北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

火力戦闘車/装輪155mm榴弾砲試作車が納入(考察4)方面特科連隊集約予定の本州九州特科

2019-01-31 20:00:18 | 先端軍事テクノロジー
■99式自走榴弾砲300両集約案
 99式自走榴弾砲と火力戦闘車を僅か300門へ集約される陸上自衛隊野戦特科部隊ですが、300門の定数を前に最新鋭装備を二系統とする点に、少々疑問を感じます。

 99式自走榴弾砲と火力戦闘車を比較する場合、自動装填装置を有さない火力戦闘車は瞬発射撃能力も持続射撃能力も火砲として優位性がありません。勿論安価に収めているのですから大量生産し479両を導入したFH-70榴弾砲の後継として500門近くを導入するならば、安価という点は重要ですが、自衛隊は火砲定数を将来的に300門程度とする方針です。

 火力戦闘車に先行する装輪式自走榴弾砲としてフランス製カエサル軽自走榴弾砲があります。自動化を操砲系統とするのではなく人力装填を軸とした半自動装填装置に留め、砲兵情報装置等の装備に留めたトラック式自走砲でした。この延長線上に火力戦闘車を望見した場合、自動装填装置を省く設計はカエサルという先行者に妥当性がある様にも感じます。

 カエサル自走榴弾砲について。しかし2018年ユーロサトリ国際兵器見本市に展示された最新型のカエサル自走榴弾砲は自動装填装置を備え車内から装填作業を行えるようになりました。カエサル自走榴弾砲は機甲師団へも配備が開始されており、結果的に自動装填装置を欠いて砲兵が直接車外での弾薬装填や操砲作業を行うという運用が厳しくなった構図だ。

 アーチャー自走榴弾砲というスウェーデン製装輪自走榴弾砲は、自動装填装置を標準装備し、砲兵はボルボ製装甲トラックの戦闘室から射撃統制を行う事が可能です。カエサルは此れと比べ簡易型という構図でしたが、自動装填装置の採用によりアーチャーに寄った構図だ。アーチャーは言い換えれば装軌式自走榴弾砲の砲塔をトラックに積んだ様なもの。

 99式自走榴弾砲は一応生産ラインがまだ残っています、ですから火力戦闘車か99式自走榴弾砲か、という選択肢を日本は取り得るのです。しかし、スウェーデンは装軌式のバンドカノン自走榴弾砲生産は終了、フランスもAMX自走榴弾砲製造が終了しており、今あるものしか選択肢が無い構図です。対して、日本には選択肢が二つある、これは重要でしょう。

 戦略機動性を考えた場合、99式自走榴弾砲は40tの装軌式車両であるため、74式戦車のように戦車輸送車に積載し輸送しなければなりません。中砲牽引車で高速道路を疾走できるFH-70と比較したならば鈍重な印象は否めないでしょう。しかし、火砲の数が限られると同時に、陸上自衛隊には火砲以外の有力な選択肢があります、警戒さが必要なものに限る。

 即応機動連隊という自衛隊に新しい緊急展開部隊が創設され、軽快な120mm重迫撃砲RTを装備する火力支援中隊を隷下に置く編成の部隊があるため、初動は即応機動連隊に重点を置く、という運用は当然考えられるでしょう。それならば主力が99式自走榴弾砲であって駄目、という理由にはなりません。即ち、120mm重迫撃砲RTと協同すればよいのです。

 西部方面特科連隊、それでは戦時中の旧陸軍のように155mm榴弾砲は軍砲兵隊の虎の子装備なのか、と問われますと、実態は管理部隊は方面隊ですが、西部方面隊の場合は担当大隊として第4師団担当の特科大隊、第8師団担当の特科大隊を師団へ配属している方式です。この方式、第8師団に96式多目的誘導弾システムが配置されていた事例があります。

 現在の第14旅団にも中部方面特科隊が置かれている。管理者が変わっただけで所属は基本的に同じ、という構図から理解すると、見方が変わってくるでしょう。したがって、99式自走榴弾砲に本土特科を統合した場合には、師団へ配属の特科大隊に99式自走榴弾砲が配備されることとなる。車体は巨大ですが高性能、この威力は際立って大きなものがある。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】弘道館,尊王攘夷思想発祥の水戸藩藩校は太平洋戦争末期の水戸空襲に燃ゆ

2019-01-30 20:15:54 | 旅行記
■水戸,幕末歴史街道探訪
 NATOに関する長大な分析を行い終えた当方はNATOと近い響きを持つ納豆の街、水戸へ行って参りました。

 弘道館、茨城県水戸市の常磐線水戸駅を鹿島灘の方へ少しだけ歩みを進めますと白壁の美しい簡素な中に力強い江戸時代後期の建築物群が並んでいます。ここは弘道館、つまり江戸時代の水戸藩に造られた藩校です。水戸市三の丸1丁目6番内、昔は城内に在った。

 尊攘、と大書された様子に神妙な感慨を突き付けられます。尊攘とは尊皇攘夷を示し、この二文字が水戸藩藩校弘道館の成り立ちと直接関わります。弘道館戦争という幕末の天狗党と諸生党間の戦闘と1945年の水戸空襲により多くは喪失しましたが、正庁と正門が残る。

 徳川慶喜、最後の将軍として知られ江戸時代から明治時代への封建主義国家の近代国家への転換へ橋渡しを担った偉人もここで学びました。評価の分かれる徳川慶喜ですが、発言と実績は過小評価されている様にも。そして徳川慶喜の実父、徳川斉昭が開校しています。

 水戸藩主徳川斉昭により天保年間の1841年に開校された弘道館は、水戸城城内の要地を人材教育の場へ供したもので、地名の通り城内、水戸藩草創期からの重臣である山野辺家が屋敷の一部を供し、1841年という幕末と欧米列強干渉時代を前に恰も切迫性が伝わります。

 徳川光圀、水戸黄門として有名な第2代水戸藩主の大日本史編纂、日本史を実に200年間を掛け全397巻226冊の規模でまとめた水戸藩は水戸学派という学術体系を形成していまして、もともとここ水戸藩は歴史研究を筆頭に文武のうち学問を重視していたといえる。

 神武天皇から後小松天皇までの歴史を記したこの、大日本史は全397巻226冊、歴史体系書としては漢文体で統一すると共に出典と議論の経緯を明白に示したもので、日本書紀といった歴史書とは異なる近現代に編纂された歴史体系の基本を醸成する事となりました。

 徳川斉昭は幕末改革者の一人として有名で、藩政改革としても、経界の義として全領検地実施、土着の義として藩士定着励行、学校の義として藩校弘道館と郷校建設、総交代の義として江戸定府制の廃止、追鳥狩して近代軍隊建軍と大規模軍事訓練、等を行っています。

 海防参与、徳川斉昭は1853年のペリー来航に際し老中首座阿部正弘より沿岸防衛主任を明示されました。弘道館開校に大きな影響を及ぼしたのは沿岸防衛を行おうにも江戸幕府開府以来の鎖国政策によりまともな軍需産業が維持されておらず大砲鋳造もできない事です。

 彰考館、大日本史編纂へ水戸藩が明暦年間の1657年に置いた研究施設ですが、弘道館開校にはこの彰考館に多くの学識経験者を集めていた事が大きく寄与します。ただ、こちらの方は1945年の水戸空襲により完全に喪失、常磐神社の義烈館等に収集した蔵書が残るのみ。

 会沢正志斎は初代教授の一人で元々は大日本史編纂へ書写生として学究の入口へ入りましたが、ロシア南下政策とラクスマン根室来航を受け、欧州情勢とロシア政策に関し“千島異聞”として極東情勢をまとめ、イギリス太平洋進出を“暗夷問答”に示した学者です。

 青山延于は会沢正志斎の誘いを受け初代教授頭取となりました。大日本史を初学者へ簡潔にまとめた皇朝史略と続皇朝史略を著し尊王攘夷思想の形成に大きな影響を及ぼしました。ただこれが水戸藩内での仏教抑圧神道重視、後に全国化する廃仏毀釈の原型が生まれます。

 尊王攘夷を掲げた弘道館ですが、開校から丁度百年後の1941年に太平洋戦争が始まり、空襲で焼けたのは皮肉といえる。尊王攘夷思想は歴史評価が分かれます。しかし建物の歴史的価値は評価されており。正庁と至善堂及び正門は、国の重要文化財に指定されています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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榛名防衛備忘録:第三のイージスアショア,本土全般防空へ秋田県&山口県に続く整備の可能性

2019-01-29 20:06:22 | 防衛・安全保障
■弾道弾防衛から全般防空へ
 イージスアショアは我が国弾道ミサイル防衛を根底から強化するものと理解されていますが、将来的には全般防空を担う可能性がある。

 第三のイージスアショア、防衛省が北朝鮮弾道ミサイル脅威へ対応する切り札として導入する陸上配備型イージスミサイル防衛システムが正式に新防衛大綱へ盛り込まれ、これにより東北地方秋田県と山陰地方山口県へイージスアショアの整備が決定、1300km圏内の弾道ミサイルを迎撃するスタンダードSM-3が弾道ミサイルから日本全土を防衛します。

 ペトリオットミサイル、航空自衛隊が1988年から30年以上運用する戦域防空用地対空ミサイルシステム、現在は狭い範囲の弾道ミサイル迎撃能力も獲得しましたが、戦闘機や爆撃機、巡航ミサイルに備えるペトリオットミサイルの後継として、イージスアショアの能力が応用される可能性があります。そして、イージスアショア本体も増備される可能性が。

 イージス艦日本海常時ミサイル警戒、北朝鮮による水爆実験と2017年一杯継続された日本海への毎週のミサイル実験、鉄道はJアラートミサイル警報を受け東北地方と首都圏で緊急停止を繰り返し、小中学校ではミサイル警報へ空襲退避訓練が全国規模で実施、ミサイルが日本海ではなく本土へ機動を向けた場合、最悪、広島長崎の惨劇が繰り返される事に。

