北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

錦小路 京都の伝統を支える味覚の小路

2006-12-31 09:44:37 | 写真

■錦 散策記

 大晦日である。近年では初売りと称して元日も元旦から店舗が活況を為すが、昔はそうではなかった、すくなくとも小生世代は辛うじてそうであった。

Img_4185  正月とは三箇日分の料理を御節料理として造り置いたものを食し、家庭内の労働を抑え、且つ店舗が初売りを始めるまでの間をのんびりと過ごすものである。北大路機関を更新する時間を除き、ほぼ一月初旬に予定されている発表や論文の作成、レポート執筆に費やさねばならない小生にあっても、いわば京都の味覚を楽しむくらいのせめてもの贅沢は許されてしかるべきであろう。錦の商店街は、100円均一などと比較されるご時勢に在って決して安価ではないが、平均的な支出でそれ以上のものを楽しむことが出来る。

Img_4178_1  しかし、起床してみれば時間にしてはやや暗い、窓を開くと比叡山がみえないほど白さ、そして舞っているのは雪である。寒冷前線が南下中との報道には接していたが、前日に妙心寺と原谷越を実施した晴天の記憶も鮮やかであり、それは日本海側だけの話だろうと高をくくっていたが、一晩でここまで変るとは正直思いもしなかった。積雪、というほどではないが今年の初雪は舞ったというくらいに留まらず、特に北山方面では積もったという表現が相応しい雪景色である。

Img_4179  錦へは、新京極や寺町と十字路にて隣接している関係上、四条高倉や四条河原町といったバス停を利用するのが最短であるが、雪には滅法弱い地上交通網の混雑を避けるべく、京都市営地下鉄を利用した。京都駅からも北大路駅からも基本的に同じで、地下鉄烏丸線を烏丸御池駅にて東西線に乗り換え、京都市役所前駅で降り徒歩というのが妥当であろう。または少し遠いが烏丸線四条駅から阪急地下道を河原町駅へ歩いて移動するという手もある。また京阪三条駅や阪急河原町からも徒歩で行くことができる、便利なのはダイヤがしっかりしていればバス、電車ならば阪急である。

Img_4196  錦小路とは一言でいうものの、浄心寺から大丸裏まで実質700㍍続く商店街であり、1200㍍のアーケードが続く新京極通や寺町通ほどの長さではないが、逆にその幅は狭い。したがって、その移動は満員の電車やバスから降車するほどの労力が必要となる。電車は扉まで長くとも数㍍、バスでも後ろから前までは9㍍であるがこちらは700㍍、乗り過ごしは無いだろう、と思われるかもしれないが、こちらは目的が買い物、下手に人の流れに乗ってしまうと乗り過ごすこともある。

Img_4199  正月には栗金団やゴマメ、黒豆に昆布巻といったものは当然必要となるが、この他にやはり日本酒に合うものも必要となる。ここで鯛膾や蛸塩辛となるのだが、何分、夜半過に四条で呑んで帰るときとは異なるこの混雑、目標の店舗はどこか知っていても知らなくともさして変わりないほどの混雑に遭う、こうした中で調達予定にはなかった、お湯で戻して食する麩や湯葉などを調達したのだがここで体力の限界、西大文字町から一旦、四条通に離脱した。

Img_4198  昼食兼朝食に丼ものを胃に収め、再度挑戦、人が多いはずで、観光ツアーのバッジを付けた人が次々と入ってきていた。それを避け小生は目的のものがありそうな区域へ瀬戸屋町から錦に入った。幾度か文字通り流されたり、間違ったりしながらも、目的のものを購入した。焼き牡蠣と日本酒の枡酒をその場のカウンターで楽しめる店を発見したが、ここでアルコールを入れては後の支障も考えられるので、牡蠣を諦めつつ、この他目的地であったジュンク堂書店に向かった。

Img_4194  以上が錦小路への買出しの顛末である。近年ではこうした商店街も京都以外では少なくなったようだが、デパートやスーパーにての御節に更に幾品目か、今日は大晦日のまだ朝である、錦の味覚を加えてみられては如何だろうか。それでは皆さん、良いお年を!

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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妙心寺 京都花園にある臨済宗総本山

2006-12-30 16:56:02 | 写真

■妙心寺 日本最大の禅寺へ

 “NHK大河ドラマ 功名が辻”が好評の内に放送を終了したが、主人公である山内一豊と千代が祀られているのが花園にある妙心寺である。妙心寺の前は週に幾度か通るのだが、中を拝観する機会は無く、大河ドラマの放映もあり、ひとつ見学しようと、友人と中に入った。

Img_4097  臨済宗妙心寺派の本山である妙心寺は、1337年に建立され、山号を正法山という。

 その起源は花園法皇が離宮として造営したのが始まりとされ、無相大師を開山として迎えたのが始まりとされる。その後、足利義満の圧迫などや応仁の乱により一時その流れを絶たれたが、細川勝元らの支援により再興し、今日に至る。武士層からの信仰も厚く、広大な寺院には46の塔が聳えている。

Img_4075  妙心寺派の寺院はこの他3500あり、臨済宗の中では最大もので、勅使門より北へ三門、仏殿、法堂、寝堂、大方丈が一列に並び東側に浴室や鐘楼、経蔵が立ち並ぶ。

 この並んだ一列から妙心寺はここから大きく広がっていったようで、どれも室町時代後期から江戸時代初期に建立されたものであるという。法堂の鐘は696年に造られたもので、銘が記された鐘では日本最古のものである。

Img_4072  私事ながら年内最後の打ち合わせが終わり、一つ時間が出来た小生は、けーと氏を誘い妙心寺へと向かった。最初は長い塀を見ているだけであったが、長い塀から凡その広さを連想したものの、中はその想像とは遥かに広かったのには驚いた。南門と北門に案内所があるのだが、案内の栞は10円で案内所にて販売している。それを読み、そこで初めて、妙心寺が禅寺としては日本で最大のものという事実を知った次第である。

Img_4098  勅使門をより入り、放生池とその奥にある三門を望む。赤い三門というつくりは大徳寺と共通するが、放生池と三門という位置関係は東福寺と同じものである。

 ここからは木立があるため写真からは見ることは出来ないが、そのすぐ傍に1653年に建立された慈雲院や1404年に建立された退蔵院がある。後者は通年一般公開されており、ここの庭園は名勝として名高いとのこと。

Img_4104  三門とその向こうにあるのが仏殿、更にその向こうに法堂がみえる。

 巨大な木造建築物が並んだ威容は観艦式の如くであるが、更にその奥には大方丈、小方丈、大庫裏が東西に並んでいる。

 左手の松林の中には噴水のようなものがあったが、どういった謂れがあるのだろうか。ご存知の方がいればご教授いただければ幸いである。

Img_4088_1  法堂と方丈をつなぐ廊下。

 この隣には鐘楼があり、小生一行が歩いていたときには丁度1500時の鐘が鳴っていた。鐘楼は幾つかあり、鐘の響きは前後して聞こえてくる。

 見事な木造建築物であるがここのしたは自転車でもくぐることが出来る。ここをくぐれば大方丈が姿を現す。

Img_4090  大方丈、この隣には東海庵や小方丈が並んでいる。この東海庵の更に隣にある大心院は1479年に建立されたもので通年公開されている。

 実は様々な院があるものの公開されているのはほんの一部であり、この他は特別公開として期間を限定して公開されているものや、檀家や檀家の紹介により公開されるもの、若しくは原則として非公開のものに分かれる。

Img_4117  法堂から東へ進み、玉鳳院や開山堂が立ち並ぶ。

 こうしたところに自動車が停車しているのは不自然に感じるが、関係者の自動車の乗りいれば自由であり、また宅配業者の配達もこの中に入って来ている。

 この後更に東に進み東林院に向かったが特別公開地区であったため引き返した。

Img_4115  上の写真から西へ進み、つまり来た道を戻ったところには蓮池がある。

 この上に浮かぶようにして立っているのは納骨堂である。どういった謂れがあるかは判らないが、高貴な人のものが祀られているのだろうか。開祖の開山堂が近く、高僧の謂れを記した札が掲げられていた。また、写真には写っていないが見た目が牛のようだという牛石などが鎮座している。

Img_4102  経蔵だったろうか記憶が定かではないので恐縮だが、間違いに気付かれた方はご教授いただければ幸いである。

 この屋根の上に更に小さな屋根のようなものが出ているのは換気用であろうか、また、瓦も上にかがんだ狛犬のようなものが象られたものがあり、独特の建築様式であった。門と塀の上に瓦屋根があり、また堂の上にも段差がありそれぞれに瓦屋根、そしてその上の換気用の屋根が並ぶ様子はユーモラスである。

