北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】松尾大社,四条通の西端に嵐山と都の鎮め“東の八坂神社と西の松尾大社”

2017-05-31 20:45:28 | 写真
■旧官幣大社,松尾大社探訪
 京都、その街並みは洛中洛外で様相を一変するとは今は昔、しかし、嵐山まで歩みを伸ばせば、やはり一風風情は模様替えします。

 松尾大社、京都の静寂を冷涼と共に湛える西京区嵐山、そして桂に至る嵐山宮町に境内を敷く神社です。阪急嵐山線沿線にあり、阪急が広く開発した嵐山へは京福電鉄嵐電の電車が結びます。神社は旧社格では官幣大社に並び、現在は神社本庁が示す別表神社の一つ。

 四条通を西へ西へ進めばこの嵐山に達し、松尾大社へと達します。四条通の東端はかの八坂神社で、一方が大社というのは一種不可思議ですが、これは終戦後の1950年に松尾神社から改称されたとのこと。東の八坂神社と西の松尾大社が都の鎮めを為しているのですね。

 大山咋神と中津島姫命を祭神とする松尾大社は、山神として巨大な山岳を司る神であると共に醸造を司る神様との事で、神々の酒奉行であるとして境内には奉納の菰樽の山が参拝者を迎えます。酒を愛する我らにもご利益を願いたく、清めて参拝へと歩みを進めます。

 霊泉亀の井、というものがあり、松尾大社には大社のご神体である松尾山からの湧水を湛える井戸があります。ここの湧水を醸造時の酒樽へ滴らすならば異常発酵から酒樽を守る事が出来るとしまして、日本全国に1300近い末社を広め酒造に関わる方々の崇敬を集める。

 秦氏、酒造と神社の関わりですが、古代渡来系氏族が奉斎し造営した神社という事で、この秦氏は秦の始皇帝末裔を自称する氏族なのですが、併せて我が国の大陸からの醸造技術伝来へ大きな役割を果たした事から醸造を司る神、という解釈が為されているのでしょう。

 社殿は現在平成の大改修が行われています。元々は室町時代初期の1397年に造営されたものなのですが、これは13世紀末の火災により焼失したものを再建したとのことで、桁行三間梁間四間一重檜皮葺というもの、両流造と呼ばれる大社独特の建築様式となっています。

 両流造の本殿ですが国の重要文化財に指定されています。しかし、神社の歴史は遥かに遡り、記録によれば701年には神社の造営を朝廷より認められているとの事、平安遷都に遥かに遡る歴史を有し、桓武天皇長岡京遷都に際し松尾大社へ格段の階位を送ったとのこと。

 拝殿と中門を経て本殿を遥拝しますが、両流造は奥に鎮座し、参拝に際しては平成の大修理によりその姿が少々奥深いものとなっています。中門は北の北清門と南の南清門とに続き、本殿と並ぶ形で神庫が広がる様子を望見でき、拝殿は檜皮葺を冠する入母屋造の造り。

 亀の井と境内には多くの亀が並びます、松尾大社の神使は亀で、北の守護を担う玄武を思わせますが四条通の西端にあります。しかし、この松尾大社、長岡京遷都と平安遷都という歴史を振り返れば長岡京市の真北、玄武の位置にあり京都と位置関係にも気付かされる。

 社格は貞観8年866年に正一位勲二等まで昇叙された歴史がありまして、長岡京遷都と平安遷都に併せて朝廷からの保護が手厚く進められています。崇徳天皇や近衛天皇に後鳥羽天皇と行幸は実に十数回を数えるとの事で、四条通とはいえ洛外では破格の扱いでしょう。

 松風苑という庭園がありまして、松尾大社は現代を歩む神社、という気風を感じる事が出来ます。昭和庭園の代表といわれる松風苑は近代作庭家の重森三玲最晩年の造営として1975年に完成しました、古代の上古之庭と平安調の曲水之庭に鎌倉風の蓬莱之庭が並ぶ。

 松尾大社の縄張りは広く境内を参拝と共に拝観しましても庭園などは奥深く時間が過ぎるのを忘れる程です。しかし、併せて醸造の神を祀る大社は参道には現代風の店も並び、阪急嵐山線に乗れば京都か、または大阪での酒杯へと思いを募らせる事も出来るでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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【朝鮮半島有事と我が国への影響】03:北朝鮮攻撃をトランプ大統領は安倍総理に明かすか

2017-05-30 23:37:01 | 国際・政治
■突発的限定攻撃のリスク
 朝鮮半島情勢、一時は明日にも限定攻撃という懸念がありましたがその懸念は多少払拭されたものの、北朝鮮のミサイル演習は続き日本海にはミサイルが着弾、ここで懸念するのは突発的に限定攻撃が開始される事です。

 朝鮮半島有事が勃発する場合、例えばアメリカ軍による北朝鮮核関連施設等への限定攻撃という形で開戦する場合、アメリカの同盟国であり朝鮮半島の対岸に位置する我が国へは、どの時点で通知されるのでしょうか。朝鮮半島有事ともなれば、在外邦人退避や周辺事態への米軍支援の可否、ミサイル防衛、米軍支援部隊受け入れ等の準備が必要となる。

 本格的に北朝鮮の核関連施設とミサイル部隊を無力化するならば、膨大な巡航ミサイルと戦略爆撃機による攻撃、これに先立ちミサイルを発見する米韓特殊部隊の北朝鮮潜入、北朝鮮の大規模報復に備え韓国国境沿いに展開する火砲一万門以上の脅威への制圧、日本へ飛来する北朝鮮弾道弾への迎撃態勢準備、在日米国人退避準備、準備は非常に多いのです。

 しかし、例えば日本海に遊弋する駆逐艦一隻程度からトマホークミサイルを90発程度撃ち込む、という規模の空爆ならば準備はそれ程必要ではありません。問題はこの程度の打撃ではスズメバチの巣に石を投げ込んだ程度の、戦果よりも損害による反撃の方が大きくなる、という事です。必要な打撃を行わない中途半端な攻撃ならば回避すべき、ということ。

 日本本土にミサイルが落ちれば即自衛権発動ですが、それ以外の場合はどうか。アメリカのトランプ大統領は、安倍総理へ相談するのか。例えば北朝鮮への限定攻撃を行う場合、つまり入念な準備と部隊展開は不要だが中途半端な規模の攻撃という事を示す、しかし、アメリカ政府の姿勢を国内に向け誇示するために必要な攻撃を行う場合、同盟国で隣国の安倍総理や、韓国の文大統領と、相談し調整を経て決断するのか、という訳です。

 シリアミサイル攻撃、思い出されるのは先月7日にアメリカ海軍が実施したミサイル攻撃が直前まで同盟国、シリア周辺へ部隊を展開させるNATO加盟国首脳へも伏せられ、直前になり攻撃を行う事が通知、相談ではなく通知という形で開始された事です。大統領の決断により、中途半端な規模の攻撃が突如開始される、という危惧が充分払拭できません。

 アメリカ海軍は4月7日に東地中海のミサイル駆逐艦ポーター、ミサイル駆逐艦ロスよりトマホーク巡航ミサイル59発を発射、シリアのシャイラート飛行場を攻撃しました。当初報道ではシリアの稼動作戦機二割を破壊したとされましたが、続くミサイル攻撃は無く、基地も迅速に復旧、実質ミサイル攻撃は政治的なもので、中途半端なものに終わりました。