 護衛艦隊のイージス艦は現在6隻であり、主任務は艦隊防空であり弾道ミサイル迎撃ではないのですが、日本本土核攻撃の懸念が顕在化した状況下では悠長な事は云えず、大変な負担を現場の労力に押し付け実現しました。北朝鮮ミサイル一軒は一段落しましたが、核放棄の目途は無く、弾道ミサイルの量産も続く、その中でのイージスアショア整備決定だ。

 THAADミサイルではなくイージスアショア、THAADミサイルはアメリカの終末段階迎撃ミサイルで落下直前の弾道弾を迎撃します。イージスアショアは中間段階を迎撃するのですが、当初はTHAADが高価且つ迎撃範囲の狭さから採用されませんでしたが、結局具体計画として算定しますと、イージスアショアの整備費用が非常に増大する事が判明します。

 スタンダードSM-6,イージス弾道ミサイル防衛システムには現在、超長射程防空ミサイルであるSM-6を改造し、弾道ミサイル終末迎撃用ミサイルとする計画が進行中です。すると可能性として日本本土配備のイージスアショアが中間段階迎撃専用のSM-3運用に限定されるとは考えにくく、都市部着弾寸前まで迎撃を継続可能なSM-6の運用は検討されましょう。

 ペトリオットミサイルとスタンダードSM-6,現時点では地上配備型と洋上配備型の明確な運用区分がありますが、陸上へ配備するならば用途が重複します。すると、スタンダードSM-6は射程450kmと推定され、ペトリオットミサイルの射程100kmから150kmを凌駕すると共に、運用開始から30年以上を経たペトリオットの後継装備となり得るのです。

 九州南部へイージスアショアが配備されるならば沖縄本島全域と四国全域をスタンダードSM-6により、航空機や巡航ミサイル攻撃から迎撃可能となりますし、万一の際には佐世保のイージス艦へ引き継げる。静岡県山間部へイージスアショア増備できれば首都圏と中京地区及び京阪地区の防空が可能、万一の際には横須賀のイージス艦へ迎撃を引き継げる。

 ナイキJ地対空ミサイル、イージスアショアは固定式ミサイル防衛システムですが、ペトリオットミサイルの前型にあたるナイキJは地下固定式運用を執っていました。また、スタンダードSM-6はMk41-VLSから運用しますが、このVLSを車両移動式とする事は不可能ではありません。すると、イージスアショア増勢による全般防空、可能性はあるのです。

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火力戦闘車/装輪155mm榴弾砲試作車が納入(考察3)99式自走榴弾砲への統合を検討すべき

2019-01-28 20:10:11 | 先端軍事テクノロジー
■火砲300門,高性能と合理性
 火力戦闘車は新年度予算に教育所要取得が盛り込まれていますが、火砲定数が300門という時代に新装備を導入する事への合理性を真剣に考えねばなりません。

 中部方面特科隊が新年度、松山駐屯地に創設され、現在は中部方面隊に師団旅団特科としてまだ、第10特科連隊と第3特科隊に第13特科隊が残っていますが、数年内に全て中部方面特科隊に統合され、40門ほどに集約されます。この流れは東部方面隊と東北方面隊で続きますので、火力戦闘車は教育所要を除けば定数110門ほどで完結してしまいます。

 火力戦闘車の性能は未知数ですが、少なくとも量算数が110両程度となっては、量産効果を期待できません、MAN社製トラック採用の背景はここがおおきいのだと考えます。ただ、火砲定数300門ならば、思い切って全て99式自走榴弾砲に集約してしまえば、と考えたりもするのですが、つまり定数300門ならば二種類維持する事は非合理だ、ということ。

 99式自走榴弾砲は世界的に見てもまだ最新鋭の自走榴弾砲です。これは冷戦後各国の火砲開発が停滞しているためで、冷戦末期から開発を継続し1999年に制式化となった99式自走榴弾砲が相対的に最新鋭のまま、というところです。52口径155mm榴弾砲の性能は高く、最大射程は40kmといわれることから諸外国の52口径砲よりも短射程と指摘がある。

 30kmでは現在の各国自走榴弾砲の52口径火砲が50kmに迫る射程を有している事から、見劣りすることは事実ですが、実際のところ自衛隊の場合は射撃場の制約が大きく、フル装薬での最大射程射撃では40kmよりもまだ発展余地があるとも側聞します。一方で特科の方の中には30km以遠では弾着の散布界が広過ぎ、それ以上飛んでも効果が薄い、とも。

 西部方面特科連隊のFH-70榴弾砲や中部方面特科隊に集約されるFH-70榴弾砲、敢えて新型を装備することなく、元々将来火砲としてFH-70榴弾砲後継開発が開始された時点での火砲定数は600門であったのですから、300門となった現時点で北海道と本州九州四国の火砲を二類型化する事にはひとつ無理があったのだ、と認識するべきではないでしょうか。

