ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.11.25 綺麗なお母さんは好きですか

2014-11-25 21:30:26 | 日記
 いつの頃だったか、テレビCMで「綺麗なお姉さんは好きですか?」というフレーズがあった。そりゃ、訊かれるまでもなく綺麗な方がいいでしょう?という思い込みが言外に感じられたので、突っ込みどころ満載のように感じたものだ。

 さて、今日の毎日新聞のネット記事で目にとまったものがあったので、以下転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

母親: 自分の母親は美しい? 調査で日本、突出して低く(2014年11月25日 毎日新聞)

化粧品メーカー「アテニア」が、日米など4カ国で「母親の美しさ」について尋ねた結果、日本は自分の母親を美しいと感じている女性が最も少なく、母親の美しさを評価する点数も最低だったことが分かった。同社は「日本では『母親』が『女性』として評価されにくいのではないか」と分析している。
 調査は日本、アメリカ、フランス、南アフリカの4カ国で、インターネットを通して10〜20代の女性415人に実施(各国103〜105人)。母親を「とても美しい」「美しい」と感じている割合と、その点数は、米96.1%、86.2点▽南ア94.2%、87.2点▽仏91.3%、79.2点▽日69.5%、66.5点−−で、日本は突出して低かった。また、母親を美しいと思う要素として、日本では「性格・知性」(24.7%)がトップだったのに対し、他の3カ国は「顔立ち」を最も重視していた。同社のウェブサイト(http://www.Attenir.jp)では、小学生の女児が自分の母親の美しさについて語る姿などを撮ったドキュメンタリー映像を公開している。【鈴木敦子】

(転載終了)※   ※   ※

 日本人女性の母親に対する評価は厳しい、と思うと同時に、欧米諸国に比べて、日本では母が1人の女性として見られる(特に同性である娘から)ことはいまだ一般的ではないのだろう、とも思う。
 思えば私も20代の頃まで、母は母であり、あえて一人の女性として客観的に見るということはしなかったように思う。母は結婚以来一度も外で働いたことのない専業主婦だった。そのためか、私をおいて一人で出かける姿を見ることも殆どなかった。そうはいっても、授業参観等にやって来る時には、多くの子どもたちと同じように、やっぱりちょっとお洒落をしてきてほしいな、と願ったものだ。まあ、徒歩5分の学校にそんなよそ行きの出で立ちで出てこいという方が無理と言えば、無理なのだけれど。

 母は身長が150cmそこそこ(今は縮んで145cmちょっとだという)で、両親(私の祖父母)ともに日本人なのだけれど、彼女が子どもの頃(要するに戦時中)「あいの子、あいの子」と言って苛められていた、と聞いたことがある。そう、顔立ちだけ言えば、彫が深くて茶色の目である。だから、若い頃の写真を見ると娘の私から見ても結構いい線行っている。けれど、全く構わない(お化粧は口紅をチョイと塗るだけ、お洒落も殆どしないごくごく地味な)人だったから、うんと歳の離れた従姉の結婚式に出た時だったか、プロからフルメイクしてもらった姿を見た時には一体どこの誰か、と子ども心に仰天した記憶がある。

 もちろん、顔立ちだけでなく性格も知性も、どんな子どもにとっても母は自分を産み、育ててくれた唯一無二の存在で、誰にも代えがたいスペシャルな存在だ。けれど、大手を振って自分のお母さんは美しい!とはなかなか言えない日本人ならではの謙虚さというか、手前味噌を嫌う部分が出ているように思う。

 かくいう私は子どもの頃、どちらかと言えば父親似であった。母に似れば鼻筋が通っていたのに鼻ペチャで、母に似れば卵型の輪郭なのに丸顔のしもぶくれ・・・と、両親の悪い所ばかりとりまくった可哀想な女の子と言われ、容姿についてコンプレックス一杯で育った。だが、歳を重ね、今、写真を見ると、自分でも驚くほど母に似てきたと思う。

 残念ながら、今の母の年齢まで元気で生き長らえているとは思えないのだけれど、体型や個々のパーツは違っても、おばあさんになった自分の顔がなんとなく想像出来るのが不思議な気分である。

 今日は朝から冷たい雨がそぼ降る1日だった。天気予報の助言に従い、暖かく重ね着し、レインコートとレインブーツの重装備で出勤した。昨日は少ない出勤人数の所為もあり、事務室がうんと寒かったのに懲りたのだが、今日はまだ暖房も入っていない割にはフル出勤の人の熱で結構暖かかったのが何よりである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする