北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

平成二十九年度七月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.07.01/07.02)

2017-06-30 20:01:20 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 梅雨らしい季節に安堵しつつ憂鬱な湿気と冷房の寒暖差の中、皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の自衛隊関連行事です。

 上富良野駐屯地、第2師団の第2戦車連隊及び第2対舟艇対戦車中隊、第1特科団の第4特科群及び第3地対艦ミサイル連隊、第3施設団第14施設群が駐屯しています。上富良野は道内でも屈指の厳寒地として知られ、第2師団の精鋭第2戦車連隊が駐屯し、道北防衛に機動打撃力を付与する部隊です。今年度まで、74式戦車、90式戦車、10式戦車が揃う。

 上富良野駐屯地は本年大きな改編の波が押し寄せています。火力効率化へ廃止改編として203mm自走榴弾砲を装備した第4特科群第120特科大隊が大隊旗を返納し58年の歴史に幕を閉じました。しかし、新たに第14施設群が新編され、北部方面施設隊より拡大改編し再編の第3施設団隷下に入りました。駐屯地創設62周年は大きな改編の一歩でもあります。

 倶知安駐屯地、北部方面対舟艇対戦車隊、北部方面情報隊北部方面移動監視隊、第3施設団第13施設群第361施設中隊、北部方面混成団第1陸曹教育隊上級陸曹教育中隊、等が駐屯しています。元々第29普通科連隊が駐屯していましたが、廃止に伴い様々な部隊が駐屯しています。近傍にニセコ演習場があり、まあ、軍事ライトノベルで有名な場所ですね。

 稚内分屯基地第18警戒隊開庁記念行事、航空自衛隊のレーダーサイトです。陸海空が中損し、稚内分屯地、第301沿岸監視隊が駐屯。宗谷海峡に面し、本部班と情報班に通信器材班及び礼文派遣隊より成り、対岸のロシア動向を警戒しています。大湊地方隊稚内基地分遣隊と情報本部電波部東千歳通信所稚内分遣班も駐屯し、国境の先を監視し有事に備える。

 さて撮影の話題、豪雨下の撮影、風さえ吹かなければ防滴器材でかなり確実に撮影を続行できます。雨は上から降るものですから上からカメラに防滴器材を被せてしまえばよいのですからね。しかし、風が吹き、それも突風ですと難易度が高まります、それは何よりもレンズに雨滴が張り付き被写体を認識できなくなるためです。撮影するにはこれを防がなければなりません。

 二段重ねの防滴器材使用、実際のところ突風が吹く状況で自衛隊行事を撮影するには、二種類の防滴器材を使用するほかありません。簡易防滴器材と大型防滴器材ですね。簡易防滴器材はシャワーキャップ型ビニールの防滴器材で最小限多少の雨天ならばカメラ本体を防滴できますが、突風が吹く状況ではカメラ本体を覆う防滴器材が必要となってきます。

 簡易防滴器材はこの状況で、レンズ部分を覆う用途に適しています。時機を見極めて撮影の瞬間のみ、素早く片手で取り去り撮影し、撮った後はまた被せ一瞬で雨滴の付着を最小限とする。経験上望遠ズームレンズを用いた方が雨滴は目立ちにくく、複合的に本体カバーとレンズ先端の簡易カバーを重ねる事で、かなりの悪天候でも撮影を継続可能でした。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・7月2日:上富良野駐屯地創立62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/unit/butai/kamifu_station/index.html
・7月2日:倶知安駐屯地創立62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/jgsdf-post/images/kucyan/
・7月2日:稚内分屯基地開庁62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/unit/butai/bunton/bunton.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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オランダ軍“スレブレニツァの虐殺”阻止失敗は有罪,PKO任務失敗にオランダ控訴裁判所判決

2017-06-29 23:54:12 | 国際・政治
■PKO任務失敗への厳しい判決
 我が国では、PKOへの重装備展開は悪い視点で解釈されますが、オランダでは今週、軽装備で展開した事による厳しい結果に裁判所が判決を下しました。PKOの現実の難しさを垣間見る一例として、今回はこの事例を見てみましょう。

 ボスニア紛争において1995年に発生した民族浄化事件“スレブレニツァの虐殺”、PKO部隊が虐殺を阻止できなかったことは、PKO部隊を派遣した政府にも責任がある、オランダにおいて非常に注目される裁判判決が下されました。軽装備のPKO部隊が先頭を避ける為に転進し、結果生じた重大な結果はPKO部隊を派遣した国にも責任がある、というもの。

 南スーダンへ自衛隊を派遣し、派遣完了撤収までに最大の課題となっていたのは、ボスニア紛争やルワンダ内戦に際して発生したような民族浄化事案に直面する場合でした。駆けつけ警護任務や宿営地共同防護任務という、日本の国論を二分した、安全保障関連法制制定の背景には、こうした状況に際し現場に責任と判断を押し付けないようするものでした。

 しかし、軽装備で展開しなければならないという我が国PKOの実情を見ますと、敢えて軽装備で展開し、任務達成に失敗したオランダが、事案圧政から実に22年を経て訴追されたという実情には、PKOというものへの難しさと同時に、人道という命題が割に合わない、との印象を受けなくもありません。何故ならば仕方なかった部分が多いのです、以下の通り。

 スレブレニツァの虐殺とは。1995年に発生した民族浄化事案で、多民族国家ユーゴスラビアが冷戦後に経験した内戦に際し、当時のセルビア人勢力がセルビア人居留地の地域統合を図り前進した事でイスラム系居留地がセルビア人勢力地に圧迫包囲され、正規軍であるボスニアヘルツェゴビナ共和国軍が確保していたジェパとスレブレニツァに避難しました。

 国連はジェパとスレブレニツァへ国連防護軍UNPROFORを派遣すると共に国連指定安全地域として指定します。セルビア人勢力はユーゴスラビア分裂伴い新編されたスルプスカ共和国軍、そして民兵準軍事組織スコーピオンを主体とし、T-72戦車ウクライナ仕様のM-84戦車170両、T-55戦車やM-36駆逐戦車300両等、一定の機甲戦力を有しています。

 保護管轄権、という概念が成立したのはこのスレブレニツァの虐殺が一つの契機であり、国境を越えた義務というものがある、という認識です。この場合には、必要であれば戦車を含めた重装備のPKOへの派遣も必要であり、しかし、軽装備で任務遂行できるか如何については派遣国が判断、そして国連ではなく派遣国が責任を負う、という解釈が基本です。