 特科火砲統一の必要性をこうして提示しましたが、その上で、99式自走榴弾砲をみますと、装軌式車両ですので戦略機動性は限界があります。要するに重く自走も牽引も速度に限界がある、ということ。しかし、不整地突破能力は高く、この性能は島嶼部防衛など、道路未整備な錯綜地形での運用では装軌式車両の不整地突破能力がなければ対応できません。

 FH-70榴弾砲であれば島嶼部防衛に際して、例えばCH-47JA輸送ヘリコプターによる吊下空輸により山頂などの射撃陣地へ搬入することは不可能ではありません、自走して降りられませんが、掩砲所と予備陣地を構築することで陣地変換は可能ですし、山間部ではヘリコプターにより空中機動展開させるという運用法もあります。重量はあるが短距離ならば可能だ。

 山頂にヘリコプターで火砲を搬入する運用は、アフガニスタンにおいて国産治安部隊ISAFが、特にイギリス軍が実施し効果を上げた先例があります。しかし、火力戦闘車ですと重すぎてCH-47JAではつり上げられない。何が言いたいかと問われれば、牽引砲と自走榴弾砲の中間を担う装輪式自走榴弾砲は戦略機動と戦術機動の利点が中途半端だ、ということ。

 火力戦闘車を開発したのですから、勿論充分な性能があるのならば採用し、可能な限り配備するべきです。しかし、自動装填装置の不採用等の面で99式自走榴弾砲ほどの性能は期待できません。その上で冷静に火砲定数を将来的に300門へ収斂するのであれば2系統の火砲を持つ事は不合理で、性能上99式の後継とはなり得ない。ならば一方にするべきです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G7X撮影速報】舞鶴基地ひゅうが-みょうこう-あたご.日本海の守り勢揃い(2019-01-08)

2019-01-27 20:19:29 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■全通飛行甲板型護衛艦ひゅうが
 舞鶴基地日常風景撮影の後篇は、舞鶴東港前島埠頭から国道27号線沿いに文庫山へと撮影位置を移動してみました。

 ひゅうが、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが型の一番艦で、ここ舞鶴基地を母港としていた初のヘリコプター搭載護衛艦はるな後継として建造された。ひゅうが、は横須賀を母港としていましたが、新護衛艦いずも竣工と共に母港を横須賀から舞鶴へ転籍しました。

 あたご、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場にて定期整備中の様子です。あたご型ミサイル護衛艦1番艦として建造されたイージス艦で海上自衛隊の護衛艦として初めて、満載排水量が10000tに達しました。なお手前、ひゅうが満載排水量は19000tとなっています。

 ふゆづき、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場へドック入渠中ですがこの小高い文庫山からですと、その上部構造物がはっきりと見えます。せんだい、手前に停泊、沿岸護衛用小型護衛艦として建造されました。設計思想が数世代違う二隻の護衛艦が興味深いですね。

 ましゅう、ひうち。文庫山学園は舞鶴基地へ入港する艦艇の撮影位置では定番の一つとなっていまして、俯瞰風景に北吸桟橋と掃海艇桟橋、舞鶴湾を眺める立地です。実は手前の北吸桟橋の広い部分は埋め立て地となっていまして、将来的には補給倉庫が建つともいう。

 みょうこう、舞鶴基地北吸桟橋門の向こうに巨大な艦橋が。ここ舞鶴基地は北吸桟橋が日曜日に一般公開され、護衛艦を間近に見る事が出来ます、一隻だけ上甲板が公開される事も。この一般公開日程は舞鶴基地HPへ掲載されていますので、興味ある方はご一読を。

 あさぎり、まつゆき、舞鶴東港前島埠頭からの撮影では奥に停泊していた護衛艦が見えませんでしたが、艦番号から護衛艦はつゆき型まつゆき、である事が分りました。ここは国道27号線、赤レンガの外壁は1995年に舞鶴基地の赤レンガ道として整備されたものです。

 国道27号線からの舞鶴基地、日本海防衛の重要施設ですが、平時には展望できる立地等が開放されている点が、我が国の懐の深さ、というところでしょう。アメリカ海軍のサンディエゴ基地や真珠湾基地等、ここまで平時に見る事が出来るのは自衛隊以外は米軍くらい。

 海軍舞鶴給水施設遺構旧北吸浄水場第一配水地、こちらは先ほどの文庫山学園から少し舞鶴地方総監部方面へ、舞鶴自衛隊桟橋信号前近くに山道があります。緑溢れる木々の向こうに強力無比なイージス艦が。舞鶴は幾度も通っていますが、此処を知ったのは最近です。

 まつゆき、あさぎり。少々緑が溢れていまして見え難いのですが、まつゆき艦番号が辛うじて読み取れる。はつゆき型護衛艦、あさぎり型護衛艦は併せて20隻が建造され、むらさめ型に続く現在の主力汎用護衛艦の前には、護衛艦隊護衛隊群の主力を構成していました。

 みょうこう、あたご。みょうこう、は護衛艦こんごう型の3番艦で海上自衛隊初のイージス艦として、こんごう型は4隻が建造されました。あたご、は護衛艦あたご型の1番艦で、こんごう型へ新型艦砲とヘリコプター運用能力等を追加した拡大改良型となっています。