 アメリカ本土を狙うミサイル開発を行う北朝鮮ですが、問題は政治的にトランプ大統領が北朝鮮に対し強い対応能力を誇示する必要を感じ、同盟国への相談を省いて限定空爆を行うのではないかという懸念です。限定空爆は核開発着手の1990年代にクリントン政権が検討しましたが、韓国の金大統領が猛反発し中止、核開発前のあの時が最後の機会でした。

 北朝鮮が新型弾道ミサイルを発射しました。月曜日日本時間早朝に発射された弾道ミサイルは当初その射程や到達高度からスカッドミサイル改良型と見られていましたが、北朝鮮が発表した映像には、安定翼のような形状の小型翼が追加されており、これは冷戦時代にソ連が開発したR-27Kや中国が東風21弾道ミサイル改良の対艦弾道弾と似た形状です。

 ただ、対艦弾道弾は技術的に難しく、そもそも遠距離を隔てた空母をどう発見するのか、終末誘導を行い命中を期す場合でもそのためにはミサイルが分解しないよう速度を落とす必要があり、逆に速度を落とし迎撃は容易となる。つまり今回のミサイルはプロパガンダではないか、と。北朝鮮は過去にもプロパガンダ最強兵器、T-62戦車改造の世界最強戦車や一度も動かない双胴型フリゲイト等、似た事をしました。

 北朝鮮、技術的に大した事はない。北朝鮮はアメリカ空母をミサイルの映像中継により発見できるとしていますが、それならば日本海を遊弋するカールビンソンの空撮画像でも添付してくれればよいものをそれはありません。日曜日には新型対空ミサイルを誇示しましたが、無煙ロケットモーターを採用せず白煙を棚引かせ飛行、技術的限界を示しています。

 重要なのは、突発的な決断を回避し、例えば1998年のバルカン半島へのアメリカ軍空爆開始が、偶然その時進展していたクリントン大統領の女性スキャンダル時期と重なり変な疑惑を持たれたような、アメリカ内政問題の大きな混乱期に併せて突如開始される、というような状況に陥らないようする事です。特にトランプ政権はロシア問題での混乱下にある。

 この為には、実施の可否、日本から可否の否定以外を提示する事には非常に勇気が要る事なのですが、この為の必要な準備体制、その上で可能なのか不可能であるのか、日米韓の協調を行う事です。一方、トマホーク以外にロシアのP-1000巡航ミサイル、韓国の赤鮫巡航ミサイル、中国の長剣07、万一の際に北朝鮮を攻撃できる巡航は日本以外すべての周辺国が有しています。万一それが使用された際に、北朝鮮が早合点し、日米を攻撃するリスクも、ありますね。

北大路機関:はるな くらま
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アメリカ情報漏洩問題,トランプ大統領・クシュナー上級顧問・フリン前大統領補佐官問題

2017-05-29 20:43:46 | 国際・政治
■情報漏洩は国家の致命的問題
 アメリカ情報漏洩問題、続いています。日本も過去、大韓航空撃墜事件に際し自衛隊の情報網を暴露され危機的状況に陥りました、この問題の概要と深刻度を考えてみましょう。

 トランプ大統領のロシアラブロフ外相とのホワイトハウス会談でのイスラエル情報機関情報無断開示、娘婿クシュナー大統領上級顧問のロシア大使秘密接触及びロシア大使館内のアメリカ情報提供機構設置打診疑惑、政権移行過渡期の対ロシア経済制裁解除秘密交渉と報酬受領発覚により更迭されたフリン前大統領補佐官問題、イギリスがアメリカ当局へ提供のマンチェスター自爆テロ捜査情報のメディア開示、此処のところ情報漏えいが多い。

 イスラエル首相はロシアへ渡った情報は敵国イランと共有されるとして激怒し、アメリカへの情報共有の在り方について厳しい見方をしている、とはトランプ大統領初の外遊である中東歴訪での首脳会談の一幕です。フリン前大統領補佐官へはFBIの捜査が及び、クシュナー大統領上級顧問へはFBIの直接操作は及んでいませんが情報開示許可証取消の可能性が、イギリス首相はG7サミット席上でトランプ大統領へ厳しい抗議を行いました。この背景を考えてみましょう。

 日本も1983年にアメリカ政府の施策により、冷戦時代の数年間、北海道でのソ連通信傍受が全くできなくなり危機的状況に陥った事件がありました。1983年の大韓航空機撃墜事件、樺太上空で大韓航空のジャンボ旅客機がソ連を領空侵犯、ソ連軍機警告を無視し飛行を継続した為撃墜された事件ですが、当時のアメリカ政府は日本提供のソ連軍通信情報を国連安全保障理事会で開示し強く抗議、これを契機にソ連が通信体系を全て変更したもの。

 陸上幕僚監部調査部第2課別室、現在の情報本部に当たる我が国情報機関は北海道を含め全国に通信調査施設を展開させ、不審な電波情報の解析にあたっています。これは日本への武力攻撃兆候等を精査するための欠く事の出来ない情報収集なのですが、国連安保理でのアメリカの開示により、日本側がソ連防空軍を含めソ連軍通信を全て傍受出来る事はが判明し、全ての通信体制を見直しましたが、これにより日本は冷戦時代の最中に、ソ連側の情報を収集する手段を数年間失った事であり、重大な問題としかいえません。

 アメリカで現在政権を揺るがす危機にあるのは、クシュナー大統領上級顧問によるロシア政府との接触について、です。ロシア大使との非公式接触が数回に上る事が判明、クシュナー大統領上級顧問以外にもロシア政府との非公式接触を繰り返している事から、ロシアへのアメリカ機密情報漏えいを含めた疑惑を根拠づける事実が判明しており、クシュナー大統領上級顧問はフリン前大統領補佐官につづいてFBIによる関心対象となりました。

 クシュナー大統領上級顧問によるロシア政府との接触について、トランプ大統領はフェイクニュースであると反論しました。また、トランプ政権の要人がロシア政府関係者と非公式接触をしている事実は無いとして、ロシアとの非公式接触を自ら認めトランプ大統領により更迭されたフリン前大統領補佐官も含め、公式接触は無いと発言を修正しようとしています。しかし、これとは別件の選挙戦中におけるフリン前大統領補佐官問題捜査に当ったFBI長官をトランプ大統領は更迭しており、事実無根の一言では説明は、できない。

 フリン前大統領補佐官問題、これはトランプ大統領の選挙戦陶磁からロシア大使館員や情報機関関係者と秘密裏に接触しい峰別件でロシア企業から多額の報酬を得ていたもの。この捜査にあたったイェイツ前司法長官代行はフリン前大統領補佐官について、ロシアの影響下にあった、としました。アメリカ大統領選挙において、ロシア情報機関の構成、対ロ強硬派であるクリントン候補への情報暴露攻撃やフェイクニュースの組織的流布、一方でトランプ陣営へは大きな動きが無く、ロシアへ宥和的な発言を歓迎していましたが、一方で水面下のつながりとしては懸念すべき要素があったようです。