Img_4135  妙心寺より京福線を越えて竜安寺に向かう。石庭で知られる竜安寺も妙心寺の一部であることが栞に書かれており驚いた。なお、通年公開である石庭は有料であるので、此処の裏にある山を登り、一条天皇陵を参拝することとした。

 ジョキングや犬の散歩を禁じる旨が宮内庁の注意書きに記されていたが、一行は紛れも無い参拝であるため、石畳の道をどんどん登った。十五分ほどで山頂に着くが、まだ椛が残っていたのが印象的であった。

Img_4142  一条天皇陵、更に多くの陵墓がこの山々には築かれている。こうした山頂は見晴らしが良い分、その造営に関する労力は並ならぬものがあっただろう。

 参道には石畳が並び、険しさを感じさせる道のりではない。奥にある別の陵墓までは舗装こそされていないものの印が一定間隔で地面に打たれていた。ここは1700時に閉鎖されるため永くいることは出来ない。

Img_4138  一条天皇陵からの京都市の眺望、京都タワーが見える。

 更に向こうには高槻市の高層建築物が見え、恐らく雨上がりなどで空気が澄んでいれば大阪の梅田やビジネスパークの高層ビル群も望見できるのではなかろうか。ここからの夜景は清水寺からのものよりも遥かに絶景なのだろうが、前述の理由でここからの夜景の眺望は不可能である。

Img_4171  更に宇多天皇陵へと向かった一行だが、湿った落ち葉と険しい山道、翌日には降雪に至るほどの気温の降下、曖昧な道標に阻まれ、断念。近道を降り、原谷へと着いた。原谷からの帰路の写真。北大路通りとは比較にならないほどの非常に険しい山道である。次回は改めて宇多天皇陵を参拝したいと思い、帰路についた。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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陸上自衛隊駐屯地祭 機会瞬間油断大敵!

2006-12-29 11:10:57 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■一瞬のチャンスを撮影しよう!

 陸上自衛隊の駐屯地祭であるが、観閲行進と訓練展示が最大の見せ場である。勇壮な車列や空包が火焔を巻き上げる瞬間はまさに華であるが、それ以外にも一瞬のチャンスで、駐屯地祭ならではの写真が撮影可能である。今回は昨日に引き続き、駐屯地祭撮影方法特集を実施したい。

Img_0481_1  伊丹駐屯地祭では、ここ2年間、装備品展示のスペースが大きく縮減され、軽装甲機動車や高機動車などが数量展示されるに留まっていたが、車両が溢れたモータープールの一部を俯瞰することが出来る。それを見た後、一行が帰ろうとしたとき、戦車の体験搭乗がまだ行われていた、体験搭乗が様々な角度から撮影できることが判り、カメラを構えた、体験搭乗というか、タンクデサント(戦車跨乗)のような写真であるが、4輌の74式戦車を一枚に収めることが出来た。

Img_8407  写真は春日井駐屯地、豊川から支援に展開したFH-70榴弾砲がいままさに春日井駐屯地に入ろうとしているところをシャトルバスより撮影。逆光であり、牽引している車輌が前の自動車の陰に隠れてしまっているが、公道を走る様子が写されている。偶然シャトルバスの助手席部分に乗っていた為、カメラを構え撮影することができた。この前後の時間であれば軽装甲機動車なども駐屯地に入るところが撮影できたかもしれない。

Img_7816_1  霞目飛行場の東北方面隊記念行事においてシャトルバスより撮影、第六戦車大隊の74式戦車が一個中隊並んでいる。これには少し驚いた、実は仙台駅からのシャトルバスは此処を通らず、遠く滑走路向こう側のエプロン地区に直行する。したがって、そこからは見えずこれを見るには仙台駐屯地からのシャトルバスか、地元住民しか見ることが出来ない。急ぎカメラを取り出し撮影したのでピンボケであるが、あのロバートキャパもピンボケはあったのでお許し願いたい。

Img_2285_1  大津駐屯地における陸曹教育隊の移動、これ、実は観閲行進ではない、式典開始に向けての移動である。Shin氏、けーと氏とともに展開した大津駐屯地祭であるが、Shin氏は観閲台左手の一般観覧席で、小生一行は昨日掲載した写真の位置の木立の下にいた。そこで日差しが強いShin氏位置へ飲料水など補給物資を輸送する途上、いきなり出くわした行進である。望遠レンズ用カメラは、けーと氏のところに置いて来ていたので、仕方ない、肩に掛けていたカメラを構え急ぎ撮影した。

Img_2278_1  共通教育中隊の写真、上の写真では88式鉄帽と89式小銃を携行しているが、前期教育中の共通教育中隊では旧式の66式鉄帽と64式小銃を携帯している。特にこの鉄帽は予備自衛官の部隊などでしか見れなくなってきている、今の内に撮っておくべきだろう。ところで、Shin氏は小生とけーと氏のような木立ではなく、直射日光の真下にいた為、日焼けが凄いことに、ううむ、五月の大津、その日差しは侮りがたし・・・。閑話休題、駐屯地祭では、如何なるときもカメラを手放してはいけない好例といえよう。

Img_2366_1_1  大津駐屯地祭における訓練展示の最中、琵琶湖から普通科隊員を満載した高機動車が上陸する瞬間。これ、式典会場とは全く異なる場所からの増援であるから、殆どの人は会場に高機動車が進入するまで気付かなかったようで、小生は、一瞬の判断でカメラを後ろに向け、写真を撮影した。渡河器材の上に高機動車が載せられている状況は、演習場以外では災害派遣の訓練などでしか見れないもので、貴重な瞬間である。

Img_2437  今津駐屯地祭における写真、お手洗いに行く途上、C.ジョニー氏が発見した60式装甲車。退役したものだろうか、慌てて持っていた300㍉望遠を向け撮影。73式装甲車に置き換わったようだが、確か428輌ほど生産されたのだろうか、60式装甲車はもう殆ど残っていない装備である。式典終了後、改めて撮影しようと向かうと、先行していたジョニー氏がこちらを振り向き苦笑いしながら「残念なお知らせがあります・・・」と、なんと訓練展示に参加したFH-70がこの前に置かれ、撮れない状況になっていたのだ、つまり、この時撮っておいてよかった、と。

Img_9220  守山駐屯地における写真、師団創設記念行事であることから隷下の部隊が参加しており、この部隊が駐屯地へ帰る為に駐屯地を出たところを撮影、昨年、FH-70が豊川へ帰るところを撮影できた為、今年も密かに期待していたが、今年は軽装甲機動車や高機動車の撮影が出来た、あたかも防衛出動に際して出動する部隊の如く続々と出てくる様子が新鮮だ。写真は第49普通科連隊、豊川から展開した部隊である。

Img_9239  久居から展開した第33普通科連隊の軽装甲機動車、名古屋は渋滞が多いというが、装甲車の渋滞は珍しいに違いない。この他82式指揮通信車や各種トラックもこのときに出ていた。79式対舟艇対戦車誘導弾などはそのまま抜き身で出たのか、トラックに積んだのかは判らなかったのが残念であった。更に金沢からの第14普通科連隊の車輌も続き出ていたので、この時間帯は一斉に帰投する時間帯だったのだろうか、ちなみに74式戦車などは交通の関係から夜になり輸送されていると聞く。偶然に出くわしたものであるが、要するに駐屯地祭を撮影する際には一瞬も気合を抜いてはいけない、撮影機会は一瞬、油断は禁物である。

Img_9307  この後、近傍にある名鉄瀬戸線、本線から独立しており独自の車輌体系を有することから名鉄のガラパゴス諸島といわれている路線だが、ここを撮影に行った際に、矢田川でFUNDOSHI一本でオッサンがデジカメ一人撮影会を開いている姿を発見してしまった、何に使うのか、何故F一本なのか、全く判らないがこれが関係者の間で、矢田川F事案として語られている。もう嫌やわァ、小牧守山と併せ撮影した後、最後にソンなのに出くわすとは・・・。写真下のほうに着替えているオッサンが写りこんでしまっている(こんなの載せたら読者が減るかな!?)。

Img_9330  気を取り直して6750形、名古屋の中心部である栄町から尾張瀬戸までを結ぶ名鉄瀬戸線は、6700形や6300形などの独自の車輌体系を有しいるが、近年は本線から6000形という外来種が入り、更に新しい車輌計画によりその生態系は危機に曝されているという。順光で良好な撮影環境であった。

HARUNA

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陸上自衛隊行事撮影 陣地転換撮影!