 あたご、みょうこう、共に第3護衛隊群第3護衛隊と第3護衛隊群第7護衛隊へ所属、弾道ミサイル防衛任務として日本海に常時一隻を展開させた頃には、2隻とも第3護衛隊所属となっており、ミサイル攻撃へ備え停泊と定期整備、という余裕は中々ありませんでした。

 ひゅうが、みょうこう、が並ぶ。海軍舞鶴給水施設遺構旧北吸浄水場第一配水地を下りまして国道27号線から望む。舞鶴探訪は、舞鶴東港前島埠頭、舞鶴市役所駐車場、文庫山学園、海軍舞鶴給水施設遺構旧北吸浄水場第一配水地を一時間程で廻り撮影を完了しました。

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【G7X撮影速報】舞鶴基地ひゅうが-みょうこう-あたご,日本海の守り勢揃い(2019-01-08)

2019-01-26 20:14:16 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■二〇一九年最初の基地探訪
 舞鶴基地の正月松之内という日常風景を紹介しましょう、仕事始めの活気がありつつ、しかし一応まだ松之内ですので母港に停泊している護衛艦も多い。

 1月8日に舞鶴方面へ所用がありましたが時間に若干の余裕が、少しだけ舞鶴基地を望見できる舞鶴港へと寄り道してみました。舞鶴東港前島埠頭からの撮影で護衛艦せんだい、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、そして此処では艦番号不詳のイージス艦が接岸中です。

 あたご、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場にて定期整備へ入っています。舞鶴母港のイージス艦は、あたご、みょうこう、上掲艦番号不詳のイージス艦は、みょうこう、か。新日本海フェリー小樽行ターミナルが置かれるこの埠頭は釣り愛好家に開かれています。

 ましゅう、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場にて停泊しています。重整備中でしょう、艦番号が再塗装中となっている。護衛艦隊第1海上補給隊所属の補給艦で満載排水量25000tと護衛艦いずも型に続く大型艦です。ガスタービンにより高速補給艦という特徴が。

 ひうち、ひうち型多用途支援艦の1番艦で舞鶴地方隊直轄艦です。山を借景とした構図ですが、実はここ、せんだい、ひゅうが、みょうこう、が停泊している北吸桟橋の先端です。なお、ここ舞鶴基地の北吸桟橋は海上自衛隊基地の中でも、最も長大な桟橋となっている。

 ひゅうが、ひゅうが型の1番艦で満載排水量19000t。せんだい、あぶくま型の4番艦で満載排水量2900t。みょうこう、こんごう型の3番艦で満載排水量9500t。あさぎり、一番後ろ護衛艦あさぎり型1番艦の満載排水量4900t。防衛大綱では全て同じ護衛艦1隻という。

 ふゆづき、でしょうか、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場のドック奥深くに入渠しています。船体全部が隠れ、上部構造物の一部が見えるのみですが、あきづき型護衛艦の識別点である航空機格納庫上のFCS-3アンテナが見え、舞鶴母港の護衛艦ふゆづき、かなと。

 すがしま。やはりこちらもジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場へ定期整備中と思われる様子です。すがしま型掃海艇1番艇で舞鶴地方隊第44掃海隊に所属、掃海艇から機雷掃討艇へ能力を獲得した記念すべき掃海艇で、船体は機雷戦へと備え木造船体となっています。

 舞鶴市役所駐車場へと舞鶴東港前島埠頭から撮影位置を移動しました。赤レンガ博物館や赤煉瓦倉庫群という舞鶴市文化財が並ぶこの一角は舞鶴基地掃海艇桟橋へ隣接していまして艦艇が見える。ちなみに舞鶴東港前島埠頭は舞鶴警備隊本部に隣接し、警備は万全だ。

 ひゅうが、みょうこう、を舞鶴市役所駐車場から撮影です。実はこの日、日本海側へ積雪の予報が出ていたので、雪景色の護衛艦停泊情景というものを期待していたのですが、ご覧の通り積雪は無く、ただの曇天、赤レンガ博物館に寄ってみたいが残念ながら時間無い。

 のとじま。すがしま型掃海艇の2番艇です、掃海艇桟橋へ接岸中ですが油船38号から給油中となっています。油船は貯油地区から艦艇へ燃料を輸送する任務に在り所属は舞鶴港務隊、掃海艇は小型艦といいますが、こうやって並ぶと、なるほど、相応の大きさは、ある。

 せんだい。撮影場所は赤レンガ博物館と市役所駐車場から隣接する文庫山学園山頂へ移動しました。文庫山学園は舞鶴市の老人福祉施設で、駐車場もあり自由に登る事が出来ます。ここから階段を下りますと一般に開放されている市役所食堂に至り、カレーが美味しい。

 ひゅうが、全通飛行甲板と高度な防空能力を備えた多機能レーダーFCS-3アンテナを有する大型艦橋が特色です。満載排水量19000tの本艦はSH-60K哨戒ヘリコプターは勿論、MV-22可動翼機も搭載可能で、将来的にはF-35B戦闘機の運用も行われる事でしょう。

