎖を前提とした設計なので、窓枠下の部分に若干の余裕が出来、ここの部分に飲み物などを置くことができた。

Img_3622  パノラマカーの増強は14年間、九次に渡って行われた。6輌固定編成の3編成がデビューして以来乗客には概ね好評に迎えられ、1962年5月には二次車として6輌4編成が増強された。1967年には三次車として4輌5編成が加えられ、これによって支線運用にもパノラマカーが活躍できるようになった。三次車は四両編成であるが、加えて空気バネに改良が加えられている。

Img_3623  四次車は先頭車だけが4輌導入され、一次車の中間車を取り込み、四両編成を構成した(これによって一次車は四両編成になったものが出る)。空調機器などは一次車と四次車でことなるので、四次車を前後に組み込む編成は、車両ごとに空調機器の形状が異なっている点がポイントだ。

Img_3624  1969年に五次車として4輌2編成が導入。六次車は先頭車のみ6輌が導入され、6輌編成の中間車を流用する形で編成を組んだ。七次車は4輌3編成が導入。これにより新造の4輌編成車両は生産を終了した。1974年には八次車として台車や空気バネなどを近代化した6輌2編成を導入、1975年には輸送能力を増強するべく、中間車12両が増強された。これは7100形に区分される。

Img_3625  パノラマカーからはミュージックホーンが搭載されるようになった。これは330hz、440hz、555hzからなる電子音音楽ホーンであり、この独特の警笛は、こののちに登場したパノラマDX8800形、パノラマSuper1000形、μスカイ2000形など、名鉄特急に標準装備されるようになった。

Img_3730  7000形パノラマカーは、鉄道友の会会員の助言を大きく活かして開発された車両ということで、1962年に人気投票にて選ばれる鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞している。実は、1962年のブルーリボン賞受賞までの間、現在の逆富士型の行先表示板は取り付けられておらず、“Phenix”と記されたプレートが取り付けられていた。設計当時、車体に例えば京阪のテレビカーのようにパノラマカーと大書する構想があったが、取りやめられた経緯がある。

Img_3736  Phenixという表記は、なんなのだろうか。デビュー当時からパノラマカーという愛称があった7000形にあって、そのプレートの銘記に関する疑問はあるものの、現在の行先表示板にくわべれば小さな表記とともに、ブルーリボン賞受賞までの期間、銘板が取り付けられ、運行されていた。

Img_3751  逆富士型の行先表示板は、ともとも、ブルーリボン賞受賞の際に取り付けられた、逆富士型の受賞記念ヘッドマークが、そのはじまりといえる。ただ、行先表示が先頭車に無いというのも問題であるので、もともと構想自体はあったのであろうか。ともあれ、こうして今日のパノラマカーのカタチが完成に至ったわけである。

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TWILIGHT EXPRESS 最長の路線を行く最上豪華寝台特急

2008-07-28 23:34:45 | コラム

■トワイライトエクスプレス

 大阪から札幌まで1500kmを21時間で結ぶ寝台特急トワイライトエクスプレス。明日はWeblog北大路機関創設3周年。前夜にあたる本日は、第二北大路機関()と併せて、この寝台特急の写真を掲載。

Img_8597  1989年に1編成が時刻表に載らない団体用列車として誕生したトワイライトエクスプレス。同年12月には更に1編成が完成し、隔日運行用として時刻表にデビューを飾った。一週間に四往復するこの列車は、大阪駅を月曜日、水曜日、金曜日、土曜日に発車し、札幌駅を火曜日、木曜日、土曜日、日曜日に発車する運行体制を採っている。上野と札幌を結ぶ豪華寝台特急カシオペアとよく比較されるが、やたら新しい印象を与える突飛なデザインのカシオペアよりは、重厚な印象を与えるトワイライトの方が惹かれるようにも思える。

Img_8587  山崎駅にさしかかるトワイライトエクスプレス。その編成は1号車2号車が最上級のスイートA二人用個室、そしてロイヤルA一人用個室。3号車はレストランカー、4号車はシャワー設備を備えたサロンカー。5号車6号車はシングルツインB個室、7号車はツインB個室、8号車9号車が四人用B個室という編成になっている。A個室寝台には専用のシャワーやお手洗いの設備があり、加えてB個室寝台用にミニサロンの設備がある。

