北大路機関

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北大路機関『自衛隊最新装備2018』新イージス艦&機雷戦艦艇&新型無人機【年末特集】

2018-12-31 20:18:20 | 北大路機関特別企画
■写真で振り返る2018年新装備
 自衛隊新装備、本年も多種多様な新装備が登場しました。そこで本日は大晦日、年末特集という事で2018年に撮影しました自衛隊最新装備をご紹介しましょう。

 イージス艦まや。今年八月に横浜にて進水式を迎えた護衛艦まや型の一番艦です。8200t型護衛艦として海上自衛隊七隻目のイージス艦にあたる本艦は2020年3月に竣工予定で、来年夏には二番艦も進水式を迎え、まや型二隻により護衛艦隊配備のミサイル護衛艦は八隻全てイージス艦へ統合、現在残る二隻のターター艦は練習艦隊へ転籍する事となります。

 潜水艦せいりゅう。母港横須賀での一般公開の様子で、そうりゅう型潜水艦9番艦として三菱重工神戸造船所にて建造され本年三月に竣工、第2潜水隊群第6潜水隊へ配備されました。スターリング機関によるAIP方式潜水艦で、水中排水量4200tと通常動力潜水艦としては非常に大型であり、広大な我が国排他的経済水域とシーレーン防衛にあたります。

 潜水艦救難艦ちよだ。今年三月に竣工した最新鋭の潜水艦救難艦です。潜水艦救難母艦ちよだ、の後継となり満載排水量は7100t、前任の母艦ちよだ、は潜水母艦的機能を有し救難能力と共に補給を相応に重視していましたが、おやしお型、そうりゅう型と潜水艦能力の向上と共に母艦への依存を省く事が出来、特に救難能力と強化した設計となりました。

 掃海艦あわじ。あわじ型掃海艦の一番艦で、世界最大の木造軍艦であった掃海艦やえやま型の後継として建造された深深度機雷処分能力を有する最新鋭艦です。船体は木造からFRP構造となり、2017年に就役しました。水中調査用UUVリーマス600により機雷の危険圏外から捜索し、光ファイバー誘導の自走式機雷処分用弾薬EMDにより処分するもの。

 掃海艦ひらど。あわじ型掃海艦二番艦で今年三月に竣工した最新鋭艦です。満載排水量は780tと前任の掃海艦やえやま型よりも小型化しましたが、船体規模は同程度となっており、FRP製船体により運用期間長期化を図っています。目標は潜水艦を狙う深深度機雷で従来の機雷処分具に代わるEMDは必要に応じ高い頻度での能力向上も可能となっている。

 16式機動戦闘車91式105mm多目的対戦車榴弾特填弾。富士総合火力演習において今年度初の実弾射撃が公開されました。行進間射撃と共に蛇行しつつ目標へ命中させるスラローム射撃が展示、この他16式機動戦闘車は善通寺駐屯地祭や伊丹駐屯地祭を始め訓練展示における空包射撃を初展示しており、陸上自衛隊の新しい顔として、一挙に踊り出ました。

 60mm迫撃砲M6C-210。オーストリアヒルテンベルガー社製の軽量迫撃砲で発射架を簡略した所謂コマンドモーター、AAV-7両用装甲車と共に走る後ろの方の水陸機動団隊員が携える筒状のもの。重量は5.5kgと軽量で簡易照準器により有効射程1500mを発揮します。コマンドモーターは81mm迫撃砲L-16のような精度は発揮出来ませんがその分迅速な射撃ができる。

 ネットワーク電子戦システムNEWS。通信学校で開発中の新装備で現段階では評価試験中という。本装備は電子戦部隊が装備し敵対勢力の電波情報収集と分析を行うと共に攻勢電子戦を展開し敵対勢力通信ネットワーク網の無力化を図り、情報優越の獲得に寄与する。敵ネットワーク解析機能は自動化されており、機動電子戦という新領域を開拓するもの。

 装輪用道路マット。上陸したエアクッション揚陸艇と88式地対艦ミサイルを繋ぐように敷設されているもので、3t半トラックを原型とする道路マット敷設車により展開する。軟弱地形での通行支援に充てるもので、建設工兵装備として方面施設団の施設器材隊等に装備されています。上陸後の海岸堡確保の後に実施の揚陸作業には不可欠の装備といえます。

 スカイレンジャー無人偵察機。陸上自衛隊が導入したカナダエリヨン社製スカイレンジャーR-60無人偵察機の自衛隊仕様でクワッドドローン方式の機体に光学センサーを搭載したもの。重量4.5kg、師団偵察隊や普通科連隊規模で運用を想定しているとのこと。軽量である為に飛行範囲は5kmと限られますが風速60m/sの悪天候においても飛行可能です。

 携帯障害処理器材。施設科部隊がM-1破壊筒や梱包爆薬を用いる地雷処理等の障害処理に際し障害等わな線の前投処理に用いる器材として導入されました。全備重量は25kgとなっており人員1名での搬送が可能、格納状態では背嚢形状となり障害処理投射時に背負って進出、事後発射状態へ展開し点火薬により処分爆導索を投射し、障害などを処理します。

 陸上自衛隊新制服。「強靭性」、「使命感」、「品格」を構想する制服形状として導入が開始され、部隊指揮官と自衛官候補生から順次更新が開始されているもので1992年に制定された制服の更新、若干消防団の偉い方と見紛う新制服は従来の濃緑色から紫紺を基調とした色彩へ転換しました。迷彩戦闘服等は従来通りですが着用するベレー帽は新色となります。

 E-2Cホークアイ2000プロペラ換装機。航空自衛隊は1979年よりE-2C早期警戒機を導入していますが、2005年よりホークアイ2000相当への能力向上を実施、その上で本年、プロペラを従来の四枚翅構造から八枚翅構造へ転換したプロペラ換装機が展示されていました。航空自衛隊は早期警戒機部隊の増強事業を進めており続いてE-2Dが導入されます。

 ASM-2B/93式空対艦誘導弾(B)。航空自衛隊が現在運用する主力空対艦ミサイルで新開発のASM-3により将来的に置き換えられる。ASM-2とASM-2Bの発展はセンサーシーカー部分の性能向上と共に最大の特色は中間誘導にGPS誘導を採用した点で必要に応じ地上目標へのGPS誘導も可能となった点、射程は飛翔方式により150kmから180km程度という。こうしたかたちで本年も様々な新装備を撮影し紹介する事が出来ました、来年もどうぞよろしく、それでは皆様、よいお年を。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】金沢駐屯地創設63周年記念行事(6)これが普通科の実力だ!(2013-09-08)