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平成三〇年度一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.01.26-01.27)

2019-01-25 20:10:17 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 日韓関係が韓国の挑発行為により急速に悪化する中、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末ですが残念ながら自衛隊行事はありません。

 今週末の自衛隊行事無し、という週末にはじっくりと専門書の読解と輪読会等に臨みたいところですが、実は自衛隊関連行事が無い日にも陸上自衛隊車両などが走り回る機会というのはある、代表例は京都市内の都道府県対抗駅伝の第7普通科連隊民生支援、自衛隊車両が大会支援車両として都大路を疾走します、昔は箱根駅伝の自衛隊支援が有名でした。

 京都で道府県対抗女子駅伝競走大会等を超望遠レンズと一眼レフでがっちり構えると女子高生狙いと勘違いされてしまいますが、実は自衛隊車両は駅伝当日以外に予行として車両だけが経路を走行しています。この場合は交通規制がありませんので、自衛隊車両は一つの梯団として予行に臨む為、十数両が北大路通りを梯団で進む様子等はかなりの迫力です。

 箱根駅伝の第1師団民生支援は大会事務局が独力で車両を確保出来るようになり終了しましたが、全国の大規模な駅伝などには民生支援で自衛隊が参加する事例もあるとの事で、勿論その為だけに予行を含め遠出する事は少々大袈裟ですが、地元の行事へ自衛隊がどのように参加しているのかという知識とともに散歩の時間帯を選ぶと、風景が違うでしょう。

 自衛隊行事を上手く撮影するにはどうすればよいのか、という事を不意に聞かれたりします。実際に当方はそれ程よく撮影出来ているつもりはないのですけれども、極力考えてみますと、主題と副題を考えて撮影している、というものがありますね。主題といいますと、その駐屯地の目玉装備はどういったものであるのか、最初に考えて撮影位置を定める。

 機械化部隊の駐屯地で有れば画角に一両でも多くの装甲車両を収める事を第一としますので、圧縮効果を考えて観閲行進を正面から撮影できる位置を考えますし、普通科部隊の駐屯地であれば普通科の躍動を考えられるように突撃発起点を推測して撮影位置を考えます。しかしもう一つ重要なのは撮影に際して、視界を遮られない場所を探す、という事になる。

 数が揃った装備品という情景は勇壮ですし、躍動感を感じさせる写真も果敢という機運を伝える事が出来ます。その上でですが、主題を考えるものが遅ければ撮影位置に移動する時間的余裕がなくなってしまいますし、撮影位置に展開した際に視界が隔てられた場合にも取り返しが尽きません、すると、素早く決断し試行錯誤、という事も重要なのでしょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末は行事無し

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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新防衛大綱とF-35B&EA-18G【29】F-35B要員を養成できない海上自衛隊教育航空集団

2019-01-24 20:04:46 | 先端軍事テクノロジー
■航空自衛隊機の艦上運用
 F-35Bが艦上運用される際に海上自衛隊ではなく機体そのものが航空自衛隊へ配備される点について、その背景を視てみましょう。

 海上自衛隊のセンサーノード機としてのF-35B運用に視点を戻します。海上自衛隊にとりF-35Bを運用する場合、最大の課題は自前の航空搭乗員を養成できるのか、という視点でしょう。当たり前ですが、海上自衛隊は創設以来、一度も戦闘機を運用した経験がありません。この意味するところは、必然的に戦闘機操縦要員の訓練体系が無い、ということ。

 ハリアー攻撃機を導入する研究はありましたし、RF-86偵察機や高速対潜機としてF-4を導入する研究はありました。しかし、実現していません。そして海上自衛隊の航空装備体系全般を見渡しますと、F-35B戦闘機のような単座航空機も導入した経験がないのです。すると海上自衛隊にF-35Bを導入する場合、まずどの練習機で練習するか、最初の課題だ。

 SH-60J/K哨戒ヘリコプターが担うセンサーノード機としてF-35Bを導入するならば、しかしSH-60J/Kは展示訓練等で時に戦闘機並みの機動飛行を見せつけますが、空対空戦闘能力はありません。海上自衛隊はSH-60J/Kの有する電子の眼を通じて敵艦を撃沈しますが、主として護衛艦のハープーンミサイルやSSM-1を誘導するものが任務、自らは、と。

 ヘルファイア空対艦ミサイルをSH-60Kから搭載し、ミサイル艇などの小型目標への対処能力を有する事となりましたが、基本的に海上自衛隊には航空集団に多数の操縦要員が勢揃いするものの、空対空戦闘の経験はありませんし空対空戦闘訓練そのものもありません。F-35Bを海上自衛隊が導入した場合でも操縦要員が皆無では保有する意味がありません。

 T-7練習機で初等訓練を経て、T-4練習機で最初にジェット機操縦に習熟し、更にT-4練習機による空対空戦闘機動や計器操縦訓練を実施、実際の空対空戦闘訓練は第23飛行隊や第21飛行隊の戦闘機部隊において転換教育を行い、実戦部隊において本格的な教育訓練を行う。航空自衛隊はこうして戦闘機操縦要員を錬成していますが、海上自衛隊の練習機は。