Img_8591  トワイライトエクスプレスは、1500kmもの距離を走る長距離寝台特急ということで、日の出日の入を楽しむことが出来る。レストランカーはダイナープレアデス、サロンカーはサロンデュノールと呼ばれ、ダイナープレアデスでの夕食は完全予約制のフランス料理。価格は12000円と、上野発のカシオペアよりも上質なものが提供されている。一晩で北海道に至る上野発の北斗星やカシオペアよりも、旅路を愉しむ時間は長い。これこそ、豪華列車最上のサービス、というべきか。

Img_8595  大阪から札幌までの特急料金込の運賃は19320円。これに寝台料金が加算される。A寝台二人用個室“スイート”が25490円。A寝台一人用個室“ロイヤル”が17180円。B寝台二人用個室“ツイン”が8160円、B寝台一人用個室“シングルツイン”が9170円となっている。四人用B個室は、ベットごとに寝台券が発売されており、三名での利用も可能である。

Img_8604  山崎のサントリーカーブにて、トワイライトエクスプレスを撮影したのは、このあたりで、大阪行きのトワイライトエクスプレスと札幌行きのトワイライトエクスプレスが行き違う為だ。1229時、札幌行きが目の前を通過し、やや間をおいて1231時に大阪行きが目の前を通過した。行き違いを撮影するのならば、サントリーカーブよりも、もうすこし京都寄りのポイントを探すべきであったか。

Img_8606  EF81電気機関車が日本海縦貫線を走破し、青函トンネルを前にED79電気機関車に換装、五稜郭にてDD51機関車重連にて札幌駅に向かう。九州ブルートレインが新幹線に押される形の中、奮戦する北海道ブルートレイン。北斗星が減便され、夢空間が廃止されるなか、展望は必ずしも明るいと断言できない中、最上のサービスをのせて、日本最長の路線を行く寝台特急、それがトワイライトエクスプレスなのだ。

HARUNA

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詳報:海上自衛隊呉地方隊 大阪湾展示訓練 訓練部隊大阪港入港

2008-07-27 12:11:51 | 海上自衛隊 催事

■2007年8月4日 呉地方隊展示訓練

 2007年8月4日、海上自衛隊呉地方隊が実施する大阪湾展示訓練のために護衛艦、練習艦、輸送艦などが大阪港天保山に入港した。今回は呉地方隊展示訓練の第一幕の情景を紹介したい。

Img_6954  大阪湾展示訓練は、二日間実施される予定であったが、台風の接近に伴う天候の悪化に伴い、第一日目が中止となり、二日目のみが実施となった。そのため、第一日目に乗艦する予定であった名古屋からの一行は残念な結果となってしまったが、せめて停泊艦艇だけでも、ということで天保山に展開した、小生はそちらに同行。天保山は日本における観艦式発祥の地として知られる。今回は、入港の様子を無料で利用できる天保山渡し舟にて対岸の埠頭に渡り撮影した。

Img_7180  ヘリコプター護衛艦「ひえい」がその美しい姿を大阪港に見せた。「はるな」型の二番艦が姿をみせたのが1508時。当日は、第二日目に備えて予行を実施していたようで、この日の天候は晴れ。第一日目の前日に台風が接近したということで予行が出来なかったのが、展示訓練の実施に響いたようである。

Img_7193  「ひえい」は呉基地に展開する護衛艦隊第4護衛隊群の旗艦であり、満載排水量は6800㌧。二門の5インチ砲とともに広大な後部飛行甲板が注目を引く。対潜哨戒を行うヘリコプター3機を搭載する「はるな」型は、1974年の「ひえい」の就役を以て2隻体制となり、海上自衛隊洋上航空は第一歩を刻むこととなった。本型2隻による運用試験や戦術研究が、今日の有力な洋上航空哨戒能力を育むこととなった。

Img_7235  護衛艦「うみぎり」。「あさぎり」型8隻の最終艦である。海上自衛隊は、護衛艦8隻搭載ヘリコプター8機からなる“八八艦隊”編成の四個護衛隊群充足を期していたが、12隻の「はつゆき」型と、その改良型である8隻の「あさぎり」型の就役により、海上自衛隊の機動運用部隊は次の段階へのステップに到達した。対空・対潜・対艦誘導弾を搭載し、ガスタービン推進方式、哨戒ヘリコプターを搭載する汎用護衛艦だ。

