折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

宿場テクテク-1(馬籠 まごめ)

2020年10月04日 | 馬篭・妻籠

馬籠宿  F2




10月3日に中山道 馬籠宿と妻籠宿に行きました。二つの宿場をテクテク歩いて1万歩を超えました。私にしては大したことです。
涼しくなって何処かに行きたい病がウズウズしてきてふと思付いたのが馬籠、ここは昔々子供会の遠足の付き添いと、あとは高校生の時に行ったきりの場所です。

馬籠・妻籠へは名鉄バスセンターから土曜日曜と祝日に季節運行される直行便があります。名古屋を9時20分出発、11時10分に馬籠に着くと1時間55分の自由時間、馬籠からバスで移動して妻籠に着くとここでも1時間50分の自由時間があって名古屋に戻ります。名古屋帰着は17時30分。往復5千円。
予約なしで駅に行って見ると大型バスに乗客はオバサン2人連れ、西洋人カップル、若い女性の一人旅さんと若くない一人旅の私の計6人。
外国人カップルさんは馬籠から妻籠まで約8キロを歩いて妻籠バス停で再会でした。島崎藤村の小説「夜明け前」に「木曽路はすべて山の中である」とあるように今も山の中です。中山道の旧街道は石畳の残る所もあり出来れば私も歩きたいでのすが膝の不調に加えて、案内所ではクマよけの鈴の貸し出しもありました・・・ちょっとこれでは・・・。

馬籠は宿場全体が急な坂道で両側に店が並んでいます。
歩き始めると急な坂につい立ち止まり、お店の五平餅が美味しそうで1本買って店先でいただきながらおしゃべりしました。
「坂道は苦手でね・・・」と私。
「以前にも来られた方は皆さん、こんなに坂が急だったかなと言われますよ。みんな年取って来たって事でね」なるほど、私も40年前は苦も無く登れたはず。
「人が多くて驚いた」と言えば「私らも驚いてね。外人さんも団体さんも来てないのにね。人は多いけど団体さんのように競争して土産を買ってくれる人は少なくてね」そうなんだ、私も買わないし。

道の脇にあった神社の石段に腰掛けてややこしい枡形の路や建物を描き始めると、同じ枡形を撮る人が次々まわりにも前にも立ち皆さん普通に日本語で話しているので日本人らしい。もうっ!絵は途中にして店じまい。つづきは家で・・・これが見出しの絵です。
だんだん人が多くなってきたのでお店の人がお勧めの展望広場まで登り、ゆっくり見下ろした風景をスケッチ。ついでに恵那山も。宿場の家並みは時間も迫って来たし人も多くて描いてはいられませんでした。
この後に行った妻籠宿でも思ったことですが、保存されてきれいになってはいるものの、どこか作り物と言う感じがするのがちょっと残念でした。
馬籠宿はもともと明治時代の大火で古い建物はほとんど残っていないそうです。ですが、60年程前はデコボコの荒れた石畳ももっと趣があった気がします。趣・・・これは観光客の勝手な思いかもしれません。手を入れられず廃れた場所を有難がっていては人は来なくて暮らしは成り立たないでしょうし・・・。





展望広場から F2


展望広場から恵那山 F2


コスモスと恵那山
展望広場の近くで個人のお宅の車庫の奥のコスモスがきれいでした。ちょうど車を出されるところだったので「車庫から写真撮らせていただいてもいいですか」と言うと、素敵な奥さんが「どうぞどうぞ、コスモスきれいでしょう!良かったら好きなだけ切ってってください」と言って車は走り去り・・・欲しいけど一人でコスモス切ってたら通報されそうと思うし、バスでは持って帰るまでに萎れるしと、とるのは写真だけにしました。


藤村記念館 時間がなくて見学できませんでした


11時過ぎ午前中はまだ人が少ないけど・・・

次回は妻籠宿です


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