 T-5練習機として並列複座の初等練習機はありますが、ジェット練習機は海上自衛隊にはありません。YS-11練習機の後継として強力なP-3C哨戒機が練習機として下総航空基地へ配備されていますが、本格的な練習機として戦闘機要員の練成は不可能、まずはT-4練習機相当の練習機と戦闘機教育転換に相応しい、日本には無い高等練習機か複座戦闘機が必要だ。

 T-4練習機の生産は終了していますので、海上自衛隊の操縦要員をそのままT-5練習機での課程修了後に航空自衛隊へ一時配置換えしてT-4やF-15による訓練を行うか、中等練習機として用い得るT-4相当の練習機と米空軍のボーイングサーブT-X高等練習機を新たに導入するか、という話となります。それ程に戦闘機操縦要員の練成は簡単ではありません。

 しかし、戦闘機操縦要員の練成は難しい、という事です。どういう事か、と言いますとセンサーノード機が必要である訳で、勿論AMRAAMを搭載出来ますので自衛含め空対空戦闘を全く行わない、という事にはならないでしょうが、索敵と艦上運用ならば、航空自衛隊程の戦闘機要員の教育訓練課程を踏む必要はあるのか、という視点もあり得るでしょう。

 空対空戦闘はイージス艦のSM-6ミサイルが、空対艦戦闘はNSSMミサイルが、海上自衛隊の場合は対応します。F-35Bも直接脅威があればAMRAAMミサイルで自衛戦闘を展開する事となるのでしょうが、センサーノードに徹する場合、航空自衛隊の水準でなくともF-35B要員を錬成できるのかもしれません。艦上運用は、しかし大変ではあるのですがね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】行願寺,洛陽三十三所観音霊場第四番札所は繁華街寺町新京極の直ぐ上に静寂

2019-01-23 20:08:42 | 写真
■霊麀山行願寺で革靴へ感謝
 寺町に在る靴のリーガルにて仕事場から演習場まで活躍する素晴らしい革靴を新調しつつふと考える機会あり。

 行願寺、京都は観光客過多といわれるところではありますが実のところ観光に訪れた方々の印象がそう言わせているのではないか、勿論知人友人と京都の名所旧跡を案内すれば満員御礼、名所休席の方は何処かと話題になってしまいますし、市バス慢性混雑も確か。

 洛陽三十三所観音霊場の第四番札所、ということで行願寺は古くから由来がある寺院でして、実際に寺の歴史は千年を越えます。新京極と地下鉄京都市役所駅前からこの寺院は徒歩五分、いや七分というと事か。しかしこの場所は何と言いますか、非常に静かなところ。

 霊麀山行願寺は京都観光ではなく古都散策、京都観光ではなく京都探訪、という云わば時間の過ごし方を考える際にお勧めできる場所といえるのかもしれません、何故ならば観光過多となっているのはお決まりの名所旧跡と其処へ駅とを結ぶ市バスの方なのですからね。

 七福神像が拝観者を迎えます行願寺、西国三十三所巡りでは六角堂頂法寺、聖徳太子ゆかりのある六角堂の次という札所でして。幽霊絵馬というものが、江戸時代後期の謂われと共に奉納されているのですが、こちらの方は残念ながら普段は一般公開されていません。

 革堂と親しまれる天台宗寺院、行願寺は常に静寂が。実は本来京都で屈指の混雑する定義を満たした場所に在ります、京都市役所から寺町通りを御所の方へ数分、寺町通竹屋町上ルは二条通を越えて指呼の立地です。寺町通りと新京極の雑踏を思い起こせば、値千金だ。

 寛弘年間の1004年まで遡る行願寺の始りは平安朝中期の僧侶行円が建立した寺院です。革堂の尊称は出家前に若き日の行円が故郷九州にて鹿に矢を射たところ、瀕死の雌鹿の傷口から小鹿が生まれる瞬間を視、生命の尊さを感じ、上京し出家した。故に革堂と云われる。

 千手観音を御本尊とする行願寺はその周りが革堂町や革堂仲之町に革堂西町といい、成程この当たりの知人が室町の頃から足袋を造り続けていたという事から下沓を含めた足袋が革製という事もあり、人々の必需品を造る際の奪う命への供養を革堂に求めたのでしょう。

 行円は皮聖と尊称されていまして、考えてみれば我々が普段革靴を愛用して仕事に余暇に旅行に家事にと恩恵を受けているこの革靴も元々は生きている牛の牛革に依る訳なのですから、霊麀山行願寺を拝観して千手観音へ首を垂れる事は、履き潰す靴への感謝ともなる。

 千手陀羅尼を唱えて諸国を苦行の旅で廻る“聖”という、考えてみれば日本における仏教の定着と神社との信仰の融合という日本独特の仏教観の支えとなる修験を行円は続け、その道中に下鴨神社の槻木を譲り受けた行円は観音像を刻み、安置した場所がこのお寺です。