 日本がカンボジアへPKO部隊を派遣して後に発生した事案、自衛隊は基本的に軽装備で派遣されます。ルワンダ難民支援等で自衛隊を派遣した際には指揮通信車に軽機関銃を搭載するか否かが国会で延々と議論されましたが、民族浄化そのものは悲劇である一方、まさか軽装備の部隊が十倍もの重装備の部隊に包囲されては、実際、どうにもなりません。

 国連防護軍UNPROFORはジェパとスレブレニツァにに400名を派遣しますが、基本的に軽装備で唯一頑丈な車両はM-113装甲車改良型のYPR-765で重機関銃のみ搭載する車両、このほかは非装甲の車両でした。UNPROFORはオランダ部隊の増援を企図しますが、上掲の通りセルビア人勢力地に圧迫包囲され、増派はもちろん、補給さえままなりません。

 フランス軍はボスニア紛争においてブコバル郡の橋梁地域など国連部隊の後方連絡線に繋がる要衝を派遣指定地域として展開しました。セルビア系武装勢力のPKO部隊攻撃に対し、90mm砲を搭載したERC-90空挺機動砲を派遣、VAB軽装甲車に120mm重迫撃砲を牽引、VBL軽装甲車等を駆使し防衛線を死守、戦死者を出しつつもよく防衛線を維持しました。

 イギリス軍は30mm機関砲を備えたウォリアー装甲戦闘車を中心に機械化歩兵部隊を派遣すると共に、UNPROFORでは任務遂行は不可能であるとして、NATO派遣を主導、独断でユーゴスラビアに程近い地中海キプロス島のイギリス空軍基地へトーネード攻撃機を派遣します。オランダ軍は本国にはレオパルド2主力戦車等1000両を有しますが孤立します。

 虐殺はスルプスカ共和国軍2000名が攻勢に転じ、戦車を戦闘に国連PKO部隊宿営地へ前進します。M-84戦車が出されてはオランダのYPR-765では対抗できません。結果は重大で、オランダ軍200名は避難したスルプスカ共和国軍の要求、撤退とイスラム系住民の引き渡しに対し、イスラム系住民の女性と子供の保護が限界、成人男子等は保護できません。

 スレブレニツァの虐殺は、この直後始まり、一ヶ月間で8000名のイスラム教徒が殺害されました。今回、オランダ控訴裁判所判決では、成人男子等は保護出来ず、この時に引き渡さざるを得なかった350名のイスラム系住民、直後に虐殺された、この引き渡しについて、裁判官は“オランダ国家は不法な行動を取った”とし、オランダ軍の責任を認めました。

 レオパルド2戦車を展開させていれば阻止できたのでしょうが、PKOは軽装備でした。厳しい判決、と言わざるを得ません。軽装備で展開したオランダPKO部隊がボスニア紛争において民族浄化を阻止できなかったとして有罪判決です。軽装備のPKO部隊を派遣した国連が裁かれるのではなく、PKO部隊として兵員を派遣したオランダ軍が訴追されたのです。

 オランダ軍は冷戦時代に徴兵新兵が長髪を許されたり、将校への敬礼が免除されていたり、ソフトドラックに限りマリファナなどの服用が許されているなど自由闊達な軍隊としてNATOでは悪名を轟かせていましたが、1996年から志願制に移行すると同時にこれら軍隊としての悪弊は禁じられています。この変革の一端がボスニア派遣の悲劇なのですが、ね。

 しかし22年前の事案、しかもPKO部隊の任務失敗を敢えて訴追し有罪とは、驚かされました。生存者がオランダ政府の不手際を糾弾したものなのですが、この問題、日本も軽装備にて様々な地域へ派遣される以上、他人事とは言い切れず、特に人道介入の在り方について、国際平和維持活動の手法を用いる以上は、無理な介入とならないよう、PKO部隊派遣の大本となる国連安全保障理事会の視点から、現場に無理が押し付けられない方策を構築する努力が、日本にとり必要と云えるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま
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【京都幕間旅情】大将軍神社,夏越祓の茅之輪潜り神事供える東方王城鎮護の東三条大将軍神社

2017-06-28 20:20:03 | 写真
■東三条の大将軍神社,夏の探訪
 京都は季節を想わせる神事が其処此処で常在し、成程、忙中でもふと気付けば移ろいゆく季節をふと葉書のように思い出させてくれます。

 そう、夏越祓の茅之輪潜りの季節でしたね。大将軍神社、東方王城鎮護の東三条大将軍神社ともいいまして、平安京王城鎮護として大将軍素戔嗚尊を祀り、重ねて怪異鎮定の関白藤原兼家を祭神として崇め、八坂神社と共に京都の霊的防衛東方の要衝として794年に建立された千二百余年の歴史を誇る神社です。

 京阪特急8000系旧テレビカーが二階建てのダブルデッカー車とともに停車する地下の駅、京阪三条駅から東山三条通りを南へ東山の方へ少し歩みを進めますと京都市の中心部にも意外なほどの大木が聳え立っている事に驚かされます、大将軍神社はこの木とともにある。

 大樹は銀杏で、社伝によればこの銀杏の大樹は樹齢八〇〇年を数えると伝わります。そしてこの大樹のあたりには創建当時に鵺の森と呼ばれ、鵺塚は岡崎公園始め京都に数多く残ります。大将軍神社には関白藤原兼家の鵺退治伝説とも重ね、王城鎮護を願っています。

 藤原兼家、藤原兼家邸東三条院跡に位置する神社でもあり、遺構はありませんが、摂関政治の始祖である藤原兼家、藤原氏の世襲と平安朝の安定に資した藤原道長の実父にあたる藤原兼家、その邸宅の跡地がこの神社とされますが藤原兼家には鵺退治の伝説もあります。

 大茅の輪潜り神事、京阪三条駅からふと気づき珈琲休みと兼ねまして京の径散策として歩みをという気軽な散策の途上でしたが、大将軍神社にて、まさに大茅の輪潜り神事への準備が進められている情景に出会いました。参拝と共に境内はそれ程大きくは無いのですが、神事の段取りを進める様子は何か初々しい。

 西賀茂に大将軍神社、上京区西町に大将軍八神社、京都の四方には大将軍神社が祀られています。大将軍とは魔王天王大鬼神ともいい、軍事を司る星神であるとともに陰陽道では方位を祀る神とされていまして、四方に大将軍を祀る事で平安遷都に際し守護としました。