Img_7280  呉の練習艦隊より練習艦「あさぎり」が入港する。海上保安庁の巡視船が警戒に当たっており物々しい様子である。実は入港予定日にあたる前日は労働団体や学生団体による自衛艦入港反対の集会が行われていた。肝心の入港日には活動を行わないという一種、手段の為の目的のような中身の無い印象を受けた。それよりはリアリズム、コンストラクティビニズム、何でも良いので現実的な安全保障への模索を行った方がいいのでは、とも感じた次第。

Img_7343_2  天保山遊覧船から展示訓練参加部隊を見学しよう、と一行は考えた。やはり艦船というものは陸上からみるよりも海上から観た方が印象が全く異なる。海からの視点というものは新鮮だ。ちょうど、輸送艦「くにさき」では夕刻ということで自衛艦旗が明日の夜明けまで降ろされているところだ。

Img_6938  大阪天神祭が全てを象徴しているように、大阪は水の都である。なるほど、京都から大阪、というと今は阪急かJR,京阪なのだが、その昔は水運だったわけだ。水運により行き来する物資の拠点として栄え、京都を越えた商都として発達した街、それが大阪なのだなあ、という印象を新たにした次第。

Img_6912  天保山観覧車と展示訓練参加部隊の護衛艦2隻、練習艦2隻。観覧車から俯瞰風景を撮影、という考えもあったが、投機性考え断念した次第。護衛艦と観覧車という取り合わせは一見意表を突かれる取り合わせであるが、これはこれでなかなか面白い情景であると思う。

Img_6945  練習艦「やまぎり」と「あさぎり」。満載排水量で4900㌧、諸外国を見渡せばまだまだ第一線で通用する艦である。レーダーが対空用のOPS-14と、後期型のOPS-24三次元レーダーとなっており、比べるとどうしてもやや劣っているといわざるを得ないがデータリンク装備などを改めれば、まだまだ現代の任務に対応が可能だ。

Img_6951  「うみぎり」。その隣には「ひえい」が停泊している。間もなく12隻が就役した「はつゆき」型護衛艦と、続いて「あさぎり」型の耐用年数というものを考えてゆかなければならない時期を迎える。日本経済が最盛期に建造された艦だけにかなりはやいペースで建造されている。後継艦は財政上悩ましい問題であり、ロースペック化なども念頭に置くべきなのでは、と考える。

Img_6979  全長178㍍の巨体を停泊させる輸送艦「くにさき」。大型ヘリコプターとエアクッション揚陸艇を用いて任務を遂行する輸送艦で、着上陸時に際して後方から部隊を揚陸させ第二戦線を形成、島嶼部防衛に際しての部隊輸送を行い、更に災害派遣では入り組んだ海岸線へもいち早く展開し、広範囲の任務を遂行することが可能だ。

Img_6990  エアクッション揚陸艇を搭載するドックを開いている。2隻のエアクッション揚陸艇を搭載する。本艦は、機械化された一個普通科中隊と戦車一個中隊、特科中隊や施設小隊など装備を同時に輸送でき、短距離であれば1000名の輸送も可能とされている。同型艦3隻で呉に第1輸送隊を編成しており、3隻で陸上自衛隊の一個連隊戦闘団を輸送可能、とされている。

Img_7001 「くにさき」は「おおすみ」型輸送艦の3番艦で、満載排水量は14000㌧。ヘリコプターは甲板に係留されるが、過去の災害派遣などの実例からローターを取り外せば艦内にUH-60JA輸送ヘリコプターを搭載可能であり、これはローターを折畳むことが可能なSH-60J哨戒ヘリコプターを搭載可能なことを示しているのだろうか。

Img_6995  天保山遊覧船は、港内を一周し練習艦のすぐ後ろにある乗船場に戻ってきた。入港した護衛艦や練習艦、輸送艦は電灯艦飾の準備を行っている。ただし、前述のように前日、入港反対の集会が行われていたことから大阪府警機動隊が警戒線を引いており、電灯艦飾を良好に撮影できるポイントが立ち入り禁止となっていたのが残念だった。

Img_7044  電灯艦飾。1900時を過ぎたばかりであり、まだまだ薄暮であるが薄っすらと艦艇の輪郭が仄かな光で包まれている。「あさぎり」型はマストが二本あり、後部マストはガスタービンエンジンの排気熱により影響を受けるという問題があるものの、デザイン的には秀でている。良いデザインは抑止力を生み、加えて電灯艦飾を行う際にはマストの間にも電灯が吊るされるので美しい情景をみせてくれる。

