北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

神戸国家災害戦略防災基地の必要性【1】巨大災害との戦争準備へ首都圏在日米軍基地を参考

2019-02-28 20:11:22 | 防災・災害派遣
■鎮魂:3.11東日本大震災
 南海トラフ巨大地震という巨大災害を考えた場合、自治体主体で国が参画する従来の枠組延長線上の防災対策では国の形を維持できないのではないか。

 3.11東日本大震災、今年もあの災害の鎮魂の日がやってまいります。鎮魂に重ね、次の被災者を減じる努力もこの日求められる、と信じます。そこで神戸臨海部の神戸港とポートアイランドに内陸の伊丹空港に国家災害戦略防災基地群を建設できないか、在日米軍の横田基地と相模原総合補給処に横浜ノースドックから成る首都圏戦略備蓄拠点のような。

 巨大災害との戦争準備、今回から数回に分けてこの視点について考えてみましょう。戦争、と言いますと語弊があるかもしれませんが、主軸とする視点は在日米軍が日本本土へ実施している兵站基盤を参考に仮設住宅や移動式病院と空中搬送基盤、交通インフラ即応復旧と末端への輸送基盤構築、人命を救助する枠組みを日本に構築できないか、という視点を。

 在日米軍が首都圏に配置している戦略備蓄のような災害時への備蓄を予め自衛隊、自衛隊でなくとも空中輸送能力と海上輸送能力があれば総務省でも構わないのですが、実施しておくことで、例えば南海トラフ巨大地震が想定するような西日本九州四国地方全域が大被害を受ける状況に対し、少なくとも現場が命の取捨選択を突き付けられる事だけは、と。

 トリアージへの消防吏員の心理的圧迫、正直なところ辛い、とは現場の消防吏員の声でした。政令指定都市で消防車の台数を超える火災発生が同時発生し、道路が通行不能となった場合は対応しきれない、救急搬送についても救急指令回線が輻輳により通信不能となるような状況では自前では対応できない、その状況で他市町村の応援が無い状況が震災です。

 人命の取捨選択には抵抗があるがやむを得ない、とはトリアージに関する救急隊員と医療従事者の嘆息と共に示される視点で、非常時だとは一言で言い表す事が出来ない葛藤もあるようでして、そもそも日本医師会が1995年の阪神大震災ではトリアージを命の取捨選択として反対していた状況が、2011年東日本大震災後に転換させた点に諦観が表れています。

 危機管理とは人命の取捨選択を行う事だとの誤解に繋がる心配をしてしまったのはこの点で、実のところ、取捨選択をするのではなく、せざるを得ない状況へ追い込まれてという選択肢の単一化がトリアージへの帰結です。そして大規模災害は平時防災救命救急インフラの規格外という規模で生じるものですので、大規模な防災支援基盤があれば回避可能だ。

 宮城県沿岸部の津波被災地住宅等再建制限地域に耐津波防災倉庫群を建築し、仙台空港と松島基地に仙台港を結ぶ国家戦略防災基地、上掲の神戸と共に適当な立地が無ければ、兎に角大量の荷役を担う港湾施設と国際線大型貨物機や大量貨物物資を流通管理する施設が併設されているならば、東日本大震災被災地に防災備蓄協力を受けるという選択肢もある。

 普天間飛行場返還後に那覇軍港施設返還も含め那覇空港と結び沖縄へ国家防災基地を、という選択肢もあり得ます。こういうのも、自治体の備蓄は政令指定都市であっても派出できる物資は非常食に限ればトラック数台分、30万規模の都市では市の備蓄が2tトラック規模である事が東日本大震災後に指摘され、国家戦略防災基地の必要性を痛感した為です。

 戦争という単語に拒否反応を持たれる方は多いでしょう。しかし、南海トラフ巨大地震を念頭として政府が2012年に発表した防災対策が充分構築されていない状況下での最大規模での発生が想定する死者数は32万名という、東京大空襲や沖縄戦、広島原爆投下を遥かに上回る死者数が想定されており、軽視したならば日本国家の現憲政秩序崩壊もあり得ます。

 災害派遣に防衛力、という視点に難色を示される方は多いでしょうが、災害に備え空港や道路網を復旧させる基盤はミサイル攻撃での基地機能喪失からの復旧に寄与しますし、なにより自衛隊は憲法上専守防衛という国土戦を想定している割には国内の兵站基盤は薄く、特に戦闘部隊に対し戦闘支援部隊の有事における増強計画もありません。此処に手を打つ。

 1991年の湾岸戦争においてクウェート占領のイラク軍に対する国連からの必要な措置に関する授権決議を受けた多国籍軍、その主力を担うアメリカ軍はソ連軍に備える欧州派遣第7軍団を三か月間でサウジアラビアへ展開、空軍戦力や空母部隊を含め僅か数か月間で54万名もの兵力と車両15000両を展開、これがアメリカ軍にとって限界の戦略展開任務でした。

 1992年のUNTAC国連カンボジア活動において国連からPKO部隊の派遣を求められた陸上自衛隊は半年間の準備を以て人員600名と車両100両を派遣します。海上自衛隊の大型輸送艦大半を派遣し、航空自衛隊も輸送力を最大限運用し北東アジアから東南アジアへ展開、桁は相当に違いますが、あの輸送が当時の陸上自衛隊にとって限界規模の輸送でした。

 2011年の東日本大震災において自衛隊は10万の人員を被災地域へ三日間で集中させています。各国識者は自衛隊の即応性に驚いた、といいますか、自衛隊と云えば出動が遅いという根拠のない定説が迅速な立ち上がりにより払拭され、且つ警戒監視活動や対領空侵犯措置任務、平時任務との二方面作戦の実施も、国籍不明機対処等により証明されています。

 総務省は、しかし限られた装備での対応に限界を超えていたという。防災ヘリコプター操縦士で陸上自衛隊を定年退官された方がいますが、陸上自衛隊であればヘリコプターを集結させる地域へ燃料と整備器材を集積するものの、都道府県毎に機種が異なり防災ヘリコプターを集められた空港では過度なヘリコプターを前に燃料不足が留意事項であった、と。

 消防警察も東日本大震災に際しては、被災地の宿泊施設が壊滅している状況下で策源地、要するに補給と休息拠点を内陸部、地域によっては片道二時間以上、という遠隔地に設けざるを得ず、不眠不休にも限度がある事から早朝から夕刻までの捜索に際しても時間の多くを移動に費やされたという。あの制約が無ければ、更に救えた人命があった可能性も。

 相模原総合補給廠に備蓄されているものには、移動式大規模病院施設と内陸燃料分配システムに架橋施設や重工兵器材、冷蔵医療品倉庫などが挙げられます。勿論現行の国内法では即座に活用できるものではありませんが、被災地の中央に発電機を備えた大規模な医療施設群を建築できますし、内陸の飛行場施設へ港湾から航空燃料を送る事も出来ましたね。

 政府の努力怠慢を指摘している訳ではありません、東日本大震災前までは本州太平洋岸の全域と四国太平洋岸と全域、北海道に津波警報が発令され、九州沖縄にも津波注意報が発令、二万近くの人命が失われ更に数万の人命が危機に曝されるという状況を想定しての防災計画を立てる事は、努力事項ではあっても具体的な防災計画とは、なり得ませんでした。

 阪神大震災、1995年の巨大災害から、その教訓を受けてという形ではありますが、防災基盤の構築は整備されているといえます。ただしその上で、南海トラフ巨大地震が突き付ける最大規模での発生の場合の死者数32万という激甚災害の規格を越える非常事態に対しては、従来の防災政策では対応できない水準との表現でも不充分な程の覚悟を求められます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ハノイ米朝第二回首脳会談:トランプ大統領-金委員長,北非核化と朝鮮戦争終戦巡り今夜開始

2019-02-27 20:17:45 | 国際・政治
■ハノイ会談,半島安定化成るか
 朝鮮半島有事は日本にとり悪夢です、大量邦人救出へ自衛隊派遣と大量難民流入に日本国内国連軍施設と戦闘の波及等が考えられる。これを回避する会談がハノイで始まる。

 ソウルへ向け突如大量の北朝鮮戦車部隊が南北境界線を突破、韓国軍の初動の遅れと重戦力の数的不充分により防衛線が次々と突破され、境界線から自動車で一時間の首都ソウルは短期間で陥落、韓国政府は必要な手を打てず大統領以下離散に近い状態で点々と南へ少しでも北朝鮮軍より遠く潰走を続ける。1950年6月25日に朝鮮戦争はこう始まりました。

 米朝第二回首脳会談、日本時間今夜よりヴェトナム首都ハノイにおいてドナルド-トランプアメリカ合衆国大統領と金正恩北朝鮮国務委員会委員長が史上二回目となる首脳会談を行います。主題は北朝鮮非核化及び大量破壊兵器と運搬手段の全面廃棄です。朝鮮半島有事可能性が大きく低減する事となれば日本の安全保障上もこれ以上ない恩恵がありましょう。

 ハノイでの米朝第二回首脳会談、北朝鮮核武装の非核化と大量破壊兵器の検証可能な完全廃棄を求めるアメリカと、経済制裁の終了と休戦協定のまま1953年より停滞する朝鮮戦争終戦を求める北朝鮮、いよいよ間もなく二日間の日程で開始されます。2018年6月の初会談以来の首脳会談、破談に終われば朝鮮半島有事が再燃という可能性は否定できません。

 平和の実現を願いたい。朝鮮戦争再燃となれば在韓居留邦人も危険に曝される。しかし平和と云いましても手段としての平和を求め岳化に恩恵としての平和が失われては全くの無意味で、北朝鮮非核化実現、准中距離弾道弾を含むミサイルの廃棄、これを条件としての経済制裁解除が論点、日本としては邦人拉致被害者の帰国と拉致抑留への謝罪を求めたい。

 ドナルド-トランプ大統領は北朝鮮の非核化が実現した暁には素晴らしい経済発展が待っている、と繰り返し発言しています。実際、北朝鮮のGDPは1980年代までは人口が遥かに大きな中国よりも高かったのです。教育水準はプロパガンダを除けば高水準に在り、勤勉で人件費の安い北朝鮮は潜在的に新興経済国へ躍り出る豊富な可能性を秘めているもの。

 トランプ大統領にとっては、懸念事項として不確実な非核化を押し付けられる事です。北朝鮮は何発の核兵器を保有しているのか、明白としていません。制裁を解除し、その後実は保有が判明、となっては寧ろアメリカが経済制裁の再開を断念し限定空爆まで緊張が突沸する可能性は否定できません。その中でアメリカにとり、検証可能な大陸間弾道弾廃棄は最低条件だ。

 アメリカの視点では、過度な譲歩が懸念事項です。検証不能の核廃絶を成果とされてはなりません。しかし、部分廃棄や検証不能廃棄でも北朝鮮が見返りの制裁解除や人道支援拡大を要求する可能性は否定できず、トランプ大統領は2020年に二期目を目指す大統領選が控えている事もあり外交成果を急ぎ過ぎる事で身の無い果実を掴まされる不安は常に有る。

 金正恩北朝鮮国務委員会委員長には、兎に角国家体制の安全の要求を最低条件としたい実情がある。核兵器を最後の一発まで曝して廃棄した後に、更なる疑惑を突き付けられ、2003年にイラクで発生した二の舞は避けたい。即ち、今回和平を実現しても十年後二十年のの大量破壊兵器保持疑惑を端緒とした日米有志連合による軍事介入を回避したい思いは高い。

 金正恩委員長にはこの他、運搬手段として保有するミサイルを何処まで廃棄するのか。これは北朝鮮工業製品として宇宙開発用ロケットに転用できるミサイル技術は保持したい技術基盤でもあり、この廃棄をどう証明するのか。アメリカが核関連技術者やロケット関連技術者の国外出国等求められた場合に如何に応えるのか、核廃絶の障壁は低くありません。

 朝鮮戦争終戦、KBS等韓国報道機関はその可能性を報じています。朝鮮戦争終戦となれば韓国悲願の南北朝鮮統一、統一の主導権を得られるならばその実現は北朝鮮へも悲願でもあります。ただ、ロイターやAFPにCNN等はその可能性についての論調で冷淡であり、一方で朝鮮戦争終戦となれば日本国内の国連軍施設も運用が終了する為、去就は注目です。

 南北軍事衝突は日本にとり最大の安全保障上の留意事項です。朝鮮戦争は対岸の火事、と誤解されていますが朝鮮半島から日本本土長崎県島嶼部までは数十kmを隔てているにすぎず、対岸の火事とはいえ、その対岸は水路の対岸程度、火の粉も飛べば延焼もある、何より核兵器が使用される可能性がある現状、日本にとり水路対岸の原発火災といえるもの。

 邦人救出任務、韓国国内には5万7000名もの在留邦人が居留しており、特に首都ソウル地域は在留邦人の多くが集まると共に南北軍事境界線から70km圏内に在る為、ロケット弾射程内です。例えれば東京からみれば相模湾で戦闘が始まる状況に近い距離、外国人安全は韓国政府の努力にも限界があり、その救出任務は非常に課題多い難題となっていました。

 核攻撃、北朝鮮は朝鮮半島有事に際し日本本土へ核攻撃を加える蓋然性が非常に高いものとなっています。その根拠として、対日戦以外には用途の低い射程の准中距離弾道弾を1993年より大量配備しており、まさか中国沿岸部等を狙う可能性は低い為に日本国内の人口密集地や国連軍指定施設に防衛施設、原子力施設等を攻撃目標とする可能性が高い為です。

 終戦となれば在韓米軍が撤収し我が国が最前線国家となる懸念はある。朝鮮戦争は、戦争放棄を記した日本国憲法施行から僅か三年後に生起し、結局、日本の安全保障を国連軍が守るという可能性が否定され、一挙に冷戦構造が東西対立へと発展した為、自衛隊が創設される憲政史上の転換点となりました。しかし、終戦と在韓米軍が撤退した場合はどうか。

 最前線国家という懸念は2018年6月のシンガポール第一回米朝首脳会談と共に我が国安全保障問題として指摘される事となり、専守防衛を国是として周辺事態への主導権をアメリカへ依存した我が国には、在韓米軍撤退後に在日米軍が最前線となり、ロシアや中国と大量の地上軍有する北朝鮮とも対峙せねばなりません。終戦は望ましいが留意事項でもある。

 しかし、核実験と毎週繰り返されるミサイル実験、日本本土では第二次世界大戦以来七十数年ぶりに空襲警報が発令され、鉄道緊急停止や小中学校でのミサイル警報への避難訓練、わずか二年前には最大級の緊張にありました。就任間もないトランプ大統領は原子力空母3隻を日本海へ緊急展開させ、最大限の圧力により封じ込めたのは一年と少し前でした。あの緊張が再燃しないよう、見守りたいものですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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しらぬい就役(あさひ型護衛艦二番艦),第二世代汎用護衛艦むらさめ型派生二〇隻整備事業完了

2019-02-26 20:05:55 | 防衛・安全保障
■アジア最強!ミニイージス20隻
 しらぬい明日就役。明日は歴史的な日となります。むらさめ型護衛艦一番艦むらさめ就役は1996年、当時は先進的な性能と優美な艦容からミニイージス艦と呼ばれたものでした。

 しらぬい、護衛艦あさひ型二番艦が明日、三菱重工長崎造船所にて竣工式を迎えます。しらぬい、艦番号はDD120,つまり艦首に120と記されている護衛艦が護衛艦しらぬい、です。そして写真の101は護衛艦むらさめ、102は護衛艦はるさめ。120は最新鋭護衛艦ですが護衛艦の艦上基本配置などは共通点が多い事に気付かれるでしょう、その通り、派生型だ。

 しらぬい竣工、この式典は単なる新護衛艦の竣工式に留まらず、護衛艦隊における汎用護衛艦整備計画が最大規模の事業を一段落させる、大きな転換点ともなります。何故ならば1996年に竣工した護衛艦むらさめ以降、その派生型が遂に20隻揃った事になるのです。20隻の汎用護衛艦は個艦防空能力が高く艦隊防空艦に依存せず各種任務を遂行可能です。

 アジア最強、とは言い過ぎでしょうか。環太平洋最強と言いたいところですがアメリカ海軍の後塵を拝する事は確かです。しかし、汎用護衛艦の他も加えた場合はどうか。いずも型護衛艦2隻、ひゅうが型護衛艦2隻という全通飛行甲板型護衛艦、イージス艦は8隻体制へ、其処に第二世代汎用護衛艦20隻を加えた海上自衛隊護衛艦隊は、導入予定のF-35Bや現用のSH-60Kと併せアジア最強を自負する水準とは、なる。

 むらさめ、はるさめ、ゆうだち、きりさめ、いなづま、さみだれ、いかづち、あけぼの、ありあけ、たかなみ、おおなみ、まきなみ、さざなみ、ずすなみ、あきづき、てるづき、すずつき、ふゆづき、あさひ、しらぬい。汎用護衛艦は明日しらぬい竣工を以て、護衛艦隊護衛隊群を構成する全20隻が全て第二世代汎用護衛艦へと世代交代を実現する事に。

 しらぬい、最新鋭護衛艦ですが、基本設計は第二世代汎用護衛艦の鏑矢、護衛艦むらさめ一隻の基本設計を踏襲しています。現在我が国は、中国の急激な海洋進出と米ロ対立の激化により安全保障上非常に危惧する状況にありますが、むらさめ設計は1989年、日本経済が最も余裕ある時代に余裕ある設計を行った事で、基本設計の応用出来た事は僥倖でした。

 くらま、やまぎり、あさぎり型護衛艦とヘリコプター搭載護衛艦くらま。前掲写真が護衛艦ゆうだち、護衛艦くらま、大きさは一見、近い。余裕のある設計というのは、あさぎり型護衛艦の時代はヘリコプター搭載護衛艦と比較し明確に汎用護衛艦は小型でしたが、ヘリコプター甲板構造等の設計で、むらさめ型以降には艦型を大型化し、艦内容積に余裕を以て設計されている、ということ。

 かが就役により、2017年くらま退役、ヘリコプター搭載護衛艦の定数4隻が第一世代のヘリコプター巡洋艦型護衛艦から全通飛行甲板型護衛艦へ更新を完了した護衛艦近代化事業と並ぶ海上防衛力整備の一段落であり、今後護衛艦隊は旧式化したターター艦である、はたかぜ型護衛艦のイージス艦まや型2隻でに置換えという世代交代事業を進めてゆきます。

 あさぎり型護衛艦、第一世代汎用護衛艦は護衛艦しらぬい就役と共に最後の一隻が護衛隊群編成から自衛艦隊直轄護衛隊へ移管され、将来的には新型の30FFM護衛艦により置き換えられる事となります。20隻の整備に23年を要しました、これは、ひゅうが型、いずも型のヘリコプター搭載護衛艦や、ターター艦のイージス艦への更新事業と重なった為でした。

 あたご型ミサイル護衛艦等、イージス艦の量産と併せて整備した実情に鑑みれば同時並行で汎用護衛艦20隻をよくぞ23年で整備したもの、といえますが、その背景には、むらさめ型護衛艦の基本設計、機関配置や船体設計を踏襲した為で、過去には大胆なステルス性強化設計変更も検討はされていますが、建造費を抑えた設計を優先した事が正解といえる。

 むらさめ型護衛艦は多機能レーダーを搭載しステルス性を有する大型船体に各種装備を搭載しており、1996年の竣工当初はミニイージス艦と呼称されています。むらさめ型護衛艦の艦砲等強化型の護衛艦たかなみ型、火器管制システムを新型化し防空能力を大幅に強化した護衛艦あきづき型、そして准同型艦の護衛艦あさひ型、改良型が建造され続けました。

 護衛艦隊、20隻の新鋭護衛艦整備完了、この意味とは。アジア最強、とは言い過ぎでしょうか。護衛艦隊は四個護衛隊群より編成されており、護衛隊群は航空中枢艦であるヘリコプター搭載護衛艦が1隻、広域にわたる艦隊防空に当るミサイル護衛艦を2隻、そして全ての任務に万能に対応が求められる汎用護衛艦が5隻、以上8隻から編成されています。その汎用護衛艦の定数が20隻ということ。

 はつゆき型護衛艦として1982年に汎用護衛艦の第一世代艦、ヘリコプター一機を搭載し、対水上と対空に対潜の各種誘導弾を有すると共にガスタービンエンジンを採用し強力な機動力を有する護衛艦の整備が開始されました。はつゆき型護衛艦12隻、拡大改良型の護衛艦あさぎり型8隻が次々と量産され、20隻体制を整備完了したのは1991年、9年計画です。

 あさひ型までの護衛艦むらさめ型派生型の20隻は、はつゆき型護衛艦、あさぎり型護衛艦の更新に当る護衛艦で、しらぬい就役により世代交代を完了した、という事なのです。世代交代に併せて、性能は大幅に強化されています。特に強化されているのは個艦防空能力の充実、そして戦闘システムのデジタル化と艦隊一体で戦うデータリンク能力の強化など。

 むらさめ型は満載排水量6200t、設計にステルス性を採用し、対潜情報処理装置ASWCSのデジタル化や実用性を漸く実現した国産艦載AESAレーダーOPS-24Bの採用、同時複数の対空戦闘を可能としたFCS-2-31を搭載、完成当時にミニイージス艦と呼称された。たかなみ型は拡大改良型、艦砲を強力な5インチ砲へ、垂直発射装置をMk41へ統合しました。

 イージス艦とはロッキードマーティン社製の多機能艦隊防空システム固有名詞であり、ミニイージス艦とは小型艦用のSPY-1Fを搭載する水上戦闘艦へ冠せられる呼称である事から、むらさめ型をミニイージス艦と呼称する事は不適切ですが無限軌道をキャタピラー、紙留め文房器具をホッチキス、ゲーム機をファミコン、と包括する愛称と似たものですね。

 FCS-3,多目標同時対処能力を有する多機能レーダー搭載艦、としますと、全通飛行甲板構造のヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが型にもFSC-3が搭載され射程50kmのESSM発展型対空ミサイルにより高い防空能力を有していますし、あさひ型護衛艦のOPY-1多機能レーダーと同系統のOPS-50レーダーは護衛艦いずも型にも搭載、多機能レーダー搭載艦総数はもっと多いのですが。

 あきづき型は、むらさめ型護衛艦9隻、たかなみ型護衛艦5隻に続いて4隻が建造されていますが、国産多機能レーダーFCS-3を搭載しており、同時多数の航空目標へ同時対処が可能となり、50km圏内の限定的な艦隊防空能力、僚艦防空能力を付与されています。能力的にはイージスシステムを搭載したノルウェー海軍フリチョフナンセン級と重なるもの。

 汎用護衛艦の世代交代、実現に長期間を要しましたが、むらさめ型派生艦にて20隻を揃えた事で利点は大きい、数の多さはローテーション配備を実現、教育訓練がある程度共通性を有する艦で揃えた点、そして満載排水量6200tから6800tという余裕ある設計により格納庫には哨戒ヘリコプター二機の収容能力を持つ等の将来拡張性を維持できた点、がある。

 しらぬい、は護衛艦あさひ型、本型は前型あきづき型がミサイル防衛任務におけるイージス艦支援という強力な艦隊防空能力を求められたのに対し、従来型の多用途性が求められ、たかなみ型に対し自動化された個艦防空能力を整備しつつ、対潜能力を強化した護衛艦として建造されています。俗称ミニイージス艦が20隻、そして本家イージス艦が6隻など。

 30FFMが続いて建造されますが、30FFMは掃海隊群へ配備され洋上戦闘から機雷戦まで幅広く対処する事となります、むらさめ型各艦始め汎用護衛艦は近代化改修を受け続けており、第三世代汎用護衛艦は将来的に建造される事となりましょうが、30FFM整備事業が優先、今後、第二世代汎用護衛艦は長い期間、護衛艦隊の主力を担う事となるでしょう。

 ここまで記事を読まれている方は、あさひ写真はあっても、しらぬい写真が無いことにお気づきでしょうか、なかなか時間が無くて、ね。さて、しらぬい引渡式-自衛艦旗授与式は2月27日に0930時から、三菱重工業株式会社防衛-宇宙セグメント長阿部 直彦氏と佐世保地方総監菊地聡海将が臨席、しらぬい初代艦長高須賀政信二佐へ自衛艦旗を授与します。出港は1235時から、長崎グラバー園からも観る事が出来ましょう。

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ひゅうが&いせ掃海隊群移管可能性(1)二個群化と30FFM大量配備で第2護衛艦隊を目指す

2019-02-25 20:12:00 | 防衛・安全保障
■掃海隊群へFFM護衛艦22隻
 伊勢湾機雷戦訓練四日市港入港の速報記事と共に可能性についてみました全通飛行甲板型護衛艦の掃海隊群編入という可能性について。

 ひゅうが、いせ、将来的に掃海隊群へ配属される可能性はないか。掃海母艦うらが、ぶんご、代替として指揮統制能力と航空機運用能力に長けたヘリコプター搭載護衛艦が転用される可能性はないでしょうか。なにをいきなり、と思われるかもしれませんが、掃海隊群は新防衛大綱下で大幅に増強されることとなります。能力的にも、規模という意味でも。

 伊勢湾掃海訓練の撮影を行うと共に、ひゅうが、いせ、掃海隊群移管の可能性に気付かされたのは掃海母艦うらが、ぶんご後継艦はどうなるのか、という視点が一つ、もう一つは30FFMという護衛艦が今後掃海隊群へ大量配備が行われ、実質沿岸防衛任務を担う第二護衛艦隊との改編が行われる実情が一つ、そして2個隊群化される掃海隊群と2隻の艦です。

 ひゅうが型護衛艦2隻は今後も護衛艦隊の主力を担うと考えているのですが、いずも型護衛艦へF-35B搭載の検討が為される中、ひゅうが型の話題が置き去りになっている印象、そして30FFMを多数運用する拡大後の掃海隊群には指揮中枢艦が必要であり、掃海隊群へ配備される輸送艦おおすみ型支援へ航空中枢艦が必要である視点、以上から気付いたもの。

 30FFM、3900t型護衛艦として建造される新しい護衛艦は、FF,つまりフリゲイトという従来の艦隊用護衛艦をしめすDDでも沿岸用護衛艦を示すDEでもない符号に加えて、機雷戦を意味するMを冠してFFMとなります。この30FFMは22隻程度、最大で26隻が量産されるとされていまして、護衛艦隊ではなく掃海隊群へ配備されることとなっています。

 新哨戒艦、1000t程度の新区分艦艇ですが、こちらも従来は沿岸防備にあたった地方隊ではなく掃海隊群へ配備されるとのこと。このため、掃海艇などの機雷戦艦艇は逆に縮小して、現在の28隻から18隻へ大きく縮小されることとなり、地方隊へ各1掃海隊を維持するならば、掃海隊群に純粋な掃海艦艇は深深度機雷掃討用の掃海艦3隻程度しか残りません。

 おおすみ型輸送艦、海上自衛隊が誇る3隻のドック型揚陸艦型輸送艦は現在、従来の自衛艦隊直轄部隊を離れ掃海隊群隷下にあります。これは水陸両用作戦における指揮通信能力の充実とともに沿岸掃海が水陸両用作戦正否に直結する為の施策として改編が行われました。すると、掃海隊群は機雷戦と並び水陸両用作戦と水上打撃戦闘が新たに任務へ加わる。

 掃海母艦2隻、護衛艦22隻、哨戒艦12隻、掃海艦3隻、輸送艦3隻、哨戒艦は地方隊配備の可能性もありますが、これが新防衛大綱完成時の掃海隊群の陣容です。一昔の護衛艦隊に並ぶ規模でして群編成は艦隊編成となり、機動運用部隊である護衛艦隊と編成上の指揮階梯では同格になる。すると、機雷戦能力や母艦能力で、現在の掃海母艦うらが型には限界が生じる可能性を認識せねば成りません。

 ひゅうが型2隻が掃海隊群へ転用されたならば、30FFMの速度に十分随伴できますし、FCS-3による僚艦防空能力という限定的な艦隊防空能力はSEA-RAM簡易防空ミサイル頼りの限られた個艦防空能力しかもたない30FFMを補完できるでしょうし、ひゅうが型搭載のMCH-101掃海輸送ヘリコプターを用いれば、ヴァートレップ補給も機雷敷設も可能に。

 30FFMは機雷探知装置と水中UUVに機雷処理弾薬を用いて掃海任務に当たる、機雷掃討を重視した構造を採用します。これは機雷掃海に充てた場合、30FFMでは掃海艇とちがい機雷被害を受ける可能性があるためですね。すると本格的な掃海艇以上に最初に実施される航空掃海の能力重要度が高まる一方、うらが型の航空支援能力は船体規模から限られる。

 逆に、ひゅうが型。いずも型2隻、護衛艦隊には4個護衛隊群がありますので、各護衛隊群の能力を共通化させるには、更に護衛艦いずも型を2隻増強する必要があります。故にヘリコプター搭載護衛艦2隻の増強が行われない限り、ひゅうが型掃海隊群転用はあり得ません、しかし、ひゅうが型と、いずも型の性能差、大きさの違いがあるのもまた事実だ。

 ただ、新防衛大綱においてF-35B搭載改修が決定した最新鋭のヘリコプター搭載護衛艦いずも型にたいして、同じ全通飛行甲板型構造を採用しつつ一回り小型の護衛艦ひゅうが型へはF-35B搭載の検討報道さえ具体化しない現状をみますと本論の様な、ひゅうが型護衛艦を護衛隊群以外の用途へ運用する検討が一方にあるのではないか、と考えてしまいます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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再論普天間移設問題,那覇基地拡張部分統合案と下地島イージスアショア併設海兵補助飛行場案

2019-02-24 20:11:59 | 国際・政治
■持論:那覇基地日米統合運用案
 嘉手納統合案は現実的ではないという結論までを前回提示しました、そこで今回は後篇ということで那覇統合案や離島分散案を提示します。

 最初に。在日米軍基地は沖縄に集中している、確かに間違いではありません。嘉手納基地の第18航空団と広大な嘉手納弾薬地区、普天間飛行場にキャンプハンセンの第31海兵編成群MEU,うるま市キャンプコートニーの第3海兵師団、勝連半島のホワイトビーチ桟橋、伊江島補助飛行場に牧港補給地区、沖縄市のキャンプシールズに展開するシービーズ等、実際多い。

 沖縄本島に米軍基地が多い、この点は事実なのですが、米軍基地は沖縄だけではない、という点を留意した上での視点なのか、ある種、米軍基地は沖縄にしかない、という誤解は無いのか、という視点を一つ。特に日本全土の自衛隊施設の多くも、有事の際には日米共用施設となるのですが、これを含めた防衛用地全体で考えてみますと、どうでしょうか。

 首都圏米軍兵站施設群、横須賀地区、岩国瀬戸内地区、佐世保地区、三沢基地があるように、しかし在日米軍基地は沖縄だけではなく、北部訓練場という広大な米軍訓練場の関係から全体で沖縄が占める面積が大きくなっている為、北部訓練場の大規模返還、将来的には北部訓練場日米共同使用により米軍施設における沖縄の負担は大きく縮小するでしょう。

 首都圏米軍兵站基地は、横浜ノースドックと横田基地に相模原総合補給廠にキャンプ座間、アジア地域での大規模紛争へ対応する北東アジア地域最大規模の兵站拠点が東京と神奈川に在ります。そして横須賀地区、実戦部隊の基地で、原子力空母と共にアメリカが有する世界最大の海外拠点で厚木航空基地と共に神奈川県へ広大な海軍作戦拠点を有しています。

 岩国飛行場は第5空母航空団と第1海兵航空団に海上自衛隊航空部隊を併せ、嘉手納基地を上回る極東最大の航空基地となっています。そして岩国基地と共に瀬戸内地区には広島の川上弾薬庫、広弾薬庫、秋月弾薬庫、この三弾薬庫がありここには50万名規模の地上軍や航空部隊が中長期にわたる戦闘継続を可能とするだけの弾薬が戦略備蓄されています。

 佐世保地区には両用遠征群という強襲揚陸艦にドック型揚陸艦と輸送揚陸艦を統合する打撃部隊が展開しており、更に機雷戦部隊が常駐しているほか、事前集積船も遊弋し、また燃料備蓄もかなり大規模なものがあります。実戦部隊としてはこの他に青森県三沢基地がF-16戦闘機の航空団という戦闘機部隊と共に極東地域の戦略通信傍受部隊が展開している。

 海兵隊もキャンプ富士や沼津へ片浜演習施設を維持、在日米軍は沖縄だけではないのですね。我が国周辺地域は戦後朝鮮戦争やヴェトナム戦争と台湾海峡危機という厳しい安全保障環境があり、自衛隊と米軍を併せた防衛への国民の理解と参画を欠いては、現実的な平和主義、平和の享受というものは成り立ちません、このあたりももう少し知られてほしい。そのうえで。

 那覇統合案は2010年代以来の持論です。上記の通り、嘉手納統合案には無理があります。そして海兵隊は水陸両用作戦に際し、沿岸部と内陸から接近経路確保等に空中機動を重視している為、海兵地上戦闘部隊の駐留している沖縄本島から飛行場を離す事は選択肢として考えられないでしょう、飛行場と海兵地上戦闘部隊は不可分です。故に那覇を提示する。

 那覇基地統合案は、普天間飛行場移設を現実問題としてとらえたうえで、名護市辺野古への移設を断念するのであれば、一つの有力選択肢となりえるでしょう。何故ならば、那覇空港では第二滑走路の埋め立て工事がほぼ完了、受け入れ用地がある為です。この第二滑走路建設は那覇空港が福岡空港に次ぐ日本最大級の過密空港故の混雑緩和へ行われました。

 第二滑走路は海上埋立滑走路です。この為、喩え夜間飛行を実施した場合でも騒音問題はそれ程大きくありませんし、名護市辺野古飛行場は計画では滑走路進行方向を変更した場合に航空機が一部市街地上空を飛行しますが、那覇基地第二滑走路は洋上を飛行します。これは平時以外、有事の際の不時着航空機受入の際にも付随被害低減に寄与するでしょう。

 小録飛行場、海軍飛行場として創設された那覇空港は、日本が戦前に造成し、日本側が現在も管理している沖縄本島唯一の飛行場です。そして海軍は民間航路開発を兵站線維持へ資するとして重視した為、戦前から民間空港としても機能していました。戦後は一時期米空軍戦闘機部隊が駐留しましたが、現在は自衛隊と海上保安庁が民間空港と併用している。

 那覇基地、航空自衛隊南西航空方面隊司令部と第9航空団に早期警戒機部隊、海上自衛隊第5航空群が置かれ、隣接して陸上自衛隊那覇駐屯地には沖縄を防衛警備管区とする第15旅団司令部とその主力が駐屯すると共に、第15ヘリコプター隊が駐屯しています。そして沖縄本島唯一の民間空港として那覇空港があり、これまで滑走路一本を共用していました。

 那覇基地は過密状態ですが、那覇空港そのものが拡張工事中です。その為、一部を転用する事で海兵航空部隊の受け入れは可能となりますし、有事の際には那覇空港の民間航空機が航空戦闘やミサイル攻撃により運行不能となります。その際に旅客機用区画を臨時転用し簡易掩体を構築する事で、米本土からの海兵航空部隊受け入れも可能となるでしょう。

 那覇空港第二滑走路は、その混雑緩和へ建設されているものですが、この那覇基地第二滑走路と共にLCC専用の第二ターミナル地区や航空貨物地区を周辺部へ移転する事が出来れば、普天間飛行場の那覇統合という選択肢が可能となります。近傍には返還予定の米軍施設が残り、この返還を中止する事で基地兵站施設や燃料補給施設へと転用ができることは確かです。

 普天間飛行場跡地ですが、例えば軍用基地としての運用を終了し民間空港へ転用、航空貨物地区とLCC専用空港とする事が出来れば、那覇空港の緩和をある程度相殺できますし、沖縄本島中北部振興策の一端ともなり得ます。LCCはボーイング737やエアバスA-320の新世代機であり、いまのところMV-22のような反対運動は全国の空港では起きていない。

 ただ、米軍機航空管制と民間航空機航空管制、自衛隊機航空管制の整合性をどのように調整するか、米軍機は日本の航空法枠外にあり、例えば那覇基地と南那覇基地というように航空管制を日米で分けるか、三沢空港や岩国錦帯橋空港のような日米共用飛行場の運用方式を導入する必要はあります。課題はありますが、既に第二滑走路がある点は、大きい。

 もう一つの案として、下地島移転案という試案を提示しましょう。非常に費用を要しまして、例えば海上自衛隊の護衛艦建造計画や航空自衛隊のF-15後継事業等を大きく圧迫し、将来戦闘開発の中止等長期化する可能性がありますが、下地島を要塞化し、併せてアメリカを巻き込むかたちながら、西日本までを含めた広範囲の防衛基盤を構築するというもの。

 下地島移転案、非常に突飛な案ですので傍論と考えてください、明らかに中国を刺激する案ですから。しかし、沖縄本島以外に移転するならば下地島にアメリカを巻き込む形での防衛強化、という視点が必要になります、これ以外の選択肢は台湾海峡有事の際に沖縄本島が巻き込まれる可能性が高まる、ミサイルも飛んできましょうし浮流機雷も流れて来る。

 下地島空港移設案、先島諸島の下地島ですが、基本的にアメリカは最初から反対しています。先島諸島の下地島は中国大陸から近すぎる為、台湾有事などで短距離弾道弾飽和攻撃を受け、短期間で滑走路や航空機をすべて破壊される懸念があります。また、沖縄本島の海兵隊地上戦闘部隊から遠すぎる為、海兵隊の立体作戦相互支援も距離の面で不可能です。

 南西諸島、しかし、下地島へ陸上自衛隊がイージスアショアを新設した場合どうでしょうか。イージスアショアは弾道ミサイル防衛システムですが、SM-3迎撃ミサイルを下地島へ配備する事で、沖縄県全域と鹿児島県島嶼部に至る弾道ミサイル防衛体制を構築可能となり、また南西有事の際に台湾と九州との間のミサイル防衛の安全回廊を構築できましょう。

 イージスアショアはSM-3迎撃ミサイルにより弾道ミサイルを飛翔中間段階で迎撃しますが、終末段階迎撃用にSM-6改良型が開発中です。スタンダードSM-6は現在、対航空機用にアメリカやオーストラリアが導入し海上自衛隊も試験導入を開始するものですが併せて220kmから飛行高度によっては370km程度までの対航空機巡航ミサイル防空が可能です。

 海兵隊が難色を示す戦略的縦深性、中国大陸へ近すぎる為離隔距離を置けない、という下地島の問題点はイージスアショアを自衛隊が配備する事により払拭できるとともに、スタンダードSM-6を運用する事で、南西諸島南部から本州西日本地域へ進出する中国軍ミサイル爆撃機を有事の際にかなり有効に迎撃する事が可能となり、日本全体の防衛に有意義だ。

 イージスシステムといえども大量に飽和攻撃を受けた場合は最初に破壊されるのではないか、という懸念はあるでしょう。しかし、イージスアショアは海上自衛隊イージス艦とのデータリンクが可能であり、飽和攻撃を受けた際には佐世保からの増援イージス艦や第七艦隊との協同により、持ちこたえる事も可能です。飽和攻撃へ盤石なシステムですから。

 西日本防空を沖縄から、とは突飛な発想ではありますが、SM-6はNIFC-CA海軍統合射撃管制システムと連接する事で航空自衛隊が配備するF-35AやF-35BにE-2D早期警戒機からの誘導が可能です。特に中国のH-6ミサイル爆撃機が和歌山県沖まで飛来する状況、沖縄の防空は沖縄の防衛という地域的なものではなく既に日本全体の問題となっています。

 しかし、沖縄本島の海兵地上戦闘部隊と航空部隊の離隔問題という根本問題は是正できません、海兵地上戦闘部隊を先島諸島併設できれば沖縄本島基地負担の問題は根本的に解消しますが、その為の兵站施設を受け入れるだけの都市規模が、下地島へはありません。そのため、下地島へは補助飛行場を新設し、同時に普天間飛行場も補助飛行場へ格下げする。

 海兵航空部隊の拠点を普天間飛行場や辺野古新飛行場一カ所に集約するのではなく、そもそも普天間飛行場展開の海兵航空部隊は岩国航空基地の第1海兵航空団隷下に在るのですから、既に決定している空中給油機部隊の鹿児島県鹿屋航空基地移転と合せ、複数の補助飛行場へ分散し、利用する形で南西諸島防空強化という強かな施策もあって然るべきです。

 沖縄県民投票は埋め立ての是非へ県民世論を問うている。ならば埋め立てではなく海上建造物方式はどうか、つまりメガフロートのような海上に浮いたものを展開させる、というもの。実は当然ながらメガフロート案は辺野古移設に際し検討されていました。結局様々な理由から採用されなかたのですが、部分的に採用する余地はあったのではないか、と。

 大規模洋上移動式補給基地MLB構想、要するに移動式洋上航空基地という全長2000m規模の浮桟橋、一種のメガフロート構造体ですが、こちらを転用するという選択肢もあるかもしれません。メガフロート工法を辺野古に構築するというのではなく、普天間飛行場をそのままとしたうえで、MLBを建造し、日米共同運用を行い普天間使用頻度を下げる、と。

 メガフロート、1980年代にも厚木基地にて問題となっていた陸上空母発着訓練における夜間飛行訓練騒音対策に相模湾等にメガフロートを構築する検討は、あったようです。空母程小型のものではなく、陸上飛行場訓練に匹敵する環境を、という事でして、一説には有事の際のシーレーン防衛へ日米共同運用を展開する構想も含めての検討、とつたわります。

 辺野古移設案に1996年頃までは埋め立てではなくメガフロート、という検討はあったようですが、幾つかの理由から実現しませんでした。第一に耐用年数が四十年ほど、第二に辺野古沿岸は波浪影響があり防波堤が必要となる、第三にメガフロートは造船所でブロック建造される為に沖縄地元産業界への還元が少ない、第四にミサイル攻撃への脆弱性は高い。

 メガフロート工法を採用した場合は一兆円以上を要する、これは民主党政権時代の辺野古移設撤回政策の撤回に際し、検討された様々な理由から流れてしまいました。流れるといいますと、特に実績が無い技術ですので、荒天時に動揺で陸上からの交通が不能となり、悪天候だけで文字通り滑走路が閉鎖、となってしまう可能性への危惧、ということですね。

 運用終了後は撤去できるのですが。もっとも、メガフロート工法は鉄の箱を連接する方式の海上構造体、1998年までに東京湾で実験は行われましてYS-11旅客機による試験飛行は行われていましたが、結局当初計画の海上空港への転用などの実績は無く、同規模の船舶よりは、かなり安価に構築できる、と言われているのですが未知数部分は大きいものです。

 大規模洋上移動式補給基地MLB、しかし先ほども少し触れましたが、全長2000m規模のMLBを普天間飛行場を維持しつつホワイトビーチ沖や勝連半島近くの波浪が少ない沖縄近海に遊弋させ、訓練移転を行う、つまり普天間の使用頻度を下げる、という選択肢はあるかもしれません。日本側が管理するならば、有事の際には防空作戦等にも転用でき得ます。

 さて、本文執筆時点ではまだ、沖縄県民投票の去就は不明です。しかし、繰り返しますがダム建設や河口堰建設のような20世型公共事業ではないのです、特に移設予定地である辺野古沖合へ想定外の軟弱地形が発見され、工事費用と期間増大の懸念が確実視されるなか、那覇移転や下地島分散に嘉手納拡張や移転中止等、再検討する機会ではないでしょうか。

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再論普天間移設問題,辺野古移設問う沖縄県民投票明日実施-本当に飛行場施設移設は必要か

2019-02-23 20:01:46 | 国際・政治
■普天間基地に問題があるとは
 普天間飛行場移設予定地の辺野古沖に軟弱地形が発見され90m級のくい打ちが必要となりました、工期も費用も増大します、そして、です。

 沖縄では23日日曜日、普天間飛行場移設の是非を問う住民投票が行われます。翁長知事の遺志を受け継いだ玉城デニー知事、民主党政権時代に普天間の名護市移転を県民に説明した本人だったようにも記憶しますが、普天間移設是非か無回答かを県民投票で決めます。投票結果に法的拘束力はありませんが、改めて県民の意思が明確に示される事となる訳ですね。

 24日実施の沖縄住民投票は、“普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対する賛否についての県民による投票”といい、地方自治法に基づく辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例を根拠とし、辺野古埋め立てへ“賛成”“反対”“どちらでもない”という民意を問う県民投票です。

 海兵隊は沖縄へ必要か、と問われますと必要、としか答えようがありません。自衛隊は沖縄で徹底的に地上戦を展開するならば、中国の軍事脅威へ対抗できるでしょう。しかし、海兵隊は地域安定、日本周辺地域で武力紛争を起こそうとする勢力に最大限のリスクを与える事で戦争を封じ込めている、残念ながら憲法上専守防衛を維持する日本に代替は無理だ。

 在沖米軍、特に海兵隊は台湾有事における緊急介入戦力です。台湾海峡有事の際には普天間のMV-22に名護市恩納村キャンプハンセンの第31海兵遠征軍MEUが搭乗し自国民救出へ即応介入する体制を堅持する。すると中国が台湾海峡を越える事は米軍の巨大な戦力との戦闘を意味する、環太平洋地域の米軍部隊だけで中国海空軍を圧倒できるでしょう。

 抑止力という構図は、つまり中国が台湾へ武力侵攻できぬ理由として、確実に海兵隊との戦闘、米軍と全面衝突は必至、故に中国は侵略を思い留まる、抑止力の構図です。在日米軍に頼らねば日本の安全は守れないのか、と指摘はあるかもしれませんが、在日米軍は日本が戦場にならないよう、圧力をかけている。本土決戦主義の専守防衛日本とは違いわかりにくいかもしれません。

 ただし、普天間を移設する必要があるのかについては一概には言えません。申し訳ないが何度か普天間を実際に見ましても特段危険には思えません。そして、移設費用は2400億円が最低でも要する、そんな費用を掛けるならばイージスアショアでも建てた方が良い。更に県民の安全の為に移設するといわれても反対世論が大きい、ならば無理に移設せずとも。

 キャンプシュワブ沿岸部、奇しくも普天間飛行場移設先に選定された名護市辺野古では滑走路施設埋立予定地に軟弱地形が発見され、90m杭の敷設が必要となったことが判明したばかりであり、当初見積もりの移転工費2400億円を大きく超過する懸念が生じたばかりです。ダムや河口堰建設ではないのですから一旦決定の工事を貫徹する必要へはやや疑問も。

 普天間飛行場について、辺野古移設断念普天間飛行場維持、嘉手納基地統合案、那覇基地統合案、下地島と鹿屋航空基地と岩国航空基地部分移転案、もう少し検討する余地は無い物でしょうか。特に普天間飛行場を京都周辺の基地や空港と比較した場合、埋め立て新設の舞鶴航空基地を除けば、特段住宅地に近すぎるという危険性は感じないのですが、と。

 岐阜基地、早速普天間飛行場とは全く無関係な基地の話題から始まることをお許しください。普天間飛行場は住宅街の真ん中に在る、と言われるところなのですが、当方が新型機の撮影へ年に何度も通う岐阜基地等は文字通り住宅街の真ん中にあります。北陸の小松基地や名古屋空港隣接の小牧基地、大阪のヘリコプター部隊八尾駐屯地等も似た立地という。

 沖縄の基地の現状を見て欲しい、とはよく言われた話なのですが、当方はてっきり、誘導路のすぐ隣までマンションが並ぶような状況を想像していました、誘導路に耕作地があったという読谷飛行場の昔話を勘違いしたのか。こういいますのも、まだブルーインパルスがT-2だった時台に当方が生まれて初めて行った岐阜基地等は誘導路の隣が住宅街です。

 岐阜基地周辺を散策し、城郭見物や名所旧跡に札所巡りを堪能した後に改めて普天間飛行場を見ますと、何しろ米軍基地ですので緑地帯に余裕がありまして、云われる程の街中に浮く飛行場、という印象は無いのですよね。沖縄の基地の現状を、という方はもしかしたらば在沖米軍基地は視ていても、本州の自衛隊基地は余り知らないのではないでしょうか。

 普天間移設問題について、名護市辺野古への埋め立て工事への繰り返される地元の巨費を見ていますと、そもそも普天間飛行場は移設しなければならない程の危険な飛行場なのか考えさせられます。そもそも2003年に当時のラムズフェルド国防長官が、普天間飛行場を世界一危険な飛行場として問題視した事が始まりですが、岐阜と比べればそうは思えません。

 普天間飛行場を俯瞰風景に収める嘉数高台公園、沖縄戦での激戦地嘉数から見下ろす飛行場施設は、確かに大平原の小さな基地とは言えません、ただ、この規模の飛行場の立地は本土では珍しくは無い。すると問題は新型機MV-22か、と問われますと、岐阜基地や小牧基地では新型国産機が飛行できるか失敗かの初飛行を最初に飛ぶ飛行場であったりします。

 問題は夜間訓練の騒音か、と問われますと、それは訓練移転を今後日本全体で考えてゆく必要がある、例えば岐阜基地も週に何度か夜間飛行訓練を行う点についてHPでの広報があります、基地移転ではなく訓練移転で、例えば土用日曜日の他に飛ばない確実な曜日を日米で検討する、その為の訓練代替地として補助飛行場を建築する、建設的な議論が必要です。

 普天間飛行場は安全な荒野のマリーン飛行隊、というつもりはありませんが、過度に危険とも言えない。しかし県民の意志に辺野古移設は埋め立て反対だが、普天間飛行場の海兵航空部隊は移駐してほしい、民意があるのであれば、しかし決定は決定、と強行するのではなく、特に移設先である辺野古沖の軟弱地形問題もあります。例えば嘉手納統合案等、余地は無いのでしょうか。

 嘉手納基地統合案は2005年に日米合意へ至った在日米軍再編日米交渉において提示されたとされる試案の一つです。ただ、この嘉手納統合案は日米合意の翌年に当る2006年に日本側へ返還された読谷補助飛行場か、嘉手納基地北部住宅地区飛行場地区転用、つまり北部住宅地区そのものを何処かへ新設しなければ成り立たない計画であり、今日的には難しい。

 読谷補助飛行場は1943年に陸軍北飛行場として創設されました。これは南方への航空部隊展開経由地と共に沖縄本島防備強化を期して緊急に土地を収用し突貫工事で造成された歴史があります。沖縄戦では初期に航空部隊を喪失し、米軍着上陸後には米軍が占領、読谷飛行場となります。そして戦後に嘉手納基地補助飛行場として2006年まで維持されました。

 読谷補助飛行場は2000m滑走路と1500mエプロン地区を有する飛行場です。2000m滑走路では第二次世界大戦後、戦闘機等がジェット機化し大型化する最中に充分ではないとの視点から、専ら補助飛行場や落下傘訓練場として転用されましたが、1996年を最後に落下傘訓練は嘉手納基地内と離島である伊江島補助飛行場へ訓練移転された事で転機を迎える。

 2006年に読谷補助飛行場は、当面運用の可能性が無いとして日本側へ返還されました。読谷村を中心に中南部都市地域と北部観光地域を結ぶ重要経済地域として再開発が試みられ、読谷平和の森球場や滑走路跡地を利用した直線道路等が観光地化されています。ただ、当初案のような高層ホテル群再開発事業や、大規模リゾート施設等は建設されていません。

 読谷補助飛行場を再接収する事が出来れば、嘉手納統合案は必ずしも不可能ではりません。これは読谷補助飛行場を航空基地化するのではなく、嘉手納基地北部に新飛行場を建設し、基地住宅地区等を読谷補助飛行場跡地へ集約する事で可能となるでしょう。ただし、読谷補助飛行場跡は読谷村役場や読谷中学校等も建設、これらの移転は現実的ではありません。

 嘉手納統合案は、読谷補助飛行場が嘉手納基地の補助飛行場であったからこそ実現した提案、といえるのでしょう。米軍にも利点があり、嘉手納基地へ複数の滑走路を併設する事で基地機能の有事における盤石性を高める事が出来ますし、最大の脅威である北朝鮮や中国弾道ミサイル脅威から一カ所の基地施設へミサイル防衛部隊を集約する事が可能です。

 問題点としては、普天間飛行場は有事の際に第1海兵遠征軍や第2海兵遠征軍といった米本土の海兵航空部隊増援の拠点となります。嘉手納基地も有事の際に第5空軍が米本土や環太平洋地域からの増援部隊集結の拠点となります。したがって、嘉手納基地には戦闘機等300機、普天間飛行場には海兵隊機300機が集まり、この集約を嘉手納でも実行可能か。

 読谷補助飛行場、米海兵隊は主力のCH-46中型輸送ヘリコプター後継へMV-22可動翼機を導入した際に総数を減じていますので、嘉手納基地へ集約し収容できる可能性は残ります。しかし、不可能となれば、普天間から名護市辺野古を除く何れか移設する場合、嘉手納へ統合する場合、有事の余裕を考えれば読谷補助飛行場位置づけは変わり得ましょう。

 2010年に普天間飛行場移設撤回を当時の民主党政権が発表した際、嘉手納基地統合案は有力な案、と当初考えられました。しかし、現実は読谷補助飛行場再接収という実行不可能な案を内包していました。ただ、現在の普天間飛行場を普天間補助飛行場へ格下げし、常駐部隊を一部嘉手納基地北部へ滑走路移設する事は、不可能ではないようにも思います。此処からもう少し論点は続くのですが、長くなりましたので此処までで前篇としましょう。

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平成三〇年度二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.02.23-02.24)

2019-02-22 20:06:19 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 先週は行事えびの駐屯地祭が実施されていたとの事で、行事紹介に不充分な部分があり正確な情報を提示できず申し訳ありませんでした。ただ、今週末は行事は無いもよう。

 今週末の自衛隊行事はありません、そんな週末にはゆっくりと連続テレビ小説の録画を視聴、大河ドラマ化しつつある上質な歴史番組とチキンラーメンのドラマとなっていますが、そうした過ごし方もあるでしょうが、一つ名所旧跡の中でも実戦に曝された戦跡めぐり等を愉しまれては如何でしょうか。もちろん建物が残っていない場所も含めて、です。

 戦術の基本は、軍事技術と共に大きく変容を遂げ続けていますが、その基本については不変の部分があります。もちろん、自衛隊行事を撮影するだけで有れば、其処まで戦術や運用を理解する必要はないのですが、例えば装備品の方向性や模擬戦闘で些末ながら最大限再現される展開の様相を、戦術から導き出す事が出来まして、しかも、観光として王道だ。

 京都ですと鳥羽街道でしょうか、鳥羽街道は幕末激動の歴史を感じる事が出来る観光名所で、王道と云えば滋賀県の賤ヶ岳、大阪へ向かう天王山と岐阜県の関ヶ原というところですが、恐らく日本全国、郷土史で探れば徒歩圏内に何か興味深いものがあります。王道は先行研究が、細部は新たな発見があります。歩みと共に経験と見識も深められますし、ね。

 さて撮影の話題を。自衛隊関連行事を撮影する際に、意外と多いのは待ち時間というもの。待ち時間をどのように過ごすかで一日というものが決まります。当方としてはPOMERAでこんな本文のような文章を作成する、ということもありますが、やはり定番は文庫本でしょうか。時間を過ごすには文庫本が一冊ありますとあっというま30分45分は過ぎる、という印象です。

 自衛隊行事と文庫本、栞代わりに電車の無効印付きの切符を挟んでおきますと、後年にこの小説を読破したのはいつ頃だったか、という備忘録のようにも成りますし、逆に行事そのものの当時の所感を思い出す記憶の呼び水ともなってくれる。しかし、文庫本には難点が。それは紙で出来ている、ということ。雨滴に濡れるとどうしても書籍弱いのですよね。

 文庫本は雨天ですと野外では当然読書などは致しませんが、意外とカメラバックの片隅が漏水で表紙などが湿ってしまう、なんてことは、実はあります。背表紙が滲んでしまいますと、書架に並べた際にもがっかりというもので、ジップロックなどで防水したつもりでも、読みかけの一冊が被害、時間をどう過ごすかは、まだまだ考える点が多いのですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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小松製作所防衛産業撤退,装甲車開発一連不合理防衛省方針へ防衛装備新規開発事業参画を拒否

2019-02-21 20:19:37 | 国際・政治
■コマツ撤退,大影響と当然結果
 小松製作所、我が国最大の装甲車メーカーですが、仕様外要求や調達中断という相次ぐ防衛省の不合理な施策を前に防衛産業からの撤退方針を示しました。

 読売新聞の本日2月21日付報道によれば、防衛産業大手の建機メーカーコマツが、自衛隊車両の新規開発事業を今後は行わない意向を防衛省に伝えていた、とのことです。報道によればその理由として、開発コストに見合う利益が見込めず、開発製造態勢の維持が難しくなった、という。国の国内防衛産業との無理な関係が遂に破綻した、という事でしょう。

 コマツの装甲車が無ければ陸上自衛隊の防衛は成り立ちません、こういいますのも冷戦時代の敵が来るならば北海道という時代から、中国北朝鮮へ脅威が多様化し九州や北陸と北海道へ脅威の多様化に併せ、陸上自衛隊装甲車は不整地での機動性に優れた89式装甲戦闘車や73式装甲車、キャタピラー式ともいわれる装軌式から、装輪式へ転換している為です。

 96式装輪装甲車や軽装甲機動車は装輪式で、これが小松製作所により生産されているのです。装輪式の利点は道路を高速移動できる点です、勿論防衛用車両ですので頑丈なタイヤ式ですが泥濘に砂泥と海浜では装軌式程自由には動けません、しかし、高速道路を高速走行できますので、北海道から九州へ、九州から東北へ、短時間で展開する事が可能という。

 軽偵察車、防衛省は小松製作所へ新たに偵察部隊へ配備する小型装甲車の開発を打診したといわれています。これは軽装甲機動車に無人砲塔を搭載した小型車両で87式偵察警戒車の後継とする構想でした。しかし、軽装甲機動車へ砲塔を搭載する事は重心を悪化させ転覆の懸念が生じますし、前任の87式偵察警戒車は90両量産で終了、採算性が合いません。

 しかし、小松製作所が現在陸上自衛隊へ納入した車両は、現役車輌だけで軽装甲機動車、96式装輪装甲車、82式指揮通信車、化学防護車、87式偵察警戒車、NBC偵察車、多岐に登ります。この中でも82式指揮通信車と87式偵察警戒車は制式化から30年以上が経っており後継車両が必要な時機となっています。96式装輪装甲車もまだまだ数が必要という。

 即応機動連隊、2018年4月に第15即応機動連隊と第42即応機動連隊が改編創設されましたが、2019年4月にも東北南部と北海道道南に即応機動連隊が改編創設されます、これは機動戦闘車部隊と装輪装甲車を大量配備し機動力を高めた防衛大綱における統合機動防衛力と多次元機動防衛力の骨幹ですが、この為に96式装輪装甲車はもっともっと必要です。

 将来装甲車としましてコマツは96式装輪装甲車後継車両開発を受注しましたが、無理な要求仕様に応えた結果、重心が高過ぎ、防御力の将来発展性が低く、不採用となりました。無理な要求仕様とは道路運送車両法に基づく2.5mという普通自動車と同様に起動する為に細身車体が求められたのですが、同時に耐地雷防御力から最低地上高も高く求められた。

 96式装輪装甲車は車幅が2.48mに収まっており、あれ以上の防御力を求めるならば特殊大型車両とし車幅に余裕を持たせるべきでした。三菱重工などは技術提案書に過大な車幅を盛り込み、結果書類選考落ちとなっています。コマツは仕様に応える無理な設計を行ったのですが、装備実験隊での試験で仕様を満たしていても装甲車として不適格、となります。

 防衛省は開発費の返還を求めます、防衛省としては開発失敗したのだから返せ、となるところでしょうが、コマツとしては仕様書を全て満たしており仕様書外の理由から受け取り拒否、となっては、単なる国による下請け虐め以外何物でもありません。ですから、今回のコマツ防衛産業部門撤退、英断と云いますか、よく昨年中に突き放さなかったなあ、と。

 即応機動連隊には、しかし現に96式装輪装甲車が配備されているのですから、毎年50両程度を継続発注し続けるべきでした、実際このままでは装甲車部隊に装甲車が無いという定数割れとなりますが、現実では防衛省はミサイル防衛等の他の予算に重点を置いた為、装甲車の調達数は伸び悩み、十両十数輌という調達が続きます。これでは採算性合わない。

 装甲車は今後、防衛省は海外製装甲車を導入するのか、三菱重工へ発注するのか、装甲車に全く経験はないが自衛隊へトラックを納入している日野自動車やトヨタへ発注するのでしょう。代わりはある、という軽い認識なのかもしれませんが、恐らく五年以内に国はコマツへ泣きつく事になるのではないでしょうか。先ず海外製装甲車は費用面で非常に高い。

 ピラーニャやボクサー、国産車両に拘らずともスイス製やドイツ製の装甲車がある、と思われるでしょうが、ピラーニャは250両程大量発注した場合でも単価で300万ドル、ボクサーは1100万ユーロほど。自衛隊の装備は高い、と言われた事もありましたが、それは欧州が東西冷戦時代に二千三千と量産した時代、現代では寧ろ国産車両は安価な部類に入る。

 海外製装甲車は自衛隊の規格に合いません、何種類も車種ごとにエンジンや変速機に駆動系から違うものとなる上に、現在世界で生産される装甲車で車幅が2.5m以下の物は現金輸送車のような耐爆車両ばかりで、押しなべて大型の物ばかりです。全部統一系統に纏める事が出来れば御の字ですが、予算が無い為に少数長期調達になる自衛隊にそれは無理です。

 トヨタや日野、世界のトヨタに期待したいところですが、自衛隊は経験のない企業に発注し痛い目を見た例がある、それはRF-15偵察機開発の失敗です。RF-15は初期型のF-15戦闘機を老朽化するRF-4偵察機の後継とする構想を立てまして、RF-4センサーの開発に経験のある三菱電機と、経験はないが安価に応札した東芝と検討し、東芝に発注しました。

 RF-15のセンサーは東芝の技術の粋を集めたもので、水平飛行の際には旧式のRF-4とは比較にならない性能を有したといわれるのですが、戦術偵察機は偵察への妨害へ対空ミサイルや敵戦闘機の攻撃から機動飛行で回避します、すると急激な高度変化の温度変化でセンサーが白濁し、しかも横G等重力変化により機能不随となる不具合が連続してしまいます。

 RF-4の運用に熟知し、しかもRF-4の操縦要員を多く祭御擁している三菱電機に対して、東芝は仕様書に盛り込まれていた性能のみから判断し、技術的に可能と入札したのでしょう。しかし戦術偵察機としては使い物にならず、防衛省は開発費の返還を求め、東芝は仕様書は満たしているとして裁判になりました。コマツも含め毎回の流れ、という印象が。

 三菱におんぶ抱っこか、と思われるかもしれませんが、防衛省は87式自走高射機関砲と150両から48両へ、89式装甲戦闘車を300両から68両へ、90式戦車も最大900両程度の量産計画が330両へ、端数は再確認せねばなりませんが、多数調達を約束し反故にし続けてきました。三菱だけは仏の顔、ではありますが防衛省は同じことをほぼすべての企業へ。

 富士重工等は62機を取得するとしたAH-64D戦闘ヘリコプターの調達を一方的に13機で打ち切り、富士重工は62機分の部品を既にアメリカへ発注しており、しかもAH-64D製造ライン整備費用の不足分支払いを求めましたが、全国に配備する計画はあるが62機取得との確約は行っていないとして裁判となり、結果国が負ける事となりました。これが続く。

 欧州では、例えばドイツ空軍が導入予定であったユーロファイタータイフーン戦闘機の調達を下方修正したところ、機体取得費用の六割分の費用を違約金として支払う事となりました。正直なところ、政府が国内防衛産業に甘え過ぎた構図が、遂にコマツから三行半を突き付けられた構図です。国は厳正に受け止めねばなりません、だからこそ安い防衛費で防衛が成り立つのですから。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】鹿王院(旧宝幢禅寺),高雄愛宕峰望む義満公所縁寺院と雪舞う京に嵐電の響き

2019-02-20 20:02:15 | 写真
■覚雄山大福田宝幢禅寺鹿王院
 京都と一言でいうものですがなにしろ洛中洛外の風情と長い歴史故に少し歩けば風景は変わります、これが散策の醍醐味ですが、そして風景とともに天気も移ろう。

