■満開の桜は平野神社
この春も色々と時間を見つけましてさくらを見上げたものですがさてさてどこまで紹介できるのだろう。
さくら満開の季節、カメラを片手に散策しました際にどうしても今年は花曇りという言葉が適合する程にどうしても空が白く曇り、若しくは大陸からの黄砂が視界を遮ってしまう事も多かったのですが、満開を少しだけ過ぎた頃にようやく青空が戻ってきた印象です。
平野神社、初詣の定番という一つとして位置づけているのですけれども、もうひとつここは観桜という文化の始まりの神社であることも初詣などの際に示しましたとおりです。しかし、平野神社、春がきたなあという印象とともにことしはもう一つ感慨深い。
扁額、鳥居の扁額がようやく配置されまして、考えてみると平野神社、2018年の台風被害からの復興に非常に大きな時間がかかりましたが、鳥居の扁額の復興とともにようやく、あの災害の前まで戻ってきた、という印象でしょうか、COVID-19よりも前だ。
台風被害はおおきなもので、拝殿が倒壊しました、全壊よりも大きな倒壊で巻き上げられたことですべて破損してしまいまして、その復興に仮拝殿を構築して、そして、江戸時代の再建されたものをさらに台風被害からの再建ということになったわけですけれど。
COVID-19の前には拝殿の復興が目処もたった、こういわれたところで喜び勇んで参拝に歩み進められたかたもおおいのでしょうけれども、拝殿の復興は破損という非常事態を背景に進められたものですから、ようするに予定されていた修復作業を棚上げしていた。
本殿修復は拝殿復興とともに開始されましたので、もとどおりになった拝殿のまえにありました本殿は、やはり足場が組まれて少し後に覆いで覆い隠されてしまいまして、要するに台風被害前の平野神社というよりは修復中の神社というような外見となったかたち。
桜花の季節、それは昨年の話題なのですけれども今度こそ日常の、昨年の桜花の季節にはまだCOVID-19には感染症法上の五類変更前の二類相当とされていましたけれども、まあ致死性と社会維持と秤に掛けて再起動を始めた頃に参拝しますと、今度は扁額が、と。
しかし、これ西大路通りから平野神社の観桜を迎えた鳥居を眺めますと、そういっけんして紅白幕が鳥居の向こうに見えるのです。COVID-19の前にあって平野神社は、観桜の季節には出店が並んでいまして、非常な喧噪の先に神社がある、という印象でした。
団子か花かなんて言葉もあるのですけれども、ここでの酔客は参拝くらいはしたのだろうかと少々場所柄を考えてしまった以前に、やっぱりうるさいのは苦手だったなあ、と思いつつCOVID-19の時代には、静かすぎるのも考え物か、と贅沢な思いをしましたが。
コロナ前、とは今年の平野神社も行かなかったようで、出店などはなく静かに観桜をたのしむべく桜苑が有料公開されていました。ちょっと心引くのですが一歩引けば、桜苑には神社を象徴するものはほぼ無く、みれるのは桜だけ、ちょっとなあ、と思うところ。
日常の再開、そうこの日の参拝は特別な日に歩み進むことができるようになりまして、時間を何とかあけた次第です。それにしても昨年は桜の開花が早すぎたこともありますから、ちょっと残念ではあったのですけれど、満開、という言葉が適合するような情景だ。
NHKが空撮の準備をすすめていまして、もう散り始めなのかという理解で望んだところ、NHKさん的には見頃、であったようで、そして特別な日ではあるのですけれども思ったほどの混雑はなく、所用を早めにすませた余裕とともに、いよいよ参拝へ臨みました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
この春も色々と時間を見つけましてさくらを見上げたものですがさてさてどこまで紹介できるのだろう。
さくら満開の季節、カメラを片手に散策しました際にどうしても今年は花曇りという言葉が適合する程にどうしても空が白く曇り、若しくは大陸からの黄砂が視界を遮ってしまう事も多かったのですが、満開を少しだけ過ぎた頃にようやく青空が戻ってきた印象です。
平野神社、初詣の定番という一つとして位置づけているのですけれども、もうひとつここは観桜という文化の始まりの神社であることも初詣などの際に示しましたとおりです。しかし、平野神社、春がきたなあという印象とともにことしはもう一つ感慨深い。
扁額、鳥居の扁額がようやく配置されまして、考えてみると平野神社、2018年の台風被害からの復興に非常に大きな時間がかかりましたが、鳥居の扁額の復興とともにようやく、あの災害の前まで戻ってきた、という印象でしょうか、COVID-19よりも前だ。
台風被害はおおきなもので、拝殿が倒壊しました、全壊よりも大きな倒壊で巻き上げられたことですべて破損してしまいまして、その復興に仮拝殿を構築して、そして、江戸時代の再建されたものをさらに台風被害からの再建ということになったわけですけれど。
COVID-19の前には拝殿の復興が目処もたった、こういわれたところで喜び勇んで参拝に歩み進められたかたもおおいのでしょうけれども、拝殿の復興は破損という非常事態を背景に進められたものですから、ようするに予定されていた修復作業を棚上げしていた。
本殿修復は拝殿復興とともに開始されましたので、もとどおりになった拝殿のまえにありました本殿は、やはり足場が組まれて少し後に覆いで覆い隠されてしまいまして、要するに台風被害前の平野神社というよりは修復中の神社というような外見となったかたち。
桜花の季節、それは昨年の話題なのですけれども今度こそ日常の、昨年の桜花の季節にはまだCOVID-19には感染症法上の五類変更前の二類相当とされていましたけれども、まあ致死性と社会維持と秤に掛けて再起動を始めた頃に参拝しますと、今度は扁額が、と。
しかし、これ西大路通りから平野神社の観桜を迎えた鳥居を眺めますと、そういっけんして紅白幕が鳥居の向こうに見えるのです。COVID-19の前にあって平野神社は、観桜の季節には出店が並んでいまして、非常な喧噪の先に神社がある、という印象でした。
団子か花かなんて言葉もあるのですけれども、ここでの酔客は参拝くらいはしたのだろうかと少々場所柄を考えてしまった以前に、やっぱりうるさいのは苦手だったなあ、と思いつつCOVID-19の時代には、静かすぎるのも考え物か、と贅沢な思いをしましたが。
コロナ前、とは今年の平野神社も行かなかったようで、出店などはなく静かに観桜をたのしむべく桜苑が有料公開されていました。ちょっと心引くのですが一歩引けば、桜苑には神社を象徴するものはほぼ無く、みれるのは桜だけ、ちょっとなあ、と思うところ。
日常の再開、そうこの日の参拝は特別な日に歩み進むことができるようになりまして、時間を何とかあけた次第です。それにしても昨年は桜の開花が早すぎたこともありますから、ちょっと残念ではあったのですけれど、満開、という言葉が適合するような情景だ。
NHKが空撮の準備をすすめていまして、もう散り始めなのかという理解で望んだところ、NHKさん的には見頃、であったようで、そして特別な日ではあるのですけれども思ったほどの混雑はなく、所用を早めにすませた余裕とともに、いよいよ参拝へ臨みました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)