 本堂は1815年の造営で、京都市指定有形文化財となっています。実はこの場所、豊臣秀吉の京都改造と共に今の府庁に近い一条北辺堂跡あたりに在った寺を寺町通りへ移したといい、個人的に聚楽第が一条北辺堂跡当りに在ったのではないかと大昔考えたりしましたね。

 寺町荒神口へ豊臣秀吉は最初に寺を移したのは天正年間の1590年、欧州ではエリザベス一世の時代です。すると本堂の1815年はナポレオンのワーテルローの戦いに近い時代ですので、時代が合わないと思われるかもしれません。実は1708年宝永の大火で焼けたのですね。

 中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町、札所であり少し長めに座って巡るという印象です。寺町通り沿い、といっても所謂アーケードから少し御所へ上ったところにありまして、壮大な伽藍や幽玄な庭園といったものではなく、時間をゆったり過ごすには適した場所です。

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新哨戒艦はどんなフネ?新中期防考察記【3】将来型三胴船,防衛装備庁が研究する新型構造船

2019-01-22 20:08:01 | 先端軍事テクノロジー
■中期防計画排水量と一致
 新哨戒艦というものがどういうものか不明故に想像を掻きたてるものなのですが、防衛装備庁の研究に不思議とこの視点に一致するものがありました。

 将来型三胴船、防衛装備庁が研究する新型構造船としてこうした研究があります、胴体を三つに分け、上部構造物を広くとるもの。新たに建造される哨戒艦は、可能性の一つとして三胴船構造等を大胆に取り入れ、波浪に耐える新型艦、という可能性もあります。これはアメリカ海軍の沿海域戦闘艦などで既に実用化されており、アメリカ以外にも動きが。

 インディペンデンス級沿海域戦闘艦として2010年より運用が開始されているアメリカ海軍の三胴船方式水上戦闘艦は、満載排水量3104t、乗員40名と省力化を実現しつつ、平時には57mm艦砲とSEA-RAM近接防空システムを搭載するのみですが、三胴船の利点として上部構造物を広く採れる利点を活用し、MH-60多目的ヘリコプター2機を搭載しています。

 沿海域戦闘艦とは1990年代にアメリカ海軍が2000年代の海洋安全保障を定めたフロム-ザ-シー戦略に依拠し、従来の大艦隊同士の海上戦闘よりは沿岸海域でのテロ対策や人道支援を行う事が大規模武力紛争回避の重要な要素であるとし、沿岸部へ展開可能な規模の艦を50ノットで高速機動させ、航空機や水陸両用作戦部隊の支援を含めた任務に充てるもの。

 沿海域戦闘艦として建造されましたが、当初想定されたテロ対策よりも戦闘が重視され、現在はフリゲイトに区分される。非常に軽武装ですが、近年は中国海軍へ対抗するべく射程16kmのグリフィンミサイルを搭載、ハープーンミサイルの搭載も検討されています。艦内に多目的スペースを有し、陸軍のストライカー装甲車一個中隊の輸送も出来るという。

 防衛装備庁の将来型三胴船、防衛技術シンポジウムなどで提示されています、防衛装備庁の研究では一案として全長80m、基準排水量1160t、満載排水量1400t、600平方mのミッションスペースを有し、35ノットを発揮するというもの。防衛技術シンポジウムでは具体的な装備計画ではなく、あくまで様式の一例、と強調していましたが研究はしていた。

 三胴船の特色は上部構造物を広く採れる点で、基準排水量は掃海艦やえやま型と同程度ですがMCH-101掃海輸送ヘリコプターが発着可能という飛行甲板を持つ。将来型三胴船の特色はそれ程大型ではないという点です。前述のインディペンデンス級は三胴船の過重対策として軽量化を求める観点からアルミニウム合金を使用しているのですが、問題が出る。

 インディペンデンス級のアルミニウム合金上部構造物が予想以上に早く腐食が進んでおり、問題視されています。将来型三胴船について、負荷という視点からインディペンデンス級のような3000tを越える大型水上戦闘艦ではなく、1400tと抑えた事で負荷と過重による腐食への現実的な対応策となっている可能性もあります。また速力の要求も現実的範囲内だ。

 MQ-8無人哨戒ヘリコプター、将来型三胴船の能力についてですが、高望みしすぎない速力とともに上部構造物は、MQ-8,海上自衛隊が中期防衛力整備計画において20機程度の取得を予定しているシュワイザー333を原型とした無人航空機ですが、防衛技術シンポジウムに提示されました水準の将来型三胴船であれば、この無人機の運用も可能かもしれません。

 将来型三胴船の35ノットという能力は護衛艦よりは優速で、600平方mのミッションスペースは、ひうち型多用途支援艦のように車両を積載し輸送に充てる事も、機雷探知装置と機雷処理弾薬を搭載し、すがしま型掃海艇の補完に充てる事も出来ますし、将来型三胴船概念図では76mm艦砲を搭載しており、ミサイル艇後継艦としても運用する事が可能です。

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