2006-12-28 23:39:47 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■観閲行進と訓練展示撮影における一考察

 “朝駆け”により観閲行進後はモータープールに戻ってしまう車輌群を式典に先んじて撮影する、という掲載を行ったのが十二月十七日であるが、今回は、その続編として、撮影陣地転換について特集したい。“こんな写真を撮りたい”という写真を撮影できるよう心がけてきたが、その一端を備忘録の形で掲載する。

Img_2037_1  迫力ある戦車の観閲行進、38㌧もの鉄の巨体が地響きを立てながら眼前を疾走する観閲行進の迫力は、一見の価値があるというか、実際に目にしなければ分からないものがある。また、戦車が3輌、そしてそれに引き続く車輌群が奏でる轟音は、大気を震わせ音楽隊の演奏による行進曲と相まってその迫力を倍増させる。全てを表現できる記録は実体験に遠く及ばないが、それを如何に写真に収めるかがカメラを扱う者にとっての課題である。

Img_2292  しかし、写真のように観閲行進を観閲台正面から撮影すると、写真のフレームにはアップにるればせいぜい横隊一列を構成する車輌を撮影するのが限度であり、全てを撮影しようと広角にすれば、車列は横に大きく伸びてしまい、個々の車輌はゴマ粒のように小さくフレームに散在し、結果的に空ばかりが大きく写った非常に見栄えのない写真となってしまう。こうした観点から、車輌そのものの紹介写真には最適なものとなるが、観閲行進を撮影するには適していない場所であることが分かる。

Img_0325  やはり、観閲行進は写真のように正面殻撮影するに限るという結論に至る。上の82式指揮通信車は05年の、また写真の府県旗を掲げての行進も06年の、それぞれ伊丹駐屯地祭において撮影したものであるが、撮影位置はこちらの方は観閲台の左方向である。この位置からは一枚のフレームに多数の車両が写り、数台しか写し得ない先ほどの撮影位置よりも動きのある写真を撮影することが出来る。しかし、この位置からは訓練展示の状況を撮影することは逆に困難となる。そこで、撮影位置の転換、という今回の本題にはいる。

Img_0545  写真は四月九日の信太山駐屯地祭、大阪府唯一の普通科部隊駐屯地で、今年度に軽装甲機動車の配備を受け、半装甲化編成を採っている。駐屯地式典が行われるグラウンドは広く、観閲台左右と奥の外周道路の一部が一般見学者に解放されるが、外周道路交差点付近に高台があり、見学者に解放されていたため、小生は迷わず撮影位置に選んだ、この他幾つかの候補撮影位置があったが、ここであれば後方から進入する車輌群が撮影できるからである。

Img_0664  観閲行進後の訓練展示まで、部隊の準備にあわせ野外音楽演奏が行われるが、小生は上写真の左上、急斜面の歩道があり、一般公開区域の境界付近に移動した、撮影には最適とは言い難いが、そこくらいしか空いている場所が無い為であるが、それが幸いした、視野は限られるものの、観閲行進とは逆方向に状況が進む為、普通化中隊、重迫撃砲中隊、対戦車中隊の展示と支援の戦車が同時に写りこむ位置であった為である。

Img_2021_1  五月十四日、兵庫県伊丹市の千僧駐屯地祭における写真。観閲行進において偵察隊の斥候オートバイや73式小型トラック、87式偵察警戒車が進んでくる。ここでは観閲行進はグラウンドを一周するため、カーブ付近に陣取ると観閲台の見学者が式典であることを演出し、また勾配を廻る様子が写りこみ、動きのある写真に仕立てることが出来る。しかし、訓練展示ではこの撮影位置の直前が特科陣地となり、視界が非常に悪くなってしまう。

Img_2148  訓練展示を何処で撮影するか、信太山のように観閲台左方向に撮影位置を変更しようかと考えたが、その近辺は既に見学者で埋まっていたので、グラウンドの反対側に器材一式を持って走った、すると偶然にして完全な順光環境での撮影ができた。端の方であり、ここも人は疎らであったので、航空支援、特科射撃、戦車突入、普通科前進という状況の変化に際して思う存分にカメラを振り回し、シャッターを押すことが出来た。

Img_2319_1_1  五月二十一日の大津駐屯地祭、ここは新隊員の前期教育を行う第二教育団が駐屯しており、二個大隊が参加する徒歩による観閲行進が目玉である。しかし、この写真は少し失敗である、逆光なのだ。実は、撮影位置と観閲行進の通路を挟んで反対側であれば長大な徒歩行進を順光にて撮影できたのだが、部隊整列の写真に邁進し、陣地転換の機会を逸してしまった。しかし、徒歩行進は写りこんでいるので、逆光を除けばこんなものであろうか、もそくは後方から望遠で圧縮効果を期するべきであったか。

Img_2471_1  光の調整もあり、訓練展示は上写真にある観閲台左方向、背後に琵琶湖を望む位置に展開した。写真は重迫撃砲の設置を行う第四陸曹教育隊の隊員を支援する74式戦車であるが、状況を上手から撮影することが出来、また順光の位置に移動したことで撮影は容易であった。もう少し進めば仮設敵陣地に障害除去用のM4破壊筒を挿入する様子や普通科の銃剣突撃の撮影に最適の位置であったのだが、立ち入り制限区域に入ってしまう為断念した。更に研究が必要な撮影位置ではある。

Img_9015_1  十月八日、名古屋の師団司令部、守山駐屯地祭における観閲行進の様子、昨年はこの撮影位置の道路を挟んで向こう側での撮影であり、観閲台と行進が写りこんで最適位置であったのだが、今年度は立ち入り制限区域であった為、この位置を選択、実は昨年は雨天から曇りになったため気付かなかったが、昨年の位置で撮影していれば逆光になっていただろう。向こう側にも席がある為、賑やかな写真にはなり、車輌も多く写っていることから場所は最適であったといえる。

Img_9214_1  訓練展示の撮影に為、観閲台とは別方向の“向こう”にある一般観覧立体席のはずれにて撮影したのだが、このアングルでは問題ないものの、写真の車体の陰の位置から分かるように、仮設敵陣地に突入する瞬間は一番の見せ場が逆光で写りが悪くなってしまっていた。考えようだが、撮影位置としては観閲台左の位置にて撮影した方が良かったかもしれないが、その位置では戦車の発砲が見えにくく、なんともいえない。観閲台方向から撮影された写真など、出来れば参考にみてみたいものではある。

Img_1115  十月二十八日の豊川駐屯地祭、特科連隊、高射特科大隊に加え、施設群や即応予備自衛官基幹の普通科連隊が駐屯しており、観閲行進は迫力であったが、最初の撮影位置の目の前で3輌の82式指揮通信車が観閲行進最初に停車したため、急遽15㍍ほど移動したが、これが逆に斜めから行進の車列を写しこむ絶好の位置であることが判明した、逆光であるが、これは式典会場の立地上致し方ないところである。ちなみに観閲台方向からは完全な逆光となっていたのではなかろうか。

Img_1591_1  訓練展示の撮影は、上写真の一番奥あたりの開放地区より撮影したが、300㍉望遠であったから撮影できたものの、特科部隊の駐屯する駐屯地の訓練展示であるから、もっと火砲が写りやすいよう、観閲台右手の辺りから撮影した方が、横一列に展開した3門のFH-70榴弾砲を撮影できたかもしれない。一方、この位置からは障害除去などの展示も見えたので、位置選択は二つある最良の選択の一つを採ったといえる。

Img_2365  以上のように、観閲行進と訓練展示の撮影における最適撮影位置は異なる。そこで、観閲行進はどの方向から進行するか、訓練展示が実施されるならば仮設敵陣地はどこか、この二つに留意して写真を撮影することが重要である。一方、立ち入り禁止区域には絶対立ち入らないこと、微妙な点は自分で判断せず警備や案内の隊員に質問することは忘れてはならない。他方で、撮影せず楽しまれる方は、是非、立体席に行かれることをお勧めする。そこが一番状況を把握でき、見えやすいように設置されているからである。

HARUNA

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21世紀における国産小銃の発展と展望

2006-12-27 15:27:50 | コラム

■89式小銃の近代化案

 銃器専門誌などでは、暗視装置や照準補助装置などを搭載する20㍉レイルをこれでもかというほど装着した“近代型89式小銃”が出されているが、そういった小手先の改造ではないものを先日に引き続き、コラージュ写真を用いて89式小銃の近代化案として特集してゆきたい。