Img_7045  「ひえい」格納庫と飛行甲板では祝賀会が行われている。ヘリコプター3機を収容する格納庫はかなり広大である。後部飛行甲板は一機の発着と共に一機の待機スペースがある。当初は二機の同時発着を期した設計が打診されたが、5インチ砲2門の搭載を優先するという目的で、現在の設計となった。

Img_7065  夜の帷が降りはじめ、電灯艦飾も見栄えのいい時間帯となったが、翌日は乗船。しかも近傍ということで大阪に一泊せず京都からの展開である。美しい電灯艦飾を撮影するべく、渡船場から対岸に渡る、今度こそ俯瞰風景をもとめて観覧車を利用する、など考えたものの、翌朝のことを考えると、今回は慎重に、明日に備えることとして大阪を後にした。

HARUNA

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海上自衛隊舞鶴基地 ちびっこヤング大会2008

2008-07-26 22:44:38 | 海上自衛隊 催事

■舞鶴基地一般公開

 暑いというよりも熱いという表現が正しい京都府舞鶴市。冬季にはかなりの積雪量のあるこの街は、夏にはフェーン現象の影響を受け全国屈指の暑さで知られつつある日本海側の港街。

Img_6544  舞鶴は日本海側の重要な海港都市であると同時に、日本海沿岸の防備を固める海上自衛隊舞鶴地方隊の根拠地でもある。その舞鶴基地において快晴に恵まれた今日、そして明日もだが、ちびっこヤング大会が行われている。基地の一般公開とともに、舞鶴音楽隊の演奏やチビッコゲーム広場、手旗信号やAEDなどの体験コーナーなどが開かれている。

Img_6461  艦艇一般公開では、ミサイル艇「うみたか」と護衛艦「すずなみ」が一般公開された。写真は「うみたか」の艦橋。極めて高い速度と運動性を誇るミサイル艇は、同時に高速航行時に掃海艇や輸送艦以上に動揺が激しいということで、シートベルト装備の座席が定員分設置されている。

Img_6522  停泊していたが一般公開には加わらなかったイージス艦「みょうこう」。「すずなみ」が明日体験航海に参加するので、もしかしたら明日公開される可能性もあるとのこと。停泊していた護衛艦は二隻のみで、造船所には定期整備の護衛艦二隻、ミサイル艇、輸送艦各一隻が入っていた。ちなみに最新鋭の「あたご」は現在、長崎で定期整備中とのこと。

Img_6592  「すずなみ」の艦橋より「みょうこう」を望む。かなり暑く、そのせいか入場者も1400時の時点で700名程度だったらしい。笠取山分屯基地祭と同規模、ということか。その関係か、京都発の特急「まいづる1号」は自由席にもそれなりの空きがあり、二条駅から乗車の当方も窓側の席を確保することができた。

Img_6484  建造がすすむ新砕氷艦「しらせ」。上部構造物はほぼ完成といって過言ではなく、公試もそろそろ行われるのではないだろうか。現在、派米訓練中の「はるな」も八月下旬には舞鶴に戻ってくるとのことで、同じくインド洋から帰港する補給艦「ましゅう」とともに、舞鶴基地の北吸桟橋も賑やかになるのではなかろうか、と。なお、本日、航空基地も一般公開されたが、そちらにはあまりもの暑さにて展開を断念した次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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詳報作成開始 海上自衛隊呉地方隊展示訓練・横須賀サマーフェスタ

2008-07-25 22:39:51 | 北大路機関 広報

■遅れること一年

 今朝、Weblog北大路機関はアクセス解析より54万アクセスを突破いたしました。たくさんのアクセス、ありがとうございます。50万アクセス突破記事ですが、もう間もなく掲載の予定です。

Img_7582_2  本日より、呉地方隊展示訓練、横須賀サマーフェスタの詳報記事作成を開始いたしました。なにぶん、速報記事を作成後、写真の整理や遅い回線速度の関係から、ついに呉地方隊展示訓練は、今年の広島湾展示訓練よりも遅くなってしまいましたが、相応の規模での記事の掲載を予定しております。既に写真はWebに上げましたので、あとは解説記事を作成するのみ。

Img_9026_1_2  横須賀サマーフェスタの記事に関しては、なんとか今年度の行事よりも前に掲載できる見通しです。双方とも、写真数は少なくないので、複数回に分けての掲載となります。続いて、横田基地日米友好祭、金沢駐屯地祭、小松基地航空祭、等などと順次掲載を予定しております。いましばらくお待ち下さい。