 雪舞う京都、とは詩的な響きですが、傘持っていない時の雪は中々に難儀します。思い立ったら鹿王院、というのではなく所用在った際の雪に見舞われた今日の寄り道、という振る舞いにて拝観したのですが、鹿王院、実に深い歴史と趣き深いひとときとなりました。

 鹿王院、右京区嵯峨北堀町に所在する塔頭寺院です。嵐電の釣掛車に揺られて嵐山へ向かうところで鹿王院駅という駅がありまして名前だけは良く聞くのですが。嵐電鹿王院駅、此処から鹿王院は敷地が隣接しているのですが山門は南へ数分程隔てた立地にあります。

 覚雄山大福田宝幢禅寺鹿王院、この鹿王院は宝幢禅寺の塔頭寺院として造営されました。覚雄山と山門には大書されていまして、その借景に愛宕と高雄の峰々が。静寂と佇む鹿王院は足利将軍足利義満が開基となり春屋妙葩を開山へ造営された歴史を有する長大なもの。

 庫裏から庭園へ。前庭から進むと拝観謝絶の寺院の方が実は遥かに多いのですが鹿王院、一見山門の格子が刹那立ち入りを考えさせるのですが、庭師の方が拝観できますよと誘われ、庫裏に至る。成程静かな中に時折電車の響き。拝観は木鐘衝いて呼び鈴替わりという。

 京都嵐山といえば名所旧跡が集まるところ、此処鹿王院も実は嵐山まで徒歩十分ほどの立地に在ります。しかし、当方実はここを天龍寺の塔頭寺院と思っていまして、今回改めて宝幢禅寺鹿王院、宝幢禅寺の塔頭寺院である事を知る構図、まだまだ知らない事ばかりだ。

 愛宕と高雄の峰々に愛宕権現を遥拝するこの地へ鹿王院の建立は康暦元年の1379年まで遡る事が出来、はじまりは足利義満の夢枕に釈迦如来が立ち、大病の病魔が忍ぶ故に寿命は幾ばくも無い、しかし一伽藍を建立し行いを改めれば延命できるとのお告げを受けたゆえ。

 衣笠の峰は鹿王院から東方へ望みますが、金閣寺の建立で知られる足利義満は多くの寺院を造営していまして、この鹿王院を含む興聖禅寺宝幢寺もその一つという。前庭を経て式台に庫裏と至りますと、気付かされるのは嵐電の響きのみ、実に拝観者が少ないのですね。

 開山堂と尊称する本堂は延宝年間の1676年建立、桟瓦葺きの屋根に方三間幸三という正面側面とも柱間が三単位の寄棟造となっていまして、本尊釈迦如来坐像を奉じています。そしてここが開山春屋妙葩の塔所、春屋妙葩像と足利義満像に虎岑和尚像を安置しています。

 枯山水の庭園は開山当初の物ではなく江戸時代中期のものという。嵐山の喧騒はしかし鹿王院まで僅か数分を隔てて届かず、静寂は万金の至宝というべきでしょうか。陽射しがあればほの温かい冬日和庭園思案、と時間を過ごしたかったのですが寒さもあり中々厳しい。

 客殿には白洲と枯山水が美しく静かに広がり、舎利殿が佇みます。ここ客殿は鹿王院と大書した足利義満筆の扁額が掲げられ、少し雪の混じる風景にある種の温かみを添えています。そして枯山水の奥は舎利殿へ回廊が恰も回遊式庭園の外縁が如く延びているのですね。

 宝幢禅寺の塔頭寺院という鹿王院、しかし残念ながら宝幢禅寺は現存していません。いや実は宝幢禅寺という名は洛中にも残るのですが全く由来を異にする寺院であり、足利義満造営の宝幢禅寺は1379年の建立から百年を経ずして、応仁の乱の兵火に崩れてしまいます。

 京都十刹として至徳年間の1386年には臨済宗寺格では高い位置づけとなっていました宝幢禅寺ですが、応仁の乱を経て廃寺に。総門だけは南北朝時代の造営であると、その本瓦葺切妻造から考えられているのですが、本堂は延宝年間の1676年に造営されているという。

 徳川四天王酒井忠次、江戸時代に鹿王院が大きく広げられた背景には1596年に京都桜井屋敷にてこの世を去った徳川家康腹心の遺功があったといい、その子酒井忠知により本堂は再建、舎利殿は江戸中期宝暦年間の1763年に造営されています。舎利殿については特に。

 駄都殿とも称される宝形造の舎利殿は、庭園と共に内部が公開されています。舎利殿には仏舎利を奉じた多宝塔が安置されていまして、重要文化財に指定されています絹本著色夢窓国師像や絹本著色釈迦三尊及三十祖像、夢窓疎石墨蹟も撮影禁止ながら、拝観ができる。

 鹿王院庭園は京都市指定名勝となっていますが、この日の拝観者は当方一行のみ、嵐山の天龍寺も指呼の距離にありますが、観光地の喧騒に疲れた際には清涼剤の如く塔頭寺院の拝観は如何でしょう。寒くはあったのですけれども、静かに歴史と語らう事が出来ました。

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新哨戒艦はどんなフネ?新中期防考察記【5】水上打撃力特化はやぶさ型ミサイル艇の後継

2019-02-19 20:10:54 | 先端軍事テクノロジー
■新哨戒艦のプレゼンス
 南西諸島警戒監視と北海道青森県沖に大挙出現のロシア艦、そしてここ数か月は韓国海軍が日本の排他的経済水域での不審な行動を続ける中、哨戒艦の任務はなにか。

 将来型三胴船が哨戒艦の正体ではないか、地方隊へ配備され現在のミサイル艇はやぶさ型の補完乃至後継艦として充てられるのではないか、こうした視点を示しました。ミサイル艇が初めて戦果を挙げたのは1967年のイスラエルのエイラート事件、それ以降ミサイル艇への対策が起きく進み、従来のミサイル艇一本の運用は能力に限界が生じている為です。

 SSM-1の長射程を活かせない、としましたが、将来型三胴船がヘリコプターを運用し直接後継の任務に充てる、という想定もあり得ますし、有事の際に必要であれば、はやぶさ型ミサイル艇のSSM-1射程を最大限に発揮できるよう、哨戒艦の哨戒ヘリコプターとミサイル艇が連携し、索敵情報を付与する、という折衷案的な運用もあり得るかもしれません。

 エイラート事件は1967年7月11日、シナイ半島沖を警戒中のイスラエル海軍駆逐艦エイラートがエジプト海軍運用のソ連製コマール型ミサイル艇2隻よりミサイル攻撃を受け、回避できず撃沈されたもので、駆逐艦が魚雷艇規模のミサイル艇に一方的に撃沈され、世界に衝撃を与えたもの。ミサイル艇の威力が注目されると共に、対策も着手されています。

 ミサイル艇は防空用の装備が限られ、艦砲と、精々が携帯地対空ミサイル程度のみ。射程8kmのヘルファイアミサイルでもミサイル艇よりも小さな戦車を正確に射撃する性能を有していますので、ミサイル艇は逃げられません。SH-60Kの他、自衛隊が導入予定のMQ-8にもヘルファイアミサイルの運用能力があります。この為、ミサイル艇は大型化している。

 ミサイル艇運用の先進国フィンランドやスウェーデンではこの限界を活かした運用を行う。フィヨルドの深い海岸線の奥にミサイル艇を展開させ、沿岸部に展開させた地対空ミサイル部隊と協同させ、プレゼンスの発揮、航空攻撃を受けた際には素早く友軍沿岸ミサイル部隊防空網へ逃げ込む運用を採るのですね。冷戦時代は沿岸砲兵と一体運用していました。

 はやぶさ型ミサイル艇、シースパローミサイルとCIWS近接防空火器を搭載し、哨戒ヘリコプターでも搭載したならば、ヘリコプター程度の航空攻撃を撃退できますし、SSM-1艦対艦ミサイルの長い射程も充分活かせたでしょう。しかし確実にいえるのは、満載排水量240tの船体には絶対搭載できません、それではミサイル艇ではなく護衛艦となってしまう。

 はつゆき型護衛艦ほどではなくとも、満載排水量2900tあぶくま型にもこれほどは搭載できていません。しかし、新技術の将来三胴船ならば、実現の可能性はあるのです。しかし、将来三胴船以外にも、例えば従来型船型を用いた哨戒艦のような装備が想定されている可能性はあります。実際問題、将来三胴船については技術開発の程度が判然としませんから。

 フロレアル級フリゲイト、フランス海軍が運用するフリゲイトで、フランス太平洋艦隊にも配備されている小型フリゲイト、親善訪問などで日本にもよく寄港する水上戦闘艦なのですが、哨戒艦は防衛装備庁が進める将来三胴船というような先進的なものではなく、護衛艦隊配備の護衛艦よりも装備を限定させた水上戦闘艦となる可能性もあるでしょう。

 フロレアル級、フランス太平洋艦隊へも配備の小型フリゲイトでデスティエンヌ-ドルヴ級通報艦の拡大改良型です。フロレアル級は満載排水量で2900t、あぶくま型と同規模で任務は哨戒と過大目標に対しては情報収集、そして最大任務はその存在を通じてのプレゼンスの発揮です。哨戒艦の船型についてはここまで様々な可能性を示しましたが、確かな事はその任務で、プレゼンスの発揮により増大する周辺海域での海軍力増大への対応という点です。

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