 情報というものは、兵器以上に国家の命運を左右するものですが、これを一度でも漏洩されたならば、外交関係には大きく影響します。一例としてイギリスのアメリカ当局へのテロ関連情報共有の一時停止事案があります。これはイギリス捜査当局のテロ捜査情報がアメリカ当局からメディアへ不正に開示された問題について、イギリス当局は当面の間のテロ関連情報に関する英米間の情報連携を停止すると発表しました。フリン前大統領補佐官のロシア問題に加えクシュナー大統領上級顧問のロシア疑惑、情報機関の情報は国家の命運を左右するものであり、摩擦は大きな影響と波紋を呼んでいます。

 アメリカ政府の混乱、トランプ大統領はフリン前大統領補佐官問題とクシュナー大統領上級顧問問題の火消しに躍起です、場合によっては大統領が弾劾される可能性もある。こうした中で、アメリカという超大国の意思決定能力が、発足間もない政権に打撃を与える問題の火消しに注力される事は、言い換えればその分に投じるべき外交安全保障問題や通商問題に関する意思決定を阻害しているという状況があります。これは相手国には付け入る口実ともなる。

 南シナ海の公海上において中国軍機が哨戒中のアメリカ海軍機へ異常接近しました。これは米海軍のP-3C哨戒機へ中国空軍のJ-10戦闘機2機が異常接近したもので中国政府へ懸念を伝える方針を示していましたが、これについて中国政府は声明で事実ではない、と批判しています。米中は中国が不法占拠し人工島の造成と飛行場建設を進めるフィリピン領ミスチーフ環礁へアメリカ海軍が航行の自由作戦を実施した事で緊張状態にあります。中国側の挑発背景には、内政問題に揺れるアメリカへの搖動を突いたかたち。

 北朝鮮の毎週日曜日に実施されるミサイル実験、今回は月曜日に実施されましたが、我が国排他的経済水域内へ落下しました。隠岐の島から300kmの距離に着弾したものとみられ、今回は短射程のスカッドミサイルが使用されたものとみられますが、在韓米軍基地などを標的とする新型短距離弾道ミサイルの可能性も否定できません。G7サミット終了を狙ったミサイル実験となりました。アメリカ海軍は原子力空母カールビンソン、ロナルドレーガン、ニミッツ、を向かわせていますが、トランプ政権は過去二回のミサイル実験ほど関心を示す余裕がありません。

 ドイツのメルケル首相がアメリカの凋落を印象付ける発言を行いました。サミットの終了後に欧州が同盟国だけに依存することはできないと述べたもので、安全保障や防衛協力での一連のトランプ大統領の発言に加えて、通商政策や気候変動など規範の醸成におけるアメリカの役割が大きく後退している事を指摘し、世界における国際公序の形成には欧州が自らの責務を果たす必要が出ているとの認識です。しかし、同時にこの発言は、アメリカ政府の求心力や、国力を活かす指導体制が欠落しつつある、との厳しい指摘ともいえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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海軍記念日特集Ⅱ:日本海海戦,前世紀歴史の教訓と将来に昇華させる防衛安全保障の視点

2017-05-28 20:51:07 | 北大路機関特別企画
■平和国家としての将来の教訓
 海軍記念日特集を昨日の海軍記念日の前篇に続く後篇として、歴史の教訓を振り返ってみましょう。

 海軍記念日とは日本海海戦での勝利を背景に、日本が国力として全く及ばないロシアとの戦争へ辛勝に繋がる端緒を掴んだ転換点であることを意味します。ただ、勝利の美酒は扱いを間違えれば万病の源、主眼は大陸との後方連絡線というシーレーン維持の手段としての敵主力撃破でしたが、後の太平洋戦争では艦隊決戦を期し主力温存に拘る基点となった。

 しかし、情報優位への絶え間ない努力、同盟国との絶え間ない連携と協力基盤の維持、多国間外交、戦術研究と戦力集中原則の堅持、少数ながら有力な主力艦の整備、徹底した科学主義への資材の集中、学ぶべき視点を誤らなければ、太平洋戦争敗戦後に経済大国としての確たる地位を維持し続ける我が国の平和国家としての将来にも、得るべき教訓は多い。

 情報優位への絶え間ない努力、これは欧州での情報収集基盤の構築と同盟国との情報連携を密とする事でロシア海軍動向などの情報を徹底し精査、更に多数の仮装巡洋艦と当時先端設備であった無線通信を多用し、対馬海峡か津軽海峡か、一旦台湾を攻撃し根拠地を得るかとのロシア動向を対馬海峡通過へ見極め、情報優位が戦勝へ直結したに他なりません。

 これは今日的にも重要で、現代戦闘では情報優位そのものが戦域優位に直結するとさえ認識されています。学ぶべき視点としては、無人航空機や情報機関の強化等、情報優位の獲得へはあらゆる禁忌を破る覚悟が必要と云えるのかもしれません、何故ならば現代日本の最大の禁忌は憲法が示す戦争放棄、故に回避する為には全ての禁忌を呑むべきでしょう。

 同盟国との絶え間ない連携と協力基盤の維持、日本は1902年にイギリスとの日英同盟を締結、世界最大の海軍力を有するイギリスがロシアの太平洋進出を警戒する観点から同盟締結に漕ぎ着けたものですが、この結果、世界最大の戦艦三笠のイギリス建造や開戦後の情報提供、イギリス友邦港湾のロシア使用拒否、欺瞞情報、相互利益に与る事が叶いました。

 日本が日露戦争の辛勝から学ぶべき点は、同盟国を大事にすることです。日露戦争時の同盟国イギリスとの関係を、1925年に締結した上位レジームである四箇国条約締結の時点でも努力する国運を掛けた努力を継続していたならば、その後の第二次世界大戦における日本の位置づけと国家の命運を大きく左右した可能性がある教訓を、忘れてはなりません。

 多国間外交、日露戦争においては当時アメリカとの友好関係を維持していたロシアに対し、アメリカへの積極的な外交関係を進展させ、講和交渉の仲介を得る事が出来ました。同盟国以外でも友好国との関係を増進させる意義といえましょう。ただ、開戦以前に日露協商交渉が模索され、実現していれば、戦争そのものを回避できた可能性もあるのですが、ね。

 この視点は現代に顧みますと、重視しているようで、深層部分の躊躇があります。多国間関係を経済協力や国際公序具現化、人道支援に留めており、防衛協力という国家の最大の緊急事態における支援体制を大きく制約している為、同盟国との関係さえも限定的、包括安全保障協力協定の拡大にも漸く着手したばかり、現段階では表層だけで満足する形です。

 戦術研究と戦力集中原則の堅持、日本海海戦では連合艦隊を集中運用する事で戦勝に至りました。これは云うほど簡単ではありません、対馬海峡通峡以外に津軽海峡や宗谷海峡を通行する可能性があり、連合艦隊は朝鮮半島鎮海湾へ集結していましたが、仮に津軽海峡を通行された場合は、完敗に終わる可能性が高かった一方、艦隊分散は行いませんでした。

 統合機動防衛力整備として、基盤は徐々に醸成されています。ただ、この視点は憲法の制約により戦術上の制約が課されている状況があります。また、日露戦争に続く太平洋戦争では戦力温存主義により結果的に戦力逐次投入という大きな失敗を繰り返しました。一歩前進一歩後退、という実情があります。この克服には広い視野を持ち望む他ないでしょう。

 少数ながら有力な主力艦の整備、日本海軍が装備した戦艦三笠は当時世界最大の戦艦としてイギリスヴィッカース造船所、現在のBAEにより建造されたものでした。日本海海戦ではロシア海軍は戦艦8隻に海防戦艦3隻を有していたのに対し日本海軍には戦艦4隻があるのみでしたが、質的優位堅持と要員の自覚に基づく訓練が勝利を確たるものとしました。

 徹底した科学主義への資材の集中、日本海軍は昭和海軍の印象が強く、日露戦争時代の海軍を知る語り部は旅立たれてしまいました。理論を建て討議して、やって見せ云って聞かせ、上を敬い下を愛する敬愛、という。昭和海軍は行き過ぎた訓練と背景の物量不足を精神論に単純帰結し梗塞状態に陥りました。この悪弊、現代社会全体が継承していませんか。

 科学主義とは絶え間ない検証が必要でありその為には討議が必要です、しかし、討議とは共有知に基づく問題領域の共有に依拠した知的集約から新論理や新対応策への昇華の過程です。決して責任回避のための責任共有の根回しや合意への妥協捻出の場ではありません。その上で資材集中とはリスクを負うものであり、決断に至る過程は重要度を持つのです。

 平和を謳歌する我が国ですが、東西冷戦の緊張という20世紀後半の厳しい国際情勢への対応、今日では中国による冷戦時代には見られなかった急速な軍備拡張と海洋進出、我が国領土の割譲宣言に等しい対外政策や軍事的圧力という厳しい現状があります。その上で、同盟関係や憲法上の平和を第一としてその他禁忌を恐れない施策への集中が求められます。

 日本海海戦は前世紀初頭の歴史です。しかしその後の日本は、歴史の転換点となった戦史から学ぶべき点と留意すべき点の二つとの均衡と共に歴史を歩むこととなりました。その上で第二次世界大戦の歴史へと進み、その上でここからも歴史的教訓と得ています。一方、防衛安全保障は現在進行形の命題であり、ここから学ぶ部分を模索する姿勢は、決して少なくは無く、又、得られるものが多々見出す事が出来るでしょう。

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海軍記念日特集:日本海海戦1905年5月27日に至る歴史と勝利の果実への絶え間ない努力

2017-05-27 21:55:20 | 北大路機関特別企画
■日本海海戦と海軍記念日
 本日は海軍記念日です。この記念日に併せ、歴史を少し振り返ってみる事としましょう。

 海軍記念日、日露戦争、日本海海戦の日です。1905年5月27日、日本海軍は日露戦争の天王山、奉天方面での後世に先んじ、欧州方面のロシア海軍バルチック艦隊が太平洋第二艦隊としてロシア海軍太平洋艦隊拠点であるウラジオストック基地へ回航する途上、日本海軍主力の連合艦隊が対馬海峡においてこれを捕捉、戦艦数で劣勢ながら撃滅に成功、海軍記念日となりました。

 東郷平八郎大将率いる連合艦隊は戦艦4隻に装甲巡洋艦8隻と巡洋艦15隻という陣容、ロシア海軍はロジェストヴェンスキー中将隷下に戦艦8隻と海防戦艦3隻に装甲巡洋艦3隻と巡洋艦6隻、戦艦の戦力ではロシア側が優位にありましたが、日本海軍は上記艦艇に喪失は無く、一方ロシア海軍は大半が戦没か拿捕、巡洋艦1隻が辛うじて逃げ延びたのみ。

 日本海海戦は、日本の日露戦争勝敗を大きく左右し得るものでした、これは日露戦争そのものがロシアの満州地域浸透と朝鮮半島北部に接する遼東半島への基地建設等を進め、日本としてはロシアとの間での緩衝地帯を確保しなければ大軍を対岸に構えての均衡関係が非常に難しいと考えられていた為であり、その主戦場は満州、現在の中国北部地域です。

 満州が主戦場であったため、ロシア軍はシベリア鉄道という強力な後方連絡線を確保し自由に物資を送る事が出来ました。対して、日本は満州までの陸路が無く、朝鮮半島が日本本土へ併合されるのは先の歴史、日本海を経由し朝鮮半島を経由しての後方連絡線を維持する事が不可欠でした。そしてロシア海軍はロシア太平洋艦隊により遮断出来た訳です。

 ロシア太平洋艦隊と日本連合艦隊の決戦は黄海海戦により雌雄を決しました。ロシア海軍は装甲巡洋艦等を駆使し繰り返し日本海や黄海において我が輸送船を攻撃し、戦果を挙げており、ウラジオストック基地、遼東半島の旅順基地は強力な要塞砲に守られ、要塞砲は地面に設置する故に戦艦以上の砲を有し、日本側は有効な打撃手段を持たなかったのです。

 黄海海戦は、旅順基地がその外郭を防衛する旅順要塞そのものが我が陸軍第3軍による猛攻を受け包囲殲滅される懸念からロシア海軍太平洋艦隊が旅順を放棄しウラジオストックへ合流する艦隊転進へ時機を見い出し連合艦隊が艦隊決戦を挑んだもので、この海戦は装甲を有する帆船以外の動力艦、戦艦と定義される艦艇同士の世界海戦史上初の海戦でした。

 1904年8月10日に旅順を出航したロシア艦隊を連合艦隊は即座に攻撃を加えたものの、ロシア艦隊は旗艦が戦闘不能に陥った緒戦以降回避に終始し、そのまま包囲状況を見極めた直後に旅順へ撤退、日本はロシア艦多数を撃破し勝利を勝ち取りましたが、主力艦は旅順の奥深くに潜りこみ、結果的に旅順要塞を陸上攻撃する必要が生じ、辛酸をなめました。

 蔚山沖海戦としてその四日後、ウラジオストックから旅順基地救援へ展開したロシア太平洋艦隊巡洋艦部隊を朝鮮半島蔚山沖で日本海軍第三艦隊が捕捉、ロシア海軍巡洋艦全てを撃沈もしくは撃破し、日本側は旗艦出雲以下全艦が凱旋帰港を果たし、これが期せずして日本海のシーレーン攻撃を行っていた巡洋艦隊であった事から制海権確保に成功します。

 旅順港に撤退したロシア艦隊は、旅順港を防衛する旅順要塞が日本陸軍第三軍により遂に陥落し、その中途に旅順港内を一望する二〇三高地を確保した事でここを観測点とし、日本が攻城砲として展開させた大口径沿岸砲の長距離射撃により港内において全艦行動不能となりました。ただ、旅順港封鎖中、機雷触雷により日本海軍に少なくない被害が出ます。

 シーレーン防衛、という側面を有する日露戦争海の戦い、ロシア太平洋艦隊は陸海軍の、特に陸軍の旅順要塞攻防戦という死闘を経て確保されるに至りましたが、バルト海のバルチック艦隊が太平洋第二艦隊としてウラジオストックへ入港したならば、いつ再度制海権を脅かされるか、日本本土からの補給等連絡線が断たれれば大陸での敗北は免れません。

 日本海海戦はこうした厳しい状況を背景に展開されましたが、日本海軍は様々な努力の結果、自らが勝ち得る環境を醸成し、相手に敗北を強要する状況を構築、その上で海戦を挑みました。この結果得た勝利は冒頭に記した通りであり、結果として日本はシーレーンを維持、続く陸上での決戦、奉天大会戦に辛勝し、日露戦争を勝利へと大きく支えた訳です。

 日本海軍は、情報優位への絶え間ない努力、同盟国との絶え間ない連携と協力基盤の維持、多国間外交、戦術研究と戦力集中原則の堅持、少数ながら有力な主力艦の整備、徹底した科学主義への資材の集中、という勝利への必要な施策を着実に積み重ね、確率論では低い勝利への険しい道程を文字通りかけ合わせつみ重ねる事で、戦勝に至ったといえましょう。

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平成二十九年度五月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.05.27/05.28)

2017-05-26 20:15:41 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 海軍記念日が明日祝われる前夜、海軍記念日の由来である日本海海戦、その日本海へ毎週日曜日に北朝鮮が弾道ミサイルを撃ち込む中、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 美保基地航空祭2017,C-1輸送機の第3輸送航空隊が展開する日本海沿岸の航空自衛隊基地です。今年度より最新鋭のC-2輸送機部隊配備が開始され航空自衛隊最初のC-2輸送機運用部隊となりました。C-1輸送機とC-2輸送機の国産二機種の輸送機世代交代を見上げる事が出来るでしょう。今年度末にはCH-47を運用する陸上自衛隊美保分屯地も開庁予定です。

 美保基地といえばYS-11の基地でもありますが、長年運用されてきましたYS-11P輸送機が年度末を以て除籍される事となり、航空祭での展示飛行は今年度が最後となります。ブルーインパルスも飛行展示を実施予定です。航空祭へは基地が米子空港と敷地を共有、JR境線の米子空港駅から徒歩で20分程、米子市内からも交通が便利、天候だけが心配ですね。

 東部方面混成団創設6周年記念武山駐屯地祭、横須賀市に所在し東部方面隊管内の自衛官候補生教育や陸曹教育を担うと共に、即応予備自衛官訓練等戦略予備としての任務も担う。教育訓練部隊である第1機甲教育隊の置かれており、10式戦車や90式戦車も行事へ参加します。海上自衛隊教育隊や航空自衛隊立山分屯基地と隣接する。京浜急行衣笠駅が最寄り。

 北宇都宮駐屯地創設44周年記念行事、航空学校北宇都宮分校の開庁記念行事です。第12ヘリコプター隊第1飛行隊も駐屯、ただ中央即応連隊の宇都宮駐屯地とは異なる駐屯地で、ヘリコプター部隊中心の編隊飛行が行われます。首都圏では唯一AH-64D戦闘ヘリコプターが配備される部隊、AH-64DやUH-1J等生産するSUBARU宇都宮製作所とも隣接する。

 大宮駐屯地創設59周年記念行事、化学学校と中央特殊武器防護隊、第1師団隷下の第32普通科連隊が駐屯する埼玉県の駐屯地です。中央特殊武器防護隊と第32普通科連隊は地下鉄サリン事件において出動した部隊で、第32普通科連隊は市ヶ谷駐屯地から防衛庁移駐により大宮へ移駐まえ、中央特殊武器防護隊はかつて第101化学防護隊、となっていました。

 美唄駐屯地創設40周年記念行事、北海道美唄市の地対艦ミサイル連隊駐屯地です。第2地対艦ミサイル連隊は88式地対艦誘導弾を運用していますが、かつては67式30型ロケット弾発射機を運用する第126特科大隊で、1993年に部隊改編を受けています。美唄駅から延々徒歩で移動します。美唄訓練場に隣接し90式戦車体験試乗はそれ程混雑しない穴場の一つ。

 青野原駐屯地創設41周年記念行事、第8高射特科群が駐屯する兵庫県小野市の駐屯地です。03式中距離地対空誘導弾システムを自衛隊で最初に配備した部隊でも知られます。駐屯地がある小野市は兵庫県ではありますが山間部にあり、公共交通機関利用ではJR青野ヶ原駅からのアクセスが非常に難しく僅かな本数のシャトルバス運行時間に注意してください。

 和歌山駐屯地創設55周年記念行事、和歌山市ではなく御坊駅ちかく、94式水際地雷敷設車を運用する第304水際障害中隊が駐屯しています。かつては第323地区施設隊が置かれていました。駐屯地は南海トラフ地震での重要拠点ですが、沿岸部にあり元々は犠牲者行方不明者計1015名で和歌山県民四分の一が浸水や家屋倒壊被害に遭った1953年の紀州大水害を契機として保安隊誘致運動が広まり、創設に至りました。

 饗庭野分屯基地開庁40周年記念行事、航空自衛隊第12高射隊が展開するミサイルサイトです。毎週日曜日に北朝鮮が弾道ミサイルを日本海へ射撃する中の行事です。戦車部隊が2個大隊駐屯する今津駐屯地とは饗庭野演習場地区を挟む位置にありますが、今津駐屯地がJR湖西線の今津駅最寄であるのに対し、饗庭野分屯基地は新旭駅が最寄り駅となります。

 さて。牡蠣、オイスターのお話を一つ。自衛隊関連行事において、火器が名物の駐屯地はたとえば無反動砲が凄いとかミサイルが新型とか重機関銃を多用する行事、というものは多々あるのですが。牡蠣、美味しい牡蠣を駐屯地や基地の周りで楽しむことができるところは貴重です、しかし、大丈夫だとは思いますし駄目だったことは無いのですが前日は避けたい。

 この中で、もう少ししっかり調べれば良かったよなあ、と思う牡蠣で思い浮かぶのは、江田島、大洗、高松、です。江田島ですが知る人ぞ知るわが国有数の牡蠣の産地で近海練習航海部隊外洋練習航海部隊出港の撮影地近傍が産直で牡蠣を楽しめる場所が広がっているのですけれども、しかし気を付けたいのは営業日と営業時間で食べ逃してしまう事が多い。

 江田島と共に大洗、夏の岩牡蠣が名物なのですけれども大洗近傍の百里航空祭の季節等は既に季節を外れてしまいますので自衛隊行事と併せて展開するには日本の旬を往くための情報収集が必要です。そしてもう一つは高松、牡蠣串が物凄く江田島並に安かったのですが、護衛艦くらま入港前という事で断念、しかし翌日が定休日で食べられず、残念でした。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・5月28日:美唄駐屯地創設40周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/jgsdf-post/bibai.html
・5月28日:北宇都宮駐屯地創設44周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/kitautunomiya/
・5月28日:大宮駐屯地創設59周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/pa/
・5月28日:東部方面混成団創設6周年記念武山駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/ea/camp/ea_1cb_0.html
・5月28日:饗庭野分屯基地開庁40周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/aibano/
・5月28日:青野原駐屯地創設41周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/
・5月27日:和歌山駐屯地創設55周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/
・5月28日:美保基地航空祭2017…http://www.mod.go.jp/asdf/miho/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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南スーダンPKO自衛隊撤収完了,日本UNMISS派遣施設隊五年間の活動終了とPKOの変容

2017-05-25 23:57:51 | 国際・政治
■第9師団が任務完遂帰国
 自衛隊UNMISS派遣施設隊の第9師団派遣部隊最後の一陣が南スーダンを出国、27日に帰国します。無事任務完了を果たせそうですね。

 自衛隊UNMISS派遣隊、撤収が完了です。事実上の内戦状態や事実上の戦闘状態が各所で展開される中、自衛隊の南スーダン派遣任務では、戦闘地域での国連部隊及び文民部隊救出任務を主眼とした駆け付け警護任務、自衛隊駐屯の国連軍基地等への襲撃への各国軍との協力を主眼とした宿営地共同防護任務等を明示した安全保障関連法が昨年追加されました。

 安全保障関連法整備は国内での様ざまな議論を呼び起こしましたが、自衛隊が活動する首都ジュバ市内へ反乱軍のT-72戦車が突入し、政府軍Mi-24攻撃ヘリコプターが航空攻撃で撃破、小隊規模の市街戦が各所で展開される状況を、政府は戦闘ではなく衝突である為にPKO参加五原則は崩れていないとして派遣継続する等、不安を残す派遣が完了した訳です。

 南スーダンPKOはスーダンからの住民投票を経ての南スーダン独立に際し、国連は新国家が軌道に乗るまでの期間、新国家創造を支援する国際連合南スーダン支援団へ2012年に派遣を開始しました。内陸部への派遣は当時の野田内閣のPKO政策の主軸として進められ、第一陣として南スーダンの首都ジュバおよびウガンダに現地支援調整所を設置しています。

 安保理決議1996 に基づき編成されたUNMISS,そのPKO部隊は、インド隊の2600名を筆頭に中国人民解放軍や韓国軍、カンボジア軍、アフリカからはエチオピア軍やガーナ軍にケニア軍及びルワンダ軍、それにイギリス軍等13か国より、総員12523名が派遣されています。軍事要員はこの内11350名、文民警察官1173名が参加し現在も任務継続中です。

 南スーダン派遣施設隊は、対本部、本部付隊、2個施設小隊、施設器材小隊、警備小隊、対外調整班、派遣警務班、以上350名を以て編成されました。南スーダンへの派遣は2012年3月より本格化、最初に国連施設内での宿営地設営と並行し活動準備に着手、4月よりインフラ整備支援を本格化します。2013年には活動地域拡大自衛隊行動命令が発令されました。

 活動地域拡大自衛隊行動命令発令に伴い、首都ジュバ近郊に限られていた自衛隊の国家創建支援は東エクアトリア州と西エクアトリア州へと拡大しましたが、その半年後にあたる2013年12月、南スーダンにおいてクーデター未遂事件が発生、情勢は一挙に緊迫化しました。これに伴い、自衛隊の活動は一時国連施設内の自活支援等に縮小してゆきました。

 クーデター未遂事件ではジョングレイ州における武力衝突、一般的な理解では戦闘、が発生しPKOインド部隊の要員に戦死者が出る等状況は一転、インド軍はBMP-2装甲戦闘車を派遣すると共にPKO派遣各国は中国員民解放軍の90式装甲車等警備能力を強化、国連安全保障理事会は警備要員7600名に加え6000名の増派を求める決議を可決しています。

 南スーダン情勢は、新国家建設という崇高な意思の一方、南スーダン軍による隣国スーダンへの越境攻撃や、スーダン領内油田の南スーダン軍による占拠等の問題が発生し、この際に南スーダン軍はスーダン軍の反撃に対し、PKO部隊を盾とした行動の徴候を見せており、安保理決議1996によるUNMISS派遣決定時との情勢は全く異なる事となっています。

 自衛隊は避難民保護区域の敷地造成及び整備を実施し、給水支援や医療支援を継続的に実施してきましたが、2014年6月、AFP通信やロイター通信等が南スーダン内戦を報じる一方、首都ジュバ地域での情勢が安定化し、自衛隊派遣施設隊は国連施設外の道路整備などを再開、他方ボル国連軍基地が武装勢力に攻撃され、避難民とPKO要員へ死者が出ました。

 2016年7月には首都ジュバ市内において反乱軍が戦車部隊を中心に攻勢に出た為、情勢は一挙に緊迫化しました。これは、PKO部隊が国家創造任務から国連防護軍へ改組される可能性が高くなったためです。一方、この状況にて国連職員及び支援NGO職員が戦闘地域において孤立ち一部が襲撃を受けましたが、PKO部隊は救出要請を受けるも対応できません。

 安保理決議1996は国連憲章七章措置に基づく国際法上の強行規範です。国連憲章七章措置に依拠したPKO部隊派遣は2002年より開始されていますが、これは国連軍派遣と同質の七章決議であり、決議を補強する形で文民保護、安全保障理事会はPKO部隊による内戦状態の戦闘地域での非戦闘員保護等を求める決議を重ね、自衛隊の任務を離れてゆきました。

 政府のPKO任務完了決定は、南スーダンでの自衛隊派遣施設部隊による実施可能な任務が完了した、というものでした。しかし実際には情勢が本格的に悪化する以前に、施設部隊中心の自衛隊派遣部隊では対応できる任務を越えているもので、本格的な国連防護軍への参加は戦闘への参加が常態化し、法的に限界がある、との部分があったのかもしれません。

 我が国のPKO参加はこうして南スーダンPKOの派遣完了撤収を以て一段落します。長期間実施されていたゴラン高原停戦監視任務はシリア内戦激化と共に既に終了しており、国連PKOへは現在、南スーダンPKO任務UNMISS司令部へ派遣している幕僚、兵站幕僚および情報幕僚の2名を派遣するのみとなりました。新しい派遣任務の予定は現在、ない。

 国連防護軍派遣という視点が端的に示すように、現在の国連PKOは国連の平和創造への積極参加を期したものとなっており、自衛隊が1992年に初めてPKO部隊を派遣した、七章決議でも総会決議という六章決議でもないPKOの位置づけから軍事色を強め、国連が紛争を主体的に解決するという方向性が明確なものとなり、転換期を迎えたといえましょう。

 自衛隊の任務は国家創造ですが、近年は地域紛争後の国家再建や独立国家の国家創造支援よりも、紛争介入が重視され、更に授権決議の形を取り、国連が主体的に参加するのではなく有志連合を募り地域機構の協力という方式が採られるように転換しています。PKO参加は自衛隊の海外での経験蓄積に有用であるとの防衛省の見解がありますが、その参加様式については、今後、様々な視点を踏まえて議論する必要がありそうです。

北大路機関:はるな くらま
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【京都幕間旅情】頂法寺六角堂,貴族邸宅街から大衆都市へ現代都市京都中心部の洛陽観音霊場

2017-05-24 20:41:11 | 写真
■六角堂,常に古く常に新しい
 頂法寺六角堂、京都と云えば平安遷都から貴族文化と共に歩みをすすめましたが、この御堂とその街の発展は今日の京都へと転換させた始まりの場所の一つといえるかもしれません。

 六角堂、京都の中京区は六角通東洞院に鎮座する秘仏如意輪観音祀る頂法寺の親しみを込めた愛称です。六角堂という寺院建築は全国にも多々あり、その名の通り六角形の本堂を示す名所旧跡の総称ですが、当方の場合はやはり六角堂といえば六角通の六角堂を思う。

 中京区六角通東洞院といえば御所へ向かう烏丸通に隣接し、地下鉄烏丸御池駅が指呼の間にある京都現代都市としての中心地に位置し、周囲を高く聳える現代都市の建造物群にあってしかし祇園祭始め祭事には歴史が転換するこの立地に一種独特の風情と空気を湛える。

 頂法寺六角堂は聖徳太子が前世に唐へ仏道修行を修めていた時代に信仰の拠り所としていた観音像を祀ります。前世に中国留学とは少々難しい由来ですが、その偶像が具現化したのは敏達天皇の御世に淡路国岩屋浦へ観音像が流れ着いたという一つの由来がある、と。

 小野妹子との所縁からその創始者であり生け花との関係が深く、寺院は生け花の池坊が執行を務めてきました。そして洛陽三十三所観音霊場の第一霊場であり、西国三十三所第一八場所、京都の繁華街の中心部にありますが、深い歴史は多くの拝観者の集いの場所です。

 敏達天皇の御世、欽明天皇の長子で皇后に額田部皇女という後の推古天皇との契りがあり聖徳太子と同時代を治めた天皇です。この時代は崇仏派蘇我馬子と排仏派物部守屋とが激しく対立、これは偏に専守防衛か国際協調かが日本史に初めて激しく問われた時代です。

 聖徳太子所縁の寺院ということで、境内には聖徳太子沐浴の古跡等が並び、その建立は飛鳥時代まで遡ると寺社縁起には記されています。ただ、第二次世界大戦後の調査によりこの周辺からは飛鳥時代の遺構は発見されず、平安朝末期に建立されたのでは、と謎が多い。

 天台宗紫雲山頂法寺という六角堂は、物部氏との対立が深まる中、その討伐の成功を祈願し聖徳太子が仏教の力に助力を頼むべく小野妹子とともにこの地を訪れた、という縁起があります。平安遷都以前の時代、この地は奈良の平城京の北鎮とされた時代のはなしです。

 藤原道長の日記を紐解けば11世紀初頭にこの地へ六角堂という記載がありまして、平安京からは清水寺や石山寺に長谷寺よりも身近な観音拝観の寺院として日記には記されているとのこと。そして日本史にはこの藤原道長の日記へ記されて以降、頻繁に登場することに。

 親鸞聖人も鎌倉時代初期、名を改める以前の範宴として叡山の堂僧であった時代に六角堂へ百日間参籠の修行を行い、浄土宗宗祖たる法然の専修念仏へ帰依することとなりました。室町8代将軍足利義政は大飢饉ここに洛中流入貧窮者への粥施行救済小屋を建てています。

 町堂という、観音霊場寺との庶民信仰拠り所という位置づけへ展開し、近世には門前町と宿場街が広がりました。実は京都が貴族の邸宅街から日本文化の中心地としての近代都市へ昇華したのは、持論ではこの時代に基点を見いだせるのではないかと考えています。

 応仁の乱により、六角堂も例外なく破壊されました。現在の六角堂は明治時代1877年の建立です。意外に新しい印象ですが秘仏本尊如意輪観音像は建立当時の長い歴史を今に伝えています。太子堂や親鸞堂に聖徳太子沐浴の古跡と十六羅漢に清水湛える人工池等が並ぶ。

 京都の中心地という事で度々火災に見舞われています。明治時代までに20回近い回数の火災に見舞われたとの事ですが、町堂の観音霊場寺との庶民信仰に粥施行救済小屋という庶民の根強い信仰と寄進に守られ、その都度復興してきました。京都の街は常に古く常に新しい。

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テロ等準備罪と自衛隊治安出動の可能性,狙われるソフトターゲットと警察力の動員限界

2017-05-23 23:45:55 | 国際・政治
■英マンチェスターテロ発生
 自衛隊法78条には、一般の警察力をもっては治安を維持することができない状況において治安出動命令を発令できる、という条文があります。

 イギリス中部のマンチェスターで22日夜、日本時間の本日朝コンサート会場付近が自爆テロ犯による攻撃を受け、22名が死亡しました。本事案について、イスラム過激派ISILが犯行声明を出しました。イギリスでは2005年7月のロンドン地下鉄同時多発テロ以降、テロ事案が発生しており、近年はISILによるテロや襲撃事件も発生、警戒が強化されています。

 我が国ではテロ等準備罪の国会審議が大詰めであり、これまではテロ事件の発生を受けての捜査としてテロ事件を抑止する制度に欠缺があったテロ対策の空隙が漸く埋められようとしています。現状ではあの地下鉄サリン事件当時、実行犯と目されたオウム真理教関係者の逮捕を止むを得ず公務執行妨害等事実上の別件逮捕を乱発し対処した時代のままです。

 法整備、テロ等準備罪が衆参両院での可決を経て法執行基盤は整います。現状の公務執行妨害等事実上の別件逮捕を乱発し対処は、逆に問題がありテロ組織の攻撃を未然に阻止する法体系を構築してこその法治国家、乱用の懸念があるならば、新法反対ではなく乱用を防ぐ検察審査制度強化を求める事こそが肝要だ。しかし、法整備だけでは阻止できません。

 治安出動、2015年11月のパリ同時テロでは当時のオランド大統領が戒厳令を布告し、パリ警察や国家憲兵隊の支援へ陸海空軍より警備部隊を派遣、陸軍は全体の15%にあたる規模の部隊を常時街頭の警戒に派遣しています。効果はあるようで、警備部隊が実際にテロリストを阻止した事例もあります。こうした任務、日本も想定しなければならなくなる。

 自衛隊の治安出動といえば、思い出されるのは北朝鮮武装工作員浸透脅威顕在化を受けてのゲリラコマンドー対処任務付与が挙げられるでしょう。北朝鮮工作員は2001年に発生した九州南西海域工作船事件において巡視船により撃沈された船体内から対戦車火器RPG-7,無反動砲や機関砲と軽機関銃等が押収され、警察力での対応に限界が指摘されていました。

 しかし、テロ事案におけるソフトターゲット警備となりますと、別の問題が生じる可能性があります。それは警備の警察官の人員規模が全く不足する点です。日本の鉄道駅はJRが4600駅に民鉄5000駅の9600駅、ショッピングモールは日本ショッピングセンター協会加盟店舗で3195店、大学は国立86校に公立77校と私立595校の計758校、非常に多い。

 マンチェスター自爆テロではソフトターゲットが標的とされた点が特色です。ソフトターゲットとは警備厳重な施設を避け、警備が手薄な公共施設を標的とするテロリストの攻撃で、警戒厳重な国際空港や旅客機、政府庁舎や防衛施設、原子力施設等を避け、人が一定以上集まる中規模のターミナル駅やショッピングモールや大学に観光地等を攻撃するもの。

 オウム真理教による地下鉄サリン事件、地下鉄車内において神経ガスによる無差別攻撃を行うというもので、ソフトターゲットへのテロ行為の代表例といえるでしょう。テロ事件ではありませんが秋葉原連続通り魔事件はトラックが凶器として使用されました。こうした視点から、日本がテロ対策を行う場合はソフトターゲット警備が焦眉の課題となります。

 ソフトターゲットの警備は大変です。監視カメラや警備員、駅ならば改札付近に警察官が立哨し、ショッピングモールや映画館ならば警察官巡回強化を行う事は可能ですが、原子力施設のような機動隊選抜の警備隊が機関短銃と狙撃銃に防爆警備車で重点警戒、を行う事は、そもそも警備対象の数が多すぎ、やはり現実的には不可能と云わざるを得ません。

 自衛隊の治安出動、例えば具体的テロ事案等を経てソフトターゲット警備への警察力の限界が指摘された場合、勿論警察官を万単位で増勢するとともに鉄道公安官制度復活等、警察予備力を構築する事で対処する事が必要となりますが、増勢までの時間的間隙を、自衛隊の警備能力、例えばパリ同時テロ以降のフランス軍のように、動員の可能性があります。

 ゲリラコマンドー対処任務付与と共に自衛隊では重要施設警護訓練を実施しています。一方、ソフトターゲット攻撃の特色は警備の間隙を狙うと同時に、港湾や空港などからの重火器等が持ち込めない状況での選択肢となる場合が多く、基本的に武装の規模は軽量で小規模です。この為、普通科部隊の装備でも大き過ぎ、警察官の短銃程度でも十分阻止する、抑止する事は可能でしょう。

 国民保護訓練として現在では自衛隊が警察官を輸送するなどして、機動隊や警察特殊急襲部隊と銃器対策部隊の輸送支援を実施しています。ただ、ソフトターゲット警備の必要性などからの人数が不足する状況であれば、例えば空港等警察官の重点警備任務を自衛隊が治安出動命令を受けての派遣と重要施設警備を行い、短銃での対応が可能な方面へ警察官を派出させる事が可能な施策が、望ましいといえるかもしれません。

北大路機関:はるな くらま
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北朝鮮,日本海へ北極星2型弾道ミサイル・火星12型弾道ミサイル二週間連続の発射実験

2017-05-22 23:59:10 | 防衛・安全保障
■北極星2型弾道ミサイルの発射
 北朝鮮は昨日21日に北極星2型弾道ミサイルの発射実験を行いました、火星12型弾道ミサイルとあわせ二週間連続の発射実験となります。

 火星12型弾道ミサイル、先週日曜日に発射され短距離を長時間の飛翔時間を経て落達したことから高高度を飛翔し落下速度を極超高速へ到達させるロフテッド軌道方式がとられたことを強く印象付けました。昨日、北朝鮮は先週日曜日に続き弾道ミサイル実験を実施し、今度は日本時間夕刻に北極星2型ミサイルを内陸部から日本海へ向け発射しました。

 北極星2型ミサイルは火星12型弾道ミサイルと同じく移動発射装置による運用を基本としており、従来実施された固定ミサイル実験施設からの運用に対して、移動発射装置の発見は兆候をつかみにくく、ミサイル防衛を行う側としては北朝鮮全域を警戒監視範囲に含める必要が生じ常続的警戒飛行やイージス艦複数の遊弋等、負担が増大する事を意味します。

 ロフテッド軌道方式を用いた場合、弾道ミサイル防衛は迎撃ミサイルの発射に関する時間的猶予が非常に短く、また、弾道ミサイル防衛は宇宙空間から落下するミサイルを破壊するため、単に撃墜しても落下する結果がかわらない為、直撃し弾頭部分を高空で破砕する手法が採られますが、早すぎれば通常弾頭での迎撃はさらに難しくなり、課題は大きい。

 ミサイル防衛体制の強化を急ぐ防衛省ですが、現在の予算規模では限界があります。現在は首都圏中心部へミサイル防衛部隊を展開させると共に、ミサイル破壊措置命令を常時発令する事で全国の地対空ミサイルペトリオットPAC-3部隊が待機態勢に入っていますが、現段階ではPAC-3は射程が短く、京阪神中心部や中京中心部は迎撃範囲に入っていません。

 飽和攻撃としまして、単一箇所へ複数の弾道ミサイルを集中された場合には、現在のミサイル防衛システムでは突破される可能性があります。それではどの程度の密度が望ましいか、と問われれば、一例として沖縄の嘉手納基地を防護するためにアメリカ軍は陸軍防空砲兵1個大隊を集中させています。一箇所の基地防空でもこれだけ必要だ、という事です。

 脅威度についてですが、従来のノドンミサイルであれば配備数は150発から200発程度とされ、ノドンよりも射程の大きなものは日本本土ではなくグアムを射程とし、射程の小さなものは北部九州を射程に収めますが主として韓国攻撃用のものでした。最大200発は大きな脅威ですが、第二次大戦中の絨毯爆撃程の脅威は通常弾頭ならば、ありませんでした。

 しかし、核開発が行われると共に、核弾頭を弾道ミサイルへ搭載できる程度に小型化出来たとすれば、これは北朝鮮が実現したと自称する一方、証明する手段がないという状況にあるのですが、日本本土へ核兵器が投射される可能性が生じた事を意味し、看過する事はできません。200発の内喩え1発でも核弾頭を搭載していれば、大変な被害が生じます。

 北朝鮮核開発及びミサイル開発はどの段階が到達点となるのかについてが、今後のミサイル実験継続を左右する問題となるでしょう。この点について、北極星2型ミサイルの位置づけは射程をグアム程度とした中距離弾道ミサイルであり、次に大陸間弾道弾の開発へ展開し、場合によっては日本本土上空を飛翔する経路が用いられる可能性は否定できません。

 自衛隊が航空攻撃により北朝鮮ミサイルを発射以前に撃破する事は出来ないのか、と思われるかもしれませんが、第一に航空自衛隊は専守防衛の国是と共に戦闘機や爆撃機を日本本土に到達させない防空自衛隊というべき制空権維持に特化し、対地攻撃能力は元々限定的です。そして移動発射装置を北朝鮮から探し出す索敵能力も想定されていない現状です。

専守防衛は我が国の平和国家としての国是ですが、そもそもミサイル脅威が顕在化する中に遭って、祈るような手段としての平和主義か、国民の平和的生存権を国家が維持するための選択肢を残すのかについては、平和主義堅持というより前者か後者かの討議が充分行われているのかとの印象が無くもありません。そして現状の防衛力では限界があるのです。

有事の際には米軍への打撃力へ依存する他ないのですが、米軍の行動を支援する枠組み、そして米軍が主体となる事へのアメリカ世論への問題は無視できず、場合によっては日本が必要な打撃力の一端を担うという選択肢が突き付けられる可能性は充分あります。一方、北朝鮮のミサイルと核開発はアメリカ本土を標的とし、当面鎮静化の見通しはありません。

勿論、ミサイル防衛に限度があるとしても、攻撃以外打つ手なしという状況ではありません。イスラエルやフィンランドのように全土公共ミサイルシェルター建設の強化や、スイスのように建築基準法を改正し住宅新築に際しての地下シェルター設置義務化等により、消極的ですが国民保護に資する事は可能です。ただ、現状のまま事態放置という選択肢は非常にリスクがある選択肢となってしまいました。

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