北大路機関

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岩手・青森で震度六 マグニチュード6.8 岩手北部地震

2008-07-24 17:09:56 | 防衛・安全保障

■東北地方で震度六

 24日0026時頃、東北地方を震源として強い地震があり、岩手県洋野町で震度六強、青森県八戸市などで震度六弱の揺れがあったとのこと。自衛隊の対応を中心に掲載したい(写真は公式行事などで撮影したもの)。

Img_0876  岩手宮城内陸地震における自衛隊の対応を掲載する予定であったが、予定を変更して今朝早朝の地震を掲載することとなった。地震の規模を示すマグニチュードは6.8、震源は地下100km以下の深発性地震であったとのことだ。気象庁はこの地震を岩手北部地震と命名した。幸いなことに24日1630時の時点で死者は出ておらず、負傷者107名。落石により国道102号線など数箇所が通行止めとなっているが、家屋などに倒壊などの被害は報告されていないという。

Img_9002  政府は、中央即応集団のヘリコプターにより直後に調査団を派遣、1000時には泉防災担当大臣を団長として調査団の派遣を発表した。東北新幹線や一部のブルートレインなど夜行列車に影響が出たが、被害は無いという。また宮城県にある女川原発にも地震の影響は無く、原子炉は通常通り稼動しているとのこと。

Img_1815  地震の直後には、茨城県の航空自衛隊百里基地よりF-15戦闘機を緊急発進させ、情報収集にあたっている(通常、百里基地のRF-4が出そうなものだが、アラート待機していた機体を確認のために出動させたのだろうか、しかし、現場は北部航空方面隊の管区であり、百里基地第7航空団の所属する中部航空方面隊が出動したのは何故?という素朴な疑問。三沢基地のF-2であれば支援戦闘機ということでレーダーやFCSが対地捜索機能を前提としているので、こちらの方が向いているようにも)。

Img_7847  海上自衛隊も、大湊航空基地よりヘリコプターを、八戸航空基地より哨戒機P-3Cを発進させ、情報収集にあたっている。また、岩手県知事は地震直後の0045時に、自衛隊に対して災害派遣の要請を出した。正午の時点で、陸上自衛隊を中心とした自衛隊137の部隊から災害派遣部隊が出動し、航空機では、陸海空自衛隊からヘリコプター10機が出動しているとのことだ。

HARUNA

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猛暑の舞鶴 38.6度 1947年以来観測記録最高気温を更新

2008-07-23 20:47:03 | 海上自衛隊 催事

■雪景色の写真で暑中お見舞い申し上げます

 地球温暖化が叫ばれる昨今ではあるが、日本沈没第二部や死都日本なんかを読むと、大規模な火山活動が起これば急に寒冷化に転じるのでは、と考える今日この頃。

Img_8515  閑話休題。京都は暑い。京都新聞のお天気ニュースを読んで驚いた。盆地なので暑いのは致し方ないといわれても、仕方なくてもどうにかして欲しいと思うくらいで、これは最早、熱いと表現するのが適当か。先日の祇園祭山鉾巡行を撮影した際、望遠レンズ越しに山鉾とともに御池通に陽炎と逃げ水が見えたのには閉口した。急遽、林立する脚立群から離脱してカキ氷やミネラルウォーターの調達に走ったのは言うまでも無い。

Img_8487  今週末は、今日とは京都でも日本海に面した舞鶴で舞鶴基地ちびっこヤング大会が実施されるということで、日本海で涼もう!と思いきや、聞いて見るとなんと最高気温は本日観測史上最高の38.6度。毎日新聞によれば21日は、37.5度、ものすごい猛暑。豪雪地帯なのに猛暑とはこれ如何に!?。そんなわけで、せめても涼しい写真を貼って猛暑を乗り切ろう、という次第。

Img_7851  2月の舞鶴は、40㌢近い積雪の中で、練習艦隊入港を撮影に丹波山地を越えた。除雪車の通らない道を、垂直に新雪に足を差しこみつつ、靴に雪が入らないように東舞鶴駅から舞鶴基地に向かった。文字通り吹雪の中、時折覗く晴れ間、天橋立にも程近い美しい海と山が雪化粧し、その風景画の中に迷い込んだような情景に堂々と威容を誇る海上自衛隊の護衛艦には、疲れも吹き飛んだ次第。