 東三条大将軍神社とは平安京東へ三条口という要地に位置し、洛中に近い位置に置かれた重要な神殿という位置づけでした。ただ、東三条という立地は応仁の乱最大の激戦地に重なり、京都霊的防衛の願いは儚くも人の戦火という災厄の前に焼失する事となっています。

 応仁の乱での荒廃から、京都は織田信長と豊臣秀吉、徳川家康により復興する事となりましたが、東三条大将軍神社の復興は中々適いませんでした。大将軍神社といえば西かもが夢位という声もありますが、復興の速さ故の印象でしょうか、西賀茂の大将軍神社は1591年造営の上賀茂神社式年遷宮の社殿を継承する等の歴史を有するとは対照的といえましょう。

 江戸時代末期、1829年に東三条大将軍神社は朝議大夫陸奥守千葉正胤によって再興を漸く迎える事となり、現在の社殿は江戸時代末期の建立という比較的新しいものとなっています。ただ、興味深いのは創建当時の社殿は八坂神社に隣接していたとの伝承もあるという。

 夏越の祓、無病息災は罪穢の御祓いから、大茅の輪潜り神事とはまさにこの為の暦の行事です。正月から数え六月までに積もる半年間の罪穢を祓う夏越しの大祓、との神事には茅を束ね、大きな輪状としたものを潜り御祓いを行うもので、まずは六月に夏越の祓を行う。

 素盞鳴尊を祀る神社ですが、大茅の輪潜り神事も実は素盞鳴尊と深い所縁があります。それは素戔嗚尊が神話の八岐大蛇を封じ、南海を旅した折、一夜の宿を頼りに蘇民将来と巨旦将来兄弟を訪ねた際、裕福な巨旦将来は断るも貧しい蘇民将来は快く迎え入れた、と。

 蘇民将来の厚意に素盞鳴尊は大いに感謝し、疾病流行る際には茅の輪を鼓さえ腰に携えれば疾病を祓うと言伝、蘇民将来と一族は実際に疾病が流行った際にも健康を保ち、大いに栄えたという神話に由来、その神事が江戸時代初期に大茅の輪潜り神事となったようです。気付けば今年も早半年を経て、不摂生を避け、無病息災を心掛けたいですね。

北大路機関:はるな くらま
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新空母クイーンエリザベス公試開始,F-35B戦闘機が拓くSTOVL空母新時代と我が国DDH

2017-06-27 22:48:12 | 先端軍事テクノロジー
■F-35,STOVL空母新時代到来
 F-35Bを搭載する軽空母、所謂STOVL空母はSu-27戦闘機等を搭載するより大型のCTOL空母へ対抗し得る、という論点を考えていましたら、イギリスから世界初のF-35B用STOVL空母の話題が来ました。

 F-35戦闘機、本日も三菱FACOにて飛行試験が実施されており、日本向け五号機にあたるAX-5の試験は順調に進んでいます。そんな中、イギリスより新空母クイーンエリザベスの公試開始の一報が入りました。クイーンエリザベス級空母一番艦クイーンエリザベスは除籍されたインヴィンシブル級軽空母代替として二隻が建造されるイギリス海軍最新艦です。

 スコットランドのロサイス造船所を出航した新空母クイーンエリザベスは総建造費30億ポンド、邦貨換算4300億円という費用を投じ建造されました。アメリカ海軍のニミッツ級空母と比較し七割程度の大きさですが、アメリカ以外の空母としては世界最大です。当初は2008年頃に就役する計画でしたが、前級に当たるインヴィンシブル級軽空母は満載排水量20900t、後継艦は当初40000t程度を計画していたものの大型化を求める声も強く二転三転、時間を要しました。

 日本は空母を保有していませんが、しかし、海上自衛隊にはDDH,ヘリコプター搭載護衛艦として満載排水量19000tの護衛艦ひゅうが型2隻、満載排水量27000tの護衛艦いずも型2隻が運用されており、実に4隻が運用中です。一隻の大型艦に全て纏めるのではなく、必要な機能を4隻の全通飛行甲板型護衛艦へ分散し、求められる運用に対応する方式を採っている、ともいえるやもしれません。

 クイーンエリザベス、二番艦プリンスオブウェールズ、ともに建造が進み一番艦は本年就役予定、二番艦は2020年に就役し、満載排水量65500t、F-35B戦闘機等艦載機40機を搭載します。クイーンエリザベス級は垂直離着陸型のF-35Bを搭載する為、STOVL空母という一種の軽空母となりますがCTOL空母たるフランスのシャルルドゴールよりも大きい。

 いずも型護衛艦の満載排水量が27000tですので、クイーンエリザベス級の大きさが良く分かりますが興味深いのはこれだけ巨大な空母ながら、通常の戦闘機を運用できるCTOL空母ではなく、垂直離着陸機を運用するSTOVL空母である点です。実はイギリス海軍も一時、CTOL型のF-35Cを導入する方針へクイーンエリザベス級の設計変更を考えていました。

 F-35Bを導入するという計画の下イギリスはF-35開発JSF計画に参画していましたが、F-35Cは戦闘行動半径が開発当時、空軍型のF-35AやSTOVL型のF-35Bよりも大きく、運用柔軟性を考えればCTOL機を運用できる大きさの船体を有しているのだから設計変更すべき、という視点でした。F-35Bは一機一億ポンド、これだけ高価ならば慎重になる。

 イギリスは現在財政難にあります。2007年の欧州金融危機によりイギリスの主要産業であった金融業が壊滅的打撃を受け、特に欧州連合EUに加盟しながら欧州統一通貨ユーロを導入せず、欧州中央銀行金融規制を受けない為に金融取引手数料等を全欧の金融取引所よりも低く設定し欧州全域の金融取引の中枢を担った為、金融危機は痛い打撃となりました。

 財政難下のイギリスでは、国防費が大幅縮小を強いられ、チャレンジャー2主力戦車近代化改修計画中止、ASCOD装甲戦闘車調達計画中止、タイフーン戦闘機近代化改修中止と初期型早期退役、26型フリゲイト建造計画延期、矢継ぎ早に各種装備計画が中止され、基地施設も続々閉鎖、陸軍師団2個集約案が示され、艦隊も水上戦闘艦20隻を維持できないというかなりの削減を行いまして、新空母を維持する負担の大きさが垣間見えます。