2018-12-30 20:16:09 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■突き破る普通科部隊の実力
 訓練展示はいよいよ最終段階となり、いよいよ障害を突き破る普通科部隊の本領発揮で金沢名物と迷物のガラス突き破りがはじまる。

 普通科連隊は近接戦闘部隊としてあらゆる地形と天候を克服し任務を遂行する能力を有しています。自衛隊には機甲科や特科に施設科と武器科や需品科と多くの職種がありますが、あらゆる地形と天候を克服する、と明示されている職種は普通科だけとの事でした。

 普通科部隊、しかし陸上自衛隊の師団及び旅団の基幹部隊として位置づけられており、自衛隊の任務の多様化に合わせた多種多様な新任務、時代の要請に適合する事を求められています。一方で多種多様任務の中には必ずしも普通科部隊が想定した任務ばかりではない。

 1990年代から普通科部隊の任務の筆頭に加えられたものは災害派遣任務と国際貢献任務、勿論自衛隊にとり国土防衛に続き災害派遣任務は創設以来重要な任務でしたが、1959年の伊勢湾台風、第10混成団時代の第10師団創設前の災害でしたが、その後は安寧が続く。

 阪神大震災、1995年に発災した巨大地震は6500名以上の人命が失われ、自衛隊の災害派遣任務は軍事機構としての独立完結した編成、救命救助活動と行方不明者捜索に加えて給食野営と洗濯から整備補給までを独立して行う唯一の組織である事が明確に示されました。

 1995年には自衛隊へ現在の人命救助システムのような災害派遣専用機材の配備はなく、文字通り円ぴに鶴嘴で徒手空拳に近い状況で任務に対応していました。人命救助システムの配備で油圧ジャッキや削岩機と捜索用カメラ等各種機材が配備された事は大きな前進です。

 2011年の東日本大震災は、しかし自衛隊の能力に限界があるという当然の事実を突きつけられた事となりました。近接戦闘部隊として国土防衛の第一線にあたる、という普通科部隊の本務はありますが、その片手間で災害派遣を行うとの運用は限界が生じているという。

 戦闘任務に資する、しかし災害派遣に資する装備品というものは実は非常に多く、例えば情報小隊への無人機の大幅な増強と航空法下での運用基盤の構築、それに被災地が浸水地域や土砂災害地域であっても派遣可能な全地形車両の配備、可能である装備品は実に多い。

 全地形車両、つまり傾斜地でも湖沼地帯でも積雪地でも沿岸部でも軟弱地形でも舗装道路でも階段でも進む事が出来る車両ですが、金沢駐屯地には78式雪上車が配備されています。しかし、冬季以外用途が無い雪上車より全地形車両を配備する必要は、ないでしょうか。

 78式雪上車、後継の10式雪上車も優れた積雪地での機動力を発揮しますが、お近くの航空自衛隊輪島分屯基地に配備されるスウェーデン製BV-206全地形車両であれば、山岳戦闘や錯綜地形での連絡線構築、通信中継機材や各種火器の稜線への進出が容易となる装備です。

 BvS10全地形車両、イギリス海兵隊はじめ採用しているBV-206の装甲型ですが、この装備が中隊単位で配備されているならば、西日本豪雨災害のような大水害、想定される南海トラフ地震への津波被災地から多くの人命を救助する事が出来るでしょうし、戦力も強い。

 中隊単位でこの種の車両を配備しますと自衛隊に在る普通科連隊の数から必要な数量は500両を超えてしまいますが、一方で自衛隊は諸外国が10機揃えるのにも苦労しているCH-47輸送ヘリコプターを70機揃えていまして、火砲や地対空ミサイル等多いものは多い。

 CH-47JA輸送ヘリコプターがこれだけ多数を揃えている背景ですが、地皺の大きな我が国では地形障害を一挙に克服するために空中機動能力を整備する必要がある、という視点に基づき、前型V-107輸送ヘリコプター時代から継続して高価な機体を多数揃えてきている。

 全地形車両は上掲の地皺の多いわが国では必要な装備で、例えば金沢駐屯地に配備しても航続距離は大きく、大規模災害時に名古屋や大阪であれば充分自走可能です。即応機動連隊のように全国へ自走して緊急展開する少数の部隊を除いて、BvS10は必要だと考えます。

 国際貢献任務、陸上自衛隊へ突きつけられた1990年代からの新任務にこの変革を上げる事が出来ましょう、2017年の南スーダンPKO任務完了撤収以降、自衛隊のPKO任務参加は一時中断していますが、これも自衛隊の運用体系と必ずしも合致するものではありません。

 近接戦闘部隊である普通科部隊は冷戦時代、地形防御を活かしての対戦車戦闘、特に戦車部隊を重視していた極東ソ連軍の侵攻へ対処する、という主眼で運用研究がなされています。従って機甲師団を除けば装甲車が殆ど配備されておらず、地形利用第一となっている。

 PKO任務は戦闘が第一ではないという理解、実際には2002年の東ティモールPKO任務以来、PKO派遣は従来の国連総会決議ではなく安全保障理事会決議により派遣される事となり、安保理決議は国連憲章上の平和への措置に当ると共に強行規範と位置付けられている。

 PKOの変容、これはどういう意味かと問われれば、戦闘地域には送られないが戦闘が発生した場合は文民保護等の戦闘に参加する事を求められる危険な地域へ派遣を求められる、というもの、地形防護に依存し装甲車両を殆ど持たない自衛隊普通科部隊には向きません。

 89式装甲戦闘車やCV-90装甲戦闘車のような車両が必要となる状況へ、軽装備普通科部隊を派遣している、ということ。勿論、79式対舟艇対戦車誘導弾や後継装備である中距離多目的誘導弾を派遣したならば、必要な防護任務は果たせましょうが、本質はそこにはない。

 レオパルド2戦車を配備していたNATO諸国が冷戦後次々と戦車を排しCV-90装甲戦闘車に大きく乗り換えた世界の趨勢は此処にあり、自衛隊はこのあたりを、戦車削減がミサイル防衛等の新任務費用捻出の方便となり、隊員の安全は置き去りにされている現状です。

 危険な地域には派遣しません、とは政治的方便で、パリで乱射テロ事件が発生し東京の地下鉄にサリンが1990年代に散布された一点だけでも、戦闘地域と後方地域の明確な区別は、地域紛争では不可能です。具体的には、サリンが使われない戦場は数多在りますから、ね。

 82式指揮通信車を量産した小松製作所が金沢駐屯地に近い小松市に所在していますが、例えば石油危機前の自衛隊では全普通科部隊の装甲化を志し、北海道に高性能の73式装甲車を、浮航能力持ち車内射撃可能な12.7mm機銃を備えた高性能、そしてもう一つを考えた。

 小型装甲車、とは小松製作所が三菱重工と普通科部隊用装甲車として試作まで実施していた四輪駆動装甲車で、要するに82式指揮通信車の四輪駆動型、車高は前部と後部を指揮通信車と違い同高の設計とした装甲車を開発していました、重視されたのは路上機動力です。

 89式装甲戦闘車のような35mm機関砲と対戦車ミサイルを重装甲の車体に搭載した車両は必要ですが、一方で普及させられる装甲車、というものがPKO任務には絶対必要です。ただ、石油危機以降共通しますが、全てが予算が無い、一言で隊員の安全が置き去りになる。

 BvS10中隊と小型装甲車中隊に軽装甲機動車中隊と高機動車中隊、なにやら富士教導連隷下の普通科教導連隊の廉価版のようですが、中隊ごとにあらゆる任務へ対応できる各種装備を持つ専門集団へ、普通科部隊も変革を求められるのではないか、と考える次第です。こうしたかたちで、金沢駐屯地祭特集は今回の第六回が最終弾、年内に完結する事が出来ました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G7X撮影速報】イギリス海軍アーガイル横須賀入港.クリスマスの日米英艦(2018-12-25)

2018-12-29 20:06:50 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■はたかぜ,横須賀基地帰港
 横須賀基地を撮影していますと府内の舞鶴基地と比較しまして出入港の多さから基地の規模を感じるところ。

 いずも停泊中。天皇誕生日の横須賀基地へイギリス艦アーガイル入港、撮影しましたのはクリスマスその日、そしていよいよ年の瀬でして、連休明け当日でもある訳です。しかし年の瀬という事もあり、要するに年末年始を母港で過ごすべく多くの護衛艦がいました。

 アーガイル、イギリス海軍が誇る23型フリゲイトの2番艦です。ヴェルニー公園から良く見える場所に停泊している。米軍桟橋に入港していましたが、これが海上自衛隊の吉倉桟橋や船越地区へ入港していますと、ヴェルニー公園からは見えにくかったかもしれません。

 おやしお型潜水艦の横須賀帰港となりました、クリスマスといっても我が国では平日ですので実任務は続きます。年末休暇が近い為という事でしょうか、もちろん海上防衛は24時間365日ではありますが、潜水艦はこの日にかなりの数が潜水艦桟橋に接岸していました。

 アーレイバーク級ミサイル駆逐艦のマストが林立する中の潜水艦おやしお型、クリスマスは普通に平日という我が国事情とは逆に米英諸国はクリスマス休暇中、という事ですので横須賀基地の米海軍横須賀施設には多数のアメリカ海軍艦艇が停泊していまして、迫力が。

 アーガイルと、おやしお型潜水艦、アメリカ海軍施設側に潜水艦隊司令部と潜水艦桟橋があります、そうりゅう型潜水艦が先に2隻めざし係留されていまして、こことは湾口側にも潜水艦3隻が接岸していました。海上自衛隊は現在潜水艦22隻体制へ増強事業を進める。

 はたかぜ帰港、これはこの日に行って良かった、ターターシステム搭載のミサイル護衛艦はたかぜ型一番艦の横須賀帰港です。はたかぜ型はイージス艦導入までの過渡期に導入された広域防空艦ですが、1980年代の護衛艦という事で非常に勇壮な艦容となています。

 G7Xでの撮影で同時にEOS-7Dでも撮影を継続しています、はたかぜ接岸は吉倉桟橋のようです。こうしますと、吉倉桟橋に接岸する前に艦首を外海側へ向けて停泊する為に、大きく一周して向きを変えるのですね。もっとも内陸へ艦首を向けて停泊することもあるが。

 きりしま吉倉桟橋に接岸しています、いずも接岸の桟橋が逸見桟橋、はたかぜ入港は曳船の支援を受けてそのまま向きを変えようとしている正にその瞬間です。横須賀基地の艦艇桟橋は主として吉浦桟橋の逸見桟橋、そして奥の吾妻島と水路隔てて船越地区があります。

 はたかぜ艦容を真横から拝見、艦首よりスタンダードMk13単装発射装置に51番砲とアスロックランチャーにSPG62イルミネータとハープーン発射筒と20mmCIWSに52番砲、はたかぜ型護衛艦の重厚な武装が艦型図のように見える。ここから後進して接岸します。

 あまぎり、あさぎり型護衛艦の四番艦が手前に。先ほど入港しましたミサイル護衛艦はたかぜ、イージス艦きりしま、背景に潜水艦の出港です。実はこの潜水艦は先ほど入港していました、おやしお型の出港の様子です。出入港訓練を行っていたのでしょうか、ね。

 おやしお型潜水艦の水中排水量は3500t、通常動力潜水艦としては世界的に見て大型に分類されまして、これは広大な日本領海と排他的経済水域にシーレーンを防衛する為に長大な航続距離を必要とされた為です。こうしてみてみますと、おやしお型は大きく見えますね。

 ステザムとアーガイル、ステザムはアーレイバーク級ミサイル駆逐艦13番艦です。満載排水量に二倍の開きがある点が艦容から良く分かります。そして少し見える艦尾が先ほど出入港訓練を行っていた潜水艦おやしお型で、こうして並ぶとやはり大きく見えるものです。

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平成三〇年度十二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.12.29-12.30)

2018-12-28 20:02:11 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 仕事納めという今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末は年末という事で自衛隊関連行事や基地一般公開は行われません。

今週末の自衛隊行事無し、という際にはゆったり自室の掃除や書籍の整理や機材の補正等に時間を費やしたいところですが、行事が無いといってせっかくの休日に活況の無い一日を過ごすのも若干人生を豊かなものとする貴重な機会を逃しているようでもったいない、そこで日曜日にも見る事が出来る自衛隊基地というものを視てみましょう、航空基地です。

小牧基地、名古屋空港に隣接する航空自衛隊基地ですが、ここは名古屋空港展望デッキから一望できます、輸送機の基地ですから大災害でもない限りは緊急発進などは無いのですけれども、C-130輸送機がエプロン地区に運が良ければ10機近く並んでいる様子を見る事が出来ます、勿論空港展望デッキから近い場所ではないのですが、なにしろ並ぶ数が多い。

名古屋空港展望デッキからはKC-767空中給油輸送機が格納庫から出ている事も多く、隣接する三菱重工小牧南工場では、特に実任務が立て込んだ年度末などは土日休日にも定期整備の戦闘機野練習機や偵察機などが並んでいる事もあります、もちろん何時間も眺めているものではないのですけれども、自衛隊機を基地周辺から休日に見られる貴重な場所だ。

自衛隊行事に最適なカメラについて。一眼レフの入門機種であれば基本的に間違いはないけれども、ミラーレス一眼についてはまだ技術的に発達途上なので、動きの素早い被写体を一日中撮影する動体追随能力とバッテリー性能が追い付いておらず、名所旧跡の散策か護衛艦一般公開等動かない行事撮影は別として自衛隊行事を撮影するには向いていません。

レンズは18-200mmレンズが最適で、手振れ補正機能は近年標準装備になっているのですが、明るい時間帯に行事は基本的に行われますので、余程の悪天候下の暗い状況でもなければ手振れ補正機能は必須ではありません。最初の機種は手堅く、しかしその後に中級機種といったもう少し高い価格帯のカメラを導入した際には支援機種として併用すればよい。

初めて一眼カメラを購入するのであれば、最初は安価なものを購入して、その上でなにか動きのある被写体を撮影してみる事で慣れてしまう事の方が重要と思います。CANONかNIKONかその他か、ですが、当方はCANONを使っていますのでCANONのレンズ性能と本来描写力からお勧めしますがNIKONの事は逆にわかりません。この当りは好みです。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の自衛隊行事無し

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】釘抜地蔵,家隆山石像寺は痛封じ祈願にて国民病頭痛腰痛肩凝りへ立ち向かう

2018-12-27 20:14:41 | 写真
■師走の激務に痛み封じ祈願
 年末という事で今年一年の疲れがたまる今日この頃です、この日々疲れが痛みに転じてどれだけ経ったでしょう。

 釘抜地蔵、京都の千本通りを千本今出川からもう少し上りますと花車町、上立売からもう少しだけ、それほど大きな寺院ではないのですが弘法大師空海所縁の寺院があります。東京巣鴨の有名な、とげぬき地蔵、と異なるのですが上りの右手に小さな、しかし、奥に山門が。

 デスクワークといいますか、PCを目の前に日がな一日中毎日と仕事をしていますと、どうしても肩は凝りますし眼も疲れてきまして、同じ姿勢が続きますと腰も、と。まあ、院生時代のようにもう少し激甚な痛みは出ない分、年季で強くなったとは思いますが、いたい。

 現代人にとり、頭痛は国民病といいますか、腰痛に肩こりは仕方がないものなのでしょう。いっそのことマッサージチェアに身を預けて仕事を、と考える今日この頃ですが、実は京都には痛みを封じる寺社仏閣は多い、昔から痛みは国民の友、だったのでしょうか、ね。

 石像寺、家隆山光明遍照院石像寺といい、釘抜地蔵として親しまれています。千本通り界隈は、千本北大路を境に金閣寺や大徳寺と京都を代表する寺院、観光名所が広まっているのですが、京都五山や世界遺産という響きや形の上の風格だけが、京都ではありません。

 千本通りとはその名の由来、卒塔婆が千本林立していた事に由来するといわれまして、釘抜地蔵のすぐ北には建勲神社で有名な船岡山があります。そしてその船岡山は元々が風葬地だったというのですね。ここは忌みというよりも平等、という感覚が相応しいでしょう。

 船岡山の風葬地は、送る、という制度が現代の様に確立する前の時代において、人々は別れをどのように考えるかという一種社会学的で民俗学的な視点を前に、京都五山の伽藍と共に送られる人々だけが救われるのではない、とした我が国の宗教観が現れたといえます。

 弘法大師空海所縁の寺院、さて石像寺についてですが、その始まりは弘仁年間の819年まで遡るという。浄土宗の寺院として崇敬を集める一方、始祖まで遡れば当初は真言宗寺院であった。時代と共に、これは京都では多く全国にも多いと思いますが宗旨替えがあった。

 地蔵菩薩を本尊とする石像寺は、弘法大師空海が唐から持ち帰った石を地蔵菩薩へとほりぬいたという言い伝え。釘抜地蔵とはその御本尊そのものなのですが、驚かされるのは無数の提灯と共に壁を覆い尽くすくぎ抜きの数々で、これが石像寺を釘抜地蔵で有名とした。

 俊乗坊重源、東大寺大勧進職として有名な平安末期から鎌倉初期にかけての高僧の時代、宗旨替があったという。御本尊の地蔵菩薩はそのまま、そしていつしか、御本尊に参れば苦しみを抜き取るという御利益があると広まった事で苦抜地蔵と呼ばれるようになります。

 痛みとの戦い、今日の我が国では健康保険制度と社会福祉制度が完成していますので、痛い、というならば医者に行けば僅かな自己負担で、そして健康診断のお蔭で大病が悪化する前に発見する事が出来る時代となりましたが、中世の頃は打つ手なし、に他なりません。

 室町末期、この頃までは苦抜地蔵と敬愛されていましたが釘抜地蔵と呼ばれるようにはなっていなかった、その由来は一つの逸話から成り立ったという。洛中の商人に紀ノ国屋道林という者が毎夜続く激痛に苦しみ、万策尽きて地蔵菩薩へ願掛けを行うに至ったという。

 苦抜地蔵に紀ノ国屋道林が続ける事願掛けは七日間に及び、七日目の夜にとうとう道林夢枕に地蔵菩薩が立つ。曰く激痛の因縁は前世に行った八寸釘の呪術が返ってきた、しかし前世の因縁も得度により漸く逃れた。夢覚め気付ば激痛は収まり、その日にお礼参りへ。

 釘抜地蔵、この時まだ苦抜地蔵、紀ノ国屋道林が詣でますと、地蔵菩薩の目の前に赤く錆びた八寸釘が落ちており、痛みが消えた神威の意味を知った、と。これは逸話なのでしょうか、しかし、苦抜地蔵には激痛封じへ釘抜きが多々奉納されるようになり、今日に至る。もちろん私もお祈りしました。

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【G7X撮影速報】イギリス海軍アーガイル横須賀入港,クリスマスの日米英艦(2018-12-25)

2018-12-26 20:05:54 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■HMS Argyll,ようこそ横須賀
 師走という事で忙しいさなか、それも連休何もできなかった程なのですが、連休明けのクリスマスの横須賀へ行って参りました。

 イギリス海軍23型フリゲイトアーガイルが横須賀基地へ寄港しました、そうりゅう型潜水艦が手前に。日米英共同訓練を実施した後の横須賀基地入港で、天皇誕生日の23日にアメリカ海軍横須賀施設側へ接岸、この係留位置は横須賀駅と汐入駅前のヴェルニー公園から良く見える位置にあります。

 アーガイル、23型フリゲイトの2番艦です。23型フリゲイトはイギリス海軍が構想した軽量フリゲイト構想に基づくもので、量産性を重視し1990年から2000年までの10年間で16隻が量産、うち3隻が友好国へ転売され、現在は13隻がイギリス海軍にて現役です。輸出された3隻はチリ海軍で活躍中とのこと。

 4200tの満載排水量はアメリカ海軍のアーレイバーク級駆逐艦の半分程度、比べると大きさの違いが見えますが、海上自衛隊の護衛艦はつゆき型後期型と同規模です。大西洋と太平洋の海象が異なる事から日米の護衛艦や駆逐艦巡洋艦と、イギリス海軍の塗装がイギリスの方が白を基調とするのが特色ですね。

 23型フリゲイトは多くの新機軸を有する水上戦闘艦で、その一つにステルス性の重視が挙げられます。こう説明しますと、昔舞鶴に来たフランスのラファイエット級、何度も日本に寄港しているシンガポール海軍のステッドファスト級の先進的なステルス設計の戦闘艦を思い出される方も多いでしょう。

 ステルス性という点で23型フリゲイトの先進性は、過度な船体や上部構造の傾斜は艦内に不要の容積を強い圧迫する、として金属モックアップから水上戦闘艦の性能を阻害しない可能な範囲内でのステルス性を要求した点に特色が。水上戦闘艦の任務は戦闘ですから、見つからない事が本業ではありません。

 電気推進方式の採用、23型フリゲイトの特色のもう一つ。ディーゼルエンジンにより巡航電力を発電し、戦闘航行には此処にガスタービンエンジンの電力が加わり、28ノットを発揮する。電気推進利点は静粛性が挙げられ、音響ステルス性ともいい、非常に静かなフリゲイトという。これは対潜戦闘を展開する際に有利とのこと。

 アーガイル、23型フリゲイトを視るのは本当に久しぶりなのですが、無駄のない設計に驚かされます。詰め込みすぎのように見えてそうではない、個々の装備には説明がある。例えば搭載艇は米海軍ではコスト削減の為に複合艇を採用しましたが、23型では必要な容積を確保する為の容積削減へ軽量で揚収設備も簡略化できる複合艇を採用しました。

 ARTISAN-997型レーダーが特徴的な形状と共にマスト頂点に配置されています、これは23型フリゲイトの近代化改修の一環として旧型レーダーを換装したもので、ソナーや主砲構造物なども順次換装されています。BAE社製の本レーダーは200km圏内の超小型飛翔体を含む900目標以上を識別追尾が可能、とのこと。

 GSA.8光学照準装置がマストに丸い特徴的な形状を見せています、これは宮崎駿監督の映画“もののけ姫”に画かれる森の妖精“木霊”と似ていますが、実際イギリスでの一般公開の際、子供が問うた質問に案内の士官は“あれは敵を狙う妖精だよ”と説明したというものですから、やはりあれは妖精さんなのだなあ。

 23型フリゲイトの兵装は、55口径114mm単装砲、DS30M/30mm単装機銃2基、ハープーン艦対艦ミサイル8発、Mk.44/7.62mm多銃身機銃2基、シーセプター/シーウルフ短SAM用VLS 32セル, DMTS-90 連装短魚雷発射管、となっています。お気づきでしょうか、対艦ミサイルの攻撃から最後の防波堤となる装備、近接防空火器CIWSが無い。

 シーウルフ短SAM用への信頼性がCIWSを省く設計となりました。シーウルフ短SAMは現在後継のシーセプターへ換装され主砲の背後に32セルがVLS方式で搭載されています。その後ろにハープーンミサイルが見えますが、当初イギリスは老朽化受け2018年までにハープーン廃止予定としていましたが、延命改修とメーカーとの特別整備契約延長により今に至る。

 あさぎり型護衛艦が横須賀基地へ入港していましたが、二隻を比較してみますと、23型フリゲイトは建造時期が、あさぎり型、むらさめ型とほぼ重なります。イギリス艦は登場当初こそ奇抜に見えるが見慣れると先進性を感じる、とはかの故江畑謙介先生のお言葉でした、アーガイルを見ますと、成程と感じさせられるハンサムな艦です。

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【映画講評】ゴジラvsビオランテ(1989)【5】検証:ICBM迎撃用92式メーサータンク

2018-12-25 20:12:32 | 映画
■原作の75式自走榴弾砲を代替
 映画講評ゴジラvsビオランテ、間が空いてしまいましたが今回が最終回という事で。92式メーサータンクについて、原作では75式自走榴弾砲が活躍していたのですが、ね。

 92式メーサータンク、マイクロ波を共振筒から誘導放出によって指向性を持たせ発振する電磁波兵器で高出力マイクロ波照射により表層を加熱する。ゴジラvsビオランテは1989年に公開され、1984年公開の映画ゴジラが1985年を想定としており、概ね1990年頃が舞台であると考えられています。したがって、試作車両が投入されたものと考えられます。

 陸上自衛隊へ配備される車両で、劇中では大阪湾を上陸し若狭湾原発地域へ向かうゴジラ迎撃に丹波山中にて展開される防衛線に配置されていました。車体構造は八輪大型車体上に主砲を背負い式に搭載した旋回式砲塔を配置しており、興味深いのは背負い式に搭載する主砲に対し、光学や電子装置等、火器管制装置に当る照準装置を搭載していない点です。