Img_8525  今週末の舞鶴基地ちびっこヤング大会では、残念ながら、舞鶴の象徴というべき護衛艦はるな(DDH141)がハワイ方面での環太平洋合同演習参加の為に不在であるものの、舞鶴飛行場も一般公開され、日曜日には体験航海も行われるという(要乗艦券)。なかなか楽しめそうだ。

Img_8521  舞鶴海洋気象台によると、この猛暑は、あと一週間は続く見込みという。日本上空には太平洋高気圧があり、南風が京都府、兵庫県、福井県などの日本海側でフェーン現象を起こしているためで、舞鶴が38.6度、福知山で36.3度。でも、京都市も36.2度なので、まあ、舞鶴行っても水分をしっかり補給して、冷房のあるところや木陰を選んで歩けば、ちびっこヤング大会はなんとかなりそう。展開される皆さんは、熱中症などにご注意の程を。

HARUNA

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陸上自衛隊五方面総監部廃止の構想 防衛省改革の一環として検討

2008-07-22 22:48:30 | 防衛・安全保障

■09年度大綱改訂:方面総監部から陸上総隊へ

 22日付読売新聞によれば、7月21日、防衛省の発表として現在、北部、東北、東部、中部、西部に方面隊総監部を置き、地域の防衛警備及び災害派遣に当たっている方面総監部制度を廃止する改編を検討していることが明らかになった。

Img_6782  陸上自衛隊部内では現行の方面隊機構が有する独立性や地域性などの点を重視する意見も大きく、更に指揮官養成の観点から、総監や方面隊幕僚という機構を維持することで、防衛行政を掌る陸上幕僚監部と第一線とを繋ぐ方面総監部という相互補完関係は重要性も認識される。中央と末端の間に方面隊という調整機構を置くことで、逆に指揮系統の動脈硬化を防いでいるのでは、ということもできる。

Img_8139  また、陸上自衛隊の方面隊直轄部隊は、米軍やロシア軍などの軍団直轄支援部隊と比べれば規模としては限界があるものの、ヘリコプターや多連装ロケットシステムなど、比較的充実した装備を有しており、同時に機動力に限界があるこれら装備を、一種、地域ごとに配備していることで、やはり限界がある師団・旅団の空中機動能力や、全般支援火力を補完しているという意味では非常に重要な役割を有している。

Img_7820  方面隊の責務は重く、また重要である。方面総監部は、陸将が務める方面総監の指揮により、隷下にある戦闘を所管する師団・旅団、そしてその師団・旅団の任務を支援する施設団や方面高射特科部隊、方面特科部隊、方面航空隊などを統括し、方面における任務遂行を担う目的がある。

Img_7346  今回の方面総監部廃止に関する検討は、陸上自衛隊の師団・旅団及び方面直轄部隊、及び中央即応集団を初めとする防衛大臣直轄部隊を総合的に指揮する陸上総隊の新設により、指揮系統を簡略化することが目的とされている。同時に中央即応集団の格上げも検討されているという。

Img_6259  指揮系統の一元化を目指した陸上自衛隊の組織改編であるが、これはある程度海上航空自衛隊でも念頭に置かれているものの、ここまで中間指揮系統を簡略化してしまう編成ではない。例えば海上自衛隊は、機動運用を前提とした自衛艦隊と、沿岸警備及び基地機能維持を任務とする五地方総監部(横須賀・佐世保・舞鶴・大湊)に二分化し任務を分けている。

Img_5900  自衛艦隊には護衛艦隊、航空集団、潜水艦隊などの中間機構を有し、戦闘所管部隊である護衛隊群や潜水隊群を指揮している。地方総監部は、今年3月の改編により、地方隊隷下にある護衛艦部隊が護衛艦隊に統合されたものの、今を以て基地機能維持や掃海艇、ミサイル艇などによる沿岸警備は任務に含まれている。

Img_9434  航空自衛隊では、防空戦闘及び警戒管制を担う航空総隊司令官に一元化した指揮権を与えつつ、隷下に北部航空方面隊・中部航空方面隊・西部航空方面隊・南西航空混成団を置いている。航空方面隊は隷下に航空団を有し、航空団が要撃戦闘を展開、その航空団の要撃管制を行い、且つ補給により作戦能力を維持させることが、航空方面隊の任務である。