 最優先度の計画として財政難下、クイーンエリザベス級建造は継続されました。この背景には、建造契約が既に欧州金融危機の時点で完了、今更建造中止としても違約金の総額が建造費を上回る為に中止できぬ事由もありましたが、二番艦売却案やコマンドー空母案等取沙汰されたのを経て本日、一番艦クイーンエリザベスは公試開始に漕ぎ着けたのですね。

 一方、F-35Bですが、新しい展開を秘めた航空機です。垂直離着陸が可能なF-35Bは、しかし同時に第五世代戦闘機であり、Su-27戦闘機やF-15C戦闘機といった陸上基地から運用される戦闘機を圧倒できる性能を有しています。そして、イギリスは当初、ここまで開発が長引かなければ、F-35Bをインヴィンシブル級軽空母での運用を検討していました。

 アメリカの同盟国や友好国でなければ、F-35は導入できません。そして日本はF-35Aを試験運用中ですが、インヴィンシブル級軽空母と同程度の艦、海上自衛隊の護衛艦ひゅうが型はF-35Bを、飛行甲板へ耐熱材追加等必要でしょうが、運用可能である事を端的に示しています。F-35Bに対抗する空母艦載機といえばSu-27ですが必要な船体甲板長が大きい。

 日本が導入する機体は空軍型F-35Aですので、護衛艦に発着艦する事は出来ません。イギリスは空軍もF-35Bを導入しますが、イギリス空軍にはEF-2000タイフーン戦闘機が多数配備される前提があり、F-35Bはその上で導入される事となった為、日本がF-35Aを導入する事はある種当然の判断なのですが、F-35AとF-35Bの整備共通性は高いとされている。

 専守防衛の日本にこうした運用が必要かは一考の余地がありますが、防衛上空白地域である小笠原諸島への隣国による空母建造を通じた脅威波及、また東南アジアの我が国友好国への隣国空母による軍事恫喝への牽制、専守防衛を国是としていても、専守防衛を記す憲法が禁じた国際紛争に発展しないよう、予防外交の延長線に必要な措置は数多くあります。

 ひゅうが型2隻、いずも型2隻、海上自衛隊の予算と人員規模では仮に同盟国アメリカが運用するニミッツ級航空母艦を導入するには防衛大綱を改訂し増勢せねば成り立たず、一方、一隻導入しても整備補給と重整備のローテーションが組めません。クイーンエリザベス級の規模であっても、相当厳しい。しかし全通飛行甲板型護衛艦ならば四隻に振り分けて整備する事は出来ました。その上で、F-35Aを導入した訳ですので、新しい日本の防衛へどのように活用するか、考えてみる時期が来たのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま
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護衛艦いずも,南シナ海中国の九段線南沙諸島西沙諸島へ展開!東南アジア諸国へ日本決意明示

2017-06-26 22:52:15 | 防衛・安全保障
■護衛艦いずもアジア歴訪
 日本は中国の九段線政策へ如何に対応するか、ヘリコプター搭載護衛艦いずも、日本の外交姿勢の明示てアジア歴訪を展開中です。

 海上自衛隊は第一護衛隊群伍賀祥裕群司令を指揮官とする護衛艦二隻を東南アジア方面へ訓練派遣中です。特筆すべきは海上自衛隊最大の護衛艦いずも、満載排水量27000tの全通飛行甲板型護衛艦を護衛艦さざなみ、とともに派遣した点です。フィリピン親善訪問ではドゥテルテ大統領の表敬訪問を受け、シンガポールでは建国50周年観艦式へ参加しました。

 日本は海洋自由原則提唱のアメリカや豪州と東アジア諸国と同じ立場を堅持していますが、今回の東南アジア方面派遣では各国海軍士官との交流と航海実習を実施、この際に中国が九段線と呼ぶ海域へも部隊を派遣しました。中国が九段線と呼ぶ海域は中国が一方的に管轄権を主張、今回の派遣ではこの付近も航行、航空機接近という状況もあったようです。

 九段線、南沙諸島と西沙諸島に中国が設定した東南アジアの中央に位置する南シナ海全域を中国の了解と排他的経済水域と一方的に主張する拠点は、日本のシーレーンが通ると共に東南アジア地域での経済活動を円滑に維持するために重要な各国のシーレーンが通る海域です。ここを中国に閉鎖されたならば日本は第二次大戦末期と似た状態となりかねない。

 航行の自由作戦としてアメリカ海軍はオバマ政権時代から九段線の内側に当たる南沙諸島と西沙諸島へ海軍艦艇を派遣しています。アメリカ海軍の強力な水上戦闘艦を定期的に派遣する事で中国領有の既成事実化を阻止する目的がありますが、親中政策を掲げるトランプ政権へ交替して以降は中国に配慮し、艦艇航行実施が不活性的なものとなっていました。

 南シナ海で哨戒活動へアジア地域最大の海軍力を有する海上自衛隊にも積極的に参加を期待する、これがアメリカ海軍の従来からの姿勢ですが、我が国は南西諸島東シナ海での哨戒活動で艦艇に余裕がないとして、南シナ海での哨戒計画は無い、としてきました。しかし、今回の護衛艦いずも、さざなみ派遣は日本の意志を示す新しい機会となりましょう。

 我が国が期待するのは、今回の護衛艦いずも、さざなみ派遣と共に東南アジア諸国海軍士官を誘致し共に公開する事で、現在の中国による南シナ海進出強化という現実を前に、南シナ海情勢の認識や国際法の順守の重要性をASEAN各国との間で共有することが考えられます。これは遠く東京で繰り返し主張するのではなく実際に展開しなければ通じません。

 いずも、全通飛行甲板を有する海上自衛隊最大の護衛艦として2015年に就役、本年三月には二番艦かが、が就役しました。艦内には14機の各種ヘリコプターを搭載可能で、アメリカ海軍の様に甲板係留を行えば32機程度搭載可能、甲板はMH-53掃海ヘリコプター運用に対応しており垂直離着陸型F-35B戦闘機を艦上哨戒機として搭載する事も可能でしょう。

 横須賀出港と共に北朝鮮核実験警戒へ日本海に向かうアメリカ海軍原子力空母ロナルドレーガンに対し太平洋上での米艦防護任務、最も北朝鮮軍に太平洋上の米空母を捕捉し攻撃する手段はありませんが、海上自衛隊によるアメリカ海軍艦艇の防衛という任務を実施しました。その上で実際に東南アジア諸国へ派遣、日本が実際に行動する事を示したのです。