Photo_224 小銃とは地上戦闘においての基幹武器であり、如何なる場合においてもこうした携帯火器が無ければ最終局面においての戦闘の決着を着ける事は出来ない、更に戦闘要員にとり最も身近な火力投射手段であり最後の自衛武器である小銃は極力、個人の能力を最大限に発揮することを念頭に設計されねばならない。こうした点で、通常の89式、2型、3型を配置してたのが写真。マガジンチャッチャー部分やセフティセレクターを改め、薬莢受装着部にレイルマウントを装着し、光学照準器の装備を可能としている。更に3型ではハンドガードを一体化することで整備性を向上させ、またサイト部分を堅牢な構造のものに換装して耐久性を高めている。

Photo_225  89式小銃と40㍉擲弾発射器の複合銃に関して、新しく作図したのが写真である。現在、新型が制式化間近と伝えられる小銃擲弾発射器も銃口発射式であるが、銃口発射式は見通線に基づく照準以外不可能という、命中精度に関する大きな難点があり、照準器にて、最低限度の精度を有した射撃を行うにはコンビネーションガン(複合銃)方式が現時点ではほぼ唯一の選択肢である。ただし、このままでは銃剣の装着が不可能となり(銃口上に装着する方式もあるが普及していない)、白兵戦と火力投射の選択が小銃班への配備数が1基か2基かを左右する。なお、精密な射撃のみならず待機状況で小銃を地面に直に接しないようにする観点から、二脚はそのまま装備している。

Photo_226  特殊部隊仕様の機関拳銃型と特殊任務複合銃。特に擲弾発射機と光学照準器を搭載した特殊任務複合銃は、火砲などによる支援が原則として有得ず、自前の火力にて生存しつつ偵察や後方攪乱、航空精密攻撃支援といった任務を行う必要があり、コンパクトでありつつも最大限の火力投射を実現する観点から、二つの装備を複合した。なお、40㍉擲弾発射器は砲身をやや短縮した型を搭載しており、これは米特殊部隊のM4A1カービンにおいてもこのような型が装着されている点に起因する。

Photo_227 ブルパップモデルの短小銃を基にした複合短小銃と、銃口部分に消音器を装着した短小銃2型。特殊作戦用途に用いられる他、原子力発電所や官庁舎、空港施設や大型駅においてのテロ警備に用いうる。また、光学照準器を搭載しての正確な射撃能力は、陸上自衛隊のヘリコプター乗員の自衛用や海上自衛隊の艦船警備用、航空自衛隊の基地保安用にも用いられる。擲弾発射器は自爆ボート対策や自爆トラック対策に有効である為、特に海空自衛隊への装備に適している。なお、短小銃2型の折畳式握把は折畳んだ状態である。

Photo_228  9㍉パラベラム弾を使用する89式機関拳銃、上より2型、1型、3型。1型は基本型で小銃の携帯が任務の妨げとなる要員の個人自衛用だが、やや大型の2型は警視庁機動隊や管区機動隊の銃器対策部隊が使用しているMP-5型機関短銃の後継、乃至補完用のもので、更に警務隊の自衛火器や予備自衛官により有事の際に編成される駐屯地警備隊や弾薬整備中隊への用途が見込まれる。これらは折畳式銃床を装備していることで、高い携帯性と命中精度を両立させている。下に二つ並ぶ3型は要人警護用の最小型のもので、警察用途が前提であるが、場合によっては特殊任務部隊や船舶臨検部隊の支援火器としての運用も考えられる。30発用弾倉と20発用弾倉があり銃口抑制器を取り外せば更に小型となる。

__1  先進個人防護用火器実証銃、短小銃を更に携帯性を高めた実証銃で、発展型照準補助器具の搭載を試験的に行ったモデル。手元にP90が無かった為歪なものとなっている。

 以上が今回暇つぶしや気分転換に新しく作成したコラージュ画像である。実在しないので念のため。どうしても欲しい人はカスタムショップのお店の人に相談しよう!、くれぐれも東京マルイや豊和工業、防衛庁に問い合わせをしないようにしてください。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文は北大路機関の著作物であり無断転載は厳に禁じる、ただし本文本記事の写真に限り著作権を開放します)

■北大路機関アクセス解析

 一万アクセスを突破した旨を20日に掲載しましたが、七日を経た今日、先週に引き続き、今週のアクセス情報を北大路機関広報として掲載いたします。

Statsimg1227  グラフはOCNにより表示された北大路機関のアクセス数で、21日:168アクセス/22日:270アクセス/23日:233アクセス/24日:220アクセス/25日:186アクセス/26日:302アクセス/27日296アクセス、という割合です。一週間の平均アクセス数は239、過去30日間のアクセス総数は6917、アクセス解析開始後のアクセス総数は12017です。それでは、読者の皆様、これからも北大路機関をよろしくお願いいたします。

北大路機関

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陸上自衛隊アパッチロングボウの展望

2006-12-26 03:44:41 | 先端軍事テクノロジー

■ボーイングAH-64D

 陸上自衛隊にAH-64Dアパッチロングボウの配備が開始されたのが今年三月、北大路機関では配備直後の同機をいち早く報じた。今回は、AH-64Dに関する基礎的な情報と、陸上自衛隊における今後の運用について、3月に撮影した写真を交え特集したい。

Ah64d_0371  ボーイングAH-64Dは、マクダネルダグラスが1975年9月に初飛行したAH-64Aがその原型で、全天候性能の付与と防弾性能強化による生存性の強化に重点を置き開発された。ヘリコプターの生存性を左右するのは、エンジン部分など重要部分の防弾性能に加え、ローター部分の防御が重要となる。特にローターが引き千切られないよう命中弾が炸裂しない構造が特色である。胴体部分は全周にわたり23㍉機関砲に対する防御性能が求められており、また対空ミサイルに対処するべくエンジン排気口にファンを組み込み、外気に混ぜて排気することで排気温度を167℃程度まで下げる工夫が為されている。悪天候時や夜間飛行に対応する目的で、パイロット暗視センサー(PNVS)、高感度テレビとレーザー測距器を統合した目標捕捉照準サイトを機首に装備、左右120°。上下30~60°の可動範囲を有する。

Ah64d_0055  米軍への量産機引渡しは1984年1月より開始され、主要目は全長14.48㍍、自重4.881㌧、エンジン出力1696HP×2、最大速度365km/h、巡航速度293km/h、実用上昇限度6400㍍、航続距離485kmとなっている。最初にキャンプフォートブラットの第六騎兵連隊に配備され、1986年11月には初度作戦能力を付与されている。この際にAH-1Sにおいて運用されていたTOW対戦車ミサイルではソ連製新型戦車に対して能力不足であると指摘され、新型のヘルファイアー対戦車ミサイルが導入されている。1989年にはパナマ侵攻に参加、初の実戦参加となった。その地位を不動としたのは1991年の湾岸戦争で、戦車やトラックなど1300輌を破壊、航空機24機を撃墜乃至撃破、60箇所以上の攻撃目標を無力化している。この後、米陸軍の主力攻撃ヘリコプターの地位を獲得する。

Img_0073  湾岸戦争の結果、AH-64の有する問題点として、ヘルファイアー対戦車ミサイルの8kmもの射程に対して、3km以上の目標を発見することが困難であることが判明し、事実、友軍の戦車などへの誤射を引き起こしてしまっている。また、自己位置測定の能力が無いことも問題となった。これに対してGPSの搭載や暗視装置の近代化を図ったAH-64B計画が開始されたが、1992年には後のアパッチロングボウに繋がる近代化計画“別のアパッチ計画”の開始により、B型計画の構想そのものが破棄されている。同時期に、今日ではRMAと説明される戦場情報の一元化に関する構想が進められており、これがAH-64DのC4I能力強化に繋がっている。

Img_0132_1  かつてワーテルローにてナポレオンを打ち破ったイギリスのウェリントン卿は、あの丘の向こうに何があるかを悩み、軍人生活を送ったとされるが、RMAでは、戦域情報管理によりあらゆるセンサーが得た戦域情報を戦術インターネットにより一元的に管理し、戦域への火力投射能力を有するあらゆる火器が必要に応じて目標を無力化する共同交戦システムにより、あらゆる脅威を取り除くことを目的としており、問題としてそのタイムラグを如何に縮めるかに注力した。AH-64Dは、改良型データモデムや二重の電子機器を装備し、増大する情報に対して冗長性を付与している。また、エンジンはA型の後期配備モデルより装備が始められた高地や砂塵の多い地域にも対応するGE社製T700-701Cを搭載している。

Ah64d_0065  AH-64Dの最大の特色は、ローター上部に搭載されたAN/APG-78レーダーで、35GHzミリ波レーダーである。戦術目標の探知と目標の位置把握能力を有し、各種車輌や牽引車輌、航空機、防空システムを自動的に特定し、戦術インターネットにて情報共有を行う能力が備えられている。更に、把握した128目標の装備や兵器の射程から脅威度を自動判定し、最も脅威度の高い16目標を自動選択する機能がある。この目標は電子的に記録され、また適宜アップデイトされる為、パイロットは常に最新の情報を得ることが可能だ。更にAN/APR-48Aはミリ波レーダーと連動して敵の防空システムを発見することが出来る。考えれば、RMAには情報収集が第一であり、攻撃よりも自己生存を第一とすることで、全般任務遂行能力を部隊に提供する。

Img_0378_1  当初、ロングボウレーダーを搭載しないタイプをAH-64Cと呼称していたが、今日では全てをAH-64Dと呼んでいる。さて、ロングボウレーダー以外の特色としては毎秒16000bpsの情報交換能力を有しており、座標データ、捕捉目標データ、戦闘損害評価、目標優先順位に関する情報を共有できる。この情報共有能力により、レーダーの有無に関わらず、高い戦闘能力を発揮する。具体的には、僚機のロングボウレーダーが把握した目標を、非搭載機のアパッチが連動して攻撃することも可能だ。こうしてみると、RMA化された組織とは、従来の戦闘ではなく、部隊そのものがシステムとして行動していることが端的に現れている。

Ah64d_0145  ロングボウレーダーやシステムなどの近代化をこれまでに述べたが、具体的にどの程度変ったかを挙げると、まずコックピットのグラスコックピット化により計器やスイッチ類がA型の約1200からD型では約200まで減少している。それに代えて二つの大型目標表示装置が前後それぞれのコックピットに搭載されている。外見は非常に似ていても、コックピットに座ればその変化が納得できよう。電子機器の性能向上は著しく、性能向上に比して小型化、軽量化されていることから、近代化改修に伴う重量増大は想定の範囲内であり、エンジンの出力向上などの施策が行われなかった背景にはこうしたものもあろう。

Ah64d_0010  ロングボウレーダーについて注目すべき実例として、1997年1月にフォートアーウィンにて行われたフォース21演習の結果が挙げられる。T-90戦車90両からなる一個機甲旅団に対し、一個戦車大隊と機械化歩兵中隊を基幹とする戦闘団が6機のAH-64Dの支援を受け演習を行ったのだが、全機がレーダーを装備していた場合は60%を撃破しヘリへの損害は僅か、50%がレーダーを装備する場合では撃破率は40%となり、33%の場合は30%、0%の場合の撃破率は20%であった。また、60%の損耗を与えるまで戦闘を継続した場合、全機がレーダーを搭載していない場合、70%が撃墜、乃至大破するなどの損害を被ると結果が出ている。したがって、勝利を得るには50%がレーダーを装備する必要があるとのこと。

■陸上自衛隊のアパッチ

 陸上自衛隊におけるアパッチロングボウの運用状況と今後の展望について紹介したい。60機が配備されるとの構想で進められ、富士重工においてライセンス生産が実施される。既に3機が引き渡されているが三号機より富士重工においてライセンス生産されたものである。

Ah64d_0003  現在、陸上自衛隊には五個の対戦車ヘリコプター隊、そして航空学校に教育所要の0.5個対戦車ヘリ隊が配備され、AH-1S対戦車ヘリコプターが運用されている。対戦車ヘリコプター隊には16機の対戦車ヘリの他、少数のOH-6D観測ヘリが支援用に配備されている。OH06Dは目標の索敵に用いるもので、AH-1Sは攻撃の瞬間まで待機し、OH-6Dが発見した目標を木立やビルの谷間から姿を出し、攻撃、終了後にまた攻撃の機会まで潜伏する運用が為される。

Img_0194  AH-64Dに関しては、一個戦闘ヘリ隊の定数が16機から12機となっているが、この機数の減少は作戦能力の向上により遥かに凌駕した作戦遂行が可能となる。途中で補給を受けることで、AH-1Sでは考えられなかった950km先の目標への戦略攻撃も可能となったとされる。12機による同時目標攻撃能力は76目標で、これはAH-1Sの16機での38目標を凌駕する。AH-1Sでは400kmまでの目標攻撃が限界だが、その際の制圧数は50で、AH-64Dならば160目標の撃破が可能である。950km先の戦略目標へはAH-1Sでは対応困難であるが、AH-64Dならば1~3回の攻撃で50~160の目標が制圧可能である。

Ah64d_0003_1  この能力の高さにより、方面隊レベルを超えた運用が可能である点に加え、GPSによる精密な航法能力は、沖縄県や鹿児島県島嶼部に対する限定侵攻への早期対処能力を有することを意味し、大きな抑止力となることが期待される。加えて、ミリ波レーダーは至近距離であれば木の葉の揺れも感知するほどの性能を有するといわれ、無論、余程この精度を発揮するには、条件が整わねば不可能だろう。しかしながら、近接戦闘に際して、このレーダーの有する能力を支援に回すことは大きな意味を有する。

Img_0140  同時に、本機は一介の戦闘ヘリコプターであることを越えて、ロングボウレーダーは前述したようにRMAにおける情報化された戦域の尖兵としての能力を発揮する、即ち、最強の自衛力を備えた偵察ヘリとしての能力を有していることになる。必要に応じ目標を撃破し、手に余る、若しくは広域面制圧が必要な場合、更には弾薬の限界に際しては、共同交戦能力の端末としての機能を発揮する。自衛隊の遅れているとされる(アジアにおいてはシンガポール軍に次いで進んでいるが)RMAを一気に進める可能性を内包している。

Img_0216  更に陸上自衛隊で運用されるアパッチロングボウは、観測ヘリOH-1の支援下で運用されることとなる。RAH-66計画がアメリカで中止に追いやられた今日では、紛れも無く最高性能を有した観測ヘリであるが、現在、データリンク機能を強化する近代化改修の試験が進展中である。また、自衛戦闘能力を有するOH-1は、AH-64Dの性能を最高に引き出す点が期待される。恐らく、最良のパートナーとなるであろう。

Img_9947  さて、もう間もなく4号機が引き渡されるとの古都で、遠からず明野の航空学校から実戦部隊に配備が開始され、AH-1Sとの混成運用が始まろう。こうした中で指摘されるのが、当初の2機144億円という高価格から配備が進まないのではないかとの危惧である。しかし、初期調達品や教育訓練などの調達価格や費用を含んだもので、更に1機103億円という年度もあったことから、レーダーの搭載型と非搭載型の価格差異が相当あることを思わせる。5.5個対戦車ヘリ隊を維持する必要数は66機であるが、一部の識者が悲観的な予測をするのに対して、小生は一括調達などの手法を用いれば可能であると楽観している。

Img_0040  試験が進められ、幕を挙げたばかりの陸上自衛隊アパッチロングボウであるが、その高い可能性を活かすべく、既に派米訓練や、北方などへの転地試験・訓練を積み重ね、着実にその歩みを進めている。激変が予測される国際情勢に対して確たる抑止力の維持について、見守ってゆきたいところである。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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89式小銃の改良 市街戦・近接戦闘へ

2006-12-25 15:29:47 | コラム

■TYPE89 RIFLE +

 陸上自衛隊の新小銃として配備が進められている89式小銃は一部の普通科部隊を除き配備が進み、特科、機甲科部隊へも配備が進んでいる。その89式小銃は七月に東京マルイよりエアソフトガンが発売され、売れ行きは好調ときく。

Photo_216  89式小銃は、アサルトライフルとしてはコンパクトにまとまっており、執銃において構えた際の感覚も良く、また射撃時の安定性が良好であり使い勝手はいい。しかし、既報の通り89式小銃の特集を行った際に、必ずしも最適な状態ではない幾つかの部分が気付き、更に小銃を構えたままの近接戦闘の訓練を行った際にも、建造物内や山間部、急斜面などにおいて幾つか気付いた点があり、今回はコラージュ画像にて89式小銃の運用においての問題点を反映したものを掲載したい。現役自衛官も驚くほどの出来というエアソフトガンである為、この問題点への対処は実銃、89式を考える上でも一つの回答となるやもしれないが、基本的にお遊びなので肩の力を抜いてご覧下さい。

Photo_217  写真は“89式特殊任務銃”、89式小銃は、いわゆるカービン銃ではないため致し方ないが、それでも室内、特に扉部分や階段などの閉所では、916㍉というその長さが支障になる。そこで、銃身部分を短縮し、M4カービンの伸縮式ストックを装着した。これで最長でも830㍉程度となっている。実銃の89式を製造する豊和工業ではカービンモデルも試作されているようだが、折畳式銃床を採用しているが、この場合は畳んだ状態での射撃に問題があり、エアガンでは空挺仕様が出ていないこともありM4のものを流用した。更に、弾倉受(マガジンキャッチャー)部分を下方に延長し、安全装置も左側に配置されている。また、20㍉レイル装着場所となる薬莢受装着部を延長している。これでM4並に取り回しがよくなるはずだ。

Photo_218  “89式短小銃”、携帯性を追求するならば、FA-MASやAUGのようなブルパップモデルもあるだろう。既報のモデルはやや無理があった為、各部分を堅牢なものとした。先に挙げたカービンモデルよりも更に短縮されているが、機関部はそのままであり、実現可能なようにカットモデルと比較したところ主要設計を活用している。ただし、弾倉交換に際してはブルパップ式はカービンモデルに比して劣っており、それはブルパップというコンセプトそのものが操作性よりも携帯性に重点を置いている為致し方ないが、後方支援要員など戦闘以外の任務にあたる場合は有効であろう。

Photo_219  上は“89式短小銃”の薬莢受装着部に20㍉レイルを装着し、更にM4カービンのキャリングハンドル部分とAR15用4倍光学照準器を搭載したもの。ブルパップ式小銃はフロントサイト・リアサイト間の間隔が短く、照準精度の低下が挙げられる。そこで光学照準器の装着、となる。

 下は“89式短小銃2型”、航空機搭乗員などの自衛用で通常の短小銃が89式小銃と同じ銃身を用いているのに対し、2型はその縮小型銃身を用いている。短縮により損なわれた射撃時の安定性を確保する目的で、折畳式握把(バーティカルグリップ)を装着している。

Photo_220  “9㍉機関拳銃2型”、機動隊銃器対策班などが採用しているMP5機関短銃がH&KG3突撃銃の機関部を利用したもので、スイス製SG550小銃も9㍉弾仕様の短機関銃型があることから、89式小銃の主要部分を利用し、折畳式銃床や補助握把を装着している。警備や対テロ任務用に最適な大きさとなっている。89式空挺小銃仕様と異なり、銃床は右側に折畳まれる為、左側安全装置の必然性が高まっている。弾倉着脱釦は銃本体部分の他に弾倉前側に配置しており、迅速な再装填が可能となっている。ちなみにバッテリーは本体上部分の増着位置に収納する。

Photo_221  40㍉擲弾発射筒を装着した89式小銃。用いているのはM-203グリネイドランチャーで、実物の重量は1550㌘あり、携帯性は著しく失われ、銃剣も装着できなくなるが二名が擲弾手として配属されれば小銃班の火力は現行の銃口装着型擲弾発射器を装備した場合よりも向上する。何よりも命中精度が高い、エアソフトガンの場合はモスカートを装着すれば火力が著しく増大する。ところで、89式小銃、長さそのものは短くしていないのだが1000㍉のM16A2と916㍉の89式は長さが異なることに改めて気付かされる。

Photo_222  これが大元の89式小銃。ここから派生型を今回作成した。ちなみに、最初にも述べたが今回の写真は無改造の89式小銃とM-16A2,M-4A1,PDW以外、コラージュ画像により作成されたものであり、豊和工業や東京マルイ、防衛庁への問い合わせはしないように、欲しい人はプリントアウトして、カスタムショップの人と相談しよう!でも、こんなのがあるといいよね!

HARUNA

(本ブログに掲載された本文は北大路機関の著作物であり無断転載は厳に禁じる、ただし本文本記事の写真に限り著作権を開放します)

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防空任務を支える航空自衛隊の支援車輌

2006-12-24 01:52:17 | 航空自衛隊 装備名鑑

■航空自衛隊車輌集

 やあみんな!メリークリスマス!、今日はみんなが楽しみにしていた航空自衛隊の地上車輌集だぞ!、・・・、今回も小ネタ集です。

Img_7456  航空自衛隊には、一般車輌/救難車輌/補給車輌/施設車輌など、総計6000の車輌が配備されている。航空機の整備を一つとっても、燃料補給車や牽引車、電源車が必要であり、弾薬輸送車、事故に備えての消防車や救急車、滑走路機能維持の為の各種車輌がその稼働率を支えており、華やかな航空機の飛行も、こうした車輌群を駆る整備員や管制要員の努力が無くては大空へ羽ばたくことはできない。今回はこの特集を行う。

Img_9448  1/2㌧トラックV16BBRSTA、三菱自動車製で440kgを搭載、若しくは最大6名を輸送する。速度は135km/hである。もっともオーソドックスな車輌といえ、基地内の連絡輸送から山間部のレーダーサイトの物資・人員輸送にも対応する。基地やレーダーサイト警備に12.7㍉重機関銃や5.56㍉の搭載も可能であるが、航空自衛隊ではそうした運用は行っているのだろうか不明である。後方は高射隊が運用するタンク車。

Img_7093  1 1/2㌧トラックWB503.トヨタ自動車製で車輌重量3360kg、最大積載量は2000kgである。写真は基地防空隊のVADSを牽引している。各基地防空隊に16基が運用されており、基地防空の最後の砦として任務にあたっている。車輌には弾薬の他、操作要員を載せており、迅速な機動が可能である。陸上自衛隊では改良型に高機動車の車体を用いたものがあるが、航空自衛隊への導入はまだ開始されていないようだ。

Img_2885_1  高射隊や基地業務隊において使用されているニッサンサファリ、この他トヨタランドクルーザやパジェロ(陸自の73式小型トラックとは異なり、市販車と同型のもの)なども使用されることがあるようだ。各国の軍隊でも使用されているようだが、自動車に詳しい方がいたらご教授願いたい。長い車列に際しては先導をする車輌が必要であり、こうした車輌が装備されている。基本的には市販車の色違いといって差し支えない。

Img_3084  制式化されているわけではないので、暫時新型に更新しているようだ。車輌は旧式のもの。こちらはメーカーも異なり、トヨタランドクルーザー。登攀性能や不整地突破能力、稼働率や巡航性能など、どれをとってもランドローバーやメルセデスクロスカントリーといった軍用車輌と遜色なく、ジェーン年鑑などでは軍用車として紹介されている。消防の山岳救助隊がこうした車輌を運用しているが、富士山の急斜面もすいすい登る。

Img_7455  場外救難車1形KC-BXD20V,トヨタ自動車のメガクルーザ航空自衛隊仕様で、基地外の救難活動に使用される。このファミリー車輌に陸上自衛隊の高機動車があり、不整地突破能力は折り紙付である。人員輸送を目的としたものではない為、シートに収容することで人員は少なく、あくまでオフロード仕様の救急車である。なお、メガクルーザは市販もされているが、加速性能ではハンヴィーとは比較にならない性能を弾き出す、国産車最強の市販四輪駆動車である。

Img_3128  大型破壊機救難消防車A-MB-3 FB630TN、大型の航空機火災用消防車で、乗員は五名、車内からの操作も可能であり、加えて11.15㌧の搭載量を有する。1989年より配備が開始された。大型車輌であるが、その筈、製造は鉄道車両の製造を行う東急車輛製である。100km/hの俊足で現場に向かう。重量31.5㌧、全長11.9㍍、C-130Hの機首が写っているが、これと比較するとその大きさが判る。公道で出会うことはまずないが、空港では同型車輌を良く見かける。

Img_4602  左から救難車E-FZJ80G-GCPNK,事故機裁断や乗員救出器材を搭載する。消防車KC-FT1JGBA,基本的に普通の消防車。破壊機救難消防車A-MB-1(FZ610LN),航空機火災や油火災に対応するもので、前述のA-MB-3以前に調達されていたもの。となりはA-MB-3、右端は破壊機救難車へ給水を行う1000G給水車FTS33F2,1000ガロンの消防用水を搭載する。また、非常時には給水運搬にも用いる。

Img_1919  20K?燃料補給車FY2FTAT,20K?ガロンの航空機用燃料JP4を搭載するもので、この種の車両としては航空自衛隊最大のものである。運用方式は航空基地の燃料タンクから補充を受ける。これまでは大型給油車はトレーラー式であったが、本型から一体単車式として安定を高めている。東急車輛製で毎分2270?の燃料補給が可能である。写真はT-4練習機に対して燃料補給をしているところで、航空機よりも大きいところが判る。

Img_1940  燃料補給を終えT-4列機の前を連なって走るFY2FTAT,この他、500ガロン燃料補給車や2000?燃料補給車、2000ガロン燃料補給車などがあり、ヘリや練習機、戦闘機、輸送機といった補給対象に合わせた運用が行われている。

 また、製造元も日野自動車、日産ディーゼル、三菱ふそうトラックバスなど多種多様である。

Img_7151  中型バキュームスイーパVRS-1。

 写真は20㍉機関砲VADSの射撃展示後、滑走路を清掃しているところで、本来は異物除去に運用。エンジン部分に異物を吸い込めば航空機事故に繋がる為に導入。滑走路及び誘導路、エプロンなどの舗装部分の清掃を行う。たまに公道を自治体の同種のものが走っているが、基本的に車体もやっていることも同じである。

Img_0116  航空機用2㌧牽引車2TG20。

 車輌重量3.4㌧の小型ながら航空機を牽引する。最高速はは27km/hと決して速くはないが、この種の車両としては平均的である。基地外周道路を走っていることも多い。豊田自動織機と日産自動車が生産しており、航空機を牽引する他、弾薬輸送などにも用いる便利な車輌だ。写真は航空祭の関連器材を牽引して輸送している牧歌的な様子。後ろには帰る人々が写っている。

Img_4475  航空機用3㌧牽引車3TG35.

 入間基地で撮影したもので、写真遠景にCH-47J輸送ヘリが写っているが、C-1輸送機のような大型機が多数配備されている基地ならではの装備である。AWACSなどの大型航空機の牽引も可能で、航空自衛隊最大の牽引車である。2TG20よりも角ばっているのが外見上の特色である。 豊田自動織機社製。

Img_1406  C-5電源車。神鋼電機社製のものと大阪精密電気工作所製のものがある。両社のものは重量や全高に若干の差異がある。直流28V・800Aの出力を有する。

 写真は整備員の服装を見てわかるように航空祭においてブルーインパルスのT-4練習機の整備支援に用いられているところだが、U-125級難機やMU-2救難捜索機のエンジン始動や整備用に用いられる。

Img_1388  AE-3電源車。UH-60JやCH-74J、V-107といった回転翼機の始動や整備支援に用いられる。

 この他、戦闘機や偵察機に圧搾空気を送り込みジェットエンジンの始動に用いる起動車KM1(1,2,3,4とある)が航空機周辺にいることが多い。地味ながら不可欠な車輌で、陸上自衛隊でもほぼ同型の車輌が運用されていたように記憶する。

Img_2808  かく座機収容器材KC200S,戦闘機などが滑走路で故障、若しくは大破した場合、これを滑走路から動かすことが基地機能維持に不可欠であるが、これを迅速に行うのがこの器材である。

 鉄道車両を製造する日本車輌製で最大積載量は22㌧、従って自重12.97㌧のF-15Jも収容可能である、昨年その様子がマスコミに公開された。

Img_3228  小牧基地航空祭において訓練展示において実際にT-1B練習機を収容しているところ、ちなみにこのT-1Bは昨年の航空祭の写真であり、この時点ではまだ現役の機体。

 飛行展示の最中に実施した為、多くの観客が気付いていないところが見て取れる。小生もいつの間にか収容されていたのを気付き、慌てて望遠レンズにて撮影した。それなりに貴重な瞬間なのだが、観衆が肝心な部分を覆ってしまっている。

Img_5068_1  以上の車両はほんの一部で、種類も区分が新旧多くあり、この他、滑走路を自前で舗装する施設器材や、降雪時に滑走路の除雪を行う器材、更に移動式管制塔や射爆場整備用の特殊車輌、レーダーサイト内での人員輸送用バス、輸送機用のカーゴローダー、アンテナ器材や移動式レーダーなどが配備されている。

 流石に小生も全てを網羅できる写真はない、航空自衛隊の車輌は奥が深いのだ。

Img_9434_1_1  航空祭では、カメラマンの多くはレンズを空に向けて航空機の撮影を行うが、こうした航空機は縁の下の力持ちにより支えられている。時には視線やレンズを下に向けてみてはどうだろうか。恐らく、今まで見たことのない車輌が航空機を支援していることだろう。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

■クリスマス特別企画

 ここからはクリスマス特別企画、勝手に89式小銃2型!と勝手に89式短小銃!使い勝手の観点から気付いた点を反映させてあります。

Img_4360  89式小銃であるが、本ブログでも先日、M-4といったエアソフトガンと比較した記事を特集した。そこで、画像補正ソフトを用いて少し遊んでみた。画像はM-4カービンのサイト部分とストックを移植した場合のモデル。小銃である為、89式はやや大きく、射手に併せて調整出来る様改良したのだが、この他、マガジンキャッチャー部分も少し下に延長し、再装填を迅速に行えるよう改良した。いわゆるコラージュ画像であるが、使いやすくなっているはずだ。

Img_4360_  携帯性を向上させた89式ブルパップモデル、自衛隊風に表現すれば短小銃であろうか、市街戦では長すぎる小銃は使いまわしが悪いとの指摘がある。普通に短くしてもいいのだが、あえてブルパップ。照準線が短くなるとの指摘がある為、ステアAUGのように光学照準装置を搭載している(無理やり画像を伸ばしたので無理があるのはご愛嬌)。

 以上はコラージュ画像であるので、欲しい方はプリントアウトしてカスタムショップに相談しよう!、くれぐれも豊和工業や東京マルイに問い合わせをしないようにお願いします。(本二枚のみ、著作権を一般に公開します)

北大路機関

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横須賀サマーフェスタにおける米海軍在泊艦艇

2006-12-23 12:48:41 | 海上自衛隊 催事

■横須賀基地

 夏に開催された横須賀サマーフェスタは、小生も富士総合火力演習に先んじての公開行事とあり、基地を訪問したのは既報であるが、今回はその際の米海軍在泊艦艇を特集したい。

Img_6259  海上自衛隊横須賀基地は、第一護衛隊群や第二潜水隊群、掃海隊群、横須賀地方隊といった艦艇部隊に加え、自衛艦隊司令部などが置かれる海上自衛隊の一大根拠地である。ここでは毎年、サマーフェスタが実施される他、間もなくの大晦日では、元旦にかけ花火や艦艇夜間電飾、基地一部特別公開が開催される。今回の特集はサマーフェスタにおける体験航海で乗艦した写真の右端、“しらゆき”から撮影したものである。

Img_6304  同じく体験航海に向かうDDG171“はたかぜ”、前方からの航空目標に迅速に対処するべくスタンダードミサイル発射機が前甲板に配置されており、独特の艦容で知られている。体験航海の整理券は確か二回に分けて先着1000名であったか、記憶が定かではないが、0810時に小生はShin氏や“とんぺいの機械博物館”の皆さんと合流し、0820時頃に基地前に並んだが、整理券配布には揃って五名、運良く間に合った。

Img_6205_1  DDG54 Curtis Wilbur: カーティスウィルバーは1994年に就役したアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の四番艦で、満載排水量8422㌧、ステルス性を考慮したモノポール式マストが特色であるが、第二次大戦中の駆逐艦マストに先祖がえりしたような印象を持たせる。最大の装備はイージスシステムと90基のVLS(垂直発射器)に内蔵されたミサイルである。しかし、固有のヘリを搭載していないのが問題とされ、ヘリ格納庫を増設した改良型のフライトⅡAが2000年より就役している。

Img_6209  この場所からの写真は、平日でもウェルニー公園やショッピングモールから撮影することが出来る。向こう側に“たかなみ”型護衛艦の一部分が写っている。さて、写真は、CG62 Chancellorsville:チャンセラーズヴィル、CGとはミサイル巡洋艦を意味する。タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の16番艦で、満載排水量は9516㌧、航空母艦の直衛用に開発されたイージス艦だが、本級は対潜用のスプルーアンス級駆逐艦の船体設計を流用した艦で、導入当初は重い上部構造物が問題となった。スプルーアンス級が有した2機分のヘリ格納庫を維持しつつ、122基のVLSとイージスシステムを搭載できたのは、その設計の余裕からである。

Img_6223  海上自衛隊横須賀地方隊の輸送艇2号がチャンセラーズヴィル右舷を通過する。輸送艇1号型は満載排水量540㌧であるから巡洋艦の大きさが際立っている。専守防衛の国是があるとはいえ、災害派遣に必要なこの種の艦艇の不足は深刻で、代替として1900㌧型の輸送艇(輸送艦とも二転三転)が建造される見込みである。ちなみに、タイコンデロガ級は1983年から1994年にかけ27隻が就役したが、既に一部では退役が始まっている。