Img_9497  22日付読売新聞の記事では、陸上総隊を、海上自衛隊における自衛艦隊や航空自衛隊における航空総隊のような組織、と称しているが、これらの海上自衛隊や航空自衛隊の機構は、やはり陸上自衛隊の方面総監部にあたる中間の機構を有しているのは以上の通りだ。

Img_0325 陸上自衛隊の改編において当初、陸上総隊という名称が出された際には、陸上総隊を5方面総監部の上に置きつつ、方面総監部を隷下に有するという方式が検討されているとみられていたが、今回は、市ヶ谷(朝霞?)から直接師団・旅団に命令が届く方式が採用されようとしている。施設団や方面航空隊、方面特科部隊、高射特科部隊、方面後方支援隊などの部隊は、この改編は行われれば陸上総隊直轄部隊に数えられるということなのだろうか。

Img_2260_2  指揮系統の簡略化、というと必要な命令が直接伝わるということで、効率的になった印象を持たれるかもしれないが、これには一考の余地がある。陸上自衛隊をはじめ、軍事機構は任務遂行に際して、膨大な前方、後方など各種ロジスティクスに支えられて任務を遂行する。

Img_9725_1  一般に考えられる弾薬、燃料、消耗機器、糧食、給水という支援業務はもちろん、建設工兵(方面直轄施設部隊)が行う兵站線維持や中射程の地対空ミサイルによる後方策源地防護などなど、師団・旅団では遂行不可能であり、しかしながら重要性は大きい任務もあり、いまをもって単一の指揮系統によって指揮することは難しい。米軍が軍団編成を維持していることも、補給などの業務を一元化することの難しさを端的に示しているのではないか。

Img_9737  無論、現在の方面隊機構には問題点がないとは言えない。例えば、北部方面隊をみると方面直轄部隊として多数の地対艦ミサイルやMLRSを運用する特科団、そして高射特科団や戦車群など充実した直轄部隊を有しているのに対して、中部方面隊のように、方面直轄の特科部隊を有さない方面隊もある。方面隊の後方支援能力には大きな差異があり、他方で、脅威正面が多様化していることから、かならずしもこれまでの防衛計画が想定していた重要地域に脅威が及ぶとは限らないという環境の変化がある。

Img_9207_1  更に付け加えれば、予算的な面も背景にあるのではないか。AH-64D戦闘ヘリコプターが価格高騰により調達が中止となる事例を挙げるように、最高性能を目指せば新装備の調達価格は順次倍加しており、必ずしも必要定数を充足させられるとは限らない。思い切って直轄部隊の母数を削減すれば、必要調達を低く押さえる事が出来るのでは、という背景もあるのではないか。

Img_8991_1  他方で、中間機構として方面総監部は、やはり必要である。無論、対戦車ヘリコプター隊や長射程化が見込まれる次期地対艦ミサイルなどの充足や運用を考えると、全国的な展開を前提として、一部は陸上総隊に移管し統括した運用を行う必要があるのではないかとは、いえる。

Img_2947_1  しかしながら、ロジスティクスなどの面では、地域性が必要となり、加えて後方のデポや弾薬補給処、燃料処などは移動が困難な策源地である。これらを基点とした地誌作成など、戦術研究は、方面隊機構に頼るところが大きく、簡単に廃止を検討というのは無責任なのではないか、と考える次第だ。

Img_4818  ただし、陸上総隊の新設には賛成である。弾道ミサイルに対する脅威など、個々の組織に区分しては難しい問題がある。場合によっては更に進んだ統合運用を考え陸海空自衛隊の上部組織として防衛軍を新設し、防衛軍陸上自衛隊、防衛軍海上自衛隊、防衛軍航空自衛隊として統合運用を更に進めたり、陸海空を統括する本土防衛司令部を新設し、自衛艦隊や中央即応集団などの国際貢献業務を例えば太平洋防衛司令部というようなかたちで区分するという方策も思い浮かぶ。

Img_6063  陸上総隊を新編するとしても、方面総監部という制度は、無論、数などの再編は別としても、機能の存続を考えるべきなのではないかと考える。もっとも、こういった極端な案が出されるということで、一種別の目的があるのではないかと考えるのも自然だ。つまり、方面隊廃止というのは、一種のアドバルーンであり、妥当な結果に落ち着くのでは、とは考えているのだが、どうだろうか。

HARUNA

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