 東南アジア諸国の軍事力では中国海軍の恫喝に軍事力で対向する事は残念ながらできません。そして日本やアメリカが海洋自由原則を如何に宣言しようとも、実際に中国の海軍力を目の前で誇示されては恭順する他に選択肢が無い事も確かで、日本は孤立しないよう努力せねば、中国が日本を孤立させる努力に贖う事は出来ず、その努力が今回の派遣です。

 しかし、平時における行動だけでは東南アジア諸国の信頼を勝ち得られるほど甘くはありません。豪州空軍がISILとの戦闘が激化するフィリピンへP-3C哨戒機派遣を決定しました。フィリピン南部ミンダナオでのISILによる占拠は意外なほどに長期化しており、数百人の武装勢力掃討に対しフィリピン軍15万は、決定的な打開策を見いだせていません。

 豪州空軍はP-3Cを派遣する事で苦境に陥るフィリピンへ支援を行いました。ISILは世界で唯一フィリピンでの勢力構築が成功しつつあり、対テロ戦争の新しいホットスポットとなりつつあります。我が国はISILの海上連絡網を、かつてアルカイダへアラビア海にて有志連合が実施したような海上阻止行動を求められる可能性はあり、論点となりましょう。

 シンガポール海軍建軍50周年国際観艦式に参加した最大の艦は海上自衛隊の護衛艦いずも、でした。アメリカ海軍は駆逐艦スタレット、ロシア海軍はミサイル巡洋艦ワリャーグ、タイ海軍は空母チャクリナルエベットを派遣しましたが最大の艦は、いずも、です。派遣部隊はこのままインド洋へ展開し来月実施の米印合同演習マラバール2017へ参加予定です。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】築城基地航空祭二〇一三【8】F-15機動飛行完了航空祭終幕(2013-10-27)

2017-06-25 23:55:52 | 航空自衛隊 装備名鑑
■築城航空祭飛行展示終幕
航空祭、今回で八回にわたり掲載して参りましたが、いよいよ飛行展示も終幕です。

築城基地航空祭ですが、その目玉はF-15戦闘機とF-2戦闘機の大編隊です、F-15戦闘機四機とF-2戦闘機四機の八機編隊が飛行するという事で、二機種のこれだけまとまった編隊飛行は、特にF-15とF-2の編隊となりますと、この築城航空祭でしか撮影できません。

実のところ今の視点から見ますと、現在、築城基地からはF-15飛行隊が転出しまして、その上で三沢基地からF-2飛行隊が転入し、F-2飛行隊二個を基幹とする航空団へ改編されていますので、この時に撮影しましたF-2戦闘機とF-15戦闘機の大編隊は貴重な記録です。

F-2戦闘機を青空を背景に撮影する、実はこの目的だけ成功したならば万々歳だったのですが、天候に恵まれましたお陰でこの写真を撮影できました。このとおり、支援戦闘機としてF-2に関する写真は実際この築城で撮影した飛行展示の迫力の様子のもの写真が多い。

F-2は優れた航空機ですが、実戦部隊は三沢基地と築城基地、訓練部隊は遠く東北の松島基地と評価支援部隊の岐阜基地に配備が限られるものでして、撮影するには若干遠い、実際に単機の機動飛行以外は複数の飛行は富士総合火力演習か観艦式でしか撮影できません。

機動飛行だけ撮影するならば、まあ、岐阜基地航空祭でもかなりのものが撮影することができます、新田原航空祭でも撮影できる迫力ですし、岐阜基地航空祭でもF-2はもともとFS-Xとして岐阜で飛行試験をおこなったものですので撮影できるものもおおいのです。

しかし、実戦部隊、というものの重みは大きいものでして、もちろん語弊は大きいものでしょうけれども、有事の際にはASM-2を四発搭載して実際に中国の両用戦部隊やロシア艦隊攻撃に向かう部隊と、基本的に評価試験を行う部隊とでは何というか、気風が違う。

九州の航空祭といえば、築城基地航空祭、それに特集で掲載しました新田原航空祭、それにいったことはありませんが中々すごいという芦屋航空祭と、海上自衛隊の迫力の鹿屋航空基地祭、というところですが、どの航空祭も個性があるというか、趣が違うのですよね。

行ってよかった航空祭、もちろん天候がよかったからこそ言えるものなのですけれども、数年を経て断言できる航空祭でした。当時はEOS-7DとEOS-50Dを併用いて撮影していて、超望遠はEOS-50Dに特化していた時代ながら、今日的に観て満足できる写真が撮影だ。

F-35の日本国内初飛行を先日撮影できましたが、考えてみればこの築城基地航空祭のF-2機動飛行は、F-2はF-35初飛行の前には日本でもっとも新しい航空機、戦闘機でしたので、これをすばらしい撮影環境で撮影できた、ということは意味が大きかった訳なのですよ。

遠くない将来といいますか次の年度末には、三沢基地において臨時F-35飛行隊が編制完結し、残るF-2飛行隊と共にF-2とF-35の大編隊ならば、三沢基地においてみる事が出来るのかもしれませんが、F-2とF-15編隊、岐阜基地飛行開発実験団でしか現在は見られない。

編隊飛行ですが、航空祭プログラムを視ますとオープニングフライトに続いて実施されるという事でしたので、これは急いで基地に展開しなければなりません、幸いJR九州が臨時特急を大増発し、特急の臨時停車として輸送体制を万全としていますがそれでも急ぎたい。

2013年に築城基地航空祭へ足を運んだ際には、こうした改編が行われるとは考えていなかったのですけれども、基地近くのホテルを確保出来なかったことから朝一番に普通列車と特急電車を乗り継いで航空祭の様子をしっかり撮影できた事は良い思い出ともなりました。

ブルーインパルスも築城基地航空祭へは参加します、観てみますと築城基地第8航空団の参加に加え芦屋基地から第13飛行教育団のT-4練習機が編隊で参加しますし、芦屋救難隊も展示飛行を予定、新田原基地からも記念塗装ファントムが機動飛行へ参加するとのこと。

芦屋レッドとよばれる第13飛行教育団のT-4練習機編隊飛行は、単機ならば他の航空祭参加や岐阜基地小牧基地の平日撮影でも撮れますが編隊は芦屋航空祭以外貴重だ、そして芦屋救難隊のUH-60Jは従来救難機塗装を維持していますので、これも今のうちに撮りたい。

F-2戦闘機の機動飛行も期待したいところです、こういいますのも岐阜基地航空祭にてF-2戦闘機の飛行展示は充分満喫できるのですけれども、岐阜基地のF-2は飛行開発実験団の研究機塗装が大半で、海洋迷彩のF-2戦闘機は全体の極僅かでし、築城ならばみられる。

天気予報を見ますと築城航空祭の当日は秀逸快晴の予報、それで地図を見ますと、概ね築城基地は会場のエプロン地区から滑走路へは終日順光の好立地となっていますから、青空を背景に戦闘機の編隊飛行機動飛行と模擬対地攻撃を好条件で撮影できるのは間違いなし。

曇天でも雨天でも、航空祭を楽しむ方法はいろいろとあるのですが、撮影するのであれば晴れていた方がいいに決まっています。もう少し工夫があれば、航空祭予行から展開して、快晴の予行を撮影し本番の万一に備える、という方法もあるのですが、休めるかが問題だ。

それでは、F-2戦闘機の機動飛行と模擬対地攻撃、F-15の機動飛行、築城基地ならではの飛行展示の予定を視てみますと、なんという事か、ブルーインパルスの飛行展示に続いて、しかも午後に予定されています、これは、一番混雑するプログラム方式ではありませんか。

ブルーインパルスは航空祭の一般的な目玉で、ブルーインパルスの飛行展示が最も航空祭が混雑するのですが、多くの航空祭ではブルーインパルスが飛行展示の有終の美を飾ります、しかし混むので目的のご当地飛行展示を撮影したら、撤収するのが理想的というもの。

一番の目玉はブルーインパルス、という人たちはブルーインパルスの飛行展示に合わせ、例えば午後に基地へ入場したりします、朝一番に夜明けとともに基地へ展開し最前列へ撮影へ向かうというような事は、家族連れの方などはまず、基本的にしないところでしょう。

実際の一番の目玉は航空団のご当地飛行展示だよなあ、と考える方は、優先順位がブルーインパルスの飛行展示に置かないのですけれども、ブルーインパルスの飛行展示を第一目的とする方、しかし、その後に飛行展示があるとしたらば、勿論そちらも見てゆく事でしょう。

結果的にブルーインパルスの飛行展示第一の方はそのまま基地に留まり、ご当地飛行展示第一の方は当然ブルーインパルスの飛行展示有無に関わらず留まる、これは、混みますね。JR九州の臨時特急でもホームの広さは変わらず一斉に帰れば確実に入場制限間違いなし。

築城基地航空祭、混雑の度合い、一応混雑はしているものの、岐阜や入間と比較し、それほどではなく、最前列付近は十分取れました。ここで離発着を撮影した後、一人で展開していますので撮影位置を適宜陣地変換し、地上展示航空機を撮影に行きたいところです。

航空機が続々と着陸するところですが、航空祭も飛行展示が全て終了しましたらば離脱を冠が寝なければなりません、此処で時間をかけて地上展示を撮影していますと、基地を出て山陽新幹線まで転進するのが夜になってしまう、航空祭は引き際の重要となるのですね。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第十五回》謎の多い護衛艦わかば,卓越した洋上航空中枢能力

2017-06-24 20:51:47 | 先端軍事テクノロジー
■先進極めたレーダーと管制能力
 S-2艦載哨戒機やG.98J-11戦闘機に続いて自衛隊において航空母艦導入の可能性を示唆する装備計画,海上での多数同時の航空運用を強く意識した中枢艦が研究されていました。

 護衛艦わかば、海上自衛隊の航空母艦導入計画について考える際にS-2艦上哨戒機と空母艦載機G.98J-11戦闘機と並ぶ、もう一つの奇妙な一致点は、大日本帝国海軍駆逐艦梨として大戦末期に建造され、戦後海中から回収された際に損傷部分が少なく、護衛艦として再就役した後、部隊を転々と転籍した、この数奇な運命をたどった海上自衛隊護衛艦です。

 大戦末期に松型駆逐艦の一隻として、柿、樺、梨、椎、榎、と同時に就役、終戦から二週間前に米空母機動部隊による対艦攻撃を受け沈没、損傷度合いが低かった事から海上自衛隊は護衛艦として再就役させる決定を行い、1955年に浮揚補修が開始、1956年に警備艦わかば、として自衛艦旗を受領、高性能レーダーを搭載しレーダー警備艦DERとなりました。

 レーダー警備艦DERの主要装備は艦砲や機関砲や対潜兵装に魚雷等の護衛艦定番装備ではなく、高出力のアメリカ製SPS-8Bを搭載、艦橋後部は全部CICに充てるというもの。当時の姿は東宝映画“潜水艦イ57降伏せず”にてアメリカ海軍駆逐艦役として登場していますが、艦砲を持たない護衛艦の艦容は試験艦のような一種独特な形状となっています。

 護衛艦わかば、ですが搭載するレーダーは高性能であり、同時に多数の航空機を洋上にて航空管制すると共に航空機からのレーダー情報等を処理し、艦隊航空の能力を最大限発揮させる、という機能を有していました。海上警備隊時代に将来の警備艦として対潜戦闘中枢艦という構想があった事は紹介しましたが、この一つの具現化といえるやもしれません。

 SPS-8B高角測定レーダー、わかば艦上に搭載されたレーダーは大型のもので且つ高性能、その導入と搭載は再就役から4年間を経て1960年に実現しています。高性能レーダーを有する駆逐艦を艦隊前方に展開させるレーダーピケット艦という運用そのものは第二次大戦中にアメリカ海軍が沖縄戦で多用しましたが、わかば搭載機材はもう少し先を見越します。

 レーダー指示器と目標表示装置に多重無線機の配置し、レーダーリレー機能によるレーダー情報の中継能力やレーダーサイトの代替任務、更には画像送受信装置として、P-2V対潜哨戒機を筆頭とする対潜哨戒機や他の航空機および護衛艦のレーダー情報をレーダー画面毎伝送し受信することで情報を包括統制する、極めて進んだ技術が搭載されていました。

 最新鋭装備P-2V対潜哨戒機のレーダー映像をそのまま伝送、艦上のコンピュータ、当時は電子計算機というべきでしょうか、この高い処理能力によりP-2V対潜哨戒機機上では見落としている可能性のある潜水艦徴候を処理することで見逃さず潜水艦を駆逐するという能力は、アメリカ海軍が着手したばかりの技術を早速供与を受け海上自衛隊が導入したもの。

 機上情報処理能力ですが、これは極めて重要です。海上自衛隊はP-2V対潜哨戒機に続き改良型の国産P-2J対潜哨戒機を導入しますが、アメリカ海軍との共同訓練において当時最新のP-3B対潜哨戒機の情報処理能力に驚かされ、1981年に遂に海上自衛隊も改良型で当時最新のP-3C哨戒機を導入し、情報処理能力向上により対潜訓練で圧倒的優位に立ちました。

 護衛艦わかば、艦隊航空の先駆けとして導入されたレーダー及び航空管制機能を有していますが、ここには戦闘機部隊への航空統制機能も盛り込まれていました。米海軍の艦隊航空管制能力を導入したのですから戦闘機の航空統制はある種当然ではありますが、重要な点は当時の航空自衛隊戦闘機はF-86、航続距離は勿論データリンク機能も有していません。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.06.24/06.25)

2017-06-23 20:24:47 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 沖縄終戦の日を迎えた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末の自衛隊行事紹介です。

 北部隊と愛称される北千歳駐屯地、第1特科団本部と第1特科群及び第1地対艦ミサイル連隊、第1高射特科群第302高射中隊、第7師団隷下の第71戦車連隊が駐屯しています。第1特科団は、北海道防衛の主柱たる特科部隊、軍団砲兵旅団に当たる部隊です。第1特科群は隷下に第101特科大隊と第102特科大隊に第129特科大隊と第133特科大隊が置かれ、真駒内や美幌にも大隊を置く。

 第71戦車連隊に10式戦車が配備され話題となりましたが、第1特科部隊は縮小改編の話題もあります。上記部隊の他団隷下の第4特科群には第104特科大隊と第131特科大隊が置かれ、203mm自走榴弾砲とMLRSを装備しています。団隷下には88式地対艦誘導弾を装備する第1地対艦ミサイル連隊と第2地対艦ミサイル連隊と第3地対艦ミサイル連隊がにらみを利かせる。また、第71戦車連隊は東千歳の第7師団隷下にあり、90式戦車と10式戦車等5個戦車中隊を有します。

 島松駐屯地、恵庭市に所在し北海道補給処本処と北部方面後方支援隊本部が置かれる北海道防衛最大の兵站拠点です。駐屯地には第1高射特科群隷下の第303高射中隊と第304高射中隊がホークミサイルを運用し戦術防空を担います。後方支援の拠点ですので大規模な戦車部隊の戦闘訓練展示や観閲行進は行われませんが装備品展示始め興味深いものも多い。

 丘珠駐屯地創設64周年記念行事、中止となりました。北部方面隊の多用途ヘリコプター隊と対戦車ヘリコプター隊を運用する部隊、札幌市内の飛行場に駐屯していますが、災害派遣へ展開した連絡偵察機LR-2の墜落事故を受けての中止決定で、残念な事に4名の隊員が殉職しました。丘珠駐屯地HPにはお詫びが北部方面航空隊長記名で掲載されています。

 さて梅雨時の撮影の話題です。天気予報急変、これは現地の天候急変以上に遠路遥々撮影展開の後にホテルの大浴場で一時間散々温まり、湯気を立てながらキンキンに冷えたコーヒー牛乳片手に部屋に戻りNHK天気予報にて知った時の絶望感はかなりのものがあります。高崎でのお話、予報的中で、翌日の相馬原駐屯地祭はヘリコプター隊が全く離陸できないほどの悪天候となりました。

 翌日練馬駐屯地祭も雨天でしたが、不幸中の幸い、撮影最前列で座って撮影していましたら背後の方の傘の恩恵に与れまして、全く奇跡的に無事濡れることなく、まあ、多少は濡れまして予定していた帰路の神田明神散策や上野公園探訪を全て諦め、小田原で名物小田原蒲鉾を購入し帰宅したのですが、早速、緊急用の防滴器材を帰宅後探すことになります。

 ハンディポンチョ、東急ハンズでいろいろ迷った後に購入したのはポリエチレン製の60gという超軽量使い捨てポンチョでした。使い捨ては使用する際に躊躇しますが、60gという超軽量と共にたためばハンカチ程度の携帯性に優れており、緊急用と割り切って快晴の日でも携行するにはこれだ、と購入しました。カメラ用防滴器材の隙間に収まり、安心です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・6月18日:丘珠駐屯地創設64周年記念行事(中止)…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/
・6月18日:北海道補給処創設65周年記念島松駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/nadep/dep.html
・6月18日:第1特科団創設65周年記念北千歳駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/1ab/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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巨大災害,次の有事への備え 14:南海トラフ地震、3.11型十万名動員部隊体系の将来改編

2017-06-22 21:49:17 | 防災・災害派遣
■防衛こそが第一任務
 防衛こそが第一任務、その能力の一端を非軍事任務である災害派遣へ活用する訳ですが、将来戦闘の様相と災害派遣の様相が合致するとは限りません。

 自衛隊の第一任務は国土防衛である。しかし、巨大災害が及ぼす被害は日本本土へ大規模侵攻事案が発生した状況よりも人的被害は大きくなる可能性がある。東日本大震災での犠牲者は1万9000名、そして想定される南海トラフ地震では最悪の場合30万もの犠牲者が出る事が予想されており、初動次第で国家の崩壊へ繋がりかねない危惧がある被害です。

 その上で、将来戦闘に対応する陸上戦闘部隊の新動向には、災害派遣という能力での対応できる分野が転換してゆく可能性について考える必要があるでしょう。データリンクによる情報共有と部隊間連携や火力と打撃力の統合運用により、相手の指揮中枢や指令系統を直接打撃するネットワーク型の軍事機構が、自衛隊をはじめ各国軍隊が目指す将来像です。

 ネットワーク型の軍事機構は小人数で最大の戦果を上げる事に主眼を置いていまして、これは我の損害を局限化すると共に機動力と打撃力をコンパクト化する事で兵站支援、戦闘により消費する様々な物資と整備支援を局限化し、従来の陸軍機構に求められていました任務の遂行能力を、一種ベクトルを変えて達成する事に主眼が置かれている、ということ。

 従来型軍事機構が求められる動員力と重厚な正面戦力については、大型恐竜に様に強力でありながらも鈍重である実情があり、現代程精密誘導兵器や情報共有技術が普及する以前には、鈍重であっても相手を押し潰す重厚さが難点を補って余りある能力を発揮できました。しかし、指揮官が戦域情報を包括管理する情報処理能力と伝送能力がこれを変えた。

 陸上自衛隊が戦車1100両を300両に、火砲1200門を300門にコンパクト化する決断の背景には、勿論冷戦終結という脅威対象の大きな変化があるのですけれども、コンパクト化という流れが同時にある訳です。加えて、コンパクト化とネットワーク型軍事力構築は、我が本土への侵攻兵力を局限化しても任務を遂行できる事を同時に意味するのですが、ね。

 災害派遣、特に南海トラフ地震を想定する場合、自衛隊災害派遣はネットワーク型軍事機構が本来想定しない、ローラー作戦を求められる可能性が多い。特に倒壊家屋下や浸水孤立建造物での被災者人命は72時間以内に救助しなければならない、人命72時間の壁、といわれる問題があります。南海トラフ地震の津波被害想定範囲は地図を視れば兎に角広い。

 ネットワーク型軍事機構が災害派遣を考える場合、勿論、冷戦時代の13個師団2個混成団体制の方が、人員を大量動員してローラー作戦を実施するには適合していたといえるでしょう。しかし、軍事機構の技術革新、RMAと呼ばれた変革はネットワーク型軍事機構を求めており、従来型の重厚戦力ではネットワーク型軍事機構を前に多大な犠牲を強いられる。

 通信機器と精密誘導兵器、それにこれらを守る装甲車両と器材に電力を供給する装甲車両、中継車両に必要とされる機動打撃力と遠距離打撃力が併せて整備する必要がある、ネットワーク型軍事機構は兎に角費用を要します。戦車と火砲の費用が全部通信機材とアップデート費用に転換したとの状況ですが、我の損害を局限化し任務遂行能力を強化した訳です。

 ローラー作戦が求められる災害派遣については、従来の規模でネットワーク型軍事機構を整備した場合、非常に求められる費用が大きくなり現在の防衛予算では整備する事は出来ません。しかし、一方で南海トラフ地震においてはローラー作戦を求められる。国土防衛が主任務の自衛隊には、新技術と新しいローラー作戦の方法論が求められる事でしょう。

北大路機関:はるな くらま
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【京都幕間旅情】仁和寺,梅雨時の門跡寺院旧御室御所は静寂と雨煙に霞む宸殿庭園の愉しみ

2017-06-21 21:42:35 | 写真
■仁和寺の梅雨は水墨画の如く
 梅雨時の京都、しかしそれも趣向を転じれば愉しみ方は溢れる、そう、屋根さえあれば。

 仁和寺旧御室御所、金閣寺を衣笠山きぬかけの路へ歩みを進めますと壮大な伽藍が広がります。真言宗御室派総本山、大内山の山号を冠したこの寺院は建立を光孝天皇の勅願以て仁和4年、888年に遡ります。この寺院はかつて、法皇の御室御所として首都機能を担いました。

 梅雨、本年は空梅雨ですが梅雨前線はいよいよ間近に迫ってまいりました。雨模様の散策は字面では詩的ながら困るのは雨滴、歩み進めるに重ね革靴に沁みる路上の露は達観と鬱陶しさが均衡を失い、時を経て諦観へと転じてしまう事も人の身の上致し方ありません。

 旧御室御所は梅雨時を詩的な風景と共に愉しむ術を伝えてくれる風情を湛えた寺院です。元々は天皇を退位した法皇の門跡寺院、宸殿と宸殿の北庭を拝観しますと軒先には、雨煙に仄かに浮かぶ伽藍の遠景が水墨画の如く広がり、心地よく過ごす事が出来るでしょう。

 光孝天皇の勅願以て建立された仁和寺は始まりを西山御願寺と冠し造営が進められましたが、落成を待たず光孝天皇は崩御します。後田邑小松山陵へと葬られた先帝は桓武天皇治世下の鷹狩を復興する等の朝廷文化継承継承に尽力した文武両道の文化人でもありました。

 宇多天皇は先帝が落成を見ず御隠れとなった歴史を振り返り、寛平9年、897年に譲位をしますと仁和寺第1世宇多寛平法皇として西山御願寺を継ぐ決心を示します。併せて西山御願寺を仁和年間に建立した縁から仁和寺と改め、ここに今に至る寺院の歴史が始まります。

 平安の御世から永くここ仁和寺は皇室出身者が代々門跡として住職を務め、鎌倉時代を通して門跡寺院として最高の格式を備えています。雨露を凌ぎ庭園を俯瞰する伽藍の広がりは梅雨時こそ詩情を際立たせる風情ですが、この伽藍はこうした歴史と共に広がりました。

 応仁元年の1467年に戦端を開いた日本最大の騒擾、応仁の乱は、しかしこの広がる伽藍をも例外なく呑込み、荒廃させました。災厄に見舞われる最中にして、幸いにも御本尊として奉じられた木造阿弥陀如来及両脇侍像、寺宝木造薬師如来坐像等は遷座し難を逃れます。

 戦災は忌むべき人災ながら、復興も人の御業、御本尊始め唐渡りの宝相華蒔絵宝珠箱三十帖冊子、北宋絹本著色孔雀明王像絵画、日本最古の医術所医心方写本、仁和寺由緒記した御室相承記、天皇の直筆に当たる宸翰等、戦災を努力で免れた文化財は史料として国宝に指定されました。

 門跡寺院として現在の仁和寺に広がる伽藍は寛永年間の1624年からの元号下、江戸時代最初の皇居造営に際し、旧皇居紫宸殿と清涼殿及び常御殿といった朝廷建築の建物が仁和寺に下賜、移築されました。金堂は旧紫宸殿が用いられ、朝廷文化の気風が贈られたのです。

 宸殿を雨の中に拝観しますと、宸殿の北庭には重文の五重塔と衣笠山を借景に回遊式庭園が広がり、五重塔も1644年に建立、和様建築の美麗が雨に煙り水墨画の如く浮かび、しかし歩み進めれば宸殿の南庭には勅使門と枯山水が無機質の美を醸しだしてくれるでしょう。

 雨に煙る情景は、雨滴さえ凌ぐ伽藍から目を向ければ、薄絹の幕が如く情景を包み、そして何より雨滴が雑踏を抑え、静かな風景と出会う事が叶います。煩悩繋がる雑踏の喧騒も、ただただ雨音に空が満たされ静かな時間の甘味を堪能、梅雨時は散策の時機ともいえる。

 御室桜として遅咲きの桜花が名高い仁和寺は、一段落した新緑の季節、そして梅雨時の今頃もこうして一つの見頃を供してくれるでしょう。仁和寺へは衣笠山をきぬかけの路へ、または京福電鉄北野線御室仁和寺駅、駅を出ればすぐに二王門が迎えてくれるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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