Img_6291  さて、ここから体験航海の際に撮影したものである。海軍基地とは戦略上の要衝であり、この区画は基地外からは見えにくくなっており、体験航海ならではの写真である。本来ならば、空母キティーホークや、第七艦隊旗艦ブルーリッジが停泊していて然るべきなのだが、この日は外洋に演習に展開していた。陸上からは空母が帰港していても一部が桟橋などで隠れてしまう為、この日に在泊していなかったのは、残念であった。

Img_6414  チャンセラーズヴィルに二門搭載される5in54口径砲Mk45。“はるな”型“しらね”型“はたかぜ”型などに搭載される5in54口径砲Mk42の後継である。発射速度は17~34発から16~24発へ、旋回速度も40°/秒から30°/秒に落ちているが、射程は22kmから23kmに若干伸びた他、何よりも軽量化が為され、58.6㌧から22.22㌧へと大幅に軽量化されている。現在は62口径のMk45 Mod4が導入開始され、射程延伸砲弾では117km(162kmという資料もある)の射程を有する。

Img_6399  FFG-51 Gary:ゲアリィは、オリヴァーハザードペリー級ミサイルフリゲイトの41番艦で、満載排水量は4100㌧、初期型は3638㌧であるから、はつゆき型護衛艦よりも小型であるが、対潜ヘリコプター2機とスタンダードSAM発射機を搭載し、艦隊防空に充てられるフリゲイトである。海上自衛隊の護衛艦と異なり、対潜用のアスロックを搭載していないが、対潜フリゲイトであるノックス級(既に全艦退役、台湾海軍やタイ海軍などが中古艦を運用)の任務とされた。

Img_6297  中央部分のアップ、上部構造物中央に海上自衛隊でもお馴染の76㍉単装砲が搭載されているが、これは前部甲板にSAM発射機を搭載した為である。1977年から1989年までに、実に51隻が就役した本級はスペイン海軍や台湾海軍でライセンス生産され、中古艦がポーランド海軍など友好国にて運用されている。他方、米海軍では冷戦後の経空脅威激減に対応してスタンダード発射機を撤去し、FF、つまりフリゲイトに種別変更が為されている。

Img_6398  DDG89 Mustin:マスティンは2003年に就役したフライトⅡA型で、39番艦(フライトⅡA型では11番艦)。ヘリコプター格納庫を有し、VLSを挟む形で二機を搭載する(火災が起これば誘爆しそうだ)。洋上での補給を考慮せずVLSのクレーンを撤去した結果、96基にVLSが増えている。また、搭載艇をコスト低減の為に複合艇へ代え、ハープーンSSM発射筒も装備していない。結果、価格が15~20%程度低減できたといわれている。

Img_6391  31番艦より5in砲が新型のMod4となっており、海上自衛隊の“あたご”型もMod4を搭載している。射程100kmを越える砲は対地攻撃に大きな威力を発揮する。なお、艦の手前に見える海上柵はボートによる自爆テロ対策である。最終的に50隻以上が就役する予定であり、イージス艦をこれだけ揃える米海軍の規模に驚かされると共に、では対空用途のイージス艦を揃える一方で、ペリー級からはSAM発射機を撤去するのか、考えてしまう。せめてESSM用VLSに換装するなど選択肢はあったはずだ。

Img_6324  こうして米海軍艦艇を見つつ出港、艦隊機動の展示やヘリ上空航過などの展示を終え、帰港した。一方で車輌展開にて体験航海整理券配布に間に合わなかったC.ジョニー氏一行は、三笠記念艦から出港する民間の軍港巡りツアーにて、音響測定艦や海洋観測艦などのいる区域を撮影することが出来たという。開発隊群の艦艇は見たことがないので来年は是非そちらも見てみたいところである。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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JR京都駅 クリスマスイルミネーション

2006-12-22 01:19:57 | 写真

■京都駅の眺望

 格子状の鉄組と硝子を填め込んだ京都駅は、古都には相応しくないと批判があるものの、今日ではシンメトリーの一対を為す建築物の一つとして受け入れられつつある。今回はその京都駅のクリスマスイルミネーションについて特集したい。

Img_3853  突然ですが、京都タワーが二本になりました!行ってみようッ!!、・・・、朝一でボケてスマン。いや、その、なんというか、疲れているのだよ。

 京都市の眺望について特に問題となったのは新阪急ホテルと京都タワー、京都駅といった一連の高層建築物で、これを契機として古都は近代建築物との混在を強いられることとなったが、今更取り壊せるわけも無く、一つの風景として受け入れるのが日本の文化なのだろう。

Img_3821  京都駅エントランスの空間部分に聳え立つクリスマスツリー、映画「ガメラⅢ 邪神覚醒」では、小松基地第六航空団のF-15Jの追尾を振り切った巨大生物がここでガメラと最後の戦いを行ったとして特撮ファンには有名である。しかし見ての通り結構手狭で、こんなところに巨大生物が入れるのかと思ってしまうが、特技監督の樋口氏が京都駅を見てピンときたというから仕方ない、ただ、斬新なアイディアであることは確かであるし、面白かった。

Img_3827  更に上に登る。登頂は無料で、市民の憩いの場となった京都駅ビルだが、エスカレータを延々と登る必要があり、往復で急がなければ30分ほど見ておいた方がいい。

 写真には通路部分が写っているが、この通路も自由に行き来することが出来る。実はこの写真を撮影した部分の展望スペースは擦り傷の多いアクリル板で、撮影には向かない為、この通路からの撮影が条件的にはいい。

Img_3840  通路部分、平日の午前なので人は少ない。なんとなくSFチックな風景だが、ここも古都京都市である。通路の脇は下まで50㍍ほど、高所恐怖症の人にはお勧めできないが、京都を一望できる。特に清水寺が望見でき、新しい時代の京都を印象付けるものといえるが、中途半端な建造物の混在は、歴史文化都市にそぐわないと外国人観光客には不評である。しかし、世界歴史都市連盟は京都が発議したものであり、地方政治の一貫性欠如という問題が浮き彫りとなっている。

Img_3833  京都タワーが大きく写っているが、中央の巨大な航空機格納庫のようなものは東本願寺、京都近代化の一環として本堂が取り壊され鉄筋コンクリート式の巨大建築物になったのではなく、平成の大修理の一環として本堂を覆って修繕作業を行っている様子。有事の際には中から巨大兵器アプサラス、とか機龍とか汎用人型決戦兵器とかが出てくるわけでは絶対無い。この覆いも見苦しいといわれるが、観れるのは少なくとも50年に一度、観れるのも今の内である。

Img_3838  通路の展望スペースはこのようになっている。この通路は夜間も開放されており、夜景の撮影も可能だが、高い確率でフラッシュを焚く人がおり、アクリル板に反射して三脚を用いた長時間露光の撮影が台無しになってしまうことがある。

 ちなみに、このアクリル板は移動式足場により美的に保たれており、汚れて撮影できない、ということはない。

Img_3852  通路を渡りきり、先ほど撮影した位置とは反対側からクリスマスツリーを望む。エスカレータと比較すれば京都駅ビルの空間の大きさが判る。怪獣の決戦には手狭だが、人の大きさと比べればその大きさが判る。登るのに時間がかかるのがお解かりいただけよう。しかし、この長大な階段を足で登ろうという連中が集まった“京都駅ビル階段駆け上り競争!!”なんてものも行われている。小生は絶対参加しないが、参加者には好評だとか。

Img_3854  京都市のメインストリート、烏丸通を駅ビルより望む。古都といっても近代的な都市の街並が見える。

 手前左は京都タワーホテル、その向こうに見えるのは二月で閉店する京都近鉄百貨店プラッツで、閉店セールが実施中、上の階のソフマップは既にDVDソフトなど品薄となっており、無印良品も“売約済”の札が目立つ。烏丸通はやや傾斜しているのがこの写真から見て取れる。

Img_3696  写真を撮っていたらば夜になってしまった、訳ではなく、これは数日前に撮影した写真、当然ながらクリスマスイルミネーションは夜間でなければ見えない。日常の風景ながら、見上げるとこうしたものがあるのは新鮮である。

 どうせならばこの空間を活用し、五山送り火の時期などに、今は行われていない送り火の文字をここに示してみてはどうかな、と考えることもある。

Img_3700  クリスマスツリーを下から望む。登る時間がなかったのでここまで。ちなみに、修理に出していた18~55㍉レンズがかえってきたので、28~80㍉レンズによる写真より表現力の高い写真をお送りできると思う。このテストを兼ねて京都駅を写したのだが、如何であったろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (2)
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