 メーザーは上記の通り指向性のあるマイクロ波照射という構造ですが、発電効率を高めた超伝導発電システムによりプラズマを発生して得られる中間子ニュートリノを加熱、砲身部分のミラーにより収束し照射する構造とのこと。ニュートリノは質量を有する事が確認されていますが物体に影響を及ぼす熱量を、人工的に加熱させる技術は現在も未開発です。

 大陸間弾道ミサイルICBMの迎撃が目的とされ、92式メーサータンク射程12kmの500万ボルトメーサー砲を有する。ICBM迎撃用として12km射程は、核弾頭を搭載するICBMは地中の目標、例えば敵ICBMの地下硬化サイロ破壊や地下司令部中枢破壊、こうした用途にもちいる場合を除き爆風と熱線による広範囲を破壊する場合、一定高度で反応させる。

 500万ボルトメーサー砲、この電圧の定義が不明確ですが電圧故に射程が12kmに留められるという部分は、弾道ミサイル迎撃において終末段階の迎撃にのみ有効であり、地表12km以上の高度でICBMの弾頭が炸裂する場合には、迎撃不能である事を意味します。ただし、1980年イランイラク戦争時における戦術弾道弾攻撃への迎撃には有用でしょう。

 自衛隊が劇中、ゴジラ迎撃を実施したのは、三原山からの出現後小田原に上陸し芦ノ湖へ進出した際の第1師団の芦ノ湖周辺への警戒配備、芦ノ湖から太平洋上に逃れたゴジラが上陸すると想定された伊勢湾への着上陸阻止への水際配備、大阪湾から上陸したゴジラへの小規模部隊による大阪市内遊撃戦、丹波山中に配置された内陸誘致防衛線、四度です。

 第1師団による芦ノ湖周辺の警戒配備は、板妻駐屯地第34普通科連隊と市ヶ谷駐屯地第32普通科連隊が警戒配備として展開しており、劇中普通科連隊が1990年代改編の普通科連隊のような79式対舟艇対戦車誘導弾所謂重MATを装備する対戦車中隊を隷下においているかは別ですが、近傍の第1戦車大隊を展開させておらず、警戒出動という戦闘序列でした。

 伊勢湾は、1985年ゴジラ上陸が核物質を狙い静岡県井浜原子力発電所を攻撃した事を受けての警戒配備です。この井浜原発は静岡県浜岡原発が作品世界では井浜という地名に建設されたものと考えられています。これにより本州太平洋岸の原発は全て稼動していない、恐らく茨城県東海第一原発、東海第二原発も核燃料を搬出したものと考えられるでしょう。

 伊勢湾着上陸が想定されたのは、小田原から太平洋に逃れたゴジラが核物質を奪取するべく、日本海側の若狭湾原発集中地域、美浜原発、高浜原発、敦賀原発、動燃ふげん、この稼動中の原子力発電所を狙うものと想定し、相模湾から若狭湾へ本州縦断を想定しての最短距離が伊勢湾から関ヶ原地峡と琵琶湖を経由し、侵攻するものと考えられたためです。

 しかし、伊勢湾防衛に際してはこの92式メーサータンクは展開していませんでした。自衛隊は伊勢湾内に護衛艦隊を展開させ、上空に航空攻撃部隊と特殊無人攻撃機スーパーX2,志摩半島と知多半島及び渥美半島へ陸上自衛隊を展開させ水際防御を図るのですが、愛知県三重県沿岸部に展開した陸上自衛隊部隊映像が出されるのですけれども、展開していない。

 志摩半島と知多半島及び渥美半島へ展開する陸上自衛隊部隊、成程富士総合火力演習の最終段階の様にヘリコプターと装甲車両が戦果拡張に向けて待機している様子そのもので、あの演習が実戦に即している点を再確認できるものですが、92式メーサータンクは配備されていません。直接照準方式です、海岸反射面陣地の掩砲所に配備されるとも考えにくい。

 伊勢湾決戦に92式メーサータンクが配備されなかった理由ですが、恐らく車体が大型過ぎ弾道ミサイル迎撃用という機動運用を想定しない構造から、現地組み立て方式の装備なのかもしれません。特に前述したとおり火器管制装置を外見上搭載していない為、単純照準用の砲側照準器は有しているかもしれませんが、別に照準支援を必要とするのでしょう。

 L-90高射機関砲を想像していただくと分かりやすいかもしれません、L-90双連35mm高射機関砲はスーパーフレーダーマウス火器管制レーダーと有線接続し極めて有効な高射射撃が可能となっています。元々92式メーサータンクは弾道ミサイル迎撃用なのですから、独立した照準装置を搭載しようとした場合、大型で、車体が肥大化しすぎる可能性もある。

 92式メーサータンク、主契約企業は不明です。全長16m、全幅9.5m、全高4.8m、主機空冷-水冷併用2サイクル2気筒ディーゼルエンジン4基重量85t、速度47km/h,となっていますので、残念ながら高速道路網を移動する用途には適していません。車幅9.5mは単純計算で四車線道路が必要、全高も4.8mありますので高架部分やトンネル通行の制限から名神高速等を通行する事はできません。

 丹波山中に92式メーサータンクが配備された理由ですが、近傍には陸上自衛隊饗庭野演習場があり、隣接して航空自衛隊饗庭分屯基地があります。京都府日本海側には経ヶ岬分屯基地にレーダーサイトが置かれている為、例えばガメラレーダーの様な移動式Xバンドレーダーを自走化させたものか、航空自衛隊レーダーサイトと連接運用が基本なのでしょう。

 92式メーサータンクが丹波山中でのゴジラ防衛線に展開した理由ですが、大型過ぎ基本的に戦略機動を想定したものではありません。すると可能性として自走能力は、92式メーサータンクそのものを標的とした弾道ミサイル防衛能力を無力化する為の巡航ミサイルや短距離弾道弾飽和攻撃から防護するための、対空疎開用の自走手段となるのかもしれません。

 若狭湾原発密集地域、美浜原発、高浜原発、敦賀原発、動燃ふげん、もともと92式メーサータンクは周辺国の弾道ミサイル攻撃から原子力発電所を防護するためにこの地域へ配備する事が前提となっていたのかもしれません、こう考えますと射程12kmという終末迎撃用の性能についても、また伊勢湾まで進出しなかった理由というものにも納得がいくもの。

 射程12kmという96式多目的誘導弾システム以上の射程を有しながらもゴジラとの有視界戦闘により損耗を強いられた背景は、もともと対空疎開用以外に自走しないものであると考えれば、内臓動力炉は非常用であり本来は有線による外部電力により最大射程を発揮するもので、自走時には内臓非常電源のみ、射程が著しく短縮する可能性も、考えられます。

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新型装甲車/装輪装甲車-改開発中止(考察5)千歳市戦車C経路90式戦車通行と関係当局手続き

2018-12-24 20:13:41 | 先端軍事テクノロジー
■特殊大型車両通行申請
 前回から大分時間が空いてしまいましたが。車幅が2.5mを越える車両が行動を通行する際には対向車に衝突しないよう、手続きが面倒、これが日本の装甲車開発の上での大きな制約の一つ。

 千歳市戦車C経路、という日本では大分の玖珠のほか例外的に認められている自衛隊装甲車両が通行可能な一般道があります。平日でも千歳市HPの自衛隊車両通行情報を参照し、交差点やコンビニの前でのんびりしていますと、90式戦車や89式装甲戦闘車が次々通過してゆくという、日本でも戦車が一般道を日常走行できる場所があると教えてくれます。

 千歳空港から観光バスで移動する外国人観光客が北海道で最初に度肝を抜かれるという迷物観光地ですが、ここを日常的に利用していた部隊の方に話を聞く機会が先日ありました。同時に折角真駒内まで行ったのだから何とか月曜日一日休めるようにしまして、丸一日C経路で戦車撮影、というものもやっておけばよかったなあ、という後の祭りを痛感する。

 C経路、手続きが面倒だった、という。毎日走っていてもその為の努力は、と。その方は幹部、移動時は車長として責任を負うと共に、移動申請等書類との格闘を机上で担う指揮官でしたので、C経路移動は、装甲車両で演習場を疾駆する感覚とは別の、通過時間という道路使用の時刻を守らねばならず、演習場の状況終了から移動まで、大変だったという。

 千歳市C経路でさえ、これは千歳市という自衛隊車両通行になれている道路管理者との申請でも大変、ほかの道路を同様に移動する際の考慮すべき命題の一つ。道路管理者への特殊大型車両通行申請、所轄警察署長への届け出と煩雑ではあるのですが、国土交通省では特に一般貨物輸送の輸送効率化を念頭に申請書をWeb申請が可能になったとのことでした。

 特殊大型車両通行申請、従来のような窓口届け出、つまり管理者不在の場合は申請さえ出せない状況から脱却するとともに、複数の道路管理者にまたがる場合、例えば一つの経路で国道と県道を通行する場合に従来は全ての管理者に申請する必要がありましたが、現在は一つの管理者に申請することでほかの管理者へも申請が送付されるようなったという。

 したがって、この手続きの煩雑さは昭和の頃から比較したらば、かなり自動化されたといえます。手数料を数百円要しますが、燃料代を考えればそれほど大きな負担ではないといえるでしょう。例えばこの申請がもう少し自動化が進むならば、車載端末の通信機能を利用して車内から適宜申請を送信できるようなれば、車幅問題、解決できるかもしれません。

 16式機動戦闘車、車幅2.98mですが四国善通寺の第15即応機動連隊に正式配備されたのが四月初旬、その二ヶ月後の六月初旬には長躯北海道札幌真駒内駐屯地の旅団祭に颯爽と登場、観閲行進で雄姿を道民に見せつけました。即応機動連隊道南展開、戦略機動力が重視される即応機動連隊の真価を行事を通じ広く誇示した貴重な事例といえるでしょう。

 即応機動連隊道南展開、善通寺から真駒内までの経路は決して近距離ではなく、フェリーと高速道路を乗り継いで展開、フェリーを利用しますと太平洋フェリーでは名古屋から仙台経由で苫小牧まで丸二日、新日本海フェリーでも舞鶴から小樽まで二日近くを要します、ただ、フェリーでの移動は乗船してしまえばそのまま、ですが、真駒内は内陸にあります。

 第14旅団の最新鋭装甲車両が第11旅団という最新装備で固めた総合近代化旅団の旅団行事に華を添えた、一方、やはり高速道路利用と国道や道道通行は書類申請による通行許可を経て実施したとのお話で楽ではなかったもよう。内地の装備が道内観閲行進に登場するのは自衛隊初だ、と思いつつ、併せて戦略機動力に驚かされた、が、移動大変だった、と。

 昭和と平成、道路利用の手続きは大きく自動化されました。尤も昭和の頃は61式戦車が移動する際、厳密には道路運送車両法に抵触する状況での通行であっても、警察は黙認したという、今程厳格に戦車通行が制限されていなかったともいいますが、一方、やはり厳しかったというOBの方も居まして、申請が自動化された事は朗報といえるかもしれません。

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平成三〇年天長節:平成時代は良い時代であった,願わくば戦争無き時代を祝う祭日を願う

2018-12-23 20:00:53 | 北大路機関特別企画
■未来へ求む平和な時代の祝日
 未来の話はまだ早いでしょうが平成とはどんな時代だったと後世に伝えられるのでしょうか。

 本日は天長節、天皇誕生日です。本年は天皇陛下御即位30年と共にこの平成30年を以て、今上天皇は来年四月に御退位され、上皇へ上られます故、12月23日天長節は本日が最後となる訳です。天皇陛下は本日を迎え、平成という時代は戦争が無かった時代である事を強調されまして、その意味では私含め、平成という時代は良い時代、共有できましょう。

 明治維新以来、日清日露の戦争、大正時代には第一次世界大戦とシベリア出兵、昭和には日中戦争と太平洋戦争、非常に多くの戦争を経験する事となり、これは国民を中心に戦争の災禍は耐え難い苦痛を長く残します。難しい点は、戦争回避する事により強いられる隷属や戦争を国家間で回避した事による隷属が国民を国家間以外の闘争へ動員する懸念です。

 平成という時代を振り返りますと、東西冷戦の終焉と共に第二次世界大戦終戦後に連綿と積み立てた周辺国との友好関係と、第二次世界大戦から続く国際関係が信頼醸成を生み、少なくとも我が国土が戦場の戦火に焼かれる事は元より、我が国が対外戦争を展開する事は回避できると共に、本土着上陸の懸念は東西冷戦期と比較し、大きく低減されました。

 災害の脅威、平成の時代は阪神淡路大震災と東日本大震災という桁外れの災厄に見舞われた時代でもありました。大正時代の関東大震災よりは人命という意味では別格ではありましたが、昭和の特に戦後の時代には最大の災害は長く伊勢湾台風だった訳です。昭和の時代は逆に千人単位の犠牲者が幾つかの地震や台風災害では生じていましたが、平成は、と。

 阪神淡路大震災は兵庫県南部地震という都市直下型地震により大都市神戸の中心部が激震に見舞われ、その後に発生した火災と共に多くの犠牲者を出す事となりました。我が国建築物の多くは耐震構造を採用、とは必ずしも戦後全ての建築物には当てはまらず、山陽新幹線を筆頭に高速道路網や神戸港にも大きな被害が及び、京阪神地区全体へ影響が及んだ。

 東日本大震災、東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0という巨大地震が架空の災害ではない事を突き付け、津波遡上高が40mに達すると共に福島県宮城県岩手県を中心に本州の千葉から北海道沿岸までが津波被災地となり、この影響により福島第一原子力発電所事故を誘発、その災厄の余韻と影響は長期化し、今なお我が国は完全に抜け出せていません。

 南海トラフ巨大地震の懸念は、東日本大震災と共に歴史地震として政治的には想定外であった災厄の再来を再認識させ、その被害想定は地質学上過去に発生した最大規模で再来したとして、防災が不完全のままその日を迎えた際には犠牲者32万名という、過去の戦争の東京大空襲や沖縄戦、広島原爆投下被害をも上回る災厄となり我々は脅威に曝されている。

 平成の時代とは戦争は無かったが災害は非常に多かった、後世にはこう記憶されるのでしょうか。ただ、戦争と自然災害の違いは共に人命と未来に脅威をもたらしますが、災害に狡猾さは無く、何より人が人を、という構図ではなく、故に禍根もこのしません。そうした意味では、平成は災害は多かったけれども、好い時代であった、といえるのではないか。

 平成は良い時代であった、そして次の時代も勝るとも劣らない良い時代を求めたい。勿論、戦争も戦争を回避する事で強いられる隷属も退け、我が国憲法の理念と権利が認められるという最大限の努力が求められるのですが、そして新時代、上皇猊下が即位される新しい時代が到来します。願わくば来年度以降も12月23日が戦争の無い時代を終えた国民の祝日として維持されつつ、今日の平安を明日へ繋ぐ事への協同を望みたいですね。

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【くらま】日本DDH物語 《第五二回》護衛艦しらね型構想,8300t型ヘリコプター巡洋艦案

2018-12-22 20:05:00 | 先端軍事テクノロジー
■戦後日本の巡洋艦再建構想
 はるな型護衛艦建造当時、航空機を運用する為に航空母艦だ、との論評が一部識者や報道にはありましたが、続く護衛艦しらね型は当初もう少し大型化する可能性がありました。

 8300t型ヘリコプター巡洋艦構想、格納庫の上に飛行甲板を配置するという構造は護衛艦はるな二隻に続く護衛艦として検討されます。こうすることで毎回エレベータを乗降させる必要性が生じますが、格納庫の上に飛行甲板をおく構造は即ち乾舷を高くできます、緊急時には航空機の甲板係留を行っても航空機が波浪に洗われる懸念を払拭できるという。

 格納庫が大型化するということは艦内の整備支援設備も大型化する事を意味しますので、護衛艦で実施できる整備の幅も大きくなります、これは護衛艦はるな型より大規模な整備を洋上で行えまして長期間の独立運用を可能とする、当たり前ですが船体が大型化したならば燃料搭載量も増大しますので護衛艦としての航続距離も延伸し行動範囲が広がります。

 1969年の小笠原返還と1972年には沖縄県が返還され、防衛管区が大きく広がる海上自衛隊には外洋運用能力の強化は喫緊の課題となった中で重要な点といえました。特に南西諸島南端に近い台湾海峡では中国海軍と台湾海軍の海上戦闘が散発的に発生していますし、ソ連太平洋艦隊の行動も艦隊規模の増大に併せ活性化、海上防衛の課題は大きくなります。

 8300t型ヘリコプター巡洋艦構想、海上自衛隊では現在19500t型護衛艦として建造されました護衛艦いずも型もヘリコプター搭載護衛艦と呼称していますが、はるな型に続く護衛艦を建造する当時はヘリコプター巡洋艦、と部内検討では称されていたという点はある意味新鮮ですが、当時としては破格の大型艦が検討されています。確かに巡洋艦の大きさだ。

 基準排水量8300tといえば満載排水量は確実に10000tの大台を越え、11500t程度となったことでしょう。はるな、ひえい、実運用を開始しますと先見の明を実感するとともに設計上甲板係留により艦載機を増大させることは短期的であってもできません。ベアトラップ着艦拘束装置を採用した護衛艦はるな型は飛行甲板にこの軌条が広く配置されています。

 ベアトラップがあるからこそ、基準排水量4700の船体に大型のHSS-2対潜ヘリコプターを発着させているのですから、飛行甲板には二条のベアトラップ軌条が配置されています。ここに甲板係留をおこないますと運用できなくなり、軌条の上に航空機を係留し続ける事は出来ません。当時では仕方ない事ですが設計上の余裕が無かった、ということですね。

 もちろん、UH-1,当時はHU-1と呼称されていました中型の多用途ヘリコプター程度であれば、こういいますのもイタリア海軍ではHU-1の対潜型とHSS-2の対潜型を巡洋艦で使い分けた事例があるのですが、凪いだ海上で着艦拘束装置を用いない状況で甲板係留と発着を両立できたのかもしれません。しかし、海上自衛隊ではHU-1は運用されていません。

 しらね、くらま、建造の歴史をみるとおり、この8300t型ヘリコプター搭載護衛艦は実現していませんが、構想だけを見ますと面白い。上部構造物を船体中央部に配置し、艦首から51番砲と52番砲にターターミサイルか当時実用化の目処がつき始めた短射程対空ミサイルを搭載、中央部に上部構造物を配置しまして後部に飛行甲板という構造が考えられた。

 航空機格納庫は飛行甲板下の船体に配置するという構想とも伝えられ、艦隊旗艦としての機能も盛り込むという。もちろんベアトラップは採用できませんが、基準排水量4700tの護衛艦と8300tの護衛艦では波浪の影響が根本から異なります、一概には言えませんがベアトラップを採用せずとも発着艦が出来たという認識でしょう。発想としては、興味深い。

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